マグダラのマリア


 小説『ダ・ヴィンチ・コード』が評判である。私は読んでいないが、特集のTV番組を見て面白く思った。どうやら「マグダラのマリア」がキーパーソンのようであるので、福音書などを少々調べてみた。

 「マグダラのマリア」は聖書(福音書)の登場人物である。福音書以外には出てこない。ちなみにイエスの母の名前もマリアである。ユダヤではよくある名前だったようだ。なお福音書には都合5人のマリアが登場するそうであるから興味のある方は数えてみるとよい。

 名前はもちろん知っていたが、考えてみると福音書にどう書いてあるのか、詳細に読んだことはなかった。まず福音書から読んでみることにする。
(福音書本文の引用は http://www.wcsnet.or.jp/~m-kato/bible/bible.html より。ちなみにこの人は「マリヤ」と書いている)

 すると、はっきり「マグダラのマリア」と明記されているシーンは意外に少ないことがわかった。

 つい忘れがちなことだが、ガリラヤからイスラエル各地を宣教してまわるイエス一行には、十二使徒だけでなく多数の女性も同行していた。その1人がマグダラのマリアである。「7つの悪霊を退治してもらった女」といふのがキャッチコピー?である。受難より前の記事でマグダラのマリアの名が登場するのは、「ルカによる福音書」(以下ルカ伝と略。マタイ・マルコ・ヨハネも同様)にただ一ヶ所あるだけである。

(ルカ伝 8:1-3)
 そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。

 次にマグダラのマリアが登場するのは、イエスの死(受難)を見届け、埋葬する場面である。これは四福音書全てに記述がある。

(マタイ伝 27:55-61)
 また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。
 夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。
 ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。
 マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓にむかってそこにすわっていた。

(マルコ伝 15:40-47)
 また、遠くの方から見ていた女たちもいた。その中には、マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセフの母マリヤ、またサロメがいた。彼らはイエスがガリラヤにおられたとき、そのあとに従って仕えた女たちであった。なおそのほか、イエスと共にエルサレムに上ってきた多くの女たちもいた。
 さて、すでに夕がたになったが、その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤのヨセフが大胆にもピラトの所へ行き、イエスのからだの引取りかたを願った。彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった。
 ピラトは、イエスがもはや死んでしまったのかと不審に思い、百卒長を呼んで、もう死んだのかと尋ねた。そして、百卒長から確かめた上、死体をヨセフに渡した。
 そこで、ヨセフは亜麻布を買い求め、イエスをとりおろして、その亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入口に石をころがしておてた。
 マグダラのマリヤとヨセフの母マリヤとは、イエスが納められた場所を見とどけた。

 マタイ伝とマルコ伝では、マルコ伝のほうがやや詳しい部分もあるものの、マグダラのマリアに関する記述はほぼ同じである。なおマルコ伝には「サロメ」という女が登場するが、ヘロデアの娘サロメと関係あるかどうかは全く分らない。(たぶん関係ないと思う〜笑)

(ルカ伝23:49-56)
 すべてイエスを知っていた者や、ガリラヤから従ってきた女たちも、遠い所に立って、これらのことを見ていた。
 ここに、ヨセフという議員がいたが、善良で正しい人であった。この人はユダヤの町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた。彼は議会の議決や行動には賛成していなかった。
 この人がピラトのところへ行って、イエスのからだの引取り方を願い出て、それを取りおろして亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた。この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた。
 イエスと一緒にガリラヤからきた女たちは、あとについてきて、その墓を見、また、イエスのからだか、納められる様子を見とどけた。そして帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んだ。

 ルカ伝のこの部分は「マグダラのマリア」という表記はないが、次の復活の章でこの女たちの名前が紹介され、マグダラのマリアが含まれていることがわかる。また「香料と香油」についての記述はマルコ伝にもある。ヨハネ伝には「没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど」とか「香料を入れて亜麻布で巻いた」と記述があり、遺体に防腐処理をするためだったことがわかる。女たちはイエスの遺体に防腐剤を塗るために墓に行ったのである。

(ヨハネ伝19:25-27)
 さてイエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、「婦人よごらんなさい。これはあなたの子です」。そこからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

 他の三福音書(共観福音書)では、女たちはイエスの様子を遠くから見ていたことになっているが、ヨハネ伝では十字架のそばにいたことになっている。ちなみに「愛弟子」とはヨハネ自身であるといわれている。ヨハネ伝では女たちが埋葬に立ち会ったどうかについては記述がないが、その後の筋からいって、立ち会っていたと考えるのが自然である。

 そしていよいよ復活のとき、マグダラのマリアは、復活の最初の目撃者にして弟子(使徒)たちにそれを伝道するという、弟子たちにしてみればいわば破格の扱いの重要人物となる。

(マタイ伝28:1-10)
 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。すると、大きな地震が起こった。それは主の使いが天から下って、そこにきて石をわきにころがし、その上にすわったからである。その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真っ白であった。見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたは十字架にかかったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。

 そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしと会えるであろう、と告げなさい」。

 マタイ伝の記述からとりあえず次のことがわかる。

 *安息日明けにマグダラのマリアを含む女たちが墓を見にきた。
 *墓の入り口の石は開いていて死体はなかった。
 *御使い(天使)が女たちにイエスの復活を告げた。

 この3点が四福音書における復活の記述の共通事項である。マタイ伝の場合、女たちは「恐れながらも大喜び」している。そして墓から戻り弟子たちに知らせに走る女たちにイエスが出現したとある。マグダラのマリアは、復活したイエスを目撃した数人のうちの一人ということになる。

(マルコ伝16:1-11)
 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るための香料を買い求めた。そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入り口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。

 ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。墓の中にはいると、右手に真白な長い衣をきた若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。

〔週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた。イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある。マリヤは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた。彼らは、イエスが生きておられる事と、彼女に御自身をあらわされた事とを聞いたが、信じなかった。〕

 マタイ伝では「恐れながらも大喜び」して弟子たちに知らせるために走った女たちが、マルコ伝では「人には何も言わなかった。恐ろしかったからである」となっている。さらに補遺として付け加えられている別編集(〔 〕内)の部分によると、まずマグダラのマリアに出現したこと、彼女(女たちではなくマリア1人)が弟子たちにそれを話したが、弟子たちは信じなかったことが述べられている。

(ルカ伝24:1-12)
 週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。ところが、石が墓からころがしてあるので、中にはいってみると、主イエスのからだが見当たらなかった。そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣をきたふたりの者が、彼らに現れた。女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにえられたとき、あなたがたにお話になったことを思い出しなさい。すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」。

 そこで女たちはその言葉を思い出し、墓から帰って、これらいっさいのことを、十一弟子や、その他みんなの人に報告した。この女たちというのは、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、およびヤコブの母マリヤであった。彼女たちと一緒にいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。

 ところが使徒たちには、それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった。〔ペテロは立って墓へ走って行き、かがんで中を見ると、亜麻布だけがそこにあったので、事の次第を不思議に思いながら帰って行った。〕

 ルカ伝ではマタイ伝と同じく、女たちが弟子たちに出来事を報告したことが述べられている。女たちは御使いの言葉で、イエスが「三日目によみがえる」と言ったことを思い出し、すぐに復活を信じている。マグダラのマリアは目撃者&報告者の1人であるが復活したイエスに会ったことは書かれていない。補遺である〔 〕内を見るとペテロは女たちの報告を信じず、自分で確かめに行ったが、現場の様子を見てもなお信じていなかった様子が伺える。ペテロが真偽を疑って確かめに行った話はヨハネ伝にも書かれている。

(ヨハネ伝20:1-18)
  さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。

 そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。シモン・ペテロも続いてきて、墓の中へはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。すると、先に先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。
 しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。

 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、ぞうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。

 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上がっていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またはあなたがたの父であって、わたしの神またはあなたがたの神であられるかたのみもとへ上がって行く』と、彼らに伝えなさい」。マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。

 ヨハネ伝には最も詳しく復活の様子が描かれている。まず朝早く墓に向かったのはマグダラのマリア1人になっている。入り口の石がどけてあるのに驚いたマリアは、まずペテロともう1人の弟子にそれを知らせる。そこで実はイエスの遺体も無くなっていたことが告げられているので、マリアは墓の中を見たことになる。2人の弟子は墓の様子を見に行くが、結局イエスの復活に気がつかず問題が未解決のまま家に帰る。ここにはペトロたちの無能さがそれとなく描かれているようだ。

 残されたマリアが泣きながら墓をのぞきこむと、そこで初めて御使いがいることに気づく。短い会話の後、マリアが後ろを振り返ると復活したイエスが立っている。しかしマリアはイエスを園の番人と勘違いする。イエスが「マリアよ」と呼びかけると、初めてそれがイエスであることに気づき「ラボニ(先生)!」と(たぶん)叫ぶ。このようにしてマグダラのマリアが復活したイエスと最初に出会ったことが詳細に述べられている。

 福音書の中で、「マグダラのマリア」と明記してあるのは、意外にもこれだけである。

 各福音書のマグダラのマリアに対するトーンは微妙に異なる。復活を一番詳細に描写しているのはヨハネ伝である。そしてマグダラのマリアの役割も、ヨハネ伝が一番重い役割を与えているように思われる。そこにはペテロに対する不信感すら垣間見られる、というのは言い過ぎだろうか。

 ルカ伝はマグダラのマリアの役割に対し一番冷たい印象を受ける。ルカ伝ではこの後、エマオへの旅人のエピソードがあり、そこで復活後初めてイエスが出現したように記されている。さらにエマオから旅人が弟子たちのもとに戻ると、なんとこんなことになっている。

(ルカ伝24:33-34)
そして、すぐに立ってエルサレムに帰って見ると、十一弟子とその仲間が集まっていて、「主は、ほんとうによみがえって、シモンに現れなさった」と言っていた。

 つまり主が最初に会ったのはシモン(=ペテロ)だったことになっている。これはルカ伝だけに見られる記述である。

 マタイ伝には弟子たちが言うことを信じなかった描写はない。最も古く成立したと見られるマルコ伝は、あとから渋々マグダラのマリアの話を追加したような印象がある。そこでも弟子たちがすぐには信じなかったことが述べられている。

 伝道中の受難に至るまでの間、わずかにルカ伝だけに、ガリラヤから付き従っていた女たちの中に「7つの悪霊」を追い払ってもらったマリアとあるだけである。7つの悪霊を追い払うシーンもなければイエスと言葉を交わすシーンも全くない。それが受難の際に「遠くから見ていた」のはいいとしても(ヨハネ伝だけは十字架の真下にいたことになっている)、埋葬に立ち会い、ついに復活の最初の目撃者として使徒たちにそれを伝えるという破格の扱いとなる。

 使徒たちにとって、なぜ最初にマグダラのマリアの元に出現したのか、納得がいかなかったとしても無理もない。さらに面白いのは使徒たちは、ペテロでさえも、イエスの復活をなかなか信じなかったことである。マグダラのマリアを含む女たちの言葉を素直に信じない使徒たち。そこにイエス教団の男女間の上下関係を見るのはうがち過ぎだろうか。

 これらを総合して思うに、マグダラのマリアはかなりの程度に主イエスのお気に入りであったらしい。それを使徒たちはおそらく嫉妬していたのではないか。その筆頭がペトロではあるまいか。ルカはペトロ寄りの書き方をしているように思われる。一方マタイとヨハネ、特に後者はマグダラのマリアに好意的である。

 イエスに付き従っていた連中は、必ずしもみんな仲良しだったわけではないらしい。それでも福音史家たちは、マグダラのマリアが最初のイエス復活の目撃者であることを事実として書かざるを得なかった。唯一ルカ伝を例外として。ルカ伝はその役割を、話を捏造してまでペトロに持たせたかったかのようである。

 さて福音書にはもう1人重要なマリアが登場する。ベタニアのマリアである。これについては次回に述べる。

2005.04.07



 ベタニアというのはエルサレム近くの村の名前である。ベタニアのマリアについては、ヨハネ伝に最も詳しく紹介されているので、まずそこから読んでみることにする。

(ヨハネ伝 11:1-5)
 さて、一人の病人がいた。ラザロといい、マリヤとその姉妹の村ベタニヤの人であった。 このマリヤは主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であって、病気であったのは、彼女の兄弟ラザロであった。
 姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」と言わせた。
 イエスはそれを聞いて言われた、「この病気は死ぬほどのものでない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。イエスは、マルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。


 ラザロ、マルタ、マリアの三人兄弟が登場する。マリアは登場するなり「主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であって」と、いきなり説明されるが、この話は実は後の方(26:6-13)で出てくる。それほどこの行為は有名だったからであろうか。

 ヨハネ伝の本文はこの後、「死ぬほどのものではない」というイエスの言葉とは裏腹にラザロは死に、さらにマリアたち姉妹の嘆願から蘇生の奇跡へと発展していくのであるが、このラザロの蘇生の話は、大事件の割にはヨハネ伝だけにしか出てこない。また「イエスは、…を愛しておられた」と、聖書にしては珍しく濃い表現がなされている。ここからマリアを含むベタニア三兄弟がイエスにとって特別な関係だったことが伺える。ちなみにラザロの病気は明らかではないが、おそらくらい病ではないかと思われる。

 次いで有名な「主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた」件はこうである。

(ヨハネ伝 12:1-8)
 過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。イエスのためにそこで夕食が用意された。マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。

 その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。

 弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。

 イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいが、わたしはいつも共にいるわけではない」。


 このように、はっきりとマリアの行為として説明されている。香油はイエスの足にぬられマリアは自分の髪の毛でそれをふく。それに対しイスカリオテのユダが「この香油を売って貧しい人たちに施すことができたのに」と文句を言う。実は会計をごまかしていたという、よこしまな動機からの発言だと説明がある。イエスは「これは私の葬りの準備だ」という意味のことを言いマリアの行為をかばう。

 この「ベタニアの香油事件(?)」の記事は他の福音書にはこう書かれている。

(マタイ伝伝 26: 6-13)
 さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこになむだ使いをするのか。それを高く売って、貧しい人に施すことができたのに」。

 イエスはそれを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困られるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。

(マルコ伝 14:3-9)
 イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。すると、ある人々が憤って互いに言った、「なんのために香油をこんなにむだにするのか。この香油を三百デナリ以上にでも売って、貧しい人たちに施すことができたのに」、そして女をきびしくとがめた。

 するとイエスは言われた、「するままにさせておきなさい。なぜ女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときにはいつでも、よい事をしてやれる。しかし、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけでではない。この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。よく聞きなさい。全世界のどこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。

 マタイ伝とマルコ伝の記述はほとんど同じである。ヨハネ伝との相違を中心に見ると、まず舞台はベタニアで同じ。らい病人シモンの家というのはラザロの家すなわち三兄弟の家ということだろうか。ラザロはまたの名をシモンといったのだろうか。それとも違う家なのかその辺はわからない。「ひとりの女」が香油を「イエスの頭に注ぎかけた」。マリアの名は記されておらず、香油を注いだ場所は足ではなく頭である。ちなみに「髪の毛でふいた」という官能的な描写はないが、確かに頭につけた香油を髪の毛でふくのは変だろう。

 それに対し憤るのはマタイ伝では「弟子たち」であり、マルコ伝では「ある人々」である。「香油を売って貧しい人々に施すべきだった」という理屈はヨハネ伝と同じである。イエスは「これは私の葬りの準備だ」という意味のことを言い女の行為をかばうのはヨハネ伝と同じである。ヨハネ伝ではユダひとりが悪者にされているが、マタイ伝・マルコ伝では複数の弟子たちの発言となっている。ちなみにヨハネ伝のユダは、共観福音書に比べて、より悪者に描かれている印象がある。

 このヨハネ・マタイ・マルコの報告は、同じ出来事を記したものと考えていいのだろうか。伝統的な解釈では同じであり、マタイ・マルコの「ひとりの女」とはマリアのことだと解されている。記述には多少の相違はあるものの、そういう事件が何度も起こるとは考えにくいので、同じ出来事と考えるべきなのだろう。

 それにしても私が思うのは、女(マリア)の行為に難癖(と私には思える)をつける連中は何のだろう。「メシア」と信じ付き従っているイエスに、頭であろうと足であろうと、香油をかけるのは、よくは分らないが当時のユダヤ社会では高貴なもてなし方だったのではないだろうか。少なくともイエスはそれをよしとして受けているのである。

 それなのにイエスなどにかけるより売って施しをするべきだったというのである。しかも直接イエスに言わずにイエスの目の前にいる女に言うってのは理解に苦しむ。これは女に対する「いじめ」ではないのか。私は弟子たちの間にこの女に対する悪意もしくは敵意が存在すると見る。イエスお気に入りの女に対する弟子たちの競争心や嫉妬心があったと考えても不思議ではない。

 イエスの弁護の言葉の意味はいまいちよく分らないが、福音書の作者がイエスの死後女たちが香油を塗りに行くことの伏線を張っている感じはする。

 ちなみにルカ伝にはこの記述はない。ルカ伝でマルタとマリアの姉妹が登場するのは次の件である。「ある村」として「ベタニア」とは明記していない。

(ルカ伝 10:38-42)
 一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。この女にマリヤという妹がいたが、主の足元にすわって、御言に聞き入っていた。

  ところが、マルタは接待のことで忙しくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしにだけ接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。

 主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてはならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。

 この記述は先のイエスに付き従った女たちの記述の後にある。したがって、マルタとマリアの姉妹は少なくともこの時点ではイエスに付き従っていたわけではないことになる。この話について、昔私は教会で世俗的な交わり(マルタの接待)よりも霊的な交わり(御言葉を聞くマリア)の方がより重要なのだという解説を受けたことがある。それはさておき、この姉妹はヨハネ伝のベタニアの姉妹と名前が同じである。伝統的にこれはベタニアの(ラザロを含む)姉妹と同じとみなされているようである。

 さて、ルカ伝には、受難よりだいぶ前の、イエスが宣教を始めてからかなり早い時点で、ひとつの注目すべき記述がある。「罪の女」の話である。

(ルカ伝 7:36-50)
 あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油の入れてある石膏の壷を持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。

 イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」。

 そこでイエスは彼に向かって言われた、「シモン、あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっしゃってください」と言った。イエスが言われた、ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。

 それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。 あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。それて、あなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。

 すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」。
しかし、イエスは女に向かって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。

 この行為は、まず場所はベタニアではなく、「あるパリサイ人(=シモン)」の家である。ひとりの「罪ある女」がそこにやって来て、泣きながら涙でイエスの足をぬらし、髪の毛でぬぐい、接吻し、香油をぬったとある。この行為は驚くほどヨハネ伝のベタニアのマリアの行為に似ている。もちろんベタニアのマリアと罪の女を同一人物とみなすわけにはいかないし、こちらには女の行為を非難する弟子たちの存在もない。

 また罪の女の「罪」とは何かについて明確な記述はないが、これは推して知るべしということで、何となく姦淫の罪のような気もするし、パリサイ人の心の中でのつぶやきから察するに、売春婦だったのではないかとも思える。イエスの「この女は多く愛したから」という言葉も意味深である。

 実はルカ伝では、この記述の後で、前に述べた「イエスに付き従う女たち」の章があり、印象的には「7つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリア」と、この「罪の女」がかぶるような構成になっている。これは単なる偶然か、それともルカによる印象操作か、私は後者の可能性ありとみているのだが(笑)。

 いずれにせよ、中世以降のカトリック教会で、この「罪ある女」と「マグダラのマリア」が同一視されるようになったのは事実である。その証拠に中世から近世に至るまで、手に香油の容器を持ったマグダラのマリアが数多く描かれている。さらにマグダラのマリア娼婦説というのも存在する。この罪の女の罪を赦すことと7つの悪霊を追い出すことをあえて同一視することから発しているように思われる。ルカによる印象操作にまんまとはまっている訳である(笑)。

 さらに驚いたことに、ベタニアのマリアとマグダラのマリアを同一視する考えもあった。しかもその張本人はローマ法王グレゴリウス1世(大グレゴリウス)だったらしい。これは教会による意識的に行われたキャンペーンだったようだ。その意図と影響については改めて述べるつもりだ。

 一応その立場に立って考えると、ルカ伝・マルコ伝に特に顕著な、イエス復活後のマグダラのマリアに関する必ずしも好意的といえない記述、ペテロの態度などを思うと、ベタニアで香油の件で弟子たちにからまれたのも、それがマグダラのマリアだとしたらある意味納得がいく。こうなるとマグダラのマリアの福音書における存在はかなり大きなものとなり、復活後のイエスが最初にマグダラのマリアに出現したのももっともなことと思われてくる。

 ここまでは現在の定番となった聖書の記述に基づいて考察してきた。原始キリスト教の時代、現在の聖書から外された「外典」といわれるものが多数存在していた。聖書考古学における20世紀最大の発見といわれる「ナグ・ハマディ文書」により、かなり明らかになったことがある。次回はその辺を調べてみたい。

2005.04.09


※この段における本文の引用は全て「ナグ・ハマディ文書曲_蚕顱弭唹羝イ曚訳・岩波書店刊によるものです。訳文には、オリジナル資料の欠損部分を補うため多くの編集記号がありますが、あえてそのまま残してあります。

 「ナグ・ハマディ文書」に入る前に、福音書の成立史について簡単に述べておく。

 福音書の中で最も古いのはマルコ伝で、紀元前70年前後にイエスに関する口頭伝承を編集することによって著された。その後約20年の間にマタイ伝とルカ伝が、マルコ伝を第1の資料として、同時にいわゆる「Q資料」を第2の資料として現在の形に編纂されたとするのが定説である。

 Q資料とは、現在は失われたとされる、イエスの言葉を集めた仮説上の語録集のことで、聖書学の専門用語として使われる。ちなみに「Q」とはドイツ語の「Quelle(資料)」の頭文字である。

 
マタイ伝とルカ伝は、マルコ伝とQ資料をもとにそれぞれ独自に編纂された。この3つの福音書が共観福音書といわれ共通事項が多いにもかかわらず、マタイ伝とルカ伝で記述に相違があるのは、このQ資料の引用部分が異なるためだと考えられている。

 さらに1世紀末にヨハネ伝が著され、現在の四福音書、いわゆる「正典福音書」が出揃った。

 しかし実は福音書はその後も何人もの著者によって作られていった。その状況は実に数百年にわたって続いた。福音書以外の予言書などについても同様であったようだ。

 現在、一見不動のように見える聖書(福音書)も、現在の形になるまでに数々の宗教会議(公会議)などを経て、正統と異端の論争の中を生き延びてきた。その影には正統から外された決して少ないとは言えない「外典」といわれる文書があったのである。外典の多くは教会によって破棄されるなどして、名前しか知られていない存在になったり、残されたものも断片に過ぎなかった。

 さて、ヨハネ伝が成立した1世紀から4世紀ごろにかけて、ローマ帝国内で流行していた宗教思想が「グノーシス主義」である。グノーシス主義については「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」にこのように解説されている。

グノーシス主義(-しゅぎ 英 Gnosticism)は、1世紀に生まれ、2-3世紀にかけて勢力を持った古代の神秘思想の一つであり、物質と霊の二元論に特徴がある。「グノーシス」は認識、知識を意味するギリシア語に由来し、認識によって真の神に到達できるとした。

 本来はキリスト教とは独立に成立した思想であったが、キリスト教徒の中にも影響を受けるグループがあり(キリスト教グノーシス主義、グノーシス派キリスト教)、創生当初のキリスト教の正統教会(カトリック教会)からは、最も危険な異端の一つと目されていた。また、他の宗教とも融合し、ユダヤ教グノーシス主義(グノーシス派ユダヤ教)なども生み出した。

 長くキリスト教の立場から異端という視点で評価されてきたが、近年ではグノーシス主義そのものを対象に思想史的に考察し、評価しようとする研究者もいる。
(以下略:リンク先参照のこと)


 グノーシス主義を理解することは容易ではないが、きわめて簡単にいうと一種の神秘思想であり、人間と神との究極的な合一性を説く。原始キリスト教の時代、このグノーシス主義の影響を受けた「外典」が続々と作られた。

 前置きが長くなったが、ナグ・ハマディ文書とは、そういった2〜4世紀のグノーシス主義的キリスト教のオリジナルに近い写本が、偶然いわば乾燥保存された形で発見されたものである。ナグ・ハマディとは南エジプトの地名であり、発見された土地の名前にちなみ「ナグ・ハマディ文書」という。ちなみに「死海文書」とは全く別物である。なお、ナグ・ハマディ文書についてはここに優れた解題があるので是非参照されたい。


 そろそろメインの話題に入ろう。要するに原始キリスト教の時代、マグダラのマリアはどういう存在だったかを考察するのが本稿の目的である。まずナグ・ハマディ文書中、最大の発見といわれた「トマスの福音書」を見てみたい。

 なぜかというと、発見当初、先述した「Q資料」そのものではないかと思われ、センセーションとなったからである。現在では否定されているが。

 ちょうど仏教の「ダンマパダ」や儒教の「論語」のような、イエス語録のスタイルをとり、内容的には共観福音書との共通点も多いが、全く新しい内容も含まれている。

 全部で114の語録が現存するが、マグダラのマリアが出てくるのは、21114のわずか2箇所である。

21 マリハムがイエスに言った、「あなたの弟子たちは誰に似ているのですか」。彼が言った、「彼らは【37】自分のものではない野に住む小さな子供たちのようなものである。野の主人たちが来て、言うであろう、『われらにわれらの野を渡せ』と。彼らは野を彼らに渡し、それを与えるために、彼ら(子供たち)は彼ら(野の主人たち)の面前で着物を脱ぐ(であろう)。

 それゆえに私は言う、『家の主人は、盗賊が来ることを分かっているなら、彼は、彼(盗賊)が来る前に、目をさましているであろう。(そして)彼が自分の支配下にある自分の家に押し入り、自分の財産を持ち出すことを許さないであろう』。だからあなたがたは、この世を前にして目をさましていなさい。大いなる力であなたがたの腰に帯をしめなさい。盗賊が道を見いだして、あなたがたのところに来ないように。なぜなら、あなたがたが予想している困窮が起きるであろうから。あなたがたの中に、賢い人がいてほしい。実がいると、彼は鎌を手にして急ぎ来たり、それを刈り取った。聞く耳ある者は聞くがよい」。

114 シモン・ペトロが彼らに言った、「マリハムは私たちのもとから去った方がよい。女たちは命に値しないからである」。イエスが言った、「見よ、私は彼女を(天の王国へ)導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る活ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから」。


 21の方はマグダラのマリア(ここでは「マリハム」と呼ばれている)の質問にイエスが答えている。回答の内容自体は「敵から身を守るためにいつも目を覚ましていろ」と言った感じの、まあ謎めいてはいるが何となくイエスが言いそうな言葉である。ここにはイエスに付き従ったメンバーの一人として質問するマリアがいるが、あえていえば「あなたの弟子たち」という問いかけには、自分と他の弟子たちとの間に一線を引いた雰囲気が感じられなくも無い。

 注目すべきは114である。ここではペトロがはっきりとマリアに敵意を表している。

 ペトロが言う「彼ら」とは、イエスの弟子たちと考えるのが自然である。つまりペテロはマグダラのマリアを仲間から追い出す提案をしているのである。その理由をペテロは「女たちは命に値しないからである」などと言っている。ここにははっきりとした女性蔑視がみてとれる。後のローマ・カトリック教会の初代法王になるペテロは実はこんな偏見の持ち主だったのだろうか。それにしても、復活の場面におけるルカ伝やヨハネ伝の記述からもうかがえるように、ペトロはマグダラのマリアに対しどうも素直でない。マリアを目の敵にし、追い出したがっている。

 またこのイエスの回答はいかにも奇妙だ。自分がマリアを男性にする。だからお前たちは同格だと言うのである。これは後述するが、仏教経典にもこのような思想がある。

 同じナグ・ハマディ文書から発見された「フィリポによる福音書」には、さらに仰天することが記されている。この福音書にはやはり2箇所だけにマグダラのマリアに関する記述が残っている。

32 三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母マリヤと彼女の姉(妹)と彼の伴侶と呼ばれていたマグダレネーであった。なぜなら彼の姉(妹)と彼の母と彼の同伴者はそれぞれマリヤ(という名前)だからである。

55a 不妊の女と呼ばれるソフィアは[天]使たちの母である。そして[キリスト]の同伴者はマ[グ]ダラの[マリ]ヤである。
55b [主は]マ[リヤ]を[すべての]弟[子]たちよりも[愛して]いた。[そして彼(主)は]彼女の[口にしばしば]接吻した。他の[弟子たちは]【64】彼が[マリ]ヤ[を愛しているのを見た。]彼らは彼に言った、「あなたはなぜ、私たちすべてよりも[彼女を愛]されるのですか」。救い主は答えた。彼は彼らに言った、《彼は彼らに言った》「なぜ、私は君たちを彼女のように愛さないのだろうか」。


 なんと、32には、マグダレネー(マグダラのマリア)が彼(イエス)の伴侶と呼ばれていたと書かれている。マグダラのマリアとイエスは結婚していた!?このことは55aにも述べられている。

 さらに追い討ちをかけるように、55bには、イエスとマリアがしばしば「接吻」していたとあり、弟子たちの「なぜマリアばっかりそんなに愛するのか」という(おそらく嫉妬に満ちた)質問に対し「そうだね、なぜなんだろうね〜」ととぼけた返事をしているのである。

 これらの記述を読む限り、マグダラのマリアは、弟子たちもうらやむほどイエスの寵愛を受け、しょっちゅう弟子たちの前でキスしたりしていちゃついていたばかりか、結婚までしていたらしいことになる。するとペトロの敵愾心とは、主を独占されたことへの嫉妬心だろうか。

 さらにナグ・ハマディ文書の異本である「ベルリン写本」といわれる古文書には「マリアによる福音書」という、そのものずばりマグダラのマリアが主人公の福音書が伝えられている。この文書は欠損が多く現存している部分は非常に短いので全文を引用してみる。(著作権上の問題があったらご連絡下さい。すぐ削除します。)

 ここではマグダラのマリアとペテロとが直接対立している。なおこの福音書に登場するイエスはどうやら復活後であるらしい。

(1−6頁は欠損)
【7】[±12]…それでは[物質]は[解消され]ようとしているのでしょうか、それともそうではないのでしょうか」。

 救い主が言った、「いかなる本性も、いかなるつくり物も、いかなる被造物も、存在しているのは彼らの互いの内に共に(組み合わせられて)であり、それら(個々)のものそれ自体が再び解消されようとしているのは、それらの根へとである。なぜなら物質の本性が解消し果てるはその本性のもの、それだけへとだからである。自らの内に聞く耳のある者には聞かせよ」。

 ここまではイエスの言葉である。さらにペトロとイエスの問答が続く。

 ペトロが彼に言った、「あなたはすべてのことを私たちに告げて下さいました。もう一つのことを私たちに言って下さい。世の罪とは何ですか」。

 救い主が言った、「罪というのは存在しない。本性を真似たこと、(例えば)姦淫をあなたがたが行うと、(これが)罪と呼ば<れる>(が、存在するのは)その罪を犯す人、(つまり)あなたがたなのである。このゆえにこそ、(つまり)そ(の本性)の根のところへと(本性)を立て直そうとして、あなたがたの領域に、いかなる本性のもののところへも善い方が来たのである」。

 彼はさらにそれに付け加えて言った、「このゆえにこそ、あなたがたは[病気になっ]て死ぬのである。なぜなら【8】[±9]する者[ ]だからである。理解[する人には]理解させよ。

 [その物質]は(一つの)パトスを[生み出した]。(そのパトス)は似たものを持たないものであり、本性に反するものから(生まれて)来たのである。そうなると、物体全体の中に不安定さが生じるものである。このゆえにこそ、私はあなたがたに『あなたがたは従順なものであれ』と言ったのである。そして、あなたがた従順でないものは、本性のさまざまな面に直面して、従順なもの(であれ)。自分の中に聞くための耳がある者には聞かせよ」。

 祝された方はこれを言ってから、彼は彼ら皆に言葉を送った、(次のこと)を言って、「平和があなたがたにあるように。私の平和を自分たちのために獲得しなさい。護りなさい。何者にもあなたがたを惑わさせるな。その者が『ここにいる』とか『そこにいる』というようなことを言っても。

 人の子がいるのはあなたがたの内部なのだから。あなたがたは彼の後について行きなさい。彼を求める人々は見いだすであろう。

 それで、あなたがたは行って、王国の福音を宣べなさい。
【9】私があなたがたのために指図したこと、それをこえて何かを課するようなことをしてはならない。法制定者のやり方で法を与えるようなことはするな。あなたがたがその(法)の内にあって、支配されるようなことにならないために」。

 彼はこれらのことを言った後、去って行った。

 問答の内容はさておき、「去って行った」とはどういうことだろう。復活後のイエスは現れたり消えたり、普通とは異なる肉体?を持っていたらしい。ともあれ、福音の宣教を命じられた弟子たちは困ったようである。

 すると彼らは悲しみ、大いに泣いた、「人の子の王国の福音を宣べるために異邦人のところに行く(といっても)、われわれはどのようにすればいいのか。もし彼らがあの方を容赦しなかったとすれば、このわれわれを容赦することなどどうしてありえよう」と言って。

 そのとき、マリヤが立って、彼ら皆に言葉を送った。彼女は自分の兄弟たちに言った、「泣かないで下さい。悲しんだり、疑ったりしないで下さい。というのも彼の恵みが(今後も)しっかりとあなたがたと共にあり、あなたがたを護ってくれるのですから。それよりもむしろ、彼の偉大さを讃えるべきです、彼が私たちを準備し、私たちを『人間』として下さったのですから」。

 マリヤはこれらのことを言って、彼らの心を善い方[の方に]向けた。そして彼らは[救い主]の[言葉]について[議]論し[始め]た。

 
ここにおけるマグダラのマリアは、自ら立ち上がり弱気の弟子たちを励ましている。精神的支柱といってもいいかもしれない。

【10】ペトロがマリヤに言った、「姉妹よ、救い主が他の女性たちにまさってあなたを愛したことを、私たちは知っています。あなたの思い起こす救い主の言葉を私たちに話して下さい、あなたが知っていて私たちの(知ら)ない、私たちが聞いたこともないそれら(の言葉)を」。

 
このペトロの言い方はなかなか挑戦的である。まず「他の女性にまさって」というのがいやみのようでもあり、決して「われわれの誰よりも」と言わないところがさすがである。そして寵愛を受けていたあなたは我々の知らない主の言葉を知っているだろう、と言うのである。マタイ伝にも書かれているように(16:16-19)、イエス教団のリーダーを自認しているペトロには、自分の知らない主の言葉があることが一番気にいらないはずである。

 
ペトロの挑戦を受けて、マリアは話し始める。

 マリヤが答えた。彼女は「あなたがたに隠されていること、それを私はあなたがたに告げましょう」と言った。そして彼女は彼らにこれらの言葉を話し始めた。「私は」と彼女は言った、「私は一つの幻の内に主を見ました。そして私は彼に言いました、『主よ、あなたを私は今日、一つの幻の内に見ました』。彼は答えて私に言われました、『あなたは祝されたものだ、私を見ていても動じないから。というのは叡知のあるその場所に宝があるのである』。

 私は彼に言いました、『主よ、幻を見る人がそれを見ているのは、心魂<か>霊(か、どちらを)<通して>なのですか』。
 救い主は答えて言われました、『彼が見るのは、心魂を通してでもなければ、霊を通してでもなく、それら二つの真ん中に[ある]叡知、幻を見る[もの]はそ(の叡知)であり、そ(の叡知)こそが…

(11−14頁は欠損)

【15】…を。そして欲望が言った、『私はお前が降るところを見たことがないのに、今お前が昇るところを見ている。お前は私に属しているのに、どうして私を騙すのか』。
 心魂が答えて(欲望)に言った、『私はあなたを見た。あなたは私を見たこともないし、私を知覚したこともない。私はあなたにとって着物(のよう)であったのだが、あなたは私を知らなかった』。これらのことを言った後、(心魂は)大いに喜びつつ、去って行った。

 それから(心魂は)第三の権威、無知と呼ばれるもののところに来た。[その(権威)が]心魂を尋問し[た]、『お前が行こうとしているのはどこへなのか。お前は悪の内に支配されてきた。お前は[支]配されてきた。裁くな』と(心魂)に言って。そこ[で]、心魂が言った、『あなたが私を裁くのはなぜなのか、私は裁いたりしたことなどないのに。私は支配したことがないのに、私は支配されてきた。私は知られなかったが、私の方は、地のものであれ、[天]のものであれ、すべてものが解消しつつあるときに、それらのものを知っていた』。

【16】心魂は第三の権威にうち勝ったとき、上の方に去って行った。そして第四の権威を見た。それは七つの姿をしていた。第一の姿は闇であり、第二のは欲望、第三のは無知、第四のは死(ぬほど)の妬みであり、第五のは肉の王国であり、第六のは肉の愚かな知恵であり、第七のは怒っている人[の]知恵である。これらが怒りのもとにある七つの[権威]なのである。

 彼らが心魂に『人殺しよ、お前が来るのはどこからなのか。それとも場所にうち勝った者よ、お前が行こうとしているのはどこへなのか』と尋問すると、心魂は答えて言った、『私を支配するものは殺された。私を取り囲むもの<は>うち負かされた。そして私の欲望は終りを遂げた。また無知は死んだ。[世]にあって、私が解き放たれたのは世からであり、【17】[また]範型の内にあって(私が解き放たれたのは)天的な範型から(であり)、一時的な忘却の束縛(からである)。今から私が沈黙の内に獲ようとしているのは、時間の、時機(とき)の、そして永久の安息である』」。

 マリヤは以上のことを言ったとき、黙り込んだ。救い主が彼女と語ったのはここまでだったからである。

 マリアが語った内容はいかにもグノーシス主義的である。が、それよりも何よりも、マリア自らが「私は一つの幻のうちに主を見ました」と言っているように、この話はイエスの肉声と言うよりは、おそらく深い瞑想の中でマリアが感得したイエスの霊的ビジョンと言うべきである。どうやらマグダラのマリアは霊媒的な能力を持っていたようで、イエスの霊がマリアに降り、マリアを通して救い主イエスがお告げをするという状況が見えてくる。

 すると、アンドレアスが答えて兄弟たちに言った、「彼女が言ったことに、そのことに関してあなたがたの言(いたいと思)うことを言ってくれ。救い主がこれらのことを言ったとは、この私は信じない。これらの教えは異質な考えのように思われるから」。

 
マリアの霊感に満ちた話に対し、まずアンドレアスが異議をとなえる。兄弟たち(弟子たち)に対し、「今の話を信じられるか?」と問いを発する。

 ペトロが答えて、これらの事柄について話した。彼は救い主について彼らに尋ねた、「(まさかと思うが、)彼がわれわれに隠れて一人の女性と、(しかも)公開でではなく語ったりしたのだろうか。将来は、われわれは自身が輪になって、皆、彼女の言うことを聴くことにならないだろうか。(救い主)が彼女を選ん<だ>というのは、われわれ以上になのか」。

 
ペトロの発言は、アンドレアスの問いに答えているようで実は別のことを言っている。ペトロは、イエスがマリアにだけ特別な教えを語ったわけがないと主張する。そもそもこの話はペトロが要求してマリアが応じたものである。ペトロは、マリアの話の異様さを弟子たちの前でさらすために、わざとそんな要求をしたかのようである。そして、もしマリアの話を信じなければならないのなら、われわれはマリアを中心とした教団にならなければならないが、そんなことになってもいいのか、と言っている。

【18】そのとき、[マ]リヤは泣いて、ペトロに言った、「私の兄弟ペトロよ、それではあなたが考えておられることは何ですか。私が考えたことは、私の心の中で私一人で(考え出)したことと、あるいは私が嘘をついている(とすればそれ)は救い主についてだと考えておられるからには」。

 
マリアはペトロの意地悪な態度に、私の言ったことが出鱈目だというのかと、泣いて抗議する。

 レビが答えて、ペトロに言った、「ペトロよ、いつもあなたは怒る人だ。今私があなたを見ている(と)、あなたがこの女性に対して格闘しているのは敵対者たちのやり方でだ。もし、救い主が彼女をふわさしいものとしたのなら、彼女を拒否しているからには、あなた自身は一体何者なのか。確かに救い主は彼女をしっかりと知っていて、このゆえにわれわれよりも彼女を愛したのだ。むしろ、われわれは恥じ入るべきであり、完全なる人間を着て、彼がわれわれに命じたそのやり方で、自分のために(完全なる人間)を生み出すべきであり、福音を宣べるべきである。救い主が言ったことを越えて、他の定めや他の法を置いたりすることなく」。【19】[±8]したとき、かれらは[告げるため]、また宣べるために行き始めた。

 
レビがマリアの味方をして、ペトロはいつもマリアを敵視して(マリアに対し)怒っていると言う。あんたは何様なんだ?とまで言っている。救い主が選んだマリアを疑う気か?というのがレビの主張である。このように、弟子たちにはマリアを支持しマリアを通してイエスを信じようとするグループと、ペテロを中心とするグループとが存在したようである。

 残念ながら「マリアによる福音書」は残っているのはこれだけである。この弟子たちの論争がこの後どうなったかはわからない。最後の断片で弟子たちは宣教に出かけたようであるが、この「かれら」がどういうメンバーであったのか、「どのように(宣教)すればいいのか」と言って泣いていた連中がどのように宣教することにしたのか、全ては想像の域を出ない。

 これらの「外典」から見えてくるマグダラのマリア像をまとめると大体次のようになる。

 *マリアはイエスの寵愛を受けいつもイエスと一緒にいた。
 *マリアはイエスの「伴侶」と言われていた。
 *イエスは弟子たちの前でもマリアにしょっちゅう接吻していた。
 *マリアは霊能者的な能力を持ち幻の中でイエスと会話することができた。
 *イエスの寵愛を受け霊能力もあるマリアを、教団の中心人物として祀り上げるグループがあった。
 *ペテロはそういうマリアを憎み、なにかとマリアに対し怒っていた。
 *なぜならペテロは自分が一番信頼されている弟子だと思っていた。
 *ペテロは教団のリーダーになろうとしていたのでマリアが邪魔だった。

 これらをそのまま事実だと考えるのはいささか短絡的だが、マグダラのマリアに対しこのような「信仰」といっていい立場が存在したことは事実であろう。

 そうすると、各福音書におけるマグダラのマリアの扱いが微妙に異なるのも納得がいく。特にルカは「使徒行伝」でも明らかなように、その後のペテロ−パウロの活躍を異教徒であるローマ人に対し宣べ伝えようとしている。当然それはペテロ派の立場から書かれており、特に復活の章でペテロが第一目撃者でないと都合が悪い、どうしてもマグダラのマリアに負けるわけにいかなかったことと思われる。

 要はペテロを中心とする後のローマ・カトリックと、マグダラのマリアを信仰する派とが原始キリスト教団の中に存在していて、神秘思想的立場であるグノーシス主義的キリスト教では、同じく神秘的傾向を持ったマグダラのマリアを教祖としていたように私には思える。ペテロがエルサレムを捨て?ローマに布教に行ったのは、マグダラ信仰と闘い、破れた結果というのはうがちすぎな見方だろうか(笑)。

 さて、先にちょっと触れたイエスの教えの仏教との近似性についてごく簡単に述べたい。

 グノーシス主義というのはギリシアを中心とする思想だが、当時の地中海世界、特にのちの東ローマ帝国の領域はギリシア語を公用語とし、全体がギリシア(ヘレニズム)文化圏だったと考えてよい。ちなみにヘレニズム最大の図書館はエジプトのアレキサンドリアにあった。

 この文化圏は東方のペルシアや遠くインドとも文化の交流があり、例えばヘレニズムと仏教が融合してガンダーラ仏や「ミリンダ・パンハ(ミリンダ王の問い)」という仏教経典が生まれたり、逆にヘレニズムにゾロアスター教や仏教の思想が融合した「マニ教」が生まれた。マニ教は西アジアからヘレニズム世界にかけて広く信仰されており、初期キリスト教の教父とされる聖アウグスティヌスも元はマニ教徒だったことは有名である。

 詳細な分析は避けるが(できないから〜笑)、グノーシス主義とマニ教は極めて深い関係にあったことが知られており、当時は東地中海世界=オリエント=ペルシア=インドと連なる壮大な文化圏が存在していたようである。

 つまりグノーシス主義とはそういう東方的な要素を強く持った思想であり、ナグ・ハマディ文書にみられる「外典」も東方的要素の強いキリスト教だったわけである。「外典」における仏教思想とそっくりな発言はその反映である。ある意味、逆にローマ・カトリックの方が、西ヨーロッパという片田舎で鎖国的環境の下、近親婚的に変貌していったとも考えられるのである。

 それにしても、ペテロやその後継者たちの努力?にかかわらず、マグダラ信仰は抑えることができなかった。長くなったのでこの位にするが、次回はまとめとして、その後の歴史の中のマグダラ信仰の行方を追ってみたい。

2005.04.17


 原始キリスト教における福音書の成立順序を振り返ると、まず「マルコ伝」が紀元50年頃に成立。これはイエスを直接知っている第一世代による著作ではなく、一説によるとローマにおけるペテロの宣教を元にして編集されたという。次いで、その「マルコ伝」といわゆる「Q資料」を参考に、「マタイ伝」と「ルカ伝」が別々に編集された。

 「マタイ伝」は、おそらくエルサレムを中心としたユダヤ人に対して、イエスが旧約時代に預言されてきたメシアであることを証明する目的で書かれている。したがってその記述には「これは…という預言が成就したからである」という説明が多い。したがってマタイ伝を理解するには旧約の知識が必要である。

 それに対し「ルカ伝」は、主にローマを中心とする異邦人への宣教を対象とし、異邦人の救い主=世界宗教としてのキリスト教の布教というはっきりとした目的意識を持って書かれている。イエス復活・昇天後の弟子=使徒たちの活躍を描いた「使徒行伝」も同じ著者による。「使徒行伝」の主人公はペトロとパウロであり、この2人が現在まで連綿と続いているローマ・カトリック教会の祖である。

 最後に著された「ヨハネ伝」は、1世紀前後の著述とされ、こちらにはQ資料は使われていないものと見られる。その代わり、グノーシス的な霊性の強調が早くも現れ、共観福音書とはかなり異なったものになっている。

 四福音書の中では「ヨハネ伝」が最もマグダラのマリアに好意的である。

 ヨハネ伝によるとマグダラはイエスの復活の最初の目撃者のみならず、

(ヨハネ伝 20:17-18)
 わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またはあなたがたの父であって、わたしの神またはあなたがたの神であられるかたのみもとへ上がって行く』と、彼らに伝えなさい」。マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。

 とあるように、復活の伝道を命ぜられている。つまりここでマグダラはイエスの復活を伝える使徒(=使わされた人間)として、弟子たちの上に立つ存在となったわけである。この役割が明記されているのはヨハネ伝だけである。

 ちなみにヨハネ伝では、ヨハネ自身らしき人物を「弟子たちのひとりで、イエスが愛しておられた者が…(13:23)」と特別な言い方述べている。まるでペトロに対抗しているみたいである。その他にもヨハネ伝では、ペテロの記述が割と冷ややかな印象がある。福音書全体についてペテロのキャラクターを分析するのは面白そうだが後日に譲る。

 「ナグ・ハマディ文書」に残された「外典」福音書は、ヨハネ福音書が書かれたあたりから始まり、その後200年くらいにわたり書かれたものと考えられる。

 「外典福音書」にみられるマグダラのマリアのキャラクターについておさらいしてみよう。イエスに特別に選ばれた女・イエスと交信出来る預言者・復活の使徒、そこから神秘的なカリスマ性を持った教祖としてのイメージが浮かぶ。たとえば卑弥呼のような存在であろうか。ちなみに現在でも預言者的存在、すなわち霊媒や占い師というと、女性が圧倒的に多い。

 これらを総合すると、教団におけるマグダラのマリアの存在が見えてくる。「マグダラの言葉はイエスの言葉である。イエスが特別に選んだ女であるが故に」。教団内にはそういうマグダラを教祖とするグループが存在したと思われる。

 教団のリーダーをもって自ら任じるペテロにとって、マグダラの存在は自分を脅かす邪魔な存在だったに違いない。まして男尊女卑(当時のユダヤ社会では当たり前だったこととは思われるが)思想の持ち主であるペテロは、マグダラの言葉に聞き従うなど、とうていプライドが許さなかったことであろう。何しろ、「自分たちの中で誰が一番偉いか」などと言い争いイエスたしなめられる(ルカ伝 9:46-48)ほどの弟子たちである。誰が一番偉いかをめぐって、ペテロを支持する者とマグダラを支持する者がいて不思議はない。

 この二派の対立をあえて対照させると、このようになるだろうか。

  マグダラ派…グノーシス的…幻視体験の重視…密教…女性原理
  ペテロ派…反グノーシス的…記録(福音書)の重視…顕教…男性原理

 宗教としてカルト的で面白いのは前者かもしれない。しかし組織としてしっかりするのは後者であろう。

 ペテロの後継者であるパウロも、女性に関しては男尊女卑的な思想の持ち主であった。2人の後継者であるローマ・カトリック教会が、徹底した男性中心の支配体制を築き上げたことは、歴史の知るところである。現在なおヴァチカンの高位聖職者は全て男性である。ヒエラルキーの中に女性に与えられた位はない。女子修道院においてさえ、日常のミサすら自分たちで行うことはできない。女性は聖職者になれないからである。

 断っておくが私はフェミニストでもなければジェンダー・フリーに賛成する者でもない。そういう私が見ても、やはりカトリック教会は男性中心主義だと思う。その原因はそもそもペテロ・パウロにあったと思うのである。

 しかし、さすがのペテロ派もマグダラ信仰を完全に払拭することはできなかった。マグダラ信仰はその後もカトリック教会の中に根強く残った。その代わり教会はマグダラの権威を失墜させることに腐心することとなる。

 前置きが長くなったが、この稿ではその後のカトリック教会において、マグダラ信仰がどのように変貌していったかを辿ってみたい。

 ローマ帝政末期の、聖アンブロシウスとか聖アウグスティヌスとかいった偉大な教父たちは、マグダラが「罪の女」であるとか「娼婦」というような認識は持っていなかったらしい。前述したように、罪の女とマグダラを結びつけたのは、カトリックの典礼を整え、グレゴリオ聖歌の制定で名高い、大教皇といわれるグレゴリウス1世(在位:590-604)だった。

 まず大グレゴリウスは、マグダラが「七つの悪霊を追い出してもらった」という記述を「七つの大罪(邪淫・貪食・貪欲・怠惰・憤怒・羨望・高慢)を赦された」という意味に読み替えた。ここにおいてルカ伝(7:36-50)における「罪の女」の記述と、続く章(8:1-3)の「七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリア」の記述が結びつき、「マグダラ=罪の女」とする解釈が成立した。

 ちなみに聖書の「悪霊が憑く」という表現は、精神に異常をきたすことを意味し、聖書がそれ自体を「罪」と呼んでいるわけではない。「悪霊」と「罪」を同一視するのは多分に意図的なものと言わざるを得ない。

 私にはこの大グレゴリウスの解釈は、ルカが用意した印象操作に、大グレゴリウスがいわば確信犯的にのったように思えてならない。

 さらに大グレゴリウスは、「泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った(ルカ伝 7:36-50)」という「罪の女」の行為と、ベタニアのマリアによる「高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた(ヨハネ伝 12:1-8)」行為を、その共通性から同じ人物によるとした。当時すでに一般の信仰においてそうした混同は存在していたようであるが、大グレゴリウスはそれにお墨付きを与えたわけである。ここに「罪の女=マグダラのマリア=ベタニアのマリア」という現代まで残る誤解が完成したのである。

 ベタニアのマリアにしてみれば、とんだとばっちりかもしれない(笑)。こうして福音書の断片が寄せ集められ、ハイブリッドな新しいマグダラのマリア像が誕生した。そうすると、マグダラのマリアはベタニアのマルタの妹ということになるので、これもルカ伝(10:38-42)の記述により、「瞑想的生活」のシンボルともなった。これはマグダラがメディテーション(瞑想によるトランス状態)の中でキリストを幻視するというグノーシス派の主張とも共通するものである。

 こうしてカトリック教会は、自らの手で福音書に点在するマリア像の習合を行い、イメージを作り上げた。それは新たなマグダラ伝説の元となった。

 なぜカトリック教会は、このような強引ともいえる方法で、マグダラのマリア像を作り上げたのか。

 簡単に言えば、カトリック教会から女性原理を排除する目的があったと思われる。マグダラはカトリック教会にとって一歩間違えれば、ペテロとその後継者であるカトリック教会の権威をおびやかす存在だった。カトリック教会としては、マグダラの前半生をできるだけ罪深いものにすることにより、なるべくマグダラの印象を悪くする必要があった。

 そして、そんなに罪深い女でもキリストにより救われたという、「男性原理による女性の救済」の枠にマグダラを閉じ込める必要があった。それはキリストの救済の素晴らしさのプロパガンダであるとともに、男性によってしか女性は救われない、なぜなら女性は本質的に罪深い存在だからだ、という「エヴァの原罪」にさかのぼるカトリック的女性観にマグダラ信仰を閉じ込めたものである。こうして男性の女性に対する優位という秩序が確認された。マグダラ信仰はカトリックの体制内に組み込まれることにより存命を許された。

 以後マグダラ信仰は、「キリストにより罪を赦された女」、「それゆえキリストに最後まで付き従った女」、「瞑想的生活をキリストに認められた女」、「キリストに香油をかけ弔いの準備をした女」というイメージを中心に、まことしやかな(?)伝説が作られていくこととなる。

 孫引きであるが(汗)、8世紀から9世紀にかけて著わされた伝ラバヌス・マウルスによる「マグダラのマリア伝」には次のように書かれているそうである。

 結婚の年令に達したマリアは、輝くばかりのその身体の愛らしい美しさにおいて並ぶものなく、その手足の動き、美しい容貌、見事な髪の毛、もっとも優雅な身のこなし、優しくて従順な心において、光彩を放っていた。その顔の美しさ、その唇の優雅さは、百合の白さに薔薇を混ぜたようなものだった。要するに、造物主たる神の、並ぶもののない驚くべき創造物と呼ばれるほど、彼女の容姿の美しさは輝いていたのである。

 マグダラのマリアはその美しさゆえに罪を犯し、美しさと比例して罪も重いというわけである。確かに美しい女性がその美しさゆえに罪を犯し、気高く美しい男性(=イエス)によって救われるというのは胸ときめく物語かもしれない。しかしなんだか男性の願望(妄想といってもいい)丸出しだと思うのは私だけだろうか(笑)。

 ただしこの時点では、まだ「マグダラ=娼婦説」は確立していない。「七つの大罪」に「邪淫」の罪はあるものの、それだけで「娼婦」と断定することはいくら教会でもできない。

 さて、ここに「エジプトのマリア」なる人物が登場する。この人物は5世紀に実在した聖者で、12歳の時娼婦になり、17年間その生活が続いたのだが、エルサレム巡礼をきっかけにその罪を悔い改め、世を捨てその後47年間にわたり砂漠で苦行と瞑想の生活を送ったという。

 賢明な読者はもうお気づきの通り、この聖女とマグダラのマリアが融合されるのである。もちろん時代も場所もまるで異なるにもかかわらず、「罪の悔い改め」、「瞑想的性格」をフラグとして両者が結び合わされる。ここにマグダラの罪は「娼婦」に格上げ(?)され、「もと娼婦のマグダラのマリア」というイメージが定着する。ちなみに教会はその混同を正そうとした形跡はない。むしろ両者を同じ画面に並べて描いたりして、親近感を強調している。のちの絵画に見られる自らの髪の毛で裸体を隠すマグダラのマリアは、元々エジプトのマリアだったのである。

 さらにヨハネ伝にある「姦淫の現場を押さえられた女(ヨハネ伝 8:1-11)」までマグダラのマリアと同一視される。マグダラはどんどん女性の罪と贖罪の象徴とされ、その勢いは止まるところを知らない?

 またいつの頃からか、マグダラのマリアは海を渡って南フランスに行き、そこで異教徒に布教し、そののちその地で瞑想的生活を送ったあと天に昇った、という伝説が生まれた。その聖遺物を祀るという教会が巡礼地となったりした。

 そういったマグダラ伝説を集大成した著作が、13世紀にドミニコ会修道士ヤコブス・デ・ウォラギネが著わした「黄金伝説」の中の「マグダラの聖女マリア」伝である。「黄金伝説」は160人以上の聖人たちの列伝や「復活」「昇天」といった出来事について書かれた大著である。そこに中世におけるカトリック信仰のナマの姿を見ることができる。

 では「黄金伝説」の「マグダラの聖女マリア」を読んでみることにする。かなり長いので途中を要約しながら進めることとする。なお引用は前田敬作・山口裕訳「黄金伝説 2」人文書院による。

 本文は、まずはじめに「マリア」という名前は「海」の意味であると解説している。これはヘブライ語の人名「マリハム」とラテン語の「海」を意味する「マリス」を混同しているのであろうか。次いで「マグダレナ」というのは「罪の女」を意味するという。何語でそういう意味になるのかは書かれていない。

 マグダラのマリアは、〈マグダラの城〉とあだ名されていた。門地は、たいへんよかった。王族の出だったのである。父の名はシュロス、母はエウカリアといった。弟のラザロ、姉のマルタとともに、ゲネサレト湖から二マイルのところにあるマグダラ城とイェルサレム近郊のベタニア村と、さらにイェルサレム市に大きな地所を所有していた。しかし、全財産を三人で分けたので、マリアはマグダラを所有して、地名が名前ともなり、ラザロはイェルサレムを、マルタはベタニアを所有することになった。

 なんとマグダラのマリアは王族だったことになっている。また「マグダレナ」というのは「罪の女」を意味すると言った舌の根も乾かぬうちに、地名が名前となってマグダラのマリアというのだと説明する。またマリアがベタニアにも滞在していた理由がさりげなく書かれている。

 マリアは肉の欲望にふけり、ラザロは騎士の生活に専念していたので、マルタは、弟と妹の領地を引き受けて、じつに賢明に管理し、兵隊や使用人たち、さらに貧しい人たちの面倒もよく見た。しかし、主のご昇天後、彼女は財産をことごとく売りはらい、その金を使徒たちの足もとに置いて寄進したのであった。

 姉のマルタはしっかり者で、しかも信仰心の篤い女性だったようである。ところで美人のマリアの姉マルタはやはり美人だったのだろうか。なぜかその辺はスルーされている(笑)?

 ところで、マグダレナのほうは、金はありあまるほどあったし、金に色はつきものというわけで、自分の美貌と富を善用しない手はないとばかりに肉欲三昧の生活に身をもちくずしたので、世間からほんとうの名前をよんでもらえず、〈罪の女〉としか言われないようになった。

 それにひきかえ、妹のマリアは相当奔放な性格だったようである。ただ、この説明を読む限り「淫乱」ではあるが「淫売」とは少し違うような気もする。金と美貌にものをいわせ派手な男関係を楽しんだようである。生活に困り世界最古の職業?に身を落としたというより、ありあまるカネでイケメンを買いまくったのか??

 しかし、イエスが国じゅうを伝道してまわっておられたとき、彼女は、神のおはからいによってらい病人シモンの家にやってきた。イエスがそこで食事をされていると聞いたからである。けれども、罪ぶかい身であったから、さすがに見もちの正しい人とおなじ席につくことははばかられた。そこで、主のうしろに近づき、まず涙で主の足を洗い、自分の髪の毛でぬぐって、それから高価な香油をぬった。というのは、この地方は、太陽の暑熱がきびしいので、からだを洗って油をぬるのが習慣になっていたからである。
 これを見たパリサイ派のシモンという男は、こころのなかで言った。「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」。しかし主は自分こそが義(ただ)しいと思いあがっているシモンの独善をなじり、彼女のすべての罪を赦された。

 そんなマリアが、イエスを訪ねてらい病人シモンの家までやって来る。しかもその時点で、涙で足が洗えるくらい深く反省し自分の罪を自覚している。いったいいつ何がマリアをこんなに反省させたのだろうか。だが高価な香油の用意を忘れないあたりはさすが金持ちである。

 主がこんなにも大きな恩寵をあたえ、これほど多くの愛のしるしをしめされた女性こそ、このマグダラのマリアであった。主は、マリアのからだから七つの悪霊を追いだし、マリアの全身に主にたいする愛の火を点じられた。主は、マリアをとくに親しい友とされ、主をもてなす女主人、布教の旅に出たときの女執事とされた。

 「七つの悪霊」と「淫乱」との関連については説明がない。

 主は、いつでも大きな愛をもって彼女を弁護された。彼女を不浄の女だとしたパリサイ人にたいしても、彼女の無為怠慢を責めた姉のマルタにたいしても、彼女の浪費をとがめたユダにたいしても、彼女を弁護された。彼女が泣くのを見ると、主も泣かれた。

 聖書の記述を引きながら、イエスがマグダラをいつも弁護したことが述べられる。最後の部分など、イエスの異常なほどの愛し方が現れている。これではペテロならずとも弟子たちは嫉妬するであろう。

 主が墓に四日のあいだ埋められていた弟のラザロをよみがえらせ、姉のマルタが七年間わずらっていた長血をいやされたのも、彼女にたいする愛ゆえであった。マルタの仕え女のマルティラが声をあげて、「あなたをやどした胎、あなたが吸われた乳房は、なんとめぐまれていることでしょう」という甘美な賛嘆の言葉を語ったとき、これをよしとされたのも、マリアのためであった。
 というのは、アンブロシウスも言っているように、長血をわずらっていた婦人は、聖書には名前があげられていないが、じつはマルタであり、上の言葉を語ったのは、マルタの仕え女だったのである。

 なんと、長血の女(マタイ 9:20-、マルコ 5:25-、ルカ 8:43-)は姉のマルタだった!マルティラという新しい関係者も現れている。しかし本当にミラノの司教聖アンブロシウスはそんなことを言ったのだろうか。

 また、涙で主の足を洗って、髪の毛でぬぐい、香油をぬったのも、マグダレナであった。主が恵みをお垂れになったときまっさきに悔いあらためたのも、最良のものをえらんだのも、主の足もとにすわって、主の言葉に耳をかたむけ、主の頭に香油をそそいだのも、マグダレナであった。彼女はまた、主が亡くなられたとき十字架のそばに立っていたし、ご遺体に塗る香料と香油の用意もした。弟子たちが墓を立ち去っても、墓を去らなかった。また、ご復活のキリストは、さっさきに彼女に姿をあらわされ、彼女を使徒たちのもとにつかわす女使徒とされたのである。

 このように福音書の記述をあちこちから集め、パッチワークのように繋ぎ合わせ、それらしい部分はみなマグダラのマリアにしてしまう。「女使徒」とまで言っているが大丈夫なのだろうか(笑)。

 「黄金伝説」の記述はさらに続く。ここから先は、マグダラが海を渡り南フランスに行ったという伝説である。

 まず、キリスト信者たちが迫害されエルサレムから追われ、弟子たちが散り散りになる。これは外道のやから(ユダヤ教徒)によって追われたように書いてある。そして…

 ところで、弟子たちがちりぢりになったので、外道のやからは、聖マクシミヌス、マグダラのマリア、弟のラザロ、姉のマルタとその忠実な仕え女マルティラ、生まれながら見えなかった眼を主に治してもらった聖ケドニウス、そのほか多くのキリスト信徒たちをいっしょに船に乗せ、海上につれだして、舵を取りあげ、ひとりのこらず海の藻くずにしようとした。しかし、神の思召しのおかげで、船は、マッシリア(マルセイユ)に漂着した。

 マグダラたちは、舵のない船に乗せられ、漂流し、遠くマルセイユに着いた。ちなみに聖マクシミヌス、聖ケドニウスの名は聖書には出てこない。

 マルセイユに上陸した一行は誰も宿をかしてくれないので、仕方なく土地の神殿の柱のかげで寝泊りする。マグダラは日をおかずしてその才能を発揮する。

 ある日のこと、多くの人びとが偽神たちに供物をささげようと神殿に集まってきたのを見たマグダラのマリアは、うきうきして立ちあがると、いつわりの神々を礼拝することはやめなさいとたくみな言葉で話しかけ、確信にみちた口調でキリストの教えを説いてきかせた。聞いていた人びとはみな、彼女の美貌と甘美な言葉に眼をみはった。われらの主の足にあのような甘美で熱烈な接吻をした口がほかの口よりも神の言葉を上手に伝えることができたのは、すこしもふしぎなことではなかったのである。

 美しいマグダラの説教にみな心を動かされたようである。それにしても「われらの主の足にあのような甘美で熱烈な接吻をした口がほかの口よりも神の言葉を上手に伝えることができたのは、すこしもふしぎなことではなかったのである」とは??そんなものだろうか。

 マグダラは子宝祈願にやって来たこの国の領主にもキリストの教えを説く。そして一行の窮状を訴える。さらになかなか動いてくれない領主夫妻の夢にまで現れて脅しつける。この言い方がまたえらく怖い。

 「なんという情知らずの人でしょう。あなたの父は、悪魔で、あなたはその手先にちがいありません。あなたが寝床をともにしているあなたの妻は、意地の悪い蛇です。わたしの言葉をあなたにとりついでくれません。あなたは、キリストの十字架の敵です。自分は山海の珍味を腹いっぱいつめこんで、ぬくぬくと眠っているのに、神の聖人たちが渇きに苦しみ、飢え死にしかけているのをそのままにしておくつもりですか。自分はりっぱな御殿で絹のしとねにくるまっていて、聖人たちが慰めもやどり場もないのを見ても、すこしもこころが痛まぬのですか。こんなに長いことあの人たちをうち棄てておいたような人でなしには、かならずや天罰がくだりましょうぞ」そう言って、マグダレナは、かき消えた。

 領主夫人は、眼をさますと、ぶるぶる身ぶるいし、悲鳴をもらし、おなじ理由でため息をついている良人にむかって、「ああ、あなたも、わたしが見たのとおなじ夢をごらんになったのですか」良人は答えた。「そうだ、いまも妙な気がして、こわくてたまらん。しかしどうしたらよいのだろう」そこで、夫人は言った。「あの女のひとが言っている神さまの怒りをまねくよりは、あのひとの言ったとおりにしたほうがよろしゅうございましょう」そう決まると、領主夫妻は、聖人たちを迎えて宿をし、必要なものはなんでも用だてた。


 可哀想な(?)領主夫妻はこうしてマグダラのいいなりになる。マグダラが美しければ美しいほどこの言葉は「女王様」のような凄みがあったことだろう。

 このあと領主の「あなたの信仰が真実であることを証明できますか」の質問に対し、マグダラは「ローマのペテロによって証明できる」と答える。伝記作者はマグダラの宿敵ペテロに花を持たせているようだ。さらに「男の子を授けてくれたらキリストを信じてもいい」という領主の言葉を受け、マグダラが主に祈るとまもなく領主夫人は妊娠する。
 領主は、自分でローマに行ってペテロに会ってみよう、と思い立つ。身重の妻もどうしてもついていきたいというので仕方なく連れて行く。

 途中だが長くなったので続きはまた次回に…(汗)

2005.04.25




 領主は妻を連れてマルセイユを出港した。しかしまもなく海が荒れだし、しかも妻の陣痛が始まった。嵐の中で男の子を産むと、妻は死んでしまった。領主は嘆いたが、「船の中に死体があるうちは嵐が収まらない」と水夫たちに言われ、しかたなく岩礁の洞窟に妻と子どもを残し、自分はローマに行く。

 ローマではすぐにペテロと巡り会い、領主はペテロに連れられてエルサレムまで行き、キリストの霊蹟を見て回るなどする。2年間もペテロからキリストの教えを受け、すっかりキリスト教徒となり帰途につく。

 途中例の岩礁に立ち寄ると、なんと子どもも妻も生きており「マグダラのマリア様がずっとお世話をしてくれた」と言う。しかも妻はマグダラのマリア様のお導きで、夫と共にエルサレムまで一緒に行っていたのだと言う。すっかり驚いた夫妻がマルセイユに帰ると、マグダラのマリアが説教をしていたので、足元に身を投げ一部始終を語った。そのあと夫妻は洗礼を受け、町中の異教の神殿をことごとく壊し、キリストの教会を建てた。

 このように、マグダラの霊験譚が語られている。この頃には「子育ての聖女マグダラ」というイメージも出来ていたようである。

 さらに「黄金伝説」の記述は続く。

 ところで、マグダラのマリアは、天国を見ることのできる境地に達したいとおもい、人も住まぬ荒野に引きこもった。そして、天使の手で彼女のために用意されたある場所に、三十年のあいだだれにも知られずに住んだ。そこは、泉もなければ、眼をよろこばせる草や木もなかった。そのことからわかるように、われらの主は、地上の食べものではなく、天上の食べものだけで彼女をやしなおうとされたのである。彼女は、毎日七回の祈りの時間に天使たちにみちびかれて天空にあげられ、生身の耳で天の軍勢がうたう賛歌を聞いた。こうして、おいしい天国の食物をご馳走になってから、また天使たちにみちびかれて自分の住まいにもどってくる毎日であったので、地上の食べものは必要としなかった。

 このマグダラの発心はいささか唐突な印象を受けるが、話としては明らかに「エジプトのマリア」の話を取り込んだものと思われる。 

 マグダラは天使と共に空中浮遊し、天上に至り天の食べ物をにより主に養われていたとする。マグダラが籠ったとされるのはマルセイユ郊外のサント・ボームの洞窟で、大きな岩山の中腹に実在する。この後マグダラは、たまたまこの地で隠修士の生活を送ろうとしたある司祭の知るところとなり、自らがマグダラであることを名乗った後、自分の臨終が近いことを告げる。そしてこの洞窟で三十年目にマグダラは天に召される。

 マグダラが天に昇り「黄金伝説」も幕かと思いきや、今度はマグダラの聖遺物の霊験記が続く。いくつかの霊験が紹介されたあとで、さらに驚くべき伝説が紹介される。

 なんと、マグダラは使徒ヨハネの花嫁だったという。これはさすがの「黄金伝説」の著者も懐疑的だが、不確かながらそういう話もあるとして紹介しているものである。

 それによると、ヨハネとマグダラは結婚式をあげようとしていたのに、ヨハネはイエスによって召命されてしまった。残されたマグダラは深く傷つき、投げやりな人生になり、結果肉欲に身を持ち崩した。イエスは自分の行いがマグダラを堕落させることになるのを深く憂えて、彼女を肉の快楽から引き離し、代わりに神の愛で救いとったというのである。

 また別の伝説では、ヨハネとマグダラは実際に結婚式を挙げており、その式こそが「カナの婚礼」だというのである。この場合は結婚後、新婚のヨハネがマグダラを捨ててイエスの元に走ったので、絶望したマグダラが肉の道に堕ちたと説明される。イエスがこれを憂え、マグダラを救ったのは上記の通りである。この場合、新郎新婦は大変なトラブルの元をこともあろうに結婚式に招待したことになる。水を良質のワインに変えるくらいの奇跡では割に合わないだろう。

 これらはヨハネ伝が、マグダラに対して最も好意的な福音書であることから生まれた伝説であろう。なんとなれば、当時は使徒ヨハネ=福音史家ヨハネと考えられていた。「黄金伝説」の著者は、さらにいくつかの霊験を紹介し「マグダラの聖マリア」の章を終えている。

 このように伝説は尾ひれをつけどんどん一人歩きし、「黄金伝説」著者はそれを丁寧に拾い集めつなぎ合わせている。それはグノーシス主義を抹殺したカトリック教会が意図的に作り上げた伝説と、教会自身も思いもよらなかったローカルな伝説が渾然となった、ハイブリッドな、ある意味西ヨーロッパ好みのマグダラ像である。ちなみに東方正教会ではマグダラをどう扱っているか、興味あるところである。

 さて、ここまで「黄金伝説」を中心にマグダラのマリアにまつわる伝説を紹介してきたが、最後に「ダ・ヴィンチ・コード」で採り上げられた究極の伝説を紹介しよう。ここからはTV番組からの記憶に頼るので間違っていたらご免なさい。

 それは、まとめると以下のようになる。
.ぅ┘垢肇泪哀瀬蕕麓尊櫃坊觝Г靴討い拭
▲泪哀瀬蕕魯撻謄躇貲匹稜害に遭い南フランスに逃れた。
マグダラはその地の洞窟(サント・ボーム)に隠れ住み、イエスの子を産んだ。
い修硫鳩呂蕨¬覆搬海い討り、今なお子孫がいる。
ッ羸ぐ瞥茵屮轡ン修道会」という秘密結社があり、それは地下に隠れたマグダラ信仰がイエスとマグダラの子孫を守るために結成されたものである。

 これこそが、カトリック教会最大の秘密であったというのである。番組では、近代に至り偶然その秘密を知ったある司祭が、なぜか大金を得て(口止め料?)マグダラのために建てた教会というのが紹介されていた。これが悪魔や鬼の像が多く飾られ、いささか異教的で面白いインテリアだった。またイエスの子孫という人物も画面に登場していた。こちらは普通のオッサンだったけど(笑)。

 そして、番組によると「ダ・ヴィンチ・コード」の目玉は(ネタバレになったら申し訳ないが)こんな感じ?

 レオナルド・ダ・ヴィンチはシオン修道会に属し、重要な地位に就いていた。モナリザは実はマグダラのマリアを描いたものである。そればかりか「最後の晩餐」に描かれた、キリストの左側にいる一見女性的人物は、従来ヨハネと思われていたが、実はマグダラのマリアである。

 これらについて、人物の描き方・服装など状況証拠を並べて説明していた。これは話としては非常に面白い。ここまでいくと青森か岩手か忘れたが、日本の東北地方にキリストの墓があるというのも案外アリなのかもしれないと思えてくる(笑)。それにしてもミステリアスな人物であるからこそマグダラの人気は高いのであろう。ちなみにルネサンス期を過ぎると、マグダラの画像は俄然裸体で描かれることが多くなる。この傾向は現代まで続いている。これも一種のミステリーである?

 蛇足だがフランス語でマグダラもしくはマグダレーナのことを「マドレーヌ」という。そんな名前のお菓子があったと思うが何か関係があるんでしょうか??

 マグダラのマリアをめぐり長い旅をしてきた。いささか尻切れトンボではあるが、そろそろお開きにしたい。ご静聴?ありがとうございました。

2005.05.08


 HP