ブラームスはお好き?

                                                        2005.01.28

 「ブラームスはお好き?」という小説で知られるサガンという人が最近亡くなった。もっと昔の人かと思っていたので逆に驚いた。ちなみに作品は読んでいないし(笑)、今回はサガンについての話題でもない。

 ズバリ「ブラームスはお好き?」と聞かれたらどう答えますか?私は即座に「好き!」と答える。

 昔、私が子どもの頃、ブラームスはやたらに難解で、しかもうじうじしているような気がして好きではなかった。正直に言えばあまり聴いたことも無かった。知っている曲と言えば『交響曲1番』と『ハンガリー舞曲』、それになぜか『大学祝典序曲』というラインナップで、ブラームスを評価するにはいかにも少なすぎた。

 交響曲1番の終楽章「ブラームスの歓喜の主題」といわれる主題は好きだったが、そこに辿り着くまでには暗く重苦しい長い道を通り抜けねばならず(特に第1楽章)、子どもにはいささか荷が重すぎた。『大学祝典序曲』はブラームスにしては明るく華やかな曲だが、それでも分厚いオケの響きは、バッハやモーツァルトが一番好きだった当時の私の耳にはかなり抵抗があった。

 いつの頃からだろうか。この重量感あふれるブラームスの音楽に魅了されるようになったのは。

 学生の時に、友人の下宿でブラームスの『ピアノ協奏曲2番』を聴いた。リヒテルのピアノだった。冒頭、ホルンに続いて深々と響き渡るピアノのアルペジオに息を呑んだ。すぐにピアノは逞しい昇降を始め、オケのトゥッティを導いた。力強いが、強迫をシンコペーションで外すオケの書き方は、いかにもゴツゴツと難解で、そこがまたブラームスらしいのかも知れなかった。

 それでも何かブラームスというと、本当は明快単純なはずのことを、人に本音を知られまいとわざと難しくしているような、「だからどうなんだよ!はっきりしろよ!!」といいたくなるような、ひねくれ者という印象があった。そんなことだから一生結婚できなかったんじゃないの?と失礼にも思った。ちなみにブラームスの伝記は読んだことがなかった。ウィーンでワーグナー派と対立していた人ぐらいの認識しかなかった。

 やはり学生の頃、あるレコード屋でブラームスの室内楽がかかっていたことがあった。『弦楽6重奏曲1番』の第2楽章だった。思わず動揺するくらい感傷的な旋律だと思った。ちょっとこれを素直に好きだと言うのは恥ずかしい気がした。

 これも学生の頃、友人の家で『交響曲2番』と『3番』を立て続けに聴かされたことがあった。ジョージ・セルの指揮だったと思う。2番の終楽章を聴き、おっ、ブラームスにしちゃ爽快で英雄的でもあるな、これならイケルかも、と思った。3番の第3楽章はどこかで聞いたことのある曲だった。美しくも感傷的なメロディーだった。そうか、ブラームスって意外にメロディーメーカーなんだ、と初めて思った。

 こうして、しだいにブラームスに対する警戒心?が解け、素直に聴けるようになってきた。だが、まだまだ「ファンだ」というほどのものではなかった。

 就職して何年目かに、カリスマ指揮者カルロス・クライバーがブラームス『交響曲4番』の新譜を出した。ブラームスというより、クライバー目的で買った。第1楽章の冒頭、主題があまりにも淋しい感じで少々戸惑った(今では好きだが)。力を失った心が晩秋の風の中をひらひらと飛んでいくような気がした。こういうブラームスはちょっと苦手だなと思った。

 ところがである。何かのきっかけで、職場のとある女性にその演奏のテープを差し上げた(ゴメン、違法コピーです)。するとその人はすっかりこの曲にハマってしまい、こちらが驚くくらい大いに感謝された。その人は「悲しい曲」大好き人間だったようである。世の中にはこういう人もいるんだ。それ以来私はブラームスに関する認識を少し改めた。私が苦手に感じている、まさにその部分が魅力だという人もいることを。

 それから以前より注意深く聴くようになったかもしれない。

 とある合唱団で『ドイツ・レクイエム』を歌ったことがある。一見ホモフォニックな旋律線になんと複雑で深々とした内声がつけられていることか。ブラームスに直接手で触れることで見えてきた様々なこと。今ブラームスで一番好きな曲はと聞かれたら『ドイツ・レクイエム』と答える。

 私は結婚して何年か目に、妻とともにドイツ・オーストリアに旅行した。ウィーンの街を歩いているうちに、唐突にこの街にはブラームスが似合うと思った。暗く、重く、過去の栄光が化石のように残る街。がっしりと大きな古びた建物群は時間が止まったみたいだ。ヨーロッパ指折りの美しい街。しかし街としての成長期は終わっているのではないか。特に日曜日の静寂ぶりはその思いを強くした。ここは青年期を過ぎた大人の街なのだ。そんな街にブラームスはよく合うような気がした。

 ブラームスは情熱的だ、とある時思った。内に秘められているだけに、なかなか顕わになることはないが、例え一見悲しげな曲でもその背後には濃厚なロマンチシズムが息を潜めている。私自身が大人になるにつれ、そういうことがどんどん解ってきた。

 それが思いこみでもよい。思いこみで聴く音楽もまた楽しみ方の一つである、と開き直っている。ただし思いこみが妄想の域に達することがままあるのが私の欠点だが(笑)。

 音楽を聴く上で、本当は必要もないことだし邪道に属するかもしれないが、ブラームスの伝記を読んだ。するとこれがまた大いに私の気に入ったのである。

 私が感動したのは、ブラームスの少年時代である。ここから先は私の妄想も入っているものと警戒してお読みいただきたい(笑)。

 ヨハネス・ブラームスの家は大変貧しかった。北ドイツの港町ハンブルクの貧民窟(←差別用語?)で生まれた。父親は貧しい音楽家。母親は夫より大分年上でそう悪い家の出身でもなかったようである。モーツァルトのような具体的なエピソードは伝わっていないが、少年ヨハネスは幼くして楽才を顕したようである。

 貧乏ながらも父親には息子の才能を見抜く目があったらしい。よい先生を捜し出し、個人レッスンを受けさせた。少年ヨハネスの素晴らしい才能をみてとった先生は、謝礼をとらずタダで教えてくれたばかりか、家にピアノがないヨハネスのために、わざわざ近所に引っ越してきてくれてピアノを使わせてくれたという。

 10才のときに、アメリカのある興行師がヨハネスを天才少年として売り出そうと話をもちかけ、山っ気のある父親はそれに乗りかけたそうである。その時師匠の先生は猛反対し、才能を安売りしないで今はもっと勉強に専念すべきだといい、父親を説き伏せたそうである。先生は、もう自分から教えることが無くなったと見ると、さらに高名な作曲家にヨハネスをあずけた。その人もヨハネスの才能をみるや、謝礼なしで教えてくれたそうな。

 またヨハネスは家計を助けるため、夜は酒場でピアノを弾くバイトをしなければならなかった。酒のにおいと喧噪の中で夜遅くまで一生懸命ピアノを弾く少年、と想像しただけで涙が出てくる。そんな生活が続き、ついにヨハネス少年は体をこわしてしまう。

 ヨハネスは保養のため、一夏を郊外のある村で過ごす。そこでは子どもらしく同年齢の子たちとたわむれたり、得意の才能を生かし地元の合唱団の指導をしたりしたようである。ブラームスの合唱曲に明るく美しい曲が多いのは、この時の楽しい記憶があるためじゃないかと勝手に思う私でした。

 成人するまでのヨハネス・ブラームスは、そのような子どもにとってはあまりに過酷な環境で育った。ブラームスの作品の基調を成すある種の諦観は、そこにルーツがあるのではないか。決して声高に叫んだりしないが、そこには滲む涙や抑制された情熱があるような気がする。しかし、少年ヨハネスの周囲には彼の才能を信じ、応援してくれる人たちが常にいた。これらの人々の存在に私はまたなぜか泣けるのである。

 おそらく楽譜も買えないくらい貧乏な(←妄想?)少年を助け励まし、可能な限りその才能を伸ばそうとしてくれた人たち。それらの指導や励ましを受けながら、未来の大家を夢見て辛い生活に耐える少年ヨハネス。(←また妄想?)これが泣かずにいらりょうか?

 後年、功なり名を遂げたブラームスが故郷ハンブルクを訪問したおり、公園で遊ぶ子どもたちを目を細めて見入っていたという。特に貧しそうな格好の子どもに優しい視線を向けていたと。この逸話も私は大好きである。想像すると涙が出てくる。

 中年になった私が、ブラームスが心にぴったりくるような気がするのは、自分の人生とブラームスのそれとをどこかで重ね合わせながら聴いているせいかもしれない。ブラームスは少年の頃から人生の重さを知っていた。私はようやくその重さに気づき始めたばかりである。

2006.8.3追加  ワタクシ、無謀にもブラームスを主人公に、こんなお話しを作ってしまいました。よろしかったらご笑覧下さい。

    戯曲「少年ヨハネス」