" 明日はあしたの風が吹く。" このページをそう称し、ある時はコラムの 様に、「日記」と定義付ける事はせずに、その時に思い付いた事を自由に書き込んで行きたい。

スーのいた海岸



ホーチミンでの仕事を終え、次は以前、この”明日はあしたの風が吹く”にも書いた、レストラン”霧笛港”のあるニヤチャン(Nha Trang)へ向かった(***ちなみに、日本テレビ系列で日曜日の昼に放映されている遊ワク遊ビバという番組で、ニヤチャンが扱われるそうです。関東地区は1/18/と1/25/2004放映予定)。


あいにくの空模様で、飛行機に乗っているのも大変ではあったが、空港では地元の人たちが迎えに来てくれていた。


去年、Nha Trangのビーチでは、スーという女性に出会った。彼女の話は結構、反響が大きかったし、僕も彼女に会えるのであれば、また会いたいと思っていたので、良いチャンスとなった。



今回、Nha Trangで泊まったホテルは、ヤサカグループが経営しているホテル。予約の時に、去年利用したホテルが満杯で、とても立派な、そして身分不相応なスイートルームに泊まることになった。部屋の中からは、Nha Trangの海岸通りを見下ろすことが出来、そしてまた、キレイな海に浮かぶ島々を眺めることも出来るという、最高の部屋だった。また、部屋には書斎があったり、実質、3つの部屋があるという、かなり贅沢な部屋だった。恐らく...しばらくはあのような部屋に泊まれる事はないだろう(^^;)。



到着初日は天気が悪かったので、海岸へは行けなかったので、滞在二日目に海岸へ行った。すると、海岸通りはキレイに舗装され、1年前とはまったくといってよいほど、様変わりしている事に気付いた。完全にリゾート地の海岸になっていたのだ。


前の年の海岸の姿を知っている僕は、”ここまで変わるものか?”と思いながら、いつの間にか出来ていた噴水などをシゲシゲと眺めながら舗装された道を歩いた。去年、スーがいた場所まで。



海岸には、一年前までたくさんいた、売り子の数がかなり減っていた。海岸自体の姿も変わっていたが、海岸にたくさんいたはずの売り子の風景も変わっていたのだ。


Nha Trangの海岸は約6km。ホテルから南に歩き、アナマンダラリゾートホテルの近くへ行くと、プライベートビーチなので、その地域の海岸には入れない。その間、それほど多くの売り子にも出くわさず、結局、スーの姿も見当たらなかった。


アナマンダラから再び、ホテルの方へ戻って歩いている間に、売り子に出会うたび、「スーって女性、知らないか?」と尋ねてみたが、誰も彼女の事は知らなかった。



スーは海岸から消えていた。



ホテルに戻る間にも、何人かの売り子に出会った。その中にニコニコしながら話しかけて来た、フォングという女性の売り子に会った(数が減った売り子ではあるが、売り子には女性の方が圧倒的に多い)。


「英語、話せる?」と聞くと、「書けないけど、話せるよ」という答えが帰ってきたので、スーのことを聞いてみた。すると...


「スー?スー...あ、あのプロポーションがいい、スー???え、あなた、日本からスーに会いに来たの?!えー?!」



実際は、仕事で来たついでにニヤチャンに寄ったのであり、別にスーに会うためだけにベトナムに来たのではなのだが...(^^;)。フォングは他の売り子(それも女の子ばかり)を呼んだ。彼女たちはベトナム語で話しをしていたので、定かではないが、彼女たちの僕を見ている姿から、以下のような会話が想像できた。


フ「ねー、聞いてよ!この人、あのプロポーションがイイ、スーに会いに日本から来たんだって!」


他の売り子たち「えー、わざわざ?! 信じらんナイ!!」



国は違っても、女性の井戸端会議的なやりとりは、どこへ行ってもかわらないと思うから、彼女たちの会話は恐らく、そんな内容で間違いないと思う...あの子たちの興味津々の目...間違いない(^^;)。


しかし、フォングが次に言った言葉で、僕は一瞬目が点になった。



「でも、スー結婚しちゃったわよ。まだニヤチャンにはいるけど、もう海岸にはいないわ。レストランで働いてる。」


「え?」



そう、前回ニヤチャンに来たときに僕を噛んだスーは結婚していたのだ。




正直、チトつまらない気もしないではなかったけれど、とりあえず、スーの情報をくれたフォングからお礼にお土産を買って、その場を離れた。でも、その時、フォングがそのお礼のお礼をしてくれるとは考えてもいなかった。






2004年04月15日 23時41分03秒

サイゴン



僕はベトナム関係者に、いくつかのつながりがある。それで、今回は、ある日本の会社の社長にベトナム視察を依頼され、再び、ベトナムの地を踏むことが出来た。今回のベトナム来訪は、仕事のためだったので、その詳細は書けないから、その仕事の時以外のことを書きたい。


今回のベトナム来訪でも、最初に訪れたのは、ホーチミンシティ。かつてサイゴンと呼ばれた地だ。現在の統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)の屋上からヘリコプターが脱出し、ベトナム戦争が終結した場所として映像を見た人も多いと思う。


成田から6時間くらいで、ホーチミンのタンソンニャット国際空港に着く。去年、利用した時には「ホントに国際空港?」と疑う程の簡素な建物のイメージだったが、空港内に売店が増え、かなり変わっていた。


変わっていたのは、空港だけではない。ホーチミン市内に向かって、クルマが進むと、前回の渡越から1年半の間に、走っているクルマの数がかなり増えている事に気付いた。


ベトナムは元々、北京ラッシュのような自転車の文化があったが、その文化を引きずったまま、オートバイの文化になってしまい。ほとんどのベトナム人は自転車の延長のようにオートバイを操る。だから、歩道を逆走してくる事も珍しくない。いや、それどころか、ほとんどの人は無免許だと聞いている。


そんな国内事情が変わって来ているのかどうかは分からなかったが、そのオートバイの群れにも去年との違いを感じていた。それは、明らかに子供と思われる者が運転している姿をまったく見なかった事だ。


ベトナムの人は概して実年齢よりも若く見えるが、それでも、去年は、どうみても子供としか思えない者がオートバイを運転していた。それもシートを改造して、4人乗りをしていた子供たちが目についた。しかし、今回はまったく、そんな光景は見る事はなかった。


そればかりか、ホーチミン市内では、モノ売りの数も減っていた。店自体の数は減ってはいなかったが、道端でココナッツミルクや花、Tシャツを売りつけてくる子供の姿もほとんど見なかった。明らかにその数が、たった一年の間に減っている。その理由は、後にハノイへ行った時に分かった。



ホーチミンでの役割を無事に終え、夜、某ホテルの屋上のバーへ行った。


前回のベトナム来訪時は夏で、毎日の気温が36℃だった。とても暑い季節だったが、今回はベトナムの冬に当たる。それでも25℃の気温ではあったが、バーでは心地良い風を感じる事が出来た。


ベトナムの良いところは、夜であってもオートバイの数が多いのには圧倒されるが、夜、街を歩いても、危険を感じる事がほとんどないという点にある。事実、ホテルのバーに行ったのも夜が更けてからであったが、オートバイの走行に気を配る以外は、危険という危険は感じなかった。前回、夜に声をかけてきた、娼婦の数もあきらかに減っている。


それから、余談ではあるが、ホーチミンで、観光客が行かないような料理屋に入った時にも、料理の値段はごまかされなかった。コチラはベトナム語は話せず、店の者はほとんど、ベトナム語しか話せない。あいにく、僕はドル札しか持っていなかったので、それで支払ったのだが(ベトナムの都市部ではドル札で買い物はOK)、おつりはVND(ベトナムの通貨、ドン)であったものの、値段はまったく、誤差はなかった。


ベトナム人によると、ベトナムではタクシーの運転手などは料金を外国人向けに勝手に設定している人が多いが、料理屋ではおつりをごまかす事は、よほど根性の曲がった者でない限りは無いそうである。



2003年12月27日 22時41分49秒

バックナンバー110111213141516171819

あしたのために(メインページへ)