研究日記(2009年3月)です。

2009/3/30 (Mon) その4  小値賀〜博多

小値賀港から宇久島を経由してフェリー太古号で帰福。時化で波がかなり荒かったのですが、天気は良かったです。以下、帰路の過程で目視した島・湾など。

・野崎島・六島(右手)

・宇久島(寄港)

・平戸島(左手)・生月島(右手)
※生月大橋の下を通過

・度島(左手)・的山大島(左手)

・馬渡島(左手)

・名護屋浦・加部島(右手)

・加唐島(左手)・小川島(右手)

・壱岐島(左手遠く)

・唐津湾(右手)

・玄海島(左手)

・志賀島・海の中道(左手)・能古島(右手)

・博多港(寄港)

天神の屋台で近藤さん、鄭さんと夕食をとった後、帰京。

2009/3/30 (Mon) その3  小値賀

午後2時のフェリーで博多に戻らなくてはならないのですが、田登美のご主人が短い間隙を縫って車で港に近い遺跡に案内してくださいました。

・神崎遺跡
笛吹の南に位置する黒島の北部にある弥生時代から古墳時代にかけてのおよそ30基から成る石棺墓群。黒島は現在、金比羅大橋によって本島の笛吹地区と繋がっていますが、黒島には当遺跡の墳墓群を支えるような生活遺跡が見られないことから、墓主たちは本島の笛吹遺跡を形成した社会集団に属していたと推定されています。その墳墓群の20号石棺からは伽耶地方産と推測される二点の板状鉄斧や翡翠製の丁字頭勾玉を含む40点以上の玉類など階級分化の発現を示唆する豊富な副葬品が出土し、被葬者の人物像として相応の権力を保持した指導的巫女の可能性が想定されています。また、この弥生人集団は朝鮮半島南部との交渉もおこなっていたと見られています。

・潮井場
小値賀港にあります。江戸時代の鯨組の鯨解体場。

結局、田登美のご主人には2日間車を出して遺跡を一緒にまわっていただいたばかりか、フェリー乗り場まで見送りにまで来ていただきました。島内はおろか遺跡や歴史に関する知識も豊富で、本当に様々な面で助けていただきました。宿もまるで昔から自分の部屋であるかのような錯覚に陥るような飾り気の無さで頗る良かったです。本当にありがとうございました。次回も是非泊まりたいのでリタイアせずに元気でいてください。

2009/3/30 (Mon) その2  小値賀

歴史民俗資料館では塚原さんに我々の質問などに逐一お答えしていただいた上に、わざわざ配布資料まで用意してくださり、さながら小値賀の考古・歴史に関するレクチャーとなりました。結局、午前中はまるまる講義と質疑応答に終始し、これはこれでかなり貴重で充実した時間を過ごすことができました。塚原さん、お疲れのところどうもありがとうございました。

塚原さんからいただいた資料

 『日本財団助成事業 第2回「水中文化遺産と考古学シンポジウム」海の道 その
   遺産と考古学 予稿集』. 福岡:福岡市博物館, 2009.3.29.

 『小値賀町歴史民俗資料館開館15周年記念 アジアとの回廊:五島列島 海民の島
   予稿集』小値賀:小値賀町歴史民俗資料館, 2004.11.20-21.
  

2009/3/30 (Mon) その1  小値賀

早朝、朝食前に民宿田登美のある笛吹の周辺を散策。

・六方神社、八坂神社、延命寺
六社神社の第二鳥居は元禄三年(1690)に小田傳治兵重利により建立されています。そのすぐ西側は旧平戸藩小値賀代官所跡があります。この六方神社付近を中心に広範囲に広がる笛吹遺跡は縄文時代から中世・近世までの複合遺跡で小値賀島東部の拠点集落である相津遺跡に対して西部最大の拠点集落遺跡です。弥生時代の墳墓群や中世期の土器・輸入陶磁器類などが出土しています(『笛吹遺跡〜弥生時代墳墓群の調査記録』小値賀町教育委員会, 1997)。

・阿弥陀寺万日堂
万日堂は江戸時代初期から小値賀を拠点に鯨組を経営した小田家が建立し、経営したもので、五島最古の木造建築物です。正徳五年(1715)に阿弥陀寺に隣接する役人屋敷が移転した際にその跡地に建立され、第二次大戦後に小田家から阿弥陀寺に寄進されています。

この後、小値賀港をまわったところで時間がなくなり、宿に戻って朝食を食べました。午前中はまたしても田登美のご主人が車を出してくれて、昨日まわれなかった遺跡をまわり、近藤さんのリクエストにより斑島まで足を伸ばす予定だったのですが、福岡に出張中だった塚原さんと連絡が取れ、歴史民俗資料館で早朝のフェリーで戻ったばかりの塚原さんとお会いできることになりました。

  

2009/3/29 (Sun) その8  小値賀

・一字一石経供養塔
建武新田・膳所城の北側に位置。

・阿弥陀三尊仏板碑
梵字銘のある中世の板碑。膳所城から西側にやや離れた場所にあります。扁平な立石の上にもう一つの石を笠のように被せた姿から笠塔婆と呼び、地元では「くよう様」と呼んでいます。昭和46年の道路拡張工事の際に板碑の下から鏡と櫛が出てきたといいますがその後の所在は不明。

・水門(建武新田北端)
建武新田の北端。小値賀島北岸のハシの浜に手前に位置します。田登美のご主人に「ついでだから見ておけ」と言われて連れて行ってもらいました。

・志々伎神社
もともと中世には志々伎神社は前方の前方湾に面した場所(西林寺の北)にあり、その後現在の場所に移されました。大型碇石が一基置かれています。碇石の前でみなで記念撮影。

夜は田登美で地魚の料理をいただきました。


  

2009/3/29 (Sun) その7  小値賀

・建武新田
もともと海が小値賀を東西に分けており、松浦家十五代肥前守源定が命じて建武元年(1334)に竣工したと伝えられる中世干拓地。西側には膳所城跡があります。

・古墓地(古墳跡)
建武新田の西、膳所城跡南部に接する場所にある。遺跡分布調査地図には遺跡として表示されていませんが、田登美のご主人によれば古墳跡で現在は墓地として使用されており、それもかなり古い時代からのものであるとのこと。江戸時代の墓石は確認できましたが、いくつか古い墓石で摩滅して時代が確認できないものもありました。

・膳所城跡
もと海であった建武新田に突き出た地形に築かれた中世の城館跡。松浦一族との関係が伝えられていますが、小値賀は12世紀中葉に松浦一族の支配下に入る以前は青方氏の祖である清原氏の知行する所であったことから、膳所城は当初清原氏の根拠地として構築され、後に松浦(峰)氏の拠点に転化したと推測されています。空堀・土塁・井戸跡などの遺構があり、主郭部では柱穴群が確認されています。国産陶器・磁器・中国磁器・瓦などの出土遺物があります。

・おふなつきば
膳所城跡の南側に位置します。現在、この場所が船着き場であったことを示す遺構は現存しませんが、塚原氏の話によれば「おふなつきば」という地名が伝わっているということです。膳所城跡に接する建武新田はもともと海で小値賀を東西に分けていたため、この場所が船着き場であったと考えられます。

・潮見様・新田神社
潮見様は膳所城の北西側から城跡内の新田神社跡に通じる参道の入り口の西側にあります。建武新田を造成するために埋立工事をおこなった際に潮の流れが強く工事を進まなかった際に、人柱として通りかかった椀売りの男(田登美ご主人の話では薬売りの男)が犠牲となり、供養のために祠が建てられたという伝説が残っています。新田神社は膳所城跡の北部に位置。現在は荒廃しており、ここから中国陶磁器も出土しているとのことです。

  

2009/3/29 (Sun) その6  小値賀

・愛宕山
愛宕山は唐見崎の手前に位置し、唐見崎や前方湾、島内東部の主要な港を俯瞰できます。山頂には愛宕神社がありました。

・萬福寺跡
地之神島神社・沖之神島神社の別当寺。元は野崎島の寺屋敷にありましたが、天明七年(1787)に現在地へ移され、明治四年に廃寺となりました。南北朝から室町期と思しき中世石造物群が残りますが萬福寺との関係は一切不明。

・牛渡
建武新田はもともと海で小値賀を東西に分かっており、その西北部に隣接する集落に牛渡という地名が残っています。車で通過。

・シャラジ遺跡(西林寺遺跡)
神方古墳からやや北側に広がる旧西林寺境内地を中心とする一帯から宋〜明代の中国陶磁器約700点など中世期の遺物が出土。また、高麗象嵌青磁片も出土しています。さらに北側には西林寺関係の墳墓群があり、元和五年(1619)の墓碑や阿弥陀十三仏碑、宝篋印塔、五輪塔など南北朝期から近世にかけての石造物群がありました。西林寺は松浦氏支配以前からの土豪である近藤氏、松崎氏、城氏によって建立されたと伝えられます。明治九年には廃寺となりました。

  

2009/3/29 (Sun) その5  小値賀

・相津トベラ遺跡
遺跡分布調査報告書や遺跡一覧表にはこの名は見えませんが、田登美旅館のご主人に案内していただきました。現場には小値賀町教育委員会が立てた遺跡表示の標識が置かれていますが、遺跡名は摩滅して読みとれません。奥まった場所に開けた空間がありましたが、特に遺構・遺物はできず。後から相津遺跡の発掘調査報告書で確認したところによれば、相津遺跡の一部で「相津トベラ遺跡」といい、昭和五十二年に弥生時代に属するカメ棺墓3基及び石棺墓1基が発見されています。この遺跡と向かい合いの位置にあるシャラジ遺跡からもカメ棺墓1基が出土しています(『相津遺跡』小値賀町教育委員会, 2000)。

・相津港・相津遺跡
相津港は前方湾をのぞむ漁港。この港からやや南側の近浦港にかけての神島神社を含む地域(相津)は広範囲にわたって相津遺跡と呼ばれ、弥生時代から現在まで続く集落遺跡であり、現在でも相津は笛吹に次ぐ第二番目の大規模集落です。その中でも前方相津殿寺遺跡・神島神社遺跡・相津近浦遺跡などで調査がおこなわれ、発掘・表採などにより同安窯系・龍泉窯系を中心に11〜16世紀の青磁・白磁や宋銭などが確認されています。これらの調査から、相津遺跡が特に弥生時代から中世期にかけて社会集団が最も活発に活動した小値賀島東側の拠点的遺跡であったことが確認されています。

・唐見崎(前方漁港)
小値賀島の最北東に位置し、前方湾をのぞむ漁港。前方湾からは数本の碇石や資料館で見せていただいたような多数の中国陶磁器が出土しています(『小値賀島周辺海域及び前方湾海底遺跡調査報告書』小値賀町教育委員会, 2007)。

・本城岳館跡
唐見崎の中央部を占める中世期の山城跡。出土遺物や伝説などから松浦一族と深い関わりがあると考えられています。独立している山塊全体を要塞化しており、昭和六十年度の確認調査によって石累・空堀・帯曲輪・帯状敷石など様々な防衛施設遺構が確認されています。中国製(或いは朝鮮製)褐釉陶磁器・北宋銭(煕寧元宝)が出土。

  

2009/3/29 (Sun) その4  小値賀

・経崎山中世墳墓群
建武新田の東側に位置する雑木林の中に数十基の無銘自然石の墓群があります。その一角には石垣を組んだ墓もあり、伝承では新田を造成させた松浦家十五代定の墓とされています。南北朝から室町期にかけてのものと推定される宝篋印塔もありますが風化が激しく陰刻は摩滅していました。

・神方古墳(神方遺跡)
神方古墳は五島列島に現存する唯一の古墳で、墳丘は既に無いが玄室は遺存しています。そのやや南側、ちょうど神方古墳に入るために車を停車したあたりが神方遺跡で、狭い範囲に宋代〜明代の中国陶磁器約200点を中心とした中世期遺物が出土したとのこと。その中には高麗象嵌青磁も含まれています。

・地之神島神社
もと鴨一速王宮殿跡と伝えられる神社。神功皇后伝説から派生した三王伝説があり、日本武尊の第六子、景行天皇の孫、応神天皇の叔父にあたる十城別王が弟の鴨一速王、臣下の七郎氏廣と共に三韓出征した後、小値賀の神島神社に鴨一速王が配され、没後に神に祀られたとのこと。ここには鴨一速王が出征から持ち帰ったという環頭太刀「狛剣」が伝来し、大正七年には国宝に指定されましたが、戦後GHQの武器回収に伴い行方不明。「狛剣」は「高麗剣」であると解釈されています。十城別王命は平戸の志々伎神社、七郎氏廣王は平戸城下の七郎神社に祀られており、いずれにも環頭太刀が伝来していましたが、現在いずれも盗難により行方不明となっています。前方湾を挟んで対面する野崎島の北端には沖の宮があって沖之神島神社といいます。社伝によれば沖之神島神社の分祠は702年であり、702年の遣唐使の五島列島経由ルートへの航路変更と深い関わりがあったという見方もあります。

  

2009/3/29 (Sun) その3  小値賀

民宿田登美でお昼を食べた後、レンタカーでも借りて小値賀の遺跡をまわろうと思っていたのですが、民宿のご主人が車を出して遺跡をまわってくれることになりました。

・牛の塔・船瀬遺跡
牛の塔は笛吹から船瀬に行く途中の船瀬海岸に位置します。建武新田の造成工事が竣工した建武元年(1334)に建立された工事における犠牲牛の慰霊塔。正面に「〓(梵字)奉納妙法蓮華経/大願主地頭肥前守源定/建武元年□月□日」と陰刻されています。地下には一字一石経が埋納されているといいます。この牛の塔から見て東側の海岸に船瀬遺跡があり、古墳時代から中世にかけての遺物がかなり散布していたとのこと。船瀬は車で通過。

・赤浜
小値賀島の赤い土質がむき出しになった海岸。下車してしばし海を眺めました。

・殿崎鼻・殿崎遺跡
小値賀空港の東側に位置し、海に面しています。殿崎遺跡は縄文期の遺跡で昭和五十四年に別府大学が調査した際に南鮮系櫛目文土器が出土したといいますが、詳細は不明。車でまわってもらうが現場で下車はせず。

・長寿寺(薩摩堂墳墓群)
この寺の裏の松林中に薩摩堂墳墓群があり、松浦家ゆかりの薩摩の守の墓所と伝えらます。南北朝から室町期のものと思われる五輪塔や宝篋印塔が数基現存するというので裏手の林にまわってみましたが、石塔群は確認できず。
  

2009/3/29 (Sun) その2  小値賀

・柳港
宇久からの連絡船は島の北部にある柳港に到着します。宿泊する民宿田登美のおじいさんが車で迎えに来てくれました。宿は島の南部にある中心部の笛吹にあります。宿に荷物を置いてから歴史民俗資料館へ。

・小値賀歴史民俗資料館
予め資料の閲覧をお願いしてあったのですが、この日は塚原さんが福岡に出張中で学芸員の魚屋さんが対応してくださいました。展示されている資料のほか、前方湾から出土した中国陶磁片を出していただき、実見しました。また、当館の所蔵する小田家文書のうち、琉球・朝鮮漂着関係文書を見せていただきました。

購入および拝領した資料

  『漂着した琉球・朝鮮船の記録(一)』小値賀町古文書資料集成第一集. 小値賀
    町歴史民俗資料館, 1995.

  『漂着した琉球・朝鮮船の記録(二)』小値賀町古文書資料集成第二集. 小値賀
    町歴史民俗資料館, 2002.

  『埋蔵文化財調査集報・T---笛吹地区小規模確認調査(1)神ノ崎遺跡28号石棺
    調査』小値賀町教育委員会, 2007.

  塚原博「五島列島遺跡一覧表」『野首遺跡』小値賀町教育委員会, 2003.

また、魚屋さんから学芸員と育児を両立した半生を綴った自叙伝をいただきました。ありがとうございました。

  魚屋優子『つぶき〜わが故里心の思い出』ゆるり書房, 2006.

  

2009/3/29 (Sun) その1  宇久

倭寇の会メンバーは今日の午後のフェリーで福岡へ帰りますが、僕と中央大の近藤さん、早稲田大の鄭さんの3人は朝の連絡船で小値賀へ渡り、引き続き小値賀の調査をおこないました。海がけっこう時化っていたらしく、この日の便は何とか運行しましたが、翌日の便は欠航になっていました。

・神浦港
この港も歴史が古く、それ故、遣唐使の際の立ち寄り港との説も強いのですが、一方で宇久歴史民俗資料館で読んだ本(うっかり書名を記録し忘れました)には、神浦港は今でこそ潮の干満に関わらず水深も深く良港であるかのように見える、それは昭和に入って竣工後のことであって、それ以前は干潮時に港の半分は陸地となって船が傾き、古代から中世にかけてこの港の周辺で遺跡は見られず、遣唐使の時代に港として使用された可能性は低いと書かれてありました。どちらの見解が正しいのでしょうか?この北西には西泊があります。現在、ここから寺島経由で連絡船が小値賀まで出ており、我々もここから小値賀へ向かいました。

・寺島
宇久の西南に位置する島です。藤田明良さんと一緒に寺島まで行く予定でしたが、藤田さんが急遽予定変更で行かないということだったので、我々も上陸せずにそのまま小値賀に向いました。

2009/3/28 (Sat) その5  宇久

夜は倭寇の会で懇親会がありました。その場でいただいた論考です。

  関周一「中世の日朝交流と境界意識」『交通史研究』67, 2008.

  関周一〔書評〕「荒木和憲著『中世対馬宗氏領国と朝鮮』」『九州史学』152, 2009.

  伊藤幸司「中世西国諸氏の系譜認識」『境界のアイデンティティー---『九州
    史学』創刊五〇周年記念論文集 上』岩田書院, 2008.

  伊藤幸司「偽大内殿使考---大内氏の朝鮮通交と偽使問題」『日本歴史』731,
    2009.

  米谷均「朝鮮侵略後における被虜人の本国送還について」『壬申戦争---16世紀
    日・朝・中の国際戦争』明石書店, 2008.

  大西信行「「戦後世界」のこころみ〜「日本史」「世界史」の枠組みを越えて」
    『中央大学杉並高等学校 紀要』17, 2008.

  須田牧子「コラム 朝鮮通信使と安徳天皇」『歴史評論』697, 2008.

  渡邊誠「日本古代の朝鮮観と三韓征伐伝説---朝貢・敵国・盟約」広島大学文化
    交流史比較プロジェクト研究センター〔編〕『文化交流史比較プロジェクト
    研究センター報告書VI』文化交流史比較プロジェクト研究センター代表 勝部
    眞人, 2009.

  手島崇裕「北宋の仏教界と日本僧成尋---その人的交流と異国僧としての役割に
    ついて」『比較文学・文化論集』25, 2008.

  手島崇裕「入宋僧と三国世界観---その言動における天竺と五臺山」『歴史の理論
    と教育』129-130. 2008.

   

2009/3/28 (Sat) その4  宇久

・対馬瀬灯台
島の最北端にある灯台。

・城ヶ岳城跡
宇久島の中央部に位置する急峻な山地の山頂部にあります。現存する石垣等は五島藩が近世に設置した烽火台跡および昭和の海軍基地跡であると考えられていますが、中世(12世紀以降)の山城もここに築かれていたと考えられています。途中で金比羅神社を眺めながら下山。

・厄神社
この神社の下の海岸で宇久の郷土料理をごちそうになりました。

・家盛上陸の地
現在は風力発電用の巨大な風車がまわっています。船瀬(船隠し?)という地名が残っており、船を停められるほど波が穏やかな場所ということです。

・西泊遺跡(西泊中国陶磁散布地)
すぐ近くに西泊と呼ばれる海岸があり、この付近の畑から12〜14世紀の大量の中国陶磁片が出土したとのことです。現在もちょこっとだけ陶磁片を確認できます。
  

2009/3/28 (Sat) その3  宇久

・久保様の墓
家盛来島時に従わずに殺された久保盛興という土豪の一族の墓。宇久七代領主実公の弟 建公が江氏を継ぎ、盛興寺を建てて祈願寺とし、久保一族の霊を弔ったといいます。

・東光寺
平家盛が菩提寺として建立したと伝えられています。本堂の裏手に家盛公以下七代(扇・太・進・競・被・実)の墓があります。

・天満神社
菅原道真を祭神とする神社。宇久の平港と海を一望できます。

・弘法大師井戸
空海が遣唐使の帰路に宇久島に寄った際に金剛杖で地面を突いて真水を湧き出させたという伝説のある井戸。

・浜方ふれあい館
民俗資料やあわび関連の資料が展示されています。ここでお茶をいただいて午前の巡見を終了。昼食に五島うどんをいただきました。

  

2009/3/28 (Sat) その2  宇久

・神島神社
口頭伝承では文治三年に平家盛創立にかかるという神社。境内には松原遺跡の支石墓があります。

・宇久歴史民俗資料館
宇久で出土した中国陶磁片、特に西泊中国陶磁散布地からの出土物はここに展示されています。白磁・青磁は12〜14世紀のもので15世紀のものがないとされ、これは宇久氏が永徳三年(1383)に福江島に移住したのを境に輸入陶磁器の陸揚げが無くなったためと考えられているようです

・宇久城跡(山本館跡)
歴史民俗資料館の近辺で中国陶磁器が出土しており、山本という地名から山本館跡と推定されています。遺構は出ていません。

・毘沙門寺
文治五年に平家盛を開基とし、玄重大和尚開山によって建立されたといわれています。

2009/3/28 (Sat) その1  宇久

早朝4時過ぎに宇久島着。旅館の方が迎えに来てくれて、宿でそのまま就寝。朝から倭寇の会の島内巡見。

・平港
とりあえず、朝ここから巡見をスタート。現在、漁港がありますが、歴史的にこの辺りや神島神社の下は浜辺になっていて砂丘が続いていたそうです。この港は間口が広く、潮の干満の影響も少ないことから、古代から港として使用されていたと考えられています。また、この周辺には弥生時代から中世までの遺跡が多く、宇久の中心であったと見られ、そのため、遣唐使船の停泊地もここであったのではないかと見る研究者もいます。

・平家盛像
平港にあります。もちろん、歴史的な文物ではありませんが、宇久島には文治三年(1187)に平家盛が上陸して土着の豪族を平定し、山本の地に館を築いて宇久次郎有と称したという伝説があり、それを表したものです。真偽のほどは別として、平家盛像は倭寇の会メンバーに取り囲まれ、一斉にシャッターをきられていました(自分のその一人)。

・鯨塚(鯨魂供養塔)
墓地の大きな家のお墓には一緒に鯨塚が置かれている場合があります。これは捕鯨船の砲手などが施主となって鯨魂の供養塔として立てられたものだそうです。
  

2009/3/27 (Fri)  博多〜宇久

今日から倭寇の会で初めての五島です。

五島といえば、『青方文書』に日元交易船が難破したという記録が残っていて、その積み荷のリストも掲載されています。交易船は中通島の西にある若松島から出発し、日ノ島付近で難破したと言われています。残念ながら今回は若松島へも日ノ島への行きませんが、日本と中国を繋ぐ航路の要衝であった宇久・小値賀へ行けるのでかなり楽しみです。

夕方の便で福岡入り。九大で科研の事務処理をした後、博多駅前でにんぷろ海域第3班の打ち上げに合流し、そのまま倭寇の会の合宿へ。

博多埠頭国際ターミナルから午後11時発のフェリー太古で宇久島へ。

2009/3/24 (Tue)   

ドイツから本が届きました。一昨年ウィーンで開かれた国際シンポの単行本かと思いきや、昨年ウィーンでおこなわれたほうの国際シンポでした。自分も論考を寄稿しています。(あのHarrassowitzから刊行というのがちょっとうれしいです。)

Schottenhammer, Angela [ed.].
The East Asian "Mediterranean": Maritime Cross
-roads of Culture, Commerce and Human Migration.
Wiesbaden: Harrassowitz Verlag: 2008.

   Wang Gungwu. "The China Seas: Becoming an
     Enlarged Mediterranean."

   Uchiyama Junzo. "Vertical or Horizontal
     Landscape? The Prehistorical Long- Term
     Perspectives on the History of the East
     Asian Inland Seas."

   Ptak,Roderich. "The Gulf of Tongking: A Mini- Mediterranean?"

   Yokkaichi Yasuhiro. "Chinese and Muslim Diasporas and the Indian Ocean
     Trade Network under Mongol Hegemony."

   Rothermund,Dietmar. "The European Quest for the Control of the Indian Ocean,
     1400-1800."

   Chaffee,John. "Muslim Merchants and Quanzhou in the Late Yuan-Early Ming:
     Conjectures on the Ending of the Medieval Muslim Trade Diaspora."

   Liu Yingsheng. "Muslim Merchants In Mongol Yuan China."

   Nakajima Gakusho. "The Invasion of Korea and Trade with Luzon: Kato Kiyomasa's
     Scheme of the Luzon in the Late Sixteenth Century."

   Wayanabe Miki. "The International Maritime Trader Torihara Soan: The Agent
     for Tokugawa Ieyasu's First Negotiations with Ming China, 1600."

   Seyock,Barbara. "Archaeological Complexes from Muromachi Period Japan as a
     Key to the Perception of International Maritime Trade in East Asia."

   Nogami Takenori. "Hizen Porcelain Exported to Asia, Africa, and America."

   Wang Qing. "Changes in the Composition of Ruikyu's Tribute to Qing Period
     China: Historical and Economic Aspects."

   Yagi hikaru et al. "On the Hydrodynamic Performance of a Ryukyuan Tribute
     Ship."

   Takatsu Takashi. "Ming Jianyang Prints and the Spread of Teachings of
     Zhu Xi to Japan and the Ryukyu Kingdom in the Seventeenth Century."

   Igawa Kenji. "Travels of Embassies in Fifteenth to Sixteenth Century East
     Asia."

   Hashimoto Yu "The Information Strategy of Imposter Envoys from Northern
     Kyushu to Choson Korea in the Fifteenth and Sixteenth Centuries."

   Csaba, Olah. "Troubles during Trading Activities between Chinese and
     Japanese in the Ming Period."

   Schottenhammer,Angela. "Japan- The Tiny Dwarf? Sino-Japanese Relations
     from the Kangxi to the Early Qianlong Reigns."

   Kreiner,Josef. "Some Thoughts on the Idea of Kingship and the Origins
     of the Ryukyuan Kingdom."

2009/3/22 (Sun)   

ついにイタリアからSinica Franciscana I が届きました。

が、包みを見るとやけに小さいので嫌な予感がしたのですが、開封するとPDFファイルが入ったCDが入っているだけでした…。

オンデマンド版とあったので詐欺ではないのですが。自分でプリントアウトして製本しろってことなのか?でも、末尾の方はAcrobatが読みとってくれないし、大丈夫なんだろうか。肝心のCarpiniのGiovannniとRubrucのGuillaimeはちゃんと読めるけれど。

  A.Van.den Wyngaert[cur.]. Sinica Franciscana I: Itinera et Relations Fratrum
  Minorum saeculi XIII-XIV. Quaracchi-Firenze, 1929.

    I. Fr. Iohannes de Plano Carpini
      A. Prolegomena
      B. Ystoria Mongalorum
    II. Fr. Benedictus Polonus
      A. Prolegomena
      B. De Epistola magni Chani ad Summum Pontificem
      C. Relatio Fr. Benedieti Poloni
    III. Fr. Gullelmus de Rubruc
      A. Prolegomena
      B. Itinerarium Willelmi de Rubruc
    IV. Fr. Iohannes de Monte Corvino
      A. Prolegomena
      B. Epistolae Fr. Iohannis
    V. Fr. Peregrinus de Castello
      A. Prolegomena
      B. Epistola Fr. Peregrini
    VI. Fr. Andreas de Perusia
      A. Prolegomena
      B. Epistola Fr. Andreae
    VII. Fr. Odoricus de Portu Naonis
      A. Prolegomena
      B. Relatio Fr. Odorici
    VIII. Fr. Paschalis de Victoria
      A. Biographia
      B. Epistola Fr. Paschalis
    IX. Marttrium Fr. Minorum Almaligii
      A. Prolegomena
      B. Relatio Fr. martyrii
    X. Fr. Iohannes de Marignolli
      A. Prolegomena
      B. Relatio Fr. Iohannis
    XI. Fr. Anonymcs Hispanus
      A. Prolegomena
      B. Libro del Conoseimiento

  ※今、再度読み込んだら最後の頁まで見ることができました。いずれにしろ、あまり
   解像度は高くないのですが。

      

2009/3/21 (Sat) その3   

 注文した本がカイロから届きました。Ibn Majidとあったので、
彼の著書か、もしくは研究書だと思っていたのですが…。

 届いた本を見ると学術書ではなく、絵本風の伝記本。
かなりがっかり。

2009/3/21 (Sat) その2   

新潟大の關尾先生からご論考の別刷をいただきました。ありがとうございました。

  關尾史郎「トゥルファン新出「前秦建元廿(384)年三月高昌郡高寧縣都郷安邑里
    戸籍」試論」『人文科学研究』(新潟大学人文学部)123, 2008. 1-19頁.

  關尾史郎「敦煌の古墓群と出土鎮墓文(下)」『資料学研究』5, 2008. 1-16頁.
  
  ※自分は出土文書の専門的な読解技術を有さないので、文書を読まざるを得ない時
  なかなか難儀するのですが、こういう專論を読むと時代が違ってもいろいろと勉強
  になります。

2009/3/21 (Sat) その1   

広島大の岡先生からにんぷろ現地調査部門の研究報告書を拝領。ありがとうございました。

『東アジア海域交流史 現地調査研究〜地域・環境・心性〜』3. 2009.

  千田嘉博「日本中世における港湾都市の空間構造---都市プラン・宅地」

  高村雅彦「「都市寧波」の空間構造に関する史的研究---官紳区と商工区の変容
    過程」

  狭川真一「日本の中世都市と墳墓」

  金原正明「古代・中世・近世の環境と農耕の諸様相と変遷」

  岡元司「疫病多発地帯としての南宋期両浙路---環境・医療・信仰と日宋交流」

  岡元司「シンポジウムまとめ」

  入口敦志「『帝鑑図説』受容概観---絵空事が現実に」

  高津孝「17世紀東アジアを駆けめぐった科挙参考書---大魁四書集注」

  趙前、〔訳〕高津孝「新発見の宋刻本『南獄稿』について」

  沈乃文、〔訳〕高津孝「「崇寧蔵」「毘盧蔵」残巻考」

  二階堂善弘「『全相平話』と民間文化」(発表概要)

  梶浦晋「日本における漢文大蔵経の収蔵とその特色---宋元版大蔵経を中心に」

  松浦章「1920年代初期の寧波近海の海盗」

  林士民、〔訳〕土居智典「寧波港沈没船考古研究」

  謝国旗、〔訳〕土居智典「東銭湖石刻文化の特色について」 ほか


  ※千田論文・高村論文は元代の港湾都市をトポロジカルに考える上で非常に参考
  になります。林士民論文は昨年参加できなかったシンポジウム報告の文字化です
  が、寧波の海外交易を考える上で非常に有益な情報を含みます。沈乃文論文は両
  大蔵経の開版および元代までの伝来過程を論じており、社会史的観点からも非常
  に面白い論です。梶浦論文は大蔵経各版の日本への伝来過程を論じてる点のみな
  らず、収録されている普寧寺版および官版大蔵経の題記・願文には皇室・諸王勢力
  と寺院の関わり、関与した官僚の情報が含まれていて興味深いところです。
 

2009/3/18 (Wed) その2   

同じく上海学術から

  『元史及民族与辺疆研究集刊 第二十輯』上海古籍出版社, 2008.


     党宝海「蒙元史上的脱脱禾孫」

     于磊「《癸辛雑識》之賀詩風波---論方回的人品及其他」

     周運中「元末大起義和南宋両淮民間武装」

     李金強「元雑劇中的元代節令」

     劉迎勝「中古亜洲双語字典編纂伝統---従《双語辞典学導論》談起」

     何啓龍(Ho,Hai-lung)「審音与勘同:《世界征服者史》Ghayir inalcuq与
       《元史》哈只兒只蘭禿的再研究」

     李宗俊「開元六年《征突厥制》史事考弁」

     劉宗棟「錫伯名称考」

     蔡暁軍「試論早期共祖黄帝伝説的層累構建」

     李之勤「元熊夢祥《析津志・天下站名》校正稿(簡稿)」

     沈仁国「《嘉定銭大マ全集・元進士考》点校補正」

     呉志堅「《析津志輯逸》句読訂誤九則」

     楊暁春「《清真大典》編纂略評」

     《元史及民族与辺疆研究集刊》一至二十輯総目録

     
     ※たぶん中国元史研究会からもらえるはずですし(住所変更を知らせていない
      のでこのままだと無理ですが)、待っていれば誰かしらくださるとは思うのです
      が、とりあえず自分で購入。
 

2009/3/18 (Wed) その1   

上海学術書店から

  張錦鵬『南宋交通史』上海古籍出版社, 2008.

  ※南宋研究史叢書のひとつ。他にも『南宋職官制度史』や『南宋商業史』『南宋臨
   安城考古』『南宋臨安対外交流』『南宋官窯』などかなりの数が叢書として刊行
   されていますが、よりによって本書だけ先日広州でも購入してしまったような気
   がします。

  項永丹〔主編〕,労志鵬〔編著〕『武林街巷志』上下. 杭州出版社, 2008.

  ※老照片と共に地方誌などの記述から杭州旧城跡を再構成した書。現代の道路
   ごとにまとめてあるので実際に杭州を踏査する際に便利です。例えば、慶春路に
   ある伯顔祠遺跡(江淮財賦総管府淮安忠武王廟跡)など前回行った時には確認
   していませんでした。

2009/3/17 (Tue)   

3/16付の中国文物信息網によれば、建設中の京滬高速鉄路の天津段で元と明の古窯跡が発見されたとのこと。

遺跡が発見されたのは天津市武清区青〓遺跡と静海県大王庄遺跡で、墓葬8座、窯跡2ヶ所から青花磁器、醤釉磁器、陶器、銀飾、銅飾など100件余りが出土しています。

特に青〓遺跡ではほぼ完型が保存された明代窯場と頭頂部は破損しているものの、窯室、窯壁、窯床、窯門、烟道、操作室などの構造が残る元代窯跡が出土。


また、同日付の中国文物信息網によれば、陜西省韓城市で宋代墓葬が発見されたとのこと。この宋人墓の墓室内四壁には士人などが描かれた鮮やかな壁画が付随していて注目されます。

2009/3/14 (Sat)   

今年こそ遼金西夏史研究会大会に参加する予定だったのですが、私的な事情により急遽行けなくなり、やむなく新幹線・宿などをキャンセルしました。

2009/3/13 (Fri)   

Journal of Song-Yuan Studies 37. 2007が届きました。事務局からの案内はかなり以前から来ていたのですが(そろそろ38号も刊行される時期です)、九大を離れる際の忙しさで未注文のままでした。収録論文は以下の内容。ほか、平田先生・飯山君らによる日本の宋金史研究紹介、Dunnell氏によるロシアの宋元史研究紹介、書評多数を掲載。


  Atwood,Christopher P. "The Date of the Secret History of the Mongols
    Reconsidered."

  Virag,Curie. "Emotions and human agency in the thought of Zhu Xi."

  Liao Hsien-huei. "Encountering Evil: Ghosts and Demonic Forces in the Lives of
    the Song Elite."

  Chaffee,John. "Examinations During Dynastic Crisis: the Case of the Early
    Southern Song."

2009/3/12 (Thu)  広州

帰国日。早朝から昨日まわれなかった宋元代広州東城・中城・西城の南部および外部の航海門付近、市舶亭・鹽亭のあった山海楼址付近を歩いてみようと思っていたのですが、曹先生が早茶に誘ってくださったので予定を変更して早茶に行きました。

午後の便で帰国。終始お世話をしてくださった曹先生および中山大学歴史系の皆さんに感謝。

2009/3/11 (Wed) その3  広州

夜は平田先生、曹先生と共に張其凡先生をはじめとする曁南大学大学歴史系の先生方に招待されました。午前中に案内してくださった屈先生と馬先生も同席。張其凡先生、勾利軍先生からご高著を拝領しました。ありがとうございました。

  張其凡『宋代典籍研究』華夏文化芸術出版社, 2005.

  張其凡〔主編〕『北宋中後期政治探索』華夏文化芸術出版社, 2005.

  張其凡・孫志章〔整理〕『宋丞相崔清獻公全録』広東省出版集団・広東人民
    出版社, 2008.

  勾利軍『唐代東都分司官研究』上海古籍出版社, 2007.

2009/3/11 (Wed) その2  広州

みなで昼食をとった後、夕方まで単独行動。近くに広州市博物館があったので見学に行きました。

・広州博物館(鎮海楼)
越秀公園の中に越秀山(旧称:観音山)にある市の博物館。碑廊には元代の碑もありました。
  ・宣聖遺像碑(至正五年)
  ・至聖加號詔碑(大徳十一年)

その他、延祐三年の紀年銘を持つ中国最大の計時器である銅壷滴漏や南宋代の刻銘を持つ引水管道である石水筧題刻、修城磚、宋代胡人踊、「官」「大通」銘磁器なども興味深い展示でした。本を購入。

  『広州文物與古迹』文物出版社, 1987.

  『五仙觀歴代詩詞選』五仙觀文物保管所, n.d.(1982?)


・宋元代広州東城・中城北部
宋元代広州東城の北墻にあたる豪賢路、広州中城の北墻にあたる越華路を確認した後、宋元代広州東城と中城の境にあたる倉辺路を南下。

・南越王宮署遺跡
南越の宮苑址で1998年に発掘がおこなわれましたが、唐、宋、元、明と歴代王朝の遺構を含む地層も同時に発掘され、宋代は舗道址、元代は井戸址2ヶ所を見学できます。

2009/3/11 (Wed) その1  広州

一昨日に懐聖寺を訪れた際に元代アラビア語碑文を実見できなかったので、曁南大学の屈先生と馬先生がわざわざ案内してくださいました。

・再び懐聖寺
一部の研究者には有名なラマダーンの墓碑を実見させていただきましたが、同時に最近発見されたばかりの最早の元代アラビア語墓碑であるイブン・カーシムの墓碑も見学させていただきました(sahibとあったので何かの長官職にあったのかと一瞬思いましたが、読んでみると単にsahib al-hadha al-qabr「この墓の主は…」という一文でした)。石机の脚になっていたのが最近再発見されたそうです。石碑を発見され、研究されているイマームの楊先生に解説いただき、最新の研究を拝領。ありがとうございました。最近いくつか新しく墓碑が見つかっており、それらも一緒に実見させていただきました。碑文を実際に見て釈読してみたところ新しい知見もいくつか得られました(自分の釈文は楊先生のものとは少し違います)。

  楊棠「広州新発現一〓阿拉伯文古碑」『広州穆斯林』18, 2008.

  楊棠「広州最早的伊斯蘭教碑碣」『広州穆斯林』18, 2008.

  馬勇志「広州伊斯蘭教古墓與〓場」『広州穆斯林』18, 2008.

  『広州市回族伊斯蘭教文史研究資料匯編』広州伊斯蘭教協会・広州市回教歴史
    文化研究会, 2006.

・先賢聖古墓
広州ムスリムの先賢の墓地。イスラーム教徒以外は入場を許可されませんが、馬先生のお陰で見学できました。こちらにあるのは主に清代以降の墓で、元代など古い墓碑は先の懐聖寺に移動したとのことです。

2009/3/10 (Tue)  仏山・広州

本日も中山大学の曹先生にご案内いただきました。

・仏山祖廟
北宋の元豊年間に北帝廟として建立されたとのこと。前殿・正殿・萬福臺などがあります(殿のほうは修復中)。碑廊があり、碑は民清のものでしたが、中には宋元と関連する情報を持つものもあり、おもしろかったです。また、廟内には黄飛鴻紀念館もあり、寶芝林の資料や酔拳などの映画の写真も展示されていました。映画に関してはほぼ観ているという久保田さんの蘊蓄を拝聴。なにげに面白かったです。本を購入。

  佛山市博物館〔編〕『佛山市文物志』広東科技出版社, 1991.

・光孝禅寺
西鐵塔は南漢の大寶六年(963)に鋳造されたもの、元の泰定元年に修理を受ける。東鉄塔は大寶十年(967)に創建され、こちらも元泰定元年に修理とあります(説明板によれば)。東鉄塔は鍵のかかった堂の中にあって間近で観覧できないのですが、堂内にはいくつか碑が置かれていてそれも間近で見られませんでした。遠目から確認でしたのは以下の碑です。

  六祖大鑒禅師殿記(南宋・咸淳六年)、重修六祖菩提〓記(崇禎九年?)、
  光孝禅寺革除供應花〓碑記(明・天啓二年)

泰定元年の公廟堂記も堂内にあるはずも確認できず。本を購入。

  胡巧利『光孝寺』広東人民出版社, 2005.

・六榕寺
梁の大同三年(537)創建の古刹。宋代創建の花塔の塔頂には至正十八年の刻銘が残るということでしたが、現在塔は閉鎖中で上れませんでした(以前は上れたということです)。ほかにも北宋の石刻が数道残っているはずですが確認できず。

・三元宮
古い歴史を持つ道観で、宮というだけあってかなりの規模です。中には天后殿もありました。

2009/3/9 (Mon) その2  広州

夕食後、天河の書城へ行き、本を購入。

  『広州城坊志』広東人民出版社, 1994.

  『広東碑刻集』広東高等教育出版社, 2006.

  『広州碑刻集』広東高等教育出版社, 2001.

  『中国伊朗学論集』寧夏人民出版社, 2008.

  『陝西新出古代璽印』上海書店出版社, 2005.

  白化文・李鼎霞〔校点〕『参天台五臺山記』花山文芸出版社, 2008.

  潘清『元代江南民族重組與文化交融』鳳凰出版社, 2006.

  王暁清『元代社会婚姻形態』武漢出版社, 2005.
  

2009/3/9 (Mon) その1  広州

本日は巡見です。

・琵琶塔
塔自体は明代の創建ですが、この周辺が琵琶洲で、宋元代にはここにあった琵琶港が外港として機能しました。

・南海神廟
ちょうど達奚司空を祝う波羅節日でものすごい人出でした。以前も見た延祐七年、至正十年、至正十五年の元碑を確認。洗劍民・陳鴻鈞によれば、至元三十一年、大徳七年、至治三年、泰定四年、後至元二年、至正八年、至正十一年の碑も廟内に現存するということでしたが、確認できず。本を購入。

 龍〓堯『黄浦滄桑』広東人民出版社, 2007.

・黄浦軍校旧址
孫文が設立した陸軍士官学校址。月曜で閉館でしたが、中山大学の先生方のお陰で特別に見学することができました。

・懐聖寺
唐代創建の光塔(ミナレット)で有名な清真寺。もともと高麗人で大都路宛平県青玄関から広西道容州陸川県ダルガチに任じられたムスリムのラマダーンのアラビア語−漢語墓碑も現在ここにあるそうです。かなり以前、家島先生がこの墓碑の論文を書くように中国側から頼まれたということだったので写真などを提供したことがありましたが、あの論文はどうなったのだろう?肝心のアラビア語墓碑は管理人が来週まで出張でいないとかいう理由で見学できず(多分うそですが)。

2009/3/8 (Sun)  広州

中日古代中国国家運作機制国際学術研討会

     2009/3/8, 8:30-18:30
     中山大学歴史系永芳堂二楼講学庁

  陳春声・劉志偉「貢賦、市場物質生活---試論18世紀美洲白銀輸入與中国社会
    変遷之関係」

  平田茂樹「宋代文書制度研究的一個嘗試---以「關」、「牒」、「諮報」爲線索」

  郭静云「試論先秦儒家“身心”概念之來源與本意」

  徐堅「喀左銅器群再分析:從器物学模式到行爲考古学」

  景蜀慧「名教的悖論」

  王承文「越南現存〈大隋九真郡宝安道場之碑文〉考察」

  松本保宣「從朝堂達到宮門---唐代時代直接上奏的変遷」

  久保田和男「宋朝的赦書伝達---以地方衙門的出迎及宣読爲中心」

  山崎覚士「由書簡所見的宋代明州対日外交」

  曹家齊「北宋煕寧間地方行政一瞥---以杭、台二州対日僧成尋之接待爲中心之
    考察」

  四日市康博「元朝江南統治與市舶政策」

  劉勇「明神宗的“独断”與士人的意思---以萬暦朝前期的李材(1529-1607)案爲中心」

  温春來「明代土司地区的里甲研究」

  黄國信「“苗例”:清王朝湖南新開苗疆地区的法律制度安排與運作実践」

  呉滔「賦役、水利與市場発育---兼論安亭、陸家濱兩鎮的興起」


曁南大学の屈文軍先生が駆けつけてくださりました。以下のご高著を拝領。ありがとうございました。

  屈文軍〔点校〕『憲臺通紀(外三種)新点校』華夏文化芸術出版社, 2006.
  ※憲臺通紀、憲臺通紀續集、南臺備要、烏臺筆補の校注。

  屈文軍『遼西夏金元史十五講』上海古籍出版社, 2008.
 

2009/3/7 (Sat)  広州

・広東省博物館
午前中は長野高専の久保田さんと広東省博物館へ。現在、引っ越し中のため一階で開催中の「館蔵明清青花瓷器展覧」のみ観覧。敷地内で国民党第一回全国代表者会議が開催された鐘楼(魯迅博物館)も見学。

・千年古道遺跡(北京路)
バスで北京路へ移動して千年古道遺跡を見学。

・珠江
中山大学へ戻り、曹先生、平田先生、森川さん、久保田さんと昼食後、曹先生が珠江遊覧に連れて行ってくださりました。中大碼頭から天字碼頭を通って芳村碼頭へ。復路で天字碼頭へ上陸。

・天字碼頭
北京路に直結している碼頭で、清代に使用されていました。宋元代の西城の南端はもう少し北の大徳路で、市舶亭もその城壁のすぐ外にあったと考えられています。

2009/3/6 (Fri)  広州

午前中は発表する原稿の作成。

午後は大阪市立大の平田先生、中大の曹家齊先生と昼食後、中大歴史系を訪問。

その後、東大で中大に留学中の森川さんに中大近くの書店に連れて行ってもらいました。古書店で本を購入。

  曽昭〓・曽憲珊『宋代珠〓巷遷民與珠江三角洲農業発展』曁南大学出版社, 1995.

  王同順『鎮江古代石刻及焦山碑林書法研究』天津人民美術出版社, 2005.

これ以外の本は日本へ郵送してもらいました。

夕食は中大の副学長の陳春声先生が招待してくださり、平田先生と共に中山大学歴史系の先生方と同席。

2009/3/5 (Thu)  広州

にんぷろ官僚班と中山大学歴史系の合同研究会で報告するため、12日まで広州へ

夜便で成田から新広州白雲空港へ。
中山大学歴史系の院生 胡さんが出迎えてくれました。珠江沿いで中大北門付近の半島ホテルに0時半過ぎに到着。

2009/3/4 (Wed) その2   

目的の論文が東大では雑誌合冊中でコピーできなかったので、早稲田でコピーしようと思ったのですが、こちらも教員室図書館に配架とかでコピーできませんでした。縁が無いようです。

違う論文をコピー

  矢澤知行「イェケ・モンゴル・ウルスのアウルク」『愛媛大学教育学部紀要 人文・
    社会科学』34/1. 2001.

  矢澤知行「大元ウルスの“軍人”をめぐって」『愛媛大学教育学部紀要 人文・社会
    科学』35/1. 2002.
 

明日の飛行機の中での読み物として田中さんの新書を買いました。坂上先生の文庫版といい、最近は個人的に古代史が頗るおもしろいです。

  田中史生『越境の古代史---倭と日本をめぐるアジアンネットワーク』ちくま新書.
    筑摩書房, 2009.
  

2009/3/4 (Wed) その1   

「モンゴルの歴史・文化をめぐる基本問題」第2回研究会

      日時:2009年3月4日(水) 14:00〜18:00
      場所:早稲田大学文学学術院 第4会議室(39号館第2研究棟4階

  高木小苗(早稲田大学大学院)「イランにおけるイルハン国研究と新史料」

  石濱裕美子(早稲田大学教育・総合科学学術院)「チベット仏教世界としての
    モンゴル史研究の問題点について」
  
  ※久々に鋭い突っ込みが聞けておもしろかったです。

2009/3/3 (Tue)   

本が届きました。ヨーロッパ各地をまわったハラホト仏教美術展の図録。これはミラノ版。

  Piotrovsky,Mikhail [ed.], Lost Empire of the Silk Road: Buddhist Art from
    Khara Khoto (X-XIIIth century). Milano: Thyssen-Bornemisza Foundation,
    Electa, 1993.

2009/3/2 (Mon)   

東文研でにんぷろ海域班の会合がありました。

席上で様々な方からご研究の成果をご恵賜いただきました。ありがとうございました。みなさん着実に成果を出しているので、こちらもあせります。


  渡辺美季「久米村士族という生き方---毛有増の生涯」『第11回琉中歴史関係
    国際学術会議論文集』琉球中国関係国際学術会議, 2008

  渡辺美季「1.紫禁城(故宮)と琉球使節 2.琉球と清朝 3.久米村の人々
    〜中国外交と文化の担い手」『甦る琉球王国の輝き』沖縄県立博物館・美術
    館, 2008.

  藤田明良「東アジア海域の通行と兵庫津---足利義満期を中心に」『兵庫津の総合
    的研究』2008.

  藤田明良「境界からみた内と外」『『九州史学』創刊五〇周年記念論文集』下.
    九州史学研究会, 2008.

  山内晋次「近世東アジア海域における航海信仰の諸相---朝鮮通信使と冊封琉球使
    の海神祭祀を中心に」『待兼山論叢 文化動態論篇』42. 2008.

  杉山清彦「大清帝国のマンチュリア統治と帝国統合の構造」左近幸村〔編〕
    『近代東北アジアの誕生---跨境史への試み』北海道大学出版会, 2008.

  森平雅彦「高麗王家とモンゴル皇族の通婚関係に関する覚書」『東洋史研究』67.
    2008.
  

2009/3/1 (Sun)   

International Workshop
“The Formation of Perso-Islamic Culture: The Mongol Period and Beyond”

    Date: 1st March, 2009
    Venue: Room 303, Research Institute for Language and Cultures of Asia
       and Africa (ILCAA)

 1. Mongol Rulers and Iranian Society Chair: KONDO Nobuaki

  Birgitt HOFFMANN(Universitat Bamberg)
    "Ilkhanid Patronage of Cities: The Case of Tabriz,"

  WATABE Ryoko (ILCAA)
    "Images of Mongols and Their Legitimacy in Persian Literatures in the Ilkhanid
     Period."

 2. East and West: Cultural Exchange in the Mongol Period and Its Influence
     in Perso-Islamic Culture   Chair: MASHITA Hiroyuki (Kobe University)

  YAJIMA Yoichi (Kyoto University of Foreign Studies)
    "Persian Sufism in East Asia during the Yuan Period"

  ISAHAYA Yoichi (University of Tokyo)
    "The Modification of the Twelve-Animal Cycle in the Timurid Period"

 3. Continuities and Changes:The Mongol Period in the History of Persian
    Epistolary Art   Chair: MORIKAWA Tomoko (Hokkaido University)

  David DURAND-GUEDY (JSPS Fellow/ University of Tokyo)
    "Aspects of Epistolary Writing during the Saljuq Period"

  Colin MITCHELL (Dalhousie University)
    "Prefacing the Word: Comparing the Dibachas in the Epistolary Works of 
    Muhammad ibn Hindushah Nakhjuvani (Mongol Period) and Husain Vaiz Kashifi
    (Timurid-Safavid Periods)

 
  ※席上で矢島さんから論文抜刷を拝領。ありがとうございました。今回は国外
  国内とも様々な人と意見交換ができて有意義なワークショップでした。 

  矢島洋一「ラシードゥッディーン『中国史』近刊刊本二種」『イスラーム世界研究』
   2/1, 2008. 271-278頁


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