朝日新聞高速通信機  神風

Asahi High-speed Communications Aircraft KAMIKAZE

朝日新聞社は、1937年5月12日ロンドンで行われるジョージ六世の戴冠式奉祝の名のもとに、亜欧連絡飛行を計画し、キ15の試作2号機を払い下げるよう、陸軍を説得した。愛称には、公募した中から「神風」が選ばれた。
乗員は、飯沼正明飛行士(1912-1941)と塚越賢爾機関士(1900-1943)。一度悪天候で引き返したのち、4月6日早暁立川飛行場を離陸。台北、ハノイ、ビエンチャン、カルカッタ、カラチ、バスラ、バクダッド、アテネ、ローマ、パリと着陸し、現地時間の9日午後ロンドンに着陸。立川離陸後94時間17分56秒で、給油・仮眠をのぞく実飛行時間は、51時間19分23秒であった。

当時、欧米では記録飛行が盛んで、パリ-東京間を100時間以内で飛んだ飛行記録樹立者にはフランス航空省が懸賞金を出したため、多くの欧州の航空人が記録に挑戦した。
フランスの著名な飛行家が再三にわたって挑戦したが、すべて失敗に終わった。このルートの記録飛行は当時は生死を賭けた大冒険だったのである。
日本中が固唾を飲んだ「神風」の記録飛行に世界中が注目。デイリー・エクスプレス紙は、8日付朝刊のトップに神風号の接近を報じた。

パリのル・ブルジュ空港も、ロンドンのクロイドン空港も人波にあふれた。純国産の日本の飛行機が国際舞台に華々しくデビューした記念すべき瞬間だった。国産機による初の大飛行に日本国中が湧き、世界中が賞賛を送った。フランス政府は二人にレジオンドヌール勲章を贈ったのである。

ARII(LS)1/72  Made in Japan

私の手元に古いグラフ誌「神風画報」があります。以前、文藝春秋社のノンフィクションビデオ「飛行機100年」の仕事で監修にあたった方からビデオの完成祝いにいただいたものです。

大人の塗り絵

アリイとLSのパッケージ

1941年7月、神風をたたえる歌のレコードがヴィクターから発売された。その月に日中戦争が始まる。12月8日、かつてあれほど歓待されたイギリスを敵にまわし太平洋戦争開戦。直後の12月11日、飯沼飛行士はプノンペンの飛行場で味方機のプロペラに巻き込まれ事故死した。塚越機関士は1943年7月7日、特命を帯びてシンガポールからドイツへと飛び立ったA-26 (記録機)2号機に搭乗し、インド洋上で消息を絶った。
リンドバーグと並ぶ名パイロットとして賞賛された英雄たちの寂しい最期である。

ロンドンのクロイドン空港は群衆であふれ熱狂に包まれていた。その時、颯爽と降り立った飯沼の容姿にも人々は驚いたようだ。涼しい目に白い歯がこぼれるスラリとした美男子。ヨーロッパの人々が抱いていた日本人のイメージとはあまりにも違っていた。

【デイリーエキスプレス紙】
・・・品のいい青年だ―彼は始めてイギリスに顔を見せることに相当気を使っていた。紺のサージの洋服を着、沿岸を飛んでいる時は新しい絹のスカーフを首に巻いていたが、胸のポケットには真新しい白のハンカチを入れていた。その上ローマではとっくに顔を洗っていた。

全幅:12.0m 全長:8.49m 総重量:2,200Kg 最大速度:480km/h
発動機:中島 ハ-8 94式 550馬力 航続距離:2,400km 乗員:2名

Contrail 飛行機雲 ******(世界の名機、珍機、駄作機のコレクションです。)