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                       時習館と甲子園
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                    【時習館扁額】 宝暦2年(1752)創立、明治5年(1872)廃校となった
                                   吉田藩校時習館の壁間をかざっていたもの


                                 (拡大)
   豊橋中学校の校章        時習館高校の校章         時習館高校の校旗   公会堂敷地の片隅にある藩校時習館碑



 「時習館高校」というと、校名から私立校ではないかと思われる方々もおられるかも知れないが、愛知県豊橋市にある、れっきとした伝統ある県立高校である。校名「時習館」の由来は、宝暦2年(1752年) 吉田(現豊橋市)藩主松平伊豆守信復が創設した「藩校時習館」である。、明治26年(1893年)旧藩校の名前をとった「私立時習館」が創立され、明治28年(1895年)「豊橋町立豊橋尋常中学時習館」、明治33年(1900年)「愛知県第4中学校(愛知四中)」、大正11年(1922年)「愛知県立豊橋中学校」、昭和23年(1948年)学制改革により「愛知県立豊橋高校」、その後「愛知県立豊橋時習館高校」、「愛知県立時習館高校」と校名が変更され現在に至っている。このように100年以上の伝統がある公立高校である。

 野球部の歴史は旭丘高(旧愛知一中)と並んで古く、明治28年(1895年)に「豊橋町立豊橋尋常中学時習館」の校長として赴任した石川一が野球を取り入れ、明治32年(1899年)に正式な部になると、直後に愛知二中(現在の岡崎高校)と対抗試合を行っている。なお、今も続く「時習」と墨書したのみの校旗も石川校長が決めたものである。

 大正4年(1915年)から始まった夏の「全国選手権大会」は、平成10年(1998年)に第80回を迎えたが、この80回の大会すべての予選に出場してきた15校が入場式に校旗を掲げて行進を行った。愛知県では時習館と旭丘高の2校であった。

 平成12年(2000年)には、創部100周年を迎え、時習館2回生(昭和25年卒)の野球部員 林弘さんが中心となって、立派な「時習館野球部100年史」を発行した。

       
  「時習館野球部100年史」 林 弘著(時習館2回生・野球部 OB )   全国大会出場年譜が刻まれている石碑(これは裏側)
                                            表側は「三州の野に・・・」の野球部応援歌

 このように長い歴史と伝統をもつ時習館野球部であるが、予選を通過して全国大会への出場の経験は、戦前 戦後を通して3回しかありません。戦前では大正5年(1916年)の第2回大会の一度のみ、戦後は、昭和21年(1946年)9月、名監督渥美政雄先生が就任されてから、めきめき実力をあげ、以後昭和30年代初めまでは、常にベスト8以上と県下で強豪校として知られた。そして昭和27、28年(1952、1953年)の2年連続の選抜大会へ出場を成し遂げた。先生は昭和31年(1956年)3月まで監督を務められたが、県教育委員会に転任されました。そして平成5年(1993年)83歳で永眠されました。尚、先生のご子息である時習館14回生の渥美博康先生(国語)が、教頭先生として時習館におられることを知り、驚いた次第です。(平成15年現在)

 高校野球関係のホ−ムペ−ジは数多くありますが、時習館野球を紹介しているものはないようです。そこで、本ホ−ムペ−ジの作成を決心することにしました。そして、「時習館のホ−ムペ−ジ」のネットワーク担当の佐藤康彦先生から「時習館野球部100年史」が発行されていることをお聞きし、本書籍は2回の選抜大会出場を経験された時習館6回生の徳増浅雄さんから借用、また本書籍の著者 林弘さん(時習館2回生の野球部 OB )には、書籍内記事をホ−ムペ−ジへ掲載することの了解も得ました。なお、渥美博康教頭先生には、所蔵のお父上のアルバムをお貸し頂けることになっています(まだ、お借りに伺っておりませんが、貴重な写真が追加掲載出来ると思いますのでご期待下さい)。また、渥美政雄名監督の愛弟子で監督を引き継いだ藤田良彦先生(時習館1回生)からも貴重な資料を提供いただきました。

 本ホ−ムペ−ジに掲載する内容は、3回の全国大会出場と、愛知県予選でベスト8以上になった年を主に取り上げ、それに渥美政雄監督にまつわる記事野球部OBたちの回想録を主に掲載することにしました。

 時習館野球部 OB の皆さん、時習館卒業生の皆さん、時習館を愛する方々、時習館野球のファンの皆さんに閲覧いただければ幸いです。



 私(ホ−ムペ−ジ管理者) は、第2次大戦末期の、昭和20年4月「豊橋中学校」に入学、6月空襲で校舎全焼し毎日焼け跡の後かたづけ、終戦直前の8月7日豊川海軍工廠爆撃で先生及び二年生(一年先輩)38名が死亡、そして8月15日終戦、9月からは豊橋二中の校舎を借用しての豊橋二中との二部制授業開始、そして昭和21年1月富本町の「元豊橋陸軍予備士官学校砲兵隊跡」に移転、その後学制改革により「豊橋高校」、その後校名は「豊橋時習館高校」、「時習館高校」と変わり、昭和26年3月卒業した時習館高校の3回生です。



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