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『リリー・マルレーン』(Lili Marleen)は,ぼくの愛唱歌のひとつ。
愛唱といってもほとんど鼻歌で,歌詞を口ずさんでももちろんドイツ語の原曲ではない。
加藤登紀子の歌った『リリー・マルレーン』だ。

 ガラス窓に灯がともり 今日も街に夜がくる
 いつもの酒場で 陽気に騒いでる
 リリー リリー・マルレーン
 リリー リリー・マルレーン

 男たちに囲まれて 熱い胸を躍らせる
 気ままな娘よ みんなの憧れ
 リリー リリー・マルレーン
 リリー リリー・マルレーン

 おまえの赤い唇に 男たちは夢を見た
 夜明けがくるまで すべてを忘れさせる
 リリー リリー・マルレーン
 リリー リリー・マルレーン

 (ハミング)

 ガラス窓に日が昇り 男たちは戦さに出る
 酒場の片すみ ひとりで眠ってる
 リリー リリー・マルレーン
 リリー リリー・マルレーン

 月日は過ぎ人は去る おまえを愛した男たちは
 戦場の片すみ 静かに眠ってる
 リリー リリー・マルレーン
 リリー リリー・マルレーン
 戦場の片すみ 静かに眠ってる
 (ハミング)

この詞は加藤登紀子自身がつけたもので,1975年に発表されている。
レコード,CDは持っていない。
それなのに愛唱歌になっているのは,譜面を持っているからだ。
鼻歌だけではなく,ときどき譜面を見ながら,ギターを爪弾き,歌う。
われながら聞くに堪えないけれど,曲・詞は,しみじみ,いいなと思う。
カヌーイストでエッセイストの野田知佑が吹き込んだ,ハーモニカの『リリー・マルレーン』も,とてもいい。
「ハーモニカの夏」というCDに入っている。
マレーネ・ディートリッヒの歌ったCDも持っている。

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『リリー・マルレーン』に関する重要事項を略年譜風にまとめておこう。

 1915年 ハンス・ライプ作詩(詞)
 1938年 ノルベルト・シュルツェ作曲
 1939年 ララ・アンデルセンの歌でレコード化
     第2次世界大戦始まる
 1941年 ララ・アンデルセンの歌が,吹き込みから2年後に大ヒット
 1944年 マレーネ・ディートリッヒがレコード化し大ヒット
 1945年 第2次世界大戦終わる
 1975年 加藤登紀子が自作の詞をつけて発表
     梓みちよが片桐和子訳詞でレコード化

これだけでは味気ないので,『リリー・マルレーン』の履歴を,もう少し詳しく記してみたい。
調べて書いているので,本来なら伝聞推定風に“〜といわれる”とか“〜だったらしい”という文体にしなければいけないのだが,わずらわしいので直接話法?で書くことにする。

もともとの詞(詩)は1915年にハンス・ライプ(Hans Leip)という詩人がつくった。
ハンス・ライプは第1次世界大戦(1914〜18)に従軍したドイツ人で,“Lili Marleen”は『港の小さなオルゴール』という詩集に収められていた。
参考までにドイツ語の原詩を掲げておく。
ぼくはドイツ語がまったくダメなので引用に間違いがあるかもしれない。
辻優子という翻訳家の訳詩も掲げておく。

 Vor der Kaserne,
 Vor dem grosen Tor
 Stand eine Laterne.
 Und steht sie noch davor,
 So wolln wir uns da wiedersehn,
 Bei der Laterne wolln wir stehn
 Wie einst,Lili Marleen.

 Unsere beiden Schatten
 Sahn wie einer aus.
 Das wir so lieb uns hatten,
 Das sah man gleich daraus,
 Und alle Leute solln es sehn,
 Wenn wir bei der Laterne stehn
 Wie einst,Lili Marleen.

 Schon rief der Posten:
 Sie blasen Zapfenstreich,
 Es kann drei Tage kosten.−
 Kamerad,ich komm’ja gleich.
 Da sagten wir auf Wiedersehn,
 Wie gerne wollt’ich mit dir gehn,
 Mit dir,Lili Marleen.

 Deine Schritte kennt sie,
 Deinen zieren Gang;
 Alle Abend brennt sie.
 Mich vergas sie lang.
 Und sollte mir ein Leids geschehn,
 Wer wind bei der Laterne stehn
 Mit dir,Lili Marleen?

 Aus dem stillen Raume,
 Aus der Erde Grund
 Hebt mich wie im Traume
 Dein verliebter Mund.
 Wenn sich die spaten Nebel drehn
 Werd’ich bei der Laterne stehn
 Wie einst,Lili Marleen.

 兵営の前
 大きな門の前に
 街灯が立っていた。
 そして今でもその前に立っているなら
 またそこで会おうよ。
 街灯の下に二人で立とう
 いつかのように,リリー・マルレーン。

 ぼくたち二人の影は
 一つのように見えていた。
 二人がとても愛しあっているのは
 すぐにそこから見てとれた。
 そして,みんなにも見てほしい
 街灯の下に二人が立つときは
 いつかのように,リリー・マルレーン。

 もう歩哨が叫び
 消灯ラッパが鳴っている。
 遅れれば三日間の営倉だ。
 戦友よ行くよ,今すぐに行く。
 それで,ぼくらはさよならを言った。
 どんなにきみといっしょに行きたかったか
 きみといっしょに,リリー・マルレーン。

 きみの足音を街灯は知っている
 きみの気どった足どりも。
 毎晩街灯は燃えている。
 でも,もうぼくのことは忘れて久しい。
 もしぼくの身に何かが起きたなら
 だれが街灯の下に立つのだろう
 きみといっしょに,リリー・マルレーン。

 静かな場所から
 大地の底から
 まるで夢のようにぼくをひきあげる
 うっとりとしたきみの唇が。
 夜ふけの霧が渦をまくとき
 ぼくは街灯の下に立とう
 いつかのように,リリー・マルレーン。

反戦のトーンは強くない。
それでも,恋愛という人間の日常の営みが,軍隊という戦争のための組織の在り方に対峙されて,くっきりと描かれている。
さきに掲げた加藤登紀子の詞と比べてみてほしい。
お登紀さんのつけた詞は,ほとんど創作といっていいほどに原詩(の訳)と違う。
そのためか,楽譜にも,訳詞ではなく“日本語詞”と書かれている。
反戦のトーンは,単純化された分だけ,少し強められたように感じられる。

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曲は,ナチスの時代になって,ノルベルト・シュルツェ(Norbert Schultze)という作曲家がつけた。
1938年のことだ。
歌ったのは,ララ・アンデルセン(Lale Andersen)という無名の歌手。
1913年生まれの25歳だった。
ララの歌声を聴いた記憶はないが,マーチ風の編曲だったという。
ララのレコードは,このときは,まったく売れなかった。
一説に,60枚という数字が伝えられている。

翌1939年にナチス・ドイツがポーランドに侵攻し,第2次世界大戦が始まる。
いつしか前線のドイツ兵たちのあいだでララの『リリー・マルレーン』が話題になり,軍の放送局が電波に乗せて何度も流し始める。
ドイツ軍の放送を通じて流れた歌声は,連合軍の兵士たちをも魅了することになる。
そして,敵・味方の違いを越え,広く共感をもって受けいれられる稀有な曲になった。

最初は売れなかった曲が爆発的に人気が高まるまでの経過には,いろいろな説がある。
1941年,ベルリンのレコード店が前線の兵士に配給する慰問品のなかに『リリー・マルレーン』のレコードを入れた。
売れ残った在庫を処分する,いい機会だった。
ところが,持て余し品のレコードから流れた曲が,ロンメル将軍で知られる北アフリカ戦線ドイツ戦車軍団の兵士たちのあいだで流行りだした。
乾ききった砂漠が水を吸うように,ララの歌声が兵士たちの心に沁みいり,口ずさまれ,慰問の任務を予想外に果たした。
癒されたのはドイツ兵ばかりではなかった。
ララの自伝『リリー・マルレーン』(上下2巻,辻優子訳,中央公論社)訳者あとがきには,こうある。

“行進曲としては使いものにならないこのララの歌が,ベオグラード放送のプログラムの最後に,アフリカの砂漠にひびきわたると,両軍の武器はともに鳴りをひそめ,数分間は戦争が忘れられて,敵も味方もひとしく故郷のことを夢見たのであった。”

両軍の兵士たちは,いったいどんな思いでこの曲を聴いたのだろう。
愛する人を思い,士気を鼓舞されたのだろうか。
早く生きて帰りたい,戦争はいやだと思ったのだろうか。
受け取り方は兵士たち個々に違っていたかもしれない。

ララは一躍スターダムにのしあがる。
ところが運命は急転直下する。
ララは結婚していた。
夫はスイス国籍のユダヤ人だった。
ユダヤ人の夫をスイスに残し,ララはドイツへ出稼ぎにきていた。
そのへんの事情は秘密警察ゲシュタポのすでに知るところだった。
イタリアを公演旅行中のララに,夫から,スイスへ脱出しろという手紙がくる。
ゲシュタポはララを逮捕する。
拷問を恐れたララは,自殺を図り,失敗する。
イギリスBBCが「ララは逮捕され,収容所で死んだ」と一部誤りを含んだ情報を流す。
ナチスはこれを否定するため,ララを釈放する一方で,『リリー・マルレーン』を放送禁止にし,原盤を廃棄処分にする。
そのうえで,ララにも歌うことを禁じた。
歌手ララと『リリー・マルレーン』の命運は尽きたかにみえた。

ここに,マレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich)が登場することになる。
ディートリッヒは1901年10月27日ドイツ・ベルリンに生まれ,“100万ドルの脚線美”と妖艶な演技,ハスキーボイスでセンセーションを巻き起こした人気女優・歌手だった。
いわゆるセックス・シンボルのひとりだったが,芯のある女性だった。
第1次世界大戦(1914〜18)後のナチズムを嫌い,1939年にはアメリカの市民権を得る。
おりからドイツのポーランド侵攻で始まった第2次大戦中,前線の連合軍兵士の慰問公演を数多くおこない,反ナチズム活動にも積極的にかかわっている。
そんななかで彼女は,ララのあとを引き継いで『リリー・マルレーン』を歌った。
反戦,反ナチズムの意をこめて。
レコードも吹き込み,さらに大きなヒットとした。

ぼくの持っているディートリッヒのCDは海賊盤で,歌詞もライナーノーツもついていない。
『リリー・マルレーン』も入ってはいるが,ライブ録音のためか歌詞がよく聞き取れない。
けだるい退廃的なムードで始まり,3番で突如マーチに変わる。
訳詩で掲げた
“もう歩哨が叫び
 消灯ラッパが鳴っている。
 遅れれば三日間の営倉だ。
 戦友よ行くよ,今すぐに行く。
 それで,ぼくらはさよならを言った。
 どんなにきみといっしょに行きたかったか
 きみといっしょに,リリー・マルレーン。”
という軍隊生活に触れた部分である。
マーチだから表面は勇ましいけれど,哀しげに響く。
そして,また退廃的なムードに戻る。
これがディートリッヒの最初に吹き込んだレコード盤にどれくらい近いのかはわからない。
とにかく,現在『リリー・マルレーン』といえば,ディートリッヒの歌ったものが最も知られているだろう。
この曲の大ヒットで,ディートリッヒの国際的な人気は決定的なものになった。
いまだに海賊盤が出回っていることも,その事実を裏づける証左のひとつだろう。

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ララ・アンデルセンは,戦後どうなったのか。
歌手として復帰することはできたが,ふたたびスターの座につくことはなかった。
『リリー・マルレーン』の栄光はディートリッヒに奪われたかたちになった。
そして自伝を書き,その出版キャンペーン中の1972年8月29日,ウィーンで死んだ。

『リリー・マルレーン』は朝鮮戦争(1950〜53)やベトナム戦争(1954〜75)中にも,戦場の兵士たちに,そして各国の人たちに反戦歌として歌い継がれた。
日本では加藤登紀子のほか,同じ1975年に梓みちよもカバー盤を出している。
梓みちよの歌っている詞は,片桐和子の訳で,原詩に近い。

 夜霧深く立ちこめて
 灯りともる街角に
 やさしくたたずむ
 恋人の姿
 いとしいリリー・マルレーン
 いとしいリリー・マルレーン

 君はぼくに背伸びして
 繰り返したくちづけを
 二人は一つの
 影に融けてゆく
 いとしいリリー・マルレーン
 いとしいリリー・マルレーン

 雪に埋もれ 地に伏して
 いくさの道を進むとき
 心に響くは
 やさしい歌声
 いとしいリリー・マルレーン
 いとしいリリー・マルレーン

 目を閉じれば見えてくる
 街灯りに君の姿
 生きて帰れたら
 再び会えるね
 いとしいリリー・マルレーン
 いとしいリリー・マルレーン

マレーネ・ディートリッヒは戦後も映画をはじめ舞台女優や歌手として国際的に活躍した。
しかし,ドイツでは反感をもって遇された。
1992年5月6日,フランス・パリで死去。90歳だった。
ドイツ・ベルリンの名誉市民として表彰されはしたが,右翼的な思想を持つ人たちのあいだでは,いまだに,国を裏切った女優として喧伝されているという。
2001年はディートリッヒ生誕100周年にあたった。
この年,9月11日に同時多発テロが起きたのは記憶に生々しい。
反テロリズム・キャンペーンが世界中で湧き起こった。
2002年10月14日,『リリー・マルレーン』の作曲者ノルベルト・シュルツェがミュンヘン郊外で死んだ。91歳だった。
2003年3月20日,国連決議を無視した,米英軍のイラク攻撃が始まる。
きょうも戦闘は続いている。
米英軍の圧倒的な軍事力でイラクの中枢・軍事拠点をつぶし,短時日に戦争を終わらせるというブッシュ大統領のシナリオは崩壊した。
アメリカ,イギリス,イラクの兵士たち,イラクの民衆,各国のジャーナリストなど,犠牲者は日増しに増えている。
『リリー・マルレーン』のメロディも,やりきれなさを深めて響いている。

                          2003年3月26日(水)  吉田仁


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