オーストリア
ウィーン・ザルツブルク
音楽紀行
他では聞けない話もきっとある(かな?)



 全旅行日程も公開しています 

1日目(日本→ウィーン)
2日目,3日目,4日目(ウィーン)
5日目(ウィーン→ザルツブルク) 
6日目(ザルツブルク)
7・8日目(ザルツブルク→日本) 

こちらはひとくち感想つき。

 オーストリア音楽紀行 8日間の旅に行ってまいりました(主に、ウィーンとザルツブルク)。これからウィーンに行こうという人には、きっと参考になると思います。
 なにしろ、現地ガイドの方が音楽・歴史など様々な分野に造詣が深く、おかげで内容の濃く楽しい、大当たりっ!ていう感じの旅でした。
 だれもが頭を悩ますお土産についても書いてますので、きっとお役にたてると思います。


ベートーヴェン  ベートーヴェンが散歩した小道  バーデン
ベートーヴェンが「運命」を作曲した家  ウィーン
ベートーヴェンの墓には、花がいっぱい ウィーン
モーツァルト モーツアルトの生家  ザルツブルク
モーツアルトのお母さんの家があるのは、湖のほとり  ザルツカンマーグート
見る ヨーロッパの空はいつも「曇り」 ヨーロッパ
あこがれの「ボックス席」でオペラを観る その1  ウィーン
あこがれの「ボックス席」でオペラを観る その2 ウィーン
悲劇の歌劇場設計者 ウィーン
ウィーンで1番の見どころ ウィーン
まちかどのポスター ウィーン
食べる ウィーンのスーパーで「日本食」発見 よろこぶ  ウィーン
ザルツブルクで「ラーメン」を食べるときはご用心! ザルツブルク
本場の「ザッハー・トルテ」のお味は? ザルツブルク
狂牛病 ’大’まん延の余波が自分にも及ぶ ウィーン
すぐりジュース ウィーン
買う おみやげ ウィーン&ザルツブルク



ウィーン・ザルツブルク音楽紀行1 
ベートーヴェンが散歩した小道(於:バーデン)

 ベートーヴェンが第九交響曲を作曲するときに、構想を練った小道、実際は、小道というよりは、ちょっとした丘をずんずん登ると、ものすごく見晴らしのいいところに着く、そこからはバーデン(オーストリアの温泉保養地)の町並みが180度見渡せる。

  
丘からバーデンの街を望む バーデンの街並み

 こじんまりして、黄色などのパステルカラーでかわいらしくも綺麗な町並みと、そしてかなたにひろがる緑の草地と山、そして森。

 ガイドさんがおっしゃるに、こういった景色が、第九の3楽章に反映されているのではないかとのこと。

 我々は、その丘のベートーヴェン記念堂まで登った後、下りたが、ベートーヴェンはさらに森の奧にずんずん散歩していっていたのだそうだ。

 なお、バーデンには、第九の構想を練ったといわれるベートーヴェンハウスがある。
 
ベートーヴェンハウスにある、ベートーヴェンが使ったといわれるピアノ


 なお、べートーヴェンがその家で第九を作曲しているときにウエーバーが訪ねたという話だし、バーデンにはシューベルトやヨハン・シュトラウスも滞在していたことがあるらしい。


 ウィーン・ザルツブルク音楽紀行といいつつ、いきなりバーデン(いずれもオーストリア)の話でした。なにせ、今回の旅行の目的は、ベートーベンが作曲するときに構想を練った散歩道を見ることと、ベートーヴェンのお墓参りが大きな目的だったものですから。でも、ウィーンの話もこれから書いていきますよ。
(2001.4.1、2005.3.27加筆)



ウィーン・ザルツブルク音楽紀行2
 
ベートーヴェンが運命を作曲した家(於:ウィーン)

 大きな家でしたが、ベートーヴェン用にはたった2〜3部屋しかありませんでした。でも、それは、身分の高い人が、ベートーヴェンに対して「いつでも使って良いですよ、あなたのために空けておきます。」と言って確保しておいてくれたものだそうです。ものすごい街中の便利なところにあって、たった数部屋だけだけど、常にベートーヴェンのために空けておいてくれた非常に貴重な部屋だったようです。


ベートーヴェン記念館にあったピアノ


 べートーヴェンは、そうやってよく貴族などから、いろいろ加護をうける事が出来ていたようです。作曲の才能だけでなく、政治的な才能や魅力もあったのではないかと思われます。

 また、出版業界の人とうまくやって、自分の曲の楽譜を売ることにより、かなり儲けて、死んだときには財産があったそうです。

 今回の旅行で、私の中でのベートーヴェン像がだいぶ変わりました。

 しかし、現地ガイドのタケダさん。ものすごく詳しかったなあ。音楽、歴史などいろんなことに。
(2001.4.8)



ウィーン・ザルツブルク音楽紀行3 
モーツアルトの生家(於:ザルツブルク)

 ザルツブルク音楽祭で有名なザルツブルクで、モーツアルトは生まれた。

 ちょっとした、かわいらしく綺麗な商店街のなかに生家がある。

 暗い入り口を入っていき、3〜4階だったと思う。そのフロアの2〜3部屋がモーツアルトの生家(生部屋?)だ。

 「このあたりでモーツアルトが産声をあげたと思われます。」と、ガイドさんが部屋の片隅の暗〜い部分を指さして言った。ほほう、そこでモーツアルトは産声をあげたのかと、さすがにちょっと感慨深いものがあった、、、


 また、モーツアルトが弾いていたというものすごくボロボロのチェンバロがあった。

 別に楽器がボロでも、才能がある人ってのは育っていくものなのだなあ、などと考えさせられてしまった、、、

 いろいろ考えさせられますね。さすがモーツアルト。偉大な人は違う。

 ちなみに、カラヤンもザルツブルクで生まれました。

(2001.4.11)



ウィーン・ザルツブルク音楽紀行4
ウィーンのスーパーで日本食発見 よろこぶ

 しかも、「にぎり寿司」。「かっぱ巻き」もあった。

 かっぱ巻きのほうは、けっこういけた。ひさしぶりの日本食でうまかった。

 にぎりの方は、食べてみたけど、なんとなく生魚が気持ち悪かった。味は悪くなかったけど。気持ち的な問題。

 
 日本食はさておき、ウィーンの市街を歩いていると、まあ、100mも歩いたら日本語がきこえてくるといった感じで、ほんと日本人ってどこでもいるんだなあ、って感じ。

 お土産屋さんで、買い物したら、店員さんが「アリガト」なんて言うし、、、日本語の商品解説をおいてある店もある。日本人は、結構、良いお客さんなのだろう。


 また、言葉は、ほんとはドイツ語圏なのだが、たいていどこでも英語オッケー。つたない英語で、ちょっとした買い物などは、たいてい何とかなった。やはり、そういったお土産屋さんの店員さんたちは、普段から、英語と接しているんだろう。

 日本人が英語をはなせないのは、その、話す機会がほとんどないというのが大きな理由なのではないだろうか。どうしても話さざるをえないところにおかれたら、いやがおうでもすこしずつ話せるようにならざるを得ないのでは?などと、考えさせられた。
(2001.4.15)



ウィーン・ザルツブルク音楽紀行5
ヨーロッパの空はいつも曇り


 だそうなのだ、現地ガイドのタケダさんが言っていた。

 にもかかわらず、旅行に行っていた8日間、だいたいは快晴だった。

 あちらは日本より、だいぶ寒いということで、かなり覚悟していったのだが、到着した日は、むしろ日本より暖かかった。が、3日目は、なんと雪がふった。ちなみに3月下旬の話。

 はからずも、うっすら雪化粧のウィーンを見ることが出来た。寒かったけどね。でも綺麗でしたよ。

 どうも、あっちの方は、ものすごく天気がコロコロ変わるようで、基本的には晴れだったが、雪が降ったり小雨だったり、忙しい天気だった。

 
 そういえば、ベートーヴェンの交響曲「田園」も、嵐が来たり、パッと晴れたり、忙しいよな。

 その土地の気候と、曲と、無縁ではないと思うだけに、今回、本当に貴重な経験が出来た。
(2001.4.21)


ウィーン・ザルツブルク音楽紀行6
モーツアルトのお母さんの家があるのは、きれいな湖のほとり



 モーツアルトのお母さんの実家は、きれいな、大〜きな湖があって、湖の、むこ〜のほうには、アルプスの雪のかかった山が見える風光明媚なザルツカンマーグートにある。

 湖の水はものすごく綺麗で透明度ばつぐん、魚が泳いでいたり、湖面には、カモがプカプカ浮いている。

 非常に景色のいいところで、空気も良く、気分がスーッとして自分はすごく気に入ったのだが、田舎といえば、ものすごい大田舎。
 はるかかなたのザルツブルクで宮廷楽長をしていたレオポルト・モーツアルトと、どうやって出会うことになったのか、ほんとに不思議に思えた。もし、出会ってなかったら、アマデウス・モーツアルトは生まれてないわけだし、モーツアルトの名曲の数々は現存しないことになる。

 全く、不思議な感じだ。

 しかし、綺麗だった。モーツアルトの母の実家のあたりの風景。
ヴァイオリンを弾く少年 モーツアルト像。後ろは市庁舎ですが、かわいらしい建物ですね。
(モーツアルトの母の生家のある街「ザンクトギンゲン)



(2001.4.22)



ウィーン・ザルツブルク音楽紀行7
ウィーン・ザルツブルクのおみやげ

 これには結構、頭をなやまされました。

 買ったのは、

 1.モーツアルトのチョコ(これを買うときは、ご用心!!)

  モーツアルトの顔が銀紙に描いてある丸いチョコ。大勢のひとへのちょっとしたお土産用。
  このチョコを買うときに注意しなければならないのは、箱の裏に、「輸入・販売業者 ○○製菓(日本語!)」と書いてあるものがあることだ。これを買ってしまうと、海外のお土産として、せっかく買ってきても、「な〜んだ、このチョコ、日本でも買えるんじゃないの!?」、なんてことになってしまう。よって、モーツアルトチョコを買うときは、かならず裏面を見よう。
 

 ちなみに、この写真は、岡響のチェロ O氏が、後日、買ってきてくれたもの。「あちらで作ったものだよ」といって、渡してくれた。

 2.ワイン
  モーツアルトのワイン。これは文句無く喜ばれた。ただし、運ぶのが大変。


 3.オーストリアのビール
  なかなかよかった、と個人的には思うんだが、反響がなく、どうだったんだろうって感じ。やはり、みたこともないビールで怪しそうに見えたんだろうか? おいしかったと思うんだがなあ。


 4.Tシャツ・ネクタイ(モーツアルトなどが描いてある)
  オーストリアは、決して物価が安くない。日本並み。よって、ある程度、お世話になったひとへの、まあ、それなりのお土産として買うことになる。結構、いいのがありました。でも、贈る相手の服のサイズがよくわからなかったりして、なかなか難しいです。


 5.ベートーヴェンの胸像(高さ30cm程度)
  これは、父に贈った。見た目以上に、非常に重いので、買うときはそれなりの覚悟をしよう。軽い10cm程度のミニサイズもある。ベートーヴェンのほか、モーツアルト、ワーグナーなどある。店によって価格が違うので、比べて買おう。また、免税が効く店かどうかで、値段が1割程度変わるので、それにも注意しよう。


 6.ザルツブルクの岩塩
  勘のいい人は、もうおわかりのように、ザルツ=塩 なんですね。ザルツブルクでは、岩塩がガバガバとれて、それで儲かったお金を湯水のようにつぎ込んで出来たのが、現在、世界遺産にも指定されているザルツブルクの綺麗な街なみなのです。(ザルツブルク=塩の町)


   

 日本では、あんまり食べる機会がなく、めずらしいので買いました。スーパーで売ってます。向こうの人は、ハーブ入りの塩を使うらしく、私もハーブ入りのものを買って帰りました。肉料理などにお勧めです。


 その他にも、色々買いました。また、気が向いたらアップします。
(2001.4.28)



ウィーン・ザルツブルク音楽紀行8
ザルツブルクでラーメン食べるときはご用心!

 
慣れないヨーロッパに何日もいると、日本食とか、慣れた食事が食べたくなるのである。

 そんなとき、強い味方が、中華料理屋。世界中たいていどこでも中華料理屋はある。アメリカに行ったときも、ものすごく有り難かった。

 しかし、ザルツブルクでは、ラーメンだけは注意して食べた方がよい。店によっては、ラーメンの麺がスパゲッティだったりするらしいのだ。現地ガイドの方が教えてくれた。

 現地ガイドの人と一緒に行くんなら大丈夫だが、まあ、自分だけで行くときは、まあ、やめといたほうが良いだろう。話のネタにするのが目的なら別ですけどね。

 しかし、現地のひとは、それをラーメンだと思って、おいしいと思って食べているんだろうか???
 (2001.4.29)



ウィーン・ザルツブルク音楽紀行9
本場のザッハー・トルテのお味は?

 ウィーンのホテル・ザッハーで、本場のザッハー・トルテを食べ損なった。

 が、しかし、ザルツブルクにもホテル・ザッハーがあって、そこで念願のザッハー・トルテにありつくことが出来た。

 食べる前に、こちらのザッハー・トルテは、とにかく甘い、という風に聞いていたので、かなり覚悟して食べた。

 ところが、実際は、そんなに甘くなかったのである。というのも、ケーキのそばに、生ホイップクリームが、しかもケーキの大きさに負けないくらいの量が盛ってあって、それと共にケーキを食べると、なんだかちょうど良い甘さに感じるのであ〜る。

 まあ、甘いのは甘いんだが、でも、案外、日本人でもいける甘さではないか、と思った。


 その、ホテル・ザッハーを食べたカフェの中には、カール・ベームの肖像画がかなり目立つところに飾ってあり、こちらでのカール・ベームの存在は、相当、大きなものだったのかな、などと、思ったのでした。


 また、ここのカフェには、老夫婦が多く、そして、ここに限らず、今回の旅行を振り返って考えてみるに、公園とか、老夫婦が仲むつまじく散歩してたりベンチにすわってたりするのである。


 歳をとっても、いつまでも仲よさそうにしている様に見え、それは、悪くない光景であった。
(2001.4.30)


ウィーン・ザルツブルク音楽紀行10
あこがれのボックス席でオペラを観る(1)

 ウィーン国立歌劇場には、ボックス席があるんです。いかにも貴賓席のようなかんじで、一生に一度でいいからそのボックス席でオペラを観たいものだと思っていました。

 それが今回、かなったのです。

 まず、ツアーの添乗員さんから、チケットを渡され、国立歌劇場に入ります。そこから、日本とはかなり様子が違います。

 この階段をのぼり、ライトが光っているあたり、階段の両脇にボーイさんのようなひとが立っており、その人がチケットもぎをしています。そして、階段を右に登りました。そして今度は写真上の奧に進みボックス席へと向かったのでした。ここで奧に行かずに写真上の手すりの方に行くと、休憩時間にワインなどを飲む大広間があります。ここの歌劇場管弦楽団の指揮者であったマーラーの肖像画などが掲げてありました。

 横道にそれましたが、ボックス席にむかう階段をのぼり、途中、ボーイさんがまた立っています。この人は、プログラムを売っています。通常、プログラムを買った後、「つりは、いらねえぜ」、といってお釣りをうけとらないのが慣習なのですが、そのとき、つい受け取ってしまうという失敗をしてしまいました。

 そして、まあ、とにかく、ボックス席へ入ったのです。(つづく)
(2001.6.10)


ウィーン・ザルツブルク音楽紀行11
あこがれのボックス席でオペラを観る(2)

 ボックス席は、小部屋のようになっている。

 ボックス席の入り口より入ると、まず、コートを掛ける場所があり、そして、奧に入っていくと、舞台が見える。席は、2〜3列あり、前列は舞台がよく見えるのだが、後列は、観ている間、ずっと立っていないと舞台がみえない。実際、後ろの席のおばさんは、ずっと立ってみていた。少し、かわいそうだった。後ろの席は、それ用に非常に高い椅子だった。コントラバス用の椅子に近い感じ。


 通常、ここで演奏を聴く際は、スーツを着ることになっているのだが、写真の右上の、数百円の席では、Tシャツにジーパンという人も数人、見受けられた。


 しばらくして、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏が始まる。キュッヒルさんと思われる人(コンサートマスター)が、通常、トップサイドの人が座る席に座っていた。オペラでは、この方が都合がいいのだろうか。

 演目は、プッチーニのトスカ。話の内容としては、悪代官がトスカに関係を迫り、最後にトスカが身を投げて死んでしまうといったような悲劇。内容は、ともかく、途中にチェロ4人のみが延々ソロを奏する場面があり、自分的にかなり聴きごたえがあった。


 「楽しい時」は、早くすぎるというもの。これが、昔からずっと観てみたいとあこがれていたものか、という感じであっけなく終わる。


 自分の、とある先輩は、とにかくオペラを観る目的で、新婚旅行でここに来て、1週間、見続けたそうだ。


 歌劇場内は、豪華絢爛という感じなのだが、外観は、若干、黒ずんでいて、少々、汚いともいえる。まあ、そんなことは、あんまり書くべきじゃないかもしれないですけどね。でも、歴史を感じさせる重厚な建物でした。



(2001.6.10)


ウィーン・ザルツブルク音楽紀行12
悲劇の歌劇場設計者

 ウィーンの皇帝が、その国立歌劇場(シュターツオーパー)が出来上がったのを見て、ひとこと、「ちょっと小さいな」と言ったという。さらに、市民の批判と嘲笑の的になってしまい、設計者は、自殺してしまったそうです。


 なんとも、その当時の皇帝のひとこと、というのは、重かったのでしょうね。


 しかし、日本で、それと同じものを、今、作ろうと思ったら、むちゃくちゃお金がかかるだろうし、まず、作れないでしょうね。それくらい、すごかったですよ。へええええ〜、、、、、という感じでしたよ。

 今では、ウィーン市民に愛されている様ですけどね。
(2001.7.1)


ウィーン・ザルツブルク音楽紀行13
ベートーヴェンの墓には花がいっぱい

 ベートーヴェンの墓

 ウィーン中央墓地についてこちらに詳しく掲載しました。クリックしてください。



ウィーン・ザルツブルク音楽紀行14
ウィーンで一番の見どころ

 それはやっぱり、ウィーン自体の歴史を感じさせるきれいな建物群と、そして、ウィーン市民の魂、シュテファン大聖堂であろう。

 まず、ウィーン市内に入って驚くのである。なんてきれいな街並みなんだろうと。日本とまるで違う。

 実は、旅行に行く前に、ヨーロッパだったらどこに行くのがよいか、いろんな人に聞いたのだが、チェコの「プラハ」という意見が多かった。プラハの街並みは、群を抜いて綺麗なのだそうだ。なんでも、チェコは、戦争に弱く、他国から攻められたら、いつもすぐ降伏していたのだとか。そのおかげで、美しい街並みが壊されることなく現在も残っているのだそうである。
 
 そんな話を聞いていたので、ホントはチェコも見てみたいなあなんていう気持ちも少しはあったのである。


 ところが、ウィーンに行ってみて、その気持ちは吹っ飛んだ。いや〜、もう、ほんとに綺麗な建物群と街並みでした。日本の建物で例えるならば、日本の国会議事堂が、あちこちにいくつも立っていて、そして、市内の大きい建物、小さい建物、<すべて>が、古めかしい装飾たっぷりの建物、といった感じであろうか。


ウィーン大学 (車窓から) あちこちで馬車も走ってます。車との共存共栄!?。


 岡山市内の建物に例えるならば、中国銀行の店舗をもっと装飾たっぷりにして、市内の建物すべてを中国銀行にした、という感じであろうか。


 その装飾とは、建物のかべから、ニュっと胸像が出ていたり、建物の上に、騎士像がいくつもあったり、いやあ、豪勢でした。しかし、日本とここまで違うとは思ってもみなかった。
 
 そして、聖シュテファン大聖堂。ここの尖塔は、136.7mあり、高くそびえており、非常に大きな教会である。

 なかに入ると、すぐ、右に、<本当に願いがかなうマリア様>がいる。どの人も、かなり、真剣にお願いしている雰囲気だった。

シュテファン大聖堂。あまりにも大きすぎて、真下からは全景が写せず。これは外壁のほんの一部です。 バス車窓から撮影したシュテファン大聖堂。


 また、ここの装飾がまたすごい。石を彫ったものだが、とにかく、その手間もさることながら、すごいとしか言いようがない。とても言葉では書き表せないし、写真でもすべては伝えられない。こりゃ、もう、行ってみてもらうしかないですな。

 そして、その教会の近くに、お土産屋さんなどの連なる通りがある。街頭で、ハープを演奏しているひとがいた。さすが、音楽の都、ウィーン。ヴァイオリンなどをもって歩いている若い人もちらほら。近くに、音楽学校があるからだ。自分は、ここの通りで、ベートーヴェンの胸像、その他、かなりの数のお土産を買った。


 しかし、アジア系、多かったなあ。ここの通りを、3分も歩けば、必ず日本人か韓国人か、そういった感じの人とすれ違った。日本語も多く聞いた。どこでもいるんですね、日本人、、、って感じ。
(2001.7.14)



ウィーン・ザルツブルク音楽紀行15
狂牛病 大まん延の影響が自分にも及ぶ

 ウィーンでフランツヨーゼフ皇帝の好物であったという代表的オーストリア料理「ターフェルシュピーツ」という牛肉料理を食べ損なった。狂牛病対策で、お魚料理に変更になってしまったからだ。

 でも、オーストリア人たちは、全く気にせず、牛肉を食べているらしい。なぜなら、オーストリアは、牛肉を輸入していなく完全に国産牛肉しかないからだそうだ。

 ではなぜ、料理を変更する必要があるか?

 それは、イメージの問題だそうだ。そして、もし何か問題があったとき、責任問題が生じるからであろう。

 残念だけど安心、のような複雑な感じであった。

 


ウィーン・ザルツブルク音楽紀行16
すぐり

  の生ジュースを飲んだのである。ウィーンで食事をしたとき。結構、どこに行ってもスグリのジュースは置いてあった。日本では全く飲むことはないのだが、あちらではそれなりにメジャーなのであろう。

 さて、スグリとはなんでしょう?

 なんと、自分で育ててみたというひとがいるのでご覧下さい。写真付き。育てるのは簡単で毎年豊作だそうだ。そういえば、桃を食ったあと種を植えてみたら実がなったという人の話を以前書いたことがある。その顛末記は、こちら

 
 ともかく、スグリジュースを非常に気に入った私は、ウィーンのスーパーでスグリのティーバックを見つけて買って帰り、今も愛飲している。
 

 まさに今、飲みながらこれを書いている。今飲んでいるのは、厳密には、スグリフレーバーの紅茶だが・・・。色は若干ムラサキで、味はかなりスッパイ。スッパイ物好きの私にはおいしく感じるが、好き嫌いはあるだろう。

 なお、あちらでは、ヨハネスベア(johannisbeere)というので、注文の際は、それを注文してください。
(2001.8.18)


ウィーン・ザルツブルク音楽紀行17
<まちかどのポスター>

 

 サヴァリッシュ指揮 ウィーン響のポスターです。曲は、ブルックナーの交響曲第八番のように見えますが、いかがでしょう。

 日本の街角に張り付けてあるポスターよりだいぶおしゃれな気がしました。柱やその背景をふくめて。
(2002.7.20)



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