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沖縄フィールドワーク勉強会 レジュメ@ かわ作成
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T 沖縄の自然・文化
1 北部(やんばる)の自然
@山原(ヤンバル)の森
◇ ヤンバルとは... → 沖縄本島の北部地区を呼ぶ
琉球王府時代〜現在の沖縄本島北部地方とその周辺離島の別称。現在の自治体では北から国頭村・大宜味村・東村・名護市・今帰仁村・本部町・宜野座村・恩納村・金武町・伊江村・伊平屋村・伊是名村の12市町村からなる。山深く自然に恵まれたことから、山原(やんばる)と呼ばれている。
◇ 亜熱帯降雨林に覆われた素晴らしい森
A名護市
◇ 田んぼが多く残る
◇ ゴーヤーを多く生産 → 沖縄県の戦略的品目として、生産拡大が図られつつあるゴーヤー。ビタミンCたっぷり。
◇ ゴーヤー膳 → 家族の健康を考える女性がもっと美味しくゴーヤーを食べて欲しいと考案したのが「ゴーヤー膳」。ゴーヤー膳は地域の特産物をふんだんに使い、なんと1本分のゴーヤーが、丸ごと食べられるとか・・・。
B国頭村
◇ 奥茶 → 日本一早いお茶摘みの地。濃厚で味わい深いお茶を生産。ビタミンCがたっぷり含まれた栄養価の高いお茶を愛飲できる。
◇ 肉用牛 → 国頭村は、水と緑の調和のとれた牧歌風景が多く見られ、雄大さを味わうことができる。
◇ ヤンバルクイナ → 国頭村の山林で新種として発見され、村の「村鳥」に指定されている。
◇ ゴミ廃棄の増加
C恩納村 → 海ぶどう,アテモヤ,コーヒー
2 中部(なかがみ)の自然
@緑豊かな美しい景観
Aチャンプルー文化発祥の地 → 個性豊かな伝統文化
B「なかがみ」5市5町3村 → さとうきび,イグサ,葉タバコ,ヤマグスク茶,甘藷
◇ ヤマグスク茶 → 「山城茶」は沖縄在来のお茶で、香りが良く、ビタミン豊富で人気がある。
◇ 甘藷 → 嘉手納町から全国へ広がったという歴史があり、お米の代わりに主食としてイモを食べた時代もあったとか。品種も多く、なかでも紅芋種はポリフェノール(抗酸化作用)を多く含む食品として好まれている。
3 赤土流出の問題
@3K経済 … 公共事業,観光事業,基地事業
沖縄経済の特徴について、しばしば、3K(公共事業、観光、基地)経済といわれる。その公共事業に関連して、1972年5月15日の復帰後、いわゆる復帰特別措置として10年ごとの沖縄振興開発計画が策定・実施されてきた。
A第3次振興開発計画(1992〜2001年)
昨年までは第3次振興開発計画が促進された。このような計画は、広大な米軍基地が復帰後も引き継がれたまま、高率(国庫)補助の下で押し進められてきた。いわゆる国際都市形成構想や全県自由貿易地域化構想も、ポスト三次振計をにらんだ構想ともいえる。このような開発を振興させる計画が、赤土流出の大きな原因となっている。
B沖縄県赤土等流出防止条例
しかし、同条例施行の約1年後の1996年11月25日、度重なる赤土汚染や自然環境の破壊を憂慮してきた県民有志が原告となって沖縄県知事を相手に、林道建設、土地改良事業に対する公金支出差止請求が那覇地方裁判所に提訴され、現在係争中。この裁判は、沖縄の公共事業のあり方を問う裁判ともいえ、赤土等流出防止条例のもつ限界、赤土等流出問題の深刻さを反映している。
4 泡瀬の干潟
@位置そのほか
◇ 沖縄本島中部に位置する沖縄市泡瀬干潟には、数種の海草(うみくさ)からなる藻場があり、限られた大潮の日、大草原となって海から現れます。ここを歩くと、泡瀬干潟には海草藻場を中心に、多種多様な生き物たちがすんでいることがわかります。
◇ これまでに、沖縄本島の干潟は次々と埋め立てられきました。その結果、本島中南部では、この泡瀬干潟が最後の大規模な干潟となってしまったのです。しかし、この海にも埋立の計画があります。満足な環境影響評価も行われないまま埋められようとしているのです。
A複雑で繊細な自然環境
この干潟には、海藻藻場のほか、泥・砂・サンゴ礁の干潟やサンゴ礁も広がっています。それぞれの環境はパッチワーク状に複雑に入り組み、微妙なバランスのうえに成り立っています。そして遙か昔からずっと安定的に存在してきました。沖縄市という大都会に、これほど繊細で変化に富んだ自然環境が残されていることは、奇跡的といえるでしょう。
B多様な生物たちが生息
このような環境には、多様な生物がすんでいます(某団体<アセス>の追加調査によると藻場の貝類を中心に210種以上が見つかっている)。その中には絶滅が心配されている生物も数多く見られます。
◇ 細かい砂地には、前に向かって進行し、驚くとクルクルと螺旋を描いて砂に潜るミナミコメツキガニがいる。
◇ 海草藻場にはどっしりと大樹のように生えるハボウキガイがいる。
◇ その近くには黒くてつやつや光るムール貝のようなホソスジヒバリガイがたくさんいる。
◇ 透明度の高い海にしかすめないハート形をしたリュウキュウアオイガイがいる。
◇ 美しい赤瓦模様のカワラガイもいる。
◇ この干潟では、その他、クビレミドロやホソエガサといった珍しい藻場も見つかっている。
◇ しかし、これら珍しい生物だけが貴重なのではありません。彼らが生きることのできる多様性の高い環境全体が、貴重なのです。
C海のゆりかご
泡瀬干潟の海草藻場には、琉球列島の藻場としては他に例がないほど多くの種類の底生生物がすんでいます。また、満潮時には、海草に付着したり、隠れたりしているこうした生きものをねらって、多くの魚たちがこの藻場に入ってきます。ジュゴンやアオウミガメも海草を食べに来ることがあると考えられます。そして、藻場は魚介類の産卵・生育の場ともなっています。海草藻場は、豊かな海を支える重要な場所なのです。
D鳥たちの楽園
泡瀬干潟では、125種もの鳥類が確認されています(沖縄野鳥の会調査による)。とりわけ、シギ・チドリなどの渡り性水鳥の渡来数は沖縄本島最大で、チドリの仲間のムナグロにとっては日本最大規模の越冬地でもあります。冬に干潟を歩くと、彼らを間近に見ることができますが、その数と距離の近さには驚かされます。また、絶滅が心配されているコアジサシの繁殖も確認されています。豊かな干潟はこれらの鳥たちにとっても必要不可欠です。
E人々との関わり
この海は、地元の人々にも親しまれています。休日ともなると潮干狩りを楽しむ多くの市民で干潟はにぎわいます。また、生活の一部として、この海でずっと漁や貝とりをしている人たちもいます。それぞれが持つ海に対する自然観、関わり方の知恵、これらの文化は多様な自然育まれてきたものではなかったでしょうか。ここは人々にとっても大切な海だったはずです。
F「泡瀬の干潟」の埋立・再開発
この埋立はバブル期にたてられたリゾート施設中心の計画に沿ってすすめられており、本当に必要なのかは不明である。この貴重な自然環境は、失ったら二度と取り戻すことはできない。埋立によって失うものは何なのか、それによって得られるものは何なのか。あらためて見直す必要がある。
5 ジュゴン
@国際保護動物ジュゴン
◇ 世界自然保護連合(IUCN)のレッドリストでは危急種としてリストされている。
◇ ワシントン条約(CITES;絶滅のおそれのある野生動植物種の国際取引に関する条約)では、最も厳しく規制される付属書Tにリストされている。
◇ 水産庁によって「絶滅のおそれのある野生水産動植物」として絶滅危惧種に指定されている。
◇ 文化庁からは天然記念物の指定を受けている。
A北限のジュゴン
2001年春には,沖縄本島東海域で6頭のジュゴンが目視された。この地域にわずかに生息するジュゴンの個体群は、世界的なジュゴンの分布の上で、現在最も北に位置する。ジュゴンは、南西諸島各地にその呼び名が残っていることからもわかるように、沖縄には古くから、広範囲にわたって分布していたと考えられる。しかしながら、近年の調査では、沖縄の他の海域においてジュゴンの生息は確認されておらず、沖縄本島周辺海域が国内に残された唯一かつ最期の生息地であると見られている。
B普天間基地の移設との関連
基地の移設先として,名護市辺野古の海上案が候補として持ちあがっているが、この基地建設候補地一帯はジュゴンが生息している中核地である。また、キャンプ=シュワブ沖における水陸両用車等を用いた軍事演習は、騒音をはじめとした様々な環境破壊を伴い、環境変化に敏感なジュゴンの繁殖等の生態に多大な悪影響を及ぼしているものと考えられる。ただでさえこうした大きな圧力があるにもかかわらず、基地の移設工事によるこれ以上の環境破壊を許すなら、日本のジュゴンの生息地は壊滅的な打撃を被ることになる。
C国際的な責務
南西諸島の沿岸海域は,世界自然保護基金(WWF)によって「保護すべき生態系」として選定された<グローバル200>のうちのひとつであり、その貴重な自然が世界的に評価されている。普天間基地の移設によってジュゴンの生息地を破壊し、日本のジュゴンの絶滅を招くことは、単に貴重な動物種を失うということだけではなく、国際的にも大変恥ずべきことと考えられる。世界的にも貴重な沖縄の自然を守るという観点から、名護市の東側海域に生息する日本最期のジュゴンを守るということは、日本政府の果たすべき国際的な責務であると考えられる。(by北限のジュゴンを見守る会)
Dジュゴンの生態
◇ 海に生息する哺乳動物。
◇ マナティーなどと同じ海牛目に属する。クジラ目に次いで水中生活に適応している。日本に唯一生息する海牛目である。
◇ ジュゴンの行動や生態といった詳しいことは、ほとんどわかっていない。
◇ 分類 … 動物界・脊椎動物門・哺乳類・海牛目・ジュゴン科・ジュゴン属・ジュゴン。
◇ 分布 … 東側の北限は南西諸島、西側の北限は紅海とペルシア湾。
◇ 地方名 … 南西諸島全域では「ざん」・「ざんのいお」・「あかんがいゆ」、宮古諸島では「よなたま」、新城島では「ざぬ」、西表島では「ざの」、琉球王府公用語では「けーぼ」と呼ばれる。
6 絶滅のおそれのある野生動物達
@沖縄県には、数多くの固有種(限られた特定の地域に分布する種)が生息している。
◇ 日本本土には分布しない生物が数多くみられる。
◇ また県内でも、八重山諸島と沖縄諸島では分布する動物の種類に大きな違いがある。
◇ その固有種の多くは、「沖縄島の北部地域のみ」とか、「伊平屋島のみ」とか、日本地図上では分布が指し示せないほど、狭い分布エリアしか持っていない。(たとえ県内全域に生息する種でも、そもそも沖縄県の面積は23000ku弱しかない)
A「日本の絶滅のおそれのある野生生物−レッドデータブック−」
もともと生存基盤が脆弱、開発・移入種・採集圧などの影響 → 多くの種が絶滅の危機に瀕するようになっている → 環境庁は1991年、「日本の絶滅のおそれのある野生生物−レッドデータブック−」を発行
◇ 脊椎動物編(哺乳類・鳥類・爬虫類・両生類・淡水魚類) … 国内に生息する既知の脊椎動物を1243種とし、その中の283種が絶滅のおそれがある野生動物として記載。(生息状況からカテゴリー区分されている)
◇ 無脊椎動物編(昆虫類・貝類・甲殻類・その他) … 国内に生息する既知の無脊椎動物を33776種とし、その中の410種が絶滅のおそれがある野生動物として記載。
B「沖縄県の絶滅のおそれのある野生生物」
沖縄県は1996年「沖縄県の絶滅のおそれのある野生生物」を発行。
◇ 植物896種(菌類、藻類、蘚苔類、シダ植物、種子植物)
◇ 動物484種(哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、淡水魚類、甲殻類、昆虫類、クモ型類、ムカデ・ヤスデ類、陸・淡水貝類)
7 カーと水の文化
@カーとは... … 地下水がわき出た所、人間のほった井戸。
Aカーの種類
◇ 村ガー … 地いきの人々が共同で使う井戸。
◇ ウブガー … 産まれたばかりの赤ちゃんの額に水をつける、ミジムイとかウビナディ(水なで)とよばれる儀式が沖縄にある。ウブガーとはそのための水をくむカー。
◇ ヒージャーガー … 地下から涌き出る水を「かけひ」や「とい」で受けて流す泉。
◇ クラガー(暗川) … 洞窟の中などからわき出る泉。暗い場所にあることからこう呼ばれる。
Bカーの文化的役割
◇ 地域住民の出会いの場であり、情報交換の場でもあった。
◇ そこに集まった人々は、水を飲んだりくんだりしただけではなく、さまざまな話をしながら野菜を洗い、洗濯物を洗い、クワなどの農具を洗った。そこは、近所の人々が毎日顔を合わせる、コミュニケーションの場でもあった。
◇ こうして地域の人々と共に生きてきたカーは、水道が各家庭に引かれるようになったつい最近まで、人々の生活を支え続けた大切な場所であった。
C一人当たりの雨量は全国平均の約半分
亜熱帯海洋性の沖縄の気候は、平均気温が22.4度と1年中暖かである。
年間に降る雨も約2139mmと、全国平均の1714mmを上回っていて、全国でも雨の多い地域だと言える。しかし、人口密度が高いため、県民一人当りの雨量は、全国平均の約6割ほどしかない。また、年間を通して雨は降るが、半分以上は梅雨時の5・6月と、台風シーズンの8・9月に固まっている。そのため、夏に台風が来て雨が降らないとすぐに水不足になる。このように雨の量は不安定だと言える。
D増え続ける人口と水の需要
沖縄県の人口は、終戦後の1946年には約50万人であった。本土復帰した1972年には約96万人になり、1998年には約130万人となった。52年ほどで約2.6倍に増えているのである。一方、私達が使う水の量も年と共に増え続け、1日に使う水の量は、本土復帰のあとの28年間で約2倍になっている。それは、人口や観光客の数が増えたこと、生活スタイルや人々の好みなどが変化したためで、今後も水の使用量は増えると見られている。
E短くて角度が急な川
島という地形のために沖縄本島の川はどれも面積が小さく、流れる水の量も少なくなっている。また長さも短く角度が急なため、雨が降っても集まった水がすぐに海に流れ出てしまう。川の水の量も不安定だと言える。
8 沖縄の伝統工芸
@琉球文化の繁栄 → 独特の伝統工芸
15世紀に成立した琉球王朝は、中国との朝貢貿易を中心に朝鮮・日本・東南アジア諸国との交易と文化交流をを通して、独特な王朝文化をつくりあげた。とくに中国からは、朝貢国として破格の待遇を受け、多くの文物と各種の技術が伝たわった。そのひとつが琉球の漆芸だと考えられている。
A琉球漆器 → 豪華な漆芸品を製造,15世紀以降(←中国より流入)
16世紀には琉球独自の優れた漆芸品が生産された。当時の琉球漆器には、細密な線彫りの沈金や、のびやかに文様を描いた朱漆螺鈿(しゅうるしらでん)などがある。1609年に琉球王国は薩摩に征服されたが、漆芸は、その支配下でも日本の影響を巧みに受けとめながら螺鈿を中心に独自の発達をとげた。王府の奉行所では、将軍家への献上品や諸大名への贈答品、あるいは中国皇帝への朝貢品として、黒漆に精巧な螺鈿の作品が製作された。このようにな豪華な漆芸品で、王国の外交はきらびやかに飾られていた。
例1) 朱漆恵比須文箔絵鯛形食籠(しゅうるしえびすもんはくえたいがたじきろう)
例2) 黒漆葡萄栗鼠螺鈿箔絵箱(くろうるしぶどうりすらでんはくえはこ)
B沖縄戦後美術(←琉球文化の流れは断絶!)
沖縄戦後美術の特色
◇琉球王府時代の絵画の伝統は断絶 → 日本本土から入って来た洋画が主流である
◇モダニズムの受容 → アンティ・モダニズムが群として出てこなかった
→ 土着的前衛グループを生まなかった
◇政治的・社会的メッセージ性のある作品が少ない
◇日本的な画壇のヒエラルキーがない
例) 金城馨の樹脂美術
9 伝統芸能(=音楽・舞踊)
@14C〜15C : 「三線(さんしん)」伝来
14世紀から15世紀にかけて中国から伝わった楽器。その後、いろんな工夫と改良が加えられて、琉球音楽にはなくてはならない楽器となった。15・16世紀には民俗楽器として大いに広まった。歌謡をサンシンで伴奏をつけることによって、宮廷音楽が大いに発達した。古典音楽が誕生したのもサンシンの力が大きい。また、島唄もサンシン音楽である。
A16C : 琉歌の成立
和歌に対して言われるもの。奄美や沖縄諸島に伝わる抒情的な表現で創作される。<八八八六>型で謡われる短い歌謡。オモロなどは叙事的歌謡である。沖縄諸島に古くから伝わる古謡やオモロやは琉歌のもとだと考えられている。
B17C : 宮廷音楽の隆盛
◇古典音楽 ← サンシン・琉歌の大きな影響
◇御座楽 … 琉球王朝時代の宮廷音楽。江戸上りや冊封使の歓待のために演奏された。
御座楽は、宮廷のなかで、しかも限られた人たちによる室内楽であったために、一般大衆にはあまり伝わらなかった。廃藩置県の後、次第に途絶えていった。
◇路次楽 … 中国から伝わった"道中楽"のこと。
首里城内での儀式や国王が城外へ出かける時、また江戸上りの際に行列をしながら哨吶(つおな=チャルメラ)を吹き鼓を鳴らして演奏する。県選択無形民俗文化財。
C20C : 新しい音楽
新しい沖縄音楽というのは、ここでは終戦前後に勢いを得てスタートした島唄の次に出てきたジャンルを指している。とくに1990年前後、沖縄の若者たちの音楽がワールド・ミュージック・シーンのなかで注目されたオキナワン・ポップスを中心にしたものだ。厳密に言えば、新しい沖縄音楽は幅広くとても定義づけられない。ここでは、沖縄の伝統文化のなかで育ってきた現在の若者たちの一番新しい音楽ということにする。沖縄的要素を含んでいるもので、ミュージシャンが単に沖縄の人であるとか、または曲が沖縄に関するものであるというのは省いてある。沖縄的要素とは琉球音階と沖縄の歴史や社会背景を指している。
D琉球舞踊
◇古典舞踊(宮廷舞踊) … 首里王府によって庇護・熟成された。中国からの使者や薩摩の役人の前で踊られた。芸能を外交政策の重要な柱として位置づけた王府は、踊り手を全て士族の男性エリートとし、「踊奉行」を置くなど歓待芸としての「宮廷舞踊」をより洗練させて行った。
◇雑踊り(ゾウウドゥイ) … 廃藩置県後に禄を失った役人舞踊家たちが芝居小屋で役者となり、庶民の生活や想いをテーマに革新的な舞踊を作り上げた。
◇民俗舞踊 … 琉球の島々や各地に継承され、今も祭祀舞踊としての趣を色濃く残す。
◇創作舞踊 … 戦後の舞踊家たちによる。古代からの舞踊の伝統の要素を取り入れ、現代に生きる私たちの姿を写しとろうと今も創作されつづけている。
10 沖縄の民俗
@沖縄の伝統的な住まい
沖縄の伝統的な住まいは、屋敷と建物で構成されている。石垣や生垣などで囲った屋敷は、一般的に南側の道に面し、中央に門が開けられる。門には扉がなく、ヒンプン(ついたて)を置いて、外からの目隠しにしている。屋敷内の中央やや後ろ寄りに、母屋(または主屋=おもや)と台所が建つ。母屋とヒンプンの間の空間は中庭(ナー)である。母屋に向かって右手の東南側に、「アシャギ」(前の家=メーヌーヤーとも呼ぶ)という別棟の家を建てているが、ふつうは母屋と縁続きになっている。農家では、中庭の西側に農作物を貯蔵する高倉があり、台所左手の南西側には畜舎や納屋がある。その後方に、豚の飼育小屋を兼ねた石造りの便所「フール」があった。母屋の裏にある「アタイ」と呼ばれる空き地では、自家用の野菜などが栽培された。井戸は台所の南側にあった。
◇本家(ムートゥヤー)の住まい … 首里・那覇のムートゥヤーは、かつてはその一族の身分によって建物の規模が異なっていた。しかし、本家であるだけに、どの家にも二番座敷(仏壇の間)に大きな仏壇があり、一族の先祖代々の位牌と香炉が安置されていた。
◇地頭代の住まい … その村の政治を行なう村の有力な百姓。首里・那覇の士族と同様な規模の住まいを持つ人もいた。部屋は一番座・二番座・三番座と板の間・台所があり、アシャギという離れ座敷のあるところもあった。
◇ノロの住まい … 首里王府から辞令を受け、村のまつりや神事をつかさどる神女のこと。琉球王国時代には、ノロには一定の土地が与えられ、その住まいはノロ殿内(ドゥンチ)と呼ばれた。神アシャギという、神棚と火に神(ヒヌカン)をまつった離れ座敷を持つのが特徴とされる。
A沖縄の人々の暮らし
「沖縄の人々の暮らし」のなかで最も重要な位置を占めるのは、祖先崇拝である。仏壇に祀った祖先の霊(祖霊)をあがめ拝むことは、日常的に行なわれ、台所に据えた火の神(ヒヌカン)に手を合わせ、家の繁栄や豊年などを祈願する。年中行事としては、旧暦の3月に行なわれる祖先供養の清明祭(シーミー)や盆などがある。祖先崇拝は沖縄固有の信仰において核を成してはいるが、古来の信仰もまた、暮らしのなかに息づいている。それは人の誕生から死までの様々な儀式に見ることができる。
◇モーアシビー … 人々の暮らしのなかには、信仰だけでなく、数多くの楽しみもあった。その一つがモーアシビーと呼ばれる、青年男女の交際の場である。そこでは、思い思いに集まった若い男女が、三線(サンシン)を弾き、歌い、踊り、語り合った。モーアシビーを通して結婚にいたるケースは多いが、士族の娘は親が結婚の相手を決めていたので参加を認めなかった。
◇カジマヤー … カジマヤーとは風車を意味する方言であり、この年になると誰でも童心に帰るということから、旧暦9月7日になると数え年97歳の長寿祝いが、風車を飾って盛大に行われる。カジマヤーは、12年ごとに行われる生年(せいねん)祝い(トゥシビー)のひとつで、ほかに13・25・37・49・61・73・85歳がある。かつてはこの年を厄年と考え、家の守護神である火の神(ヒヌカン)や祖先の霊に祈願したり、人々を集めて祝宴を開いたりした。
◇そのほか出産・命名・誕生祝いもかなり特徴的である
B沖縄の信仰
沖縄では古来、宇宙をつかさどり創造の神である天帝、海の彼方にあるニライ・カナイからの来訪神、加えて琉球神話の神であるアマミキヨの三つの神を最高神とし、その最高神のもとに様々な神が宿り、人々の暮らしと結びつくと信じられてきた。最高神への取次役とされるのは、各家庭の台所にまつられる火の神(ヒヌカン)であり、まず最初に拝まれる。神をまつる聖地である御嶽(ウタキ)には、村や村人を守護する神がいると考え、作物の豊穰などを祈った。また泉や井戸、大木や巨石にも神が宿ると考え、悪霊からの守護を祈願した。一方、古来の信仰は外来の信仰と相まって変容していく。13世紀の後半に日本から仏教が伝わり、14世紀末には中国との交流が盛んになり、その後もさまざまな信仰や習俗がもたらされた。そのため、古来の信仰と、それに伴う神事や祭事は複雑に混ざり合い、独自の信仰を形作ってきたといえる。
C信仰と暮らしの関連
沖縄では信仰と暮らしが密接に結び付いている。13世紀半ばすぎに仏教が伝えられて以来、儒教・道教・神社神道・キリスト教などの宗教が、相次いで沖縄に伝えられたが、その多くは沖縄古来の民間信仰や習俗などと相まって、重層複合的に暮らしのなかに根付いたといえる。祖先祭祀と御嶽(ウタキ)信仰をおもな内容とする沖縄の信仰は、時代とともに変化しつつあるものの、現在でも民衆の習俗として定着しており、その実例は住まいや日常生活、御嶽(ウタキ)、祭事、俗信などに数多く見ることができる。
◇神アシャギー … 神を招き、祭事を行なう場所のこと。建物は、四方とも壁のない四柱造りの竹茅葺きだが、現在ではほとんどがコンクリート建てとなっている。琉球王国時代、裕福な民家では、王府からの来賓などをアシャギと呼ぶ離れで迎えたことから、神アシャギは神へ「アシー(飲食物)」を差し上げ歓待する場という意味ではないかと言われている。
◇御嶽(うたき) … おがみ山・森(ムイ)・グスク・ウガン・オン・スクなどと呼ばれる聖地の総称。これらの御嶽のうち、どの村でも見られるのは村の愛護神の御嶽で、そのためか村の背後にある村の宗家(根屋=ニーヤー)に接している。
◇獅子 … 一般には屋根に据えた屋根獅子のことをシーサーと呼び、村の入り口などに置かれた石造りの獅子を石獅子と呼ぶ。獅子は13〜14世紀にかけて中国から伝わった魔除けである。屋根に置かれる獅子(シーサー)は、瓦葺きの普及によって屋根に据えられるようになった。しかし、瓦屋根が減少し、鉄筋コンクリート建ての住まいが増えた現在、石獅子に代る家の守護神として、門柱や玄関など、さまざまな場所に居どころを移している。
◇石敢当(いしがんとう) … 災いを除き、福を招くとされる石柱。沖縄だけでなく北は青森県まで分布しているが、最も多く見られのは沖縄である。
◇墓 … 墓は、その地の地形に大きく左右される。海辺の村では海岸の洞穴を利用し、山村では岩山の洞穴を利用する。また、所有形態のうえから村墓・模合(もあい)墓(知人・友人)・門中墓(親族)・兄弟墓・家族墓に分類できる。それぞれ共同墓地である。墓の形は、横穴式と平地式に大別でき、横穴式は、自然洞穴を利用した洞穴式と、人工を加えた掘込式に細分される。
◇厨子甕(ずしがめ) … ある期間経過した遺骨を取りだし、「洗骨」によって洗い清めたあと、あらためて納める容器。洗骨葬が行なわれる地域、ほぼ沖縄全域と奄美大島に分布。墓と同様に、死者の家であると考えられている。
D沖縄の昔話
沖縄の「むかしばなし」は、気候・風土に包まれ、育まれてきた先祖たちの息吹きを身近に感じさせる。 毎年行われてきた「年中行事」にも、どうして行われるようになったのか、誰にもわかりやすい理由が語られている。風土といえば、厳しい自然条件にあった先島地方には恐ろしいマラリアという病気が蔓延していた。そのことは「野底マーぺー」の物語に伺える。実はマラリアが撲滅されてからまだ40年もたっていないのである。また、かつて「琉球王国」として独立していた時代の話には、よく王様が登場しているが、その城に仕えていた優れた人たちの話もある。ただ偉いというだけではなく、いかに知恵者だっかたを伝える、いわゆる「とんち話し」に仕立ててある話が「渡嘉敷ペークー」である。「琉球王国」は中国・日本・朝鮮・東南アジアなどと盛んに交易することで、富を築きあげた。そのため、船にまつわる話も少なくない。「ニワトリとムカデとりゅう」はそのような時代を背景とした話である。さて、日本の各地には「羽衣伝説」があり、静岡県清水市にある「三保の松原」が有名である。これと同様に沖縄にも「羽衣伝説」があり、独特な楽劇として知られる「組踊」にも「銘苅子(メカルシー)」がある。母と子の切ない別れのシーンが胸を打つ。
11 沖縄の歴史的・文化的な遺跡(代表例のみ)
@石畳道 … 王国の各地を結ぶ交通路で、各地に存在した。
A首里城 … 琉球王国時代の国王の居城。廃藩置県後には熊本鎮台沖縄分遣隊が兵所として使用したが、保存運動により「沖縄神社拝殿」として国宝に指定された。沖縄戦では第32軍司令部が置かれたことで米軍の攻撃を受け消失。戦後は琉球大学が開校。本土復帰20周年を記念して1992年に再建されたが、城壁や門の一部は、現在も発掘・再建中。
B識名園 … 首里城南にある琉球王国時代の別邸。別名「南園」。17世紀末に完成したが、沖縄戦では陸軍病院分院として使用されたため、米軍の攻撃を受けて灰燼と帰した。面積約7152坪の廻遊式庭園で、中国風の六角堂や琉球石灰岩を用いるなどの特徴がある。
C御嶽(うたき) … ほとんどは集落の背後の森の中にあるが、もともとは「安全な場所」「水のある場所」という意味らしい。ここには、村の人びとの祖先である祖霊神がまつられており、祭りの際には神女によって祈られ、「神歌」が語り継がれていた。
Dソテツ … 16世紀の薩摩進攻からWWU前の沖縄産業はサトウキビ栽培が中心であった。WWT後の恐慌の際には砂糖の相場が暴落し、生活に困窮した住民は本土や海外への移住を余儀なくされた。身売りも公然と行われた。食べ物に欠いた住民は、猛毒のソテツを煮沸して口にせざるをえない状況となった。当然、毒で死亡する者も数多かった。これを「ソテツ地獄」という。押しつけられた「モノカルチャー経済」の悲劇である。
E亀甲墓 … 沖縄は祖先崇拝の強い場所とされる。亀甲墓は女性を型どり、死後は生前に戻るという考えからきているとされる。沖縄戦ではこのような墓に隠れた人々も多く、中にはその記憶を想い出すことを恐れ、墓参りに行けない人もいるとか。亀甲墓は、特に沖縄本島の中南部に多い。
F石敢当(いしがんとう) … 家々の角などにはめ込まれたり、置かれた石に刻まれている。魔除けやおまじないの意味がある。
G仲泊遺跡 … 沖縄の古代である貝塚時代中・後期の遺跡。人びとは岩陰に住んでおり、近くに貝塚がある。 沖縄では多くの遺跡が未調査であるが、これは戦争での破壊のほか、遺跡の多くが現在も米軍基地内にあることや、米軍が施設建設などで遺跡を破壊してしまったことなどによる。
H国際通り … 沖縄のメイン・ストリート。この通りに、沖縄が凝縮されているといえる。周辺には、地元紙「琉球新報」や沖縄県庁、那覇市役所、「パレットくもじ」などの大型商業施設、土産物店や米軍流出品販売店がある。夜になると、米兵が大音量のカーステレオを鳴らして車で行き交ったりもする。
12 石の文明
@日本の木の文化に対して、沖縄は石の文化である。
A"グスク"に代表される古代遺跡から、現代建築に至るまで、石を美しく利用することこそ沖縄建築の最大の特徴である。歴史以前から現代まで脈々と続く沖縄文化のオリジナリティを感じることが、沖縄文化を理解するための第一歩である。
B沖縄では「城」と書いて"グスク"と読む。
本土の大阪城や愛媛城のようなものをイメージしてはいけない。
→ むしろ、ピラミッドやマチュピチュに代表される巨石文明遺跡のイメージに近い。
こぢんまりとした祠のようなものを"グスク"と言うこともある。
そもそも、現在もなお"グスク"という言葉の由来は分からない。(霊場説・集落説などがあるらしい)
例) 中城
首里城に次ぐ巨大グスク。首里城は先大戦で完全に破壊されてしまい、現在のものは最近修復されたものであるから、中城こそ現存する最大のグスク遺跡であるといえる。15世紀半ば、それ以前からあった中城に大規模な増築を施して、現在の姿になったといわれている。ちなみに北部の名城・今帰仁城も、記録に残っている歴史以前の大遺構の上に増築されたものとされているのだが、どちらも旧城の成り立ちについてはほとんど何も分かっていないらしい。
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