NHSの問題点(4)


●イギリス人の職業人気質と役割の細分化

イギリス人の知り合いに医療サービスの話をすると、「NHSはシステムが悪いから十分に機能しないのであって、個々の医師は優秀だ」という言葉が返ってくる。NHSの関係者はホームページや刊行物の中で、「保守党による長年の医療費抑制政策のために困難な状況が続いたが、それでも我々はこれまで上手くやってきた」と自己弁護する。
 しかし、確かに他の欧米諸国に比較すると際立って少ないが、人口当たりの医師数も対GDP比の医療費支出も、日本と比べればさほど変わらない(下図)イギリスの病院のみに長いwaiting listが存在し、日本では考えられないような病院内での医療ネグレクトが生じる理由を、医療システムの不備だけで説明することはできない。

 

イギリスにしばらく生活したことのある人ならば皆多かれ少なかれ、イギリスのサービス業全般における従業員たちのプロ意識の低さを感じたことがあるだろう。
 各々の従業員は割り当てられた仕事だけを自分のペースで淡々とこなす。そこには顧客本位という言葉やサービス精神は存在しない。商品について彼らに尋ねても、秋葉原の店員たちのような的確な情報が返ってくるわけではない。品切れ品を注文しようとしても取り合わない。値札を付けている従業員に商品の売場を尋ねたら「忙しいから」と顔をしかめられることすらある。自分の休息を優先し、客を待たせることに呵責を覚えない。長期休暇を取る従業員がいても同僚たちはその仕事をカバーせず、用のある顧客は担当者の休みが明けるまで待たなければいけない

こういったイギリスのサービス業に見られる不条理は、病院の医療サービスにもそのままあてはまる。

医療スタッフがTea timeを理由に患者を待たせることは日常的である。
 10人あまりの患者がおとなしく座っている待合室の横を、紅茶を注ぎにいった医師がそれをこぼさないようにと大事そうにマグカップを持ってゆっくりと通り過ぎる。
 産院に入院している妊婦の陣痛が強くなったが、平日の昼間にもかかわらずmidwife(助産婦)が全員休憩時間に入っていたために、一人残された夫が立ち会って自ら臍の緒を切る。
 いずれも私が実際に見聞きした話である。

日本ではインフルエンザ・シーズンともなれば患者が山のように外来に押し寄せ、少しでも患者の待ち時間を減らすために医師たちは寸暇を惜しんで応対することになる。
 しかし、イギリスの医療スタッフは診察を希望する患者の数が増えているからと診療時間を延長したり、時間内により多くの患者を診療しようとはしない。結果としてインフルエンザで受診できるのは発症した数日後で、その頃までには熱も下がっている。

また、たとえば引越しにともない、妊婦が新しい病院にかかることになったとする。日本ならば電話で簡単に予約を取り、紹介状を持って産婦人科の開業医や総合病院を受診すれば、ひととおりの診察を受けたあと、必要があればその場で超音波検査も受けて結果を聞くことも可能だろう。
 ところがイギリスではまずかかりつけ医(GP)に登録し、GPからの紹介で何週かあとに産婦人科医を受診し、その産婦人科医の依頼で何週かあとに超音波検査のために検査技師のもとへ行き、更に何週かあとに産婦人科医のもとで検査結果を聞くという患者の側からみると一大仕事となってしまう。
 イギリスの医療機関では全般的な一次診療を行うかかりつけ医、より高度な二次医療を行うNHS病院の医師、病院の中で採血を担当する者、検査をする者、検査結果を評価する者etcと、それぞれの役割が細分化している。しかし、その連携はスムーズとは言えず、伝達の不備から情報が紛れてしまうことすらある。
 結果として不必要に待たされた患者が被害をこうむるが、当事者たちの役割が細分化しすぎているために責任の所在が不明瞭である。患者は謝罪を受けられればいいほうで、埋め合わせを期待することは難しい。

私はイギリス人のこういった職業人としての責任感の欠如や、細分化しすぎた役割分担もwaiting listや医療ネグレクトの理由ではないかと考える。