世界のトップマシャー達

第1回 カール・ハンティングトン
第2回 ジョージ・アトラ
第3回 チャーリー・シャンペーン
第4回 テリー・ストリーパー
第5回 ロキシー・ライト
第6回 エディ・ストリーパー
第7回 ガレス・ライト
第8回 ハービー・ドレイク
第9回 ビル・テイラー
第10回 ドク・ランバード

 


 

第10回 ドク・ランバード

ドクター(Dr)のドクがニックネームで正式の名前はローランド・ランバード。遅すぎた(年齢)メージャーレース参戦も、ものともせずRONDY8回、ONAC6回の驚異的な優勝経験を持つ。神様ジョージ・アトラを徹底的に苦しめた男であり、数々の名勝負を作りあげた人だ。1960年前半から1970年の前半にかけ、専門の獣医学を犬ぞりに持ちこみダントツの強さを誇った。またジョージの追撃をものともしなかった。また最後のメジャーレース優勝は60歳の後半だったたという。1960から1970年前半まで(引退するまで)、ジョージよりレベルの高い存在だった。

 


 

第9回 ビル・テイラー

メジャータイトルは2度のONAC優勝。
アラスカでは有名なテイラー一族の大親分。またネイティブマッシャー達のドンでもあり相談役でもある。ガレス・ライトと並ぶ、近代犬ぞりの基礎となるブレッドラインを作った人物。息子はグレッグ(兄)とリッキー(弟)で筋金入りのトップマッシャー。今だにメジャーレース前のトレーニングでは、黒塗りの高級アメ車でトレーニング場に乗り付け、息子達のトレーニングに目を光らせている。多数のネイティブ達が、彼らのチームのサポートをしている事を裏づけに、かなりの影響力があることがわかる。一見恐いが、実はとっても優しい叔父さん。彼が作ったキングサーモンの缶詰はバカ美味!以前、日本を相手にイクラで大儲けしたといわれる(笑)。ひと頃(昔の話)、彼のチームのリードに一度でも使った犬は(レースで)、$20,000はするだろうといわれていた。3年連続アイディタロッド優勝ダグ・スウイングリーも彼から犬を買い、それが当たって今につながってるといわれる。

 


 

第8回 ハービー・ドレイク

メジャータイトルは2度ONAC優勝。
彼もまた数々の名犬を作り、ひとつのブラッドの流れを作った人である。奥さんは1980年後期から1998年まで6〜8ドッグクラスの優勝の常連だったリンダ・レナード。現役最後の1998年、LNACを優勝で飾り惜しまれながらの全盛期引退。彼女の優勝の陰にはいつもハービーのトレーニングレベルの高さが光った。現在、彼の作った犬達は、ロバード・ダウニー、アーリー・レイノルズ、ジェフ・コーンなどが引き継いでいる。’97ONAC優勝のニール・ジョンソンのリーダー犬NALAは、ハウンドと彼の種雄ROCCAの子供。ニールジョンソンはこのNALAと出会って犬ぞり人生が変わったいっても過言ではない。


ハービー・ドレイク、島本さん、リンダ・レナード


 

第7回 ガレス・ライト

メジャータイトルはRONDY3回、ONAC2回
近代犬ぞりに一番影響をおよぼしたブレッドラインを作った人物、それがガレス・ライト。当時彼が作り上げた完成度の高い犬達は基本的にセッターとアラスカンのクロス配合から成り立つ。(多少他のハウンドを使っていた)誰が名付けたのか「オーロラハスキー」と呼ばれる有名な犬達。(ケネル名はオーロラケネル)どんなこだわりがあったのか、それともきちんとしたデータからなのか、当初は赤毛の犬だけ残したと言う徹底ぶりだった。(アイリッシュセッター色)スーパーな犬は80頭の中でたった1頭の確率(1/80)だという。仮に母犬が子犬を8頭生むとすると10頭種付けしてちょうど80頭生まれる事になる。その中の優れた1頭だけがスーパードッグとして活躍出来るそうだ。その中から赤毛のみを残すとしたら、どれくらいの確率なのか想像がつかない。現在の犬ぞり界を代表する優秀な犬達の5代以内に必ず彼の作った犬が入っていると言っても過言ではないだろう。今も娘婿のカーティスエアハーツがその子孫を残し続けている。
馬の世界のサラブレッドという名称は、[THOROUGHBRED]というスペルからわかるように、「徹底的に(THOROUGH)品種改良されたもの(BRED)」という語源からきている。強く速い馬の血を残し、さらに強く速い馬をつくりだす。競馬がブラッド・スポーツと呼ばれるのは、こうして優秀な血統が受け継がれているからなのだ。犬の世界も同じで種雄が素晴らしくても種を貰う雌が良くなければ何もならない。スーパーな種雄と質の良い雌犬のブリーディングで始めてスーパーな犬が出る確率が高くなる。特に走ると言うことにおいて、雌の良し悪しがかなり影響力があるようだ。

 


 

第6回 エディ・ストリーパー

彼のニックネームは「ファーストエディ」 んー、すごいニックネームだ。
アラスカ州の東、カナダの国境から120マイル東にTOKという町がある。そこで一番有名なレストラン兼モーテルも彼のニックネームの「ファーストエディ」が使われているほど有名なニックネーム。僕が始めてアラスカのOPENクラスレースに出場する時、絶対パッシングしたり、されたりしたくないと思った人がこの人だ(笑)。 せっかちで気が短い。僕が彼に対して思った最初の印象だ。1980年代の前半、力が衰え始めたジョージ・アトラのことを、もう過去の人呼ばわりした話や兄との不仲説など、とにかく彼にはいろんな武勇伝(笑)がたくさんある。ある大会のレースミーティングでの会話・・・。レースマーシャルが「パッシングされたら、5分間再パッシングは出来ない。」と言ったところ、すかさずエディがあの早口で「アイディタロッドじゃあるまいし、5分間も再パッシングできないなんてレースが終わっちまうよ!4分で充分だ。」と吐き捨てたのを憶えている。また彼のレースを観察しているとこわいほどの迫力を感じる。
彼のメジャータイトルはRONDY2回、ONAC1回。奥さんのエミーONACで2回優勝しているのでケネルとしてはRONDY2回、ONAC3回ということになる。昔は兄弟仲良くトレーナー(兄テリー)ドライバー(弟エディ)で力を合わせやっていた。今は誰もが知っている犬猿の仲。どこの大会の会場でも兄弟の会話はまったくなし。背中をむき合わせているか、端と端に座っている(笑)。本当かどうかは噂なのでさだかではないが、兄テリーとの仲が悪くなった原因はエミーの「兄弟で協力してやっているのに犬が全てテリーの所有なんてフェアじゃないわ!」といったことが始まりとか・・・。しかししょせん噂、誤解のないように書いておきますがエミーはすごく良い人で僕もレディースマッシャーの中で一番すきな人です。

彼にはこんな一面もあった
僕が’98ONACでの最終日、8秒差の大逆転でカーティスを抑え優勝が決まった瞬間、会場は異様な雰囲気に包まれた。誰もが優勝すると信じていたネイティブのヒーローカーティス・エアハーツが・・・。アジアのレベルの低い日本人が持ち前の運だけで彼を破ってアラスカメジャーレースONACで優勝してしまった。会場中の誰もが思ったありがたくない迷惑な僕の優勝。その雰囲気の悪い中、一番最初におめでとうと、笑顔で握手とハング(抱きつく)で祝福してくれたのが他ならぬエディとエミーだった。僕の存在など鼻にもかけていなかったはずなのに、本当のプロ(勝ったものを称える)なんだなあ。と彼のことを尊敬したことがあった。

 

 


 

第5回 ロキシー・ライト

父にガレス・ライト、妹にはシャノン・エアハーツ、息子にユーコンクエスト優勝者のレイミー・ブルックス。3世代共メージャーレースの頂点を極めている。彼女のレーシングスピリッツはすさまじい。ビッグレースになればなるほど熱く燃えるネイティブ魂を決して忘れない。あの小さな身体のどこにあんなパワーが隠されているのだろうか?メジャータイトルはRONDY3回、ONAC3回。1996年ONACを最後にメジャーレースを引退し、犬の大部分はレイミーが引き継いだといわれる。強いアラスカという砦を最後まで守った人であり、スプリント史上最高の女性マッシャー・・・。それがロキシー・ライトだ。

 


 

第4回 テリー・ストリーパー

カナダが誇るスーパービッグネイムテリー・ストリーパー。弟はエディ・ストリーパー(この兄弟仲が悪い)その妻エミー・ストリーパー(MN出身)、愛息子バディに愛娘サラ。一族そうそうたるメンバーが並ぶ。僕が感じる彼のイメージは「Mr.犬ぞり」または「Mr.犬使い」と言った感じ。巧みに犬達を操り’97ONACの初日、ラインに28頭を繋ぎ犬使いぶりを発揮し観客を沸かせたのを覚えている。彼いわく16頭以下はジュニアかリミテッドクラスだそうだ(笑)。彼の賞歴は素晴らしく、IFSSワールドチャンピオンシップで3度の優勝経験など他にも数えきれないほどの優勝経験を持つ。(今はほとんど愛息子にマッシャーをさせている)

しかし、そんな彼の輝かしい犬ぞり人生でひとつだけ達成できなかった事がある。
メジャースプリントレースのRONDY・ONACにいちども優勝できなかったのだ。この2大レースのトップに立つためには多くの条件が揃わないと大変むづかしい。
優れたマッシャーセンスとトレーニング良い犬達を持っている事維持する為の資金があること、そして何百頭に1頭といわれるズバ抜けたリーダー犬をもつこと、そして。彼はこの全てを満たしていたるはずだった。しかし一番チャンスのあった1995年〜1996年に最後のに見放された。当時HOPという素晴らしいリーダー犬を持っていたにもかかわらず、同じカナダ出身ロス・サンダーソンに1995年RONDYで敗れたのだ。タイム差はたった21秒差だった。
第2ヒートと最終日の第3ヒート、共にテリーはその日の最速タイムを出したのだが、ロスの第1ヒートの貯金(約1分)に追いつかず破れてしまったのだ。皮肉な事にロスのリーダー犬はHOPと兄弟(父が同じセイラー)Victorだった。くやしさもまだ癒えない翌年のRONDYは、なんと雪不足でレースの中止。その年の3月のONACでは、今度はよりによって弟の妻エミー・ストリーパーに最終日大逆転されてしまった。(テリーは2日目までトップ)ついに悲願のRONDY・ONAC優勝は実現しなかった。

現在彼はその夢を息子に託している。
バディなら近い将来必ずこの2大メジャーレース頂点に立ってくれることだろう。

 


 

第3回  チャーリー・シャンペーン

犬ぞり界きっての紳士(脚長おじさん)ことチャーリーシャンペーンは、現役を退いてもシーズンになるとRONDYのテレビ中継コメンテーター,イベントやレースの手伝いなどたいへん忙しそうです。アラスカのマッシャーの半分以上が彼の会社(犬の栄養を考えたミックス肉販売)のお客様です。彼自身RONDY4回、ONAC1回の優勝経験を持ち、彼の前妻(ロキシー・ライト)もRONDY3回、ONAC3回の優勝経験がありますから、同じケネルで通算RONDY7回、ONAC4回の優勝と言う事になります。ほんとに凄いケネルだったのですね。6年前に日本(北海道)に渡ったコルドバ(犬の名前)はロキシーが1993年RONDY・ONACで優勝した時のリーダー犬ですから、ほんとにすごい犬が日本に渡っていったのですね。

余談ですが現在のチャーリーの奥様はリミテッド界のプリンセスというイメージが強いテリー・キラムで、彼女もリンダ・レオナードと同様リミテッドクラスの2大巨頭として長い間活躍しました。(この2人はホントに速かった)


うわっ、足なっげー。


 

第2回  ジョージ・アトラ

伝説の男、犬ぞりの神様・・・と言えばこの人でしょう。
世界2大スプリントレースのRONDY(ファーランデブー世界選手権大会)10回優勝ONAC(オープン・ノース・アメリカン・チャンピオンシップ)8回優勝という前人未到の快挙を成し遂げた20世紀のヒーロー、それがジョージ・アトラです。

しかし彼の少年時代はけっして輝かしいものではありませんでした。幼い頃ポリオで右足が不自由になり、村の子供達と外で遊ぶ事もままならない少年時代を送りました。ジョージは親の仕事の手伝いでも兄弟達に引けを取り、その後、彼自身の仕事(狩猟や魚の漁)にもその右足がハンディとなります。
ある日、苦悩の青春時代に転機が訪れました。大きな街で犬ゾリレースを見る機会があり、その時彼の仕事の運搬用に使われていた犬ぞりが、大きな街ではこんなにメジャーなスポーツとして人気があったことを知りました。自分の新しい道を見つけた20歳をこえたばかりの若きジョージは、そのたぐいまれな天性を発揮し、その時代全盛期だったガレス・ライトレイモンド・ポールなどを抑え見事1958RONDYで初優勝したのです。1960年代、長期に渡り生涯彼の最大のライバルだったドク・ランバードとの戦いはあまりにも有名ですが、今だに彼との名勝負の中でもっとも語られるのが、1969年のRONDYでの死闘、わずか9秒差でドクに負けた時のレースです。その時のすさまじいレースの写真がこちら(phots by maxine vehlow)

   
ランバードとの死闘の末、力が尽き果てソリごと倒れこみ、大会スタッフに抱きかかえられた時の写真です。

しかし、その年のRONDYで負けた借りは、しっかりONACで返しみごと優勝しました。
ところで犬ぞり界の神様ジョージの映画があるのをみなさんご存知でしたか?

 


 

第1回 カール・ハンティングトン

ゴルフ界やテニス界のように犬ぞりスポーツ界にもグランドスラムがあることをご存知ですか?「エッ?知ってた RONDY、ONAC、TOK・・・。」いいえ違います。ちなみにスプリントのビッグレースは昔この3つの大会と言われていましたが、最近は規模の小さいTOKがはずれRONDYONAC世界2大スプリントレースといわれています。(ただしトリプルクラウンはこの3つのことをいう)スプリント、ミッドディスタンス、ロングディスタンス全て含めた犬ぞりレースのグランドスラムです。むずかしいかな?解かりますか?

正解はRONDY・ONAC・IDITARODこの3つの大会を制する事をグランドスラムといいます。歴史上このグランドスラムを手にした男がたった一人います。彼の名はアメリカンネイティブのカール・ハンティングトン1973年にRONDY初優勝。翌年の1974年、何を思ったのか開催まだ2回目だったIDITARODに挑戦しみごと優勝。もっと驚く事にスプリントに再挑戦し1977年RONDY・ONACを同じ年にダブル優勝したのです。ジョージ・アトラのRONDY10回優勝とONAC8回優勝という記録もすごいですが、カールのスプリントとロングディスタンス優勝というのはこれに負けないくらい素晴らしい偉業かと思います。

しかしそんな英雄にいったい何が起こったのでしょうか?過去の輝かしい栄光が忘れられず、引きずってしまいその後の人生をくるわせたのでしょうか?病気がちと言う事もあったのでしょうが2000年秋52歳の若さでkilled himself・・・ 自らの手で天国にいってしまいました。犬ぞり界の偉大な男の死でした。今はアラスカの奥深くガリーナというネイティブ村の墓地でひっそりと眠っています。生前元気な姿を見てみたかった、会って見たかったマッシャーの一人です。(彼の父親はRONDY・ONACの優勝経験を持つJimmy Huntington)

(photo by Anchorage Daily news)