南フランス・ロンドン
スケッチ独り旅

1996年6月19日〜7月5日 

その1  その2  その3 


* 翌6月21日

 午前中は、独りでモンペリエの街の中をブラブラと散策して過ごしましたが、此処モンペリエは南フランスのラングドック地方で古城の町カルカソンヌと並んでこの地方の中核都市として古い歴史ある美しい街です.街には古い伝統をもつモンペリエ大学があり、中でもその医学部はフランスでも最も古く200年の歴史を持つとのことでした。街の人口は30万弱ですがその中の4〜5万人は学生で占められ街中学生が溢れ活気に満ち
商店街も賑やかで其れでいて古い時代の面影を残したこじんまりとした美しい街でした。


フレースカバルデスの村まで列車とバスを乗り継いでゆく予定だった私を
T氏のご好意で車で送って頂く事になり、午後4時頃同氏の車でモンペリエを発ちスペインのバルセロナに通じる高速道路を140Km位のスピードで一路カルカソンヌに向けて走り続けました。

フランスでは車はイギリスの左側通行と違い他のヨーロッパの国同様、右側通行です。カナダやアメリカで見たような日本車の洪水といった光景ではなく、プジョー、ルノーといったフランス車、オペル、ワーゲン其れにァウデイといったドイツ車を多く見かけました。其れも小型車が大半、しかも比較的古い型です。見栄で車を選ぶ何処かのお国とはだいぶ違う様です。 

途中古城で有名なカルカソンヌの街に立ち寄りましたが中世に建てられた此れほど大きな古城が完全な姿を残しているのは古城の多いフランスでも此処だけです。城壁の上を廻るのに2時間近くかかり、その城壁に囲まれて古い街があり今でも人々がその町で生活しています。勿論人口が増え市街地は城外に大きく広がっています。フランスの故事に『カルカソンヌを見ずして死ぬな』といわれて居るほど規模も大きく古い見応えのある古城でした。

ここから私達の乗った車は国道を外れ北に向けて山道に入りました。丘陵地帯の人も車も殆ど見かけない道を走りながらはるばる遠くへ来たもんだとの思いに、急に心細くなり引き返したい様な思いに駆られました。こうしてカルカソンヌから1時間、モンペリエから3時間半ほどで最終目的地フレースカバルデスの小さな小さな村に日本を出てから
3日目に到着する事が出来ました。

しかしこんな田舎の村で今から
2週間近くの滞在に耐えられるかとの不安も胸をよぎりました。それでも日本人のママさん、若い日本人女性のスタッフの笑顔を見た時その不安も消えてしまいました。 

私が着いたのは午後
8時近くでしたが夏時間でもあり夜の10時位までは明るい、陽の永い南フランスではやっと夕暮れを感じさせる明るさでした。

      

北緯
44度(北海道の知床と同じ緯度)標高300mのこの村は、温暖な南フランスとはいいながら日本の晩春頃の少し肌寒さを感じる気候でした。宿のミストラルは日本人の奥さんとドイツ人のご主人が経営しているペンションで200年以上経った古い石造りの農家を自分達で内部を宿泊施設に改装した素朴な宿、それだけに返ってフランス田舎の生活を肌で感じることが出来ました。 

夫妻の他は小学校生の日独混血の可愛い
2人の女の子、其れにスタッフの日本人の女性が2人と作業員のフランス人男性、それに手伝いのドイツ人の少年がペンションのメンバーでした。そんなメンバーで従って家の中では日本語、フランス語ドイツ語が飛び交い、有難う、メルシイ、ダンケと言葉の使い分けが面白いものでした。

そんな事で日本語もまかり通るので此処に居る限り言葉に神経を使う事も無かったし又奥さんの日本の故郷から送られてくる日本食の食材もあり、時には朝食に和食もあったりでお蔭で異郷の生活にも直ぐ馴れ、目的であったスケッチにも専念できた事は本当に幸せでした。

又私と同宿の人たちも皆日本人で東京から来て滞在していた御殿場のホテルのシエフでフランスでのシエフの修行先を探している若い男性、名古屋から独り旅でやって来た若い女性、其れに私の滞在中長崎から此れも独り旅の若い女の子、又浜松からやって来たケーキやさんの若いカップルと様々な人たちが
23泊しては次の目的地へと旅立つてゆきました。パリから一番遠い南フランスの片田舎でこんなに何人もの日本人に逢える等とは夢にも思って居なかった事でした。

このフレースの村は人口100人足らず、100年も200年も経った古い石造りの農家が、此れも古い古い石造りの教会を中心に肩を寄せ合う様に密集し、店など1軒も無く、公共の物はポストが一つ、公衆電話が一つだけ、手紙を日本に出そうと思えば数キロ離れた郵便局のある近くの村か町へ切手を買いに行かないと手紙も出せない全く社会の動きから隔絶された様なのんびりした平和な村でした。時計が止まっている世界があるとすれば恐らくこんな所ではないかと思えました。

私が訪れた
6月から7月にかけてがこの地方では一番いい気候のようです。勿論北緯40度の南フランスでは梅雨もありません。私が到着した23日は時々時雨れた日もありましたが其の後は安定した好天気が続き気温も陽射しの強い日の日中27〜28度位になった日もありましたが平均的には24〜25度位で空気は乾燥していてサラッとしており又ピレネー山脈から吹く南西の風もあり、体感温度が低くて凌ぎやすい夏でした。私もここに居る間は長袖のシャツで時には薄手のブルゾンを着たこともあり、陽射しの強い日中山道を歩いた時以外は汗ばむ事もありませんでした。

地中海に面した南フランスは四季の変化は勿論ありますが冬も夏も凌ぎやすく又地震やハリケーンといった自然の災害も少なく本当に恵まれた地方です。村には教会だけでなく村のあちこちの角に十字架に掛けられたイエスキリストや、マリャの像が建っており村人の信仰の厚さを感じさせられました。

村の周りは緩やかな傾斜地で葡萄畑や牧草地、緑豊かな森や林のある緩やかな丘が広がり、名も知らぬハーブの花が咲き乱れています。

村の交通機関は駅のあるカルカソンヌとの間に1日2往復のバスがあり街へ出かける老人や学校に通う子供達の唯一の足となっています。しかしそれも土、日は一往復、学校の夏休みの時期などは隔日の運行です。村役場もあるのですが、時々村長さんの家族の人が顔を出すだけで、殆ど誰も居ない名ばかりの役場みたいで急用のある村の人は村長さんの自宅を訪れて居るようです。こんなのどかな村なので私ののんびりと心を落ち着けて絵をかく事ができました。

      

宿の食も大満足でした。特に生野菜の美味しかった事、夕食の前菜には必ず大鉢に山盛りのドレッシングで和えた色とりどりの野菜、其れを食べながら飲む地元カバルデス地方のワイン、そしてメーンデイッシュには羊とか鳥とか豚の肉料理、それに定番のフランスパン(バゲット)、どれもフランスの大地から生まれた新鮮な物ばかりでした。

ワインはフランスの田舎ではお茶がわり、私の宿でも冷蔵庫から取出して何時でも自由に飲め、お酒の好きな私には応えられない物でした。そのワインもラベルの貼られた壜詰めの物ではなく地元の農家からかつてきた5立位のポリ缶に入ったもので価格も75フラン(1600円位)そこそこ、地ビールならぬ地ワインといった所です。

村に滞在中私も2度ほどバスでカルカソンヌの街のスーパーに買い物や又両換えなどに出かけたり、近隣に村まで56kmの道を歩いてスケッチに行ったり自由に動き廻りました。

こうして2週間の日々が夢の様に過ぎ、72日思い出の多いフレース村に別れる日がやってきました。ぺンション『ミストラル』のママさん始めスタッフの女の子たちが私を車でカルカソンヌの駅まで送って来て別れを惜しんで呉れました。故国を遠く離れ異国の片田舎で明るく頑張って働いている日本の女性達に幸せがあるように祈りながら別れを告げました。

      

こうしてカルカソンヌから鉄道で再びモンペリエに戻り、ホテルで
1泊し翌3日朝9時の列車でフランス中部の都市リヨンに向かいました。3時間半の列車の旅でしたが正午過ぎリヨンに到着しました。リヨンはフランス第の都会といわれていますが、それでも人口50万足らずの地方都市、ローヌ河に沿った美しい街でした。私がここに来る少し前にサミットが行われ日本からも橋本総理がこのリヨンを訪れた由でした。

リヨンの街からロンドンに向かう英国航空(BA)に乗るべく空港行きのバス
(アエロポールビュース)の乗り場を探すのに重い荷物を持って悪戦苦闘、やっとの思いでリヨン空港にたどり着きました。そしてフランスから英国への出国手続きを済ませ、ロンドン・ガトウイック空港行きBA3129便の機上の人となり2週間のフランス滞在に別れを告げたのでした。