南フランス・ロンドン
スケッチ独り旅

1996年6月19日〜7月5日
その1  その2  その3




一路憧れのフランスへ
1996年6月19日午前11時、英国航空BA018便が関西国際空港の滑走路からロンドンに向け飛び立った瞬間、 私の胸を様々な思いがよぎり思わず神に祈らずにはいられませんでした。 約2ヶ月かけて周到な計画を練ったつもりでしたが、その自信もいざとなると行く手に横たわる多くの未知の出来事に対する不安で押しつぶされそうでした。

しかしここまできて後には引けない,なんとしてもやり遂げよう、そんな思いで一杯でした。そんな思いの私を乗せたBA018便は、 新潟上空を通過しサハリンに向け日本海を北上しシベリヤ大陸に入り、それから約7時間果てしなく荒涼としたシベリヤ上空を飛び続けモスクワの北を通り スウェーデンの南端を掠めるようにして、デンマーク上空から目的のヒースロー空港に向かってフライトを続けました。

そして現地時間19日午後3時40分、定刻通り機は滑る様な滑らかさでヒースロー空港の滑走路に着陸、 12時間30分の永いフライトを無事にそして快適に終える事が出来ました。

此処ヒースロー空港はヨーロッパではパリのドゴール空港と並ぶ巨大空港で、4つの独立したターミナルビル、5本の滑走路があり、 ターミナル間はバスやシャトル便で連絡、乗り継ぎの場合到着と出発のターミナルが異なると移動するのが大変の様です。 此処から私はパリ行きの322便に乗り換えましたが幸い同じ第四ターミナルだつたので心配していた乗り継ぎも余裕を持ってパリ行き便を待つことが出来ました。

今回の旅は出、入国手続き、チエックイン、何から何まで自分自身で遣らねばならぬ独り旅、移動の場合航空機、鉄道、地下鉄、バス、タクシーの利用は東も西も判らない上、 不自由な言葉を頼りに自分の判断で遣らねばならなかった事、此れが今度の旅を通じての最も神経を使う難題でした。

こうしてヨーロッパ到着の第一関門を無事通過したものの次に待ち構えて居る、パリドゴール空港から宿泊予定のホテルまでの移動は 何を利用したらいいのか、バスがいいのか地下鉄が便利なのか、いっそのことタクシーを利用したがいいのか、時間、料金の事も考えあわせ、 パリまでの1時間30分の飛行機の中で考え続けました。しかし結局は重い荷物を背負い又手に提げて移動は大変だと思い 又言葉を余り使わないで済むタクシーにしょうと考えました。

ドゴール空港で入国手続きを済ませ、何とかタクシー乗り場にたどり着いたもののタクシーの拾い方が判らない。 フランス人たちは要領よく次々に入ってくるタクシーを拾い乗り込んで行くのですがこちらは重い荷物をもつてウロウロするばかり、 それでもそんな私を見かねたのか親切なタクシーが私を拾ってくれました。

乗ったら直ぐ運転手から声を掛けられる前に用意した行く先と、そこに連れて行って呉れと書いたメモを渡し、 夕刻で車の混む中を40分程かかってやっとの思いで予約したホテルに着く事が出来ました。幸いホテルのフロントに英語を話せる人が居てチエツクインもスムースに終えやっと部屋のベッドに手足を伸ばす事が出来ました。

そこで早速、事前に日本から連絡をとっていたパリ在住の若い画家のA氏(福岡出身)に電話を入れたところ直ぐにホテルに来られ、 彼と一緒に近くの中華料理店で夕食をともにしパリの街の話やら明日の予定など打ち合わせたりして楽しいひと時を過ごしました。 ホテルに帰り今日1日の事を振り返りながらベッドに入りヨーロッパでの第1夜の眠りにつきました。

      

*   パリの1日、そしてモンペリエへ

6月19日は私にとって実に永い永い1日でした。考えてみると26時間起きていて動き回ったことになります。 食事も早朝家で1食、機内で3食、パリに着いてから又1食、計5回執ったわけです。此れも9時間の時差のせいです。

翌20日朝ホテルを出てA氏の案内で地下鉄やらバスを乗り継ぎながらセーヌ河のほとり、ノートルダム寺院、ソルボンヌ大学、パリ警視庁などを見て回り、路地裏のパン屋さんでフランスパンのホットドッグを買い街中の小さな公園でそれをかじったりと、のんびり見物して廻りました。

パリの街は首都としてはそれほど古い(といっても日本の首都東京より江戸の時代を含めてもかなり古い)歴史のある街ではないようです。 又目を見張るような大都市には感じられませんでした。5世紀ごろフランク王国の都の時代があつたそうですが其れも永くは続かず、本当に首都となった、また首都としての姿が整ったのは紀元1200年前後、ナポレオンがフランスの実権を握る約600年ほど前とのことでその歴史は800年位のようです。 しかし芸術の都、世界のファツシヨンの中心として多くの人々を魅了するパリは矢張り世界の都市の中でも最も魅力ある都市でありその燻し銀の様な味わいは比類ないものの様に思えました。   

5〜6時間ほど街を廻った後、パリリヨン駅を午後3時30分に発車するフランスが誇る時速300KMの新幹線TGV〔テージエーベー〕の車中の人となりました。この列車が目的地南仏モンペリエに到着する4時間30分の間フランス人ばかりの乗客の中にたつた1人の日本人として、楽しさ半分、心細さ半分の列車の旅でした。

フランスの新幹線TGVは日本の其れと異なり高架の部分やトンネルが殆ど無く、日本の在来線の特急の様に地面を300 KMの速度で走るのですから、線路の近くの風景は文字通り矢のごとく飛び去って行きます。車両そのものは日本の新幹線と大差はありませんが日本の其れのように豪華ではなく比較的質素な造りです。しかし車両の揺れや騒音が少なく快適な乗り心地だと思いました フランスの幹線鉄道は国有鉄道SNSFの運行ですが、その料金の安さは日本に比べると半額以下ではないでしょうか。

パリーモンペリエ間4時間30分、東京―広島位の距離の運賃が357フラン〔日本円8000円弱〕です。又駅には改札口みたいなものは無く従って誰でも自由にホームまでは入れるのです。 列車に乗る人は切符を買ってホームへの入り口にある自動改札スタンドに切符を通すと,ガチャンと音がして日付け、時間、駅のナンバーが刻印されます。

又目的の駅でホームから出るときはフリーで切符は持ったまま駅を出る仕組みになつて居ます。 その故か駅には駅員の姿を余り見かけません。その代わり列車には必ず2〜3名の車掌が居て頻繁に検札に廻ってきます。その場合若し改札スタンドで刻印を押してなかったら無効として下車させられる事もあるとのことです。 こんな合理的な方法で駅員を少なくしているのも、運賃の安さに結びついているのではないかと思いました。

フランスの公共交通機関の料金は日本のそれと比べると随分と安く、パリでも市内のバス、地下鉄は何処まで乗っても7.5フラン(160円くらい)でした。 又鉄道の切符もVISAやマスターカード等のクレジットカードと行く先を書いたメモを渡せば下手なフランス語を話さなくても簡単に切符が買えて助かりました。

      

パリリヨン駅を出た列車はものの10分も走ると車窓には広大なそして美しい田園風景が広がります。緩やかな丘のうねりに広がった麦畑、そしてその麦畑の稜線はそのまま地平線の様に果てしなく続き、その間に緑の牧草地、黄色のひまわりの畑が続きます。かのゴッホが描いた麦畑を思わせるような風景です。 さすが先進国の中でも一番食料自給率の高い農業大国フランスの姿を見た思いでした。

列車が中部フランスのリヨン辺りを過ぎローヌ河沿いに南フランスに近かずくにつれ沿線に樹木が次第に多くなり又丘陵も低いながら山を思わせる姿に変わり、ブドウ畑が目に入る様になりました。 このように沿線の風景を楽しみながら4時間30分のTGVの旅は終わりに近づき、定刻午後7時分その日の目的地モンペリエの駅のホームに降り立つ事が出来ました。

モンペリエでは此処に在住し、今回の私の旅に色々情報を下さり又アドバイスを頂いた矢張り福岡市出身の画家T氏の御一家が待っておられ、その夜は地中海に面した海浜リゾート地のレストランで地中海の海の幸とワインをご馳走になり、そしてモンペリエの街中の小さなホテルでの夜を明かしました。

此処までくれば最終目的地フレースカバルデスの村まで後一息、その安堵感と旅の疲れでフランスでの第2夜は深い眠りに入る事ができました。