The Grove of Village Shrine in 松山市

神 社 名 日招八幡大神社
(himaneki_hachimandai)
所 在 地 松山市保免西1丁目
主 祭 神 市杵島姫命 湍津姫命
田心姫命
配   神 品陀和気命 息長帯姫命
本殿の様式 (仮宮のみ) 社   格 旧郷社
由 来 沿 革 等
 松山八社八幡の5番社である。社伝によると崇峻天皇2年(589年)に国司越智益躬(小千宿祢益躬)が筑紫国胸肩から門島の森に比淘蜷_(宗像三女神)を勧請し、門島比盗_社或いは門乃神社と称えた。また、元慶年間(877〜885年)八幡神を合祀し石清水八幡宮と称したという。
 元暦元年(1184年)に佐々木四郎高綱が入国し、砥部荏原城主森山・大野氏と戦った際に、戦いが終わるまで日が留まるよう祈願したところ、夕刻になっても明るく佐々木軍が勝つと日が沈んだという。このことにより「日招八幡神社」と呼ぶようになったという。
 近年、火災により本殿、拝殿を焼失しており、神門と仮宮のみである。 
 
 日招八幡大神社のホームページの公式ホームページをご覧ください。
遠 景 仮 宮 本殿跡 



神 社 名 松山神社(matsuyama) 所 在 地 松山市祝谷東町
主 祭 神 菅原道真公 徳川家康公 配   神
本殿の様式 権現造(銅板葺) 社   格 旧村社
由 来 沿 革 等
 元和4年(1618年)松山城主加藤嘉明が湯築八幡宮の境内に小祠を建て徳川家康公の神霊を祭祠し、その後、明和8年(1765年)に松山藩主松平定静が祝谷の田高の丘(現在地)に社殿を造営奉遷し「東照宮」と称え、城下の鬼門鎮護の神として崇敬した。
 また、延喜元年(901年)菅原道真が筑紫に左遷されていく途中、祝谷山崎の丘に立ち寄りて温泉に浴したとういう故事により、里人が太宰府天満宮より旧跡の山崎の丘に神霊を勧請し「天満神社」として崇敬していた。
 明治43年に東照宮に天満神社を合祀して、「松山神社」と改称した。現在の社殿は元治2年(1865年)に造営されたものであり、典型的な権現造である。
 権現造りの社殿はとても素晴らしい!
遠 景 神 門 本 殿



神 社 名 一之宮神社(ichinomiya) 所 在 地 松山市古川南
主 祭 神 田心姫神 湍津姫神 市杵島姫神 配   神 大物主神 須佐之男命
本殿の様式 社   格 無格社
由 来 沿 革 等
 古川地区(旧古川村)の鎮守の神(殖産、水防)として寛永年間(1624〜1644年)に創始され、現在は伊予豆比古命神社の飛地境内神社となっている。
 主祭神の宗像三女神は、度重なる重信川の氾濫に悩んだ村人が福岡の宗像大社から勧請し治水を願ったと言われている。大物主神は、讃岐の金刀比羅宮詣が盛んな時代(江戸時代末期)に有光家が自宅に奉斎していた祠を地域の人々の希望によりこの地に移したという。また、須佐之男命は、その昔古川地区に流行病が蔓延したときに疫病除神として祀ったと言われている。
遠 景 拝 殿



神 社 名 素鵞神社(soga) 所 在 地 松山市市坪南
主 祭 神 饒速日命 天道姫命 配   神 素盞男命
本殿の様式 流造(瓦葺) 社   格 無格社
由 来 沿 革 等
 市坪地区の鎮守の神であり、現在は日招八幡大神社の飛地境内神社となっている。
 伊予風土記に「郡家の北町の所に一ノ津にあり、是れ往古天道姫命御国巡りの時御船を止めさせ給へる地なるを以て一ノ津と言う」とある。この地に社殿を造営し饒速日命及び天道姫命を祭ったのが創始と言われている。慶長年間に足立重信が伊予川(元重信川)を改修した後は、たびたび水害があり社殿も衰退していったようである。明治8年に現在地に遷座して現在に至っている。
遠 景 拝 殿 本 殿



神 社 名 城山神社(shiroyama) 所 在 地 松山市東石井町
主 祭 神 誉田別命 足仲津比古命 配   神 大山祇命(田中神社)
大物主命(金刀比羅神社)
天之一目命(生目八幡神社)
本殿の様式 流造(瓦葺) 社   格 無格社
由 来 沿 革 等
 東石井地区の鎮守の神であり、現在は伊予豆比古命神社の飛地境内神社となっている。
 この地を治めた土居氏が戦勝祈願所として、また村内の安全安泰のため社殿を造営し、石清水八幡宮より御分霊を勧請し、「城山八幡若宮社」と称した。阿波の豪族田ノ口民部太夫がこの神社に籠もり祭事を行ったと伝えられている。
  河野通久が築いた「縦淵城」の城址でもある。
全 景 拝 殿 本 殿



神 社 名 佐野神社(sano) 所 在 地 松山市西石井町
主 祭 神 誉田別命 足仲津比古命 配   神 三流神(熊野神社)
本殿の様式 流造(瓦葺) 社   格 無格社
由 来 沿 革 等
 西石井地区の鎮守の神であり、現在は伊予豆比古命神社の飛地境内神社となっている。
 天授年間(1375〜1379年)に久米郡徳威王城主河野左近少将通定が石清水八幡宮より御分霊を勧請し、社殿を造営し「若宮八幡宮」と称したのが創始である。河野氏代々の篤い崇敬を受けたが、後に佐野氏が村の氏神として祭事を奉斎したことから明治3年に「佐野神社」と改称した。
全 景 拝 殿 本 殿



神 社 名 住吉神社(sumiyoshi) 所 在 地 松山市西垣生町
主 祭 神 表筒男神 中筒男神 底筒男神 配   神 菅原道真(天満宮)
本殿の様式 流造(銅板葺) 社   格 無格社
由 来 沿 革 等
 神功皇后が三韓征伐に赴くときに住吉大明神のお告げにより南海にて白真珠を得て勝利を納めた。皇后は凱旋の時に九本の「藤の木」を海中に流したところ、伊予国の九カ所の浦に漂着したという。その地にそれぞれ社殿を造営し住吉大明神を奉斎したといい、この神社もそのうちの一社と云われている。
全 景 拝 殿 本 殿



神 社 名 天山神社(amayama) 所 在 地 松山市天山2丁目
主 祭 神 天照皇太神 天櫛眞知命 配   神
本殿の様式 流造(銅板葺) 社   格 村社
由 来 沿 革 等
 社伝によると「人皇十代崇神天皇5年(紀元前911年)天下餓疫す。天皇大いに懼(おそ)れ群神を祀り給う時、久米麿「三輪田の祖」に勅して天櫛眞知命を久米吉井郷天山に祀らしめ神地神戸を給う。」とある。
 また、「天山」の由来は、「伊予国風土記」の記述によると天上にあった山が地上へ落ちてきたところ、途中で二つに分割されて、片方が大和(奈良県)の天香具山となり、他方の一つが天山となったいう。
全 景 拝 殿 本 殿



神 社 名 金刀比羅神社(konpira) 所 在 地 松山市北土居町
主 祭 神 大物主神 金山彦神 大歳神(推測) 配   神
本殿の様式 流造(銅板葺) 社   格 無格社
由 来 沿 革 等
 西石井地区の鎮守の神であり、現在は伊予豆比古命神社の飛地境内神社となっている。

     詳細は不詳(調査中)
全 景 拝 殿 本 殿



神 社 名 若宮八幡神社
(wakamiya_hachiman)
所 在 地 松山市今在家4丁目
主 祭 神 八幡神(推測) 配   神
本殿の様式 流造(鉄板葺) 社   格 無格社
由 来 沿 革 等
 今在家地区の鎮守の神であり、現在は伊予豆比古命神社の飛地境内神社となっている。

     詳細は不詳(調査中)
全 景 拝 殿 本 殿


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