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2006/01/13 語尾上げ

語尾上げとういうのは、言葉の最後を問いかける風に上げて話すことである。
例えば、「このホームページ? の管理人? 彼の名前? は山仙人? だと思う」というような感じで使われる。 文章でうまく表現できないが、以前は比較的若い世代で多く使われていたのだが、最近はいい年の男まで使う始末だ。

こうした話し方がどうして蔓延するのかは、現代人の自信のなさの現れであると言われているようである。 つまり、自分の意見を断定的に言った時に予想される反発を緩和させるため、あるいは使う言葉に疑問形をつけることで相手の様子を判断し、自らの引き際を見定めたいとの思惑があるようだ。

それはともかく、このコラムで「日本語が乱れている」などと、自分のことを棚に上げて言う訳ではないが、最近はあまりに多くの日本人が使うこの語尾上げを、何とかできないものだろうか。
とにかく、そうした話言葉を聞いていると、イライラするのである。

イライラするのは、何も語尾上げばかりでなく、「○○じゃないですか」とか「私って、△△な人じゃないですか・・・」とか、そう言いたいのか言いたくないのか「ハッキリしろ」と言いたくなる。

中でも語尾上げは、すっかり日本語に根付いたようで、ニュース解説番組のコメンテイター、スポーツ番組の解説者、甚だしい場合はキャスター・アナウンサーが使うのを聞いたことがある。

しかし、少なくとも「語ること」を仕事にしている者がこうした話し方をするのは、その人物の品格が疑われる、あるいはここまでは言わないまでも、程度がしれると考えるべきである。 つまり、そんなに自信がなくて疑問形にしたいなら話す資格がない、と知るべきである。

それでも、自分が直接接触しないテレビの出演者なら、チャンネルを変えるなり電源をオフにすればのがれることができる。 

ところが現役で働いているときに、全支店会議の場で同年配の管理職が語尾上げを使っていたのには、正直まいった。 まっとうな意見を発しているにも関わらず、語尾上げが気になって話の内容など頭に入らない。
親しい間柄なら注意もするが、めったに会わない者に注意するにも気が引ける。 何ともイライラする会議であった。 

言葉も生き物だから、時代に合わせて変化するのは解る。 仲間内でしか通用しない話し方もあるだろう。 

でも、そうした話し言葉なり話し方は仲間内で使われるのが前提で、公の場では、使う言葉を選ぶことはもちろん、話し方にも充分気を配ってもらいたい。 それが、言葉を持ってコミュニケーションするときのマナーである。 言い換えると、社会人としての常識とわきまえてもらいたい。

しかし嘆くべきは、手本となるべき年代なり立場の者が、公の電波を使って語尾上げを使うことである。 「世界の」という冠詞がつくゴルフの熟年プレーヤー、ドイツブンデスリーガでプレーした元サッカー選手、F1解説者、女性経済ジャーナリスト等々・・・枚挙にいとまがない。

幸いにも語尾上げを使う者は私の回りにはいないが、私の家族なり親族が使うようならカミナリが落ちる。 カミナリが落ちても使うなら、私の側に近寄らせない。

ま、利害関係がほとんど無いないリタイアした身では、大抵のことは無視することで対処できるが・・・。
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