「世間」と「神」の服従倫理


                 大野正和

はじめに

 服従!そのような厳しい言葉は似合わない。従う、いうことを聞く、それで十分だ。
 かつての社会科学が、搾取や支配という大がかりな概念装置で解明しようとしてきたことも、目の前では人間関係の桎梏にすぎない。「いじめ」が、「キレル」ことが、性愛の苦悩が、「トラウマ」が、それをいやというほど語り尽くしている。構造やシステムといってみても、解決しない。いやむしろ、解決しようとする努力がまたしてもシステム化されるという泥沼にはまりこんでしまう。
 われわれはいま、軽やかにしかも深刻に「自分」を見つめ直すべき時代の入り口に立っているのである。本稿は、文化論的考察に名を借りた自分論である。

1  「間人主義」と「世間」の日本

(1) ベネディクト説の批判

 あの有名なベネディクトの文化的二類型説を極めて簡単に要約すると、西洋が、道徳の絶対的基準と良心の啓発を重視し、正しい行動を内面的な罪の自覚に基づいて行う「罪の文化」であるのに対して、日本は、世間や他人の批評に反応する外面的強制力に基づいて行動する「恥の文化」である、ということができよう(1)。この説については、内外から様々な反論があったが、ここでは「間人主義」を説く浜口恵俊の議論をみておこう。
 浜口は、ほんとうに、「恥」的行動が他律的であり、「罪」的行動が自律的なのかということと、恥と罪の二類型化の意味という二点から疑問を投げかける。第一の点については、行為基準の内在性・外在性でもって文化の型を規定するのは無理であり、西洋人も恥辱感を味わうこともあるし、罪も見方によれば外罰的であって、自律的行動の唯一の源泉とはいえないと指摘する(2)。また日本人の場合でも、作田啓一のいうように、「『恥を知る人』は自己自身で自分をコントロールする(3)」のであり、「恥の文化」においても、行為基準の外在性にもかかわらず自律的行為はありうる。
 第二の問題点は、恥と罪を互いに相反する二つの倫理的規範とする理由、つまり、なぜ両者が対概念であらねばならないのかがよくわからない、ということである。浜口は、自律的行動を理想とする西洋の個人主義にとっては、罪の意識は強い自我の中核として格好のものであり、これに対して、外在的基準に従う恥は、非主体的な態度を表明するものであり、両概念の相互背反性の提示の必要性がここにあったととらえる。
 しかし、日本人は恥を強く感じるとともに、罪をも自覚的に意識するのであり、西洋人のように両者を対比的に考える必要はないのである。ただ、日本人の行為基準は、罪におけるような内面化された神の声ではなく、逸脱者をその場の状況に応じて個別的に裁く、超自然(日本の神々や仏)そのものなのである(4)。

(2) 「間人主義」「人と人との間」

 ここで浜口の指摘した問題点は、行為基準を、世間や超自然的な神仏あるいは単に他者の目といった外在的な強制力におく、「恥」のモデルと、内面化された神の声や良心あるいは理想的自我による内面的自覚におく、「罪」のモデルという、文化の類型化にともなう論点である。つまり、ベネディクトの単純な文化的二元論を批判して、文化人類学者であるリブラの説を引用しつつ、相互性の不均衡としての「罪」の意識と、自己の占める地位に不適合な状況で露呈する「恥」の意識とは、むしろ共通した基盤の上に立っているのだと論じる。
 そして、その共通の基盤こそが、東洋人に固有な「間人主義」的な人間観・対人関係観なのである(5)。「間人主義」とは、西洋の強固な自我意識を前提とする「個人主義」に対して、人と人との不可分離な絆の一体感に基づく、相互依存、相互信頼、対人関係の本質視による人間観である。
 この浜口の「間人主義」論の生成に大きな影響を与えたのが、木村敏の、「人と人との間」に自己の存在の根拠をもつという日本人論であった。木村は、精神科医として、メランコリー患者の罪責体験の症例分析から、「西洋人は、自己の存在の存在論的根拠を、めいめいが自分の頭上に高くかかげている神と結びつけ、道徳的な罪というようなものを、いわばこの垂直線上でしか考えない。これに対して日本人は、自己の存在の存在論的根拠を人と人との間というようなところに見出しているから、どうしても道義的な罪、義理的な負い目を水平面上で考えるようになる(6)」という一般的結論を導きだした。この「人と人との間」を、浜口は、自他の間で共有される生活空間であり、自らの側に配分される「自分」と、相手の側に分けられる部分=「他分」から成り立っている共生的存在の空間であると敷衍する(7)。
 さて、木村によれば、すぐれて日本的である「御先祖様に申訳ない」「世間に顔向けができない」という罪責体験は、人と人の間にあるなにか、自己を自己たらしめているなにかに対する責務を果たしえないことについての負い目の意識であるという(8)。なぜなら、われわれの存在の根拠を、時間的に過去に求めたのが「御先祖様」であり、空間的に表現されたものが「世の中」「世間」なのであり、これらへの義理が果たされないことについての「済まなさ」「申訳なさ」が、罪として意識されるのであるから(9)。
 さらに木村は、日本的な罪の意識と義理との関係について、まず、罪とは元来、社会秩序に関する信頼関係への裏切りのようなものとして捉えられていたと規定する。そして、義理とは「好意に対する返し」「信頼に対する呼応」であるという源了圓の説(10)を引きながら、義理の不履行は、悪であり、罪であり、負い目なのであると説く。日本においては、罪は他人に対して信頼に応えられない面目なさであり、メランコリー患者も「顔向けができない」という表現で罪責感を表すということから、日本人の罪の意識は恥の意識に接近する(11)。
 日本人にあっては、「自己」と「他人」の「外部」であり、いかなる人にとっても「内部」ではないような「人と人との間」に自己の存立の根拠をもっている。しかもそれは、「外部」でありながら、それと同時に、自己自身のありかであるという意味では自己の「内部」でもある。これはいわば、内部と外部、内面と外面が相互に一致するような自己の構造であり、そのもとでは、内面的自覚による「罪」と外面的強制力に基づく「恥」という区別は意味をもたない。罪の意識は恥の意識であり、恥の意識は罪の意識なのである(12)。

(3) 「信頼」と「世間」の伝統

 以上見てきた「間人主義」と「人と人との間」の議論は、単純な「罪」と「恥」の文化的二元論を乗り越えようとするものであるが、注意深く検討すると、両文化とも、和辻哲郎のいう人間関係の根源的な「信頼(13)」を社会の基礎においているともいえる。この原初的な信頼的人間関係が変容を被りつつ、西洋においては、ユダヤ・キリスト教的な原罪観念を媒介とする「契約」思想を育み、日本においては、近世社会にいたって「義理」の観念を生み出した。しかし、日本的な義理は、より強く原初的な信頼関係を受け継ぎ、日本型モデルの思想的原型となったのではないか(14)。
 もうひとつの論点は、内面と外面とが表裏一体化した日本的自己のあり方であって、これは、超越的絶対神なき間人主義的な「世間」の特徴でもある。浜口らは、「日本的集団主義」の文化的優位性への自信から、世間的空間を否定的には捉えないが、阿部謹也は次のようにいう。西欧の「社会」が、譲り渡すことのできな尊厳をもつ個人を前提として、その個人が集まって彼らの意思に基づいて成り立っているとみなされるのに対して、日本では、個人の尊厳が十分に認められず、「世間」が所与となっていわば生活の枠組みとなっている。親が子に「そんなことは世間では通用しない」というように、また「世間を騒がせたから謝罪をする」など、「世間」は、理屈を越えた一種の権威としてわれわれの前にある。さらに、その世間の人間関係の奥底には、「ケガレ」の観念や慣習化された呪術的信仰が入りこんでいると指摘するのである(15)。
 丸山眞男もまた、ヴェーバーのいう宗教的禁欲倫理は、「世間」と緊張関係に立って、生活に方法的体系的に適用されるときに、「世間」を不断に合理化するダイナミズムをもつものであるが、日本における「世間内禁欲」は人格の内部において一貫性をもっていなかったと厳しく指摘する。なぜなら、日本における「禁欲」は、それがどれほど苛烈な要求を秘めているように見えても、結局は、「悪所」での性的逸楽や職業生活からの引退後の「老後の道楽」を許容してしまうという、いわば部分的なものにとどまったからである(16)。
 このことは、日本では、超越的原理よりも呪術性を残存させる「世間」の根強い論理が、宗教的禁欲を媒介として生み出されてくる(西欧的な)近代の成立を押しとどめ、社会の世間化のなかで「近代」が未完に終わったという認識を示すものであろう。

2 超越と服従

(1) 「原理への忠誠」のもつ超越性

 R.ベラーはかつて、日本の近代化は、業績主義と疑似普遍主義を中心とする価値体系によって押し進められ、それはまた「日本の宗教」のもつ忠誠観に裏づけられていると述べた(17)。これに対して丸山眞男は、ベラーの議論は忠誠の過大評価であり、忠誠が恭順に堕してゆく面を見据えなくてはならないとして、みずからは「トップ・レベルと社会的底辺での呪術性がいかに日本的な合理化=近代化を内面的に特質づけ、押し進めているか(18)」を解明しようとする。
 しかし一方、丸山の「忠誠」論は、伝統的な忠誠観に内在する原理的超越性の契機を積極的に救い出そうとする方向性をももつ(19)。日本の「近代」において見失われた視座であると認識し、かつまたその必要性を求めてやまない超越的原理とは、彼の理論においていかなる位置を占めるのかを、笹倉秀夫の概括によって見ておこう。
 自分自身の思想の中軸として、自分の思惟や行動に対し一貫した規範的拘束力をもつ「原理」を各人が保有することは、環境(状況)に対して内面の独立性を保持し、かつ自己の行為に責任を負った主体たるために不可欠である。この「原理」は、国家や歴史を超えた普遍的価値を核心とし、それゆえ各個人の内面に直接結びつくものである。この普遍的価値が、現実の人間と社会関係とを超えたものであるということは、実はそれが、担い手であるわれわれ一人一人をも超えていることを意味している(「超越」)。
 さらに押し進めると、この普遍的・超越的価値は主体と化し、あるいはある絶対的な主体の命じるところのものとなり、関係は超越的他者・絶対的な超越神と「この私」の関係、すなわち宗教的なもの(「帰依」)となる。かかる超越的なものがわれわれ一人一人を自分の下へと選ぶ(召命する)という関係において、その普遍的なものに向かって全生活を再組織化し、いかなる世俗的状況のなかにあっても、その超越的なものによって状況を超えて真の自立を達成するという論理を丸山は説こうとしたのである(20)。
 ここに見られるのはまさしく、超越・普遍たる神=主体の召命による絶対者への被縛感に基づく近代的個人の主体性確立の論理であり、その意味で、キリスト教的伝統を負う西欧近代の論理に近似してくる。丸山が、原理への忠誠に見てとった超越的絶対者への帰依につながりうる要素は、「近代的個人」形成の契機として評価されるのであるが、それが西欧近代の論理と重なる限りにおいて、次に見るアルチュセール=フーコーのポスト・モダン的な批判を受けざるをえないであろう。

(2) 「服従=主体化」の論理

 アルチュセールは、イデオロギー論のなかでキリスト教的宗教イデオロギーについて次のようにいう。主体としての諸個人への呼びかけと、諸個人の〈主体〉=神への服従を通じて、諸主体はひとりで歩き機能する。すなわち、個人は〈主体〉=神の命令に自主的にしたがうため、その服従を自主的に受け入れるため、それゆえその服従の身振りや行為を「ひとりで成し遂げる」ために、自由な主体として呼びかけられる。服従をとおして、かつ服従のためにしか諸主体は存在しないのである。かくして諸主体は「ひとりで歩く(=自立!)」のである(21)。
 この服従=主体化の論理を権力論としてとらえ展開したのが、フーコーであった。フーコーは、『監獄の誕生』のなかで、「権力を自動的なものにし、没個人化する(22)」〈一望監視装置(パノプティコン)〉(23)について述べている。そこでは、被拘留者は「みずから権力による強制に責任をもち、自発的にその強制を自分自身へ働かせる。しかもそこでは自分が同時に二役を演じる権力関係を自分に組込んで、自分がみずからの服従強制の本源になる(24)」のである。
 これは、もはや外的な強制力ではなく、他者の監視の視線におびえる不安意識が内面化して、自らによって自らを権力と化する「自発的服従」の論理を表現したものである。まさに「服従=主体化」とは、自己にとって自己自身を自立的権力とする(西欧)近代の支配イデオロギーであったのである。

(3) 日本における服従化の様式

 以上で批判的に検討されたのは、原理への忠誠のもつ超越性から導かれる西欧近代的な個人の自立の論理が、実は自発的服従のイデオロギーであるという「近代主義」の陥穽を衝いたところのものであった。しかし、丸山のいうように、原理的超越性が日本の近代化のなかで剥落していったのであれば、真に把捉すべき事柄は、組織への忠誠の側面が、官僚化と世間化を通じて服従の論理へと落ち込んでいったことであろう。官僚化ないし官僚制のもとでの服従という問題については、従来から数多くの指摘があるのでふれないとして、ここでは「世間」と「服従」との関係について試論的にまとめておこう。
 木村敏のいう、自己の「外部」でありながら「内部」とつながっている「人と人との間」を「世間」と理解すると、そこでの服従様式は、「他者から強制されて従っている」という相貌とは異なったものとして現れる。他者性を帯びた非自己なるものは、ここでは「世間」として、自己の「内部」と「外部」が連続した状況において立ち現れるのであるから、「誰に」「何に」従っているのかがきわめて曖昧にならざるをえない。
 それでは、自分自身の内面の声に従っているのかというと、その「内面」とは「外面」と不即不離なる世間的状況に包摂されているのであるから、「自」発性を考えること自体が矛盾をはらんですらいる。しかし、このことを「自己」が未確立なのだととらえることも正鵠を射ていない。自己の存在根拠は、世間的な人と人との間柄において立てられているのだから、いわば「世間」と「自己」とは一体化して成立している。
 西欧的な服従の原型が、「神が許さない」というかたちでの、自己の絶対的な外部にある超越者の禁止を内面の声として受け取るものであったのに対して、日本的な服従の原理は、「世間では通用しない」というその世間のあり方を身につまされて体得することである。ここで一見、西欧の「神」と日本の「世間」が同じ役割を果たしているように感じられるかもしれないが(注)、それぞれにおける自己の構造にとっての内面と外面の関係性が決定的に異なることに注意しなければならない。
 西欧的な自己にとっての外面は、内面性と切断された、いわば次元を異にする地平に存立する超越として現れるのであるが、日本においては、自己の内面は、外なるものとの連続体としての媒質に浸潤されてのみ存在する。ここにおいては、「自発」的な服従は、「他発=強制」的な服従と取り立てて区別することができないのであり、いやむしろ「服従」や「従う」という語義そのものを深刻に反省せざるをえない地点にわれわれ自身が立たされているのである。

3 「神」と「世間」からの解放

(1) 服従の倫理

 ここまで、西欧の「神」と日本の「世間」とを対比的に捉えつつ、その中での自己の服従様式を考えようとしてきたが、もう一度問題を整理して検討してみよう。
 「神への服従」は、神(絶対者)という個人を超えた超越者にみずから従うことによって、自己自身を「主体」として形成するのであるから、それは外部的な強制による不自由な拘束としてではなく、自発的な服従と個の自立として表れる。絶対的な外部である神が、内面的な自己を強くとらえることで個的主体が確立する、つまり、外面と内面が切断されつつ結合するという緊張関係のなかでこそ、自己が自己たりうるのである。そこでは神の超越的規範が、内面の良心の声として自覚される。服従とは、主体的自己の内面的あり方そのものである。
 これに対して、「世間への服従」(より正確には「世間内服従」)においては、「世間」という「外部」は、内的自己と密接不可分に一体化して存在するのであるから(「自分」と「他分」の共生的空間)、内面と外面の連続したあり方、いわば場の雰囲気(空気)という状況のなかで「自己」は何者かにからめとられている。世間の根本には、人と人との根源的な信頼関係が存在するともいえるから、この人間関係の空間的拡がりそのものが、「服従」の源泉である。「従う」ことは、人間的信頼関係の基礎を支える従順で素直な美徳ですらある。
 さて、「神への服従」を「神による呪縛」であると意識した西欧人が、そこから解き放たれる道をニーチェ=ポスト・モダン的な方向に求めようとする場合、「神の死」は同時に「人間(主体)の死」を意味するであろう。つまり、絶対者である神を否定してしまえば、そのもとでのみ「自立」しえた人間的主体そのものが崩壊してしまうからである。
 超越者を超越的に否定しようとすれば(善悪の彼岸!)、人間をも否定的に超える「超人」が出現せざるをえないが、これがいかに西欧的精神にとって苦悩に満ちたものであるかは、当のニーチェ自身の生が物語っていよう。神と主体との垂直的な緊張関係のなかでのみ存立しうる内面的自己が、上下両方向へと解体的に「超越」しようとすれば、必然的に内面の分裂を引き起こさずにはおれないのである。

(2) 世間を超えて

 では、「世間内服従」を桎梏と感じとる日本的精神がとりうる解放の道は何か。世間は、いわば水平面上の人間相互の関係そのものに他ならないのであるから、そこから逃れるためには、世間の外へ出てしまうことが最も手っとり早い方法である。国外への脱出や隠遁生活はその例であろう。
 しかし、日本的な世間は執拗に自己にまとわりつくのであるから、人間関係自体を消滅させないかぎり容易にこの方法は成功しない。いや、人間関係が消滅すれば日本的自己そのものが滅びるのである。自己が自己である意識を保持しつつ、しかも世間との関係を断ち切らないで被緊縛感を減衰させようとすれば、自分自身が意図的に世間と対峙する覚悟を貫くことが、次に求められる。
 第一の方法は、水平面上をどこまでも逃走しようとするものであるが、この第二の方法は、世間を垂直線方向に超え出ようとする努力である。それはやはり、ある種の超越者を希求せざるをえない衝動を内に蔵しており、何によってその人が世間を超越しつつそれと向き合うかという鋭い課題を彼に突きつける。
 しかし、西欧的社会が「原理」として超越者のもとに構成されていたのに対して、日本的世間において自分だけがそれを超え出ようとする努力は、時に破滅への道であったり、そうでなくとも、彼に孤立無援の厳しい精神的孤独を強いる。そのことが、より一層超越的絶対への希求衝動をかき立てる。世間内のしがらみを断ち切れず、しかも精神は絶対を求めてやまないという引き裂かれた内面を抱え込むのである。
 西欧世界は、アトム化した個人(量子)を論理的に前提するが、それは、原初的な人間関係の「場」をいわば量子化した神(=光!)と、その個人(量子)との相互作用によってはじめて成り立ちうる世界である。神と人間との垂直的関係を基礎として、そのもとに個々の人間の関係が展開している。日本では、量子的個人が析出してくる全般的論理が原理的に存在せず、逆に量子(的個人)が不断に「場」化されていく強い傾向を内に含んでいる。その「場」こそが「世間」に他ならない。
 世間場の外部へと逃走するのでもなく、絶対者の方向に超越するのでもない、第三の道はないのか。ここで、世間場を受け入れ吸収し尽くしてしまうブラックホールとしての自分について考えてみよう。世間を、自分と調和的でないと感じながら、そこから逃げ出すことも、孤独のなかで分裂した意識を抱えつつ絶対者を希求することも、ともに困難であるとき、世間そのものを自分の内面の奥底に沈め込ますように吸収してしまうことによって、新たな解放をえようとする。
 自分の内面は点状の終局ではなく、そこをさらに突っ切ると暗黒の無の世界が奥深く広がっており、宇宙の外でもある真の外部へとつながっている。「内にかえる」ことは実は「外へ出る」ことであった。

おわりに

 いままで見てきた「西欧」と「日本」の対比論は、一種のモデルづくりであり、すべての西欧人・日本人に当てはまるものでないことはいうまでもない。ただ、人間関係とその束縛をモデル化すると、こういう風な類型化が可能ではないかという仮説である。
 知識人をめぐる人間関係にも、「権威」と「世間」がまとわりついて離れない。しかも、「真理」の名において様々な束縛状況が課せられている。ある場合には、真理を担うべく指導者が絶大な権威と威信をもち、あたかも彼と彼の向こう側に「超越」の世界が開けているかのような錯覚をひきおこす。この世間内超越者の正体が何であるのか、わたしにはいまもって謎である。それは意外と自分の内面に根ざすものかもしれない。
 そうであるからこそ、内面でピリオドを打つのではなく、その奥底に果てしなき無限世界を展開する道を選びたいのである。自分の心底が未知の世界に通じる道だというのは、われわれにも希望を与える仮説だと思うのだが、どうであろうか。だが、道は未知である。



(1)R.ベネディクト、長谷川松治訳『定訳 菊と刀(全)』現代教養文庫1967年。
(2)浜口恵俊『「日本らしさ」の再発見』講談社学術文庫1988年、107-109頁。
(3)作田啓一『価値の社会学』岩波書店1972年、295頁。
(4)浜口前掲書、109-111頁。
(5)同上書、112-114頁。
(6)木村敏『人と人との間 精神病理学的日本論』弘文堂1972年、70頁。
(7)浜口前掲書、74頁。
(8)この負い目(罪責)の意識が、「負債」の概念に由来することを指摘し、「道徳の系譜」を明らかにしようとしたのは、他ならぬニーチェであった(信太正三訳『善悪の彼岸 道徳の系譜』ちくま学芸文庫1993年、431頁)。木村も明らかにこの議論に負っている。
(9)木村前掲書、68-70頁。
(10)源了圓『義理と人情 日本的心情の一考察』中公新書1969年、59-60頁。
(11)木村前掲書、75-76頁。
(12)同上書、73頁。
(13)和辻哲郎『倫理学(上)』岩波書店1965年、278-286頁。
(14)長谷川三千子は、「無我」を究極の理想像とする自己了解の姿を、自己をつねに全体とのかかわりのなかで眺め、自己と「場」との調和を求める文化であるととらえ、「恥の文化」よりも「自分の文化」とよぶべきだとして積極的に評価する(「自己のかたち」浜口恵俊編『日本型モデルとはなにか』新曜社1993年、58-59頁)。しかしわれわれは、まさにこの「場」(との調和)こそを問題にするのである。
(15)阿部謹也『「世間」とは何か』講談社現代新書1995年、12-24頁。
(16)丸山眞男「ベラー『徳川時代の宗教』について」『丸山眞男集 第七巻』岩波書店1996年、287-288頁。
(17)R.ベラー、池田昭訳『徳川時代の宗教』岩波文庫, 1996年
(18)丸山前掲書、285頁。
(19)同「忠誠と反逆」『忠誠と反逆 転形期日本の精神史的位相』ちくま学芸文庫、1998年。
(20)笹倉秀夫『丸山真男論ノート』みすず書房1988年、113-116頁。
(21)L.アルチュセール「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」柳内隆訳『アルチュセールの〈イデオロギー〉論』三交社1993年、101頁。
(22)M.フーコー、田村俶訳『監獄の誕生 監視と処罰』新潮社1977年、204頁。
(23)ベンサムの考案した「パノプティコン」とは、監視をともなう監獄の一種である。それは、中心に監視のための塔を配し、周囲に円環状の建物がありここに囚人が収容される。その建物は独房に区分けされ、塔から外側に向かって光が貫くように窓がつけられている。それゆえ、中央の塔からは独房内の囚人が容易に監視できるのである。
(24)同上書、205頁。

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