チームワークにおけるピア・プレッシャーと「職場社会性」

1. はじめに
 ピア・プレッシャーについては、社会学的な考察がある。
 職場のピア・プレッシャーについては、その実態を踏まえた具体的な研究は少ない。
 鈴木良始は、日本的労働編成のもつ職場社会性との関係で論じている。
 ピア・プレッシャーという社会的圧力は余裕のない労働負荷が原因であって、職場社会性そのものは肯定すべきであるという。

(1)鈴木良始(1994)
 チーム制作業組織の問題として指摘されるのは、職場の独特の社会的圧力である(peer pressure)。
 作業条件に相互の助け合いを許容するだけの余裕があれば、peer pressure は生じない。その意味で、それはタテの管理的圧力(高い作業密度と低い要員余裕)がヨコ(仲間の圧力)に転化したものである。
 チーム制作業組織のもつ社会性そのものはむしろ肯定されるべきであり、日本的労働編成の有効性の側面でさえある。(290)

 さて、近年日本的経営に学んだ諸外国では日本的労働編成であるチームワークの導入が進んでいる。
 そこでは、チームワークの重要な要素としてピア・プレッシャーが問題にされている。
 職場の同僚による評価や監視の圧力が描かれている。
 これは、鈴木の見解とは違って「職場社会性」そのもののもつ否定面ではないのか。
 さらにいうと日本型モデルの特徴は、タテの労使関係的な管理よりも、ヨコの職場社会性による「社会的統制(social control)」にあるのではないか。

2. チームワークとピア・プレッシャー
 (2)パーカー=スローター(1988)
 自分は自分の仕事だけをやる、他人の仕事に気を遣う必要はない、という態度ではこのシステムは動かない。一人ひとりがどういう具合に働いているか。皆の眼に見える管理が重視される(訳95)

 こうしたピア・プレッシャーは、職場では強い力となりうる。われわれの多くは、われわれが仲間と思っている人々に受け入れられ、重んじられたい、というニーズを持っている。労働者の疎外感や無力感が増大している組立ラインなどでは、仲間からの受容や尊敬を失う恐ろしさはたいへんなものである。(訳102)

 (3)ベッサー(1996)
 もし私が自分の仕事を間違えると、ラインの隣の人がそれに気づいて私に知らせてくれるでしょう。だからこそ、自分の仕事をもっとうまくやりたいのです。良い仕事をしたい。私の仕事を見ている人がすぐあとにいるってことを私は知っています。彼らは私のあとに続いて仕事をしなければならないわけで、もし私が自分の仕事をちゃんとやらないと、彼らの邪魔をしてしまうことになるのです。そんな立場にはなりたくないものね。(訳83-84)
 それから、もしミスをしてそれが検査で見つかれば、ミスをしたとみんなに知られてしまうわ。誰だって、「検査で引っかかるミスをした」とグループの中で指摘されたくないわ。そういうことがあると、みんな理解するわね、自分がミスをしたと人に知られるのは嫌なものだってこと。良い仕事をしてるって、みんなから思われたいものよ。(訳84)

 チーム規範とチームから受ける制裁のおそれが、チームメンバーを、お互いに協力しあい、助けあい、一生懸命働き、最善を尽くすように励ますことになる
 チームメンバーは良くない仕事をしなかったとき、チームから一人前と認められ敬意を払われるのである。良くない仕事は、他のチームメンバーから「問題解決のための評言」を頂戴したり、すくなくとも彼らに否定的な感情を生み出すことになる。(訳110)

 (4)グラハム(1995)
 私は、統制の手段としてピア・プレッシャーが中心的な位置にあることに関しては、ドーゼと彼の共同研究者らに賛成である。日本型モデルは、ピア・プレッシャーを通して経営権を拡張しているので、こんなにも効果的であると言えるのである。
 日本型モデルはテイラーリズムを組み込んでいる。しかし、フォーディズムの原理をこえて[ピア・プレッシャーのような]社会的統制(social control)を含んでおり、この点では、日本型モデルはポスト・フォーディズムである。(訳222)

3. ピア・プレッシャーの規律と規範
 (5)バーカー(1999)
 チーム制に変わるまでは、遅刻したり昼食のあとちょっと寄り道したり、そんな風なことを誰もとがめ立てなどしなかった。ただ上司の機嫌を伺ってりゃよかった。一人の人間だけを気にしてりゃすんだ。上司がいなけりゃ自由だった。
 こうしてチーム制なってしまうと、きちんと位置について上司の顔色を伺う必要もないし、上司がいなけりゃ仲間としゃべったり好きなことができる。
 でも、チームみんなが自分の周りにいるんだ。で、チームみんなが俺のやっていることを見てるんだ。以前とは違うがそれはうまくいってる。チームの仲間を裏切ることはできない。みんなが俺にやってほしいということをやりたいんだ。(137)

 ひとつやっちゃいけないことは、ラインで飲み食いすることだ。なにかこぼれたら電子部品には本当にまずいことになる。だからある朝、ジェニファーが工作台で朝食をとっているとき飛んでいってこう言ったんだ。
 「ジェニファー、ここで食事しちゃいけないのは知ってるはずだ。ルールがあるだろ。フロアで食事してはいけない、フロアに紙コップを持ってきてはいけないってことだ。君はもうここに長いこといるんだからね。ちゃんとやってくれよ。」
 すると彼女はこう言った。「どうして、まだ七時前で誰もいないわ。クリスティ、あなたと二人だけじゃない。」
 「関係ないね。僕らはみんなここのルールに従わなきゃいけないんだ。」
 彼女は少しむっとしたけれど、立ち上がって休憩室の方へいった。だけど後でやってきて、あなたのいうとおりだわって僕に言った。(153)

 そう、ここでやっていくにはすごいプレッシャーを感じるよ。でも、そうしなきゃならない。みんなクタクタだ。時には、ひどい日もある。だから、みんなで互いに気遣いあわなきゃならない。われわれはチームだってことを思い起こしてみんなで助けあわなくちゃならない。チーム一丸となっていっしょに働くんだ。ある時には、僕が誰かの世話になり、次には誰かが僕を頼ってくる。そういう具合にやっているんだ。われわれはピア・プレッシャーを使う必要がある。それはみんなの道具なんだ。(161)

 誰かが仕事をしなかったらどうしたらいいのか。誰に最終的な責任があるのか。それは残念ながらわれわれ全員なんだ。もちろんチームが一緒になってその人に「君は自分の仕事をしていない」と言わなきゃならない。でも、ある人が進み出て「君は自分の仕事をしていない。みんなでそのことを問題にしよう。」と言い出さないと、事は始まらない。その人が悪者にならないといけない。
 文字どおり悪役になってこう言う。「君は自分の仕事を怠っている。君には期待してるんだ。君はここでは良い働き手だと思っていたが、そうじゃないんだね。」
 それを受け入れられずに、何ヶ月間か働いて辞めていった人もいる。彼らは周りのみんなに責任を負うということができないんだ。われわれが自分たちのやっていることを見張っている必要があるという事実が、彼らには負担だったのだ。(161)

 チーム制にとっては、ピア・プレッシャーが逸脱防止の正当な形式を特徴づける。ピア・プレッシャーによって彼らの世界が動いていく。それによって協同的統制(concertive control)の方法が働く。協同的規律のシステムでは、チーム・メンバーはお互いの行動を統制する正当な権利がある。冒頭にロナルドが言ったように、古い監督者はもはや存在しない。いまや、チームがみんなの行うすべてを見張っている。チームが矯正措置をとる。チームが自分自身を監督するのである。(152)

 われわれはみんな生活の多くの面でピア・プレッシャーに晒されている。みんなその力を感じている。みんながピア・プレッシャーに逆らうのがいかに難しいか知っている。ピア・プレッシャーを中心に動く規律的なシステムを創ったとき、それは実際とても力強い何者かである。良いことも悪いこともなしうる力を秘めた何かを創り上げたのだ。注意深く取り扱わなくてはならない何かを創りだしたのである。(160)

 仲間の規律(peer discipline)によって全体として統制が増大した。それは、協同する労働者たち(concertive workers)が価値観の共有による彼ら自身の共同体から創りだした方法である。その共同体に彼らは強く同一化し、互いに力づけ合ったのである。彼らは自らを自身の規範のまなざし(eye of the norm)のもとに置き、強力な統制システムをもたらした。(162)

 この結果は別の見方をすると、協同的統制は官僚制的統制よりも目立たないやり方でその権力を増大させたということが判明する。チーム・メンバーは、彼らの創ったシステムが実際に自分たちの行動を統制していることにあまり気づいていない。チーム労働者が協同的規律に合うように自らを社会的に形成したというのが本質である。彼らは自分自身の行動を統制することを直ちに受け入れたのである。それは自然なことで、自身の統制システムにすすんで従ったのである。
 しかしながら、これらの分析は徐々に協同的規律の究極矛盾に立ち返っていく。労働者は以前より統制されるようになったが、古いシステムに戻りたいとは思っていない。チームワークは、以前のシステムよりストレス度が高いし、時間や個人のあり方に対して厳しい。しかし彼らはそれをあきらめようとはしない。つまり、これは彼ら自身が創りだした規律なのである。彼らの威厳や自己感覚はチームの成功にかかっている。(163)

 それゆえISEのチーム労働者は規範のまなざしのもとにあるとともにその中にもいる。彼らからすれば、まなざしの中であり、すべては自然であるべきとおりにある。しかし、彼らの権力関係の共同体はますます強く彼らを締め付け、強い同一化と厳しい方法体系が続くことによって自発的服従を強制するのである。
 矛盾するようだが、チーム・メンバーは幾分疎外感が弱まり、以前よりも組織にコミットし、しあわせに働いているように感じている。彼らは統制感を持っているが、しかし確かに以前より統制されているのである。彼らは規律化されたのだ。(164)

4. 職場社会性と水平的統制

5. おわりに

参考文献
(1)鈴木良始(1994)『日本的生産システムと企業社会』(北海道大学図書刊行会)
(2)Parker, Mike, and Jane Slaughter(1988) Choosing Sides: Unions and the Team Concept 戸塚秀夫監訳(1995)『米国自動車工場の変貌 「ストレスによる管理」と労働者』緑風出版
(3)Besser, Terry L.(1996) Team Toyota: Transplanting the Toyota Culture to the Camry Plant in Kentucky 鈴木良始訳(1999)『トヨタの米国工場経営 チーム文化とアメリカ人』(北海道大学図書刊行会)
(4)Graham, Laurie(1995) On the Line at Subaru-Isuzu: The Japanese Model and the American Worker 丸山惠也監訳(1997)『ジャパナイゼーションを告発する アメリカの日系自動車工場の労働実態』大月書店
(5)Barker, James R.(1999) The Discipline of Teamwork: Participation and Concertive Control

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