研究ノート 過労死問題とその仕事について


1.序言
 1.1 「企業社会」と人間
 1.2 二つの過労死
2.過労死の具体的事例
 2.1 手記より
 2.2 簡単なコメント
3.仕事に向かう心性−−タイプJ−−
 3.1 仕事への真面目さ
 3.2 物事へのこだわりと誠実さ
 3.3 他者との共振
4.あとがき


1.序言

1.1 「企業社会」と人間

 あのバブル経済の時代へと向かう80年代後半に見られた、日本的経営への賛美と自信感は一転して、90年代を通しての日本経済の失速状況の中で、過労死問題の噴出、リストラ旋風と終身雇用制の動揺、相次ぐ大型倒産、そして金融機関の問題の深刻化など、内外からその存立基盤を問う声に包まれている。一方で制度としての日本的経営システムの手直しを容認しつつも、それのもつ伝統的な人間関係の優位さへの信頼を表明する論者も依然根強く存在するのであるが、総体的に見て日本の経済・経営の何らかの抜本的な改変は今や不可避であるという認識が広まりつつあるのも確かであろう。それらの議論の中で注目すべきは、規制緩和の推進や日本的雇用システムの見直しといった、マクロの視点からの種々の処方箋ではなく、「寄らば大樹の陰」と揶揄される「会社人間」的な生き方への反省と、「個の自立」を求めるいわばミクロの視点からの人間像の転換に関する論点である。
 従来からの日本的経営論が多様に論じられてくる中で、それと交錯しつつここ何年かの間に「企業社会」という用語が定着してきた。日本的経営論が、日本の企業経営の特質を企業そのものに着目しながらその生産や組織のあり方を分析してきたのに対して、企業社会を論じる視点は、企業という存在が現代の日本社会において人々の生活の根幹に関わっているという企業中心主義の解明にあるといえよう。
 現代日本の社会を検討するに際しては、企業のあり方を抜きにしては考えられないのであって、それは日本社会の伝統をも含めた様々な要素が企業の中へと流れ込み、そこで攪拌され純化されたものが再び外へ流れ出すといった様相を呈しているからである。例えば、学校や家庭・地域社会といったものにも企業との密接な関係が浸透し、経済的にも人的にも企業を中心軸として考えざるをえない状況が広まっている。つまり、日本社会の人間的な諸関係や意識のあり方に深い影響を及ぼしているのが、他ならぬ企業=会社の行動様式であるという意味において、現代日本は企業中心社会なのである。
 いま、企業社会として対象化されるものを、仮に制度と伝統意識(文化)そしてその中で生きる人間という三者の相関関係の中で捉えてみよう。制度として常に指摘され続けてきたのが、終身雇用・年功序列・企業別組合のいわゆる「三種の神器」であることはいまさらいうまでもないが、最近では能力主義管理による人事考課に関する研究が深められている。一方、それらの研究成果と実質的なつながりのないままに、主として社会学的なアプローチによって進められてきたのが日本文化論であるが、「恥の文化」や「日本的集団主義」がいかに管理や雇用のシステムと内在的な連関を有しているのかは、未だに解明されていないといえよう。伝統的な日本文化が企業制度の歴史的形成要因や背景となっていることを認めつつも、雇用や管理に執拗なまでの注目をする議論のもつ無意識的な前提を探る必要がある。それは、それぞれの議論が人間関係と心理をどのように扱っているのかを問い直してみることでもある。
 考えなければならないのは、諸議論が前提としてもっているところの、制度と意識そして人間的諸関係への認識の方法論的スタンスそのものである。制度が意識を規定するのかそれとも文化や伝統的意識が制度を形成するのかといった議論を、そのまま抽象的なレベルで展開しても生産的な結論がえられるわけでもないし、ここでそれを行うゆとりもない。むしろ指摘したい問題は、従来の議論が制度的要因の過大視によって、労働者の心理や人間関係のあり方への考察を軽視してきたのではないかということである。このことはただちに、社会的な問題を心理的な諸要素に還元する心理(学)主義の立場を意味するのではなく、制度的要因に包含しつくされない個人の独自な心理や意識への着目を促す積極的方法を探っていこうとするものである。企業のあり方とその構成員の意識や人間関係の抱える諸問題にどのようにアプローチするのかを、考えなければならない。
 組織や管理の構造的要因を第一義的に解明しようとする諸議論がいままで見落としてきたのは、何よりも、その構造の中で日々生活を営んでいる人々の生きた人間的関係と心理そのものである。どのような制度的環境におかれていようとも、人は日常生活を、時には対立を含みつつも親しい他人とのつきあいの中で送らざるをえないということは、自明の事柄であろう。そのことは企業においても全く例にもれない。いかにフォーマル組織としての企業という側面が重要であっても、そこでの、感情や場合によっては相性といったような生々しい人間的な諸関係や心の動きを無視しては、様々な事柄を理解する上でのリアリティを欠落させてしまう。確かに、このような人間的事象を捨象して客観的に確定できる事実を対象にすることによって、組織を科学として取り扱うことが可能になったのだともいえようが、その結果、干からびた抽象議論に堕する危険性をも孕んでしまったのである。特に、人間的なあまりに人間的な日常性に苦悩する人々にとって、抽象的な議論のもつ物化された非人間的構造は、窒息せんばかりの息苦しさを感じさせるのである。
 そこで本稿では、企業社会を制度や伝統文化から考えるのではなく、企業や職場で働く人々の心理や人間関係のあり方を、過労死問題を切り口にして考察する。それは、企業社会の根底にある働くということ、すなわち人々の仕事への関わり方について試論を展開することでもある。

1.2 二つの過労死

 過労死問題に関わっていくとき、ひとつの皮肉な現象に出会うことがある。過労死研究者の過労(死)である。あるいは、過労死や過労自殺の問題に取り組み、社会的な活動や発言を行っている人たちの、凄まじい働きぶりである。このことは、時に、そこまでがんばって社会のために活躍しているのかとか、当事者のために尽くしたのだから致し方ない、などともいわれよう。また一方で、苛酷な労務管理のもとで働く労働者と、自主的な活動をしている社会的な研究者とは、全くおかれている環境が違うのだともいえよう。まして、過労死の労災認定をめぐる闘争のさなかで倒れて行く弁護士の姿は、壮絶な感動すら与える。ともすれば、一層の悲痛感をあおり人々の脳裏に死が深く刻まれていく。
 「世のため人のため」であれば過労死にいたるほどの労働は美徳なのであろうか。だが、そういい放ってしまうと、企業労働による過労死は悲劇であり、社会活動による過労死は名誉の死なのかと、すぐにも疑問が湧いてくる。企業労働の管理的条件と社会的活動に携わる人たちのあり方は、全く違うのであり、それらを同列に論じるのはおかしいとの声も聞こえてくる。確かに、企業労働者の過労死と、研究者や弁護士の過労(死)とは何かが違う。この違いをぼやかしてしまうと問題の本質を取り違えるのではないかとも思われる。
 逆に、何が共通するのかを考えてみよう。「死ぬほど大切な仕事」に自らを投じてしまう、またそうせざるを得ない状況に追い込まれる何かである。この仕事に賭ける意欲が根本において共通する。しかし、仕事への情熱だけでは、人は死にいたるほどの苛酷な労働状況に進んで向かっていくとは思えない。さらに何らかの要素が過労死にいたるまでに彼らを追いつめていく。ここで、先ほどあげた企業労働者と社会活動家の違いが浮かび上がってくる。前者が企業の中での抜き差しならない労働強制と見えるのにたいして、後者は社会的な使命感に基づく否応のない自己犠牲と感じられる。
 企業労働者の過労死が、管理的で苛酷な労働条件の下での強制によるものと印象づけられるひとつの要因は、会社側の、当事者の家族への冷たい態度であろう。生きて会社に貢献しているときには、大きな期待をかけ多くの仕事を任せていても、死後は手のひらを返したように冷たくなってしまうという。一方、社会活動家の死に対しては、関係者の心のこもった悔やみと、世間の同情の眼差しが寄せられるであろう。会社に対するマスコミや世間の非難も、もっともなことである。
 だが、会社にたいして怒りをぶつけて闘っているだけでは、会社側はますます態度を硬化させ、果てしない不信と恨みの世界が渦巻くであろう。怨恨は死者を慰撫するのにふさわしくない。企業労働者の死が切ないのは、その死に向かわざるをえなかった過程における彼の心理的状況が、誰もが納得できる形で理解されないからである。であるからこそ、死に至るまでの心の移りゆきを、仕事のあり方とからめつつ確かめてゆくことが、大切な作業となる。
 社会活動家と同じく、彼も人一倍の情熱をもって仕事に打ち込んできた。なのに、社会への貢献と会社への貢献が、死においてこんなにも評価が異なってくるのはなぜだろう。その問いには簡単には答えられないが、次のようなことだけはいえるだろう。
 企業労働者も社会活動家も、過労死するほどまでにいたるのは、その根底に人並み以上の仕事への意欲と情熱があることが原因となっていることは、ほぼ間違いない。その上に、前者では労務管理の何らかの側面が、後者では社会的使命感による何かが、それぞれの内面に大きな負荷をかけていくことによって、悲劇にいたるのである。
 とはいえ、さらに考えを進めると、社会活動家の仕事ぶりは、社会的使命感と情熱に根ざした極めて激しいものであっても、それは、直接には誰の強制でもない自主的な行動に見える。仕事の要請や依頼も、「自分がやらなければ誰がやる」という強い責任感から、ついつい断りきれなくなってしまう。周囲の期待に応えるためとはいえ、もともとは自分から進んで取り組みはじめたことである。そこには、強制となるような労務管理を執行する上司も会社もない。だが、使命感や責任感という自分で自分を追い込んでいく、いわば自己強制のような心理は確かに作用している。
 企業労働者においても、使命感や責任感は強く存在するのであるが、どうしても自分で自分を追い込んでいった自己強制のみの結果だとは言い難い。会社の提示するノルマや達成目標があり、労務管理上の問題は避けられない。だが、死に至った当事者の家族にたいして、会社側が必ずといっていいほど口にするのが、「決して一方的な労働強制ではなかった。本人の自主的な同意があった」という言葉である。この言葉が、単なる責任逃れだけではない何らかの事実を表していることに注意しなくてはならない。
 会社側の苛酷な労務管理のみが原因なのであれば、まだ事態は見えやすい。会社も、貴重で優秀な労働力を無駄にするような行為を自らとるとは思えない。ここには、日本の労務管理のあり方と、それに対応する企業労働者のある心性が、微妙に共振してしまった何かが示されているのではないだろうか。本稿では、その何かを、限られた資料の中でできる限り解明してみようと思う。

2.過労死の具体的事例

2.1 手記より

 以下にあげるのは、過労死した労働者の遺族が書き記した手記からの抜粋である。@〜Hは、『日本は幸福か 過労死・残された50人の妻たちの手記』(全国過労死を考える家族の会編、教育史料出版会、1991年)、I〜Lは、『死ぬほど大切な仕事って何ですか リストラ・職場いじめ時代に過労死を考える』(同、1997年)による。かっこ内の数字は、同書の引用ページである。ただし、ここには企業労働者だけでなく教師の例も含まれているが、このこと自体が、狭い意味での「企業社会」をこえて、その根底にある仕事について考えなければならない必要性を示している。

@ あなたが仕事をしていたころ、毎晩(朝)帰宅の遅いのに私が心配して、転職をすすめたことがありました。会社をやめてほしいと何度も言いましたね。でも、家族のためにこれだけの仕事をしているのだ、社会的責任もあるのだと、そして私が自分の気持ちを理解してくれないと、あなたは言いました。そして死んでしまった。あなたが守りたかったものはなんだったのですか。死ぬほど大切にしたかったのは、なんだったのですか。
 亡くなってから、同僚の方に言われました。「子どもたちに誇れる仕事をした」と。あなたが生涯をかけてやりたかった環境保全の仕事はたしかに、だれにでもわかるほど素晴らしい仕事だと思うのです。そして真面目に努力して、コツコツと仕事をやりとげ、評価も受けた。やりたい仕事で死ねて本望ですか? これは皮肉に聞こえるでしょうか。
 日曜日の晩、前日出勤したまま帰宅しないあなたを、思いあまって迎えにいったことがありました。現れたあなたの目は血走り、目のまわりはどす黒くなっていました。帰宅のタクシーの中でも仕事の話をブツブツ。仕事という魔物にとりつかれたかのように、仕事以外の話には耳も貸さず・・・・。本当に、真からの仕事人間なのだと思いました。私がいくら言ってもわかってもらえないのは当然でしたね。
 でも、どうしてそこまで追いつめられてしまうのでしょう。(13-14)(1990年2月、環境調査会社勤務の夫が突発性心機能不全で死亡。当時40歳。)

A 新聞社内で、数多くの本の出版を手がけてきた夫。「本づくりのプロだった」「人一倍責任感が強く、とても自分に厳しい人だった」「常に情熱と誇りをもって仕事をしていた」。亡くなってから、たくさんの言葉をいただきました。そんな夫を誇りに思います。(16)(1988年2月、新聞社勤務の夫が脳内出血で死亡。当時38歳。)

B 自分の選んだ道とはいえ、夢と希望に燃えて入社してみれば、あまりにも違う現実にとまどい、失望する勝利[=息子の名]。なぐさめる言葉もなかった。
 「どこの会社も同じだよ。あまり無理をしないように。先は長いんだから」。そう言うと、「母さんには分からないよ、俺の気持ちは。いくら一生懸命やっても次にはかならずそれ以上を要求されるんだ。疲れたよ」(23)(1989年11月、火災保険営業の息子が死亡。当時25歳。)

C 二年一ヵ月の結婚生活のあいだ、夫はいつも仕事を優先してきました。私が、大きなお腹で階段から落ちて出血したときも、出産後、出血多量で危険なときも、赤ちゃんの誕生を祝って、和歌山からお義父さん、お義母さん、お義姉さんたちがみえたときも、夫は仕事場から離れられませんでした。仕事の合間をぬってかけつけても、五分ぐらいでまたあたふたと仕事に戻るのです。家族が気にならなかったわけではなかったと思います。自分の力ではどうにもならない流れのなかにいたのです。(30-31)(1987年2月、化学工場長の夫がくも膜下出血で死亡。当時35歳。)

D 若いころは少しチャランポランなところがありましたが、仕事につくようになるととても真面目になり、上司からもかわいがられました。年齢的に中堅と呼ばれるころになり、いっそう仕事に意欲をもやしていました。勉強家で、頼まれると嫌といえない性格の息子は、同僚だけでなく、お客さまからも頼りにされていたそうです。なにか質問があると、「今日は木村さんいないの?」と息子を探すお客さまもいたそうです。(36) 一九九〇年二月、大きな脱線事故が起こり、その責任をとらされ、駅長、助役ともに左遷されてしまいました。勝美をとてもかわいがってくれた人たちでした。そして代わりに、業務に不慣れな新しい駅長、助役が着任しました。職場は、頭数さえ揃えばいいというものではありません。新しい上司は、自分のすべき仕事も、不慣れだからと勝美に任せるようになりました。息子が真面目だからとか、機械操作のベテランだからという理由で、これまでの業務のほかに、月末、月初め、本社へのさまざまな提出書類、売上表の作成、銀行の管理なども息子に押しつけられたのです。上司あての書類が送られてくると、「木村くん、これやっておいて」と、ぽんと渡されたそうです。(37-38)(1990年10月、JR勤務の息子が脳幹部出血で死亡。当時46歳。)

E 私たち夫婦は、夫が死ぬ前の三年間は、日帰り旅行すらしたこともありません。ゆっくり温泉に行きたいという夢も、実現することなく、夫は逝ってしまいました。体格は見るからに頑健でしたが、穏やかな人柄でした。責任感が人一倍強く、他人に無理強いすることができない性格でした。そのために、よけいに仕事を背負いこむことになり、精神的ストレスも強かったと思います。(83)(1988年10月、食肉製造販売会社営業課長の夫が小脳出血で死亡。当時47歳。)

F その日、夫はいつもと違い、顔色がひどく悪かったので、「しばらく休んだら」と勧めたそうですが、「いや、大丈夫、大丈夫」と手を振りながら、荷降ろしを続けたそうです。夫は、具合が悪くても、ほかの人に仕事を任せて自分だけ一休みすることなどできない性格でした(112-113)
 夫は頼まれれば断わることができない人でした。運送業務も、時間に遅れることにとても神経を遣う、責任感の強い、真面目な性格でした。それを利用されたような気がします。(114)(1983年4月、トラック運転手の夫が脳内出血で死亡。当時41歳。)

G 「彼に頼めば確実。正確にやってくれる」と周囲からの信頼もあった。実際、微に入り細に入り、とことんやる。困難な仕事をつぎつぎになし遂げる。よい評価を受けるたびに、仕事は増えていく。毎日が戦争だ。休めば人に迷惑をかける。必死で仕事をする。そのうちに、チーフになる。責任のある立場になってくる。たえず、部下への配慮が必要になってくる。先へ先へとプランを練る。寝床に入ってからも、思い起こしたようにメモをとっていた。睡眠不足は当たり前。体の調子が悪いときには、病院へ行き、一週間分の薬をもらってくる。薬を手にしただけで気分的に楽になり、またいつものように仕事を続ける。そんな生活が十数年続いていた。(184-185)(1990年2月、高校教師の夫が心筋梗塞で死亡。当時48歳。)

H 次男が夏休みをとるようになったのは、結婚してからです。独身のときは、お友だちの当直も引き受け、お正月も一日も休みませんでした。父が亡くなったときも、お通夜とお葬式のとき以外は家にいませんでした。その席でさえも、ポケットベルで呼び出されていました。「いつでも呼べばすぐ来てくれる先生」として有名でした。台風の夜や、ほかの先生が夜中の電話に出ないときなど、何回出かけたかしれません。風邪で高熱を出したときも、一日も休みませんでした。(229-230)(1984年9月、産婦人科医の息子が急性心不全で死亡。当時40歳。)

I 通常でも過酷であった業務が、一九九五年三月に中堅の後輩が退職し、四月には主任になり、新人三人が配属され、そのうえ、阪神大震災の関係で受注が増えるなど忙しくなり、帰宅はほとんど毎日午前二〜三時となってきました。(中略)また、夫は、建築がむずかしい(法関係や立地条件等で)物件を担当することが多く、神経をつかうことが多かったようです。それでも、どんどん仕事を任され、「俺がやらなすまんからなあ」とがんばっていました。(14)
 いつも、ふざけあってばかりいた彼が、みんなから信頼され、慕われ、愛されていたことを知りました。仕事内容も進め方も、とても過酷なものでした。よくこんなにできてたなあと、本当に不思議でなりません。あれだけの業務内容をこなし、帰宅してからも、いつも笑顔で私の話にもつきあってくれ、家事まで手伝ってくれることもありました。会社でも、急な仕事を頼んでも「しゃあないなあ」と言いながらも、笑ってやってくれ、怒ることなどほとんどなかったと、同僚が話してくれました。本当にすごい人です。(16-17)(1995年8月、住宅メーカーの設計士の夫が虚血性心疾患で死亡。当時29歳。)

J 妻は、常に仕事を優先していました。わが子の参観日や運動会にはほとんど行きませんでした。五・六年を担当してから、気持ちが学校から離れなかったようです。そのことで、何度も夫婦喧嘩をしました。(19)(1995年1月、教員の妻が脳内出血で死亡。当時44歳。)

K 父はこのような厳しい条件のなか、単身赴任して会社の寮に寝泊まりしながら仕事をつづけていました。父の性格は几帳面で根っからのまじめ人間でしたから、その食品会社でも率先して整理整頓に努め、会社のなかがきれいになったと回りから評されていました。上司の評価も高く、仕事の段取りがよく役に立つ男だということでした。(29)
 まじめで人がよいことで、上司に「人がいないから残業してくれ」と言われれば、自分が疲れていても「はい、わかりました」と答え、「朝早く出てくれ」と言われれば無理をしてでも早起きし、無免許にもかかわらずボイラーの早朝点火を命ぜられれば、これに従いました。
 父にとってみれば、会社の便利屋的存在と知りつつも、また、身体に疲れがたまっていくのを自覚しても、人手不足のこの会社で仕事を続けるほかに選択の余地がなかったと思いました。(31)
 他人を思い、会社を思い、家族を思い、選択の幅をせばめながら、長時間労働をこなしていた父。まるで、みずから過労死を選んでいったような晩節であったといえます。もっと自分の身のことを考え、うまくふるまえば残念な結果にならなくてすんだものをと考えますが、生活のほとんどを管理され、システム化された仕事を必死にこなしていく者には、はたしてそのような要領を使う手だてがあったろうか。否、まじめな人間ほど、人を思いやる人間ほど、うまく使われ結果的に損な役回りを背負っていく。これが現実の父の姿であったように思われます。(31-32)(1986年3月、食品会社勤務の父親がくも膜下出血で死亡。当時53歳。)

L 公治は、母親思いで、心やさしい子どもでした。友だちも多く、ひょうきんで、人をよく笑わせる人気者でした。
 公治は入社以来、四時半、五時、五時半と夜も明けないうちから出社し、夜は八時、九時に帰っていました。泣きごとひとつ言わず、責任感の強い頑張り屋でもありました。(58)
 帰ってもソファーに倒れこみ、食欲もなく、風呂にも入らないことがたび重なり、夜も眠れなかったようです。私はたまりかねて「会社を休みなさい」「どうしても行くなら、タクシーを呼ぶから」「上司に電話するから」などと言い合い、会社を休ませようとしました。しかし、公治は「電話するな。おれが行かんとソースができん」と言って出社しておりました。(59)(1995年9月、ソース製造会社に勤める息子が職場で自殺。当時24歳。)

2.2 簡単なコメント

 以上のような諸例を見ていくときに気づくことは何であろうか。もちろんこれらは遺族の手記の一部であり、しかも本人の性格や心理、まわりとの関係がよくわかる部分を取り出したものである。労働実態や管理者との関係に着目しているのではない。それは、労働者のおかれた管理や制度の側面ではなく、当事者の心の動きや周囲との関係から生まれてくる、過労死に追い込まれるほどの内面のありように迫ろうとする、本稿の意図によるものである。管理や制度は、どの労働者にとっても客観的なものとしておおいかぶさってくる。だが、それを受け止める側との何らかの心理的相互作用が、過労死に大きくつながっていることもまた事実である。この主張は、過労死に対する企業の責任を免責し、一方的に本人の資質・性格に原因を求めることでは決してない。むしろ、心の動きがいかに管理や制度のなかで追いつめられていくかという、本人の力だけではどうしようもない不幸な状況を解明しようとする。管理する側と制度の面においては、このような心の動きや状況を深く理解したうえで対処していかなくてはならないのである。
 さて、これら過労死に追いやられた人たちにある程度共通する性格は、真面目(@DFK)、几帳面(FK)、頑張り(BGL)、責任感の強さ(@AEFGL)、やさしさ(EIL)などである。そういう個人的な性格をもちつつ、生活のなかで仕事を優先し(CJ)、それに意欲と情熱と誇りをもって(AD)打ち込み、とことんやる(G)ことで、仕事の魔力性(@)にとりつかれていく人々でもある。このように真面目で責任感が強く、仕事にのめり込み頑張る「仕事人間」であればこそ、その成果も人一倍高いものとなる。そのことは当然、まわりからの高い評価と「あの人に任せておけば」という強い信頼感を呼び起こさずにはおかない(@ADGIK)。その結果、むずかしい仕事をどんどん任され(I)、次々と要求水準が上がり(B)、よい評価にともなって仕事は増えていき(G)、呼べばすぐ来てくれる(H)というまわりの安易な依存心をも生み出す。 また、周囲に配慮するやさしさと気遣いから、頼まれれると嫌といえず(D)、頼まれれば断ることができない(F)、しかも他人に無理強いすることができない(E)性格なので、いつでも仕事を押しつけられ(D)、あるいは自分で背負い込んでしまう(E)。そしてついには、おれがやらなすまん(I)、おれが行かんと製品ができん(L)、という状況に追い込まれていくのである。これらは、自分の真面目さと仕事への没頭が生み出した周囲との依存関係のようでもあるあるが、自分の力ではどうにもならない流れ(C)のなかでの、ほかに選択の余地がない(K)状況なのである。
 まとめると、真面目で責任感の強い優秀な労働者が、仕事の魔力に引き込まれていき、高い成果を上げることによって、周囲の評価と信頼をえる。そして、ますます要求水準が昂進し、次々と仕事を任されるという否応のない状況の強制に巻き込まれていく。しかも、頼まれると嫌といえないやさしさのゆえ、ついには、まわりも仕事を押しつけたり依存してしまうことになる。これは、周囲の期待とそれに応えざるをえない状況強制によるものである。もちろん、これにノルマや目標達成の管理が加わることによって、状況の抗いがたい力は本人をとことんまで追いつめていく。労働現場が無限定で無定量の仕事を要請するのであるから、しかも、本人がその要請を一方的に遮断してしまう術を、まわりとの関係においてどうしてもとれなくなってしまうとき、事実上際限のないほとんど無限ともいってよい仕事量をみずからに課してしまうのは、事の必然である。管理や制度の側はこれに歯止めをかけて労働力を保全するためのメカニズムをもっておらず、むしろ無限の労働をある意味で歓迎し容認してしまう態勢にある。
 では、その無限の労働へと志向してしまう労働者の心性とはどんなものであろうか。ひとつの仮説を示してみよう。

3.仕事に向かう心性−−タイプJ−−

3.1 仕事への真面目さ

 ここでは、過労死にいたるほどの仕事ぶりを示す企業労働者に通じるある心性を想定して、それを「タイプJ」と表現することにする。これが、過労死にいたったすべての人々に当てはまるものなのか、さらには日本の労働者の特性につながるのか、あるいは全くの個人的性格にすぎないのか、多くの疑問を孕んでいるのだが、ひとまずは仮説的な像として提示してみたい。
 タイプJの特徴は、まず何よりも仕事好きであることだ。好きであるがゆえに仕事にのめり込みもするのだが、物事に対するいちずさとひたむきさがそれを支えている。人にあれこれいわれる以前に、自分から進んで物事に誠実に取り組もうとする。たとえ与えられた仕事であっても、それを納得のいく形で仕上げなければ気が済まないのである。それは、ある種の職人気質ともいうべき心性であろう。人がどういおうと、場合によっては労務管理の条件がどうであっても、物事そのものに向かっていく情熱である。
 そのことはまた、まじめで努力家であることや几帳面な性格にもよる。荒い大雑把な仕事ぶりを嫌い、こつこつと積み上げていくタイプである。時に、遊びやゆとりといった余裕のない追い込まれたような状況にも陥る。いつも、仕事のことが頭から離れないので、どこにいても気が張りつめていて緊張している。仕事一筋という印象を与える一方、どこか気の抜けない緊張状態を続けているように見える。
 仕事好きであることは、物事にこだわりその完成に向けて自分の力を精一杯傾けようとし、ひとつひとつの作業をおろそかにしないという面をもっている。単に仕事を楽しむとか、それに没頭していれば幸せであるというだけではない。自分が物事に真摯に向き合っているという、厳しい緊張関係を含んでいる。その意味では、仕事の過程よりも結果に大きな喜びを感じるのかもしれない。だが、仕事の過程において自分の力が発揮されていることが、刻々に実感できるという場合もある。いずれにせよ、仕事に対するまわりの評価よりも、自分と物事の関係において確証される喜びである。
 さらに、一生懸命がんばって仕事に打ち込むという努力家の側面は、彼自身が「やればできる」という強い意志と自信を持っていることも示している。それは、周囲に力を誇示しようというものではなく、物事そのものに打ち込んでいくという努力に価値をおいているのである。がんばること自体が自分の目標であり、仕事の手を抜くことが許されないと感じる。自分を仕事に向かって追い立てていく厳しさが、タイプJにはいつもつきまとっている。

3.2 物事へのこだわりと誠実さ

 この余裕のない強迫的なまでの仕事への真面目さは、どこから来るのであろうか。タイプJの生い立ちや受けた教育などが影響しているのはもちろんであろうが、ここではもう少し仕事そのものにおいて彼の性質に迫ってみよう。
 まず、仕事の対象である物事にがっぷりよつに組んで徹底的にやらねば気が済まないことである。目の前の必要からいえば、何もそこまで徹底しなくてもと思われることを、しゃにむにとりつかれたようにやり遂げようとする。結果的に当面の目標を逸することさえある。なぜなら、彼にとっては当面の目標が問題なのではなく、物事そのものに突き進んでいくことこそが課題なのだから。人からは要領が悪いとか、間にも暇にも合わないと評される場合もある。そもそもまわりの要請との関係で仕事をするということが、タイプJにとっては一番の苦悩なのである。
 この徹底的にやらねば気が済まないということについてもう少し見てみよう。もし仕事が与えられた課題として、その一般的な達成基準をクリアしていれば、普通は問題はないはずである。だが、タイプJの大きな特徴は、この達成基準を自分のなかでかなり高いものに引き上げてしまっている、というよりむしろ達成するということを完璧性を追求するということとして理解している、という点にある。与えられた課題なのだから、求められるようにすればいいのだとは考えられない。与えられたのはたまたまのきっかけであって、そこから先は自分と物事との一対一の厳しい緊張関係の世界にはいっていくのである。いわば、物事との激しい緊張状態のなかで、自分を保ち、そして仕事の完成に向けて死力を尽くす世界である。
 そこでは、仕事の手をゆるめたり手を抜くことは、物事への誠実さを裏切る背信行為として、後ろめたさを感じさせる。物事への誠実さとは、自分が物事を征服してしまおうとするよりも、自分を棄ててかかることで物事とともに動こうとする態度である。仕事の対象である物事の声に耳を傾けることによって、物事そのものの中に入っていこうとする。自分と物事とがぴったりと寄り添うことによって、仕事のリズムと流れが生まれてくる。ここでは、ひたむきさと一途さは、全く物事に奉仕することによって美しき努力となっている。物事の発する声に耳を傾けることは、自分の側の揺れ動きを少なくして、物事が自分に求めていることが何かを聞き取ることである。物事に奉仕することで、物事の求めるように自分を動かすのである。仕事のリズムと流れに無理なく乗る美しさである。
 だがもう一度、仕事における自分と物事との鋭い緊張関係に立ち戻ってみよう。自分の型を物事に押しつけようとするとき、それはこだわりとなる。自分のなかの何かが、物事の発する声をかき消してでも、みずからを押しつけようとする。自分のやり方、こうでなくてはならないという思いがこだわりとして表れる。こだわりは、自分の力を発揮して物事を制しようとする強さである。そこでは自分と物事とは、緊張した、場合によっては対立した関係にあり、物事の動きに追い立てられ追いつめられる自分がいる。だから逆に、その物事を制していこうとする努力は、こだわりという強さをもたざるをえない。しかも、物事の動きについていこうとすればするほど、自分の方もそれ以上に動かなくてはならないから、より一層の強さが求められる。
 こだわりという強さによって、自分は物事を制しようとし、物事の動きを追いつつも、逆に物事の動きに追いつめられてくる。ここに、物事の動きに追いつ追われつするのではなく、物事の声に耳を傾ける自分が出てくる。自分のもつ強さを棄てて、対象である物事に受け身となって身を添わせ、ともに動こうとする努力である。自分と物事の間の関係には、こだわりによって制しようとする強さと、声に耳を傾ける受け身との、両者がある。この両者の微妙な絡まりのなかから、仕事への余裕のないまでの真面目さが生まれてくる。物事を制するために物事をとことん追いつめていくのだが、いつでも対象である物事は様々な動きを示し、追えば追うほど逆にその声を聞かざるをえない複雑さを呈してくる。どこまでも動きを追おうとすれば、誠実に身を添わす以外になくなってくる。
 動きを徹底的に追いかけていくときの充実感、頑張ったあとの達成感、受け身の誠実さによる献身感、自分と物事の間で感じ取られる満足感は、真面目さから生まれてくる仕事へののめり込みを支えている。

3.3 他者との共振

 タイプJのもうひとつの大きな特徴は、自分とまわりとの関係において現れる。もともと優秀な労働能力をもっているものとして、まわりから一目置かれているのだが、彼の真面目な仕事ぶりは、常に周囲からの期待の視線に晒されている。彼に任せておけばきっと確実にやってくれるだろうという期待は、それを裏切るまいとする必死の努力を呼び起こす。期待に応えられない無念さは彼にとっての最大の屈辱である。そのプレッシャーを抱きつつ、いつもよい結果を出し続けなくてはならないのだ。そしてそれに成功する度にまわりの評価と信頼はますます高まり、より一層高い目標にみずから挑戦せざるをえなくなる。
 自分は仕事ができるのだ期待されているのだという自負は、他人に仕事を任せるよりも自分でやった方が確実だという、仕事の背負い込みを生み出してしまう。後継者を育てたり協力者を見つけることをためらいがちになる。何でも自分一人でやってしまおうということから、まわりはますます彼に任せっきりになる。その結果、まわりの、彼がいなくては仕事が進まないという認識は、事実のうえでも確かなものとなってくる。
 だが、タイプJにとってもっと重大なことは、彼が様々な仕事の流れのなかでまわりの期待と相まって、周囲から依頼される仕事を自分の許容範囲以上に引き受けてしまうことだ。もともと職務分担の明確でない職場では、やってくれといわれた仕事を素直にこなしていると際限なく要請は累積してくる。タイプJの特質は、この要請を断りきれないことで、断ることへの罪責感のような、依頼者の気分を害してしまったのではないかという後味の悪さにさいなまれるのである。それもまた、彼に寄せられる期待を裏切るまいとする気持ちの表れである。常に、自己主張よりも相手の意向をくみ取り、場合によっては先取りしてでも相手に合わせようとする懸命の努力を怠らない。
 これは、周囲の他者にたいして誠実であろうとするタイプJの特徴である。物事に対しては徹底的にこだわりつつ物事の発する声に誠実に耳を傾けたように、まわりの人々に対しても時に激しい自己主張をすることとともに、一方で期待されているという状況は、彼を受け身の立場に追いやっていく。だが受け身であることは、唯々諾々と相手の意思に従うことではない。むしろ、相手の意思にみずからを添わせることで真に自分らしさを表現していくことができる。他者とともに動くこと、まわりと共振してしまうこと、これがタイプJの大きな特質である。
 物事の声に誠実に耳を傾けその求めることに身を添わせつつ仕事をすること、まわりの期待に応えて相手の要請に従っていく受け身の姿勢、これらは、物事とまわりという他者を裏切ることへの後ろめたさにも裏づけられている。他者の声に対する誠実さ、受け身の姿勢によって自分が他者と共振してしまう。こだわりや強さを貫くことが、他者との摩擦を引き起こすことへのおそれ。タイプJの「他者との共振」的性格と呼んでおこう。
 まとめると、物事に徹底的に取り組んでいこうとする「職人気質」と、物事とまわりの声に誠実に耳を傾けていく「他者との共振」性とが絡み合って生まれる状況が、彼を激しく仕事へと駆り立ててゆくのである。

4.あとがき

 本稿は、企業社会という言葉で表される企業中心の日本のあり方を探ることを直接の目的としたのではない。「はじめに」で述べたように、企業・職場で生きて働く労働者の日常的な人間関係や心のあり方を常に念頭においていたのである。このことは、従来の社会科学的分析とは違う方法を必然的に要請するのであるが、その方法論を体系化したり豊富な資料に基づいて実証することは、現時点では不可能であった。それゆえ、本稿は文献的な注を一切省いた拙い研究ノートである。
 ただひとつ注意しておかなくてはならない点は、労働者あるいは働く人々の意識や心理を問題にすることの難しさである。そもそも、「意識」「心理」「内面」等々の概念の整理をするだけで一仕事を要する。だが、方法論的・概念的な厳密さを追求するよりも、かなりずさんではあるが、表現してみるということに重きをおいた。結果的には、主観的印象の羅列の域をこえられなかったが、従来の「労働者意識」論で扱いきれなかったものを、検討していくためのひとつの途中報告である。
 その際主張したかったことは、過労死「問題」として「社会性」を帯びた議論がなされる事柄であっても、当事者(とその家族)にとっては、かけがえのない人間的なぎりぎりの実存を抱え込んだ個別的な苦しみだということであった。それを普遍的な構造問題に落としこむことは、社会科学の暴力である。社会的な解決策を力強く推し進めるよりも、ひそやかな祈りに通じる道も、学問にはあるように思われる。そのためにはまず、死に至るまでの仕事とは何であるのかを、主観的体験のレベルで確認する作業が必要だと感じたのである。
        大野正和  経営学研究科後期博士課程
        Death from Overwork "Karoshi" and the Work Itself

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