亀井文夫と日本ドキュメントフィルム
作品案内

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○上  海  〜支那事変後方見聞録〜

16ミリ・モノクロ/76分/1938年(昭和13年)・東宝映画文化映画部
製作=松崎啓次 撮影=三木茂 録音=金山欣二郎 現地録音=藤井慎一
ナレ−タ−=松井翠声

「上海」は、”支那事変後方見聞録”というサブタイトルをつけて上映された。
きびしい思想、統制のもとで、亀井監督は、屈折した表現をとりながら侵略戦争が
もたらす、戦争の非道と悲惨を強く訴えかけている。前線からひきあげてきた日本
軍の兵隊たちの駐屯生活、海軍陸線隊の将校の戦跡案内、執勤な抵抗の物語る
る中国軍のトーチカのあと、手のうちが透けてみえるような日本軍の宣撫工作、
そして厳しい敵意を秘めた中国民衆の表情など、どのカットも戦地で感じ取った
戦争のもたらした、とめどもなく深い悲惨な戦禍と非人間性をみつめたものである。


○戦ふ兵隊
 

16ミリ・モノクロ/66分/1939年(昭和14年)・東宝映画文化映画部
撮影=三木茂、瀬川順一 録音=藤井慎一 音楽=小関裕而 字幕=進八郎
製作=松崎啓次

「戦ふ兵隊」は、“上海”とともに亀井文夫の戦前、戦後の作品を通じて、彼の
最高の作品であり、同時にわが国映画史上における傑出した作品である。
この映画は、陸軍省後援で企画製作された長編記録映画であり、約5ヶ月間、
中国・武漢作戦に従軍して撮影したフィルムだ。軍部の検閲を避けるため
ナレ−ションは一切なく淡々としたスーパータイトルだけで、処理したが、反戦的な
哀感が強すぎるという理由で、完成と同時に公開を禁止された幻の名作である。
路傍に捨て置かれた病馬がくず落ちるように死んでゆくシーンは有名である。


○小林一茶
 〜信濃風土記第二部〜

16ミリ・モノクロ/28分/1941年(昭和16年)・東宝映画文化映画部
脚本=亀井文夫 撮影=白井茂 ナレーター=徳川夢声 音楽=大木正夫 
録音=酒井栄三 製作=村治夫

昭和15年、亀井文夫は、長野県観光課の依頼による信濃風土記3部作に
とりかかった。亀井は『「小林一茶」では長野県の風土と生活の関係を描こうとした。
即ち、風土は、どんな農業を生み、どんな人間の心を作り上げたか、である。』
と記している。一茶の俳句に亀井の心と付託しながら、信濃の貧農の姿を四季に
わたって描いた農民映画で、いわゆる観光映画に程遠い観光映画であった。
それは亀井の「信濃紀行」のフィルムドキュメントといった方が正しいであろう。
亀井映画ファンにはこの映画が一番好きだという人が多い。


劇映画
○女ひとり大地を行く

16ミリ・モノクロ/52分/1956年(昭和28年)・北海道炭鉱労働者組合・キヌタプロ
製作=浅野龍麿、他 脚本=新藤兼人、他 撮影=仲沢半次郎 
主演=山田五十鈴、宇野重吉、岸旗江、他

炭労北海道支部とキヌタプロの共同製作によるもので、炭鉱労働者の生活と闘い
をドキュメンタリータッチで、描きあげた劇映画である。独立プロに積極的に出演
していた山田五十鈴が、この映画では炭塵にまみれた女抗夫に扮して、
闘う婦人労働者を演じている。


○生きていてよかった

ブルーリボン賞・キネマ旬報ベストテン入賞

16ミリ・モノクロ/52分/1956年(昭和31年)・日本ドキュメント・フィルム
製作=大野忠 助監督=勅使河原宏、他 撮影=黒田清己、他 
録音=奥山重之助、他
ナレーター=山田美津子

1955年8月6日、第一回原水爆禁止大会で被爆者救援運動の一つとして企画
されたこの映画は、亀井文夫が原水爆反対のために撮った最初の作品である。
広島・長崎の原爆投下直後の無残な街から、被災者たちの10年後の悲しい日々
の生活を紹介し、悲しみと不幸の中から力強く生きる人々を、詩情豊かに描いた、
厳粛な美しさに感動せまる記録映画である。この映画はこの年のブルーリボン賞
を獲得した。


流血の記録 砂 川

16ミリ・モノクロ/56分/1956年(昭和31年)・日本ドキュメント・フィルム
製作=大野忠 撮影=武井大、他 録音=奥山重之助、他 音楽=長沢勝俊 
ナレーター=寺島信子

『土地にクイは打たれても、心にクイは打たれない』
米軍立川基地の飛行場を拡げるために、日米行政協定による一片の命令で、
祖先からの土地を追われることになった農民の驚きと怒り。
昭和31年10月,砂川の土地を守る第2年目の闘いは,警官隊の出動によって、負
傷者1065人を出すという流血の悲劇を産み、日本中を驚きと怒りに投げ込んだ。
この歴史的瞬間をあますところなくカメラに収めたのが、この長編記録映画である。
この系譜は後に小川伸介、土本典昭らに引き継がれることになる。


○世界は恐怖する 
〜「死の灰」の正体〜
世界平和委員会賞・優秀映画鑑賞会推薦

16ミリ・モノクロ/80分/1957年(昭和32年)・日本ドキュメント・フィルム
製作=大野忠、井上猛夫 撮影=菊地周、藤井良孝 ナレーター=徳川夢声

この映画は、米ソの核兵器開発競争が、熾烈(しれつ)をきわめた時代。
ビキニ水爆実験による「第五福竜丸事件」「死の灰」「放射能マグロ」「放射能雨」
など、核実験が続く中でただ一つの被爆国日本の不安は大きかった。
映画はそうした背景の中で作られ、副題どうり、「死の灰」放射能とは何か?
それは生き物にどんな影響を与えるのか?多数の科学者、医者、研究機関の協力
を得て科学的に放射能の恐ろしさを解明していく。そして映画の最後に
『死の灰の恐怖は台風や地震などの天災と違って、人間が造り出した災害です。
だから人間自身がその気になりさえすれば、必ず解消できるはずの問題であること
を、ここに附記します』という亀井監督の言葉で終わる。
汚染は、いまや原子力発電を抱え、ますます厳しくかつ、危険な方向に向かって
いる時、放射能の怖さをつぶさに記録したこの映画は、その実態を生々しく我々
に訴えかけてくる。


○荒海に生きる 〜マグロ漁民の生態〜
キネマ旬報ベストテン入賞

16ミリ・モノクロ/28分/1958年(昭和33年)・日本ドキュメント・フィルム
製作=大野宏 編集=亀井文夫 撮影=武井大、臼井純一、勅使河原宏、菊池周
ナレーター=宮田輝

高知県室戸岬の漁場で生計をたてている村の人々は、この村に漁港がないので、
神奈川県浦賀を根拠地としている。100トン足らずの木造船で4500マイル彼方の
太平洋上、水爆実験の行われているクリスマス島付近のマグロ漁場まで出漁する。
18歳の少年を中心に、その厳しい2ヶ月の労働で一人前の漁師に育っていく様子
をこの映画は克明に描いている。


○鳩ははばたく


16ミリ・モノクロ/40分/1958年(昭和33年)・日本ドキュメント・フィルム
製作=大野忠 監督=亀井文夫 助監督=楠木徳夫 撮影=菊地周 

第四回原水爆禁止世界大会の記録であるが、この年は、第一回の平和行進の
始まった年でもある。
初めは団長一人が広島を出発した行進であったが、各地で参加者は増え
僧侶、学生、主婦ら延べ100万人に達した。行進は53日目、2000人の拍手に
迎えられ東京日比谷公園の歓迎会に臨んだ。
8月20日の原水爆禁止国際会議で核武装禁止の平和宣言が採択された。


○人間みな兄弟 〜部落差別の記録〜
ブルーリボン賞・毎日映画コンクール賞

16ミリ・モノクロ/59分/1960年(昭和35年)・日本ドキュメント・フィルム
製作=松本酉三、大野忠、木村繁夫 原案=杉浦明平 撮影=菊地周 
音楽=長沢勝俊 ナレーター=宮田輝

この映画は、部落差別を当然と思い込んでいる人たちに反省を求め、知らない
多数の国民に、この恐るべき悲しむべき事実を訴えるために製作されたという。
部落差別を許していることが、民衆の力を恐ろしく弱めている。あいつらは部落の
ものだと言っている本人が、実は他から差別されている身なのに。
こうして幾重にも噛み合わされ、争わされている。部落の悲劇は、川向こうにある
のではない。自分自身の対決すべき問題なのである。
この映画の持つ意味は今も新しい。同和問題を取り上げた不朽の名作として
今日も広く活用されている。


○みんな生きなければならない

「生物みなトモダチ」パートT 農事篇
日本ペンクラブ1983年度優秀映画ノン・シアトリカル部門 第一位受賞作品

16ミリ・カラー/80分/1983年(昭和58年)・東京写真工房
構成・編集=亀井文夫 企画=菊地周 ナレーター=浜島信子

僕は、「人間は、自己の知恵を過信せず自然に依拠し、もっと素直に生きるべきだ」
という以前からもっていた考え方をテーマにした映画『生物みなともだち』のシナリオ
を書いていた。丁度その頃、友人のキャメラマン菊地周君から、彼が自主作品とし
てまとめたエコロジカル農業映画の再構成の相談を受けた。
そこで僕は、この有機農業映画の素材を使って、『生物みなともだち』のテーマを
そっくり持ち込んだ映画を提案した。(亀井文夫構成メモより)

      鳥鳴く環境こそ、人間にとっても生きるための絶対条件
    間違っても、鳥の鳴かない「沈黙の春」を到来させてはならない



○トリ・ムシ・サカナの子守歌

「生物みなトモダチ」パートU 教育篇
優秀映画鑑賞会推薦・日本映画ペン倶楽部推薦

16ミリ・カラー/163分/1987年(昭和62年)
生物みなトモダチ製作委員会・日本ドキュメント・フィルム
監督・構成・脚本=亀井文夫 製作=阿部隆、他生物みなトモダチ製作委員会スタッフ

ドキュメンタリーの至宝、亀井文夫監督が50年の思索の中から世に送った
スーパー・シネエッセイである。
1986年12月、病に倒れながらも最終編集を終え、翌年完成と共にこの世を去り、
これが最後の作品となった。
 《詳細は「シネフロント」 NO.123 『亀井文夫と”トリ・ムシ・サカナの子守歌”』 400円に掲載》

ご希望の方は、住所、氏名、年齢を明記の上、Mailにてお申し込み下さい。
無料にてご送付いたします。


○人間よ傲るなかれ 〜映画監督亀井文夫の世界〜
文化庁映画芸術振興事業助成対象作品

16ミリ・カラ−/83分/1991年(平成3年)・日本ドキュメント・フィルム
製作=阿部隆 監督=手塚陽 撮影=須藤恵司

日本を代表するドキュメンタリー映画作家、亀井文夫の生涯を検証する。
亀井はそれまでの記録映画、文化映画を独自のモンタージュ理論と鋭い社会洞察
力をもって、単なる記録・ニュースの世界を、一気に芸術ドキュメンタリーに仕上げ
た日本の先駆者でもある。
映画は彼の生い立ち、環境、考え方を追い、広く作品を分析。 亀井作品の足跡
を追って、日本国中はもとより、ロシア、中国へのロケーションを敢行した。


○戦ふ映画人の記録
 〜来なかったのは軍艦だけ〜

16ミリ・カラー/96分/1998年(平成10年)・日本ドキュメント・フィルム
製作=阿部隆 監督=清島利典 撮影=柳瀬裕史 音楽=水町正俊、榊原徹

1948年8月9日、東宝撮影所は、2000名の武装警官、米軍騎兵師団一個中隊、
戦車7台、飛行機3機に包囲された。
たかが、一映画会社のストライキの鎮圧の為に、そのような異常とも云える過剰な
行動に出たのだろうか?
時まさに大戦後の世界政治のヘゲモニーを巡って、国際的な駆け引きが占領下の
日本にも反映したのだった。各種の民主化政策と進歩主義者の台頭。
赤化を恐れる米国での赤狩り旋風、それを受けてのマッカーサーの政策転換。
そのまっただ中に、映画人も巻き込まれていった。


○ ISAKU

日本芸術文化振興会芸術団体等活動基盤整備事業対象作品

16ミリ・キネコプリント/85分/2001年(平成13年)・日本ドキュメント・フィルム
製作=阿部隆 監督=清島利典 撮影=金徳哲 音楽=水町正俊、榊原徹

1910年(明治43年)、大逆事件に関連ありとして大石誠之助が検挙される。
それを救わんとピストル片手に新宮(和歌山県)から東京まで、オートバイで
駆け抜けた男がいた。
自由人、西村伊作の“作品”を通して、彼の足跡を活写する。
西村伊作は神田・文化学院の創始者としても有名である。


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連絡先電話番号&FAX 03-3463-0950 Mail : jdf_y_abe@yahoo.co.jp

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