私中村が正字正假名を使ふ理由は、他の「正字正假名派」の方々ともしかしたら隨分違ふのかもしれない。
元々私が正字正假名に轉向したのは、福田恆存氏の『私の國語教室』を讀んでのことである。これを知つたのは野嵜氏のサイトで紹介されてゐたからだ。そして私は正字正假名の(嚴密には正假名の)正しさを確信するに至つた。文字は發音ではなく語に隨ふ――もつともだ。
正字正假名を使ひはじめた當初の理由は全くこの一册の影響だけだつた。だが、最近は必ずしもこの理由によらない。確かに「正しい」といふことを認め、それに從ふといふ態度を人は取るべきだが、そのせゐで「正義を押しつけるな!」といふ正義を押しつけられるのは割に合はない。だから私はこの點については(默つてはいけないと思ひつつも)默りたい。
割に合ふ合はないといふ打算的な理由で正字正假名を使つたり使はなかつたりしてゐるのは不眞面目で、多くの正字正假名派はさうでないと思ふが、私が正字正假名を使ふ理由の大部分はそれになりつつある。といふのも、正字正假名は便利なのだ。確かに正假名を入力するのに充分なIMEはないし、正字を表示するのに充分なフォントもない。さういふ點において正字正假名は不便だ。
だが、もつと大事な部分で、正字正假名は便利なのだ。例へば古典から引用するとき、新字新假名の文章では「ほすてふ」をどのやうに引用したら良いのか分らない。「ほすちょう」と、わざわざ分りづらく改變して引用するのだらうか。しかしそれでは「出づ」を「出ず」とせねばならない。ならば「ほすてふ」と引用して不統一を容認するのか。漢字もさうだ。「國」とあるのを「国」と引用するか、「國」と引用するか。「國」「国」を使ひわけるならば、どこまでを別字として使ひ分けるのか。正字正假名を使ふ限り、かういふ問題に惱まされる必要はない。
さうは言つても歴史的假名遣でも上代特殊假名遣は反映されないから、上代語を引用するときに面倒ではないかといふ反論があるかもしれない。だが、一般的な歴史的假名遣は、上代語において別の發音だつたものを一つに纏めてはゐても、同じ發音であつたものを分けてはゐない。つまり、「可比」の「比」(甲)と「古非」の「非」(乙)が「ひ」に纏まつてはゐるが、「可比」の「比」と「比古」の「比」とが「い」と「ひ」に分かれてはゐない。したがつて、歴史的假名遣で書かれてゐるものには記號さへつければ上代特殊假名遣を示すことができる。だが、現代假名遣でこれは不可能だ。
例の波動水の廣告が毎月掲載されてゐる『月刊ぷらざ』の四月號の波動水のCMに検索は「活」1文字で
と書かれてゐた。「波動強命水」と檢索されると困るらしい。
ここのサイトの記事(信州諏訪の怪しい水を追へ!)が三位になつてゐるし、「他のキーワード」に波動強命水 詐欺と出てゐる。こりやあ「波動強命水」と檢索されたらまづいわけだ。
中文版Wikipedia朝鮮將棋に漢楚激突が紹介されてゐるのを偶然知つた。加筆したのは臺湾人の方らしい。
臺湾人にも正字正假名が讀めるやうだ。日本人が讀みにくいと文句を言ふのは情けない。
ところでこの漢楚激突といふサイトは、チャンギに關する日本語の情報がほとんどなかつた五年前に、斷片的な情報でもあるに越したことはあるまいと思つて作つたサイトに過ぎない。したがつて、Wikipediaが情報元にするには不充分かつ不正確すぎる。
このサイトを作つて數ヶ月後に日本語版Wikipediaにチャンギの項目ができた。そして現在、日本語版Wikipediaのチャンギの項目はこのサイトに引けを取らないくらゐ充實してしまつてをり、正確さに至つてはこのサイトを越えてゐる。今、「漢楚激突」は存在の意義を失ひつつあるのだ。
もちろん、韓國から情報を取寄せてそれを參考に記事を書けば――つまり、ここでしか手に入らない情報を用意すれば――、「漢楚激突」はすぐにでも存在意義を取戻すであらう。だが、「漢楚激突」が存在意義を失ひつつあるのに比例して、私のモティヴェーションも失はれつつある。やりたいことは別のところに移つてしまつた。ごめん。
騙したとまで言つたつもりはないのです。平頭通さんを傷つけるのは本意ではありません。不快にしてしまつたやうですみません。
私としては字音假名遣について自分の考へを纏める機會を與へられたことは良かつたと思つてゐます。しかしながら、平頭通さんが結論を得るのに「字音假名遣」(#D20-2)の記事の前半が果して役に立つたであらうかといふのは疑問なのです。最初にIMEのための話だと聞いてゐればもつと適切で簡潔な反應ができたのではないかと思ふのです。投遣りな回答を外したい為に
其の意図の部分を表現から省いて問うた
といふことですが、もつと信頼していただきたかつたのです。
ええと、IME 辞書の話を聞いた途端にあんな素つ頓狂な返事を返す輩
つてもしかして私ですか。
品詞屬性はJISで定義されてゐる。讀むだけならオンラインでも參照できる。ただ、單文節變換なら、そんなに詳しい屬性は必要でなく、名詞と、○行四段、一段、○變、形容詞ぐらゐしか要らない。名詞は、すべてサ變動詞屬性と形容動詞屬性を付けておいても問題ないだらう。連體詞、副詞、接續詞も名詞屬性で十分運用可能。受身と使役を除いた助動詞は意外と活用の組み合はせは少なく、全部の組み合はせを活用語尾として扱ってもそんなに數はない。
人名とそれにつく接尾辭は不要だらうか。「麻生さんだぜ」が一文節で變換できないのは不便なやうな。
待てよ。人名につく接尾辭は助詞扱ひで良いか。さうすると「犬くんが」とか「お花さんに」とか「水さんを」みたいなメルヘンな言葉使ひもできる。といふかMS-IME 2000で「犬さん」が一文節にならないのがびつくりだ。
言ふまでもないことを言ふけれども、連文節變換なら獨立語は名詞と分けないわけに行かない。名詞には格助詞がつくから、「所謂」を名詞扱ひすると「所謂餓鬼だ」が「所謂が木だ」になるやうな誤變換が増えてしまふ。でも、連文節變換でも連體詞、副詞、接續詞をひつくるめて「獨立語」にしてしまふのは良いかもしれない。
たしかに「假名遣と假名遣の對應表」だけでは字音の境界を正しく認識できない。此の手の變換をするならあともう一つ表が必要で、それが「漢字と假名遣の對應表(單漢字辭書)」。「稀有 けう」なら、まづ單漢字辭書を引いて「稀 け」と「有 う」に分解できる。あとはこの分解された字音ひとつひとつに對して假名遣の表を引けばいい。「けう」を一纏めにして假名遣の表を引くと「きょう」になってしまふけれど、此のやうにすればさういふ心配はないよ。變換對象は入力ではなく辭書。その場合漢字と假名の兩方が揃ってゐるから、かういふことができる。
どうもです。なるほど。
「時機尚早」が「人を馬鹿にしたやうな言ひ方で極附けて、嘲る」と読めるといふのはどうにも分らない。
多分ここでの時期尚早
は今回の意見集約は、固有名詞まで視野に入れてはゐませんでした。申し訳ありませんが時機尚早として御勘慮願ひます。
を言つてゐるものでせうね。字音假名遣の問題を今扱ふならば固有名詞の問題を時期尚早
と言ふのはどうなのか、といふことでせう。嘲つてゐるかはともかくとして。
「プロジェクト」、協力できさうなことが無いけど応援はしてますよ。
仲間發見。何だか段々、私が色々口出しするのがただの足手纏ひなんぢやないかと思はれてきてゐます。
「プロジェクト」は今、メシアを待つてゐるらしい。
「正統表記」且つ「自由ソフトウエア」ならば
ギャルゲチャンギ日記 2009年3月でも云々。別に怒らチャンギ日記 2009年3月ないよ。
恐縮ですが、とりあへず良いです。シナリオライタとか繪師とか聲優とかゐませんし。
學校文法か橋本文法*は、どうだらう。「形容動詞」とか。「形容動詞」を「名詞」と嚴密に區別する必要は變換システムにとってはどれほどあるのだらう、とか。「形容動詞」を認めてゐない説も結構あるみたいだし。
その點は私も問題だと思ふ。「綺麗だ」は形容動詞とされるけれども、「綺麗が一番!」なんて言つたりする。ただ、野嵜氏のところの「橋本進吉の文法學説」では「形容動詞」などに括弧がある。かういふ括弧で圍まれてゐるものは名詞に統合してしまつて良いのではないか。
「かは 變(は) ラ行四段」や「かへ 變へ 一段」なんかは、辭書には「か 變 ハ行下二段」で登録し、そこから何とかして「かは 變(は) ラ行四段」に相當する變換候補を動的に生成できないものかと考へてゐる。
少くとも「かふ(變)」から「かはる」を作るのはちよつと無理ではないかと思ふ。例へばハ行下二段活用動詞「こたふ(答)」に同じ處理を加へたら「こたはる」といふラ行四段活用動詞ができてしまふ。
下二段活用動詞から下一段活用動詞を作るのも、例へばマ行下二段活用動詞「うらむ(恨)」からマ行下一段活用動詞「うらみる」ができてしまふといふ問題がある。マ行下一段活用の「うらみる」といふ動詞もあることにはあるらしいが、あまり頻繁には使はない。
語幹がア段で終つてゐるラ行四段活用動詞から下二段活用動詞や下一段活用動詞を作るのならばできるのではないかと思つたが(わかる→わく・わける、をはる→をふ・をへる)、ラ行四段活用動詞「いかる(怒)」からカ行下二段活用動詞「いく」カ行下一段活用動詞「いける」ができてしまふ。
この表を用ゐて機械的に字音假名遣ひを發音どほりにした場合、單漢字なら良くても熟語だと「稀有」を「きょう」としてしまふ。「ゎ」は小文字だから大丈夫さうだけれども、例へば「木椀」を「もかん」と變換することもありうる。
ならばどうするんだと言はれても困るけれども、辭書を作るときに普通の國語辭典のやうに「け-う」「もく-わん」とするのが一つの方法。が、すると「太夫」はどうするのだといふ問題になる。
辭書の形式の話。素人考へだから笑はないでほしいのだけれども、國語辭典をそのままテキスト化したものを使へるやうにするといふ實驗はどうか。例へば、
あ【▽足】《上代語》あし。・「―の音せず行かむ駒もが」〈万・三三八七〉◆多くは「あがき(足掻き)」「あゆい(足結)」など、他の語と複合して用いる。 あ【×阿】梵語の第1字母aの音写。→阿吽(あうん) あ【×痾】病気。特に、こじれて長引く病気。「家居して―を養い」〈竜渓・経国美談〉
とあるやうなのを、そのまま變換用の辭書として使へるやうな。さうするとこの辭書が色々使へて良い。説明部分を機械的に削除して、
あ【足】 あ【阿】 あ【痾】
としても良い。そんな辭書をどこから持つてくるのかと言はれると困る。『言海』が電子テキスト化されてゐれば良いのだけれども。
今は日本語の文法が手許にあるのでそれを讀まうかと。文法に關して他に參考文獻を御存じの方はをしへて下さい(書籍・Web問はず)。
學校文法を網羅的かつシンプルに纏めてゐるのは意外と高校の教科書だつたりするかもしれません。私もこれを書きつつたまに弟の教科書を眺めてゐます。それと、辭書の附録。辭書の附録の場合結構個性があつたりしますが。
口語の助詞や助動詞がなるべく澤山一同に會してゐるのを見たいといふ場合にはやつぱり高校の教科書あたりが良いのではないかと。
IMEを作るのなら、字音假名遣なんてものはただの語彙に關する事だから、後囘しにして、變換の爲に必要な文法に注目して議論する必要がある。好きな人は勝手に字音假名遣の辭書を作つてゐればいい。が、全員そつちに注目して、あゝだ斯うだ議論するのは時間の無駄だ。
といふわけで、文法についての話をば。
後でも話しますが、口語文法というのは、かなり曖昧なものです。揺れ動く現代語を反映して、どうしたって妥協的なところでお茶を濁しているってのが、いわゆる口語文法というもので、それはもう動詞の活用形ひとつとっても、実にぐずぐずと割りきれていない姿を露呈している。
といふわけで、國語の文法をそのままアルゴリズムとしてかな漢字變換プログラムに
するならば、口語文法のIMEを作るより文語文法のIMEを作るはうが樂なのかもしれない。作つたところで誰が使ふんだと言はれるかもしれないけれども。
あるいは、同じIMEで文語文法と口語文法の兩方が入力できるやうにしても變換の正確性や效率の觀點から問題がないならば、最初に文語文法のIMEを作つて、擴張する手もあらうか。いや、それではかへつてプログラマの人たちの仕事が増えるだけか。
「文法をそのままアルゴリズムにする」と言つても、觀念としての、ただ一つの「文法」といふ目に見えないものはアルゴリズムにしやうがないであらう。つまり、嚴密な言ひ方をすれば、文法學説をアルゴリズムにすることになる。となれば、一體どの文法學説をアルゴリズムにするのかが問題だ。文法學説は野嵜氏が國語の文法に關するメモに示したものだけでこれだけある。
私は、普段我々が見慣れてゐる學校文法か橋本文法が良からうと思ふ。
松下大三郎は「院友」なので應援したいけれども、松下文法はどんなものなのだらう。「松下大三郎の文法學説」では「詞」だけが示されてゐる。つまり、
となつてゐる。もちろんこれでIMEは作れないだらう。松下文法でIMEを作るならば、「原辭」(形態素)を見ないといけない。多分。そもそも松下文法を良く知らない。勉強して出なほしてきます。
ところで口語文法で動詞の終止形と連體形を區別する理由は何なのだらう。私の教科書が手許にないので弟の國語の教科書をぱらぱら捲つてゐると、順接の確定條件「ので」は連體形につき、「から」は終止形につくとしてゐる。助動詞に終止形と連體形の違ひがあるからか? 例へば斷定の「だ」の連體形は「な」だから、「なので」「だから」となり、「だので」「なから」とはならない。
けれども、碎けた表現では「〜と言ふ。ので〜」といふやうに、終止してから接續詞のやうに「ので」を使ふことがある。これは「ので」がつく活用形に終止とか連體とかいふ區別の意識があることになつてゐては説明できないのではないか。
今私が猛然とこの「日記」を書きまくつてゐるのは暇だからであつて、別に普段からこれだけ大量の文を書く能力が私にあるわけではない。多分、後一週間もせずにぴたりと默る。
差し出がましいことを言ひますが、想定内
と言つたら怒られてもしやうがないやうな氣がします。
私もIMEの話だと分つてゐたら「字音假名遣」(#D20-2)の記事であんなに長々と書かずに濟みましたし。
さて、とりあへず實驗段階では、辭書など
けふ【今日】〔名詞〕 はれ【晴れ】〔一段動詞〕
くらゐのものがあつて、後は助詞と助動詞があれば何とかなるだらう。これを動かして
といふやうに入力できるプログラムができればもはやほとんど完成だと思ふ。
實驗段階では、語彙は二語で充分だ(と言ふと少し語弊があつて、實際には全ての品詞の分必要だが)。だから重要なのは文法だ。野嵜氏も多分さういふことを言つてゐるのだと思ふ。
アパッチ正かな軍の人も、何を言はれても最う開き直つてバンバン書き捲つた方が良い。人の好いやうな顔をしてゐても、何の良い事もないから。
實感籠つてゐるなあと思つた。
最近のマスクは隨分良くなつたけれども、相變らず良くならない點がある。メーカの人は、息を吸ふ時の事を考へてマスクを作つてゐるけれども、吐く時の事は全然考へてゐないと思ふ。未だにマスクを掛けると眼鏡が曇るのだ。眼鏡が曇ると危ない――當り前の話だが、さう云ふ觀點からマスクを改良しようと考へるメーカの人はゐないらしい。何で頤の方でなく目の方に呼氣が拔けるやう、マスクを作るのだらう。
メガネくもらないマスクといふのがあるらしい。
使つてみたことはないから實際どんなものかは知らない。誰か人柱になつてください。笑ひ。そもそも近所の藥局で見つからない。
字音假名遣は割と氣にしなくて良いタイプのことだと思ふけれども、ルビなどは字音假名遣を守つたはうが良いのかもしれないとも思ふ。しかし順番をつけるのは難しい。
字音假名遣とは言つても、例へば「てふ」を「チョー」と發音するのはハ行轉呼で「テウ」となり、それが「チョー」となつたものであるわけだから、國語の假名遣の變遷の歴史と軌を一にしてゐる。變化が起きたのを新しい順に竝べると
合拗音「クヮ、グヮ」の書分け(江戸末期頃?)
四つ仮名の書分け(十七世紀頃)
長音の字音「〜ウ」の書分け(開合のことだとすれば、十四世紀頃?)
ワ行音とア行音との書分け(イとヰ、エとヱは十三世紀頃)
連声「サンミ、テンナウ(テンノウ)」を表記に採用(十二世紀頃?)
ワ行音とア行音との書分け(オとヲは十一世紀頃)
ハ行転呼音「〜フ」の書分け(十一世紀初頭頃)
といふ感じになるのか? 今ちやうど手許に資料がない。間違つてゐたらすみません。強ひて順番をつけるならかうなるのかもしれないけれども、これらは字音假名遣を守るといふのなら當然全部守るべき部分のやうな氣がする。
合拗音「クヰ、グヰ、クヱ、グヱ」の書分け
撥音表記「ン、ム」の書分け
についてはそもそも「あり」なのか疑問。「クヰ」は「クワ」を認めるなら認めてあげたい氣もする。「ン・ム」は何とも言ひがたい。
止摂合転に関する字音「〜ヰ」の採用
は不要だと思ふ。少くとも「水」「類」などは「スイ」「ルイ」で問題ないはず。豪韻の唇音を韻書に合せる「ハウ、バウ、マウ」
は今後の研究に任せたい。
興味ない。今そんな事を考へる必要は無い。アパッチ正かな軍の人は字音假名遣の事など考へなくていい。
えと、此の回答想定内です。野嵜さんの立場からすれば「制度の組替へとかに力を入れてゐる奴は糞だ」と見られても致し方ないと思はれます。其れとは違つて、では正字正かなに最適化された「かな漢字変換」のソフトウェアが在るとして、漢字漢語を字音で入力する場合を考へた時どうするか、とか、今文章を打つてゐる時どうしてゐるのか、とか、さう言つた事を問題にしてゐると御理解頂けると有難いのです。
「そつちか!」と思つたのは私だけでないはず。IMEだつたら、字音假名遣なんて不要だと私は思ふ。發音どほりで良い。ただ「將棋」を「しょうぎ」とするか「しようぎ」とするかとか(2009-02.html#D21-1)、せめて「地面」くらゐ「ぢめん」にしないで良いのかとか、さういふ點が問題だと思ふ。
私としては、「大文字と小文字、四つ假名はどちらでも可。後は新假名と同じ」といふ感じで。ただ、「樣」のやうな和語に馴染んでゐる語は「やう」でも入れられると良いと思ふ。
ついに先生の登場ですね。時々レスしているところを拝見しますよ。しかし、実にあちらこちらに出現されますね。
IMEの設定をそれにされているのは実にお疲れ様なこってすと申し上げるほかはないのですが、たぶんほとんどの方には意味が伝わってないと思いますよ。
天邪鬼な私としては、現代仮名遣いが正しくないとおっしゃるなら縦書きにするか右から左に書くのが正しいのではないですかなどと考えてしまいますが。
囘答者のmusokunin氏が何者かは知らないけれども、eroero1919といふふざけた名前の質問者は、親切な囘答者にどうしてこんな態度ができるのだらう。と、親切で質問に答へたら延々人の惡口を聞かされた經驗のある私は思ふ。
「無限ループ」が止らないのは諦めるべきことだと思つた。なぜかは分らないけれども、「正字正假名派=レトロ趣味」といふ確信を持つてゐる人がゐて、その人の確信を搖るがせることは無理なのだから。テロ事件の眞實が明るみになつて教祖の死刑が決つてもオウム眞理教の殘黨がゐるのと同じやうなもの。
野嵜氏が「現代仮名遣」だつてみんな全然守れてゐないよね。
と言つたのは「恥かしい」と書くことを糾彈し、正字正假名を正字正假名と呼ぶことすら許さないほどの「常用漢字現代假名遣原理主義者」なのに現代假名遣を守れてゐないからにすぎないと思ふ(言ひ囘しを2009-03-16 - 鳩笛雑記帳から拜借)。別に誰かが「新字新假名を守れ!」と言つたからではない。
みんな、發言する前に一度『私の國語教室』あたりを讀んだら良いと思ふ。「正字正かなとか言ってるのがいる! 良くわからないけどとりあえず叩いておけ!」とか思つてとりあへず叩く前に一囘讀めば、深呼吸代りになるはず。
第三部「日本語を磨くということ」1「古文アレルギーの原因」から拔萃。
読み慣れない人にとって、古文というのは確かに鬱陶しいものです。
まずあの仮名づかい、いわゆる「旧仮名づかい」と呼ばれるものですね。そこにもうすでにアレルギーがおこります。漢字がむずかしいとか、ボキャブラリーが見慣れないとか、文章自体がむずかしいとか、そういうことよりも、まず、旧仮名づかいに対する目の拒否感が大きいと思います。
戦前は新聞でも何でも旧仮名づかいで書いてあったから、仮名づかいに対するアレルギーがなかったという面だけ、現代よりは楽だったろうけれど。それを思うと、戦後の軽はずみな国語改革というものが、一面においては明らかに伝統の破壊、文化の連続性の阻害を生んだことは間違いがない。
一般的には「旧仮名づかい」といいますが、私としては「正仮名づかい」といいたい。
というのは、たとえば 「言う」という動詞だったら、昔は「言ふ」と書いたでしょう。「言ふ」という動詞は、「言はず・言ひたり・言ふ・言ふとき・言ヘども・言へ」というふうに、ハ行の「あ・い・う・え段」にきれいに活用する四段活用動詞なんです。
ところが、これが現代語になると、「言わない・言います・言う・言おう・言うとき・言えば」なんていうふうになってきて、「あ・い・う・え・お・わ」に活用するというような雑然たる形になってしまう。そこでこれを「あ行五段活用」または「あわ行五段活用」なんていったりする。
これは何だかすっきりしていなくて美しくない。現代語というのは古文の音便によって生じた表現が非常に多いわけなので、古文の元の形が把握できていれば、その派生形としての音便を把握するのは簡単です。しかし、音便しか把握していないと、その元を知るのはすごくむずかしい。「こういう元があってこういう派生がある」というんだったら、元のほうを学んでおけば、派生のほうは簡単に分かる、というのが理屈だろうと思うんですね。
iwamanさんのために買つてきました。嘘です。先月の初めに百圓で拾つたまま積ん讀してゐました。
全體的にはそんなに面白いといふほどの本でもありませんでしたが、ときどきなるほどと思ふこともありました。三部構成なのですが、今囘拔萃したこの部分を含む第三部が割と面白かつたです。一方、第二部は今一つでした。ピーター氏の話し方を襃めてゐましたが、それは林氏の好みにすぎない氣がします。僕は、椿姫彩菜ちやん!(AA略)
女の子(笑)を喧嘩に卷きこむな。笑ひ。
私をつついても面白くないよ。敵も味方も多い人と喧嘩すると大騷ぎになるけれども、私には敵も味方もそんなにゐないのだから。
便利さう。
全くの蛇足なんですが、「アパッチ正かな軍」と「正かなアパッチ軍」、どつちを正規としませうか。「闇黒日記」では二月は前者二件、三月は後者二件のやうです。
言はうか言ふまいか惱みつつ、割と些細な問題だと思つて今まで默つてゐたのに! 笑ひ。
昔「アパッチ野球軍」といふアニメがあつたさうですね。「アパッチ正かな軍」だとそれつぽくて野球好きでない私は氣に入りませんけれども、それが元ネタなのでせうから「アパッチ」が先がよろしいのではないでせうか。笑ひ。
質問されたので親切に答へてあげたらなぜか野嵜氏の惡口を延々聞かされましたよ。この人、大丈夫なのでせうか。ここまで來たらkyoumoe氏が野嵜氏に歪んだ愛情を持つてゐるとしか思へません。
さて、「こころずくし」(#D15-3)で書いたとほりの極めて單純な状況なのですが、読んだけど結局答えは何だったのかさっぱり分かりませんでした(´ー`)
ださうです。この人、本當に大丈夫なのでせうか。
參考までに。くっく。
どうぞよしなに。思つてゐたとほりで安心しました。失禮しました。
「
繪師はかの某氏で」当然! と言ひたい処ですが、先生も中々お忙しいお方のやうですから、あまり御無理は言へないですし。
「かの某氏」で通じるか不安だつたのですが、通じたやうです。笑ひ。さういへば平頭通さんは以前日柳さんとやりとりがあつたのでしたつけ。私もたまに日柳さんのところの掲示板(?)に書きこむのですが、あの掲示板は匿名式なので誰が誰だか分らないのですよね。
エ×ゲとまでは言はないまでも、ギャルゲくらゐはあつて良いかもしれませんね。その邊も「プロジェクト」でできまいかとか言つたらもりやまさんに怒られるかしら。
ああ俺はなんて寛大な俺なのだ。まさしく大人物だ。俺万歳。#D16-2
また變なのに反應してしまつた。竹林氏に言はれたとほり切り上げておけば良かつた。佐田氏といふ話の通じる相手がゐたのでいつまでもゐついてしまつた。もうやめておかう。
ソメルといふ人がああ俺はなんて寛大な俺なのだ。まさしく大人物だ。俺万歳。
と言つてゐたので、てつきり冗談かと思つてだけ讀んだ。
と冗談で返したのだけれども、
こんなこと書く意図って何なんだろ?面白いつもりなのかしらね。いやあなたがいいとか悪いとか言うんじゃなくて個人的にはそのテンプレ的応答とでも言うべきものに馴致したメンタリティこそがおもろいわ。まいいや。
と本氣で食つてかかられた。
で、松永氏の最初の論を持つてこられたので『私の國語教室』を讀めと言つておいたら僕にそんなこと言っても意味ねー
と言ふ。
引いてきた他人の意見は自分の意見だ。例へば「嘘」についての議論で
といふやりとりがあつたら、Aは無責任だ。
といふか、私はソメル氏の言ひたいことが良く分らなかつたのでかういふふうに反應したのだけれども、どうもソメル氏の言ひたいことはさうではなかつたらしい。僕は松永さんの意見とは違うとすら書いてるんだから松永さんに対する意見をこっちに回されても困る
といふことだから、松永氏の意見にソメル氏は贊成しないらしい。
とすればソメル氏の意見は個人的には松永さんの考えとは割と相違があって
以降に書かれてゐるといふことになる。すなはち、
しかしまあでも個人的には松永さんの考えとは割と相違があって、彼らとてホラ所詮は完全ならざる人間なのだから古典文法を目指さなくても見て見ぬフリしてほっといたれよ「正しい」とか言ってても社会にさしたる影響力を及ぼすわけでもなくささやかな自己満足みたいなモンなんだからさーとか思ったけどね。ああ俺はなんて寛大な俺なのだ。まさしく大人物だ。俺万歳。
がソメル氏の言ひたいことだといふことになる。
しかしこれは明らかに奇妙だ。なぜならば、見て見ぬフリしてほっといたれ
がソメル氏の意見ならば、ささやかな自己満足みたいなモン
などと他人を挑發するわけがないからだ。そもそも、ほっとい
てゐない。つまり、本當にソメル氏がしたいのは、「自分は寛大だ!」と言ふことなのである。ソメル氏の言ひたいことはああ俺はなんて寛大な俺なのだ。まさしく大人物だ。俺万歳。
に集約されてゐることになる。
ソメル氏はああ俺はなんて寛大な俺なのだ。まさしく大人物だ。俺万歳。
と本氣で言つてゐるのであり、それを冗談だと勘違ひした私に冗談で返答されて怒つてゐるのだ。何なのだらう。
「俺万歳」は紋切型辭典に載るかしら。
なんだ言及があったのか!いやしかしねえ冗談と言えばテンプレ的な応答をすることだと思うようなメンタリティが興味深いって意味で書いたつもりなんだけど本気で食ってかかってるとか言われちゃってぎょわわ〜んびっくり!いい悪いじゃないって書いてるのになんでだろ?っていうか「冗談で返した」とか言ってるってことは件のテンプレ的な応答は誰しもが冗談として了解可能であるということには少なくとも疑問はないんだなスゲー!今どきインターネット!←以上の記述は個人的に興味深いと思ったことに対する単なる驚嘆であり「本気で食ってかかった」などというものではないことを誓います!
ぎょわわ〜んびっくり!
なのださうです。
「たとえばエロゲのテキストが正字正かなだったら実用にならんですよ」いやいや、結構いい事言つてゐますね。「羽織袴キャラ」つて事は巫女さんですか、弓道の娘さんでもいいのか。かう言ふと野嵜さん怒るかも知れないけど、舞臺が満洲国だつたり、戦前の日本だつたりしたら、逆に正字正かな表記でエロゲにしたはうがいいつて事になるんですよ。(其の点「もけもけアリサ」はどうなのか知らないが) 私なんかだと、エロなんて昔から在つた訣だから、戦前の正字正かなで書かれたエロ小説なんかも在れば読むし、何処かの誰かが正字正かなのエロゲを作つて呉たら是非とも賞味してみたいと思つてゐます。冗談でなく真面目に期待してゐます。問題は仮名遣では無く、良作か地雷か丈です。
舞臺が満洲国だつたり、戦前の日本だつたりしたら、逆に正字正かな表記でエロゲにしたはうがいいつて事になるんですよ
つて言ふのはまさか本氣ぢやないですよね。ただの「mrnkn氏の言ひ分が眞であつた場合に導かれることになつてしまふ論理的歸結」を突いてゐるだけですよね。もしさうでないならば「正字正假名は戰前の表記であり、レトロ趣味である」と言つてゐるやうなものです。ありえませんがさうも讀めるので一往。
繪師はかの某氏で? 笑ひ。
エロゲ
に手を染める豫定は殘念ながらありませんが、ギャルゲ的な(まあ私はギャルゲも全く知らないのですが)ストーリの喜劇を正字正假名で書いたことはあります。舞臺は全くの現代です。友人や大學の先生に見せたのですが、(その内の一部には)好評でしたよ。
今はみんな元氣だけれどもそのうちみんな默り込むやうになるよ。
三年經つたら正かなアパッチ軍潰滅だよ。みんな俺を置いて何處かに行つてしまふんだよ。
かう言ふと野嵜氏に怒られるかも知れないけれども、私もそんな氣がします。
ならないやうに注意します。注意してどうにかなるのか知らないけれども。
笑つた。笑ひごとぢやない氣もするが。辭書の使ひ方が分らない人つて悲慘だね。
づ<づ>かひ
とあるのは<>内が現代假名遣といふことか? 手許に初版の廣辭苑がないから分らないが、誰か氣づかなかつたのかな。
仕事早い。
「ぃ」は「い」にしてゐないんですね。
それただのミス(ry
とのこと。
「「ぃ」は「い」にしてゐないんですね」つて、「っ」の表記はそのままなんですか?
みたいな言ひ方だなと思つたりした。竹林さんはスルーしてゐるけれども、良く考へると少し變な言ひ方な氣もする。だつて「そのまま」なのは「つ」のはうでせう。
うーん、「新仮名から乗換へた」といふ見方をすれば「そのまま」と形容するのもありかな、と。
なるほど。
松永氏にキモい
とか言はれてゐるよ。笑ひ。
旧字旧仮名の使い方がゲンダイ的
といふのには既に反論した(#D08-1)とほり。だけれども、松永氏はhaikyo氏のこの言葉に思ひ切り快哉を叫んでゐる。駄目だこりや。
どうしても彼らは「正字正假名派=レトロ趣味」と思ひこみたいのだし、どうしても彼らの確信は搖るがない。神代文字信者にも思ふことなのだけれども、どうしたら自分の思ひつきをかうまで狂信できるのだらうか。
大體何ですかkyoumoeつて。男は默つて志麻賀津紀です。それと便座カバー。
とか言はなくて良い冗談を言つてまたぞろ本氣で反應されても困るけど。
鈴木ドイツ『萌ゆる古事記』(イカロス出版、二〇〇八)を七五〇圓で拾ふ。
駄目駄目。Amazonでライターの能力ならば☆は一つもつかないが、マンガ家の能力なら☆4〜5という所であろう。
と言はれてゐるけれども、妥當。ただし、繪のはうも、上手いけれども無駄に露出が多い。
鈴木ドイツは「淡島」と「沫」とに關りがあるやうなことを言つてゐるが、「あはしま」が「あわ」と關るわけがない。全編に亙つて著者の投げやりさが見える。
著者の「前作」なんか知つたことではないし、讀んでもゐない(し、讀みたくもない)のに、わざわざ「前作」の登場人物に『古事記』を演じさせてゐる。著者の獨り善がりだ。「萌え」のつもりか知らないけれども倭建命をその女の子に演じさせてゐる。私が怒つてゐるのはこの點だ。日本の傳統である女裝美少年の素晴しさが分らない似非愛國者には神罰あれ。
參考文獻の一覽を見てげんなり。日本古典文學大系はおろか、新編日本古典文學全集すら擧げてゐない。それで古事記の解説書が書けるなら、誰にだつて書けるよ。
正字正かなで且つ自由なライセンスの國語辭典#D10-1
IDEA: goo辭書が “使へない” だって? だったら正字正かなで且つ自由な國語辭典を云々…… 可成無茶。でも試しにやってみようか。人が集れば、もしかしたら何とかなるかも知らんし。否、どうだらうね。量は質に轉化しない。wikiだけ置いて「さあ作らう」では駄目だらう。まづ叩き臺となるものが必要だ。
つ『言海』。
その邊の戰前に編まれて著作權が切れた辭書をいくつか電子テキスト化してくつつけて増補するつてどうでせう。とか言つてみる。それならヴォランティアが集ればできなくもなささうな氣が。
單漢字辭書のことですけれども、もう誰かが作つてゐるかもしれませんが、
といふやり方が效率的なのではないでせうか。音讀みも慣用讀みとか色々あつて必ずしも一定しないでせうが、この方法ならば大體機械的に單漢字辭書が作れるはずです。
とりあへずhttp://www.asahi-net.or.jp/~AX2S-KMTN/ref/jisx0208.htmlに基づいて十六區だけ辭書にしてみました。
載せておいてアレだけれども、この單漢字辭書、駄目つぽい。「い:緯」となつてゐるけれども、「緯」の字音假名遣は「ゐ」のはず。[漢字項目]では[音]イ(呉)(漢) [訓]よこいと
となつてゐる。何だこれ。
單漢字辭書の方は、如何にして機械的且つ效率的にバグの少い叩き臺を作れるか、そのへんを考へてみたい。 “一文字一文字Yahoo!辭書の『大辭泉』で引く” のは、正直效率的とは思へない。もっと好い方法がありさうな氣がしてゐる。スクリプトが書けたらあとで載せるね。まあ、そのへんも含めてぼちぼち始めるよ。懸案だったライセンスも上記のとほりほぼ決まったし。
やつぱり駄目ですか。といふか效率以前の問題が……。
『言海』の電子テキストは慥か何處かにあったな。ライセンスは覺えてゐないが。
日本文学等テキストファイルに「採集語類別表」「本書編纂ノ大意」「ことばのうみのおくがき」があります。「ことばのうみのおくがき」は青空文庫にもありますね。全文はないのではないでせうか。と思つたら寫眞が近代デジタルライブラリーにあるみたいですね。青空文庫の底本。電子テキストぢやなくてがつかり。
どつちにせよ著作權の保護期間は滿了してゐるので、ライセンスは主張できないはずでは。法律には詳しくないのでその邊良く知りませんが。文庫版はちやうど買はうと思つてゐたところなので、どなたかが手打ちで入力するならばこれから買つてきて手傳ひくらゐはできるはずです。
三月十日十五時四分現在、何だか綺麗に纏まつた感があるやうな感じです。
手元の松村明監修『大辭泉』(小學館、一九九五、第一版第一刷)を見てみる。
「緯」にはきちんと(ヰ)
と書かれてゐる。ところがYahoo!辭書にはこれがない。だが、一貫して拔けてゐるわけではなく、例へば「慰」はYahoo!辭書でも[音]イ(ヰ)(呉)(漢) [訓]なぐさめる なぐさむ
となつてゐる。
結論。Yahoo!辭書に使はれてゐる『大辭泉』には入力ミスがあるorz
何かいつのまにか私まで出て行くはめになつてゐる。いつの間にアパッチ正假名軍(笑)入りしたんだ私! 知らないのに! fake-jizo氏のこと全然知らないのに! fake-jizo氏だつて絶對私のことなんか知らないのに!
しかし何故私がご存じない方が次から次へと集まってコメントしてきますか。入れ替わり立ち代りってのはちょっと不気味ですね。まあ大体予想はつきますが。
えーと、ダブハン、トリハンつてこと?
ぼくは違ひますよ、他は知りませんが。
とかいつてみる。
えーと、ダブハン、トリハンつてこと?
違いますよ。そんなことは考えてませんので大丈夫です。
絶對ダブハン(orトリハン)疑はれてるーっ!
ええと、私はこのとほり朝鮮將棋が云々といふサイトをやつてゐる親韓左翼の人です。いや、別に左翼ぢやないけど。他のみなさんとは別の人です。中村明裕は親にもらつた本名です。現實社會では極めて稀に中村亞姫といふ僞名を名乘ることもあります。大西賢示氏がはるな愛と名乘るのと同じだよね〜。「鳩笛雑記帳」の竹林氏とはたまに日記で言及しあふことがある程度の仲でして、「鳩笛雑記帳」を見て世界は寒いに辿りついたといふ次第なのであります。
何自己紹介してるんだ私。
実は何で揉めてるのか全然わかっていません!
簡單に言ふと
80年代後期くらいに旧字旧仮名擬古文体が流行ったなあそういえば(´Д`)y-~
といふ程度のことなんですが、haikyo氏が「シャドウボクサー!」とか「『それ』じゃなくて『其れ』って書け!」と言ひ出したりkyoumoe氏が「『恥かしい』じゃなくて『恥ずかしい』って書け!」と言ひ出したりして生眞面目な正字正假名派の人たちが一々答へてゐる、といふ次第です。
haikyo氏は救ひやうがない氣がする。
此方と其方とか書かないんだよなあの子ら(´Д`)y-~
なんつうか旧字旧仮名の使い方がゲンダイ的つうかあんまり深く考えてないのが丸わかりでコマル
だからレトロ趣味ぢやないんですつて。haikyo氏の頭の中には「正字正假名派=レトロ趣味」といふあまりに單純な圖式しかない。そして、さうではないといふ意見は彼の目に入らないのです。ですから「レトロ」な書き方をしない正字正假名派がゲンダイ的つうかあんまり深く考えてないのが丸わかり
に見えてしまふ。現代的で良いのです。現代語の表記なのですから。ところが彼の「正字正假名派=レトロ趣味」といふ信念はなぜか絶對に崩れない。
何より救ひがたいのは、彼が自らを相當頭の良い人間だと思ひこんでゐることです。彼は『私の國語教室』すら讀んでゐません。讀んでゐたらこんなチンプンカンプンな議論はできません。彼には國語國字問題を語るのに必要な智識がどう考へても足りてゐません。
にも關らず、彼は自分をかなりその方面について知つてゐる人と見なしてゐる。未来ある若人が無知によって恥をかき続ける可能性を無視して黙殺できるほど冷酷じゃないし僕たち
と、彼は言ひます。
つうか何故話が通じないのかをもうちっと深く考察してみることをお薦めするよ
haikyo氏が「正字正假名派=レトロ趣味」と信じこんでゐるからです。
kyoumoe氏の
あと、「恥」は単体なら「はじ」と読みますね。
送り仮名がついたら「は」ですね。
「恥じ」も「〜を恥じ、反省する」とかならその通りですね。
「恥じをかく」とは書きませんね。
違いは分かりますかね? 名刺とか動詞とか形容詞とか分かりますかね?
といふ説はトンデモだと思ひます。「恥」を「は」とは讀みません。また、送り假名といふのは誤讀しない範圍で短く送れば良い。
大體、名刺とか動詞とか形容詞とか
が分つてゐないのはkyoumoe氏です。kyoumoe氏の論は「『ハジ』は『恥』で『ハズカシイ』は『恥ずかしい』と書くべきである。なぜならば『ハジ』は名詞であり、『ハズカシイ』は動詞『ハジル』から派生した形容詞であるからだ」といふものです。どう考へても理窟になつてゐません。なぜならば「ハヂ」もまた「恥づ」から派生した名詞であるからです。
ちなみに私ならば活用語尾だけ送つて「恥しい」と書くところですね。
以前神代文字の議論を覗いたときのことを思ひ出しました。誰かが「神代文字は上代特殊假名遣に反してゐる」と言つたのに對して神代文字信者が
うまやどを名乗る者は、ホツマ文字の時代の母音の数を5つとしかいいようがないともっともらしいことを書いているようですが、これまた議論に値しない、事実に反する稚拙な虚偽発言に他ならないと思います。現実の日本語の発音は、文字表記と一致しない部分が多く、非常に複雑です。たとえば現代の日本語の『ん』の発音を、一般の人は1種類と信じていますが、それは文字と音韻を対照した場合そうなるのであって、じつは発音上は4種類あります。「ング(ng)」と発音する「ん」は「考える」などと声を出してみれば、簡単に確認できます。「簡単」などの「ん」は、舌が上の歯につくもので、nの発音です。「乾杯」の場合は、唇がくっつくmの発音です。無音の「ん」もあって、「関心」などは、唇や舌がどこにもくっつかない、口が開いた状態で発音されます。これら4種類は明確に舌や唇の使い方が区別できるものです。試しに「関心」という言葉を、口を閉じる「ん」を使って発音してみてください。「関心」ではなく「かむしん」と聞こえるように不自然に感じて、違和感を覚えると思います。つまり、ヒアリング上明確に別の音なのですが、文字が「ん」一つなので、日本語の「ん」は一種類だと錯覚しているだけなのです。
私は、このようなことを詳しく知っていますが、うまやどを名乗る者は、書き込みのレベルが低いことから、そうではない可能性を考えざるをえません。「ん」だけでなく、母音の場合も、明らかに口の形、舌や唇の使い方が違っているため、錯覚して同じ音のように認識していても、実際には別の音として発音されているケースがたくさんあります。「ん」に比べると少し分かりにくい例になりますが、「痛い(いたい)」「遺体(いたい)」に含まれる4つの「い」の音は、同じ音価ではありません。つまり、「い」という母音が現代の標準語でもすくなくとも4つは存在していることになります。アクセントも関係していますが、「痛い」の場合は、最初の「い」に比べて語尾の「い」は明らかに舌の緊張度が緩んでいるため、先端の舌の位置が中舌になっていて、i の発音になっています。方言の特殊な言い回しまで含めて、地域差などを細かく分類しはじめると、もっとたくさんあります。うまやどを名乗る者は、素人でも少し観察すればこのように短時間で確認して理解できる程度の基礎的なことすら勉強しないで、事実に反することを平気で書いている可能性があります。1980年代ならばともかく、音声入力のワープロソフトなどが研究開発された90年代に入ってからは、音声解析上日本語の母音が5つなんて話は通用しなくなっています。今から十数年前に行われていた古い研究ですら、きちんとまともに勉強していないレベルで、この場に間違ったことをもっともらしく書き殴っている可能性が高いと思われます。
とか言ひ出したのですよ。自分が何でもかんでも知つてゐると思ひこんでゐる人間は恐しいものです。
SKK議論が盛んなやうですが。
手書きの感覺からすれば連文節變換よりSKKのはうが近いのでせう。手書きといふのは頭の中で豫め作つておいた文字列を、一點一畫づつ紙にくつつけていくものです。既に頭の中で漢字にするか假名にするか決定してゐないと手書きでは大方の場合書けないものです。この點、文字列を一單語づつアプリケーションにくつつけていくSKKのはうが手書きに近いと言へませう。ただ、この手書きといふシステムが果して效率的なものであるかには疑問が殘ります。少くとも私は、手書きに比べてキーボードによる入力のはうが速く入力できます。
「大方の場合」と言ひましたが、實際私などは手書きの場合もどこを假名にしてどこを漢字にするかなど實は大して考へてゐません。きちつと整つたもの、例へばレポートを手書きで提出する場合は、自分の中で一往どこを漢字で書きどこを假名で書くかを統一してゐます。例へば形式名詞の「ため」「こと」は「爲」「事」とは書かないし、逆に形容詞や動詞の「青い」「遊ぶ」は「あをい」「あそぶ」とは書かない、と決めてゐます。が、日常のメモの場合はこんなものは守りません。出てくるままに書いてゆくのです。「爲」「事」と書いたり、略字で「ゐ」や「る」のやうな字形を用ゐたりする。「あをい」「あそぶ」とも書く。この點、出てくるままに打ちこんだものを勝手に統一してくれる連文節變換のはうが效率的と言へるのではないでせうか。
といふか、SKKを使つたことがないから良く分らないや。今度使つてみようかしら。
上記のステップ數で單純な比較はできないし、しないけれど、それよりも、この流れのなかで「文節區切ミス」がないことは、これはSKKの「いいところ」だと思ふ。これが「ある」と、それを「修正」しなければならないため、その作業によって「思考の流れ」をぶった切られてしまふ。「誤變換」も同樣。それがあるかないかはとても大きい。「不自然な『文節』區切りを強要させられる」といふ、人間にとっては歪な點があっても、これ(區切ミス・誤變換)を避けるために、その爲になほSKKをユーザに支持させてしまふ程に。それほどに「思考の流れを阻碍しない」ことは重要だ。
そこでKehuhaHaredesu(2009-02.html#D26-2)ですよ。あるいはKEFUhaHAREdesu
。
無力感。
すげえ(色々な意味で)。
ありがたうございます(色々な意味で)。
ちなみにほっかいどう百年物語は知りません。といふかSTVラジオを知りません。
mrnkn氏の言つてゐることは言葉尻を捉へただけではないでせうか。haikyo氏がつうか旧字旧仮名を使うかどうかとかは何を書くかによって決まるんじゃないかなあ
の前に旧字旧仮名擬古文体
とか宮武外骨
とか言つてゐるのですから、旧字旧仮名
では擬古文体
だとかそんなのを書かねばならない、と言つてゐると取るのが當然でせう。haikyo氏が其れが何か
云々と言つてゐることからもそれは明白です。haikyo氏は、正字正假名は「コスプレ」であるし、さうでないといけない、と本氣で思ひこんでゐるのです。もちろん竹林氏は全然誤讀なんかしてゐません。
といふか、haikyo氏は竹林氏の言つてゐることを全然理會してゐません。それこそシャドウボクシングでせう。といふか、haikyo氏、最初の發言には「さうだねギャハハ」みたいな反應を期待してゐたのに、さうぢやなくて愕然としてゐるんでせうねえ。そりやあ竹林氏がシャドウボクサーに見えるわけです。
ああ何で「ファッションだ!」の人がいくらでも涌いてくるのでせう。無限ループです。
なんで其れが何か
つて書かなきやいけないんだらう(´Д`)y-~喫煙は美容の大敵だわ〜
(´Д`)y-~
。haikyo氏は自分に醉つてゐるのでせう。で、その自分を正字正假名派に投影して馬鹿にしてゐると、さういふことなのだらうと思ひます。「人は自らを否定すべき文句でもつて他人を罵る」。
ちなみに、私は勞働者ではありませんから仕事上の報告書
は書く機會からしてありませんが、それに類するものとしてレポートは(「日常の表記とか廣辭苑前文方式とか」でも書いてゐるとほり)正字正假名で書いてゐます。
今日は雛祭。つまり私の日。笑ひ。
和服! さう來るとは豫想外。といふか似合ひ過ぎ。いいなあ(羨)
豫想GUY? いいえLADYです云々。
ぐほっ、いいオト……、いや、いいオン……いやいや、まあどっちでもいいや。
えーと、適当なほめ方が分らないなー。
穏当に、「いま彼氏ゐるの、どっどうなの?」とか「お母さん独身? 紹介して紹介してよ!」とかでいいかな。
ゐるやうなゐないやうな。笑ひ。
母には夫がゐます。私の父です。笑ひ。
あー恥しい。滿更でもないのがバレバレなのが恥しい。
みなさんありがたうだよね〜(はるな愛風に)。
「はてなアンテナ」がチャンギ日記("/janggijp/nikki.html")の更新を認識して呉れないので先日出したはてなアイデア。
これはご親切にありがたうごさいます。
これまたどうもです。
何かもう私の出る幕なささう。とか言つて下火になることを恐れるので敢へて口を出します。
實はかういふの、「誰にも編集できない」と揶揄されるWikipediaみたいでやりかたが良く分らなかつたり。何はともあれ應援。
後、何か成果が出たら一般の利用に堪へるやうな「簡單な使ひ方の解説」的なものが必要になるかもしれません。まあそれは先の話。
構文解析器と形態素解析器を組み合わせて應用して日本語入力ソフトが作り得るといふ理解は正しいのか。
多分正しいのでは。以下素人考へ。
例へば「わたしはただしいといふことをみとめておきたいのだ」と入力すると「わたし(名詞)は(助詞)ただし(形容詞の語幹)い(形容詞の活用語尾)と(助詞)い(動詞の語幹)ふ(動詞の活用語尾)こと(形式名詞)を(助詞)みと(動詞の語幹)め(動詞の活用語尾)て(助詞)お(補助動詞の語幹)き(補助動詞の活用語尾)た(助動詞の語幹)い(助動詞の活用語尾)の(助詞)だ(助動詞)」とか何かそんな感じに形態素に分解して、そのまま變換するシステムができれば單語變換(?)ソフトができるはずです。
それを文節單位まで繋げて變換することができれば文節変換になるはずです。「わたしは・ただしいと・いふ・ことを・みとめて・おきたいのだ」式に。なほ、文節の切れ目は自立語の直前であるはずです。ちなみにMS-IMEは「わたしは・ただしいといふことを・みとめておきたいのだ」くらゐの長さで文節とみなすみたいです。補助動詞、形式名詞などを自立語とみなさないといふわけでせう。
さて、それだけだと「きれいな・ふくを・きた・ぢよせいが・きた」を「綺麗な服を著た女性が著た」と變換しかねないので、最初の「きた」が「ふくを」を受け、後の「きた」が「ぢよせいが」を受けるといふふうに構文を分析して變換してくれると正確に變換できる可能性が高いわけです。
母校の高校の文化祭に行つて來たんですよ。件の飛鳥氏は來てゐませんでした。私に顏を合はづらかつたんでせうね。そんな話を件のスタッフとしてゐました。
で、何かの部活の展示にヒトラーとハーケンクロイツが描かれた繪があつたんですけど、ナチズムを髣髴とさせるとかで顧問にいちやもんをつけてゐるのがゐました。私なんですけど。結局撤去されましたけど。
で、男の子を捕まへて化粧させて撫でたりしてかはいい〜とかのたまつてるのがゐました。私なんですけど。
そんな二日間。
全然關係ないけど私のレスが500ついたらうp宣言は華麗にスルーされてゐるのかしら。50に引き下げても良いけど。何なら5でも。
男子校は樂しいところだつたと椿姫彩菜が言つてゐた。
男子校は詰らぬところだつたとはるな愛が言つてゐた。
モテるかモテないかによるのだらうと私は結論づけた。
私は通つたことがないので知らない。
リンクミスやら何やらを指摘していただけるのつてありがたいなあ。そのせゐで安心して自分でのチェックを怠るやうになるのは怖いけれども。といふか「#D02-5」式の記述をしておきながら全然機能してゐないのを謝らなきやいけないのか。
ん? 否、sf.jpではなくて成果物の “「簡單な使ひ方の解説」チャンギ日記 2009年3月” が必要、と言はれてゐるのかな。まあ、どっちにせよちゃんと書く積り。
成果物のはうです。けれども、sf.jpにも要るのかもしれません。
とか散々じらしましたけれども。
500超えてますよッ
あー恥しいよぅ。あーあー。