備前岡山藩周匝陣屋の痕跡

備前岡山藩周匝陣屋

備前国赤坂郡周匝 (現 岡山県赤磐市周匝)

2002開設 2015.7.22更新

片桐池田家歴代の法名を追加しました(5頁)

(写真左) 県道から見える古代の茶臼山城があった山頂に再現された城櫓 
(写真右) 吉野川と吉井川の合流点に架かる周匝橋と、静かな川面に映るコスモス

1 周匝 (すさい)

 織田信長の「信」をもらって信輝 (のぶてる) とも名乗った信長の重臣 池田恒興 (いけだつねおき)、その恒興の四男 池田長政の嫡男である池田長明から幕末まで備前岡山藩の家老家として続いた片桐池田家の周匝 (すさい) 陣屋跡にその痕跡を訪ねてみました。
 
 周匝は備前国赤坂郡の最北端に位置する要衝の地で、出雲街道から備前国に入る街道の街として、備前国と美作国が接する国境の街として、また吉井川と吉野川の水運拠点の街として幕末まで繁栄していた陣屋町でした。
 吉野川の上流には宮本武蔵誕生の地である美作の大原町があり、吉井川の上流には津山があります。これらの川は周匝で高瀬舟発祥の川である吉井川に合流し、下流の西大寺または倉安川運河から旭川を経由して岡山まで川船が盛んに往き来していました。

 現在の岡山県赤磐市周匝 (旧備前国赤坂郡周匝) に置かれていた周匝陣屋の跡は、陣屋の中心であった御茶屋の跡地と石垣がわずかに残されているだけで、今も陣屋の塀の一部が保存されている伊木家の虫明(むしあげ)陣屋跡などに比べると、殆どその痕跡は失われてしまったようです。
 しかし、その中で歴代の周匝領主であった片桐池田家の荒れていた墓地が、地元の史跡保存会の皆さんの手により整備復元されていました。

 なお、周匝の家老家を「片桐池田家」または「周匝池田家」と呼ぶのは、岡山の池田本家と区別するため比較的最近用いられるようになったもので、実際には戦国時代からの呼称のまま幕末まで「片桐家」と呼ばれていました。
 また、現在の赤磐(あかいわ)という地名は、周匝陣屋が置かれた旧赤坂郡と、佐伯陣屋が置かれた旧磐梨(いわなし)郡が一緒になってできた呼び名です。

2 周匝陣屋入口

 幕末まで周匝の陣屋と武家屋敷が在った場所です。
 鳥居の辺りに武家屋敷町に入る木戸門と番所があり、その奥に武家屋敷が広がっていたと吉井町史跡保存会の方々に教えていただきました。

 最初の写真の道の正面に、陣屋が置かれる以前から続いている周匝八幡宮と、池田伊賀守長明が建立した臨済宗大龍寺(だいりゅうじ)の廃寺跡があります。
 現在は左が備作高等学校址 (2007年に廃校)、右が周匝幼稚園となっています。(二番目の写真は逆に八幡宮前から街の方向を見たもの)
 

  

3 周匝八幡宮
 武家の信仰対象であった八幡宮が、かっての武家屋敷に入った道の正面に残されていました。昔の図面によると、この神社の右に陣屋の建物が連なっていたようです。


4 周匝陣屋跡の周囲
 左下の写真の左手奥に石垣が残っており、その上にお茶屋敷の跡地があります。この藪は、かってここに在った武家屋敷の外縁だったようです。

 右下の写真は周匝幼稚園の横から、お茶屋敷に向かって石垣を斜めに登る坂道で、お茶屋敷の跡から太鼓丸跡に続いています。

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