ラジオ部

文化部の中にあった「ラジオ部」の当時の記録です。昭和30年頃に科学部物理班から独立した部で、アマチュア無線、オーディオ、エレクトロニクス、放送などの分野で趣味を同じくする者が集まっていました。当時の顧問は国語の浦田先生でした。
1 昭和33年文化祭


当時始まった民間ラジオ放送のベリカード(受信証)や、東西冷戦の中、盛んだった各国の国際短波放送のベリカードなど

当時のラジオ部の部室


当時のラジオ部の部室です中3階にありました


当時の標準的なオールウェーブ受信機、真空管(MT管)式、高周波1段、中間周波2段増幅の
当時としては最も高い感度が得られた受信機です。昭和33年頃にラジオ部が自作しました。上は小型送信機


当時の自作ラジオなどはアルミ製シャーシにアルミ板を立ててパネルにするのが標準的な作り方でした


当時の真空管、ST管と呼ばれていました


昭和33年のアマチュア無線局JA4AAC、JA4AAQ、JA4AAY 機材は共用、まだクラブコールは認められておらず、
あくまで個人の固定局で電波管理局の落成検査も受けています。昭和32年まではJA4HQやJA4HWも在籍していました。


当時のレコードコンサートに使用していた大阪音響のスピーカーと手作り真空管式アンプ、まだステレオにはなっていません
当時最ももてはやされていたのが五極管またはビーム四極管を三極管結合のプッシュプルにしたウィリアムソンアンプでした


当時の標準的なオーディオアンプ、出力段は6BQ5だったか6AQ5だったか?、整流管は5Y3-GT

当時使用していた東通工 (東京通信工業、ソニーの前身) 製のテープコーダー、昭和30年代前半には赤井電機も追従しましたが、東通工の交流バイアス特許の壁に苦労したようです。また電気堂という会社からも「ホーム」というブランドでデッキ単体が発売されていました。


昭和32年の体育祭、ラジオ部の放送テント


昭和33年体育祭放送係


昭和34年頃のラジオ部部室の窓からの眺め、カラーは着色です