昭和32年5月 下津井鷲羽山への遠足


下津井電鉄ではなく、この頃から盛んになった貸切バスを利用、生憎と天候は雨


沖合いの船はまだ「機帆船」と呼ばれていました、主動力は焼玉エンジン、補助動力として帆を使います。


真下の建物は、今の「鷲羽山下電ホテル」の前身、その先は鷲羽山ユースホステル?と大浜海水浴場です。


雨だったため、クラスなどの集合写真は撮らなかった?