10話 選べる未来はひとつだけ


 誰でも一度は、人生の岐路に立たされたことがあるだろう。例えば、どこの学校へ進学するのか、どのような職業に就くのか、誰と結婚するのか。もしその時別の道を選んでいたなら、貴方の人生は全く別のものになっていたかもしれない。いや、どの道を選んでも、存外代わり映えのしない人生であった可能性もある。いずれにせよ、人生にやり直しはきかない。自らの生きてきた道に“IF”はないのだ。その選択が正解だったのか誤まりだったのかは誰にも分からない。だからこそ人間は慎重に自らの進むべき道を選ぶべきだし、選んだ道が最善のものになるよう、努力していく必要があるのではないだろうか。
カイ・シデン著『永遠の遺産』より


.知りすぎる罠

「我々が解散? どういうことでしょうか?」
 30バンチの惨劇から3日後。地球連邦軍第9特務部隊の強襲揚陸艦スレイプニルは、サイド1から月へと至る航路の途上で、連邦軍月面基地とのレーザー通信回線を開いていた。
『言葉通りの意味だよ、クチュト・ヤムヤ少佐。既に手続き上は第9特務部隊は解散した事になっている。グラナダ基地に帰投次第、諸君らは我々参謀本部の管轄から外れる』
 参謀本部のヴィルヘルム・ホライズン大将は、感情を交えぬ淡々とした声で事実のみを告げた。
「それはまた、一体どういった理由で」
『自分達が何をやらかしたのか、よく考えてみたまえ。よりによってティターンズの作戦を妨害するとは、な。ヤムヤ君、君の行動については、機動試験部隊時代から大抵思い通りにさせてきたつもりだが、今度ばかりは我等でもかばいきれん。……我々としても残念だよ。君達がまさかここまで軽率な行動に出るとは思わなかった』
「お言葉ですが、ホライズン大将! ティターンズが30バンチで何をやらかしたのか、参謀本部は了解しているのですか! あんなものが、正規の作戦行動などと……!」
 ヘンケン・ベッケナー艦長が、耐えきれずに口を挟む。
『……作戦の内容は問題ではないのだ。重要なのは、君達がティターンズの作戦を妨害した、その一点にあるのだよ。これ以上のティターンズの台頭を許さぬ為にも、我々は今、ティターンズに借りを作るわけにはいかないのだ』
「……我々は、捨て駒という訳ですか」
 何かを堪えるように、ヘンケン艦長が確認を取った。
『随分と高価な捨て駒になってしまったよ。君達を特務部隊として再編し、運営していくに当たってどれだけの投資をしたかを考えればな』
「最後にひとつだけお伺いします。解散後、我々の待遇はどうなるのでしょう?」
『今も言ったように、もう君達のことについては私の手を離れた。だが、ティターンズが君達をティターンズに組み入れようという話はあるようだ』
「そんな!? 我々はスペースノイド中心の部隊です。ティターンズは基本的にアースノイドしか受け入れないはずでは?」
 ヘンケンの問いに、ホライズン大将は軽く首を振った。
『ジャミトフ一派の目的は君達自身というよりも、君達の所有するMSと……エス・コアだ』
 それ以上は言わずとも分かるだろう、ホライズン大将の目が、そう語っていた。

「グラナダ帰投前に本部と連絡を取ったのは正解でしたが……最悪の事態になりましたな」
 通信を終えた後、さすがのヘンケン少佐も、気力を使い果たしたように通信室のシートにもたれかかった。
「いえいえ、最悪の事態はいくつか想定していましたが、それよりは大分マシでした」
 対するヤムヤ中佐の表情は、サングラスに隠れて読めない。
「一体どんな予想をしていたかは知りませんが……我々は今後どうするんです? みすみすティターンズに降るのですか?」
「いっそのこと、このまま軍を抜けますか?」
 どこまで本気か読めないヤムヤの声。
「まあ、それは最後の手段として。今は出来うる限りの手を打ちます。急ぎましょう、時間との勝負になりますから」
 ヤムヤは再び通信機のスイッチを入れた。

 スレイプニルの医務室で。
 レイジ・オハラ軍曹はベッドに横たわるエスカの右手を、そっと両の手で包み込んだ。
 エスカは目を閉じたまま、身じろぎ一つしない。浅く上下する胸の動きがなければ、死んだのかと勘違いしてもおかしくはない状況だ。
「エスカ……どうしたんだよ、目を覚ましてくれよ」
 エスカの身に何があったのか、レイジには分からない。ティターンズを阻止すべく無断出撃し、戻ってきた時には、エスカは謎の昏睡状態に陥っていた。
「レイジ軍曹」
 かけられた声に振り向く。そこには、艦の軍医たるキリーク・カトーと、ムラサメ研究所から出向中のミューゼル・ラーハイト博士の姿があった。
「先生! エスカの昏睡の原因が分かったんですか!?」
 レイジの必死の問いに、カトー軍医が静かに首を左右に振る。
「はっきりと原因が特定できたわけではない。だが、ラーハイト博士と様々な可能性を検討して見た結果、こうではないかという仮説は立った」
「つまりはこういうことです」
 カトー軍医の言葉を、ラーハイト博士が受ける。
「ご存知の通り、ニュータイプには他者と感覚を共有する現象が発生することがあります。そしてこの現象は、必ずしもニュータイプ自身にコントロールできるものではありません」
「それがどうしたんだよ」
 遠回しな説明に、レイジが苛立ちを隠さずに口を挟む。
「つまり、あの30バンチの虐殺があった時、エスカさんが死んでいった人々の思念と……その全てではなくとも、例え数%とでも、共鳴してしまっていたとしたら、どうなるでしょう?」
 レイジは目を見開いた。レイジ自身、あの時無数の悲鳴が脳内を通り抜けていったような感覚を味わっていたのだ。
「死んでいく人間の恐怖・苦痛・未練……そういった強烈な思いが一斉に流れ込んできてとしたら……それは人ひとりの心で受け止めきれる許容量を振り切ってしまうかもしれません」
「そんな……じゃあエスカは……エスカは」
 もしそれが事実だとしたら、エスカはどうなってしまうのか。レイジには、それ以上考えるのが恐かった。もしかしたら永遠にエスカを失ってしまったのかもしれない……そう考えると……
 その時だった、艦内に、緊急放送のサイレンが鳴り響いたのは。
『これより、緊急の全艦ミーティングを行います。当直以外の全ての乗員は、至急ブリーフィングルームへ集合して下さい。繰り返します、これより、緊急の全艦ミーティングを……』
 どこか悲壮感を伴ったオペレーターの声が、艦内に響き渡る。
「全員召集だと? 一体何事だ?」
 カトー軍医がつぶやく。レイジは、もう一度眠り続けるエスカに目を向けると、ゆっくりと彼女の手を離し、立ち上がった。しばらく、最悪の予想を忘れてしまいたかったから、彼は何かを振り切るように医務室を後にした。

「……我々のおかれている状況は、今お話したとおりです」
 ブリーフィングルームに集まったクルー達に対し、クチュト・ヤムヤ中佐は淡々と現状を説明した。
「……それは、私達がティターンズに取り込まれるということですか」
 皆を代表して、エリオット・マルス中尉が確認する。
「このままでいくとその可能性が高い、ということです。ただし、あなた方にはもう二つ、残された道があります」
「残された道?」
「先程、ブレックス・フォーラ准将と連絡を取ることに成功しました。准将は、あなた方をエゥーゴに迎え入れてもよいと確約して下さいました」
「エゥーゴ……ジオンの残党と宇宙難民が中心になって結成した反地球連邦組織だな。我々に、連邦に反旗を翻せということですか」
 イアン・マクドガル准尉の問いに、ヤムヤ中佐は頷く。
「ただし、エゥーゴはまだ連邦軍に対抗できるほど大きな組織ではありません。もしエゥーゴに加わるなら、当面地下に潜伏することになるでしょうね」
「もう一つ付け加えれば、もし地球に家族がいる場合、エゥーゴへの参加が露見した時点でその家族をティターンズに人質に取られるかもしれん」
 ヘンケン少佐が補足する。
「あの〜。それで、もうひとつの道っていうのは?」
 恐る恐るといった様子で、アレクサンドル・ボルジア軍曹が訊ねる。
「最後の道は、軍と関わりを断ち、民間人に戻る道です。ただし、色々と秘密を握っているあなた方をティターンズが放っておくとは思えません。軍の監視付きの生活になる可能性が高いですが」
「この件についても、ブレックス准将は助力下さるそうだ。一度死亡扱いにし、その上で新しい戸籍を用意してくれると約束してくれた。もし過去を全て切り捨てる覚悟があるなら、それもいいだろう」
 一同の間に、ざわめきが広がる。そのざわめきは、いつまでも止みそうになかった。
「この件について、我々は強制も命令もしません。あなた方一人一人が、自分自身でこれからの道を選んで下さい。これからの人生に関わる問題ですから、安易に結論を出さず、しっかりと考えて答えを出して下さい。ただし、猶予は月に到着するまでの1日と8時間だけです。その間に、答えを決めて下さい」
「話は以上だ。解散!」
 ヘンケンの締めの言葉で、スレイプニルのクルー達の運命を決めるミーティングは終わりを告げた。

「なんか、大変なことになっちゃったっすね」
 ミーティングが終わり、居住区へ向かいながら、アレクはイアンに声をかけた。
「……ああ」
「イアン准尉は、どうするかもう決めたんっすか?」
「少なくとも、ティターンズへの入隊だけは御免だな。そんなことになるんだったら、俺は連中と刺し違える」
 冗談かとも思ったが、イアンの目は真剣そのものだ。
「俺は、エゥーゴに入るのも悪くないと考えている。ティターンズの台頭を許す連邦に自浄作用が期待できないなら、外部から連邦を変えていくしかないだろう」
「そ、それって、結構危険思想なんじゃあ」
「じゃあ聞くが、エゥーゴとティターンズとどっちが危険なんだ?」
 それだけ言うと、イアンは自室の方角へと流れていってしまった。
「どっちって言ったって……」
 アレクにはそんなことは分からないし、どうでもいいことだった。大事なのは、何を選択することが自分にとって一番なのかということだ。
「あ! グードン軍曹! 君はどうするっすか!?」
 アレクは、目に入ったクルーに、片っ端から同じ問いをぶつけていった。

 ミーティングの後、格納庫ではちょっとした騒ぎが起こっていた。
「あんた達が、命令無視してティターンズに攻撃を仕掛けたりしたからこんな騒ぎになったんだ! 一体どうしてくれる!」
 整備兵の一部が、マルスに食って掛かったのである。
「じゃあ、君達はティターンズのやったことが許せるっていうのか!?」
「それとこれとは話が別だ! あんた、自分のやらかしたことでこの艦の何人の人間の人生狂わせたのか、分かってるのかよ!」
 マルスは言葉に詰まった。正直、あの時はティターンズの非道に対する憤りに突き動かされて、その結果がどんな事態を招くかなどということは全く考えていなかった。自分自身のことすら考えていなかったのだから、その行動が他人にどんな影響を与えるかなど、考えている余裕もあるはずがなかった。
「ふん。どうせお偉いMSパイロットのことだ。何やっても許されると考えてたんだろうさ」
「お前達なんか、俺らがMS整備しなけりゃ何も出来ないくせに」
「……だって、仕方なかったんだ。私達は、間違ってなかった」
 マルスは力なくつぶやいた。と、そのマルスの横っ面を、突如鉄拳が襲った。
「仕方なかったで済むか! 何が間違ってなかっただ! 俺の家族は地球にいるんだぞ!? あんたの軽率な行動のせいで、俺の家族に何かあったら、あんたが責任取ってくれるのか!? 責任取れるのかよ!」
 やりきれない怒りと不安を剥き出しにした整備兵に、マルスは返す言葉を持たなかった。確かに間違ったことはしていないはずなのに、その行為が結果として多くの人を今、苦しませている。
「いい加減にしたまえ、諸君!」
 割って入ったのは、ミューゼル・ラーハイト博士だった。
「今そのようなことを言い合っていて何になる。こんな時、クルパ・ジェンド中尉がいたらどう思われたか」
 今は亡き整備班長の名を出され、騒ぎ立てていた整備兵達は黙り込んだ。ラーハイトは、マルスを殴った整備兵に向き合う。
「家族の安全を考えるなら、グダグダ言わずに君はティターンズに降りたまえ。だが、クルパ・ジェンド中尉を殺したのはティターンズだということは忘れないように」
 13バンチに入院中だったクルパは、ティターンズのG3ガス投入によって命を落とした。ティターンズに入隊するということは、クルパの仇の下に降るということでもあるのだ。
「じゃあ……、じゃあ俺にどうしろっていうんだよ!」
 マルスを殴った整備兵は、その場に膝をついて、涙をこぼしながら叫んだ。それは、この場にいる誰もが抱えた思いだった。

「それでレイジ。お前はどうするつもりだ」
 エスカのベットの脇に座ったまま動かないレイジに、キリーク・カトー軍医は声をかけた。
「オレ、一旦艦を離れようと思ってます」
 レイジの口から出たのは、意外な言葉だった。
「まさか、お前からそんな言葉を聞くとは思わなかったな」
「分かってます。オレの戦いはまだ終わっちゃいない。ハインツとは決着をつけなきゃいけないし、レダ大尉も止めなきゃいけない。ティターンズだって許せないって思ってる。……でも、オレにとって今一番大切なのは、エスカのことなんです」
 レイジはそっとエスカの手を取り、優しくその手を握った。
「オレは何としてもエスカを目覚めさせたい。だから、だからオレ、エスカを連れてサイド3に行こうと思うんです」
「サイド3に?」
 意外な言葉に、カトーは鸚鵡返しに問い返した。
「はい。一年戦争の頃、エスカはサイド3のニュータイプ研究施設に居たって聞いてます。なら、サイド3に行けばエスカのことを知ってる人に会えるかもしれない。エスカを治せる人がいるかもしれない」
 勢い込むレイジの姿に、カトーは顔をしかめた。レイジの言っていることは余りにも突飛で、非論理的だった。
「待て。お前はサイド3にいくつのコロニーがあるのか知っているのか。その上、いるかどうかも分からないエスカを知る人間を探すだと? それでエスカが良くなる保証もないというのにか」
「でも、このまま何もしないでエスカをこのままにしておくなんて!」
「お前はエスカの件と特務部隊解散のせいで、頭が混乱しているのだ。薬をやるから、それを飲んで少し休め。身の振りを考えるのは冷静さを取り戻してからだ」
 そう言いつつも、カトーはレイジが急にサイド3に行くと言い出した理由が掴みきれないでいた。


「……レイジ・オハラ……あった。やっぱり、ここで正解」
 スレイプニル艦内のある一室で、サリア・ロフォウ少尉はコンピューターの端末と向かい合っていた。レイジの記憶がいじられた形跡があるとミューゼル・ラーハイト博士から聞いて以来、サリアはレイジのあらゆるパーソナルデータに当たって見た。だが、得られたのは当たり障りのない、サリアもとっくに知っている範囲の情報ばかり。そんなものは、彼女の欲しい情報ではなかった。
 レイジの記憶だけでなく経歴も書き換えられているとすれば、どこかに書き換えられる前の本当のデータがあるのではないか。その想定の下、サリアは艦内のあるコンピューター端末に目をつけ、特務部隊解散の混乱の隙を突くように密かに調査を開始したのである。そして結果は、大当たりだった。
「……レイジ・オハラ、宇宙世紀0084年8月9日に、ダイレン基地にて訓練中の事故により死亡。……死亡!?」
 ある程度のことは想定していたが、まさかこんなデータを発見するとは予想外だった。
「……レイジ・オハラは既に死んでいる。じゃあ、わたしの知っているレイジは一体何者?」


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