5話 残されし者

 死んでいった者は何も感じず、何も望まない。だが、残された者はそうではない。自分にとってかけがえのない存在が死んでいった時、人はその穴を埋める術を自ら見つけるしかない。だから或る者は死んでいった者の復讐を誓い、また或る者は死んでいった者の志を継ごうとする。……死んでいった者は、何も望んでいないというのに。全ては、残された者の心の中での問題でしかないというのに。

カイ・シデン著『永遠の遺産』より

.空

「……!?」
 目を覚ました時レイジの目に映ったのは、見慣れたヨコハマ基地の無機質な天井パネルではなかった。
「ここは……。オレは一体……いてっ!」
 身を起こそうとしたレイジは、全身を駆け抜けた激痛に思わずうめき、再びベッドに倒れこんでしまった。
「!! レイジさん! 気づいたんですね!」
 突然耳に飛び込んできた声に、レイジはやっと状況を思い出してきた。
「エスカ! 無事だったんだな! ええっと、オレは……」
 エスカを発射直前のジオンのシャトルから連れ出し、その後基地に乗り込んできた連邦の歩兵部隊と合流したところまでは覚えている。だが、どうしてもその後の事が思い出せない。
「レイジ軍曹。あまりはしゃぎ過ぎないほうがいいぞ。お前の身体は、まだまだ回復しきっていない。もっとも、お前が今すぐ楽になりたいというなら、手を貸してやらんでもないが」
 その声に、ようやくレイジはここにもう一人の人間がいることを知った。機動試験部隊付きのキリーク=カトー軍医である。
「先生! オレ、一体……いや、それより今はいつなんだ? それからここは?」
「質問の多い奴だ。今日は宇宙世紀0085年6月20日。今地球標準時で14:00を回ったところだ。そしてここはガルダ級大型輸送機スードリの医務室。後10時間もすればジャブローに着く」
「20日!? じゃあ、オレは3日も寝てたって事か?」
 蒼龍会基地の攻略戦が行われたのは、確か6月17日だったはずだ。では、その間の記憶が抜けているのは……
「ペキン基地の連中がお前を見つけた時には、お前は意識を保っているのが不思議な有り様だったらしい。私のところに担ぎこまれた時には、すでに昏睡状態だったよ。実際、そのまま再起不能になってもおかしくない状況だった。そう、お前のジムのようにな」
「! ……やっぱり、オレのジムはもう……」
 レイジは、ジオンの蛇のようなMAとの戦いで大破した愛機のことを思い出した。あの時はエスカを助けることで頭が一杯で、谷に乗り捨てる形になってしまったのだが……
「クルパ中尉がぼやいていたぞ。またレイジの奴がMSをぶっ壊しおったとな。まあ、後で雷のひとつでも覚悟しておくのだな」
「ゲ……」
 怒りで顔を真っ赤にした整備班長クルパ・ジェンドの顔を思い出し、レイジは顔をしかめた。
「だが、まあ命を拾っただけでも良しとしておくがいい。少なくとも、レダよりは数段マシな運命と思え」
「? レダ大尉が、どうかしたんですか?」
 レイジの問いに、カトーは黙って首を振り、エスカは目を伏せてしまった。それだけで、レイジは大体を悟った。
「……まさか、まさかあのレダ大尉が? そんな、そんなことって……」
「人はな、いつかは必ず死ぬ。それが早いか遅いか、それだけのことだ。ただ軍人などという愚かしい人種は、他人より少しだけ死ぬのが早い。それだけのことだ」
 レイジには、カトーの淡々とした言葉がとても冷淡に感じられたのだが、それも一年戦争で余りにも多くの死に接してきた人間が持つ諦観なのかもしれないとも思う。
「レイジさん。人が死ぬのは悲しいことです。でも、だからこそ生きているっていうことはとても貴重なことなんです。少なくともレイジさんはこうして生き残ることができました。私には、それがとても嬉しいんです」
「エスカ……」
 エスカの言うことも、レイジには理解できた。少なくとも、自分はあの戦いを生き残ることができた。だから、これからもエスカを守り抜くことが出来る。
「……そうか。エスカをジャブローに連れてくのが、オレ達の本来の任務だったっけ。あ、だからオレ、ガルダ級に乗ってんだ」
 ようやく頭の中で全ての状況が整理できた。その時。
「エッスカちゃ〜ん、あ〜っそぼっ!」
 場違いに脳天気な声が、医務室に響き渡った。
「リゼリアさん!」
 エスカが、明るい声を上げて部屋の入り口に目を向ける。レイジは、エスカのそんな明るい声を初めて聞いた。
「おや、レイジさん。気づきましたか。いや〜、良かった良かった」
 そこにいたのは、スーツ姿の痩せぎすの青年と、明るい黄色の髪をした少女だった。そしてレイジは、その二人に見覚えがあった。
「あんたたちは確か、ホンコンで会ったウォンさんとリゼリアさん!? な、なんであんたらがここに……」
 確か二人はアナハイム・エレクトロニクスの社員……つまり民間人だったはずだ。仮にもガルダ級輸送機は軍属である。おいそれと民間人が乗れるものではない。
「いや〜。実はブレックス准将から依頼を受けてた新型戦艦の設計図面が出来ましてね。私とリゼリアはそれを届けにジャブローに行かなきゃいけないんで、特別に許可をもらってこの機に同乗させてもらってるんですよ」
 ウォンが、感情の読めない曖昧な笑みを浮かべた表情でそう応じる。そんなウォンを無視して、リゼリアはとととっと、エスカの車椅子に駆け寄っていた。
「ねーねねね、エスカちゃん! 今ね、雲の海が金色に染まってとってもきれいなんだよ。一緒にさ、見に行こうよ!」
 屈託の無いリゼリアの笑顔につられた様に、エスカも笑みを浮かべる。やはりレイジがこれまで見たことのない、曇りの無い笑みだった。
「はい。……それじゃレイジさん、まだ怪我も治っていないんですから、しばらく安静にしていて下さいね」
「じゃ〜ね、レイジさん! ウォン、いってきま〜す!」
 明るい笑みを残して、リゼリアはエスカの車椅子を押し、医務室を出て行った。
「……オレ、エスカがあんなに楽しそうなの、初めて見た」
 レイジがどこか寂しげにそう呟くと、ウォンが悟り済ましたような顔でレイジの方を向いた。
「あの年頃の子達にとってはね、自分と同年代の同姓の友人っていうのが必要なんですよ。特に軍隊の中で軍人に囲まれたりしてた日には、息が詰まっちゃいますからね。分かりますでしょ?」
「ああ……」
 それでもレイジは、心に沸き起こる寂しさと虚しさを抑えることが出来なかった。
(オレ、あのリゼリアって娘に嫉妬してんのかな? ……バカバカしい)

そんなレイジの心中を知ってか知らずか、ウォンが苦笑にも似た表情をレイジに向け、そっと呟く。
「……もっとも、余り仲良くなりすぎるのも考え物ですけどね」
「え?」
「ほら、仲良くなればなるほど、別れが辛くなるでしょ?」
「あ、そっか……。そういうもんなんだよな」
 だが、この時はまだ、レイジはウォンの言葉の真意は理解できていなかった。

 

 

エリオット・マルス少尉は、与えられた寝室のベットの上で、ただ膝を抱えていた。何もしたくなかったし、何も考えたくなかった。
「レダ大尉……。僕はこれから、どうすればいいんです……」
 そっと呟いてみる。が、無論返事のあろうはずがない。マルスは、自らの心にぽっかりと空いた空洞を持て余していた。失って初めて、自分がどれほどレダ大尉に頼りきっていたかが分かった。だがもう、マルスは誰にも頼ることができないのだ。
「大尉を殺したティターンズを潰せば、レダ大尉は満足してくれますか? いや、無駄ですよね……。今更ティターンズを潰したって、大尉が生き返るわけじゃないんだ……。妹を殺したジオンを倒したって、妹が帰って来なかったように……」
 なら、自分は何をすればいいのだろう? 分からなかったし、もし分かってもそれを実行できる自信がなかった。もう、自分を支えてくれるレダ大尉はいないのだ。
 コンコンッ!

突然、ドアをノックする音が室内に響き、マルスはビクッと顔を上げた。
『マルス少尉。いるのだろう? これからの隊の編成について、ヤムヤ少佐が打ち合わせたいことがあるそうだ。今すぐ来てくれ』
 インターホンから聞こえてきたのは、イアン准尉の深く低い声だった。だが、マルスには答える気力も動き出す気力も沸かなかった。
『マルス少尉? どうした、寝ているのか? レダ大尉がいなくなった以上、お前がMS部隊の指揮官なんだ。もう少しその自覚を持って……』
「うるさいっ!」
 自分でも驚くほど大きな声で、マルスは拒絶の叫びを上げていた。
「放っておいてくれよ! 僕にはレダ大尉の代わりなんてできない! 僕はレダ大尉みたいに凄くないんだ! MS部隊の指揮官なんて、僕にはできない!!」
 心に滞るものを吐き出すようにそう絶叫すると、マルスはインターホンのスイッチを切った。
「出来るわけ無いじゃないか、レダ大尉の代わりなんて……僕はレダ大尉じゃないんだから……」
 再び膝を抱えてベットの上にうずくまりながら、マルスは虚ろな目で天井を見上げた。
「レダ大尉……僕は一体、どうすればいいんです……」
 もちろん、その問いに答えるものは、どこにもいなかった。

 

「……どうだった? マルス少尉の様子」
 ブリーフィングルームに戻ってきたイアン准尉を待ち構えていたように、サリア・ロフォウ少尉が問いを口にした。
「ダメだな。レダ大尉を失ったことで、完全に自分を見失っている。当分、立ち直れそうもない」
 イアンは首を振ってソファにどかんと腰を下ろした。その隣に、サリアが静かに腰を下ろす。
「……なんとかしてあげられない?」
「無理だな。俺にも経験のあることだが、ああいった状態になったら自分で答えを見つけて乗り越えるしかない。うまく立ち直れるか、ここで終わってしまうかはマルス少尉次第だ」
「……そう」
 会話が途切れる。二人とも、自分達が何の力にもなってやれないことが、もどかしいのだ。
「……レダ大尉の代わりなんてな、誰にもできやしないんだ」
「え?」

イアンの言葉の意味を図りかねて、サリアは首を傾げた。
「マルス少尉はレダ大尉じゃない。レダ大尉の代わりなんてできない。だから自分のやり方で指揮官って奴を務めてみせればいいんだ。足りない点は、俺やレイジやアレクが補ってやればいい。……早くそれに気付いてくれればいいんだが」
「……きっと気付く。マルス少尉はこんなところで終わる器じゃない」
 イアンはサリアの気だるげな細い目をそっと見つめた。サリアの目が、イアンの目を見返してくる。
「……そうだな。あいつは、こんなところで終わる奴じゃない。それに、レイジの奴も、怪我程度で参る奴じゃないはずだ」
「……それにしても、最悪ね。レダ大尉はいない。マルス少尉は立ち直れない。レイジ軍曹は大怪我。今敵に襲われたら、最悪」
「大丈夫だ。俺とアレクの奴は元気だからな」
 イアンは深刻になった空気を少しでも軽くするかのように、ニッと笑ってみせた。

 

 

もう一人の元気な男──アレクサンドル・ボルジア軍曹は、自分のMSの整備に余念がなかった。
「あっちゃー。やっぱりセンサーのケーブルが焼き切れてる。どおりでこの前、射撃精度が落ちてると思った。イフリートに白兵戦挑まれた時にやられたのかなあ?」
 愛機のジム2に取り付き、頭部のセンサー系のチェックをしていたアレクは、ジムの肩の上で凝りをほぐすように伸びをした。
「おーい、君! そのジム2って、君のMS?」
 と、そんなアレクに、足元から呼びかける声が聞こえてきた。視線を下に向けると、そこには連邦の下士官の制服に身を包んだ若い女性の姿があった。肩まで伸びたウェーブのかかった蜂蜜色の髪と、ややそばかすの残った顔が印象的な女性だ。年齢はアレクと同じくらいだろう。
「そうだけど、君は?」
「あたし、メディナ・シティリーノ軍曹。こう見えても、君と同じパイロットよ」
「へえ。この輸送船の?」
「違うわ。ずっとマドラス基地にいたんだけど、今度宇宙に上がることになったんで、この機でジャブローに向かうことになったの。ね、それより、君のジム2が着けてるのってチョバムアーマーでしょ? ジム2に増加装甲プランなんて、あったんだ?」
 メディナに興味津々といった目で見つめられ、アレクは思わずドキッとした。
「ああ、これはさ、ジム2のフルアーマー・オペレーションの一環で……」
「ねえ、あたしもそっち、行っていいかな? もっと詳しく見てみたいんだ」
 メディナはそう言うと、アレクの返事も待たずに昇降ロープに身を預け、ジム2のコクピット部分にまで上ってきた。
「……君、メカが好きなんだ?」
「当然。それでMSパイロットになったようなものだもの。あれ、このチョバムアーマー、こんな所にハードポイントがあるんだ? もしかしてこれって、まだ追加武装が付くの?」
 ジム2の右胸のハードポイントを目ざとく見つけたメディナの観察眼と知識に、アレクは半分感心し、半分呆れた。
「そうだよ。この機体にはキャノン砲やグレネードランチャーがジャブローで追加される予定なんだ」
「やっぱりね。じゃ、これってプランだけで終わったガンダムのフルアーマー計画の廉価版なんだね」
「ま、そういうことじゃないの」
 アレクがそう応じると、メディナは器用に整備用の足組みを伝ってアレクの立つ肩の反対側の肩に上ってきた。
「あ! ねえねえ、あっちに置いてあるのって、あれガンダムでしょ? 随分大きなブースター背負ってるけど、もしかしてあれ、自力飛行可能なMS?」
「……なかなか鋭いね」
「分かった! あれ、スカイナイトガンダムって奴でしょ? MSジャーナルで名前だけは知ってたけど……。うわあ、実物が見れるなんて感激っ!」
 メディナが、ガンダムの姿を目に刻み込もうとしているかのように身を乗り出す。
「ちょ、ちょっと! そんなに身を乗り出したら危な……」
 アレクの中尉は、ほんの数秒遅かった。
「わわ!? キャアアアアアッ!」
 不安定なジム2の肩部装甲の上で過剰なまでに身を乗り出していたメディナは、当然の如くバランスを崩し、よろめいて足を滑らせたのである。
「冗談きついって!!」
 アレクは咄嗟にジム2の右肩からメディナのいる左肩に飛び移り、メディナの身体を支えた。アレク自身驚くほどの俊敏な動きだった。
「あ、ありがと、君。ふ〜、死ぬかと思った」
「……死ぬかと思ったのは、こっちの方だよ」
 落ち着いてみると、自分がとんでもないことをしていたのに気付く。ジムの肩から肩へ飛び移って、落ちかけている人間を支えるなど、一歩間違えれば自分も共に落下していても不思議ではない。
「それに、“君”って言うのはやめてくれよ。おれだって、アレクサンドル・ボルジアって名前があるんだから」
「……ごめん。じゃ、改めて。ありがと、アレクサンドル軍曹」
 間近でメディナに見つめられ、アレクは自分の顔が高潮していくのを感じ、慌てて頬をかきながら横を向いていた。

 

「……若いのお、二人とも」

二人の様子を見上げながら、機動試験部隊の整備班長クルパ・ジェンドは、目を細めて呟いていた。

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