藤田俊哉、ジュビロ退団決定

 

 

「藤田俊哉、レッズ or グランパス移籍か?」

 

こんな仰天する話が持ち上がったのはつい最近。

 

 

山本監督就任以降、

ジュビロで出番がなくなっていった藤田。

山瀬移籍以降、

トップ下の穴が大きく成績がいっこうに向上しない浦和。

マルケス、ウェズレイが抜けて

前線の補強に迫られた名古屋。

 

 

この両者の不満・問題点がうまいこと重なり、

レッズかグランパスが藤田を獲得するのでは・・・

と、今になって思えばなるほどと思うオファーだが、

当初は予測できなかったニュースがでた。

 

 

 

ことの流れを整理しよう。

 

まず4月下旬、レッズが藤田獲得の意向を示し

ジュビロへオファーをだしたことを新聞にすっぱ抜かれる。

というより、オファーを公表したために

ジュビロの松崎社長から

「オファーを出しただけで公表する浦和のやり方は汚い」

と言われるほど。

 

 

04年開幕前にも

オランダのFCユトレヒトから帰国し、

ジュビロに戻る際ヴィッセルなどから

熱烈なオファーをうけていた藤田だが、

この時も松崎社長に 「神戸は非常識」 と言われる始末。

 

 

04年の時、私は「ヴィッセル移籍はねーな」と思った。

しかし今回の05年、レッズオファーのニュースを耳にした時は

「これは、ありえるかもしれない」

そう思ったほど。

さらにレッズだけにとどまらずグランパスもオファーを送る。

 

 

まず最初、このレッズのオファーはジュビロ側から即座に断わられる。

しかし、このオファーのニュースを聞いた

藤田の心境が揺れる。

 

 

「チームが決めること。

 そんなことより自分は次の試合に集中したい」

 

と、こんなそっけないコメントだった初期から

 

 

 

「自分の人生は自分で決めたい。意思は伝えた。

 オレは一生懸命サッカーがしたいだけ。

 サッカー選手でオファーを受けて、うれしくない人はいない。

 正直うれしいよ。ようやく始まるという感じ」

 

とまで語るようになった退団直前のコメント。

 

 

このコメント聞いて、「ああ、移籍しそうだな」とは思った。

そしてその後一度は浦和が獲得を断念か 

などというニュースがでるも、事態はまだ収まらず。

 

 

4月21日に

 

「浦和が、日本代表MF藤田俊哉(33=磐田)を

 獲得することが濃厚に」

 

というジュビロサポーターにとってたまらないニュース。

 

 

 

それは4月24日の7節、

鹿島戦でのサポーターの声援からもよくわかった。

 

 

試合前から

 

 

「ゴー トシヤ  

 ゴー レッツゴー トシヤ」

 

 

この日、この藤田へのコールを何度スタジアムで聞いたことだろうか。

 

 

試合前、試合中、試合後、

何回も何回も聞いたこのコール。

サポーターの

「俊哉、行かないで」

と願う気持ちが、一般客だった私にもかなりひしひしと伝わってきた。

必死に、何度もコールを送っていた。

 

 

 

 

だが4月24日の日記では、

 

「その中で正式にオファーを頂いた、

 『2チームの移籍に関して前向きに考えたい』 と

 ジュビロ磐田側に伝えました。」

 

という決定的な言葉が俊哉の日記に書かれる。

 

 

 

 

 

 

そして4月26日。

一つのニュースが発表される。

 

藤田俊哉、ジュビロ磐田 退団決定。

 

 

もちろん、まだジュビロの公式からは発表はない。

しかし、藤田の様子からして、そして

各スポーツ新聞から 「退団決定」 「移籍決定」 という

ニュースがでているのを見れば、退団はほぼ決定だろう。

 

 

なにより私が退団間違いないと感じたのは、

05年1st12節、ジュビロ○2−1●トリニータ。

 

この試合、リーグ中断期間前最後のゲーム。

なにより、この試合が藤田にとってジュビロでの

リーグ戦、ラストゲームになるかもしれない重要な試合。

この試合を見に・・・いや、試合というより藤田を見に行った。

おそらくジュビロサポーターもこの試合だけは絶対に見逃せなかっただろう。

 

 

クロスバー直撃する惜しいシュートなどもあったが

藤田にゴールは生まれず。

結局試合はジュビロが2−1で勝利。

 

 

問題はその後だ。

 

 

勝ち越し弾を決めてヒーローインタビューをうけてる

太田をおかまいなしにサポーターは

とにかく俊哉コールをおくる。

延々とおくる。

 

 

しかし、もう他の選手とともに

ロッカールームへと下がっているし、

この状況ではさすがに俊哉は出てこないだろう・・・・・

だが、サポーターは何度も何度もコールする。

そのコールに応え、しばらくして彼はでてきた。

 

 

その時の様子が忘れられない。

手をふり、頭を下げ、サポーターに応えていたが

そのおじぎと手の振り具合が

「移籍する」

という気持ちからきているものだと私は確信した。

 

 

「移籍しないよ、大丈夫だよ」

そういった意味での挨拶とまるで違うように感じた。

もちろん、サポーターからすれば移籍しないという意味での

挨拶と思ったかもしれない。

 

 

しかし、第3者の目から見て

あれは別れの挨拶だったと思う。

 

 

 

その後、スタジアム裏の選手のバスがあるところに行ってみたが

サポーターが何百人ほども詰め掛けていた。

そして俊哉が来たが、報道陣に囲まれるし

サポーターの声援も凄いし騒然としていた。

 

 

 

「俊哉、行かないでくれよ!」

 

「磐田の10番はお前しかいないよ!」

 

「俊哉・・・・一緒にドイツ行こうぜ!」

 

「俺達は待ってるからな!」

 

「俊哉!俊哉!俊哉!俊哉!俊哉!」

 

 

 

相当このサポーターの声援にはグッときた。

断幕まで張り出して、必死に引きとめようと、

俊哉に熱い思いをアピールしたサポーターもいた。

 

この光景、今思い出してもかなり泣ける。

 

 

どこへ移籍するか決まってから

コラム書くのもありだとは思うが、

「ジュビロを退団した」という部分で書いてみたい。

 

レッズへ、もしくは他のクラブへ移籍というのも大きな出来事だが、

俊哉がジュビロを退団するというのはとても衝撃的な出来事。

 

 

 

 

ジュビロの10番は俊哉。

常に試合でハイパフォーマンスを披露し、

活躍を続け、様々なタイトルをクラブで、個人で総ナメにしてきた。

 

 

そして30才を過ぎても活躍は止まらず、

03年途中にはついに海外へ。

オランダのユトレヒトへ移籍。

 

 

以前、チームメイトだった往年の名選手・ファネンブルグが見守る中

PSV戦でゴールをあげるなど

キープレイヤーとしてチームの上位進出に貢献。

14試合出場1得点という結果を残す。

 

 

しかし、チーム再建に向けて復帰を熱望したジュビロサイドと

経営悪化が進み、経済的にゆとりのなくなった

ユトレヒト側の事情があいまって04年、Jへ復帰する。

 

 

いちサッカーファンとしても残念で、もっとオランダでやってほしかった部分がある。

ユトレヒトのサポーターも同じだろう。

それは、ユトレヒトでのラストゲームでサポーターから

大きな大きな 万雷の拍手を受けたことが示している。

 

 

04年、復帰したがチームは2ndで大きく低迷。

監督も交代し、自身の立場も微妙になった。

 

このまま、サブのままで終わるのか・・・・・。

熱心にオファーをくれる他チームへ活躍の場を求めるのか・・・・。

しかし、ジュビロへの思い、サポーターのことは・・・・・。

色々な思いが交錯しての、退団という決断。

 

 

 

退団が決まった後、

俊哉についてのとあるVTRを見返した。

 

そう、04年の夏にユトレヒト移籍決定の際に

放送されたVTRである。

 

 

 

 

 

「藤田俊哉。

 チームの勝利にこれほど貢献したMFはいない。

 どうしても点が欲しい時、藤田俊哉はゴールを決めてきた。

 

 

 03年1ststage最終節、FC東京戦。

 優勝するには勝利が必要。

 満身創痍のチームを、藤田はこれまで何度も救ってきた。

 

 

 日本で最後の試合になるかもしれない。

 後半30分、その藤田がヘッドでゴールを決める。

 ゴール後、藤田は倒れこんだ。

 その胸に去来したものは・・・・。

 

 

 試合終了。真っ先にチームメイトに聞く。

 「勝ったの?マリノス。」

 最後までチームの優勝にこだわった。

 

 

 試合終了後、サポーターの藤田コール。

 「GO,TOSHIYA . GO,LET'S GO TOSHIYA」

 一度はロッカールームに戻ったが、

 鳴り止まないサポーターのコールに戻ってきた。

 スタジアムはいつまでも藤田に優しかった。

 

 

 

 

 通算94得点MFではJリーグナンバー1

 抜群のサッカーセンス。

 2列目からの創造性にあふれたプレー。

 そして、チームが苦しい時ほど藤田は光った。

 

 

 プロ生活今年10年目。

 まさにそれはジュビロ磐田の歴史そのものだった。

 常勝軍団のジュビロ。

 その中心には必ず藤田がいた。

 

 

 Jリーグベストイレブンにも何度も選出。

 01年には年間MVPに輝いた。

 “次は、何を目指すんだろう・・・・・?”

 自然に湧き上がる、海外への熱き思い。

 そして今、自分は31歳。

 移籍するには年齢という厳しい現実、

 そして自分の挑戦は大事な家族を巻き込むことになる。

 

 

 だが、サッカー選手にとって刺激がなくなるのは一番辛いこと。

 ともに華麗な中盤を作り上げた名波は言う。

 

 

 “むこうでも、楽しいサッカーを。

  藤田俊哉のサッカーをやってほしい。”  」

 

 

 

最初見たときもいいVTRだなぁと思ったが、

こうゆうシチュエーションであらためて見直すとまた違った思いがある。

ユトレヒト移籍の時でのVTRだが、

ジュビロ退団という時に見返すとジュビロサポではないのに

かなり感傷的な感じになった。

 

 

私個人の考えではジュビロ一筋、ジュビロで現役を終えると思っていた。

それだけに33歳での国内他クラブへの移籍は驚きがある。

 

 

 

“サッカー選手にとって、刺激がなくなるのは一番辛いこと。”

 

この言葉が非常に考えさせられる。

やはりサブのまま、この環境のままではなく

変えたい、新たな刺激を求めたいという気持ちからなのだろう。

 

 

 

JリーグMVPを受賞した際も、

 

「このような賞をいただき、

 今後も ますますサッカーを楽しみたいなと思います」

 

こう、スピーチしていた。

 

 

“サッカーを楽しむ” 

これが無くなる、サッカーを楽しめなくなっていくのに耐えられず、

ジュビロを出たのだろうか。

 

 

衝撃的なシーズン途中の出来事だが、本人が望んで決めたこと。

 

 

新天地でも頑張ってほしい、サッカーを楽しんでほしいと思う。

(UP日 05年4月27日)

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