楊家秘伝太極拳とは? 

   

  《1》 その起源      

 太極拳には、楊家太極拳、陳家太極拳、孫式太極拳、呉式太極拳、武式太極拳、式太極拳等多くの種類があるが、どれも皆太極拳である。太極拳とは簡単に言ってしまうと、太極拳経と太極拳論そして十三勢行功心解の理論に則って心法と動作を行う拳法は皆、「太極拳」と言って良い。もちろん、楊家秘伝太極拳もその名の通り楊家太極拳に属する。

 【上述の各太極拳の最後に挙げた家太極拳については、日本ではあまり紹介されていないので、聞いたことのない人が多いと思うが、台湾などでは実戦的な太極拳として有名である。】

 そして、どうやら陳式以外は皆、楊家太極拳の系統から出ているようである。だから、太極拳は大きく分けて楊式と陳式にわかれると思う。とはいえ、楊家太極拳の創始者である楊福魁(字は露禅。以下露禅とする。)師は河南省の陳家溝にて陳長興師について太極拳を習ったということであるから、すべての太極拳のルーツは陳式太極拳と言うことになるのだろう。

 でも、私が楊家秘伝太極拳の継承者である王延年老師から聞いた話は少し違っている。それは推手の中級班か高級班に参加していたときに聞いた話である。練習が一段落して休憩時間になったとき、王老師が以下のようにぽつりぽつり語り始めたのであった。

 「楊祖師は、もともと若い頃は少林紅拳(または少林洪拳。どちらも中国語ではホンチュェンと発音する。)を修業されており相当の使い手であったが物足りなくなり、独自の拳法を編み出そうとして、中国各地を放浪して明師、高手(達人のこと)を尋ねて教えを乞うて歩いたのである。」

 「そしてある時、陳家溝で門外不出の拳法が伝えられていると聞き、陳家溝へと赴いたのである。その門外不出の拳法は当時は『炮拳』(パオチュエン)と呼ばれていた、陳氏に代代伝わる拳法であったようである。また、陳家溝のとなりの村には回族(イスラム教徒)の住む集落があり、そこに住む人々も大変武術を好む一族であったらしく、お互いに武術研鑚の為に一定の期間ごとに試合などをして交流していたようである。その為『炮拳』の中にはそのイスラム拳法の技が多く取り入れられていた。(試合に勝つためにお互いに研究していた。私見であるが、このイスラム拳法は心意六合拳に近いものであったのではないだろうか。なぜなら、楊家秘伝太極拳の中にも心意六合拳と似た技が多く認められるからである。)」

 「もちろん、陳家溝では陳姓の一族の者にしか拳法を教えなかったし、ましてや外部の者がこれを学ぼうとしても希望はなかった。そこで露禅師は不具者を装い、下働きの者として潜入したのである。そしてまじめに仕事をこなし、だんだん皆に信用されるようになった。信用を得るにつれて、屋敷の奥の拳法を練習しているところへも出入りできるようになった。聡明で素質のある露禅師は、別にじっと観察しなくても、だんだんとこの拳法の奥妙が理解できるようになった。また見聞きしたことは、すべて脳中に収めるにとどめておかなければならず、研究したり実演して試してみる機会はなかったのである。なぜなら不具者を装っている手前、少しでも怪しい素振りを気取られると、命の危険があったからである。(当時の武術界の常識として武功を盗む者は殺されても文句をいえないのである。)」

 「何年かこのようにして過ごしていた露禅師は、脳中に収めているこの武術を早く研究したかったが、陳家溝では村への出入りなど見張りが厳しく、なかなか脱出する機会を見出せなかった。そんなある日、陳家の主家で火事が起こり、全員無事に逃げ出したかに見えたが、なんとただ一人、陳家の頭領(陳長興?)の年老いた母親が猛火の中に取り残されていたのである。そこで露禅師は猛火の中に飛び込むや、【燕子抄水】という少林紅拳の技を使い老母を救出した。そして老母の無事を確認すると、ドサクサに紛れてそのまま逃亡したのである。なぜなら老母を救出したことによって、不具者ではないことはもちろん、武術の腕も相当なものであるとバレてしまったからである。まさに一刻の猶予もならなかったのである。さて、陳家溝の人々も火事騒ぎが落ちつくと、すぐに露禅師に討っ手を差し向けて拳法の秘密を守ろうとしたが、陳家の頭領の母を救ったこともあり、頭領のツルの一声で討っ手を出すことを取りやめ、その恩に報いたのである。」

 「陳家溝を逃れた後、露禅師は命がけで見聞した『炮拳』を基に、いろいろな拳法の長所を取り入れ、さらに太極拳経や太極拳論に則った独特の拳法を編み出したのである。そして、各地でこの拳法を試して歩いたが無敵であった。このことから、人に『貴方の使う拳法は何ですか?』と尋ねられた露禅師は、太極拳経の理論によって創った『太極拳』であると答えたのであった。さらに有名になった露禅師は、当時の清朝からも招かれて『太極拳』を教えることとなり、その『太極拳』の名も有名となった。そして露禅師とその太極拳が有名になって後に、陳家溝の人々はその正体を知って『何だ、あいつは我々の拳法を盗んで勝手に拳法を編み出したんじゃないか!じゃあ、我々の拳法こそ太極拳の名にふさわしい。』と『炮拳』を改めて『陳家太極拳』としたのである。しかし、太極拳を創ったのは楊露禅師であり、陳家溝の拳法は『炮拳』であることに変わりはない。」

 以上のように語られたのを記憶している。王老師が言いたかったのは『【太極拳】と言えるのは楊家のものだけだ。』という事であろうと、私は解している。この見解が正しいかどうかは私の判断できるところではないが、一般に知られている楊露禅師の伝記の中の物語とは少し違う話が聞けたのは収穫だったと思う。

 (一般の伝記では、友人と下働きとして潜入したが、拳法を練習している所がわからず、たまたま夜中に「フン!ハッ!」の声に目を覚まし、塀の節穴からその拳法を練習をしているところを覗いて自ら研究した。その後この拳法の要諦を掴んだ露禅師は、あるとき陳家の若者と試合して勝ち、これに驚いた陳長興師が特別に例外として露禅師を教えた。ということになっている。美談である。)

 さて、楊家秘伝太極拳とは楊家の子弟または信用のおける高弟たちのみに伝えられた秘密の型(架式)であり、門外不出のものであったと聞いている。どの流派にも秘伝技とかはあるもので、特に異とするにはあたらないと思われるであろうが、太極拳の場合は少し事情が違っている。この辺の経緯は太極拳をかじった事のある方なら、ほとんど聞いたことがあると思うが、この事情を少し書いておきたいので、知っている方も少し我慢してお付き合い願いたい。

 「楊無敵」ともてはやされ、有名になった露禅師であったが、困ったことにその武名を聞いて教授を受けたいとするものが多くなり、さらに時の朝廷(清朝)の高官などもその弟子に加わることになった。露禅師は異民族である満州人たちにこの太極拳を教えたくなかったが、時の権力者たちに逆らって事を荒立てるのも好まなかった。そこで一計を案じ、別の拳法を教えたということである。だから現在、巷に流行している楊家太極拳は、その時露禅師が教えたそれらしい偽物であるとするのである。(つまり真実の太極拳は教えず、それらしい偽物を教えたということである。このことについては私は独自の異論を持っており、第3項に詳しく述べてみたいと思う。しかし、ここでは従来の解釈に沿っておこう。)という訳で、本物の太極拳は表に出ることなく、楊家の子弟や信用のおける高弟たちだけに伝えられることになった。もし、漢民族の朝廷であれば、このような不幸はなかったであろう。そして、この秘密裏に伝承された本物の太極拳こそが、「楊家秘伝太極拳」である。この「楊家秘伝太極拳」がどのような形で現在に伝承されたかは、「張師欽霖伝」に詳しいので、そちらを参照願いたい。

 余談ではあるが、この『楊家秘伝太極拳』という名称はどうも大仰で、私はあまり好きではない。もとはこのような名称ではなかったと思うのだが。

 いつ頃からこの名称を用いるようになったのかというと、恐らく王延年老師が台湾にやって来て、この太極拳の教授を始めようとした頃(第二次大戦後)、王老師とその側近の人々が考えたものであろうと私は推測している。

 だから楊家でこの秘伝の型に、もともとどのような名称が付されていたのかは定かではない。しかし名称はどうあれ、この架式が一般に行われている楊家太極拳とはかなりその趣を異にしているのは事実であり、見る人が見れば、その動きの中に含まれている精妙な理論や優れた技術は、『なるほど、これはまさに秘伝だ。』と納得できるものである。以下第2項に一般に行われている楊家太極拳との違いを述べてみたいと思う。


  

  《2》 その特徴と一般の楊家太極拳との違い

  〔a〕 高架で、重心を常に後ろ足に置く。

 楊家秘伝太極拳では、低架(腰を落とした低い姿勢)は用いない。ほとんどが高架であるので、歩幅もだいたい肩幅である。(もちろん下勢とか玉女穿梭等低い姿勢をとることはあるが。)そして、基本的にはカタカナのレの字の形に足を置く。最も大きなポイントは重心を常に後ろにかけておくことである。空手の猫足立ちほどではないが、その比率は前三後七、または前足の重心は多くても四までである。普通の太極拳ならばだいたいその逆で、前に重心をおいて、比率も逆であろう。

  〔b〕 上下動が主である。

 普通の太極拳では腰の位置が上下することを忌むようだが、楊家秘伝太極拳においては、重心のある後ろ足の屈伸による上下動が、發勁の基本的な力となるため、虚霊頂勁・含胸拔背・収尾閭等の太極拳共通の基本姿勢を保ちながら、上下する動きが重要となる。だいたい、拳架における動作は片足のみに重心を置いた屈伸になるので、足にかかる負担はかなり重くなるが、虚実の交替が速やかなのでそれ程とは感じない。

  〔c〕 勁道が明確で、纏糸勁も明らかである。

 楊家秘伝太極拳を表演しているのを見ると、その勁の伝わる道筋をはっきりと見て取ることが出来る。そして、手足を翻す纏糸勁も一般の太極拳よりもはっきりと見出すことが出来る。(陳家太極拳ほどではないが。)ほとんどすべての動作が、足より発した力が腰に伝わり、腰から背・肩を通って腕から掌へと伝わっていく。
 一般の太極拳では勁道を見出すことは難しく、その僅かな動きの中からだけだと、どうやって力を出しているのか良くわからない。恐らく達人のみが見て取ることが出来るのであろう。楊露禅師が真伝を隠して教えたと言われる所以であろう。

  〔d〕 運足の中に引き足を含んでいる。

 少林寺拳法を習ったことのある人なら皆覚えがあると思うが、逆突きを突いたときに、後ろ足は自然と前足の斜め後ろに引き付け、突きに体重を乗せつつ腰を入れて威力を出す。ボクシングもそうである。このような運足はおそらく北派の拳法に見られる動作ではないかと思う。実は楊家秘伝太極拳の架式の中にも同じような動作があるのである。これは一般に行われている太極拳および陳式には見られない運足である。恐らく少林拳の動作がとり入れられたものだと思う。

  〔e〕 強烈な気を放出する架式?

 この〔e〕の項目はもともと無かったものであるが、ちょっと面白かったことを思い出したので、少しだけ書き添えておきたい。

 台湾では、楊家太極拳は太極拳協会の制定した「基本太極拳十三式」と「六十四式」が広く行われ、最近ではアジア運動競技会の正式の規定型である「四十二式」も盛んに行われるようになった。しかし、この他にも根強い人気を誇っているものに鄭式太極拳(三十七式)がある。この鄭式太極拳は、鄭曼青という人が教えた太極拳である。この人はもともと別の国術を学んでいて、楊澄甫師の門に加わった人である。

 鄭師はその実力もさることながら、なによりも人格が優れ、学識が深く教え方も上手であったと見られ、多くの弟子にその太極拳を伝えたので、現在に至ってもすごく人気がある。またこの鄭式では「気」というものを大変重要視しており、一種の気功に近い概念で太極拳をとらえ、気の感覚を身につけるように努力しているようである。

 前置きが長くなってしまったが、本題に入ろう。私が楊家秘伝太極拳を習い始めてしばらく経った頃、第二段を習い終わった頃のことである。友人の紹介で、台北駅の南にある「新公園」という公園に、鄭式太極拳の見学に出かけたことがある。そのとき、私が楊家秘伝太極拳を習っていると言ったところ、彼らはこの名前が初耳だったようで、「楊家秘伝太極拳は楊家に伝わる秘伝の型である。」と教えてやったら、バカにした様子で、「本当かよ。じゃあ、どんなものかやって見せろ。」というので、彼らの前で第一段を実演して見せた。

【彼らは自分たちのやっている太極拳こそ、楊家の本物であると確信している。事実、鄭曼青師もこう考えていたのだろう。だから、別に秘伝の型があるというのはショックなことで、信じられないのは当然である。後日談だが、王老師の推手班に参加している時、王老師の高弟から「鄭師は楊澄甫師について普通の太極拳と推手の全伝を学んだ。だから、実力は凄かったが楊家秘伝太極拳の架式は学べなかった。」と聞いた。】

 彼らは最初はバカにした様子で見ていたが、見終わった後少し顔色を変えて、「この套路は特殊なもので、その発散する気がとても強烈である。これを表演するよりも、傍にいてその強烈な気を吸収していた方がいい。」と負け惜しみのようなことを言っていた。そして少なくとも先ほどまでのバカにした様子はもう無くなっていた。

 私自身の気を感じる能力はたいしたことはなく、掌にピリピリとした感覚や温感を感じる程度なので良くわからないが、この新公園でやっている鄭式太極拳の人たちは特に気の感覚を重要視している老師について修行しているらしかった。以上、発散する気が強いことなどどうでも良いが、他派の人と交流した思い出のひとつを書いてみた。


  

  《3》 現在一般に行われている楊家太極拳は
             偽物なのか?

 以下に述べるのは、私の独自の意見であり、師伝とは異なるが、このように考えると自然であると思う一つの考え方である。

 結論から言うと、普通の楊家太極拳の架式は偽物どころか、これこそ秘伝と言っても良い、完成された戦闘型であると思う。以下にその理由を述べてみたい。

 清朝は武力を以って漢民族を征服した、好戦的な(武術の研究にも優れていた)王朝である。だから、武術の名人や達人などは多くいたはずであり、偽物のおかしな拳法などすぐに見破られてしまうだろう。第一、それらしい偽物の拳法を考案するにも準備期間は必要だろうし、いついつから教えてほしいので、と言われてすぐに考案できるはずが無い。しかも、試合などで実際に使う技と別だとすぐにバレてしまう。だから、露禅師は彼の完成された戦闘型をそのまま解説を加えないで教えた。(偽の解説を加えても良い。)このようにすれば、実際に試合などで戦っても、ぜんぜん不自然を感じさせないだろう。その型の通りを行っているのだから。
 
 実に武術とは練功(功夫)と技術練磨の積み重ねであり、それらを昇華した名人や達人のやっている技術を素人がそのまま真似しても、それは「張子の虎」であり、見せ掛けだけのものである。なぜなら基本的な理論や基礎の功夫を理解し、それを自分のものにしていないからである。だから、異民族に拳法を教えたくなかった露禅師は、包み隠さず自分が普段行っている型(つまり、長い年月をかけて太極拳の功夫を重ねた名人や達人のみが使いこなすことが出来る技法の集成)のみを教えるだけで良かったのである。基本的な技術解説と練功法を持たない型は、名人達人は別として、普通の人がこれを行えばただの体操となる。

 さらに詳しく言うと、名人の域にまで練り上げられた露禅師の型は、基本的技術は昇華されてしまっており、もともとどのような技で、どのようなコンセプトによって用いられるべきかということが、普通人には見て取ることは至難の技であったろう。

 もうひとつ付け加えておこう。どのような武術でも、名人や達人クラスの使い手になると、初心者に一から教えるのは苦手なはずである。彼らが一番うまく教えられるのは、自分たちの境地の少し手前に留まっている熟練者のクラスの人々であろう。それは彼らが少し前まで経験し、悩み、解決してきた道であるから。

 このような名人上手は、幼少時または少なくとも少年時代に武術の練習を始めたはずであり、何十年もの歳月を費やして今の境地に至ったものであろう。であるならば、武術を始めた初心者の頃の記憶は、たとえはっきりしていたとしても、その練功の過程がどの様に進み、どんなことが理解できずに苦しんだか、またそれをどの様にして解決したかは、既に忘れ去っていることであろう。今の彼らにとって出来て当たり前のことだから。

 そんなことは無いだろう、きっと覚えているはずだと思う方は、ちょっと思い出してみるといい。自分が歩けるようになった過程を。寝返り、這い這い、つかまり立ち、ヨチヨチ歩きから走ることが出来るようになるまで、恐らく自然に出来るようになったとぐらいにしか思わないことだろう。さらには、自分はどの様にして箸を使うことが出来るようになったかとか、鉄棒のさかあがり、キャッチボール、サッカーのシュート等等、どうやって出来るようになったか忘れているでしょう?

 因みに、ある技術を学んで自分のものにしていく過程で、その基礎となる技術は次の段階へのステップになっている為、だんだんと昇華されていく。この過程において、以前どの様に悩んで問題を解決したかも、忘れていく。

 日本の古武道などは、ひとつの技法を修めるのにも段階があり(表・裏・初伝・中伝・奥伝等)、中国武術も同じような段階を踏んでいく。だから師匠は高弟に教え、高弟は普通の内弟子に教え、内弟子は一般の弟子に教え、一般の弟子は初心者や入門したての者を指導するという図式が出来あがってくる。つまり、師匠は初心者や入門したばかりの者を教えないというのは、勿体をつけているのではなく、下位の弟子のほうが上手に教えられるからに過ぎない。

 上述したような理由から、もし、露禅師が基礎からの功夫をすべて一から教えるとしたならば、それに費やす労力は大変なものであり、もちろん異民族に教えるのは嫌だったろう。だから、その名人のレベルでやっていることを、そのまま教えるだけで、この太極拳の秘密は保持されたと私は推測するのである。露禅師はこの完成された自らの戦闘型(一般に行われている楊家太極拳)を教えるにあたって、恐らく何の苦労も無く指導したことだろう。それは彼が普段から行っているものであるから。祖師は非常に聡明であったと脱帽する。

 実は私がこのことに気づいたのは、ある程度推手を学んだ頃のことである。鄭式太極拳をやっている人と推手をする機会があり、王老師に教わったとおりのやり方で(後ろ足に重心を置き、前足に重心を移さない。)その人と推手をやったのだが、なんとすぐ負けてしまうのだ。何回やっても、である。後でよくよく考えてみると大変単純な理屈であった。鄭式太極拳の推手は前足まで体重を移動して突き込んで来るので、こちらは簡単に動かされてしまうし、こちらが突きこむときには前足まで体重移動させないので、相手を動かすだけの距離を稼げないのである。その時私は『エーッ、これほんとに秘伝なの?』と疑ってしまった。そしてこの疑問はしばらく胸の中から離れなかった。

 ところがその後、この疑問を解決する機会がやってきた。高級班に行っている頃、(この頃には動き回りながら推手をする自由組手のような練習をしていた。)王老師の高弟の人と当る機会があって、しばらく遊んでもらったのだが、この人は楊家秘伝太極拳の原則である、前三後七の比率にこだわることなく、前足に体重を移動する普通の太極拳のような歩法で攻撃してくるので、私は簡単にフッ飛ばされてしまった。そこで、「楊家秘伝太極拳は前足に重心移動してはいけないんじゃないですか?」と文句を言ったら、「実戦のときに、前足に重心をかけないと誰が言った?」ときり返され、なにも言えなかった。(そうです!拳架を練るときだけなんです!重心を前に移動しないのは!)『なぁーんだ!実戦のときは前に移して良いんだ、重心を!』と悟った私は、前足にまで重心を移して、楊家秘伝太極拳の技法を演武してみた。すると、これまでの楊家秘伝太極拳の技術上の疑問が氷解するとともに、楊露禅師の教えた太極拳の謎がだんだんと解けてきたように思えた。恐らく、楊家秘伝太極拳とは実戦の型ではなくて基本技の集大成であり、身体を練り上げる為の練功の型だったのである。実際に使うときは一般に行われている太極拳の型を使用すれば良いのだ。ということは一般の太極拳も修得して始めて完成するということなのか。

 ここでちょっと話を変える。合気道をご存知の方はたくさんいらっしゃると思うが、大東流合気柔術と合気道は同じものだと思われるだろうか?もちろん合気道は、開祖植芝盛平翁が大東流合気柔術を基に、自分がそれまでに修得した剣術、柔術、その他日本武道の精髄を集めて創りあげたものである。だから、合気道は大東流合気柔術より出たとはいえ、別のものであると認識したほうが良いだろう。

 私にはどうもこの合気道と太極拳が重なって見えるのである。技法が似ているとかそういうことではなく、技術の伝承の面でという意味である。どちらの開祖も、その創りあげた武術は、基礎としてある特定の優れた流派をとり入れ、さらにいろいろな武術の精髄を集めて創ったものであるという点がひとつの類似点である。

 もうひとつの類似点を述べてみよう。

 武道歴の処で、大学時代に合気道をやっていたことは既に述べた。そして、茨城県の岩間というところにある斎藤守弘先生の道場へ一週間ほど合宿させていただいたことも記しておいたが、実はこの一週間は驚きの連続であった。なぜなら、岩間には合気道の基本技の原点とも思われる技術が改変を加えられることなく、そのまま伝えられていたからである。ちょうど二回生のときであるから、一年以上合気道を練習していたはずである。もちろん練習していたのは、一般の合気道と同じ合気会系の技であり、一通りは出来るようになっていた。受身、膝行、体の転換、一教、二教、三教、四教、小手投げ、呼吸投げ、四方投げ、入り身投げ、回転投げ、隅落とし、腰投げ、さざなみ、肩透かし等々思い出してみると結構たくさんある。

 ところが、岩間に行って初めて、これらの技の基礎となる技があった事を知ったのである。我々が普段何気なくやっていた「体の転換」でさえ、オリジナルのもの(岩間の技法こそがオリジナルである。)からかなり変化していることがわかった。そう、実は我々が基本だと思っていた技法は、基本どころか名人上手によって昇華された技法であったのだ。つまり開祖植芝盛平翁がやっていた、そのままの技(書道で言うなら草書)を受け継いでしまっている。恐らく、植芝盛平翁の弟子たちは、基本のところを省いても、ある程度その技が使えるくらいに日本武道の基礎があったため(書道の行書ぐらいかな?)であろう。植芝盛平翁は完成された自分の技術をそのまま教えたのだ。(書道の草書をいきなり教えるように。)ところがその次の代、またその次と時代が進んでくると、基礎からの理論と技術を学ばず、いきなり高度な技を習得しなければならない後学の者たち(楷書から習うべきであろう。)は、こんなものかと思い修練を続けても、基本の道筋が本来どのようなものであったか知らないために、技の威力を充分に発揮できるわけが無いのである。植芝盛平翁は、決して楊露禅師のように技を秘密にして隠していたのではないと思うが、結果的には太極拳と同じように一般的で公の部分に最も完成された戦闘型を残すことになったように思う。これがもうひとつの類似点である。

 【たとえば、まだ岩間へ行く前に読んだ、ある本(開祖の伝記?か何か)の中で、一教を教えている開祖が「正面打ちのとき、あまり力を入れて打つな。腕が折れてしまうぞ。」と言っている場面があった。理解に苦しむ言葉である。普通の一教どりを習っただけでは、なぜ腕が折れるのか理解できない。なぜなら、普通の一教は相手が正面打ちを振り上げた瞬間に、すかさず相手の振り上げた上腕部を押し上げるようにしてさばきながら前進して倒す技であるから。

 ところが、本来の(岩間の)合気では、肘の部分を掴むのである。この方法だと、もし相手のスピードに負けてさばくのが遅れても、相手の手はこちらの頭上に止まってしまい、さらには開祖の言われるように、肘の部分で止められることによって、強く打ちすぎると自らの力で腕が折られてしまう。岩間に行って、私はやっと開祖の言われた事が理解できたのである。

 またその他にも、呼吸投げ、四方投げなどのオリジナルには感動した。なるほど、もとはこういう技であったのかと技の道筋を納得し、オリジナルからどの様に今使われている合気会系の技法になっていったのかも、おぼろげながら理解できたように思った。

 普通の合気道では軽やかにさらさらと動くので、甲冑などを着けていてはとても演武できないのではないだろうか。岩間では一つ一つ丁寧に着実に技をこなしていくような感じがあり(かといって遅いわけではない。)、その動きがとても重厚であるように感じる。恐らく甲冑を着けて演武しても、何の問題も無く動けるであろう。基本の技とはこのようなものであろう。もし、疑うならば是非岩間へいって見られることをおすすめする。

  斎藤先生は当時、「私は大先生に教えられたことを、まじめに、いちから、こつこつやってきただけに過ぎない。他の人たちは、大先生の言い付けをその通りに実行してないんじゃないかな。大先生が『斎藤!飯食え!飯食わんと強うならんぞ!』 と言われたら、私はその通り飯をいっぱい食ったよ。吉祥丸さんなんか、大先生に同じように言われても『いえ。私は結構ですから。』とか何とか言って、ぜんぜん食べないんだ。だからあんなに痩せてるんだよ。」と冗談を交えながら、仰っていたっけ。もう二十数年前の話である。】

 以上、長々と愚説を読んでいただき、誠に有難うございました。「楊家秘伝太極拳とは?」の解説はこれでひとまず終わらせていただきます。また何か思い出したら、更新するかもしれません。第三項はあくまで私の私見ですので、根拠があるわけではございません。ご批判等ございましょうが、何卒「勝手に思ってるがいいや。」ぐらいの軽い気持ちで聞き流していただけたら、幸いです。