鬼退治・碌


「ぬぅ! やらせはせん! 万象一切、灰燼と為せ! 流刃若火!」
 山本が斬魄刀を解放する。たちまち新堂の周囲が火の海と化すが。
「冬獅郎くん」
 新堂は雛森の喉に斬魄刀を突きつけたまま、冬獅郎に目をやった。
「ちくしょう! 霜天に坐せ! 氷輪丸!」
 炎熱系斬魄刀、最強最古の流刃若火と氷雪系斬魄刀、最強最新の氷輪丸が、この時初めてぶつかったのであ
る。
 一番隊十番隊双方の隊員たちはそれぞれの小隊長の命令に従ってあわてて下がり、結界の中に逃げる。
 水は唯一火が焼き尽くせないものだ。一般的に火の天敵は水である。だが、業火は河をも渡る。流刃若火の業火
に焼かれて、氷輪丸の氷の竜がたちまち水となって形を失うが、水もまた彼の支配する物質である。氷輪丸の召還
した氷の竜は咆哮し、雨を呼び、流刃若火が発する炎を叩きのめした。が、それも次々に炎に当たり、水蒸気と化し
ていく。が、水蒸気もまた水である。
 業火と氷水のいたちごっこの戦いは、正にこの世の地獄であった。
「小童! 刀を引けっ! わからんかっ!」
「ジジイこそ、刀を引けっ! 雛森にもしものことがあったらどうすんだよっ!」
「ぬううう! 聞き分けのない! 奴につけ込まれているのがわからんかっ!」
「分ってるよ! けどじゃあ、どうすりゃいいんだよっ!」
「雛森副隊長ごと新堂を斬れ!」
「なっ!?」
 一瞬、降り注ぐ雨すらも落ちるのをやめた。
「敵の手中に落ちたのは彼女の不覚じゃ! お前の幼馴染なのは彼女の不運じゃ!」
 厳しい山本の言葉だった。冬獅郎は唖然として言葉も出なかった。だが、直後、彼の怒りは爆発し、一気に炎を吹
き飛ばした。
「結局、全部俺のせいじゃねぇかっ!」
「公の責務を果たせ、日番谷隊長!」
「だったら、隊長なんかやめてやらぁ!」
 山本の方も霊圧を上げて、冬獅郎を押さえ込みにかかった。頭に血が上っている冬獅郎には何を言っても通じな
い。こうなれば力づくしかない。
「ぐっ!」
 一瞬、炎が氷を凌駕する。水になった氷の竜が再凍結する前に山本は唖然として突っ立っている副隊長たちに叫
んだ。
「早く新堂を討ていっ!」
 はっとして一角、恋次、イヅル、乱菊、檜佐木、そして雀部の六人が斬魄刀を解放して新堂めがけて斬りつけた
が、彼らには新堂に従っていた席官たちが次々とぶつかってくる。
 新堂は笑った。
「……山本先生。貴方も老いたものだな? 頼みの綱の隊長格を封じられて打つ手がこれですか」
 新堂がゆっくり斬魄刀を振るうと雀部ら六人は弾き飛ばされた。
「私が貴方だったら、手元には五番隊、六番隊、八番隊を残し、他を討伐に回しますね。五、六、八の隊長は冷静だ
しお互いに利害関係もないし、友人関係でもない。斬魄刀の能力をとっても彼らなら貴方が抑えられる。だが、よりに
よって貴方と最も相性の悪い氷雪系を手元に残し、さらに彼を利用してくれといわんばかりにその弱点までくっつけて
いるとは」
 新堂は大笑いした。
「それとも障壁を過大評価なさっておいでだったのかな? ああ、単に私の狙いを読み違えられたのですな?」
 と、新堂は視線を他に向けた。のこのこという感じでやってきたのは涅だった。彼は猛毒を発する斬魄刀を片手に新
堂に近づく。
「私を忘れているのではないかな?」
「君は技術屋だろう? 実験の失敗を隠すためにわざわざ出てきたのかね?」
 新堂に図星をさされて、涅は顔色を変えた。
「なるほど、これが読心術という奴か! だったら、君を詳しく調べさせてもらおうじゃないか!」
 激昂した涅の前にさらに四人の死神が姿を現した。その霊圧……全員が隊長格だ。
 一人は身の丈が二メートルを越す大男で、一人は小柄だが鋭い眼光の男、一人は中肉中背、そして一人は女であ
った。
「元二番隊隊長・星崎信一郎、元六番隊隊長・谷瀬陽心、元七番隊隊長・磐田真吾、元九番隊隊長・蜂屋梨花」
 彼らの名を知らない若輩者たちに山本は語って聞かせた。全員、山本の元戦友たちである。
 だが一口に隊長格といっても実は六段階に格付けがある。藍染惣右介、朽木白哉、京楽春水、浮竹十四郎のよう
なAAクラスの隊長格はめったに輩出しない。この同時期にAAクラスの隊長格が四人も並ぶことなど違例中の違例と
いってもいい。
 そして新堂不知火に従うこの四人の隊長格のランクはBBBクラスとBBクラスである。Aクラスの隊長格である冬獅
郎ならBBクラス三人くらい簡単に倒せる。そしてこの四人の足止めをする分にはまず問題はないはずだったのだ。
 むろん彼が狙われていたという理由もあったが、山本が冬獅郎を瀞霊廷に残していたのはこの四人の足止めをさ
せるためであった。温度にかかる能力を持つ者の攻撃範囲は広く、死角がないのが利点だからである。
「まさか、私一人だと思っていたわけではありませんよね、山本先生」
 谷瀬が涅に向き直り、星崎が山本と冬獅郎の間に割って入った。そして六人の副隊長たちには磐田と梨花が刀を
向けた。
「あっ!」
 冬獅郎は始解を解き、この状況に絶句した。呆然とするその前に失神した雛森を抱えた新堂が立ち塞がる。
「動くな」
 新堂はそう言うと、部下に顎をしゃくった。部下は懐から霊圧を抑える霊具を取り出すと、ゆっくり冬獅郎に近づいて
くる。
「何やってやがる! 戦え! 冬獅郎!」
 一角が叫び、解放した三節棍を新堂めがけて振り伸ばしたが、あっさり磐田の刀に弾かれた。
「隊長! 唸れ、灰猫!」
 乱菊も斬魄刀を解放するが、副隊長の技など隊長格には通用しない。
「動くな」
 新堂は尚も冬獅郎にいった。冬獅郎はまるで蛇に睨まれたカエルだった。この男は読心術ができるのだ。下手に
動くと間違いなく雛森を刺すだろう。
「そう、その通り」
 冬獅郎の心を見透かし、新堂は笑った。
「君が動けば、私はこの娘を刺す。なに、一人殺しても大丈夫だ。君の弱点はもう一人いるようだからね?」
 冷や汗が冬獅郎の額を伝った。新堂の言いなりになる以外、冬獅郎にはどうしていいかわからなかった。
「冬獅郎!」
 かつての先輩たちが口々に冬獅郎を呼ぶが、冬獅郎は目を閉じて顔を伏せた。結局、冬獅郎にできることはそれし
かない。雛森は冬獅郎にとって単なる幼馴染ではない。たとえこの身に代えても彼女を死なせるわけにはいかない。
 部下が冬獅郎の頸に霊圧を抑える霊具を取り付けたのを見届けると、新堂はもはや無用のものとなった失神して
いる雛森を放り捨てた。
「雛森!」
 とっさに雛森の手を掴もうとした冬獅郎の腕を新堂が掴む。幸い、放り投げられた雛森の身体をイヅルと恋次が受
け止めてくれた。ほっとした冬獅郎に新堂はぐいっと顔を近づけ、その腹に鉄拳を叩き込んだ。
「ぐっ!」
 霊圧を下げられるということは魄の霊圧硬度も当然下がる。大人の拳で鳩尾を殴られた冬獅郎は意識を失って、新
堂の腕に抱き取られた。
「先生」
 新堂は憤怒の表情で自分を睨みつけている山本に言った。
「どうやら今回は私の勝ちですね。さっきも言ったように、この子さえくだされば、私は別に瀞霊廷に敵対するつもりは
ない。だから、これ以上追わないでいただきたい。お互いのためにね。これまでもそうしてきました」
 まるでそれを承諾するかのように山本は始解を解いた。万事休すであった。冬獅郎が新堂の手に落ちた以上、もは
や手の下しようがない。彼らの相手をしていた四人の隊長格たちも新堂の横に並ぶ。その内の一人は腕に勝馬之輔
を抱いていた。
「……ご理解くださったようですね。それではごきげんよう」
 新堂は笑い……、次の瞬間、四人の隊長格と勝馬之輔、そして冬獅郎を連れて消えて行った。


 山本と冬獅郎がやりあった後は燦々たる廃墟が広がっていた。まだそれでも炎が燻り、凄まじい高温で解けた石
が氷ついているなど、奇妙な光景が広がっていた。
 新堂を討伐するために尸魂界に散っていた隊長たちもようやく瀞霊廷に戻り、彼らはこの惨状に溜息をついた。
「……やられたねぇ……」
 八番隊隊長、京楽は焦げた物質を踏み潰した。護廷隊は新堂に完全に裏をかかれたが、それは読心術のできる
新堂を相手には当然の結果だった。戦略は彼の前ではまるで意味を成さないのだ。
「しかし、いくら大事な幼馴染といっても、冬獅郎ももう少し考えられなかったのかねぇ?」
 京楽の呟きに浮竹が彼を見やった。
「あれは幼馴染というよりも母親に対する情に近いからな。赤ん坊ですら、必死で母を守ろうとするものだ」
「だが、それが四十六室に通じるかね?」
 京楽の言葉に浮竹は大きな溜息をついた。冬獅郎がただの子供ならそれは世間の同情を買っただろう。だが、彼
は護廷隊十番隊の隊長なのだ。隊長は瀞霊廷の為に私情を捨てる義務がある。公務の為に親でも殺さねばならな
い責務がある。
 そこへ、静かに人影が近づいてきた。朽木白哉だ。
「……四十六室の決定が出た」
 思わずその場にいた隊長たちが彼に視線を向けた。
「新堂不知火に対しては現状、警戒態勢のまま一旦、討伐を断念する。そして護廷隊第十番隊隊長、日番谷冬獅郎
の隊長の任を解き、同人物の討伐を護廷隊全隊に命じる。以上だ」
 一瞬の沈黙の後に大笑いしたのは更木だった。
「ま、そんなところだろうな? とんだ天才の末路だぜ」
 当然、不謹慎なその物言いに良識派として名高い藍染や浮竹、狛村、東仙の非難の視線が集中した。
 が、唯一更木に賛同した者もいた。ギンであった。
「やっぱ、あれはまずいわねぇ? なんせ雛森ちゃんの為に山本総隊長に刀向けたんやし、さらにそれだけやのう
て、敵と一緒に行ってもうたんやから」
「そうそう、バッカじゃねぇのか? やっぱ奴もガキだってことだな」
 ギンは更木としばらくそうやって嗤い合った後、急に黙り込み、着ていた隊長の羽織を脱いで地面に叩きつけた。
「せやったら、五百年前に新堂を取り逃がした王室特務の責任はどないなるんや!」
 あと半日、彼らなりが出てきて、新堂を足止めできていれば討伐に出ていた部隊も急ぎ瀞霊廷に戻り、形勢は一気
に逆転しただろう。
「口を慎め、市丸。悔しいのは何も君だけじゃないぞ」
 藍染が厳しい口調でたしなめる。どこで誰が聞いているのか分らないからだ。だがギンは態度を改めることなく、今
度は藍染に食って掛かった。
「普通やったら、新堂討伐の徹底命令が出るもんですやろ。やのに冬獅郎を反逆者にして終わりですか!」
「いかなる理由があろうとも、山本総隊長に刀を向けたのは利敵行為だ」
「だから討伐ですか!」
 ギンはそっぽを向いた。
「どうせ次に会う時はあの子はあの子でないのに」
「だからこその討伐命令だ」
「……見て見ぬふりっつーわけや。あの子を見捨てるんや!」
 ギンの吐き捨てた言葉に隊長たちは顔を見合わせた。むろん彼らとて仲間を助けたい気持ちはある。だが事はそ
れほど単純ではない。こちらから動けば必ず裏をかかれるのである。
「気持ちは分かる。だが落ち着け、市丸。新堂を相手にしようとしたらもっと慎重な策が必要だ。四十六室もそれと考
え、今回の決定をしたのが分らないのか。本当に冬獅郎を討伐しようっていうわけじゃない」
 藍染はなおもギンに自重を求めたが、ギンは両手を握り締めた。
「そんな悠長なこと言うとったら、あの子、身体を取られてしまうやん! 助けを求めるあの子の悲鳴があんたらには
聞こえませんか!」
 むろんギンの言いたいことくらい他の隊長たちも分っていた。だが、彼らは隊長だ。自身の気持ちに忠実に行動す
ることは許されない立場なのだ。それくらいこの白い羽織の責任は重い。
 しかしギンと同じように羽織の重さを感じていない者もいる。言わずと知れた更木である。
「……いや、聞こえねぇって、市丸。そんな近くにいるわけねぇだろ。そりゃ間違いなく空耳だ。それにあの生意気な
ガキが可愛く悲鳴なんか上げるはずねぇだろ。お前はあいつに幻想見すぎなんだよ」
「なっ!」
 ギンは赤面した。
「あほう! そうやないわ! 聞こえるような気がしませんか、言うてんのや!」
 言われて更木も赤面した。
「なっ! 紛らわしい表現、すんじゃねぇよ!」
 彼らの会話を聞いていた隊長たちは呆れて溜息をついた。正直、彼らには二人はどこまで本気で言っているなのか
まったくもって不可解だった。
「とにかく、この件で午後から隊首会が開かれる。各自の意見を乞うとの総隊長のお言葉だ」
 白哉の言葉に他の隊長たちは肯いた。


「一角」
 弓親の声に一角は振り返った。彼もまた廃墟の中に佇んでいた。今度のことは目付けとして残された副隊長たち
のプライドもズタズタにした。
「日番谷隊長、隊長の地位剥奪だってさ。おまけに討伐命令まで出たよ。午後から隊首会でその協議がされるって
さ」
「ふうん? お偉い方の考えそうなことだぜ」
 四十六室はその責任をすべて冬獅郎に取らせたが、新堂に対してなす術がなかったのは他の者たちも同じだ。
 四十六室の決定は瀞霊廷に少なからぬ波紋を投げかけているという。特に動揺が大きかったのは隊長を免職され
た十番隊である。
「あれは日番谷隊長の責任なのか!」
「ではあの場合、どうすれば四十六室は納得するというんだ!」
 彼らの不満を抑えるのは副隊長である松本乱菊の仕事だったが、彼女自身も四十六室の決定には不満だったた
め、この職務を放棄しているらしい。
 結局どれほど不満を抱こうとも瀞霊廷に属している限り、自分たちは組織の歯車ですらない単なる捨て駒だ。だが
隊長格ですらその捨て駒の一つでしかないことは彼らに大いなる不満を抱かせたのだ。
 ひとたび死神となった以上、隊長を目指すのは当然の野心だ。だが一緒に生死の境を乗り越え、そして一度ならず
命を救われた者なら仕えた隊長に忠誠の気持ちを持つのもまた当然のことだった。
「怒らないんだ?」
「なんでだよ?」
 一角はすべてを見透かしたような弓親から目を放し、まだあちこちに残っている氷を蹴飛ばした。
 冬獅郎の作る氷は不純物がなく、また瞬間冷凍されている為、まるで水のように透き通っていて溶けにくい。まだ
冬獅郎が隊長でなかった頃はよく彼に氷を作らせて冷酒を楽しんだものだった。
 当時、冬獅郎と一角は同じ三席で、そして同じように卍解ができて、お互いそれを隠していたことから妙に気が合っ
た。
『お前は隊長になるんだろ?』
 戯れにそう聞いた一角に冬獅郎はクソ真面目に肯いたものだった。
『上を目指さなくてどうすんだ?』
『……尊敬する人はいないのか? 何も慌てることはないだろ。お前ならいつだって隊長になれる』
『尊敬する人は、い、……ねぇよ』
 冬獅郎は不自然に否定してのけたが、実際、それが本当だったのか嘘だったのか、今でも一角には分からない。
冬獅郎は欲しいものは何もないと言っていた。だが、どうしても護りたい奴はいると言った。
 それは、他の男を想う女で……。
 人と目を合わすのが苦手な冬獅郎はたいてい横を向いていた。整った顔立ちの少年の凛々しいその眸はいつも遠
くを見つめていた。
 たとえ駄目だと分っていてもそう決めたからそれに向かって進んでいく。駄目かもしれない。だが、もしかして万が
一叶うかもしれない。それが可能性のあるということで、可能性を信じられるほど若いということだ。
 だが本当にそう信じているのなら、あいつもたまには笑えばよかった。子供の姿をしているくせにいつも気難しく眉
間に皺を寄せているのは何故なのか。
 ふと、一角は向こうから見知ったような男が大股で歩いてくるのに気づいたが、とっさにそれが誰だか分らなかっ
た。
「……市丸……隊長」
 なぜ分らなかったかというと、その人物はいつも着ている隊長の羽織を着ていなかったからである。
「ああもう僕の事、隊長言わんでええで?」
 ギンは不機嫌そうに片手を振った。
「……って、お前、どこ行くんだよ? 午後から隊首会じゃねぇのかよ?」
 ギンと一角は統学院の同期である。だが決して親友という間柄ではない。
「ええねん。僕はもう隊長辞めんねや」
「はあ?」
 思わず声を上げたのは横にいた弓親である。
「いったいどうなさったんですか、市丸隊長?」
「隊長、言わんでええゆうたやろ? どうもこうもあるかいな! 君らも四十六室の決定、聞いたやろ?」
「はあ、まあ……」
「あれ聞いて、どう思う?」
「どうって……やっぱりと思いましたけど」
「なんでやっぱりやねん!」
 ギンは地団駄を踏んだ。
「あの子はまだ子供やねんで! その子を護ったらんかっただけやのうて、反逆者やなんてよくも言うたもんや!」
「……あの子って、もしかして、日番谷隊長のことですか……?」
 げっそりして弓親が言う。
「他に誰がおんねん!」
「市丸よー」
 一角も溜息をついてギンの肩を叩いた。
「お前の目にあの恐ろしいガキがどれほど可愛く映っているかは考えたくもねぇけどよ?」
「別に分ってもらおうなんて思ってへんよ。自分も隊長と似たようなこと言いな」
 ギンは一角の手を払い除けた。
「恋いうんはな? するもんやない! 落ちるもんや! 人目会ったその日から恋の花咲く時もある……あの目つきの
悪い大きな目で睨まれたあの日から僕は恋に落ちてもうたんや!」
「……何か悪いものでも食べたとしか思えないね」
 弓親がひそひそと一角に耳打ちし、一角も深く肯いた。
「どうせ冬獅郎の奴に脳天ぶちのめされて、線が一本切れたんだろうが……」
 一角はそう言い、氷を蹴飛ばした。顔を上げて振り返った先にはやはり隊首会に出るつもりはないらしい更木がこっ
ちに歩いてくる。そして彼もギンと同じように隊長の羽織を着ていない。
「なんのつもりやの、それ」
 ギンがむっとして更木を指さす。
「別に? ただ、新堂って奴がやけに強えらしいから、殺り合いたいだけよ」
「はん。余裕やね。相手は読心術ができる男やで? 手の内読まれて勝てる思てんの?」
「そういうてめえはどうなんだよ、市丸?」
「僕は奪われたもんを取り戻しに行くだけや」
「は! 命がけでかよ? 今頃、奴がどうなってんのかもわからねぇのにか?」
「冬獅郎は渡さへん。それだけや」
 ギンはいつになく生真面目な顔でそう言うと、踵を返し、門に向かって消えた。
 そんなギンの消えた道を見つめながら、弓親は溜息をついた。
「市丸隊長ってさ、真面目な顔をするとすごくハンサムだよね」
「……そうだな」
 思わず一角も肯く。
「けっ」
 更木は吐き捨てた。
「ずっとあんな顔してりゃ、いいんだ。だったら、こんなことにならなかったのかもしれねぇのによ」
 一角と弓親は驚いて更木を見上げた。この恐ろしい風貌の男は意外に弱い者や小さな者には優しい。
「行くんですか、隊長?」
「俺はあの銀髪のガキなんてどうでもいい。さっきも言ったように、あの新堂って奴と殺り合いに行くだけよ」
 更木は吐き捨て、ふと顔をしかめた。
「やべえ……。市丸の奴がいねぇと、新堂がどこにいんのかわからねぇ……」
 更木は少し考え込み、ギンが消えた方角に向かって大声で叫んだ。
「でもよー! 霊圧抑えられて捕まった奴が無事とは思えねぇよな! 今頃は、新堂に抱かれてるんじゃねぇのかー
っ?」
 辺りはしーんと静まり返り、物音一つしない。
「もう行ってしまったんじゃ……」
 弓親がそう言いかけた時、ものすごい霊圧と共に市丸が斬魄刀を抜いて更木に斬りかかってきた。咄嗟に更木も
斬魄刀を抜き、それを受ける。
「もう一回、言うてみぃ!」
「よう、行ったんじゃねぇのか?」
「よくも僕が一番恐れている事、あっさり口にしやったな! 無神経にもほどがあるで!」
「もう一度言えっつったよな? えーっと、今頃、冬獅郎の奴は新堂に……」
「ぎゃあああ!」
 ギンは斬魄刀を放り出して耳を押さえた。
「言わんといて! 怖すぎるわ!」
「だったら、俺を新堂のところに案内しな! どっちが奴の首を取るかは着いてからの競争だ」
 真面目な顔でそう言う更木をギンはむっとして見上げた。
「この方向音痴の霊圧探査音痴!」
「うるせぇよ! 案内するのかしねぇのか! てめえんとこの隊は奴の根城突き止めたって聞いてるぜ!」
 ギンはむすっとしたが、否定はせずついて来いと言わんばかりに踵を返した。怒ってずんずん歩き出すギンに続こう
とした更木は、ふと、足元に目を落とした。そこには彼を見上げる小さな童女の姿があった。
「あのガキのことお願いね、剣ちゃん」
「……ああ」
 やちるは肯くと明るく手を振った。
「いってらっしゃい!」
 彼女は今回の戦いにはついていけない。足手まといになってはいけないからだ。その代わりに一角と弓親が更木
の後に従った。


 新堂不知火が子供の為に冬獅郎の魄を欲したという事実を元に午後から開かれた隊首会では彼の真の狙いを模
索した。
 ギンと更木の姿が見えなかったが、隊首会ではそれよりも新堂の動向の検討を優先した。四十六室の決定では新
堂追討を断念したと発表されていたが、むろん事は断念しておしまいというほど単純ではなかった。冬獅郎に討伐命
令が出たのも彼が敵に回るという最悪の結末を想定しての事である。
 山代勝馬之輔なる少年が新堂不知火の子供ではないのは勝馬之輔の方が高齢であることからもわかる。それな
ら勝馬之輔が新堂の親かというと、これは完全に否定された。子供の姿をしているものは当然その繁殖能力もない
からである。
「……他人の魄を移植して魂の寿命を延ばす方法はある」
 そう言ったのは長い歴史を誇る大貴族、朽木家当主の白哉である。
「だが誰の魄でもよい訳ではない。まず霊力を持たない者の魄では移植時に壊れてしまうため無理だ。高い霊圧硬
度を持つ魂魄の魄ほどよいとされている。加えて、魄の大きさも同じくらいでなければならない」
「つまり、高い霊力を持った子供……、というわけか?」
 浮竹の言葉に白哉は肯いた。
「そこで、諸君。冬獅郎の報告を思い出してもらいたい」
「冬獅郎の報告?」
 白哉は肯いた。彼は指を軽く弾いて、冬獅郎の天挺空羅を再現してみせた。
『……そのとおりだよ。私は子供が嫌いでね』
『だったら、さっさと殺せばいいじゃねぇか……!』
『子供は残酷だ。何もわかってないから、何をしても許されると思っている。まったく反吐が出る生き物だよ』
『我侭で自分勝手なくせにその姿だけは例えようもなく美しい。小さくて弱いくせにそれだけの理由ですべての者から
守られている。子供が大人に勝るものは何もない。たった一つを除いてね? それはなんだと思う?』
『へっ。可能性かよ?』
『その通り。どんな愚かな子供であろうと、とにかく今よりは成長するのだよ。そこに唯一の価値がある』
 隊長たちは首を傾げた。
 新堂はここで子供は嫌いだと明言している。それを忘れたわけではない。だが、このセリフと勝馬之輔を保護するこ
とは矛盾している。それに勝馬之輔は美しいというほどの容貌ではない。だとすると新堂のいう美しいとは容貌のこと
ではない。そして成長することが唯一の価値だという。
「わからんことだらけだねぇ」
 京楽は首に手を当て、何度も頭を振った。
「今、確かなことは、新堂は勝馬之輔の何かを護る為に冬獅郎の魄を欲しているということだ。なくては困るもの……
それはなんだ? それに市丸がまるで二人でこのセリフを言っていたようだと証言したらしいが?」
 白哉は隊長たちの顔を見渡した。それはこの時、新堂が誰かと感覚を共有していたということではないか?
「まさか、この子が読心術の目か!」
 そう叫んだのは浮竹だった。白哉は肯いた。
「むろん確証はない。だが、読心術は若輩などにできる術ではない。これは霊力の高さや才能にも関係がない。長い
時を生き、多くの経験を得た者にだけ可能な術だ」
「なるほど。ならば合点がいく」
 砕蜂は立ち上がった。そして卯ノ花の方を見る。
「単刀直入に問うが、この勝馬之輔というこの子の寿命はあとどのくらいと見る?」
「ひと月もたないでしょう」
 少し沈んだ声で卯ノ花が言う。
「山本総隊長」
 砕蜂は山本を振り返った。
「申し上げます」
 そこへ雀部の声がした。
「なんじゃ、入れ」
 山本の声にそそくさと入ってきた雀部は隊長格たちに一礼して、やや慌てて告げた。
「十番隊席官五十余名が、今回の隊長の処分に納得しかねるとして除隊を願い出ています」
「むう……困ったことよな」
 山本は髭を撫でた。
「童共には四十六室の意図がわからんか……。まあ、無理もない……」
「日番谷冬獅郎は、尸魂界の歴史上でも氷雪系最強と言っても過言ではない。彼を神格化する死神たちは少なくな
い。それにあの甘い人柄に惚れ込んでいる者も多いからな」
 砕蜂はそう言うと、空席のギンと更木の場所に目をやった。
「……冬獅郎は飲まず食わずで何日、生きていられるかの?」
 髭を撫でながら山本は卯ノ花を振り返った。
「成人で約三週間ですので、一週間が限度でしょう。ですが彼がいたずらに体力を消耗するような行動に出れば三日
と持たないでしょう」
「三番隊の斥候が新堂の居城の場所を掴んでいます」
 砕蜂の報告に山本は肯いた。
「まるっきりやられっぱなしというわけでもなかったか……」
 老人はそう呟くと、椅子から立ち上がり、隊長たちを見回した。
「二日じゃ! 二日で準備を整えよ! 新堂不知火に総攻撃をかける。それと気づかれても構わん!」
「はっ!」
 隊長たちは姿勢を正した。

「……藍染隊長、市丸の奴、勝手に新堂のところに向かったようです」
 隊首会が終った後、東仙が藍染に耳打ちし、藍染は溜息をついた。
「やれやれ、せっかちだな。もう少し待てないのかな」
「どうなさるおつもりですか?」
 生真面目な顔でそう言う東仙に藍染は笑いかけた。東仙は盲人だが人の感情はその起伏で分るのだ。
「うまくいけば読心術が手に入るよ。冬獅郎の霊力は惜しいが、読心術は喉から手が出るほど欲しい。新堂が冬獅
郎の魄をあの坊やに与えたところで彼を引っさらおうと思う」
「しかしそれでは市丸が納得しないのでは?」
「ギンが執着しているのは彼の顔だろ? だったら中身が変わろうが問題はないはずだ。君には分からないかもしれ
ないが、冬獅郎は可愛い顔をしているのだよ。もう少し性格に険がなければ抱いてやってもいいところだが」
 東仙は軽く驚いた。藍染がギン以外の者にそんな気を起こすなどと本当に希だ。
 東仙がさらに何かを言おうとした時、藍染がそれを制した。青い顔でやってきたのは雛森であった。
「……藍染隊長、あたしのせいで……日番谷くんが……」
 自身のせいで冬獅郎が敵に捕らわれたことに対して雛森は責任を感じていた。むろんそれは彼女のせいではなか
ったが、彼女の存在が冬獅郎の足枷になったことは事実である。
「君のせいじゃない」
 それと察して藍染はきっぱり否定した。
「君のことは僕が日番谷くんに頼まれていた。部屋に入った時に僕は彼にこのことを相談された。彼は新堂に弱点を
指摘されていたらしい」
「え……」
 雛森は驚いて顔を挙げ、藍染はその肩にどんと手を置いた。
「正直、僕は新堂が女性を人質にするとは思っていなかった。あの男はそんな卑怯な男ではなかった。……今回の
事は僕の責任だ」
「そ、そんな! 藍染隊長……!」
「大丈夫だ、雛森くん。日番谷くんは必ず助け出す。だから今はクヨクヨしている暇はないはずだ」
「はいっ!」
 確かに藍染は冬獅郎を取り戻すつもりではいる。ただし、彼の魄だけを。読心術という付加価値をつけて。
 東仙はゆっくりとその場を離れた。彼は藍染を尊敬していたが、本心と多少ずれたこんな茶番は嫌いだった。確か
に副隊長の心情を大切にしてやることもいいかもしれないが、どうにも偽善がすぎるのではないか。むろんこれも正義
のためなのだが。


 遥か向こうにそびえる山脈を眺めながら、ギンは目を細め、懐から一房の髪を取り出した。
(僕は相当アホみたいやな。何もここまですることあらへんのに……)
 だが、その白い髪を眺めると不思議に心が和むのだ。
 おかしなこともあるものだ。助けてやったからといってあの生意気な子がギンに感謝するわけでもない、ギンの想い
に応えるわけでもない。恐らく余計なことをするなと罵られるだけだろう。
 それにあの子は日番谷冬獅郎。氷雪系最強の斬魄刀を持つ死神で護廷隊の隊長に史上最年少で隊長になった
数百年に一人の天才。恐らく彼にはギンの助けなど必要ではない。例え霊力を抑えられていてもあの子ならわが身
のことくらい、なんとかするかもしれない。
 それでもギンは助けに行かずにはいられなかった。
『お前はあいつに幻想見すぎなんだよ』
『お前の目にあの恐ろしいガキがどれほど可愛く映っているかは考えたくもねぇけどよ?』
 ギンは更木や一角の言葉を思い出して苦笑した。やはり自分の目に写る冬獅郎のあの気高く美しい姿は幻想なの
だろうか。
『今度から一人で逃げやがれ! 味方に殺されるなんざ、しゃれになんねぇ!』
 新堂に取られるくらいなら殺そうとしたギンを冬獅郎はそう言って罵った。そうだ、本当にあの子は聡い。ギンは冬
獅郎を助けにいくのではない。殺しに行くのだ。新堂に取られるくらいならあの子をこの手で殺す。最初から自分はそ
う決心していたではないか。
 この旅の終焉が自分たちの永遠の別れになるかもしれない予感をギンは覚えていた。

   2006/11/04 了   『鬼退治・死地』