和歌山の山紀行
期間   20001.3.6〜3.16
登った山 こうのす山 大福山   三峰山   和泉葛城山 飯盛山
      最初が峰  御茶屋御殿山 高積山  大日山    名草山
      衣笠山   聖仙山   生石が峰  藤白山    岩室山
      雲雀山   白上山   地蔵峰   小城山    重山
      真妻山   竜神山   高尾山   御船山    平草原
      峰の山   重畳山   千穂が峰  丹鶴山    妙法山
      大雲取山  如法山   五大尊岳  護摩壇山  摩尼山
      楊柳山   竜門山   万燈山


3.6.火
 曇。風やや強い。12:35 金沢発。国道8 をさしたる渋滞やいらいらも なく走り、木之本ICで北陸自動車道に乗る。
 吹田JCT で近畿自動車道から阪和自動車道に乗るつもりが、間違えて近畿道に乗れず、そ のまま名神を走り吹田SAでルートを立て直す。
 阪神高速で東大阪に回り、ここで近畿道に乗 ることができる。
 阪和自動車道の泉南ICで降りて、和歌山県の最北端の加太にある国民休暇村に 22:00着く。 ここの駐車場で泊まる。


3.7.水
 こうのす山(120m 和歌山県和歌山市)                 地形図
 友が島行きの渡船乗り場加太港に8:10着。
 友が島の野奈浦港行きは8:50発で、島に9:10着。
 この島は定 住人口もなく、季節的観光の島のようである。港一帯はキャンプ場になっている。

 虎島の砲台跡に来る。役行者が葛城山で修行する前に、ここの虎島で修行したと伝える。
  ヒサカキ、ヤブニッケイ、イヌマキ、ウバメガシ、クスノキ、タブ、アカガシ、マルバカク レミノ、マテバシイなどの常緑樹に覆われている。下草が見られない。時折ヒヨドリの声。
 煉瓦造りの地下弾薬庫がある。その裏にある「東ののぞき」に 10:00着。
 役行者像がある。
 隣 の地の島との間は丁度引き潮で渦を巻いている。このようなところに魚がいるのか漁船がた くさん集まっている。

 虎島から引き返すと、友が島の最先端に「閼伽井跡」がある。御影石に 熊野三山検校二品親王道晃御筆による碑がある。奉修行葛城峰友が島王所霊場葛城入峰二十 八宿天下太平祈攸 総本山醍醐寺などの字が読める。
 友が島の深蛇池も行場の一つだが、標高5m、今は淡水の湿地植物が茂りその群落は 2.0ha におよび県の天然記念物である。
 垂水キャンプ場に鳥居があり大龍不動明王の石の祠がある。玉垣に寺の名が多いのは、泉 南市の犬鳴山七宝竜寺の葛城修験者の管理下にあるからだろう。


 友が島の最高点こうのす山に 11:30着く。
 広い山頂。三角点は石垣の壇上にあり、明治18 年設置と書かれている。
 無線中継所、天気観測所、展望休憩所がある。展望は靄できかず。 近くの海しか見えない。西風が強く黄砂のようである。
 軽トラックが観光客を乗せてくる。この島のタクシーのようである。島全体は明治の頃の 砲台跡であり、弾薬運搬用の道が整備されていて、軽自動車なら島を一周できる。
 ここの第 3砲台は規模が大きく、石畳の通路、煉瓦造りの地下倉庫の廃墟は映画の中にいるようである。煉瓦造の将校官舎の跡もある。

 野奈浦港 12:00着。
 神社があり訊けば、明治に砲台を作るときに守護神として勧請したも のでないかとのこと。
 キャンプ場にはバンガローがたくさん並んでいて、夏には賑わうこと だろうが、今は人影がない。
 友が島発 13:00、加太 13:20着。


 大福山(427m 和歌山県和歌山市)                     地形図
 県道7 でJR阪和線六十谷駅にきて、ここから千手川沿いの狭い農道を上がる。小さい祠があり道 は砂利道となるので 14:30ここに車を置く。
 途中人も通らない道脇で野菜を売っているお爺さんに道を訊くと、分かれ道を真っ直ぐ行 けと教わる。軽自動車なら通れる道が井関峠まで続いている。和泉と紀州を結ぶ交通の要所 で番所があったという。峠 15:00着。
 ここから山道となるが大した登りもなく 15:25山頂着。

 「大福山」と刻まれた大きな石碑 がある。本恵寺奥の院跡で、大福山弁財天窟再建記念、大宝 2年役行者葛城第12番行場、さ らに葛城第七福集童子鎮座の碑などがある。
 誰か個人のものだろうか、ただ今修行中の札や お経、数珠を入れた箱がある。展望はない。


 16:15 車に帰着したが、雲山峰に登るのを忘れていた。井関峠から尾根伝いに1時間ほどで登れ たのに迂闊であった。再び登る元気はない。
 県道7 で岩出町に入り根来寺を通過する。
 近畿大学横の万燈山は登り口が分からない。緑化植物園がありここからかも知れない。上岩出神社は白山神社ともいう。17時を過ぎ暗くな りかけてきたので、この山は次回に回す。


 明日登る予定の三峰山の峠に神通温泉がある。ここの風呂に入る。
 携帯電話が使 えないので、大阪府側に下り茶口という集落の公衆電話から、女房に無事であるという電話を入れる。
  キャンプする適当なところがなく、林道を少し入ると打田町の上水施設があり、ここの駐車場 で泊まる。山中の静寂境。

3.8.木
 曇時に雪。九州、本州西部は冬型となり風が強いとの予報。松江は大雪20cmとなる。夜半 から眠られず、明け方寝付いて8:00起床。南国紀州でも雪が舞う。


 三峰山(570m 和歌山県打田町)                       地形図
 神通温泉からの登山口について二人に訊くが、あまり登らない道だから分かり難 いとのこと。大阪府寄りの生草谷から取り付いてみたが、堰堤があり以後道が分からない。結局ぼんでん山経由の長い登山路を歩くことに決める。
 舗装してない林道は馬別で土仏林道となり舗装路に入るが、土仏林道は NTT専用路でケー トがあり出れませんとある。下からは通れないようである。悪路の別ルートから合流したわ けだ。
 ぼんでん山のところの無線中継所に車を置く。9:50発。
 和泉山脈の尾根をひたすら歩き、 10:50 城が峰を通過し、ここから急登して 11:30山頂着。

 祠はなく展望もない。
 名前からして山岳信仰と関係し、特に犬鳴山七宝滝寺と関係ありそ うだと読んだが、そうではないのかよく分からない
 尾根筋はアカマツが見られるから、マツタケが生えるのか、ビニールの紐が張られている。毎年色違 いの紐を張るのか、細い紐が切れて、それらが風になびいているのが侘びしい。昔は藁縄を張ったが、藁は腐るがビニールの紐は腐らない。
 13:20 車着。



 和泉葛城山(858m 和歌山県粉川町)                 地形図
 再び悪路の林道を神通温泉に戻り、粉河町から立派な道をハイランドパーク 粉河を経て山頂直下に 14:50着く。
 標高800mを超えるから昨夜来の雪で薄化粧している。レ ストランや駐車場は客の少ない冬に改修工事をやっている。
 鳥居をくぐり石の階段を上ると山頂である。
 和歌山県側に八大竜王を祀る竜王神社、大阪 府側に一言主命を祀る葛城神社がある。
 案内板によれば、7世紀の頃大和葛城山の一言主命 が山頂を開いた。以来雄略天皇が狩猟され、その後役行者が山頂で30年間修行して霊術を取 得し修験道場とした。
 近世岸和田城主岡部候がこの山頂で狩猟し、白鹿を射殺すると山が鳴動 し雷鳴が轟いたので、城主は石で祠を造り、八大竜王、一言主命を祀った。近郷の人々は雨 乞いの山として篤い信仰を寄せた。

 一帯はブナ林の南限に近く、大正12年国の天然記念物に指定されている。大阪府貝塚市は 周辺50haを買収しブナ林育成を図っていると説明にある。



 飯盛山(746m 和歌山県粉河町)                       地形図
 那珂町役場横から県道を麻生津峠を目標に登る。県道とはいえみかん畑の中の農 道のように狭く急な道で、山の上まで人家が点在する。
 麻生津峠からさらに急な道を強引に 登れば飯盛山荘に来る。さらに進んで飯盛山城で車を停める。ここから僅かで山頂 16:30着。

 紀ノ川に雪雲 が流れる。
 神社に回ると、鉄骨の上屋がかかり、目下改築中である。
 案内図がありそれによれば、 神社は大己大神社とあり、参集殿、舞台、拝殿、本殿が描かれている。




 飯盛山荘は休みかと思ったら営業しているので風呂に入る。1300円は高いと言うと、釜風呂があるからと自慢をする。土でカマクラのようなものを作り、筵を敷いたサウナのように なっている。客は他に1人。
 18:20 竜門山の麓の路側駐車場で泊まる。
 松江は大雪のようなので、 松江に帰っている女房に電話をする。

 
3.9.金
 曇時に雪。8:00起床。今回の寒波は強く、日本海側は雪だが太平洋側にも雪を降らす。
 竜門山の麓の路側で泊まっていたが、時 折車が通る静かな通り。農作業の人が車を停めたので目が覚める。連日冷え込む天気が続く。


 竜門山(756m 和歌山県粉川町)                        地形図
 「車がスリップして難渋する」
 紀ノ川にかかる竜門橋の通りを進んで、みかん畑の中の斜面を登る。竜門山ハイキ ングコースの案内板がある。田代コースの終点らしきところに来る。
 ここから歩き出したら 車道に出、「竜門山(車)→」の標識がある。なんだもっと上まで車で登れると車に帰り、 登山車道に出ようとみかん畑の急坂を登る。これがいけなかった。行き止まりである。
 ここ でUターンをしようとするが、急坂で車がスリップしてバックできなくなる。ハンドルをい っぱいに切っても前進すれば畑に落ちてしまう。車輪下に砂利を詰めたりするが空回りが止 まらない。
 助けを求めて集落に降りようとして、ふと良い考えが浮かぶ。車の前部をジャッキで持ち上げ、向きを変える方に押すことで方向転換できるだろう。 しかし前部車軸の中央にジャッキを入れると、ジャッキハンドルが回せない。ドライバーで ジャッキを回すのは力が必要である。おまけに油ぎれのようなのでサラダオイルを塗ったら やや軽くなる。 1回で10cmくらい向きを変え、それを数回繰り返して脱出することがてきる。
 急坂の交差部で路面がねじれているため駆動輪の一方が浮いたようになり空転するのだっ た。独力で脱出できたのは日頃の精進、神のご加護に違いないと、これから向かう熊野の神 々に感謝する。助けを求めるとすれば一日はかかったであろう。
 車道は登山道中央ルート入り口まで延びている。ここから登り1時間半とある。横殴りに 雪がしきりに降り路面には雪がある。山頂部は雪雲の中で見えない。止めよと言う神のお告 げでこの山は次回とする。


 最初が峰(286m 和歌山県打田町)                   地形図
 竜門山の西の峠の庄前峠に来る。ここから車道が山頂まで延びている。

 山頂は 公園となっており、四周に展望がきく。雪雲が流れる。
 この山の山腹は一目 1万 本(200ha) の桃の木があり、安楽川桃の産地で、山麓は桃山町というほどである。今はその 華やかさは想像できない。
 祠はない。
 山腹に史跡百合山遍路道がある。安政 4年阿字観音堂を中心に新四国八十八カ所が開かれ た。一時衰退荒廃したが昭和 4年再興されたとある。
 山麓に徳蔵寺がある。観音堂、祇園神 社、小安地蔵などがある。


 この庄前峠からは紀泉ロイヤルゴルフ場経由で竜門山に登れるようで、帰りもう一度来る ことにして次ぎに回る。峠の分岐で昼食。


 御茶屋御殿山(279m 和歌山県貴志川町)             地形図
 同じ竜門山脈の西、貴志川町に登山口はある。山の中腹に三つもゴルフ場 がある。狭い農道を上がり溜め池の所に車を置く。
 14:00 歩き出すとすぐ案内標識がある。船戸山ゴルフ場を右に見ながら尾根を登り山頂に 14:30 着。

 このあたりで日が射してくる。
 祠はなく三角点と無線中継塔がある。
 少し先にピークがあり、こちらが山頂とある。貴志川方面への展望があり、方位盤とベン チがある。
 地形図では、三角点と山頂名のあるのは先の所だ。

 15:00 車 着。
 山麓の臓王寺(真言宗)は蔵王権現を祭神とし安産と厄除けの信仰を集めた。



 高積山(237m 和歌山県和歌山市)                    地形図
 和歌山市内に戻り禰宜という集落に高積神社があり、ここに登山口がある。
 15:30 神社の前に車を置き、四駆だけが登れるようなコンクリートの急な林道を歩いて登る。歩い てもきつい道路である。
 道の半分ほどで石段となり、あちこちに下佐和、布施屋、禰宜、千旦などの札がぶら下がっている。
 城が峰分岐に中山妙覚他たくさんの板碑がある。山頂に15:55 着。

 高積神社奥宮は 2段積みの石段の上にあり、拝殿、玉垣に囲まれて 三社の社が並んでいる。都麻都比売命、大屋都比売命、五十猛命の高三所明神と呼ばれる 3 神を祀る。
 拝殿にはスリッパが揃えられ、境内の落ち葉は掃き清められている。ここまでの道中も良 く管理されていたが、先の名札は山麓の地区の名前で、多分交代で管理しているのだろう。
 参道途中には淡島尊、福地蔵尊などの祠がある。


 丁石があり、スタート地点が八丁とあるか ら約800mの歩きである。
 下の社は目下改築中であり、横に仮の宮がある。
 16:25 車着。



 大日山(142m 和歌山県和歌山市)                    地形図
 この山は紀伊風土記の丘史跡公園に含まれている。公園の資料館駐車場に16:40 着。
 よく整備された園路を辿る。散歩をしている人が多い。17時に近いので園内の作業員が 帰り支度をしている。万葉植物園、花木園、桜並木などを過ぎて、雑木林の山頂に17:05 着。

 雑木林は下草が刈り込まれ疎林の明るい山。
 山頂の下に組み込まれるように鉄扉を閉じた 大日如来の御堂がある。扉前に守り神のように大日山守護神の祠と役行者像(平成元年再 建)がある。

 回遊コースに下ると金竜神社がある。祭神は不明だが、銀竜、黒竜、白竜が祀られ、蛇窟も あるから水の神であることが分かる。
 さらに延命地蔵、七福神があり、さらに下ると六地蔵 がある。山頂の大日如来堂、金竜神社やこうした神仏への参道が整備されている。


 途中から風土記の丘公園に戻ると、花木園では紅梅、白梅が満開で、緋寒桜の蕾が膨らん でいる。17:40 車着。



 ここの駐車場は18時閉鎖とある。近くの花山温泉で風呂に入る。
 あすは紀三井寺に行くので、その近くで泊まろうと片男波公園駐車場に行くと、有料で21時まで営業とある。幸いその近くの玉津島神 社前の橋のたもとに良いところがあり、ここで泊まる。

3.10.土
 快晴。高気圧が張り出して快晴となる。公園のトイレを使わせてもらう。


 名草山(229m 和歌山県和歌山市)                    地形図
 紀三井寺の有料駐車場(700円) に入れる。3000円以上の買い物をすれば無料だけ れど買うものがない。
 8:30本殿脇から墓地の方に回り登山道に入る。しかし道は笹を刈り込 んであるがあまり登られていないようである。道沿いにいくつかの石像がある。 この山の周辺の山は常緑樹が多いがここは落葉樹が多い。
 後半急登となりロープが張られている。山頂近くなって別のルートと合流し、9:00山頂着。

 丸く広い草地の山頂で、展望は良く、片男波の砂州や和歌山川、市内が一望である。
 祠はな い。

 下り同じ道を帰るつもりが、北に向かう立派な尾根道に入ってしまう。登ってくる何人かに 会う。こちらがメインルートのようである。

 山麓の三葛にある高星神社に出る。隣に三葛大 日寺があり、元応 2年(1320)鎌倉期の金蔵院大日如来座像と薬師如来が祀られている。
 大きく回り道をしたので9:45車着。
 結局紀三井寺はお詣りしないことになる。この寺は境 内に三霊泉があり名付けられたと言うが、近くの地名毛見(けみ)から来ているという。
 十一 面観音を本尊とし、長く真言宗に属していたが、第二次大戦後救世観音宗総本山となり、末 寺14ヶ寺があるという。


 現金が少なくなったので近くの郵便局で現金を引き出す。毎日の風呂代が思いの外かかる。



 衣笠山(298m 和歌山県海南市)                    地形図
 この山は地形図に記名はない。海南市に入り県道18で金屋町の方に向かう。
 県道18の金屋越えは熊野古道とは別に、修験者や天台聖が修行を重ねながら熊野入りする コースであったとされる。熊野古道が一般道とすればこの道は修行の道であった。
 ヘアピン近くに願成寺(天台宗)がある。 久安元年(1145)湛慶上人が待賢門院の供養のために創建したものと伝える。本尊は千手観音 座像。大師堂がある。
 寺の裏の衣笠山から経塚が発見されている。
 

 鏡石山方面に向け県道を上がると、雨の森ファーマーズキッチンに来る。 焼き物教室の窯場「ふーたん」があり休日で賑やかな声がする。
 ここから鏡 石山遊歩道に入る。尾根道に阿弥陀仏像がある。寛政亥11月吉日名の仏像がある
 枯れたアカマツの混じるヒノキの尾根の山頂に 10:45着く。

 三角点はない。仏像があるの でこれが衣笠山であると思われる。
  11:10車着。


 聖仙山(232m 和歌山県野上町)                     地形図
 この山は地形図に記名はない。野上町の野上八幡神社に 11:40着。
 よく見ると神社境 内にハイキングコース登り口の標識がある。神社横から林道が登っているので、上がると急坂となる。安全を期して途中から歩く。急坂恐怖症になっている。
 野上町林業研究グループが世話をする薬草園がある。山頂直下に下から見えていた赤いお堂がある。山頂12:20 着。

 舗装された林道は山頂まで延びている。
 八王子厳島神社がある。三角点は玉垣の中にある。
 南の野上町に展望がある。この山は標 識に山の名が書いてないし山頂にも表示がない。

 下る途中歩いて登ってくる地元の高齢者 3人に合う。自分が車でなくて良かったと思う。
 この方によると、山の名は山頂の神社から八王子さん(山)と呼びという。中腹のお堂は20年ほど前に個 人により建てられた祈願堂であると教わる。
 山麓の野上八幡神社の社務所で山 の名を確かめると聖仙山と教わる。
 野上八幡神社は石清水八幡宮の別宮で、中世は野上荘を支配していた。以後盛隆したが天文10年(154 1)根来衆徒による焼き討ちで焼失した。現建物は16世紀に再建されたもので、多くは国重文 となっている。
 本社の左右に別当寺と神宮寺があったが、明治の神仏分離で除かれた。
 中腹の 祈願堂や境内の鐘楼は神仏混淆の名残である、などと教わる。
 境内に多くの摂社、末社があ る。なお中腹に大きな岩坐があるそうで、素朴な山岳信仰があったもののようである。



 生石が峰(870m 和歌山県野上町)                   地形図
 カーナビで最も近いルートを検索するが受け付けないで、国道424 経由で二つ の峠を越える回り道を取る。以前カーナビを無視して走ったら交通止めにあったことがある ので素直に指示に従う。
 生石山の家、天文台に14:25 着。
 一帯は広大な草原。放牧でもしていたものか。
 笠石は弘 法大師が高野山を開く前に護摩修行をしたところと伝える。
 擬木の山道には雪が残り足跡を 辿る。冬枯れの薄の中にお饅頭のような丸いピークがある。14:40 着。

 全周に展望がある。
 生石神社への分かれ道があるが、標高差で100mは下るようなので怠慢をして止めてしまう。 この神社は大汝命、少彦名命の二神を祀り、背後に二つの岩が抱き合うように聳えていると いう
 山と同じように冬枯れの閑散とした山の家、天文台に 14:55着。



 藤白山(284m 和歌山県海南市)                     地形図
 このあたり登るべき山が集まっていて道順が錯綜して、再び戻るようになってし まう。
 金屋町中心から県道18を戻るように北上し、鏡石山に向かう。しかし鏡石山は山岳信仰 とは関係ないように思われたので割愛し、藤白山脈の尾根のあたりの林道をひたすら走り、 藤白峠の地蔵峰寺に 16:45着く。
 熊野古道の峠である。海南市の藤白神社から藤白坂を登るのが本道である。
 藤白山延命院 地蔵峰寺(天台宗)は元真言宗で峠の地蔵さんとして親しまれた。石像地蔵菩薩(国重)の光背 裏に「勧進楊柳山沙門心静 元享 3年 大工薩摩権守行経」とある。楊柳山は高野山にあり 後で登る山だ。行経は鎌倉時代の石工。
 本堂は室町中期で昭和51年修復。
 寺の裏に蓮如と冷水浦の喜六太夫が共にしたところとされる御所の芝(後世の芝)の広場が あり、海南港が一望できる。和歌山県夕日百選の地の標識がある。なお蓮如はこの辺りも布 教しているが、熊野詣での盛んなところだけに遠慮しているところがある。

 南の下津町方面に下ると福勝寺に来る。あたりの斜面はみかん畑。山門脇に誓子の句碑がある。
     蜜柑山南へ袖を両開き 
 周辺の山々はまさにこの句の通りである。
 御影石の一枚石の 119段の石段を登ると庫裏がある。さらに30段ほど登ると本堂、求聞持 堂(国重)がある。永正12年(1514)と記したものを始め多数の修験者の墨書がある。
 本堂には千手菩薩、他たくさんの菩薩が祀られている。不動明王、虚空蔵菩薩、大峰行者、 大日如来、薬師如来、子安観音など。

 さらに奥の森に入ると巨岩があり水が滴っている。今は水がないが滝の裏から見える裏見 の滝で、水が流れれば高さ20m、幅 3mであるという。奥は石灰岩の洞窟で、弘法大師刻の不 動明王が祀られている。雨乞いのときはこの不動明王を滝壺に移して祈願をするという。滝 前に樹上に天狗が棲んでいたという大杉がある。
  17:40車着。


 明日の登山のことを考え有田市に向かい、有田川温泉鮎茶屋で風呂に入る。休日で沢山の 人。
 すぐ前は河川敷公園で、ここの駐車場で泊まる。

3.11.日
  晴。明け方目が覚め、河川敷からホテルの駐車場へ移動する。公園を早朝散歩やジョギング の人が訪れるからである。6:00起床し、食事をせずすぐ出発。


 岩室山(274m 和歌山県有田市)                      地形図
 有田市宮原から林道に入り山頂駐車場に6:50 着。
 全山が岩の山で、石垣の残る岩室城址である。
 平重盛の末子忠房、屋島の戦いに敗れ、湯浅の地頭湯浅宗重のもとに身を隠したが、各地か ら平家の残党が集まった。これを聞いた頼朝は阿波成長に命じて攻めさせたが、湯浅氏は 500 余人で立て籠もり三ヶ月戦ったという。その後畠山氏が守護となり有田市宮原に居館、応永 6年(1399)築城、岩室城を本城とした。畠山氏は秀吉に背き滅びた。

 江戸中期の念仏行者徳本上人の名号石標がある。礎石側面に黒江、日方、 須谷同行とある。寛政 7年〜享和元年、岩室城南壁上で徳本上人が千日修行した遺跡がある という。彼は日高町生まれで浄土宗の念仏行者として各地を行脚し、各地に名号碑を残して いる。

 彼が何らかの足跡の証を残したい気持ちと、現代人が登山記念碑や記念札を残したい 思いとは共通のものであろうか。



 雲雀山(201m 和歌山県有田市)                      地形図
 この山は有田川を挟んで南の糸我にある。山麓を熊野古道が走る。
 得生寺(浄土 宗) は紀伊国十三仏霊場第 9番札所。
 天平の昔、藤原豊成の娘中将姫が15才にもならぬ頃、 継母の妬みにより奈良からこの地に捨てられたのが雲雀山だという。刺客の伊藤春時は中将 姫を殺そうとしたがその人柄に打たれできなかった。なお後に中将姫は都に連れ戻され、17 才の若さで当麻寺で出家し法如尼となり、29才で二十五菩薩に迎えられて入寂した。春時は 名を得生と改めこの寺を建立した。
 得生寺の来迎会式は二十五菩薩面を被り渡り供養を行うもので、有吉佐和子「有田川」に は「稚なごころの有田川、水の流れは子守歌、小木も育って糸我の祭り・・・・」と描かれてい る。


 隣の糸我神社の駐車場に車を置き、8:45スタート。
 中腹にスダジイが見られたが、上部は 岩の多い山で、昔はアカマツの山、今はウバメガシが群生している。中腹までみかん園。至 るところの山々はみかん畑である。
 親子対面岩、行場跡、経の窟、写経の岩などの史跡を通り山頂に9:10着。

 雲雀山大権現が 祀られている。
 親子対面石の所に宝篋印塔(市文)がある。これは熊野古道の糸我(中番)峠にあったものを 明治の中頃ここに移したもの。塔身四面に金剛界四仏種子梵字が彫られている。
 これよりやや下のところに鳥居があり、行場跡とある。鳥居下の岩陰に土中に埋もれ るように石窟があり、役行者像が祀られている。

 登山口である糸我神社は本朝最初の稲荷神社であると掲げてある。
 祭神は倉稲魂神 (稲荷 大明神)で、安閑天皇 2年(535)糸鹿(我)の山(雲雀山)に降臨、郷民が仮殿を造営。孝徳天皇 白雉 3年(652) 社を麓に移した。
 主神の脇に土御祖神、大市姫命を祀る。その他近郷の他地 区から迎えた21神が合祀されている。
 境内の四隅にクスノキの巨樹が生えている。
 9:50車着。


 白上山(184m 和歌山県湯浅町)                      地形図
 雲雀山から尾根伝いに歩けば白上山に至るが、車なので下を回り湯浅町栖原経由 で施無畏寺に 10:15に着く。ここから農道を歩いて登れば山頂まで大した距離ではない。

 この山は明恵上人の遺跡があって有名である。
 中腹のみかん畑を過ぎて西白上遺跡に来る。 湯浅の海を見下ろす岩の上に石の卒塔婆が立っている。
 解説によると「文殊師利菩薩建久之 此遁本山高尾来草庵之処 嘉禎 2年11月造之 喜海謹記」とある。
 明恵は金屋町に生まれ、 8才で父母を亡くし、 9才で伯父を頼って京都高尾神護寺で修行 した。建久 6年(1195)彼は23才の秋、寺僧間の争いに嫌気がして高尾を出て、西白上に草案を立 て文殊菩薩を祈った。しかし波の音がうるさく東白上に移った。
 東白上は尾根伝いに東に進むと小さいピークがある。ここにも解説がある。
 明恵は仏道に入る覚悟から右耳を切り取り、華厳経十地品を読唱し続けると文殊菩薩の姿が現れた。その時祈願した本尊の仏眼仏母像(京都高山寺蔵)には「モロトモニアワレトラホセワ仏ヨ、キミヨリホカニシ ルヒトモナシ 無耳法師之母御前也」と書かれている。彼24才の時である。
 こう解説してある。弟子の喜海は当初明恵ゆかりの地 9カ所に木の卒塔婆を立て、そして明恵行状記を書いた 人である。卒塔婆は康永 3年(1344)弁迂が石造に立て替えた。しかし 600年以上の風雨で文 字が読めなくなり、喜海の行状記と照合して、上記のように判読された。


 尾根を辿り小さいピークに10:55着く。地形図にある184mの三角点は見あたらない。 こ れを山頂とする。周りはみかん畑である。
 農道で軽トラックが脱輪して難渋している。手伝って車の下に石を詰めたりした が駄目で、近くのおばさん運転の軽トラックに応援を頼み脱出する。先日自分で動けなくなったから 運転手のいらいらがよく分かる。

 施無畏寺(真言宗)は明恵上人のいとこ、森九郎景基(当地の地頭湯浅景基)が白上山を寄付 して観音像を安置し、明恵に捧げた。寛喜 3年(1231)明恵により落慶法要をした。「生類を して畏れ無からしむを施す」、すなわち殺生禁断の地とすることを願い寺号を定めたという。
 明恵は京都栂尾に華厳宗高山寺を起こしているが、遁世の心が常にあり高山寺でも時に裏 山の草庵に籠もったという。泥臭い人の交わりが嫌いの学僧で理論派であったようだ。


 ここの駐車場で昼飯を食べ、カーナビテレビで NHKテレビ囲碁を見る。今日は石田対趙の 決勝戦で応援していた石田が優勝する。


 地蔵峰(412m 和歌山県広川町)                     地形図
 湯浅町から広川町へ抜け、阪和道広川ICのところに山頂に至る林道がある。立派 な舗装道路で、地蔵峰の先の霊巌寺の直上まで来る。14:15 である。
 地形図によれば、霊巌寺のある峰と三角点のある地蔵峰は長い尾根で結ばれた一体の山である。地蔵峰は「徳産地蔵菩薩」入り口の標識がある。尾根道を辿ると、岩場があり、ここに穴地蔵菩薩などいくつかの石仏が祀られている。この背後が山頂のようであるが、道がない。また山頂直下を林道が通っているがこちらからも山頂に行けない。

 下って尾根の下の霊厳寺にお参りする。
 岩の多い峰に、赤い鳥居と2体の祠があり、八大竜王と書いてある。
 約100m下って行くと補陀山霊巌寺である。森に囲まれた 岩壁の下にある。岩場があり、ここに新しく不動明王を祀り、他に岩場にたくさんの石仏が祀られている。大師堂があり、護摩壇がある。
 一段下に本堂がある。谷間にありやや暗い。本来参道は下から上がっていたのであろうが、今は林道が通じて、上から下りてくるようになってしまい、下の本堂はやや影が薄くなっている。
 天龍白滝大神、神変大菩薩(役行者)が祀られている。途中の割れが入った 大岩に黄金滝王が祀られている。
 湯浅町や広川町の農地を潤す水の神として崇められたもの だろうか。

 


 小城山(408m 和歌山県広川町)                     地形図
 この山は広川町から日高町へ越える熊野古道の鹿が瀬峠にある。日高町側から農 道が奥に延びていて歩く距離が短い。集落の中の狭い道を進み、沓掛茶屋跡を過ぎたあたりの 路側に車を停める。 15:30歩き出す。金魚茶屋跡は駐車場があり休憩所、トイレが整備され ている。ここまで車で入れる。以前は思い切り車を奥まで入れたが、今回は怖じ気づいてし まっている。
 法華堂跡は梅の木が植えられているが、室町期の板碑数枚が発掘され斜面に置かれている。
 ここから石畳道が始まる。付近一帯は抛棄田などを利用した公園整備が進行中である。
 杉林の中を登り小峠につく。馬頭観音が祀られている。鹿が瀬峠 16:15着。

 ベンチが置か れた広場となっており、茶屋跡の石垣も見られる。スダジイの大木がある。
 歌碑二つ。
    霧わくるししのせ山のうすもみじ かのこまだらにいつかそめなん(紀伊国名所図会)
    おかれけん妻のゆかりのせの山の 名を尋ねてや鹿もなくらん (僧基法師)

 この峠には屍がお経を読んだという話が伝わる。
 熊野詣の僧がここで泊まっていると、夜 中法華経が聞こえる。朝起きてみると、白骨となった屍のどくろに舌だけが生きているように 赤い。どういう事情かと訊けば、「比叡山の円善というものだが生前六万部の法華経を読も うと願をかけたが、半分残して死んでしまった。残りをここで唱えているがもうすぐ終わりま す」と答えた。僧が次の年ここを訪ねてみるともう屍はなくなっていたという話だ。やり残 したら死後にも継続できると思えば気が楽だ。
 後にここに養原寺が建てられたが、今は海辺に移った。しかし毎年 4月16日「円善祭り」 をして行き倒れの人を供養しているという。


 ここから西に尾根道を進むと、大きなスダジイの 下にたくさんの墓石が集められている。行き倒れの人達の墓なのか。
 さらに尾根を登ると伐開され測量杭のある斜面に出、わずかな踏み跡をたどり段切り状の ピークに16:25来る。
 三角点はなく、鹿が瀬城址である。高圧鉄塔がある。
 南の日高側は距離は長い分急な坂はないが、北の広川側は急な登りで昔から「シシノセ山 をよじ登る」と表現され、また藤原定家をして「崔嵬の嶮岨」と嘆かせた峠であった。

 西南に延びる尾根の無名峰に金刀比羅神社がある。別の登山路から登るようだし、この山 とは関係ないようで、一山としてリストにあげるべきであるが、山名もなく見送る。17:15 車着。


 日高町のしおさい温泉で風呂に入りここの駐車場で泊まる。
 夏は海水浴場でシャワー、 トイレなどがある駐車場である。

3.12.月
 晴。7:00起床。


 重山
(263m 和歌山県由良町)                       地形図
 この山はやや戻るように北隣の由良町の港にある。由良港から円錐形の山が立ち上 がり、港のシンボルである。港のはずれの路側に車を置く。8:00スタート。
 付近は石灰岩の山で、採石場があるのか港にセメント工場がある。アカマツが後退しウバメ ガシが増えている。路は林の中だが、中腹に岩場があり展望所となっている。8:30山頂着。

 白雲山海宝寺があり、本堂横に三角点がある。
 白雲寺は本尊千手観音 (重山 観音) で元は山麓にあった。平安時代、慈覚大師円仁が阿蘇山からの帰り暴風に遭い由良港 に難を避け、千手観音を本尊として海宝寺を立てた。後に哲仏和尚が西国三十三ヶ所札所を 決める日、朝寝をして札所からもれてしまい、朝寝山と揶揄された。それが変化して重山 (加実山) と呼ばれるようになったという。脇に室町期の五輪塔、宝篋印塔が残されている。


 9:00車着。
 岬のあたりに桟橋や浮き筏が見えるが、釣り場のようである。今はすべてが眠っている。 港の造船所ドックに大きな船が入っていて、その辺りに活気が見られる。



 真妻山(523m 和歌山県河辺町)                       地形図
 やや山に入って河辺町と印南町の境界にある山である。県道25から山野小学校の 横から谷沿いの農道を入る。しかしみちは幾本も分岐し分からなくなる。
 この山は地形図を持たず、見取り図だけである。従って細部は分からないのでこのルートを諦める。
 歩く距離の長くきつい大滝川ルー トに変更し、大滝川上流の御滝神社まで車で登る。滝がありこれがご神体である。不動明王 (町文)を祀り「お滝さん」として信仰されている。一帯の森は自然環境保全地域として指定 されている。
 少し下の大滝公園に来る。砂防事業で整備された公園である。案内看板があるが真妻山へ の登山口は書かれていない。調べ直して再度訪れることにする。


 竜神山(496m 和歌山県田辺市)                     地形図
 国道42で印南町、南部町、そして南部梅で有名な南部川町と海岸道を田辺市まで 南下し、ようやく南紀州に入る。
 田辺市の町外れの佐向谷に入る。林道を高度を上げると自 動車廃車置き場に来る。13:00 ここに車を置き歩き出す。
 ヘヤピンを一つ曲がると鳥居があ りここが登山口で駐車場もある。このところ早めに車を降りるようにしているでこういうこ とが多い。
 沢沿いを登ると沢を横断するところに鳥居があり大峰山、不動明王、竜王社の祠がある。 さらに滝のところに水天神が祀られている。
 大きな岩のあるところが崎の堂で、弘法大師が護摩修行をしたところと伝える。竜神社へ の石柱があり、尾根道を辿ると鬱蒼とした樹林の中の神社に 13:30着く。
 この神社は雨乞いの神で雨乞いをしたと伝える池がある。高さ 13m、目通り4.5m、枝張り 南北 27m、樹齢 400年のウバメガシの巨樹がある。
 ウバメガシは備長炭の材料で、紀州の商人備長屋長左衛門が売り出し、木の国紀州の代表 的林産物となった。麓には紀州備長炭記念公園がある。


 竜神山山頂は神社の裏の辺りと思われるが、ロープが張ってあり立入禁止となっている。神社左の道を辿ると、しばらくして三星山への分岐となるが八幡社への道をとる。山頂らしき 案内もないまま道はピークに来る。先は次第に下りとなるのでここを山頂とする。
 14:50 車着。


 高尾山(606m 和歌山県田辺市)                      地形図
 右会津川を挟んで東側にあるが、林道が山頂まで延びている。楽をしようと林道 入り口を探すが、その登り口が分からず諦める。
 歩いて登る奇絶峡口から15:40 歩き出す。このコースは岩場の多い急登である。ガ イドでは登りに 1時間30分かかるとあるから、急いでも往復 2時間で、日暮れに間に合うか心 配で焦りが出る。
 岩壁に彫られた磨崖仏に来る。阿弥陀仏を中心に観世音菩薩、勢至菩薩が配置された雄大 なもの。
 
ここでまた道を失い時間が過ぎてしまう。懐中電灯を持たないので思案のうえ、怠 け心もあって今日は終わりとし明日出直しとする。

 この山には平安時代の廃寺があり、山麓の上秋津にある千光寺はその廃材を使って建てた ものとされている。
未だ日暮れまで時間があるのでその千光寺を尋ねる。これが仏の導きで、 その千光寺を探しているうち登山林道を見つける。
 緩い長い登りの林道だが狭いので、途中訊いたおばさんは10人乗りのマイクロバスでも通 れますと力づけられる。山頂部にパラグライダーの基地がある。

 山頂に 16:50着。経塚記念碑がある。昭和 6年山腹から経塚が発見され、平安後期に存在 した廃寺との関連を示すものとされた。
 千光寺は古く奈良時代に和気清麻呂が愛鷹の死を弔 うため、山城、備前、そして紀州高尾山のそれぞれに鷹の尾を分葬し、伽藍を建てたのが始 まりという。天正13年豊臣軍により破却されたが、江戸初期に破却を惜しんだ村人が古材な どを山麓に運んで再興した。



 今日の登山は錯誤が多かったがどうやら無事に終わり、簡保の宿田辺で風呂に入る。こ この展望風呂から夕日がすばらしいが、残念ながらわずかの遅れで入り日を逃す。駐車場で 泊まる。

3.13.火
 晴。6:00起床。海辺だからか風が強い。


 御船山
(40m 和歌山県白浜町)                      地形図
 標高 40mという低い山だが、白浜温泉のシンボルで、山麓に熊野三所権現あり権 現山ともいう。ホテルの裏の駐車場に8:15着。
 社叢林は入らずの森で山頂には行けない。
 県天然記念物で、外周部はクロマツ、ウバメガ シ、トベラ、ヤブツバキ、ハマヒサカキ、ヤブニッケイと潮風に強いものが、内部はクスノ キ、ホルトノキ、オガタマノキ、ナギなどで、特にホルトノキが多いとある。さらに 6世紀 の火雨塚古墳もある。

 白浜恵比寿神社や猿田彦命、天宇津売命、須佐之男命、稲田姫命を祀った祠がある。
 境内 に「御座船」があり、昭和 4年昭和天皇がこの船で四双島、塔の島、神島、畠島にて生物の 採集をされたおりのもので、記念に保管されている。
 



 平草原(131m 和歌山県白浜町)                     地形図
 白浜ゴルフ場の上に高原状に広がる平草原公園がある。この公園まで車道が上が っており、公園研修センター裏に最高点がある。8:45である。
 市街地の方に下ると御山神社がある。下から石段の参道が登っている。
 拝殿奥に四社並ん で小さい社殿が建ち、中央に御山神社、右に温泉神社、御書神社、左に戎神社である。
 この付近は16世紀以降鉛を産し、紀州藩は年貢を免除して鉛の採掘を奨励した。御書神社 は年貢免除を証する古文書をご神体とするもので、11月 2日の例大祭には古文書の写しを駕籠に乗せ市内を練り歩くという変わったもの。年貢免除をいかに喜んだかが分かる。

 高原の南には南紀白浜空港があるが、高原を一旦下って南に小さい地蔵山がある。ここに は山裾から山頂にかけて千体仏が並んでいる。当地の軟砂岩に彫られた石仏や板石で、塚の ような小山だから墓地であったものか。隣の権現平に多数の古墳があることとも関連してい るようだ。
 権現平には熊野神社、金比羅神社があり桜がたくさん植えられている。


 古墳は興味がない から回らない。ここは南白浜としてバブルの頃に投資したホテルがいくつか見られるが、閉 鎖され金融機関の看板が目につく。買い手もないままこれらは皆銀行の不良債権だ。
 白浜から南下すると椿温泉を過ぎ紀伊半島の南端である。椿温泉にも高層ホテルがあるが 閉鎖されているものが目につく。

 日置川町の市江に島根県隠岐の焼火神社の分霊を祀った市江地蔵院(焼火権現)がある。隠 岐焼火神社は焼火山の山頂にあるのでここにも山があるだろうと探すが、地形図にもそれら しき登り口がない。海上鎮護の神で、紀伊水道沿岸に数カ所祀られているという。


 峰の山(482m 和歌山県古座川町)                    地形図
 この山は串本町から内陸部の古座川町にあり、国道371 から林道が延びている。 どんどん登って峰というところに一軒の家がある。やや開けて農地や果樹園が見られる。訊 けばここの薬師堂が登山口だと教わる。
 12:45 歩き出したが別の道に入り 13:00再スタート。杉林の中をジグザクに登り尾根に取 り付くが急登である。13:30 山頂着。

 祠はなく三角点はある。展望はない。テレビ中継塔が ある。
 この頃から気温が上がり汗が滴る。
 この山の中腹に水呑大師があるが、中腹まで林道の工 事中で道が分断されていて踏み跡を失う。

 峰の薬師堂に新しい六方塔が立っている。その六面に水呑大師、方角地蔵、薬師堂、将軍 堂、矢倉神社、氏神様と書かれていて、この山におられる神仏を現しているようだ。
 隣に墓 地があるが以前は集落があったのだろう。多くは離村し、薬師堂や墓地は残った一軒の方が 管理されているようだが、清々しく整頓されている。




 重畳山(302m 和歌山県古座町)                     地形図
 半島の南端串本町は通らず、奇岩怪岩の並ぶ古座川に沿って下り古座町に来る。 このあたりは一昨年通った。
 この山は林道が山頂直下まで延びている。重畳山駐車場に 14:50着。
 一帯は生活環境保全 林として公園化されている。また町の史跡「重畳山」として指定されている。
 重山神社、神王寺を過ぎると、山道に四国八十八カ所の仏像が並ぶ(大正12年設置)。休憩舎のある展望広場からは熊野灘 の海岸や島々が一望できる。串本から大島に架かる橋が見える。ここから丸太の階段となり、 スダジイやヒノキの疎林の中を登ると山頂で 15:10着。

 熊野灘が一望できる。
 橋詰啓の歌碑がある。
    水平線覆ふ層雲縁どりて深紅の初日今し昇り来    
 ここから見 る日の出はすばらしいに違いない。

 重山神社は赤い社に滝姫神、熊野三所権現を祀る。銅板に彫り込んだ般若波羅蜜多心経の 碑がある。
 神王寺(真言宗)は弘法大師開基と伝え、重山神社の神宮寺であり、阿弥陀、薬師、 観音の熊野三山と関係の深い仏が祀られている。女人高野として知られている。
 海を眺める展望地に納骨堂があり、空海の言葉として「我が山に送るところの亡者の遺骨 は我れ三蜜の加持力をもって浄土に往生せしめ当寺は慈尊説法の聴衆の菩提たるべし」を掲 げ、浄土往生の地であり、宗派に関係なく申し出てくださいとある。海が見え暖かくていい 場所だ

 15:40車着。



 千穂が峰(253m 和歌山県新宮市)                    地形図
 いよいよ半島の南端を回り北上する。帰りは海岸道でなく、半島の真ん中高野 竜神スカイラインを走るので、先に海辺の新宮市に回る。
 この山は神倉山(県史跡)と呼ぶのが正しいのかもしれない。町中の狭い露地の奥の神倉 神社参道登り口に 17:15着く。
 赤い太鼓橋を渡り神社への階段(県史跡)は、頼朝が寄進した鎌倉積みと呼ばれ、豪快に自 然石を組み、勾配が45度はある急なものである。弱者は登れず元気の良い武者しか登れないから鎌倉積み と皮肉ったものか。
 石段の途中に千穂が峰山頂への標識がある。17時を過ぎ日暮れが迫っているが、どれくら いの時間で登れるか分からないが行けるところまで登ることにする。
 17:30 尾根の鞍部に来 るが、山頂は未だ250m先とある。懐中電灯を持たなかったのでここまでが限度と山頂を諦め る。

 神倉神社に 17:45着く。ことびき岩と呼ばれる巨岩がご神体である。熊野三山の主神がこ の岩に降臨されたとされる。
 神武天皇紀には「熊野神邑に到り且天磐盾に登りて・・・・」とあ り、神武東征神話に関わり、熊野速玉神社の元社でもあるという。古代より熊野の御祭礼場として 神聖視されてきた。
 毎年 2月 6日夜熊野御燈祭りが行われる。白装束の祈願者は神火を松明 に受け急な石段を駆け下る勇壮な祭りだ。しかし恵みはこれを登ることが出きる強者にしか 与えられない。




 丹鶴山(60m 和歌山県新宮市)                      地形図
 暗くなったが低い山鳳来山なら登れると、街角に車を置き登りだしたが、間違え て丹鶴城に登ってしまう。紀州藩家老水野氏の居城である。
 懐中電灯で照らしながら石段を 登る。石垣ばかり残っているが、石の階段や園地、庭園などが整備中である。
 この山は城となる以前は、速玉神社の先達や御師、いわば修験者のたまり場であった。神 倉山のあの急な石段を駆け登り駆け下りた活きのいい彼等は、山からやがて海へも進出して、 水運を握り、富を築いていく。
 彼等が源平戦で活躍した熊野水軍として巨大勢力となっていく様は、吉川英治「平 家物語」に生き生きと描かれている。頼朝も彼等によって平家を倒し幕府を開くことができ たとも言えるから、賞賛を込めて、あの神倉山の石段を鎌倉積みといったのだろうか。
 歌碑がある。
    高くたち秋の熊野の海を見て誰も涙すや城の夕べに 与謝野寛




 明日は那智山に登るので那智勝浦に戻り、那智駅前の丹敷の湯で風呂に入る。ここの駐車場で泊まる。

3.14.水
 くもり。6:00起床。7:00発。


 妙法山
(750m 和歌山県那智勝浦町)                  地形図
 那智大社、青岸渡寺は一昨年お詣りしているので省略する。那智山スカイライン は朝早いからか無料で通り、阿弥陀寺駐車場に7:45着。
 阿弥陀寺(真言宗)の左から石畳の参道を 0.8kmで山頂奥の院に着く。堂内には立ったまま の木を彫った釈迦如来が祀られている。三角点があり展望はない。
 山道に入って間もなく、苔むした石囲いの応照上人火定の跡がある。平安中期、法華経二 十八品の中の「自分の身を捨てることは如来への真の供養である」を実践し、応照が焼身に よる即身成仏を遂げたところである。
 これは那智の海辺の補陀落寺から補陀落を目指して船出をした渡海僧も同じ思いであった のだろう。しかし月山のミイラの即身成仏もそうだが、こうした事例は実際には数例に過ぎ なかったといわれている。賛美されるがやはり死は恐い。
 阿弥陀寺は、山門脇に「亡者のひとつ鐘」(町文)がある。この鐘は鎌倉末の「元享釈書」 に既に記録されているが、今の鐘は延宝 3年(1675)の再鋳であるという。
 人が死すと枕元にシキミを供える。死霊は枕飯が 炊ける間に枕元のシキミを持って妙法山の阿弥陀寺に来て、シキミでこの鐘を撞くのである。「亡者のひとつ鐘」といい、亡者の熊野詣ともいった。風もないのに幽かに鐘が鳴るのはそのためだと いう。
 句碑がある。
      妙法のかなかな一つまた一つ
 冬の阿弥陀寺は蝉の声も人の声もな い。

 8:40車着。



 大雲取山(966m 和歌山県那智勝浦町)                 地形図
 那智高原に出て長い林道をひたすら走る。交通が少ないから助かる。ところど ころで大雲取越えの熊野古道と交差する。
 10:00 やっと地蔵茶屋に辿り着くと休憩所便所がある。 そして泉州堺の魚商人が寄進した石地蔵を納めた大雲取地蔵堂がある。
 ここから古道は石倉峠から越前峠越えの難所となる。車で走っていてもうんざりするが、 歩いて越える頃は熊野詣の最大の難所であったという。ところどころの無縁仏は行き倒れた 人のものだ。行き倒れの人がさらに足を引くといわれた。
 大雲取山にはこの茶屋から林道が山頂まで延びる。山頂付近には雪が見られる。10:10 山 頂着。

 整地されたところに無線中継所がある。三角点は見あたらない。
 考えてみれば熊野古道は山頂に登るのでなく、この山の中腹の峠を越えるので大雲取越えとい われたのであるから、山自体は信仰の山でないようだ。

 林道を引き返して途中の分岐を東に取ると烏帽子山に到るが、林道は舗装が切れ荒れてき て危うくなったので引き返す。
 1時間も歩けば山頂に到るが、この山も信仰で登られたと言 うより那智山という総称の中に含まれる山の一つで、むしろ行場は那智四十八滝巡りで、その水源としてこの山の意味があるようだ。という理屈を付けてこの山は割愛する。


 如法山(610m 和歌山県本宮町)                       地形図
 この山も小雲取越えの熊野古道が中腹を通る。熊野川の支流赤木川に小雲取越え の入り口がある。赤木川に沿う県道44は地図で見ると屈曲し走りづらいので敬遠し、那智 勝浦に下り新宮市から国道168 で本宮町に登る迂回ルートを取る。時間がかかっても広い道 をのんびり走った方がよい。
 本宮町の下地橋の宅地の脇に車を置かせてもらう。12:55 民家脇の石段を登り古道に入る。
 広い緩やかな道で500mおきに番号を記したポールが立っている。急なところはなく籠を担い でも楽に歩ける水平道に近い。
 大雲取越えが険阻で暗いのに対し小雲取越えは明るく穏やか であると言われた。
 ベンチが置かれた松畑茶屋跡を 13:40に過ぎて、ポールが12番で如法山登山口 14:05に着 く。登山口まで約6km をひたすら歩き、 1時間10分で来る。
 如法山への登山道ははっきりしない踏み跡で、しかも木につかまりながらの急登、テープ のマーキングが頼りで 14:20山頂着。

 杉林の中で展望は全くない。
 この山も大雲取山と同じで、信仰で登る山でなく、山腹を古道 が抜けているだけである。

 往路を引き返し15:30 車着。
 本宮神社は一昨年お詣りしているので省略する。
 本宮町では要害森山、百前 森山、大森山、五大尊山を予定している。五大尊山には八大竜王が祀られているが、他の山は中辺路、小辺路の古道の通過点、ないしそれに近いだけで、祀られている神仏はないよう なので割愛することにする。割愛が多いのはそろそろ疲れが溜まってきて怠け心からであろうか。


 熊野萩に道の駅「熊野古道」があり、今度初めて道の駅に泊まることにする。
 先に湯 の峰温泉に回り風呂に入る。共同湯は 200円と 300円とがあり、高い方は原湯のままで石鹸 が使えないと言う。高い方にしたが透明な湯で、先客のお爺さんは毎日温度が違い、今日は 温度が高く、熱くて入れないという。原湯だからうすめる冷水がない。歳とったら熱い風呂 は駄目だと桶で掛けるだけにしていたが、それでは寒いので湯に入る。じっとしていれば自 分の体温でお湯が冷めてなんとか我慢できる。しかし茹で蛸のようになる。
 湯の峰温泉は小栗判官と照手姫で有名だ。判官は照手姫に恋をするが結婚に反対する親に毒殺さ れる。地獄に堕ちた判官は閻魔大王に餓鬼の姿でこの世に送り返される。判官はようやく辿り着いた湯の峰温泉の霊湯で元の姿に還り、仇を討つという話だ。
 実際この熱い湯につかっていると一皮剥けそうになる。熊野詣でをした天皇や貴族達も帰 りはこの温泉に入って一皮剥けた気になって帰ったのだろう。もつとも小栗判官はライ病者でそ の治療にここに来たという説もある。実際ライ病者を初め弱者の熊野詣は多かったのである。


 道の駅「熊野古道」の熊野川に面したコーナーでキャンプ。広い河原の砂が夜目にも白く 明るい。
 熊野本宮大社は明治まで河原にあった。熊野川の急流を流れ下った人骨がこの辺り の緩い河原にたどり着いた。その人骨を集めて祀ったのが本宮の始まりという説もある。な るほど累々たる白砂の河原である。
 河原の上をいつも烏が舞っていた。烏は死者の弔いにふさわしかった。
 本宮の社印は、神武天皇を大和に先導した八咫烏である。この八咫烏は3本足だから河原の上を舞っていた烏とは別腫であろうか


3.15.木
 曇。6:00起床。おにぎりをつくる。


 五大尊山(790m 和歌山県本宮町)                    地形図
 少し走って登山口の上切原の空き地に車を置かせてもらう。
 7:15スタート。人家の間の石 段を登ると杉林の中に入る。初め足場の悪いきつい登りだが、後は水平道で歩きやすくなる。
 標準で 1時間半のところ 1時間で、8:20六道の辻に着く。奈良吉野からくる大峰奥駈道と 合流する。金剛多和の宿跡があり、役行者の祠がある。
 熊野から大峰に向かう順峰ルートに は75の靡きがあるが、ここは第 6番靡きである。下に行けば山在峠から七越峰を経て河原にあ った本宮大社に到る。
 上手に向かう尾根はここからアカマツ、リョウブなどの疎林となり、傾斜を増してくる。 ところどころに古く朽ちた奥駈道の標識がある。いよいよ急となり三叉路になっている825m のピークに来る。ここから一旦降り登り返すと五大尊山の山頂である。9:30山頂着。

 尾根のピークに過ぎず、八大竜王像が祀られている。
 木の枝に825m山頂の札がある が、地形図を見るとこのピークは790mほどである。
 先の825mピークと二つのピークを合わせて五大尊山というのか、いや大森山までの間に五つのピークがあり、これらを含めて五大尊山と名付けたのだろう。

 名前の由来は 中国の仏教の聖地五台山にちなんでつけられたという。五色台、五剣山などと同じ意味か。 林に遮られて展望はあまり良くない。

 下りの急坂で 2度転倒して六道の辻に着く。大峰奥駈道も荒れたているが、この辻も荒れて いる。標識類は朽ちたままである。この辺りの山は特別な目的の人が歩くくらいで、ハイキ ングする人は少ないようだ。
  11:15車着。


 護摩壇山(1372m 和歌山県龍神村)                   地形図
 熊野萩から国道168 で奈良県の十津川温泉に抜ける。12時頃着いたが、竜神温 泉への国道425 は工事中で時間規制をしており、さらによく見ると県境から和歌山県側竜神 温泉まで全面交通止めとある。サブルートで果無山脈の北を流れる上場川から和歌山県側は 丹生の川に沿う県道がある。やむなくこれを走ることにする。
 12:30 十津川温泉を出て竜神温泉に14:30 着。時速20kmでしか走れないカーブばかりの道 である。対向車が少ないのが救いであった。
 龍神温泉からは国道371 で、途中から高野竜神スカイラインとなる。日本のチベットとも 言われたこの辺りがこの道路で開かれたと言われる。
 護摩壇山は 1000mを越えるので路側に雪があり、濃いガスが出る。まだ冬の装いで、この道 路は夜間は凍結のため全面交通止めである。
 15:00 登り口の駐車場着。駐車場に 3台ばかりの車が停まっている。レストランやスカイ タワーがある。10cmばかりの雪が積もった広い道を進むが山頂に着かない。間違いと気づい て引き返し、レストランの横に標識があり、凍てついた石畳の道が山頂まで続いている。山 頂15:30 着。

 ガスで全く展望がない。
 護摩供養の時の木組みをイメージした丸太で作った大 きな護摩壇山山頂の記念塔がある。
 昔平家没落後、平惟盛の末孫小松弥助がこの山に隠れ、護摩を焚いて身の行く末を占ったところから山の名がつけられたという。

 この辺りは余りに山 深く、昔は修験者でも立ち入ることができない山であったろう。


 伏拝山(1026m 和歌山県清水町)                     地形図
 スカイラインの笹の茶屋峠に日光神社への分岐がある。
 舗装してない道で赤土が 泥濘となっている。しばらく辿ってみたがますます酷くなり引き返す。
 日光神社は高野山と 熊野三山を結ぶ小辺路の中間拠点として創建され、日光三十八社権現と称する古跡神社であ るが、それを遙拝する鳥居が建てられたので伏拝山と名付けられたという。



 再びスカイラインに戻り、国道371 に入る手前で、「15分で野迫川温泉」の看板を見つけて 奈良県野迫川村に下る。
 17:30 村営野迫川ホテルで風呂に入る。入っていた二人が上がると 全く1人で閑散としている。

 明日はいよいよ高野山の山に登るので、再び山道を走り、和歌山県に入り高野山奥の院前に ある中の橋駐車場に19:00 着く。
 安心して暗い山道を走れるのはカーナビのお陰である。道 の駅のようになっているのでここで泊まる。

3.16.金
 晴。6:00起床。


 摩尼山
(1004m 和歌山県高野町)                      地形図
 7:30出発。車は中の橋駐車場に置き、国道480のトンネル手前から登山道に入る。良く踏まれた道で女人道とい われ、摩尼峠を経て摩尼山に8:00着。

 如意輪観音の祠がある。
 樹林の中で展望はない。
 その まま進み黒川峠に下る。ここは奥の院からの道が上ってくる。
 秀吉は馬で越えたと言われる が、奈良と高野山を結ぶ近道であった。


 楊柳山(1009m 和歌山県高野町)                      地形図
 この山は高野三山、すなわち摩尼山、楊柳山、転軸山の内の最高峰である。黒川 峠からわずかな登りで山頂8:35着。

 楊柳山三輪明神の小さい祠がある
 周りは常緑樹の天然 林で、楊柳山学習展示林として保全されている。二次林 (コナラ、ヤマザクラ、コシアブラ、 リョウブなど) から極相林 (ブナ、モミ、ツガなど) への遷移の林相を見ることができる。
 ここも展望はない。
 高野山は盆地の中にあり回りを山が囲む。何故か高野山の回りの山を巡る登山道は女人道 と名付けられている。そして要所に女人堂がある。高野山は女人禁制であったから外から女 人が近づけるのはここまでであった。何故男だけが修行している聖地に女がお詣りするのか。 女は修行中の男に会うのに女人道を辿って女人堂で密会したものだろう。いかに戒律 を厳しくしても男女の仲は絶ち難く、女人道や女人堂を作ったのでないか。
 空海はこうした欲情を肯定していたし、 それを断ち切るときに悟りへの飛躍があると、むしろ暗黙に認めたのでないか。
 女人禁制が 解かれたのは明治39年である。

 
ここから黒川峠に引き返し三本杉経由奥の院に下る。途中トロッコ道があるが林業用のも のであったのだろうか。日陰には雪があり路は凍てついている。ここは800mの高山である。
 この辺りは空海が高野山を開く前は姑射(こさ)山と呼ばれ、原始修験者のたまり場であっ た。彼等は仙人のごとく山師のごとく、鉱石の採掘、練金、調剤を行っていた。高野山の守護 神狩場明神は犬をつれて猟をしていたと言われるが、山師も犬を連れて鉱石を探した。高野 山は水銀鉱脈の上にあり、水銀(丹生)は不老長寿の薬の調剤に必要であったし、仏像、仏具 の金メッキにも必要であった。当然水銀(丹生)が探し求められた。
 空海はこうした修験者達と同じ生活をしていたこともあったのだろう。高野山を水源とす る丹生川、天野の里に丹生都比売神社があるが、空海は丹生都比売から高野山の土地を譲り 受け、狩場明神の案内で高野山を検分したとされてる。


 奥の院まで下ると日射しは暖かく、おびただしい数の墓石、墓碑の並ぶ参道には参詣する 人がちらほら見られる。9:30車着。
 真言宗総本山金剛峰寺にお詣りし、珍しくお賽銭を上げる。去年おやじの葬式のとき金剛 峰寺の座主から、生前菩提寺への功労があったとして特別弔辞をもらったので、お礼のつもり である。おやじはこんな賑やかなところでなく、もっと近場の山に登っているのだろうと思 いながら高野山を辞す。


 10:00 何となくすべてが終わったような気がして、高野山町石道の歩きを忘れてしまう。 計画では約24kmの参道を歩いてみようと思っていた。先に車で上がり金剛峰寺に詣ってしまっ ては、後で歩く気にはなれないのは当たり前である。道順が前後し失敗であった。もっとも 町石道は熊野古道と同じで寺への参道であり、山ではないので軽く見ていた。
 また天野の里は西行庵や待賢門院の墓などがあるが、後年もっと素直にものが見られるよ うになってから訪れることにして今回は割愛する。
 高野山から九度山町に下る国道480 で、バスなどが待機しているので訊けば工事で午前中 交通止めだという。もう一つの国道371 が橋本市を結んでいるのでこれを下る。これまでの 国道371 と同じで酷い道である。途中沢水が溢れたところで泥だらけの車体を拭く。
 小さいトンネルがあり NTTの作業車が立ち往生していた。この道は大型車が走れないのだ。バスが交通止解除を待って いたのがこれで分かる。
 二つの峠を越えて紀ノ川沿いの橋本市に転がるように辿り着いた。安心感からかここでも登 るべき山、国城山を見逃してしまう。かなり進んでかつらぎ町辺りで気がついたが引き返す 元気が無くそのまま進む。この山は奈良県五條市に近いから奈良県の山に加えることにする。



 竜門山(756m 和歌山県粉川町)                      地形図
 初めに車のスリップ事故で後に回した山である。最初が峰の時一度登った庄前峠 から紀州ロイヤルゴルフ場に来る。ゴルフ場の駐車場に停めようとしたら断られ、その先の みかん畑の路側に停める。勝神峠で粉河駅へ下る道がある。前回下からこの登り口を探した が分からなかった道である。
 12:00 入り口にチェーンがしてある急なコンクリート舗装の林道を歩くと、ハンググライ ダーの基地がありここまで林道が延びている。基地を利用するパイロットは役場内のクラブ に届けるようにとの注意書きがある。
 12:40 山頂着。

 中央登山コースから登った登山者が 5人いる。
 大きな山体でこの地域の名主である。勝神山あるいは紀州富士とも呼ばれ古くから紀州平野に君臨していた。
 中央構造線の南は結晶片岩の基層で、山頂付近はこの岩層を貫いた蛇紋岩で覆われている。 粉河寺庭園にはこの山で産した竜門石が使われているという。
 中腹に冷風の吹き出す風穴が あり、江戸時代から明治時代にかけて、養蚕に使う蚕卵紙の保存庫として使われたという。
 こ の山の東西の尾根筋に南北朝から戦国期の山城が点在する。飯盛山城址もその一つである
 紀ノ川が眼下に流れ、山麓から中腹は果樹園で、みかん畑が多い。

 13:30 車着。


 万燈山(204m 和歌山県打田町)                     地形図
 この山も一度試みた山である。上岩出神社、元の名は白山神社というが、この名前 にこだわった。神社脇に車を置く。
 堤の土手をウォーキングしているおばさんグループに登山口を訊くと、以前は登れたが今は近畿大学有地となり、登山口にバリケードが張られ登れな くなったと言われる。
 緑化植物園の横に行ってみると、立入禁止のロープが張られているが丸太のステップが見える。登ろうかと思ったが、緑化植物園の作業員が休憩していて見ているので、具合が悪く止める。
 昔から親しまれた山を私有地だからと、登山禁止にしているところは少ない。私有地の杉林の中でも マツタケ山でも道は通してもらっている。大学や会社は横柄である。

 上岩出神社は鳥羽天皇の長承 2年、加賀の白山比盗_社の分霊を祀ったもので、根来寺の巽 の宮として根来寺の盛衰と共にしてきた。
 天正13年兵火により焼失、文禄 3年再建された。 明治43年上岩出神社と改称した。
 祭神は白山菊理比売命の他21神を祀る。あちこちの山岳神 社で会った神様の名前が掲げられている。近郷近在の神社を合祀し、町の名前を冠した神社 に改称したものか。
 境内から14世紀の古碑 2基が発掘され、豊作祈願と北朝降伏祈願のもの であると説明にある。


 14:30 車着。


 これで今回の和歌山県の山を終わり、帰途につく。
 県道63で大阪府泉南市に出、往と同じ 泉南ICから阪和自動車道に乗る。
 岸和田SAで遅い昼食をとり15:30 まで休憩。
 吹田JCT で間 違えることなく無事名神道に乗り、17:00桂川SAで休憩。金沢の自宅に22:30 帰着。


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