世界史・日本史 クイズで楽しめ!
産業革命

(第5章 19世世界史・日本史 クイズで楽しめ!紀の世界)

 

◆(1)産業革命時の次の発明家たちのうち、発明で特許をとり、大成功をおさめたのは?

ア)ジョン・ケイ(1733年、飛び杼を発明)  

イ)ハーグリーヴズ(1764年、同時に複数の糸を紡ぐジェニー紡績機を発明) 

ウ)アークライト(1769年、水力紡績機を発明)

エ)カートライト(1785年、力織機を発明)

正解

◆(2)綿織物工場で大半の労働者が女性だった理由は?

産業革命は、18世紀の末のイギリスを中心におこった、手工業から機械工業への大きな転換であった。工場制機械工業によって、イギリスにおける綿布の生産量は、飛躍的に増えた。綿織物工場で働く労働者の大半は女性だった。その理由は何か、次から選べ。

ア)イギリスの伝統的な毛織物の生産は、従来女性が行っていたので、その延長で。

イ)綿織物の製造は複雑なため、女性の繊細な手が必要だったから。

ウ)機械生産の採用によって、熟練労働者は不要になったため、賃金の安い女性が使われるようになったから。

正解


◆(3)産業革命時代のイギリス労働者の平均寿命は?

イギリスで産業革命が始まると、都市に流入する人口が急増した。そのため労働者たちは、不衛生な生活環境で暮らすことを強いられた。さらに、長時間労働と貧弱な栄養状態のため、早死にする者が多かった。イギリス産業革命期の都市において工場労働者の平均寿命はどのくらいだったか、次から選べ。

ア) 15歳

イ) 41歳

ウ) 53歳  

正解

◆(4)スティーブンソンの蒸気機関車の乗客の行動は?

スティーブンソンGeorge Stephenson〔1781〜1848〕は、実用的な蒸気機関車を開発し、「鉄道の父」と称された。イギリスのまずしい炭鉱坑夫の子で,初め炭坑で働き,1814年蒸気機関車を製作。以後改良に努め,25年ストックトン〜ダーリントン鉄道のためにアクティブ号(のち⇒ロコモーション号と改称)を製作,29年リバプール〜マンチェスター鉄道の開設(1830)に先立って行なわれた機関車競走にロケット号で優勝,蒸気機関車の実用性を確立した。  さて、25年のストックトン〜ダーリントン鉄道開通式での乗客について正しいものはどれか。

ア)最初600名以上だったが、激しい揺れに恐れをなして飛び降りた者が多く、終点で下車したのは450人だっ た。

イ)客車にのった招待客は450人だったが、途中で飛び乗った者が多く、終点で下車したのは、600人以上だっ  た。

ウ)客車にはわずか4人が乗っただけで、最後までその人数は変わらなかった。

正解


◆ラダイト運動はなぜそう呼ばれるようになったか。

産業革命が進むなか、生産に機会が導入されたことで仕事を失った職人たちは、概械を憎み、しばしば工場を襲って、機械の打ち壊しを行った。打ち壊しは、おもに夜間、覆面をした暴徒たちによって行われた。暴徒たちはラダイトと呼ばれたが、この語源は何か、次から選べ。

ア)襲撃の相手に送られた脅迫状にしばしばその署名があったから。

イ)打ち壊し運動が起こったイングランド中部のノッティンガムの町の名から。

ウ)「打ち壊し」を意味する中世英語Ludditeから。

正解
☆正解:ア)

ラッダイト運動(英Luddite Movementの訳語)は、1811年から16年にかけて、産業革命期のイギリス中部・北部の織物・編物工業地帯に起こった機械破壊運動。産業革命によって生まれた資本制機械工業のための失業の危険にさらされた手工業職人やマニュファクチュア労働者の反資本主義運動。ネッド・ラッドまたはキング・ラッドという男によって指導されたといわれるが、実在の人物かどうかは不明である。しばしば送られた脅迫状にこの名の署名があったという。




◆(1) 正解:ウ)

ジョン・ケイは、織布工の迫害を受けて生地を離れ、業者との訴訟費用を払えず破産。
ハーグリーヴズは、暴徒に機械を破壊される。
カートライトは、工場が焼き討ちにあい、破産。
1769年、アークライトののみ、この発明で特許を取り、水力紡績機の工場が各地で建設され大成功であった。

正解

◆(2)正解:ウ

産業革命は、大量の労働者を必要としたが、熟練工の必要性は低下した。その結果、女性や子供、アイルランド人らが広く使用され、安く、長時間の労働を強いられた。これは、一般の成年男子の賃金切り下げにもつながった。



◆(3)正解:ア)

エンゲルスが1842年に調査したところでは、工業都市リヴァプールにおける平均寿命は、知識階級・地主−35歳、商人・農民−22歳、労働者―15歳だったのに対して、農業地帯のラトランド州では、それぞれ51歳、41歳、38歳だった。



☆正解:イ)

 


◆鉄道事故の第一号は、次のうちどれで起こったか。

ア)19世紀初頭にR・トレヴィシックが実験的に運転をはじめたとき、不注意な見物人が接触して倒れ、鉄道事故の第一号となった。

イ)1825年ストックトン〜ダーリントン間で初の鉄道会社が誕生したが、そこで走ったスティーブンソン製作のアクティブ号(のち⇒ロコモーション号と改称)に飛び降ろうとした子供が事故を起こしたのが最初。

ウ)1830年、リバプール〜マンチェスター鉄道をスティーブンソン製作の「ロケット号」が走行中、レールを横切ろうとした男がはねられ重傷をおったのが最初。

正解

 

 

重要語句:
 

◆オーウェンが労働者のために行った施策は? スコットランドはニューラナークの紡績工場主であったロバート・オーウェンは、産業革命後の労働者たちの悲惨な生活を見て、理想社会の建設を考えた。彼が実際に行った施策は何か、間違っているものをA,Bそれぞれからひとつずつ選べ。 A ア)10歳未満の子どもの労働をやめた。 イ)ほったらかしの子供のため工場のそばに世界最初の幼稚園を作った。 ウ)機械の登場によって失業した労働者のためにラダイト運動を指導した。 エ)ひどい住宅環境を改善するため社宅を建設。 B ア)労働者の日用品を原価販売する工場共済店を作った。 イ)八時間労働制を採用した。 ウ)アメリカに平等村を作った。 ☆当時13時間以上だった労働時間を、自分の工場では10時間ほどに短縮した。1824年には、アメリカ・インディアナ州に私財を投じて「ニューハモニー平等村」という理想社会を作ったが、失敗した。 ◆マッチの開発が始まったのは、産業革命で都市に人口が集中するようになってからである。さて初期に開発されたマッチにはいろいろな問題点があった。その説明として間違っているものをひとつ選べ。 ア)1827年にイギリスの化学者ジョン・ウォーカーが「摩擦マッチ」を考案。これは、頭薬に塩素酸カリウムと硫化アンチモンを使用したが、火つきが悪くあまり使われなかった。 イ)1831年にフランスのシャルル・ソーリアが頭薬に黄リンを使用した「黄リンマッチ」を開発した。これはどんなものと摩擦しても火がつくので便利だが、自然発火や毒性の煙が発生する危険性もあった。 ウ)「黄リンマッチ」は急速に普及したが、リンは人体に有害だったので、19世紀後半には世界各国で製造が禁止された。 正解:ウ ☆マッチ工場の工場内の空気は汚れ、労働力としてかり出され、幼い頃から長時間働きつづけた子供たちは、[     ]病などで短命だったという。「黄リンマッチ」の後、無害の赤リンを頭薬に使用した「赤リンマッチ」が登場。19世紀半ばにはドイツでマッチ箱の側面にガラス粉などをもちいてヤスリ状の摩擦面をつけ、頭薬をそこですらないと発火しない「安全マッチ」が考案された。これは、現在普及しているマッチと同じ。しかし、安価に製造できる黄リンマッチは、その後も長く生産されつづけ、20世紀になってようやくその危険性が問題になり、世界各国で製造が禁止された。

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