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6-1 学 校 用 色 覚 異 常 検 査 表 序 文

学校用色覚異常検査表序文」は、版によって、用語や文章に少しづつ違いが見られます。以下の文章は、旧版では「色盲」などの呼び方を「色覚異常」に改めたもののようです。  (※ 文中の色見本は、参考として付けたものです。)

学 校 用 色 覚 異 常 検 査 表  医学博士 石原 忍 著  1968 (財)一新会 (株)半田屋商店
目 次
 1. 色 覚 異 常 の 種 類 2. 色 覚 異 常 の 発 生 並 び に 遺 伝 3. 色 覚 異 常 の た め に 起 っ た 過 誤 4. 色 覚 異 常 と 職 業 5. 結 論

石原式色覚検査表表紙 色覚異常には先天色覚異常と、後天色覚異常とあるが、普通に色覚異常といわれるのはおもに先天色覚異常である。 先天色覚異常の主なものは全色盲と全色弱と赤緑色盲と赤緑色弱とである。赤緑色盲は更に第1色盲(赤色盲)と第2色盲(緑色盲)とに分たれ、赤緑色弱は更に第1色弱(赤色弱)と第2色弱(緑色弱)とに分たれる。

全色盲は極めて希に見られるもので、色は全く感じない。ただ物体の形状と明暗とがわかるのみで、且つ赤色は暗く見えて、青色は明るく見える。両親の多くは血族結婚であって、弱視、羞明、眼球振盪の三症状を具備しているから、容易に発見することができる。
全色弱もまた希なもので、色の鮮明なものならばその色を見分け得るのであるが、不鮮明な色になると、それを見誤るものである。これには全色盲に見られるような3症状はなく、色覚より外には全く異常を見出し得ないのである。

赤緑色盲及び赤緑色弱はかなり多いもので、すべての男子の4乃至5%はこれである。女子には少ない。赤緑色弱は赤緑色盲の軽度なものであるが、検査表だけではこの2つの間に明らかな区別をすることはできないのでこの両者を総称して赤緑異常とも呼ぶ。この赤緑異常は、やはり色覚より外には全く異常を見出し得ないもので、色と色とはこれを色又は色と誤ることがあるが、色と色とは決して誤ることがないのが特徴である。

即ち色覚異常検査上もっとも重要なものは赤緑色盲及び赤緑色弱であって本表では特にこの両者を発見するのに意を用いたのであるが全色盲および全色弱も本表によって容易に発見することができる。全色盲は、前記の3症状を具えているから、それによって全色弱と区別することができる。なお本表が1933年の第14回国際眼科学会で一般に身体検査の際に使用すべきものとして推薦せられたことは誠に望外の光栄である。
表 の 説 明 省略  使 用 法 省略)とり

< 附 録 > 通 俗 色 覚 異 常 解 説
一、 色 覚 異 常 の 種 類

色覚異常には、眼の発育不完全で起る先天色覚異常と、生後眼の疾患で起る後天色覚異常とある。そしてこの2つのうち社会的に比較的重大な意義を有するものは先天色覚異常である。
先天色覚異常をおおむね4種類に区別する。即ち、全色盲、全色弱、赤緑色盲、及び赤緑色弱である。このうち全色盲と全色弱とは、いずれも希に見られるもので、普通に色覚異常といわれているのは、赤緑色盲及び赤緑色弱のことである。

全色盲とは、色の区別が全くできないもので、宇宙間の森羅万象は、ことごとく1色に見える。あたかも写真を見るようなもので、ただ物体の形状と明暗とがわかるのである。且つ赤色は暗く青色は明るく見えるから、ちょうど写真と同じようである。なお全色盲の特徴は視力の悪いことで、普通人の15分の1ぐらいしかない。即ち普通の人の見得る最小の物体よりも15倍も大きい物でなければ見えない。また昼間は羞明があって眼を細くしている。

説明の必要上ここにすこし人の眼のことについて話そうと思う。人の眼は明るい場所と、暗い場所とで、機能が全く違うもので、明るい場所では、物体が明瞭に見えるが、暗い場所では、視力が10分の1か、15分の1ぐらいに減じてしまう。また明るい場所では、物の色がよく見えるが、暗い場所では、色は見えないで、ただ明るいと暗いとだけわかる。のみならず色は暗く、色は明るく見える。例えば庭前にい撫子(なでしこ)の花と、い桔梗(ききょう)の花と、並んで咲いているとき、これを昼間見れば、撫子の方が明るく見えるが、日が暮れると、撫子の花は黒くなって、桔梗の花がかえって明るく見えるようになる。

ところが全色盲には、明るい場所でも暗い場所で見たのと同じに見えるのである。この現象の外、色の見えないことや、視力の悪いことなどが、すべて暗い場所の眼の機能と一致している。なお暗い場所から急に明るい場所に出ると、誰でも羞明を感じて眼を細くする。全色盲者が昼間眼を細くしているのは、即ちこの理である。要するに全色盲の眼は、健常人の眼の機能のうち、暗い場所の機能だけがあって、明るい場所の機能の欠けているもので、ちょうど、ふくろう、みみずく、もぐら、こうもりの眼のようである。

全色盲の反対は夜盲、即ちトリメで、明るい場所の機能だけがあって、暗い場所の機能が欠けているものである。即ち、昼間は人なみに何でも見えるが、日が暮れると全く盲目同様になって、家にかえることもできなくなる。ちょうど、鶏、雀、蛇、とかげの眼のようなものである。

次に赤緑色盲及び赤緑色弱を合わせた赤緑異常は、色覚異常の中で最も多いもので、すべての男子4-5%はこれである。即ち大正5年から同8年に至る4年間に、徴兵検査を受けた者、1796028人のうちに、79871人あった、即ち4.5%である但し女子には極めて少なくて、男子の10分の1にも達しない。もしこれが女子に多かったならば、衣服の色合の選択等にあたって、ずいぶん不都合の多いことであろうが、自然は誠によくできるものである。

赤緑色盲はとが人なみに見えて、との区別が困難なものである。しかしとの全然区別できないような強度なのは少なくて、多くは大きな鮮やかな色ならば、でもでも見えるが、視覚が小さくなって色が不飽和になれば、とを誤る程度のものである。

全色弱は色弱ともいうべきもので、色が鮮やかで大きい場合には、何の色でも見分け得るのであるが、もし色が不飽和で小さい時には、と、またとを見誤るものである。これは全色盲とは違って、視力等には変りがない。ただ色覚だけが減弱しているのである。
二、 色 覚 異 常 の 発 生 並 び に 遺 伝
先天色盲は眼の発育不全である。なぜ発育不全に因って前に述べたような4種類の色覚異常ができるかというに、フランクリン(注4)、シエンク等の仮定説によると、人の眼は胎生期に最初、全色盲であった。即ち明暗だけが見えて、色は見えなかったものである。それが発育の第2期には先ずとが見えるようになる。このとは互に余色であって、これを合せると白い四角無色になる。次に発育の第3期にはそのを感ずる機能が、さらに分化して、とを感ずるようになる。実際、とを合せるとになる。即ち発育の終りには、との三原色を感ずるようになり、この三原色の種種な配合によって、宇宙間の総ての色を感ずるのである。今この色覚発育の状況を略図で示せば、次のようになる。(右図参照)
→ 発 育
 (青) (青)
無色< (緑)
  (黄)<
    (赤)
     
第1期第 2 期第3期
全色盲赤緑色盲健 常

以上は一の仮定説に過ぎないのであるが、今日これ以上確かなことはわかっていない。故に今仮にこの説を正しいものとすれば、色盲の発生は次のように説明することができる。即ち色覚の発育がその第1期で止まったものとすれば、全色盲となり、また第2期で止まったとすれば、赤緑色盲ができる。もしまた発育の第2期が不完全に行われたとすれば全色弱、発育の第3期が不完全に行われたとすれば赤緑色弱となる理である。

このように色覚異常は眼の発育不全であるから、従ってその原因としては、先ず第1に遺伝関係を考えなければならない。そして実際全色盲は両親の血族結婚から起こる場合が多い。また全色盲の反対である先天夜盲も、また10中の7〜8は血族結婚に因って起るのものである。赤緑色盲にもまた遺伝関係は確かに認められる。兄弟が共に色盲であるという例は少くない。殊に面白いことは、色盲が健常な女子によって男系に遺伝することである。即ち色盲の素因を持っている女子は、たとえ自分が色覚異常でなくても、異常をその子に伝える性質を持っているのである。
三、 色 覚 異 常 の た め に 起 っ た 過 誤
男子の4-5%が色盲であるとすれば、世の中に色盲者の数は非常に多いものである。しかし、われわれは色覚異常のために事故の起った実例を、あまり多く耳にしない。また色覚異常者自身も、自分で異常のあることを発見する者は少なくて、多くは学校の身体検査などで発見されて、驚くのである。即ち一旦色覚の発育したものが、後になってから、色盲になれば、非常に不便を感ずるのであるが、先天色盲はまだかつてその色を見た経験がないのであるから、他人もまた自分の通りだと思っている。
従っていっこう不便とも思わないのである。例えばまだかつて汽車や電車を見たことのない者が、その便利なことを知らないと同様であって、かような人々は決して、われわれが、たまたま電車の不通になった時に感ずるような不便を日常感じているわけではない。

また色盲者は実際過誤を生じても、これを知らずにいることである。例えば紅葉を見て緑樹と思い、また緑葉の中に赤い花の咲いているのが見えなかったとしても、通常大きな差支は起こらないで、そのまま済んでしまうが、たまたま他人から注意を受けたりした時などに、始めてその誤りを発見するのである。先年1人の鉄道の運転手が来ていうには、「自分は身体検査の時に、色盲だといわれたが、色は何でもよく見えるので、まだかつて間違えたことがない。この草履の鼻緒のいのなどは、よく見える」と、色覚異常といわれたのが大いに不平の様子であった。しかしその時の草履の鼻緒は実に濃い色であったのである。即ち自分では正しい積もりでいても、実際には間違っているのである。

なおこのほか前にも述べた通り、赤緑異常者でも、強度のものは比較的少ないのであるから、色の鮮明なものならばでも、でも、通常は区別ができる。これらの理由で、色覚異常のため実際に事故の起ることは、あまり多くはないのであるが、注意して調べてみると、ずいぶん大きな間違いをしているものもある。いま参考のため、清水軍医が色覚異常の兵士について調査した実例を二、三紹介する。

(一) 子供の時、ぐみも実を取りに行って、未熟のものをたくさん混ぜて、持って帰ったため、母親から叱られた。またぐみの木に登って、その実を取って食べたところが、たいそう渋いのを食べたことがある。
(二) 友だちと一緒に桑の実を取った時、自分には友だちのように機敏に取れなっかった。また夜間燈火の下では、熟したものと未熟のものとの区別がつかない。
(三) 途上で草と同じ色の犬を見ることがある。ある時色の犬といったら同僚から笑われた。それ以来、犬を見れば色、草は色ということにしている。しかしこの2つの物は全く似た色としか見えない。
(四) 小学校時代から、他の学科は優等であったが、図画のみは常に色彩を誤って教師から叱られた。
(五) 林の中で測図をした時、樹の枝に結び付けてあった布が見えなかったため、道に迷ったことがある。
四、 色 覚 異 常 と 職 業
汽車の運転手や汽船の船長が色覚異常であったために、信号を見誤って不測の災難を来したという実例は、わが国には、あまり無いようであるが、欧州には、しばしばある。
最も初めにこの事に注意したのは、明治8年の事である。この年に瑞典(スウェーデン)で汽車が衝突して、9人の死者ができたのを、同国の生理学者ホルムグレーンが調査して、その衝突の原因は運転手が色覚異常であって、信号を見誤ったのであるということを発見した。

それ以来人々が色覚異常の危険なことを知って、注意し始めた。ところが、その頃、頻々(ひんぴん)として同様の事件が起ったのである。今その二、三を挙げると、同じく明治8年に、英国のノーフォークの近海で、汽船が衝突した。これは一方の船長が色覚異常で、燈を燈と見誤って舵をとったからである。
明治10年2月に西班牙(スペイン)の砲艦「マリネロ」が帆船に衝突して、これを沈没させたのは、帆船の船長が色覚異常で、砲艦の船燈を白色の港火と間違えたからである。
また明治12年には、ギボラの港で帆船「テレサ」が沈没した。これは船長が海岸のい港火を建物の白い四角い火と間違えたからである。

かように色覚異常のために鉄道や船舶の事故が頻々として発生したので、明治9年瑞典(スウェーデン)国は、率先して鉄道員及び船員に色覚検査を施行することの規定を設け、その翌年ドイツ国、明治12年オーストリア国がこれにならい、次でわが国もまたこれを実施するに至ったのである。

以上の外、強度色覚異常者に不適当であるべき職業は、医師及び薬剤師である。医師や薬剤師がもし色覚異常者のために診断や調剤を誤ったならば、他人に危害を及ぼすことが無いとも限らない。この意味では甚だ危険であるが、しかしわが国のみならず欧州諸国に於ても、まだかつてその実例を聞かない。

その他、すべて色を取扱う職業に、強度の色覚異常者の適しないのは明らかである。即ち化学者、画家、染物業者、印刷業者、呉服業者等である。これ等は他人に危害を及ぼすようなことはないが、しかし本人のために非常な不利益であって、もし強度の異常者がこれ等の職業を選んだとすれば、世の生存競争に打ち勝つことは困難である。
故にすべての人、殊に男子は、その職業を選択するに先だって、是非とも一度色覚検査を受ける必要がある。即ち、小学校時代に身体検査を行う際に、視力と同時に色覚異常の検査を行うのである。色覚検査法は近年著しく進歩したのであるから、その検査は視力の検査よりも、一層容易である。
五、 結 論
(一) すべての男子の約5%、すべての女子の約0.2%は色覚異常である。即ち、わが日本の人口を仮に1億人とし、その半数を男子とみなせば、わが国中のには約250万人の色覚異常者がある計算となる。
(二) 色覚異常者は海員、鉄道従業員、飛行機操縦者等になれないのは勿論、もし強度の色覚異常者が誤って医師、薬剤師、化学者、画家、染物業者、印刷業者、呉服業者等になればその人終生の不利益であるのみならず、時として他人に災害を及ぼすようなことが無いとも限らない。
(三) 故に何人も、その職業選択前に、一度色覚検査を受ける必要がある。小学校の身体検査の時にこれを行えば最も適当である。この検査法は極めて簡易である。
(注4)クリスチーヌ・ラッド・フランクリン(Christine Ladd-Franklin 1847-1930)アメリカの女性心理学者。「石原表序文の仮定説(石原説)」の元となった記事は、この方の「色覚発生説」と「色と感覚論」の中で説明されている様です。

6-2 石 原 忍 先 生 の 略 歴

石原忍 1879年(明治12年)9月15日東京生まれ(届出は25日)。幼少期、父の転任に伴い、函館、大阪へ。
1905年(明治34年)東大卒。見習医官として入隊。
1907年(明治40年)琴さんと結婚。
1908年(明治41年)東大大学院入学。陸軍一等軍医となる。
1912年(大正元年)ドイツ留学命ぜられる。1913年1月、ベルリン着。
1914年(大正03年)第一次世界大戦開始に伴いロンドンへ。帰国、軍医学校教官、済生会病院勤務。
1918年(大正07年)片仮名・数字を用いた『石原式学校用色盲検査表』完成。
1922年(大正11年)6月、東大教授就任、眼科学教室主任教授。
1925年(大正14年)「小眼科学」出版。
1933年(昭和08年)第14回国際眼科学会(スペイン,マドリッド)で石原式検査表を身体検査の際使用すべきものとして推薦。
1940年(昭和15年)定年退職。東大名誉教授となる。
1941年(昭和16年)色覚異常の研究で朝日文化賞(朝日新聞社)。帝国学士院(現文部科学省特別機関)賞受賞。
1943年(昭和18年)前橋医学専門学校長(4月〜1946年3月)
風景GIF 1946年(昭和21年)河津眼科医院開業(静岡県伊豆河津)。公職追放(〜1952)。
1956年(昭和31年)紫綬褒章受章。
1961年(昭和36年)文化功労者。
1963年(昭和38年)1月3日逝去。河津南小学校で名誉町民として町葬。 83 歳。
(「石原忍の生涯」 著者 須田經宇 講談社学術文庫 1984年、他より抜粋)

石原忍(1879-1963) 84歳 (『人間臨終図巻 下巻』山田風太郎著 徳間書店一部抜粋  以下「じじぃの人の死にざま」 旧cool-hiraさんブログより引用)

いわゆる「石原式色盲検査表」を作成した世界的眼科医石原忍は、東大退官後、昭和21年から伊豆の河津に住んだ。彼はここで温泉につかりながら研究生活で余生を過ごすつもりだったが、眼科医のいない土地の状態を見かねてまた患者を診(み)るようにしたところ、その名声に患者が北海道や九州からまで殺到し、ついに「院長老体につき、先着10人までに制限いたします」という貼紙を出す始末になった。

彼は生涯に1冊の小説も読まず、新聞もとらず、ラジオも聞かなかった。ただ晩年、家族の切望によってテレビを買ったが、彼自身はニュースと相撲と野球中継しか見ようとはしなかった。女優原節子が眼の診察を受けに来たことがあったが、名をきいても彼はそれが何者か知らなかった。

身体が不自由になってから、娘の美禰子が風呂場に子供用のポールを持ちこんで洗ってやり、「苦しいでしょう」ときくと、「なに、ボートを漕(こ)いだくらいだ」といった。それは相当の苦痛を意味した。軍医出身であることを誇りとする彼は、強情我慢の老人であった。

その年の暮れになると、幻覚症状が現われた。 「若い青年を眼の前にして、道徳教育のお説教をしている積りらしく、半ば興奮状態で、善とか悪とか口走ることが多かった。『どなたもいらっしゃいませんよ』と口を出すと、『おまえは黙っとれ』そういって、また一しきり、始まるのだった。それが、徹頭徹尾、道徳教育の話だった」と、美禰子はいう。

彼は元気で昭和38年の元旦を迎え、おとそも飲み、ビールも飲み、「蓮根がたべたい、きんとんが食べたい」と食欲も旺盛だった。2日は静かに寝ていた。
「3日の朝方、私は、ちょっと寝ようと、父の様子を見にゆくと、その時は、膝をまげたり、もぞもぞ動いていた。私は看護婦さんに『また来ますから』そういって、ちょっと休んだが、間もなく起こされた。時計は6時をちょっと回っていた。寝室にかけつけたが、83歳の父は眠るように、私にも知らせず、静かに逝ってしまったのだった」

6-3 石 原 式 色 覚 検 査 表 見 本 2

石原式色覚検査表12 左の表は、石原式色覚検査表の最初に載っているものです。文字の「12」系統の色で描かれ()周りは系統(シアン)で描かれています。何故、赤緑色覚異常者にも、この表だけは、系、系、の色使いなのに容易に(健常者と殆ど同様に)読めるのか?不思議に思っていました…。(これだけ、コントラストが有れば、見えるのも当然かもしれませんが…。)

答えは、「石原説」から考えるとを混ぜた色、シアンを混ぜた色である事に気がつけば赤緑異常者のは健常色覚者と同等以上に見えている色覚特性のために、たとえ混色であってもの視細胞が働き、区分することが容易であると理解できます。赤緑異常者には周りのシアンが信号色と同様に、殆どに見えている人が多いと思われますが…。(が入ったであることをじっくり見ないと気がつかない。) 石原式色覚検査表2

右の表は、健常者には「2」と読める表です。しかし、赤緑異常者には、文字色の色(の混色)と、周りの黄緑の混色)を色系?のような感覚としてとらえてしまう為に、色の区別がしづらく(混色であってもが強く見えは沈んで見えてる為、色が似通り区別しづらい)更に、周りに散りばめられたの斑点が強く見え(文字を読むのに邪魔になり)結果的に、時間がかかるかあるいは読めなくなるものと考えられます。

石原式色覚検査表74 左、上から二番目の検査表は石原表の中で最も検出精度が高いと言われているものの様です。健常者には「74」、赤緑異常者には「21」と読まれる事が多い。

赤緑異常者は文字部分の青緑(シアン)赤青(マゼンダ)との混色のため周りの色(の混色)から浮き出て見えるが黄緑部分はの混色であるため、周りの色と同化し(赤緑異常者には色系?のような感覚としてとらえる為)区別しづらくなり、また浮き出たシアンマゼンダの部分を連ねて読み(色系?のような感覚としてとらえる為)また、色と同化した黄緑は目に入らないため「21」と読んでしまうと考えられます。

健常者には、たとえの混色(シアンマゼンダ)との混色(黄緑)の色使いであっても系(シアン黄緑)と系(マゼンダ)をはっきりと区別するため「74」となって読めると考えられます。
補色図

自身の体験でも、この表を「74」でなく、「21」と読んだ記憶があります。何かしらの違和感があったのですが、それ以上文字として見えないためにそう答えて、周りから苦笑された苦い思い出があります。

※「石原説」と「石原式色覚検査表」から理解できる赤緑色覚異常とは、現代医学の見解とはかなり異なり、緑を受容する視細胞の発育不全から来る、黄の見え方と緑の見え方のアンバランス」と言えると思います。(色覚異常を英語では、Color-Blindnessといいますが、にブラインドがかかった状態(見え方が暗い)と考えたら分かりやすいと思います。)

尚、この検査表の解説は、個人的な体験と、「石原説」を元に書いたものです。しかし、現代医学の医学書(眼科学)に石原式色覚検査表の理論的な解説を「現代医学の色覚理論(三原色説?)」で説明されたものはあるのでしょうか?
(注)上記の表は参考として掲示したもので、検査用には使えません。(GIFによるイメージ画像) 石原式色覚検査表見本 へもどる 
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