| ◎経営コンサルタント・アナリストとして、日米で活躍中の小林由美氏が、アメリカ在 住25年で見たアメリカ姿のを記した「超・格差社会アメリカの真実」(日経BP社刊) からその一部を紹介しよう。 われわれの理解では、「奴隷解放=奴隷の人権回復」であるが、「奴隷解放宣言」は南北戦争時の北軍の「宣伝文句」に過ぎず、解放の結果何の保護もなく不要になった機械のように、社会に投げ出された奴隷たちの惨状は想像に余りあるものだったという。 これと、テロとの戦い・中東の民主化を叫びながら石油利権を漁る現在の姿との類似に驚くのは私一人であろうか。 ★今回は短く纏めてみました。ご一読を! 「奴隷解放」とアメリカのDNA ▼北の「海賊資本」と南の「奴隷資本」 信教の自由を求めてアメリカを目指した1620年のメイフラワー号の渡航資金は、植民地開拓の利益を期待したロンドンの商人出したが、その成功を見て地主や貴族も植民に乗り出した。イギリスから派遣された総督(州知事)の下で、本国に習った制度が確立された州の数は独立時13に達していた。そこへカリブ海やアフリカから略奪されてきた奴隷と、探検隊に名を借りた海賊の略奪品が流れ込んだ。 イギリスは、ヨーロッパの各国と戦争になるたびに、敵国の商船を略奪する免許を、大西洋岸に駐留していた軍司令官(の地位を買った船主)に発行した。こうして合法的に略奪され貨物だけで莫大な額に達したとされている。 奴隷は借金が返済できないために投獄され、一定期間強制労働をさせられた人々だったが、アフリカからの輸入が始まると、最大の奴隷市場となったのが、2005年のハリケーンに襲われたニューオリンズたった。 バージニア以南では、こうした奴隷を労働力にした大規模農園が最大の産業として発達した。この時期、南部はアメリカで最も豊かな地域だった。 そして、北部の「海賊資本」、南部の「奴隷資本」という構図が出来上がっていた。 当時のイギリス国王は貿易を独占して免許科を徴収し、関税も課していたから、植民地アメリカの貿易商は、免許を得た正規の貿易と並行して、活発な密貿易を営んでいた。彼らが得た貿易の収益は、反英運動の最大の資金源でもあったから、イギリスは密貿易を本格的に取り締まり始め、激しく対立した。 植民地のエリートはイギリスをは母国と敬愛し、王室の臣民という感覚でいたから、イギリスとの戦争は決して望むものではなかった。しかし交渉が決裂し、イギリスがアメリカ植民地を反乱軍と決め付けたため、植民地は英国に反旗を翻すことになった。 独立戦争(177583)は世界最強の軍隊を持つイギリスとの7年に及ぶ長い厳しい戦争であった。この戦争の最大の勝者は、イギリスの商船を略奪する免許を得、7年間にわたって3000隻以上という膨大な商船と積荷を略奪した船主たちだった。 一方、最大の被害者は、戦争に狩り出された一般市民や農民・奴隷で、バージニア以南の地主層も農園は戦場になり、奴隷資産も戦闘で相当数が失われた。 こうして、独立戦争による南部の経済力の衰えは、彼らの政治力も弱め、その後輸入関税や奴隷資産の扱いをめぐって北東部の新興工業勢力と対立し、やがて南北戦争へとつながっていく。 ▼南北戦争(1861-64) 19世紀前半、北東部では低賃金の移民労働力を使って工業化が急速に進展していた。南部では綿花からから種子や殻を外し、繊維だけを取り出す道具の発明によって綿糸の生産性が飛躍的に増大し、綿を中心に400万人の奴隷を使った大規模農園が拡大成長を遂げていた。一方、北部の賃金労働者の所得は南部で奴隷に要する費用と大差がなかった。 奴隷制に対する批判は、18世紀後半にヨーロッパで始まり、アメリカでも徐々に強まっていたものの、奴隷制の廃止を要求したのは一部の過激派に過ぎなかった。 過激派による「奴隷財産の無償放棄要求」は、北部の低賃金労働を「給与つき奴隷制度」と非難していた南部の地主層を刺激し、南部は連邦からの脱退に傾いた。 連邦の分裂回避を最優先した主流派は、アブラハム・リンカーンの、「連邦に止まるのであれば奴隷制の維持を認め、脱退するのであれば、その報復手段として、脱退した州の奴隷は解放する」といういわゆる「奴隷解放宣言」を支持し、連邦の分裂を防ごうとした。 つまり「奴隷解放宣言」は奴隷制の廃止を意図したものではなく、南部を連邦に引きとめるための脅しに過ぎなかったのである。 しかし南部は連邦から脱退して「南部連邦」を設立し、北部との間に武力衝突が始まった。北部にとっての戦争目的は、当初は脱退した州を連邦の支配下に戻すことだったが、それは途中から「奴隷制の廃止」にすり替わった。 なぜ、戦争の名目がすり替わったのか。理由はイギリスが、「南部連邦」を独立国家として認知することを防ぐための「錦の御旗」が必要なためだった。こうした北部の戦略は奏功して、南部はイギリスからの支援を得られず、単独の戦いを強いられることになった。そして、4年間の長期戦の末に北軍が勝ったことで、南部は壊滅的な打撃を受けることになった。 放棄された財産、つまり解放された奴隷に対しても、北部は何の対策も講じなかった。そのため廃棄された機械設備のように、多くの黒人が家族も基礎教育も生活手段も住む場所も何もないままに、壊滅的な打撃に喘ぐ廃墟の中で放り出され、吹き溜まりにたむろすることになった。 これから分かることは、われわれが理解している「リンカーンの奴隷解放」というイメージと実際との落差の大きさである。 考えてみると、これこそが「アメリカの真実」なのではないだろうか。 そしてこの伝統は今もアメリカに脈々と流れていて、「テロとの戦い・中東の民主化」と叫びながら、チェイニーのハリバートンのような、住民を殺しても何とも思わぬ「戦争会社」を使って金儲けに徹し、石油利権を漁る現在の姿との類似に驚くのである。 アメリカの崇拝する神(偶像)は「金」と「武力」である。そのDNAはメイフラワー号以来脈々と続いていると思えるのである。 |