登山家の名言

様々な登山家が、様々な名言を残しています。私の印象に残ったものを中心に紹介していきます。


「私は思い出より憧れの方が好きだ」

ガストン=レビュファ
優れたクライマーはみんな未来志向。その代表的な言葉がこれ。

「目の前の山に登りたまえ。山は君の全ての疑問に答えてくれるだろう」

ラインポルト=メスナー
そう、うだうだ言わんと山登れい。

「真のアルピニストはワンダラーである」

アルバート=フレデリック=ママリー
まだまだクライミングテクニックは向上していくだろうが、フリークライミングがここまで発展しているからこそ、こういうちょっと横からの視点こそが、今改めて問われる時代ではあるまいか。

「アルピニズム・・それは筋肉や脚や腕の問題だけではない。成否を決めるのは精神だ」

ワルテル=ボナッティ
単純明快といえばそう。しかし、あらゆる困難にいかにでも対応するというのは、アルパイン、フリーを問わずクライミングの根本であり、達するのが難しい境地であるのは変わらない。

「山とは金では絶対に買うことのできない偉大な体験と、一人の筋金入りの素晴らしい人間を作るところだ。 未知なる山との厳しい試練の積み重ねの中で、人間は勇気、忍耐、不屈の精神力、強靭な肉体を鍛え上げていくのである。登山とは、 ただこれだけで僕には十分である」

小西政継
これを当時20代の氏が書いている。凄いと思いません?

「山は歩かれているか」

冠松次郎
人がいない渓に行った登山家らしい、頂上だけじゃない山の魅力を知っているか問うた言葉。今も消えずに残っている。

「単独行者よ、強くなれ!」

加藤文太郎
自分を鼓舞する魂の叫び。真摯に自分の弱さ、寂しさと向き合ってきた人じゃないと出てはこまい。

「クライマーという者は、所詮気の弱いロマンチストなのかも知れない」

吉尾弘
達成された滝沢本谷の後、夢が夢でなくなった虚しさを表した言葉。それでも夢を追うクライマーという人種は、キザだけどこの言葉通りの生き物なのだろう。

「おい、俺たちはいつかは死んじまうんだろう。だけれど山だってまたいつかはなくなっちまうんじゃあないか」

大島亮吉
時間と存在のことを一言で言い表した哲学的な名言。どきっとするのは私だけ?

「もし五十歳まで生きて、山を登り続けることができるのなら、俺は下界での人生がどんなに不幸であってもいいよ」

奥山章
こ、こ、怖い。

「エベレストは気高い心を持つ者だけが登る資格がある」

松方三郎
本来、山、特にエベレストのような高峰はこういう存在であるべきだと思う。だからこそ、フェアな精神は尊重されて然るべき。

「初登攀や初登頂に代わる新しい魅力を登山に付け加え、新しいアルピニズムを確立する必要が あるように、ぼくには思われた」

松本龍雄
『初登攀行』より。実際にこの人は『岩登りのうまくなる本』という本を出して、残置ピトンの最小限化、テンションなしでこそ完登ーいわばレッドポイントーの規定、トレーニング方法を提唱 している。本多勝一のように「パイオニアワークは終わった。山は死んだ」などというよりより生産性があると思うし、70歳を過ぎた今もフリーのルートを登る彼は凄いと思う。

「あきらめないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。 結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない」

植村直己
ボナッティの台詞にも通じる、精神の重要性を説いている言葉。豊富な経験や強靭な体力のみならず、精神の偉大さを感じる。

「梅干の種は抜いてきたか」

杉本光作
谷川岳を登る前の言葉。この当時の装備はそれだけ重かった。今の大半の人みたいにただ自分の体力をつけようともせず「軽いの、軽いの」と言っ て楽をしたがる甘えの発想とはぜんぜん違う。

「『では山登りの良し悪しの基準は何か』と聞かれれば、ややこしい説明はいらない、ビビる山かそうでないかである」

和田城志
「岩と雪」168号「剣岳幻視行」より。久しくやっていないな、こういうこと。

「登山とは、所詮登攀者本人の心の中で揺れ動き、うごめき、悶え苦しむ振幅の中に、ただそれだけにのみ、在るのではないだろうか」

渡辺斉
計画段階で山が自分に「宿る」。実行する時は「発狂する」。ここまで気持ちを高めて行くが故の凄い記録の数々。いかに強烈な情熱で山に対峙しているかという 証左になる言葉。ここまでの主体性を持つからこそ岳人としての大成があったのだろう。真似できないが尊敬する。

「ザックさん勘弁してください。岩場さん、ザイルさん勘弁してください。グランドジョラスさん許してください。 ぼくがここにいることが悪いんです・・・・・・」

長谷川恒夫
カッカした興奮状態から、謙虚な態度で自然に順応していくことが如実に現れている。これがあったからこそ、冬季三大北壁単独登攀は成功したのだろう。

「僕は従来のヒマラヤ登山で成功した登山は不思議なことにBC出発後最終キャンプまで、ほとんど一睡もしないで登頂に向かった時だけだったよ!ゆっくりと余裕があって 登って行った時はほとんど失敗だったよ」

山田昇
’88年の三国合同エベレスト登山隊登頂後の発言。「北側と南側の違いは5月3日の集中力ですよ!靴を履いて30分後にどんなことがあっても出発するという決意で交信したのが僕、 南側はシュラフに入ったまま交信していたではありませんか」この後のドゥーガル=ハストン同様、山においてどんな状況でも集中力を切らさず登る強さを経験で学び取っている。凄い。

「まだ凍傷になっちゃいないんだろう」

ドゥーガル=ハストン
マッキンリー南壁で3晩ビバークになって、「どうする?」とダグ=スコットに聞かれた返事。集中力、肉体的限界が切れていないことを一言で強調している。登山における意志の強さは素晴らしい。

「ふたりの登山者を結びつけるロープはクラシック・クライミングの本当のシンボルである。同じロープによって登ることで、 深い共感、信頼、友情が築きあげられる。このような感情がないなら、記録は無意味である」

クリフトフ=プロフィ
ヨーロッパ三大北壁冬季単独登攀をしたこの人が言った言葉。それだけに重みがある。結局、人は人しか愛せないようにできている。

「嘘や偽りだらけの世の中で、これほど真実と向き合える世界はないだろう。正しいものはあくまでも正しいし、 間違っているものはあくまでも間違っているのである」

伊藤達夫
黒部という軽業師的な小手先の技術では通用しない総合力を要求される場で鍛えられた人ならではの言葉。実際、国内の山行において (支点などの問題はあるにせよ)彼に追従する人物は現在いないだろう。

「終わった山行はなるべく早く忘れるようにしている」

北村俊之
やはりレビュファ同様未来志向。過去に満足せず、恒に次を考えている証左。

「ここはディズニーランドではないのだ」

岩崎元郎
『登山不適格者』より。この人が中高年登山者に言ったということに意味がある。

「苦しくても、苦しくない」

富山県警山岳警備隊
日本最高級の救助隊の言葉。どんなにつらくとも集中して機敏に行動する、頼もしい姿の源が垣間見れる。

「高いところから落ちる人間は惨めだ。 しかし、高いところまで登れない人間はもっと惨めだ」

中嶋正宏
この言葉の意味を知りたくて山に登る。

「山は強くなってから楽しむもの」

大西宏
堅いと言えば堅い。しかし、これで彼は一流の極地探検家、高所登山家になっている。やはりスケールが違うと、ただ楽しみだけでは通用しない。

「頂に向かう行動よりも常日頃の山に対する主義(イズム)こそ大切なのではなかろうか。何事も、思索と実践の合致こそ、 この世で最も尊いものであろう」

高見和成
タフでワイルド、地方山岳会で最高の成果。合致させた生涯だったと思う。

「今の私は生きていることを実感し、自らの人生の主人公であることを意識できる。ただ夢見る男から生きている存在へ、硬直化したアルピニズムの奴隷から 自由になりおおせた瞬間であった」

シモーネ=モーロ
シシャパンマ冬季初登頂を成し遂げた時の感想。ノーマルルートからの通常の登山に背を向ける姿勢を貫き、常に新たな価値、新たな困難度を追求したが故の言葉。時代に流されないのは立派。

「10年ぶりに落ちた」

マルコ=プレゼリ
落ちないグレードを大切にするアルパインクライマー独特のトレーニングをし、かつ13bまで登っている。それで凄いアルパインを やっているから本当に強い。「アルパインはピュアな、つまり倫理が求められるゲームだと思うんです」という発言も、こういう実力に 裏付けられた自信が生んだのだろう。うまくなれば、全て解決するのだ。

「一歩を踏み出せるなら、もう一歩も踏み出せる」

トッド=スキナー
どんなスポーツでも「もう少しだけ頑張ろう」という言葉はあるが、山にもあった。頂上を最終到着地点としてプランを立てる重要性を強く主張し、 その延長でもう駄目だと思っても頂上に引き寄せられる頑張りを、それとは別の言い方で言っている。ロジカルかつ精神主義。

「個人の個というものを表現したかった」

南裏健康
トランゴ・ネームレスタワー単独新ルート開拓後のコメント。「前の奴がベールを剥がして、後の奴がそれ以上のことをやる。それがクライミングにしろ何にしろ進歩というものだ」 という個を表現したかったらしい。これ以降私の知る限りこれを越えるビッグウォールクライミングが出てきていないことを考えても、彼の実力と思いの強さが伝わってくる。

「ロシアンルーレットのようなボルトにアブミを掛けて一直線に登るのが楽しい人には、チェルノブイリにでも引っ越して欲しい」

飯山健治
穂高屏風岩「オープンロード」チャレンジガイドより。このルートは私も人工まじりでしか登れなかったので、楽しくはなかったが肩身が狭い。 しかし、ベルジェールの人工ボルトが撤去される時代だから、いつの日かボルトラダー人工なしが当たり前になるだろう。

「登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない」

山野井泰史
昔、長谷川恒夫氏が「こんなに山が好きだったら、山も僕を好きになって招き入れられるような気がする」というようなことを 言っていたが、似たような極道の臭いを感じる。怖いー。確かにその通りだと思うが、個人的にはこの人に長谷川氏と同じ運命をたどって欲しくない。

「自分はとんでもないことをしてしまったに違いない」

馬目弘仁
荒船山「攀船記」開拓後の、ボルトをしっかり設置したことに対する後悔。そこまで厳しくせんでも、という気がしないでもないが、 決して妥協を許さない姿勢はアルパイン第一線の人らしい言葉。

「人間はそこに岩がある限り登る。そして発想は進化し、さらなる人間の冒険は続く」

平山ユージ
ボルダーからクラック、オンサイトから高難度のレッドポイント、コンペからビッグウォール、なんでもやってそれが他分野のパフォーマンスアップにつながった氏の言葉。 限界や範囲を安易に決めず、「みんなクライミング」という柔軟な思考が最高の結果を残している。素晴らしい。

「俺の場合、人があれこれ登ったとか高グレードがどうのとかまったくといっていいほど興味がない。そんなことより次に自分が何をするかの 方が大切なの」

奥村晃史
周りに流されず、自分のやりたいことを追求し、かつ他の追従を許さない。純粋にあこがれる。

「何故山に登るのか。その問いに答えてはならない。とにかく登りに行け、とにかく登りに行け」

鈴木謙造
さっきのメスナーの言葉に少し似ている。後からついてきた理由を探って集中力を失うより、行動する場にこそ答えはあるのかもしれない。

「アルパインクライミングは残置プロテクションがないのが前提で、残置があったらアルパインじゃないといっても過言ではないと思います。(中略)クラックの わきにボルトが打たれていたら、どんなにこだわってそれをプロテクションに使わないにしてもそれはアルパインクライミングじゃないとぼくは思います」

小野寺賢治
「不確定要素がアルパインの条件」で、「残置を使わないで登るのを意識するのは大切」。そうしたトレーニングをしないで「差を認識して、それを埋めるために何をしたらいいのかを まず意識していない。その時点で駄目だと思うんです」。
・・・私が仕事で知っているこの人はソフトで丁寧な人なのだが、やはり会が会だけに言う事が世界を意識している。嫌でもこの人との差は認識してしまうが、それを埋める努力は・・・ま、ぼちぼち いきましょうや。

「日本一なんてちょろい」

小山田大
若くして既に視野が広かった。やはり世界を目指す人間は違う。

「朝起きたらオハヨウと大きな声で挨拶するパーティーは事故を起こさない」

湯浅道男
仲間とのコミュニケーションをきちんととる、、些細なことに手を抜かない、節目節目を大切にするという登山にとって大切なことを一言で言い表した名言。 皆さんも実践しましょう。

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