井上因碩春策 

  井上因碩は江戸時代の囲碁の家元 井上因碩 ・本因坊・安井・林の四家があった  
芝新銭座 浜御殿脇 井上因碩邸(観世新九郎邸隣) 隣の会津保科松平肥後守家臣、芝増上寺,麻布妙善寺の僧にも多くの門弟がいた

因碩墓碑(市村慶満寺)     本庄屋生家(市村仁吾)

俗名 井上因碩春策、  戒名 妙法尚操院因碩日逞居士
井上因碩春策妻、   戒名 妙法尚操院妙果日貞大姉

九世井上因碩春策 1774-1810

因碩春策、安永三年(1774) 備後國深津郡市村仁吾(広島県福山市蔵王町)出生
本庄屋三世佐藤久兵衛重望(武兵衛)の三男、幼名佐藤民治、母は於登久(沼隈郡神村石井仙右衛門の娘)
沼隈郡神村石井:備後福山藩の豪商岡本屋山路右衛門七重直の妻の実家 (父:神村土居石井徳右衛門)
実家を継いだ兄の本庄屋四世佐藤久兵衛, 四世久兵衛の妻の実家も山路一族 (父:久屋 山路作平 利貞)

天明八年(1788)十月、佐藤民治(14)、江戸新銭座八世井上因碩因達に入門、春策を名乗る
八世井上因碩因達は安芸国佐伯郡己斐村出身
老中:阿部正倫(1787 - 1788)

寛政元年(1789)二月二十二日、佐藤春策(15 、二段)、 伊藤秀助 に三目勝ち
同年(1789)二月二十三日、佐藤春策、 伊藤秀助 に十三目勝ち
寛政二年(1790)二月十五日、佐藤春策、 中野知得 に四目勝ち (於田沼能登守殿)
田沼能登守---田沼意致(おきむね、田沼意次の弟の意誠の子、1741-1796)
同年(1790)三月六日、佐藤春策、 中野知得 に五目勝ち (於箕輪茂左衛門宅)
同年(1790)五月二十日、佐藤春策、 中野知得 に中押し勝ち (於水野主膳宅)
同年(1790)七月八日、佐藤春策、 中野知得 に一目勝ち (於井上因碩宅)
寛政四年(1792)八月二十七日、佐藤春策、 中野知得 に六目勝ち (於井上因碩宅)

寛政六年(1794)十月、 佐藤春策 八世井上因碩因達の跡目(妻は因碩因達の娘)
同年十一月十七日 井上春策 御城碁初出仕
寛政六年 年齢 
井上因碩因達 (48)、井上春策 (20)、服部因徹 (33)、小松快禅 (54)
本因坊烈元 (45)、宮重元丈 (19)、外山算節 (24)、山本源吉 (31)、河野元虎 (34)
安井仙知 (30)、中野知得 (18)、林門入 (61)、林門悦 (39)、舟橋勇太郎(16)
寺社奉行:板倉勝政(1788 - 1798)、戸田氏教(1789 - 1790)、脇坂安董(1791 - 1813)、青山忠裕(1793 - 1796)

寛政七年(1795)十一月十七日御城碁、井上春策(21)、十世本因坊烈元に十一目勝ち

寛政八年(1796)十一月十七日御城碁、井上春策、 林門悦に七目勝ち
寛政九年(1797)十一月十七日御城碁、井上春策、 安井仙知に二目勝ち
寛政十年(1798)十一月十七日御城碁、井上春策、 林門悦に三目勝ち
寛政十一年(1799)二月八日、井上春策、 舟橋元美に三目勝ち
同年(1799)三月二日、井上春策、 中野知得に三目勝ち
同年(1799)七月二十七日、井上春策、 宮重元丈に中押し勝ち
同年(1799)十月八日、井上春策、 中野知得に五目勝ち (高輪大塔庵打掛同月十六日打続)
同年(1799)十二月二日、井上春策、 舟橋元美に六目勝ち
寛政十二年(1800)正月二十四日、井上春策、 宮重元丈 に中押し勝ち(多賀長左衛門宅)
年月日及び場所 不詳、井上春策、 服部因徹  打ち掛け
同年(1800)十月十八日、井上春策、 中野知得  打ち掛け (多賀長左衛門宅)

同年(1800)十一月十七日御城碁、井上春策(26)、十世本因坊烈元に一目勝ち

享和元年(1801)十月九日、井上春策、 安井知得  打ち掛け (仙石伯耆守邸)
享和元年(1801)十月二十四日、井上春策、 宮重元丈 に八目勝ち 
享和二年(1802)四月二十日、井上春策、 安井知得 に十五目勝ち (小笠原若狭守邸)
同年(1802)十月十九日、井上春策、 安井知得 に中押し勝ち (仙石伯耆守邸)
同年(1802)十一月五日、井上春策、 安井知得 に九目勝ち (仙石伯耆守邸)
享和三年(1803)一月九日、井上春策、 安井知得に中押し勝ち (仙石伯耆守邸)
同年(1803)四月十九日、井上春策、 安井知得 打ち掛け (仙石伯耆守邸)
同年(1803)五月十七日、井上春策、 山本源吉 に一目負け (稲垣殿打掛、同二十日中坊殿打終)

享和三年(1803)九月二十三日、井上春策(29)、 安井知得に一目勝ち (中坊殿)

享和三年(1803)十月一日、井上春策(29)、
安井知得に二目負け (春策上出来)

井上因碩春策 対 安井知得 38局 
春策13勝     知得21勝  4打掛 

文化二年(1805)閏八月十七日、八世井上因硕因達逝去,享年58歳
文化二年(1805) 十一月三日、九世井上因碩春策(31) 家督相続

文化二年 年齢 
井上春策 (31) 山崎因砂 (21) 服部因淑 (44) 橋本因徹 (8)
本因坊烈元 (56) 本因坊元丈 (30) 奥貫知策 (20) 葛野丈和 <19) 外山算節 (35) 山本源吉 (42)
安井仙知 (41) 安井知得 (29) 林門悦 (50) 舟橋元美 (27) 林鉄元 (20)

文化五年(1808)十一月十七日御城碁、井上因碩春策、 林門悦 に六目勝ち
寺社奉行:阿部正精(1806 - 1817)


寛政六年(1794)−文化六年(1809) 御城碁十六局(八勝六敗二分)

春策:遺符七十七局 (対元丈二十八局、対知得三十八局)

春策8勝  元丈13勝  持碁2局−打掛5局

文化七年(1810)八月八日、井上因碩春策没(享年三十六) 法号日逞
(墓石及び位牌には文化七年五月八日没となっている  実際は五月に没し、跡目決定を待って、八月に届けたものと推測される)
妙法尚操院因碩日逞居士

同年の文化七年二月二十五日、春策 父 佐藤武兵衛重望 没(81) 即證院釈穎生入海居士
母 於登久(70)、文化元年 十二月八日没 覚定院釈圓心貞乗大姉

文化七年(1810)十一月四日、山崎因砂(25) 十世井上因碩家督、九世因碩春策の二女の婿養子
(山崎因砂 (新次郎)-- 肥前唐津藩主 水野 式部少輔忠光 (39, 唐津藩第3代藩主, 水野忠邦の父)の家臣)
山崎新次郎は 主君に従い, 五月には,国元の肥前唐津に居たため、江戸に呼ばれ, 跡目決定を待って、八月に届けた
文化十四年(1817) 先番3目勝 安井知得仙知
文政三年(1820) 先番11目勝 本因坊元丈
文政七年(1824) 先番2目勝 本因坊元丈

文政七年(1824)七月二十七日、十世 井上因碩因砂隠居(39)
文政十二年(1829)十月二日、十世因碩因砂没(44)

同年の文政十二年十月二十九日、九世因碩春策妻没(54)、妙法尚操院妙果日貞大姉
天保二年(1831)九月十日、十世井上因碩因砂妻没(35)、妙法我蘭院妙乗日脱大姉  
 


link 麻布妙善寺ー井上因碩家歴代墓所
link 石見の十世井上因碩因砂
link 京都寂光寺ー本因坊算砂0805
link 巣鴨本妙寺 ー 本因坊家歴代墓所
link 中村道碩kazu 
link 中村道碩-II 



link 備後国神石郡上村庄屋



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