訪問者数  2004.8.22カウンタ設置    

010104  阿部昇著『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』からの学び    TOPへ戻る
       (補足 阿部昇著『文章吟味力を鍛える―教科書・メディア・総合の吟味』からの学び)
はじめに 2013.08.16

 このページ[ 01010401 阿部昇氏への質問 「まとめられ」とは何か ]を公開したのが2004.08.18頃だと思われる。2013.08.16現在、9年も経過している。
 阿部昇氏は、1996年に『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』を著し、2003年に『文章吟味力を鍛える―教科書・メディア・総合の吟味』を著している。このページ[ 01010401 阿部昇氏への質問 「まとめられ」とは何か ]で検討したのは、1996年の『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』である。私のこの公開した質問については、今もどう考えたらよいのかわからないままである。

 2003年の『文章吟味力を鍛える―教科書・メディア・総合の吟味』をもとに、もう一度これらの質問を考えてみたいと思い、以下 01010402 『文章吟味力を鍛える―教科書・メディア・総合の吟味』(以下『文章吟味力』と記す)による再検討 を順次掲載していく予定である。

01010402 『文章吟味力を鍛える―教科書・メディア・総合の吟味』(以下『文章吟味力』と記す)による再検討

(1)「まとめられ」 『文章吟味力』P61.62「ホタルのすむ水辺」  「第3段落は第4段落にまとめられていく」の検討

『文章吟味力』P60・61  2「論理よみ」の指導過程と教材の分析」

 「柱」はもちろん建築に使われるもので、ここでは比喩として使っている。柱は、それがないと家が崩壊してしまう骨格にあたる部分である。だから、それがなければ例えば「本文1」が成立しないという段落を「柱の段落」、それがなければその段落が成立しなないという文を「柱の文」、それがなければその文が成立しないという言葉を「柱の言葉」と呼ぶ。柱をある程度見きわめた上で、その柱と柱以外の関係を読んでいくという方法である。そうすることで、より効率的に論理関係を読んでいくことができる。
 段落相互・文相互の関係には、次のようないくつかのパターンがある。それらを、少しずつ子どもたちに学ばせていく必要がある柱と柱以外の関係が成立するのは、Aの部分である。Aは柱以外の段落・文が、柱の段落・文に対してどういう関係性をもっているかを示している。
 ただし、記録的な記述や具体例だけの場合は、特に柱にあたる段落や文が存在しない場合がある。

 『文章吟味力』P61
  段落相互・文相互の論理関係

A 従属→被従属(含まれる→含む)  a  推理的要素を含まない―(1)くわしく説明・例 (2)補足 (3)まとめられる
                        b 推理的要素を含む   ―(4)理由・原因 (5)前提
B 対等(並立)の関係「+」        a 累加 
                         b 対比

 たとえば、「ホタルのすむ水辺」の本文2ならば、「柱の段落」は第4段落である。第3段落はそれを導き出すための具体的な調査の紹介になっている。つまり、第3段落は第4段落にまとめられていっていることが見えてくる。
 次に柱の段落である第4段落の中の文相互の関係の解明である。第4段落の「柱の文」は第⑤文である。第①文~第④文は、その第⑤文を導き出すための根拠(理由)を記している。第⑤文に「だから」を補うと、そのことは一層はっきりする。また、第①文~第③文は「カワニナ」に関係した根拠(理由)、第④文は「交尾」「休息」に関係した根拠(理由)として相互に並列の関係になっている。

『文章吟味力』P62
  本文2の論理関係  [下の内容は、実際にはもっとわかりやすく図示してある]

[3]―まとめ→柱[4]
 [4]段落内の文関係
  〈 ( ①―②―③ )+ ④ 〉→ 柱➄

  ( ①―②―③ ) (どろの中にいるカワニナは、ご飯つぶをえさにし、カワニナはホタルの幼虫のえさになる)
   ④         (川べりの木は、ホタルの成虫の交尾や休息の場所になる)
   柱➄        [コンクリートで固めた、周りに木のない川には、ホタルはすめない]

阿部氏は、「ホタルのすむ水辺」の「第3段落は第4段落にまとめられていく」と説明している。「第3段落はそれを導き出すための具体的な調査の紹介になっている」=「第3段落は第4段落にまとめられていっている」と「まとめられ」の具体的説明をしている。しかし、「まとめられ」とは、どういう論理関係なのかについては、 『文章吟味力』P61.62でもよくわからないというのが、私の率直な感想である。

「ホタルのすむ水辺」の[3][4]段落は、次のとおりである。(文番号が施してある。)

[3]①ある人の話です。②その人の住んでいる所には、川が流れています。③川は、とちゅうで二本に分かれ、一本は家々の間を、もう一本は水田の横を流れます。④家々の間を流れるほうの川は、昔ながらの石積みで、岸辺にはヤナギの木などが立っています。⑤大雨がふると、川の水はどろ水のようににごるし、ふだんでも、ご飯つぶなどが流れています。⑥いっぽう、水田の横を流れる川は、最近改修されて、側面も底もコンクリートになりました。⑦農作業のとき、機械を出し入れしやすいように、川べりの木もありません。⑧水は、こちらのほうがとう明で、すんでいます。⑨でも、実際にホタルがいるのは、家々の間を流れる川のほうなのです。
[4] ①家々の間を流れる川には、どろの中にカワニナという貝がいます。②カワニナは、流れてくるご飯つぶなどをえさにしています。③そして、カワニナは、ホタルのよう虫のえさになります。④また、川べりの木は、ホタルの成虫の交尾や休息の場所になります。⑤コンクリートで固められた、周りに木もない川には、水はとう明でもホタルはすめません。

阿部氏の「まとめられ」とは、私の推測では、/[4]段落の①文の「家々の間を流れる川」とは、どんな川であるのか、事前に[3]段落③文~⑤文で説明している。また、[4]段落の⑤文の「コンクリートで固められた、周りに木もない川」とは、どんな川であるのか、事前に[3]段落⑥文~⑧文で説明している。/という論理関係を、「まとめられ」としてとらえているのではないかと思われる。

上のことは、/01010401  阿部昇氏への質問   「まとめられ」とは何か/ でも取り上げた以下の疑問と重なる。
(3)「シンデレラの時計」前文の「まとめられ」とは「柱の文の一部のくわしい内容を、柱の文の前に位置する文が説明する文関係」か?      
(4)「シンデレラの時計」前文の「まとめられ」を「くわしい説明の変則的用法」と定義しては都合が悪いか?

[3]段落と[4]段落の論理関係は、[3]段落が[4]段落にまとめられるという阿部氏のとらえ方について

私は、阿部氏のように「柱の段落がどこであるのか」という視点で段落関係をとらえようとしすぎることが、かえって論理関係をとらえにくくしてしまうのではないかと考える。以下、私の考えを述べる。

まず、この説明文の前文は、問題提示をしているという点では、阿部氏ととらえ方は同じである。ただし、阿部氏は、/前文が[1]段落で、柱の文が、➄文「それなら、川をきれいにすれば、ホタルはもどってくるのでしょうか。」である/と分析する。やはり、柱の文が最終的にどの文であるかという「柱の文さがし」をしている。

  『文章吟味力』P65  

 前文の柱は、第1段落の第⑤文「それなら、川をきれいにすれば、ホタルはもどってくるのでしょうか。」である。これが、この文章の問題提示となる。

私の考える前文[1]段落の柱の文は、③~➄文である。阿部氏のように、➄文のみが柱とは考えない。

③ そのホタルがいなくなってきた、人間が水をよごしたからだという声をよく聞きます。
④ それは本当なのでしょうか。
➄ それなら、川をきれいにすれば、ホタルはもどってくるのでしょうか。

上の問題提示に対して、答えを述べているのが、本文([2]段落から[10]段落まで)である。そして、一つ目の具体的な答えにあたるのが、[3][4]段落である。

さて、[3][4]段落の段落同士の論理関係は、非常にとらえにくい。ただ、私は、それ以前に、問いと答えという大きな枠組みで、とらえることが重要だと考える。

[3][4]段落全体が、問題提示に対する答え(その一)とみる。 そして、[3]段落の事実(家々の間を流れる川にはホタルがすみ、水田の横を流れる川にはホタルがすまない)の背景(理由)が、[4]段落で述べられている。私は、柱としては、[3]段落と考えるのだが、問題提示の答えとしては、[3]段落だけでは、不十分なので、[4]段落も含めて答えとする。

[3]①ある人の話です。
     [  ||  ]  …ある人の話の内容が以下の②~⑨文。
②その人の住んでいる所には、川が流れています。③川は、とちゅうで二本に分かれ、一本は家々の間を、もう一本は水田の横を流れます。
     [③「一本」が④「家々の間を流れるほうの川」へくりこむ  ③「もう一本」が⑥「水田の横を流れる川」へくりこむ ]
家々の間を流れるほうの川は、昔ながらの石積みで、岸辺にはヤナギの木などが立っています。
大雨がふると、川の水はどろ水のようににごるし、ふだんでも、ご飯つぶなどが流れています。
     [ ←→ ] 一般的対比 …④と⑥➆  ➄と⑧ という組み合わせの対比
いっぽう、水田の横を流れる川は、最近改修されて、側面も底もコンクリートになりました。
農作業のとき、機械を出し入れしやすいように、川べりの木もありません。
水は、こちらのほうがとう明で、すんでいます。

でも、実際にホタルがいるのは、家々の間を流れる川のほうなのです。 
     [ ↑ ]  ナゼナラ
[4] 
家々の間を流れる川には、どろの中にカワニナという貝がいます。
カワニナは、流れてくるご飯つぶなどをえさにしています。
そして、カワニナは、ホタルのよう虫のえさになります。
また、川べりの木は、ホタルの成虫の交尾や休息の場所になります。
     [ ←→ ] くずれた型の対比
コンクリートで固められた、周りに木もない川には、水はとう明でもホタルはすめません

[3]段落
ある人の話

 本流を同じくする二つの川がある。
 家々の間を流れる川…ホタルがすむ    …石積み・岸辺にヤナギの木・大雨のときどろ水・ふだんご飯つぶ
 水田の横を流れる川…ホタルがすまない …側面も底もコンクリート・川べりの木はない・水はとう明で、すんでいる

[4]段落
なぜ、家々の間を流れる川にはホタルがすむのか…カワニナという貝がいる。カワニナはご飯つぶなどがえさ。ホタルのよう虫のえさはカワニナ。木は、ホタルの成虫の交尾や休息の場所。
なぜ、水田の横を流れる川にはホタルがすまないのか…水はとう明でも、カワニナがすめない。ホタルのよう虫のえさがない。さらに、ホタルの成虫の交尾や休息の場所である木がない。

[3][4]段落は、問題提示[1]段落の③④➄文とどう対応しているのか

③ そのホタルがいなくなってきた、人間が水をよごしたからだという声をよく聞きます。
④ それは本当なのでしょうか。
➄ それなら、川をきれいにすれば、ホタルはもどってくるのでしょうか。

[3][4]段落の内容は、③④への直接的な答えになっている。ご飯つぶなどが流れる川にもホタルはすんでいる。ただし、水田の横を流れる川はきれいでもホタルはすめない。ホタルのすめる条件がそろわないと、川の水がきれいでも、ホタルはすめない。「人間が水をよごしても、ホタルにとってすみやすい条件があれば、ホタルはいなくならない場合もある。」=「人間が川をよごしたからホタルがいなくなってきたというのは本当ではない場合がある。」という答えがよみとれる。阿部氏は、柱の文にしぼって答えの文を探そうとしているため、「⑤コンクリートで固められた、周りに木もない川には、水はとう明でもホタルはすめません。」という答えとしてはっきりと本文に書いてある文にしか、目が届かなくなってしまうのではないだろろうか。なぜ、「コンクリートで固められた、周りに木もない、水は透明な川の事例」だけが取り上げられるのか疑問に私は感じる。「ご飯つぶなどが流れる、大雨の日にはどろ水の流れる川の事例」は、人間が川をよごしているという原因があるにもかかわらずホタルがすむという事例であり、「③ そのホタルがいなくなってきた、人間が水をよごしたからだという声をよく聞きます。④ それは本当なのでしょうか。」という問題に対する直接的な答えになっているのではないでしょうか。
また、[3][4]段落の内容は、➄への答えとしては、間接的な答えにはなっている。
[3][4]段落の内容だけでは、➄への直接の答えにならない。なぜなら、③の問いは「ホタルのいなくなった川」についての問いであり、⑤は「ホタルのいなくなった川」をきれいにすれば、ホタルがもどるのかという問いである。[3]段落で取り上げている川は、どちらも「ホタルのいなくなった川」ではない。特に水田の横を流れる川は、最近改修されてコンクリートになった川であり、この文章ではこの水田の横を流れる川が改修される前にホタルがすんでいたがすめなくなって、その後改修されたという経緯なのか全くわからないからである。(たぶん、改修される前は、ホタルがすむ川であったはずで、さらに周りに家々がないのだから、家庭から出るごみなども流れ込まないきれいな川であろう。ただし、カワニナのえさとなるご飯つぶは流れ込まないけれども、それに代わるえさはすんでいたのではないかと思われる。)しかし、「水田の横を流れる川のように川をきれいにするだけでは、ホタルの生育できる他の環境がそろわないとホタルはそこにはすめないのだから、ホタルはもどってはこれない。」という間接的な答えにはなっている。

(2)「まとめられ」 『文章吟味力』P95.96「花を見つける手がかり」  「第5段落は第6段落にまとめられていく 第6段落は第7段落にまとめられていく」の検討

 『文章吟味力』P95・96  2「論理よみ」の指導―論理分析」
 第一~第二の実験にあたる本文については、それぞれ実験の後に考察をしている部分が柱といえる。
 本文2(第一の実験)の柱は、第7段落の第④文と第8段落の第③文である。第7段落・第④文は「もんしろちょうは、色で花を見分けているのでしょうか。」と問いかけの形になっている。が、ここではじめて「色で花を見分けている」といった考察がでてくる。この第④文は、「もんしろちょうは、色で花を見分けている」可能性が出てきたという第一の実験の考察と、しかしそれはまだ断定できるまでのレベルには達していないという疑問「でしょうか」とを一つの文に同時に含ませているために、こういったわかりにくい柱の文になったと言える。
 その疑問を受けて、第8段落・第①文で「でも、そう決めてしまうのは、ちょっと早すぎます。」と、「色で花を見分けている」とはまだ断定できないことを示す。そして、第8段落・第③文で「色か、においか、――そこのところをたしかめるには、べつの実験をしなければなりません。」と、次の実験へ読み手を導く。

本文2の論理関係

[5]―まとめ→[6]―まとめ→柱[7] 柱の文④ もんしろちょうは、色で花を見分けているのか
                 柱[8] 柱の文③ 色か、においかを確かめるためにべつの実験が必要

阿部氏の「まとめられ」とはなにか、少しだけわかるのが、この部分である。「第一~第二の実験にあたる本文については、それぞれ実験の後に考察をしている部分が柱といえる。」とあるように、実験をもとに考察を述べている部分が柱だということなので、ここでの「まとめられ」とは、実験(柱でない部分)→考察(柱)と定義できそうである。ただし、[5]段落が[6]段落にまとめられていく部分については、何も述べられていないので、どんなまとめられなのかは不明である。

では、「実験(柱でない部分)→考察(柱)」とは、どんな論理関係なのだろうか。[5]段落から[8]段落をみてみよう。

 [5]①実験は、まず、花だんの花を使って始めました。②花だんには赤・黄・紫・青と、四種類の色の花がさいています。③少しはなれた所で、生まれてから花を見たことのないもんしろちょうを、いっせいに放しました。
[6]①もんしろちょうは、いっせいに花だんに向かってとんでいきます。②もんしろちょうは、生まれながらに、花を見つける力を身につけているようです。
[7]①花だんは、たちまち、ちょうでいっぱいになってしまいました。②注意して見ると、ちょうのよく集まる花と、そうでない花とがあります。③赤い花には、あまり来ていないようです。④もんしろちょうは、色で花を見分けているのでしょうか。
[8]①でも、そう決めてしまうのはちょっと早すぎます。②たまたま、花だんに植えた赤い花が、おいしそうなにおいを出していないのかもしれないからです。③色かにおいか、――そこのところをたしかめるには、べつの実験をしなければなりません。

[5]段落が[6]段落にまとめられるとは、こういうことではないかという井上の推理を述べる。(もし、違っていたら、阿部氏にご指摘をいただきたい。)

実験の前半

  [5]①実験は、まず、花だんの花を使って始めました。②花だんには赤・黄・紫・青と、四種類の色の花がさいています。③少しはなれた所で、生まれてから花を見たことのないもんしろちょうを、いっせいに放しました。
[6]①もんしろちょうは、いっせいに花だんに向かってとんでいきます。

実験の前半からの考察

 ②もんしろちょうは、生まれながらに、花を見つける力を身につけているようです。

という「実験」→「実験からの考察」の論理関係を、「まとめられ」と定義しているのではないかというのが、私の推理である。

[7]段落④文への「まとめられ」とは何か。

実験その一 全体

 [5]①実験は、まず、花だんの花を使って始めました。②花だんには赤・黄・紫・青と、四種類の色の花がさいています。③少しはなれた所で、生まれてから花を見たことのないもんしろちょうを、いっせいに放しました。
[6]①もんしろちょうは、いっせいに花だんに向かってとんでいきます。( ②もんしろちょうは、生まれながらに、花を見つける力を身につけているようです。)
[7]①花だんは、たちまち、ちょうでいっぱいになってしまいました。②注意して見ると、ちょうのよく集まる花と、そうでない花とがあります。③赤い花には、あまり来ていないようです。

実験その一 全体の考察

 ④もんしろちょうは、色で花を見分けているのでしょうか。
[8]①でも、そう決めてしまうのはちょっと早すぎます。②たまたま、花だんに植えた赤い花が、おいしそうなにおいを出していないのかもしれないからです。色かにおいか、――そこのところをたしかめるには、べつの実験をしなければなりません。

たぶん、実験その一全体からの考察にあたるのは、上の[7]段落④、[8]段落①②③であるというとらえ方が妥当ではないかと思う。
しかし、阿部氏は、[8]段落の①~③文の中で、どの文が柱なのか考え、③文が柱であるとする。もし、阿部氏の「まとめられ」の論理関係を突き詰めていくと、[7]段落④文も柱の文とは見なせなくなる。それは、こういうわけである。

[7]④もんしろちょうは、色で花を見分けているのでしょうか。(④は、「色なのか」という考察)
[8]①でも、そう決めてしまうのはちょっと早すぎます。
  ②たまたま、花だんに植えた赤い花が、おいしそうなにおいを出していないのかもしれないからです。(②は、「においの可能性もある」という考察)
二つの可能性があるという考察をもとにすると、次の③文がその結論となる。
色かにおいか、――そこのところをたしかめるには、べつの実験をしなければなりません。
上の論理関係は、[7]④・[8]①②が、[8]③の理由になっていると私は考える。結局、柱の文を追い求めていくと、[8]段落③文が究極の柱の文となる。

しかし、阿部氏は、ここまでの究極の柱の文にはしぼらない。それは、なぜなのだろうか。

[2013.08.31 この記事公開]


はじめに

  説明的文章の読み方指導の教材分析を進めるときに参考にさせていただいている阿部昇著『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』(以下『徹底批判』と 記す)の内容について、私が、新潟の読み研サークル誌「阿部昇著『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』を徹底批判する」の原稿も合わせて読 みながら疑問点をまとめてみました。阿部昇氏にも個人的にメールで質問をお送りして回答をお願いしてあります。もし、阿部昇氏からのご回答があれば、掲載 させていただければと個人的には考えています。
  このページは、阿部氏の本をめぐって、説明的文章の読み方指導に関わる理論的な疑問点をいろんな方から投稿していただき、議論の場にもできればと思ってい ます。私宛てにメールでご質問をお送りいただければ、このページに掲載させていただきます。その質問に対しての回答を読者の方からお寄せいただければ、こ のページ掲載させていただきます。

01010401  阿部昇氏への質問   「まとめられ」とは何か

『徹底批判』47・48の「まとめられ」の例文についての質問

阿部氏が「まとめられ」の例文として紹介しているのが、次の例文。阿部氏の「まとめられ」の説明も合わせて引用する。

たとえば

①鈴木さんは、フランス語・ドイツ語が話せ、そのうえタイ語も話せる。
②もちろん日本語も話せるから、鈴木さんは、つまり四か国語がはなせるのです。

という文関係の場合は、第①文が、「まとめられ」るかたちで第②文に従属、ないし含まれていると読める。

(1)上の阿部氏の「まとめられ」例文は、「例(事実)→柱」の関係と見て不都合があるのか?

阿部氏の例文は、②文が重文になっているので、話をわかりやすくするために、2文に例文を書きなおして話を進める。

①鈴木さんは、フランス語・ドイツ語が話せ、そのうえタイ語も話せる。
②もちろん日本語も話せる。
③鈴木さんは、つまり四か国語がはなせるのです。

①②文の事実を、③文が統括する文関係である。阿部氏の『徹底批判』には「例→柱」としか出てこないが、大西忠治氏の『説明的文章の読み方指導』(P137)には、次のように「柱=例や事実で柱をわかりやすくしている」例文が出ている。

①  科学の成果がもたらした戦後の非常に大きな影響は、いわゆるエレクトロニクス(電子工学)の進歩であります。
②  昔はエレクトロニクスはラジオに使われるとか、あるいはテレビに使われるとか、そういう程度のものでありますが、最近では、いわゆる電子計算機というようなものの性能が非常によくなって来ました。
③  人間が一生かかってもできないような計算を、ものの数分でやってしまいます。

①文が柱で、②文③文が「エレクトロニクスの進歩」の事実をあげている文関係である。阿部氏の例文と大西氏の例文の違いは、柱の文が先にあるのか、後にあるのかのちがいでしかないように思う。

(2)上の阿部氏の例文の「まとめられ」とは、「具体→抽象へのいいかえ」が本質的な定義になるのか?

(1)では、「例(事実)→柱」の関係とみていいのではないかと述べたが、阿部氏の「まとめられ」の本質的な定義は「具体→抽象へのいいかえ」であるというとらえでいいのか、というのが第2の質問である。この質問は、「柱←くわしく説明」とも関わる問題点です。

もし「例(事実)→柱」の関係とみないとしたならば、③文「鈴木さんは、つまり四か国語がはなせるのです。」という文は、①文「鈴木さんは、フランス語・ドイツ語が話せ、そのうえタイ語も話せる。」と②文「もちろん日本語も話せる。」の具体的事実を抽象化したいいかえとみることができる。ならば、阿部氏のこの例文の「まとめられ」の本質的定義は、「具体的内容を抽象的な表現へのいいかえ」と規定していいのかという質問である。あたらしく「まとめられ」という柱と柱以外の関係を導入するなら、阿部氏の「まとめられ」とはどういう文関係をいうのか、定義をはっきりさせないといけないと私は思う。

『徹底批判』201の「シンデレラの時計」前文の「まとめられ」についての質問

次に、違う形の「まとめられ」として扱っている「シンデレラの時計」第1段落から第3段落をとりあげる。

[1]「真夜中の十二時を少しでも過ぎてはいけない。もし十二時より少しでも長く舞踏会に残ったりすると、馬車は元のかぼちゃに、馬ははつかねずみに、従者はとかげに、着ているものも元の古い服に戻ってしまうよ。」
[2]①シンデレラは仙女から約束の時間を守るよう厳しい注意を受け、あこがれの舞踏会に出かけた。②一日目の夜は、時計が十一時四十五分の時を打つのを聞くや、彼女は急いでお城を抜け出し、約束の時間に遅れないように帰ってきた。③ところが二日目の夜は、時のたつのも忘れ、はっと気がついてみると、時計が十二時を打っているではないか。④シンデレラはガラスの靴を残したまま、慌ててお城を飛び出したものの、そのときには、もう魔法が解けて、元の貧しい娘の姿に戻っていた―――。
[3]①これは、だれでもが知っている「シンデレラ」の話である。②哀れなシンデレラがついには王子に見いだされ、幸せをつかむという話は、子供心にほのぼのとした夢をかき立てられたものである。③ところがよく考えてみると、この話には気になる点が幾つかある。

阿部氏は、上の部分の文関係を次のように述べている。

  第1段落では、「シンデレラ」の中の仙女の言葉、第2段落では、それを受けて「シンデレラ」全体の話を紹介している。第1段落が、第2段落に含み込まれていく関係である。そして、第3段落で、さらにそれを受け「ところが、よく考えてみると、この話には気になる点が幾つかある。」と、読者をこの文章の中心話題へと誘い込む。逆に見ると、第3段落の誘い込みのために、第1段落・第2段落が位置付けられているとも言える。
  関係としては、第1段落が第2段落に「(3)まとめられ」、その第2段落は第3段落に「(3)まとめられ」ていくかたちである。
  したがって、「前文」の「柱の段落」は、第3段落。「導入」の前文である。そして、「柱の文」は、今引用した第③文「ところがよく考えてみると、この話には気になる点が幾つかある。」要約は、もうこの第③文そのままでよいだろう。

(3)「シンデレラの時計」前文の「まとめられ」とは「柱の文の一部のくわしい内容を、柱の文の前に位置する文が説明する文関係」か?      
(4)「シンデレラの時計」前文の「まとめられ」を「くわしい説明の変則的用法」と定義しては都合が悪いか?

『徹底批判』P47・48の「まとめられ」と『徹底批判』P201の「まとめられ」とは、タイプが異なるので、阿部氏の2つ目の「まとめられ」例文としてとりあげる。

新潟の読み研のサークルは、このタイプの「まとめられ」を「くわしい説明」の変則的な用法として教材分析に生かせると考えている。
代表として五十嵐淳氏の「『「説明的文章教材」の徹底批判』(阿部昇著)における「補足」と「まとめられ」を検討する――「シンデレラの時計」を中心に――」の原稿には、上の「まとめられ」について次のように書かれている。(P84)

  確かに「くわしい説明」が先にきて「柱」が後にくるというのは、一般的にはそぐわない感がある。したがって、分かりやすくするために、それを「まとめられ」と言うのは、一つの工夫だと思われる。

では、「シンデレラの時計」前文の「まとめられ」を見ていく。
「第1段落が第2段落に「(3)まとめられ」」ると、阿部氏は述べているが、もっと細かく見ていくと「第1段落が、第2段落の第①文に「まとめられ」る」のである。
ドノヨウニ「シンデレラは仙女から約束の時間を守るよう厳しい注意を受け」たのか、第1段落が説明している。つまり、第2段落第①文の一部「シンデレラは仙女から約束の時間を守るよう厳しい注意を受け」のくわしい内容を、柱の文の前に位置する文が説明している文関係を「まとめられ」という用語で規定しているのかというのが、三つ目の疑問である。そして、もしそうなら新潟の読み研サークルのいうように「まとめられ」とは「くわしい説明の変則的用法」として位置付けることはいかがなものかというのが、四つ目の疑問である。

(5)「シンデレラの時計」前文の「まとめられ」は、湯澤正範氏の思考ユニットという考え方の「くりこみ展開」と本質的には同じではないか?

大西忠治氏の文と文との関係の整理以外に、湯澤正範氏の『日本語のかたち考え方のしくみ』(文芸社)の思考ユニットという考え方がある。湯沢氏の文と文との関係については、010402  思考ユニットの整理『日本語のかたち考え方のしくみ』(湯澤正範著 文芸社)としてまとめてあるので、参照して欲しい。
湯沢氏の「くりこみ展開」という見方が、「シンデレラの時計」前文の「まとめられ」と同じではないかと思うので、湯沢氏の『日本語のかたち考え方のしくみ』から「くりこみ展開」の中の「同語反復によるくりこみ展開」の説明の部分(P57)を引用する。

(1)同語反復によるくりこみ展開

例1

1.赤ちゃんは、おかあさんのおなかにあるふくろの中で大きくなります。
2.ふくろからは、細いくだがのびていて、赤ちゃんのおなかのまん中につながっています。
3.そのくだの中には、赤ちゃんの血がながれています。

  この三つの文のつながりは、第1文中の一語「ふくろ」が第2文で反復され、第2文のテーマとなっていること、さらに第2文の中の一語「くだ」が第3文に反復され、テーマ化していることによる。
  第2文に反復されテーマ化された「ふくろ」は、単に第1文の構文に用いられた一単語としての「ふくろ」ではなく、「赤ちゃんがそこで大きくなる、おかあさんのおなかにあるふくろ」であって、いわば第1文の全情報を担った「ふくろ」なのである。
  そしてその「ふくろ」がテーマとなって、「細いくだがのびていて、赤ちゃんのおなかのまん中につながっている」という新しい情報が加わる。こうして第1文から第2文へと脈絡が出来ながら、情報が展開しているのである。
  同じように、第3文のテーマ「そのくだの中には」の「くだ」は、第2文の全情報を担ったものであり、そのテーマにまた新しい情報が追加される。第2文のテーマには、すでに第1文の全情報がくりこんでいるから、第3文のテーマ「そのくだの中には」には、第1、第2文の全情報がくりこんでいることになる。
  まとめてみると、この例の場合は、同語反復により前文が後文のテーマ部にくりこみ、新情報が付加されて、文と文の間に脈絡をつくりながら展開していることになる。

阿部氏の「まとめられ」を使って、上の例1の文関係を説明してみると、こうなる。
1文が2文の「ふくろ」に「まとめられ」、2文が3文の「そのくだ」に「まとめられ」ている。柱の文は、3文になる。ただし、3文は、1文と2文の全情報がくりこんでいる。すべての情報をくりこんだ3文を1文で表現すると、「赤ちゃんが大きくなるおかあさんのおなかにあるふくろから、あかちゃんのおなかのまん中につながっている細いくだの中には、赤ちゃんの血がながれています」ということになる。

そういうふうに「まとめられ」をとらえると、例文1の柱の文は3文なのだが、(1文+→2文+→3文)というような図式で表現すべき文関係のように思われる。前の文の情報が、次の文の一部に保存され、その全情報が、次の文へと連続して保存されていく関係がシンデレラの時計前文の「まとめられ」の本質ではないか。

『徹底批判』59・60の「魚の感覚」前文の「まとめられ」(問題提示への)についての質問

最後に、問題提示の文へ「まとめられ」ていく例文を検討する。

「魚の感覚」第1段落

①  金魚ばちの中で、金魚が、無心に泳いでいます。           
② そこへ、金魚のえさとして、赤えびの一きれを投げてやると、水底にいた金魚まで、それを見つけて集まってきます。   ③ 金魚は、赤えびの赤い色に目をひかれたのでしょうか。      
④  それとも、投げこんだときの、かすかな音を聞きつけたのでしょうか。
⑤ それとも、えびのにおいをかぎ分けたのでしょうか。

  では、第1段落の文関係、そして「柱の文」を明らかにしていこう。
  第1段落は、まず大きく二つに分かれる。第①文~第②文と、第③文~第⑤文である。そして、第①文~第②文は、要するに金魚がえさを見つけて集まってくるという事実提示。それに対して、第③文~第⑤文は、その事実についての「問い」を発している。
  まず、第①文と第②文は、「B対等」で「a累加」。第③文・第④文・第⑤文も、三つともに「B対等」で「a累加」と読める。
  そして、既に「構造よみ」で読んできたように、この「前文」は、この文章全体を支配する「問題提示」の役割をもつものである。とすると、ここでは明らかに第3文~第5文の「問い」こそが、段落を支えていることはわかる。そして、第1文と第2文は、それを引き出すために置かれていることもわかる。
  だから、第1文~第2文と第3文~第5文の関係は、「A従属→被従属」、その中の「a推理的要素を含まない」関係であると読める。そして、さらにその中の「(3)まとめられ」にあたると思われる。

(6)問題提示へ「まとめられ」ていく文関係は、「柱←事実」の発展的用法とみてはいかがなものか。「柱(問題提示)←事実」という新しい文関係を設定してはいけないだろうか。

 問題提示へ「まとめられ」ていく文関係は、問題提示の文を重要な役割をもつ文であると考えると、新らしく「柱(問題提示)←事実」という文関係に整理してはいかがなものか、というのが六つ目の疑問である。

  「問いと答え」の文関係は、どちらを柱とするかというと、私は、「問い」を柱として考える立場である。また「問い」を柱としない立場であっても、「問題提示」は論理関係を押さえる上で、重要な役割をもっているという点では、一致していると思う。

  そこで、新しく「柱(問題提示)←事実」という文関係を追加しておけば、「まとめられ」という用語は使わなくてすむし、明確に文関係を説明できると思う。

(7)「魚の感覚」第1段落の①文は②文に「まとめられ」という見方もできるのではないか?

  阿部氏は「第①文と第②文は、「B対等」で「a累加」。」と述べているが、①文で述べられている内容が、②文の「そこ」に「まとめられ」ているという見方もできはしないか、というのが七つ目の疑問である。言いかえると、柱の文は、②文という見方もできるのか、というのが七つ目の疑問である。
  (5)「シンデレラの時計」前文の「まとめられ」は、湯澤正範氏の思考ユニットという考え方の「くりこみ展開」と本質的には同じではないか?の項で述べたかったのは、この「魚の感覚」第1段落の①文と②文のような文関係である。
  簡単に言うと、このような「まとめられ」関係は、「累加」の関係として処理することもできるのであるから、②文を柱の文とする場合は、②文のみが単独で柱の文であるとみるのではなく、①文の内容が「くりこんでいる」と考えるのである。つまり、②文を柱の文とする場合は、「金魚が、無心に泳いでいる金魚ばちのなかへ、金魚のえさとして、赤えびの一きれを投げてやると、水底にいた金魚まで、それを見つけて集まってきます。」という形で考えるのである。

上のように考えると、
(8)「魚の感覚」第1段落の①文・②文の「まとめられ」は、「累加」(柱+柱)としてとらえつつ、柱の文を考える必要があるのではないか?