0101010 読み研方式による教材研究        TOPへ戻る

010101002 ビーバーの大工事[思考ユニット・読み研方式などによる複合教材研究]   

はじめに 
 東京書籍小学校二年教材に「ビーバーの大工事」という記録文がある。たまたま、教材研究をする必要に迫られ、取り組んでみた結果を、このページに公開することとした。読み研方式以外の教材分析方法も取り入れているので、そのことについても補足説明を加えていきたい。


ビーバーの大工事の教材研究

ホームページで見やすいように、ビーバーの大工事の分析図を書き直すのは難しいので、下のところから、PDFファイルをダウンロードできるようにしてあるので、そちらをまずは、見ていただきたい。読み研方式の柱の文にしぼっていく論理よみについては、表の右端の部分に書き込んである。柱の文は、二重○囲みで図示するのが普通だが、はっきりと分かりにくいので、ひし形で囲んであるのが、柱の文である。

ビーバーの大工事 分析図(その1) …[1]段落から[8]段落@文まで
ビーバーの大工事 分析図(その2) …[8]段落A文から[16]段落まで
ビーバーの大工事 分析図(その3) …[17]段落から[20]段落まで   + 読み研の構造よみ  + 教材文

東京書籍にお送りした「教材分析図」は、ここ。←pdfファイルとしてダウンロードできます

分析図の補足説明  その1

モダリティ‖テンポラリティ‖パーソナリティ  について

文というのは、モダリティ‖テンポラリティ‖パーソナリティという陳述性をもっているということで、そのあたりの一文ごとの分析もしてあります。

[モダリティとは]
 モダリティには、まず、〈文のうけ手へ(あい手)への関係づけ〉の観点から、〈のべたて〉(相手に伝える)と〈たずね〉(相手に尋ねる)との対立がみられる。 
 さらに、〈現実の断片(対象的な内容)への関係づけ〉の観点からは、〈うつし〉〈つくり〉〈ひきうつし〉の対立がある。
   〈うつし〉のモダリティは〈対象的な内容とした現実が、文のつくり手の意識の外に客観的に実現している〉として、
   〈つくり〉のモダリティは〈対象的な内容とした現実が、文のつくり手の意識のなかでつくりだされた〉として、
   〈ひきうつし〉のモダリティは〈対象的な内容とした現実が、他からの情報源から得た〉として、
文のうけ手に手わたすカテゴリーである。

妹が帰った…のべたて うつし
妹は 帰るだろう。妹が 帰ってほしい。妹よ、帰れ(帰ってくれ)。…のべたて つくり
妹が 帰ったそうだ。…のべたて ひきうつし
妹は 帰ったか?  …たずね

[テンポラリティ]
「文のつくり手」が、文をつくる時点を基準として、それより前にあったできごと(過去)なのか、これからおこるできごと(未来)なのか、ちょうどその時に実現しているできごと(現在)なのかなど、時間をあらわしわける〈テンポラリティ〉。
「根は かたい。」のように、〈対象的な内容〉が〈性質〉の文は、〈過去〉〈現在〉〈未来〉といった特定の時間にはしばられない。このような文のテンポラリティを〈超時〉という。

[パーソナリティ]
「文のつくり手」からみて、〈対象的な内容〉の話題が「だれ(なに)」についてのことなのかを〈1人称〉〈2人称〉〈3人称〉…としてあらわしわける〈パーソナリティ〉
主語が、私 なら〈1人称〉、あなた なら〈2人称〉、彼・彼女ら なら〈3人称〉で、人間が主語なら、これらを大きく〈ひと称〉。
 それに対して、〈対象的な内容〉の話題が「人」ではなく、「物」や「事」であるばあいは、それぞれ〈物称〉〈事称〉として区別する。

川の両岸には、草木がびっしり茂っていた。(あすは91)    …〈物称〉
結局盛大な国葬が営まれた。(あすは92)           …〈事称〉

 また、だれにもみとめられることがらを〈対象的な内容〉とする文の人称は〈一般人称〉といい、〈対象的な内容〉のなかに、人称をみとめることができないものを〈無人称〉とよぶ。

この国の太平洋沿いの地域では、魚をよく食べる。(天声人語91)…〈一般人称〉
いい天気だねえ。(オツベルと象)   …〈 無人称 〉

ビーバーなどの動物などが主語の場合は、物称 とするそうです。

東京書籍の回答にあるように、次の文が 未来 のトキを表わすとすると
木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。

モダリティは、   のべたて つくり ←つくりなので、実際には起きていない。
テンポラリティは  未来
パーソナリティは  物称

となります。

私は、この文は、現在 のトキ を表わすとみていますので

モダリティは、   のべたて うつし ←うつしなので、現実に起きている。
テンポラリティは  現在
パーソナリティは  物称

と、陳述性を分析します。ですが、この記録文を、一文ずつ陳述性を検討していくとよくわからない文がいくつもでてきてしまいます。
このあたりは、この説明文の書かれ方に、問題があるように、個人的には考えています。

分析図の補足説明  その2

湯澤正範氏の思考ユニットについて

読み研の説明的文章の論理関係の整理の仕方として、柱と柱の関係、柱とそれを支える文(段落)の関係が、大西忠治氏によって提起されたものがある。大西氏は、特に説明的文章に限って論理関係をとらえることを行ってきた。
その大西氏の論理関係の整理とは、別に、林四郎氏の文法理論をもとに、湯澤正範氏も文の論理関係を独自に追及してきた。湯澤氏は、説明的文章でけでなく、小説や詩においても理解や表現に役立つであろう論理関係の整理に取り組んできた。くわしくは、『日本語のかたち考え方のしくみ  日本語における思考ユニットの国語の授業』(文芸社)[以下『日本語のかたち考え方のしくみ』と略す]という本を参照。

この記録文における主な思考ユニットの説明

[その1]継起展開

分析図 の中に […→]という記号がついている文と文との関係は、思考ユニットの中の「継起展開」として整理されているものである。

「継起展開」とは、同一主体の時間的経過に従って展開する行動や動きを思考ユニットである。行動や動きの経過からその主体の本質をとらえようとする思考ユニットであるともいえる。[『日本語のかたち考え方のしくみ』P144]
例えば、小学校3年下「虫のゆりかご」の次の3文は、継起展開。

1 歩き回っていた虫が、葉っぱの根元の近くで止まった。
   […→]
2 あっ、虫が葉っぱを横に切り出した。
   […→]
3 するどくとがったあごを使って、切っている。

この記録文においては、ビーバーの動きが、継起展開で記録されている。

 ビーバーは、切りたおした木を、さらにみじかくかみ切り、ずるずると川の方に引きずっていきます。
   […→]
そして、木をしっかりとくわえたまま、上手におよいでいきます。
   ‖ 一般的いいかえ
 ビーバーは、ゆびとゆびの間にじょうぶな水かきがある後ろ足で、ぐいぐいと体をおしすすめます。おは、オールのような形をしていて、上手にかじをとります。
   […→]
 ビーバーは、木をくわえたまま、水の中へもぐっていきます。
   […→]
そうして、木のとがった方を川のそこにさしこんで、ながれないようにします。
   […→]
その上に小えだをつみ上げていき、上から石でおもしをして、どろでしっかりかためていきます。

ちなみに、読み研の論理関係の整理においては、継起展開は記録文の範疇に入り、すべて柱と柱の関係。

[その2]スルト型展開 の 中の  刺激→反応

分析図の中に [刺激→反応] (順接) という記号がついている文と文との関係は、思考ユニットの中の「スルト型展開 の [刺激→反応] (順接)」として整理されているものである。

「スルト型展開」とは、「条件―帰結」の関係にあって展開する思考ユニットである。「こうスルとこうナル。」と、関連して起こる二つの事実関係から、その奥にある法則性を追究する、いわゆる帰納的思考をうながす思考ユニットである。ちなみに、読み研の論理関係の整理においては、スルト型展開は記録文の範疇に入り、柱と柱の関係になるとみてよいだろう。
スルト型展開を次の二つに大別する。
(1)行為→展開
  主体の行動と、それによって展開する客体の事態との関係のとらえ。(次の例1)
(2)刺激→反応
  (A)客体の状況認知と、それによって主体側に起こる反射反応の関係的とらえ。これを特に「認知→反射」という。(次の例2)
  (B)客体間の一方の動きと、それを刺激として起こる他方の反応の関係的とらえ。(次の例3)[『日本語のかたち考え方のしくみ』P160 161]

例1
コルクの栓をしたフラスコを両方の手のひらで暖めた。
  [行為→展開](順接)
すると、コルクの栓が飛んだ。

例2
エルフは、年をとって、ねていることがおおくなり、さんぽをいやがるようになった。
  [認知→反射](順接)
ぼくは、とてもしんぱいした。

例3
ありは、やがて、巣に帰っていきました。
  [刺激→反応](順接)
すると、巣の中から、たくさんのはたらきありが、つぎつぎと出てきました。

この記録文においては、ビーバーの動き(かじる)によって木が倒れるという関係の部分に、スルト型展開  [刺激→反応](順接) が見られる。

A ビーバーが、木のみきをかじっています。
      ガリガリ、ガリガリ。
      すごいはやさです。
    [刺激→反応](順接)
B 木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。

AとBの文関係が、スルト型展開  [刺激→反応](順接)である。この二つの文の関係においては、Aという刺激によって、Bという反応が起きたととらえてよい。
ところが、この記録文には、次のような スルト型展開  [刺激→反応](順接) と一見見える文関係が出てくる。

C 近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。
     するどくておおきいはは、まるで、大工さんのつかうのみのようです。  ←この文は、Cにつながる。
…[[CとDの文関係は、 [刺激→反応](順接) と一見見える]]…
     ドシーン、ドシーン。    ←この文は、Dの文につながる。
D あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。

実は、CはAのビーバーに近づいての描写であり、Cの動きによって、実はBの「ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。」という反応を引き起こすように文関係は読み取れます。Dの「こちらでも木がつぎつぎにたおされていきます」という反応にCの文はつながるという見方もできますが、「あちらでも木がつぎつぎにたおされていきます」という反応にはCの文はつなげることはできません。
私は、Dの文は、[2]段落から「ビーバーが、木のみきをかじっています」と観察し続けてきたビーバーではなく、[11]段落に初めて出てくる「家族のビーバーたちも、はこんできた木をつぎつぎにならべ、石とどろでしっかりとかためていきます。」と書かれている家族のビーバーたちが実は「あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木をかじっている」という書かれていない動きによって引き起こされたことであるととらえます。

そう考えると、Dの文は、Cの文とは無関係に起きた周りの出来事ととらえられます。それで、私は、Dの文頭に「その後」というような言葉が省略されているとみて[その後 省略 くりこみ]展開であると、とらえました。

そのあたりの文関係については、東京書籍にお送りした「教材分析図」(下のところからダウンロードできます)を、ご参照ください。

東京書籍にお送りした「教材分析図」は、ここ。←pdfファイルとしてダウンロードできます

[その3]構文要素の独立
一つの文を構成するある部分が独立したと考えられる文(構文素文)とその構文素文を意味的に統括できる述語を持つ本体の文との関係を、一つの思考ユニットとする。[『日本語のかたち考え方のしくみ』P67]
構文素文とは、文として独立した形を取っているが、実質はその前後の(文の)構文要素と考えられるもの。[『日本語のかたち考え方のしくみ』P47]
次のように、構文素文と統括文とで一つの文の塊をなす。パターンとしては、構文素文が、統括文の前か後にくる2パターンがある。

構文素文
  ↓
統括文

あるいは

統括文
  ↑
構文素文

イツ構文要素の独立  [『日本語のかたち考え方のしくみ』P67]

四じかんめのことです。 
     ↓
一ねん二くみの子どもたちがたいそうをしていると、空に、大きなくじらがあらわれました。 

(※イツ構文素文)

 (イツ構文素文)を統括できる本体の文

読み研の論理関係の整理においては、上の二つの文関係は、柱と柱の関係としかとらえることはできない。しかし、思考ユニットによる文と文とのつながり方の整理では、この二つの文は、一つのまとまりととらえることができる。簡単にいうと、「四じかんめのこと、一ねん二くみの子どもたちがたいそうをしていると、空に、大きなくじらがあらわれました。 」という一文として、この二文はとらえることができる。
(※)湯澤氏は、構文要素の独立で示した多様な構文要素文に、(構文素文)とだけ表記している。井上が、どのような要素の独立なのか分かりやすいように、(イツ構文素文・ドコ構文素文・主語構文素文・ナニト構文素文・ドノヨウニ構文素文…)などと付け加えている。

ドコ構文要素の独立  [『日本語のかたち考え方のしくみ』P68]

ここは、雑木林の中。 
     ↓
あちらこちらに、農家が見える。    
 (ドコ構文素文)

 (ドコ構文素文)を統括できる本体の文

読み研の論理関係の整理においては、上の二つの文関係は、柱と柱の関係。

ダレは・ダレが構文要素の独立  [『日本語のかたち考え方のしくみ』P69]

一まいの葉っぱの上に、ちょこっと乗った黒っぽい小さな虫。
     ↓
何かをさがすように、あちこち歩き回っている。 
(主語構文素文)

(主語構文素文)を統括できる本体の文

読み研の論理関係の整理においては、上の二つの文関係は、柱と柱の関係。

ドノヨウニ構文要素(会話・内話)の独立    [『日本語のかたち考え方のしくみ』P70]

スイミーは言った。  
    ↑
「出てこいよ。みんなであそぼう。おもしろいものがいっぱいだよ。」 
(※ナニト構文素文)を統括できる本体の文

(ナニト構文素文)

/スイミーは「出てこいよ。みんなであそぼう。おもしろいものがいっぱいだよ。」 と言った。 /という一文として、この二文の論理関係はとらえることができる。セリフが独立した文が、(ナニト構文素文)である。
※(ナニト構文素文)と表現したのは、井上である。(ドノヨウニ構文素文)という表現だと、セリフなのかしゃべり方なのかはっきりしないからである。

春が来て、目がさめて、くまさん、ぼんやり考えた。 
     ↑
さいているのは、たんぽぽだが、ええと、ぼくはだれだっけ。 
(ナニト構文素文)を統括できる本体の文

(ナニト構文素文)

内話(心の中のセリフ)が独立した文が、(ナニト構文素文)である。

ドノヨウニ構文要素(修用語)の独立    [『日本語のかたち考え方のしくみ』P75]

ある月のきれいなばんのこと、おかみさんは、糸車をまわして、糸をつむいでいました。 
       ↑
キーカラカラ キーカラカラ キークルクル キークルクル
(ドノヨウニ構文素文)を統括する本体の文

(ドノヨウニ構文素文)

糸をつむいでいるときの音が「キーカラカラ キーカラカラ キークルクル キークルクル」。
おかみさんが、ドノヨウニ糸をつむいでいたのか。それは、キーカラカラ キーカラカラ キークルクル キークルクル。という文関係。
読み研の論理展開の整理では、前文が柱で、後文がくわしく説明という関係になるのか、それとも柱と柱の関係なのかは、よくわからない。

ナニを構文要素(目的語)の独立[『日本語のかたち考え方のしくみ』P78]

1  スイミーは教えた。          
      ↑
2  けっして、はなればなれにならないこと。
       +
3  みんな、もち場をまもること。
(ナニを構文素文塊)を統括する本体の文


(ナニを構文素文塊)

2・3文のかたまりが、1文のナニを要素となって、述語「教えた」に統括されている。
読み研の論理展開の整理では、前文が柱で、後文がくわしく説明という関係になるのか、それとも柱と柱の関係なのかは、よくわからない。
2文と3文の文関係に「+」(プラス)記号がついているが、湯澤先生の思考ユニットにおいては、並び という文関係の時、「+」(プラス)記号を使うので、注意してほしい。

ナゼ構文要素(理由などの補足説明)の独立 [『日本語のかたち考え方のしくみ』P79]

でも、しめりけの多い日や、雨ふりの日には、わた毛のらっかさんは、すぼんでしまいます。
      ↑
それは、わた毛がしめって、おもくなると、たねを遠くまでとばすことができないからです。
(ナゼ構文素文)を統括する本体の文

(ナゼ構文素文)

読み研では、柱と理由という関係。この場合は、前文が柱で、後文が柱の理由を述べるという関係である。
読み研では、/柱←理由  理由→柱/と、柱が前でも後ろでも関係なく、柱と理由という文関係で論理関係を把握する。
思考ユニットにおいては、理由が後にくる場合は、理由の補足説明としてとらえる。一方、理由を述べてから結論を述べる論理関係を ソコデ型展開 として区別している。ソコデ型展開については、 [『日本語のかたち考え方のしくみ』P181〜194]参照。

そそぎ(連体修飾部)の独立    [『日本語のかたち考え方のしくみ』P81]

最初の車輪は、荷物の下にまるい木をならべて転がすものであった。
    ↑
コロとよばれるものである。
(ドンナ構文素文)を統括する本体の文

(ドンナ構文素文)

「荷物の下にまるい木をならべて転がすもの」についての説明が、後文である。
読み研では、柱←説明という文関係である。

陳述部、先走りの独立     [『日本語のかたち考え方のしくみ』P84 85]

ところがたいへん。
   ↓
あんなに気をつけて歩いていたのに、おじいさんは、石につまずいて転んでしまいました。
(構文素文 表出)

(構文素文 表出)を統括する本体の文

「ところがたいへんなことに、あんなに気をつけて歩いていたのに、おじいさんは、石につまずいて転んでしまいました。」という第2文の陳述部表出段階の先走り部分が独立して、第1文となったと見られる。

そうです。
  ↓
広い空は、楽しい所ではなく、とてもこわい所にかわりました。
(構文素文 判断)

(構文素文 判断)を統括する本体の文 

「そう広い空は、楽しい所ではなく、とてもこわい所にかわりました。 」という第2文の陳述部判断段階の先走り部分が独立して第1文になったと見られる。

すると、どうでしょう。 
   ↓
くらいジャングルの中から、空き地を目がけて、十四の緑の目が、近づいてくるではありませんか。
(構文素文 表出)

(構文素文 表出)を統括する本体の文

「すると、どうでしょう、くらいジャングルの中から、空き地を目がけて、十四の緑の目が、近づいてくるではありませんか。 」という第2文の陳述部表出段階の先走り部分が独立して、第1文になったと見られる。

そうしたら子どもたちよ。
   ↓
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時が来るでしょう。
(構文素文 伝達)

(構文素文 伝達)を統括する本体の文

「そうしたら子どもたちよ、もう一度ゆずり葉の木の下に立ってゆずり葉を見る時が来るでしょう。」という第2文陳述部伝達段階の先走り部分が独立して第1文になったと見られる。

条件句の独立   [『日本語のかたち考え方のしくみ』P86] 

仮に、マンホールのふたが、星形のような複雑な形だったとしよう。
    ↓
工事などで重いふたを外し、再び同じ状態にもどすとなると、向きを合わせなければならず、たいへんやっかいである。
(条件句 構文素文)

(条件句 構文素文)を統括する本体の文

第2文の条件句の一つが独立して第1文となっている。

でこぼこのせまい小道や、青草の中の細道ならば、まさか、あいつらが追っかけてくることもないでしょう。
    ↑
シモツケソウの白いかわいい花がせなかにしだれかかるアーチの下や、やさしいヤナギランのしげみをたどっていけば。
(条件句 構文素文)を統括する本体の文

(条件句 構文素文)

独立して構文素文となっている第2文は、第1文の条件句「でこぼこのせまい小道や、青草の中の細道ならば」をいいかえたものである。

ビーバーの大工事に見られる 構文要素の独立

その1   ドコ構文要素の独立  ドノヨウニ構文要素(修用語)の独立

[1] @ここは、北アメリカ。         (ドコ構文素文) その1

   A大きな森の中の川のほとりです。(ドコ構文素文) その2
       ↓
[2] ビーバーが、木のみきをかじっています。 
       ↑
[3] ガリガリ、ガリガリ。       (ドノヨウニ 構文素文)その1

[4] @すごいはやさです。       (ドノヨウニ 構文素文)その2


(ドコ構文素文塊)

(ドコ構文素文塊)と(ドノヨウニ 構文素文塊)とを統括する本体の文
(ドノヨウニ 構文素文塊)

補足  /[4]@すごいはやさです。 /を /[2]ビーバーが、木のみきをかじっています。/ の(ドノヨウニ 構文素文)とみたが、もしかすると、次のような論理関係かもしれない。

 別の見方の可能性    ドノヨウニ構文要素(修用語)の独立

[4]@すごいはやさです。
       ↓
A木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、
みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。
(ドノヨウニ構文要素文 修用語)

(ドノヨウニ構文要素文 修用語)を統括する本体の文

Aの「木のかわや木くずがとびちる」様子を、@「すごいはやさです」が説明しているという見方も可能。段落分けを重視すると、この見方が妥当かもしれません。

その2   そそぎ(連体修飾部)の独立

[5] @近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、
下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。
       ↑
Aするどくておおきいはは、まるで、大工さんのつかうのみのようです。 
(ドンナ構文素文)を統括する本体の文


(ドンナ構文素文)

前文の「したあごのするどいは」のくわしい説明が、後文になっている。

その3   ドノヨウニ構文要素(修用語)の独立

[6]ドシーン、ドシーン。  
      ↓
[7]あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。
(ドノヨウニ 構文素文)

(ドノヨウニ 構文素文)を統括する本体の文

前文が、後文の「たおされていきます」の様子を説明している。

その4  そそぎ(連体修飾部)の独立

[14]こうして、つみ上げられた木と石とどろは、
一方の川ぎしからはんたいがわの川ぎしまで、
少しずつのびていき、やがて川の水をせき止めるりっぱなダムができあがります。
     ↑
[15]今までに見つかったビーバーのダムの中には、
高さ二メートル、長さ四百五十メートルもある大きなものもあったということです。
(ドンナ構文素文)を統括する本体の文



(ドンナ構文素文)


[その4]  いいかえ    [『日本語のかたち考え方のしくみ』P116 〜135]

 「いいかえ」は、発話者が自分の認識を確かめるために、また、自分の認識が相手に十分伝わるように、同一事象をいろいろに言いかえてみる思考ユニットである。「いいかえ」られた二つの文関係から、逆に発話者の認識した事象に正しくせまることができる。
 「いいかえ」に用いられる「いいかえ語句」には、次の三種類が見られる。
・抽象度は同じだが、言葉を換えて言い直すもの。   例「話す」→「語る」
・抽象的な言い方から、具体的な言い方にいいかえるもの。  例「体操」→「深呼吸」
・具体的な言い方から、抽象的な言い方にいいかえるもの。  例「みかん」→「くだもの」

「いいかえ」は、次の四種類にわけることが出来る。
(1)一般的いいかえ
「一般的いいかえ」の関係にある二つの文は、同文型であること、「いいかえ語句」を持つことの二条件を満たす。
同文型であることについて
・陳述の型(構文素文、描叙文、判断文、表出文、伝達文、仮陳述)で見た文型は、すべて同文型である。
・認知の型(ナニ型、アル(イル)型、ドウ型、テイル(テアル)型、スル型、ナル型)で見た文型も同じ場合は、よく整った典型的な「いいかえ」になる。
「いいかえ語句」を持つことについて
「いいかえ語句」は、「抽象→具体」のものが多い。
(2)裏がえし的いいかえ
1  [  A  ]  ではない。
     ‖
2  [  B  ]  である。
 このような形をとる「いいかえ」である。全体で「いいかえ語句(言い直し)」の関係になっているが、[  A  ]の部分と[  B  ]の部分だけを見ると、「対比語句」になっている。
(3)予告的いいかえ    [『日本語のかたち考え方のしくみ』P130 〜132]
前後二文が同文型でなくて「いいかえ」と見たくなるもの(その1)
・文型について
   判断文→描叙文
   判断文U→判断文T(過去の事実確認)
・語句関係について
   いいかえ語句(抽象→具体)
(4)まとめ的いいかえ     [『日本語のかたち考え方のしくみ』P133 〜135]
前後二文が同文型でなくて「いいかえ」と見たくなるもの(その2)
・文型について
   描叙文→判断文
・語句関係について
   いいかえ語句(具体→抽象)

いいかえの例文
(1)一般的いいかえ
 例文1

でも、白馬は、弱りはてていました。 
    ‖ 一般的いいかえ
いきは、だんだん細くなり、目の光も消えていきました。 
テイル描叙文

ナル描叙文

前文のテーマが後文に残存(後文のテーマは、白馬は。)。「弱りはてる」→「いきは細くなり、目の光もきえていく」は、「いいかえ語句(抽→具)」。

一般的いいかえ  の 例文2

わたしたちの周囲をよく観察してみると、まるい形をしたものが非常に多いことに気づく。 
    ‖ 一般的いいかえ
ちょっと辺りを見回してみても、ガラスのコップ、かんづめのかん、十円玉などのこう貨、車輪など、
実に多くのまるい形をしたものが目に入ってくる。
アル判断文T

アル判断文T

「わたしたちの周囲をよく観察してみると」→「ちょっと辺りを見回してみても」が「いいかえ語句(いいなおし)。「まるい形をしたものが」→「ガラスのコップ、かんづめのかん、十円玉などのこう貨、車輪など、実に多くのまるい形をしたものが」も「いいかえ語句(抽→具)」。
この例文では、読み研では、柱←例。前文が柱で、後文が例。

一般的いいかえ  の 例文3

1 広々としたアフリカのケニアの草原にすんでいるチーターは、主に、かもしかを取って食べる。   
    [残存テーマくりこみ …チーターは省略くりこみ]
2 見通しのいい草原で、とらえようとするかもしかを見つけると、ほかのえものには目もくれず、  まっしぐらに追いかける。
      ‖ 一般的いいかえ
3 たとい、そのとちゅうで、ほかのかもしかが、とび出して来ても、見向きもしない。       
スル判断文T


スル判断文T


スル判断文T

第2文と第3文が「いいかえ」。「ほかのえものには目もくれず、まっしぐらに追いかける」→「たとい、そのとちゅうで、ほかのかもしかが、とび出して来ても、見向きもしない。」が「いいかえ語句」(抽→具)

(2) 裏がえし的いいかえ
 例文1

くまの子は、なんにも言いません。
   ‖ 裏がえし的いいかえ
だまって、何か考えています。
ドウ描叙文

テイル描叙文

裏がえし的いいかえ 例文2

けれども、たんぽぽは、かれてしまったのではありません。
   ‖ 裏がえし的いいかえ
花とじくをしずかに休ませて、たねに、たくさんのえいようをおくっているのです。 
ナル判断文U

テイル判断文U

(3) 予告的いいかえ  
例文1

1  そして、さあ、それからがおもしろいのです。     
      ‖ 予告的いいかえ
2  母さんねずみと子ねずみたちが、歯医者さんの目の前で、お料理を始めたのです。   
    ‖ 一般的いいかえ
3  まず、石を集めて、小さなかまどを作ります。  
     […→]
4  それから、火をおこして、ごはんをたきます。 
     […→]
5  「ごはんができたらたまごをやいて、野菜をきざんで、おみそをすって、
 たけのこにつけて味付けて、つくしをゆでて、
ごますって、お皿をならべて、おはしをそろえて。」
ドウ判断文U


 スル描叙文(伝)


スル描叙文

スル描叙文

スル描叙文

予告的いいかえ  例文2

1  一度上野公園で、こんなことがあった。 
       ‖ 予告的いいかえ
2  夕方、観客が帰った後、園内見回りの夜警が、犬を連れて歩いていた。 
     [行為→展開](順接)
3  カンガルーのさくの前まで来ると、 
   今までおとなしくしていたカンガルーが、急にさくをとびこえて逃げた。
アル判断文T


テイル描叙文


スル描叙文

予告的いいかえ  例文3

1  文化交流の意味を教えてくれた、もう一つの体験があります。 
        ‖ 予告的いいかえ
2  大学の学長に選ばれたとき、私は日本への感謝を示すため、帰化しようと考えました。 
      [行為→展開](順接)
3  日本国籍を得るための書類を準備し始めたとき、ある有名な大学の学長で、 
親しくしていた友人が、私にていねいに話してくれました。。
       ↑
4  「あなたが日本を愛していることを私たちは喜んでいます。でも、日本国籍を 
取ることは、日本人にならなければいつまでも外国人としてあつかうという、日本人
の心のせまさを指てきするという印象をあたえるのではないか。」
           +
5  そして、「私たちがもっていない何かを、あなたは私たちに分かちあたえているのだから、 
そのちがっているところを私たちは見て、あなたを受け入れている。」とも話してくれました。
アル判断文U


スル判断文T


スル判断文T


構文素文




スル判断文T

(4) まとめ的いいかえ   例文1

1  「アナトールは、なぜ、すがたを見せないのかね。」 
       ↓
2  デュバルさんは、ひしょの女の人にたずねました。 
      ↑
3「アナトールに、ごほうびをやりたいのだがね。
  うちの工場がこれだけりっぽになったのは、まったくかれのおかげなんだから。」  
                           …デュバルさんの行動 1
       […→]
4  デュバルさんは、アナトールに、ぜひ会いたいと、手紙を書きました。
       [認知→反射](逆接)             …デュバルさんの行動 2
5  けれども、アナトールは、このまま知られずにいたいと、返事をよこしました。 
                    …デュバルさんの行動を受けてのアナトールの反応
       […→]  (※ [5文 認知→6文 反射](順接) )
6  デュバルさんは、とうとう、アナトールという名の社員を全部、社長室によび集めて、きいてみました。
      [認知→反射](逆接)             …デュバルさんの行動 3
7  けれども、だれもかもが首を横にふって、カードなんか置いた覚えはありません、と答えました。  
        …デュバルさんの行動を受けての社員の反応 
        ‖ まとめ的いいかえ
8  いくらさがしても、本当のアナトールは見つかりません。             
構文素文

構文素文を統括する本体の文 
スル描叙文

構文素文





スル描叙文

スル描叙文




スル描叙文


スル描叙文




 ナル判断文T

第1〜6文塊(描叙文)と第7文(判断文T)が、「まとめ的いいかえ(具体→抽象)」となっている。

(※  [5文 認知→6文 反射](順接) )について
湯澤氏は、 [『日本語のかたち考え方のしくみ』P133 〜134]で、上のように、4・5文塊と6・7文塊を[…→]継起展開ととらえている。
ただし、5文のアナトールの反応をデュバルさんが「認知」し、6文のデュバルさんの行動が起きたととらえると、5文と6文は、スルト型展開の「認知→反射」のつながりがある。そこで、そのことを補足するために、(※ [5文 認知→6文 反射](順接) )と井上が、書き加えた。

まとめ的いいかえ 例文2

1  海辺で、一ぴきのヤドカリをかんさつしました。            
      ‖ 予告的いいかえ(※)   …私見 ここは‖でなく、 [行為→展開](順接)ではないか。
2  このやどかりは、もう一ぴきのヤドカリに出会いました。   
      [刺激→反応](順接)補足
3  相手は、貝がらの中にかくれました。            
     [↑↓] 事想展開
4  相手のからは、体よりも少し大きめです。          
     […→]
5  はじめ、このヤドカリは、相手の貝がらを回したり、入り口にはさみをつっこんだりしました。   
     [↑↓] 事想展開
6  貝がらの大きさや、きずをしらべているようです。         
     […→]
7  つぎに、相手の貝がらの入り口にはさみを入れて、自分の貝がらをなんどもぶつけました。  
     […→]
8  そして、相手が貝がらから出ると、すばやく、そのからの中に入っていきました。   
    [刺激→反応](順接)補足
9  相手のヤドカリは、入れちがいに、空になった貝がらの中に入りました。      
       ‖ まとめ的いいかえ ・ 「このように」へのくりこみ展開
10  ヤドカリは、このように、自分の体の大きさに合った貝がらのヤドカリを見つけると、
  そのヤドカリと入れかわるようにしてすみかえるのです。

スル判断文T



スル描叙文


スル描叙文

ドウ判断文U


スル描叙文


ドウ判断文U


スル描叙文


スル描叙文

スル描叙文

スル判断文U

(※)湯澤氏は、/ 第1文と第2〜9文塊の「いいかえ」は、「予告的いいかえ(抽→具)」である。/ととらえている。しかし、私は、第1文の/わたしの行動(一ぴきのヤドカリをかんさつした)/ことによって、 第1文と第2〜9文塊の事態が展開したとみる。従って、 [行為→展開](順接)とみる。

この「ビーバーの大工事」にみられる「いいかえ」について

まとめ的いいかえ  …この記録文の大枠は、次のように尾括型の文章構成になっている。

[1]  ここは、北アメリカ。大きな森の中の川のほとりです。
            (中略)
[19]  すの入り口は、水の中にあり、ビーバーのように、およぎの上手などうぶつでないと、けっしてすの中に入ることはできません。
        ‖ まとめ的いいかえ
[20]  ビーバーがダムを作るのは、それで川の水をせき止めてみずうみを作り、そのみずうみの中に、てきにおそわれないあんぜんなすを作るためなのです。 

一般的いいかえ

[8]  Aそして、木をしっかりとくわえたまま、上手におよいでいきます。
          ‖ 一般的いいかえ
[9]  @ビーバーは、ゆびとゆびの間にじょうぶな水かきがある後ろ足で、ぐいぐいと体をおしすすめます。
           + 並び
     Aおは、オールのような形をしていて、上手にかじをとります。

[8]A文の/上手におよいでい(く)/具体的な様子を、[9]@とA文で「いいかえ」ている。「いいかえ」(抽象→具体)。


東京書籍に問い合わせた内容と回答について

 私は、この「ビーバーの大工事」を教材研究していく中で、疑問に感じたことを東京書籍に質問をお送りし、東京書籍から丁寧な回答をいただくことができました。東京書籍からの回答は、そのまま公開することには問題があると思われますので、ポイントのみ紹介します。

この教材の論理展開に対する疑問[東京書籍への1回目の質問]

まず、時間の順序がおかしいと感じる段落について

[4]段落で、木がドシーンと地ひびきを立ててたおれます。と、木が倒れた記述があります。
続く[5]段落で、近寄ってみると、ビーバーが上あごのはを支えにして、下あごのはでかじっています。と、ビーバーが木をかじっている記述になります。
私の違和感は、木が倒れた後、近寄ってみると、ビーバーがかじっているという状況にすぐにはならないと思うのです。
例えば、[5]段落の始めに、次のような文がおかれている場合は問題にはなりませんが。
 木が倒れると、ビーバーはまた倒れた木をかじり始めました。近寄ってみますと… 以下教科書の記述どおり。
あるいは、[5]段落の記述は、実は[2]段落に続く記述のようにも感じます。もしそうなら、[2]段落の直後に、[5]段落を置いたほうが時間の流れがスムーズにつながると思います。

次に、ビーバーが木を削って木を倒す活動をするのは、一日のうちのどの時間帯なのか。

[13]段落に、ビーバーは、夕方から夜中まで、家族そう出でしごとをつづけます。という記述が出てきます。この記述を信じると、[1]段落から始まるビーバーの活動もその時間帯の中に含まれると思われます。ところが、教科書の写真などを見ますと、明るい時間帯に木をかじったり、木を運んだり、木をくわえて泳いだりしている様子が写されています。このあたりは、どうなっているのでしょうか。

以上2点、質問いたします。

東京書籍からの回答 ポイントのみ引用

 まず1点目ですが、〔4〕段落の二文目、すなわち「木のねもとには、〜とびちり、〜たおれます。」は、今まさに観察しており、次いで(〔5〕段落で)更に近寄って見てみることになるビーバーがかじっている木が、これからこのような状態になる、ということを言っているものと考えます。[その理由]文末表現が「〜たおれました。」ではなく「〜たおれます。」となっている。
 次に2点目、ビーバーが木をかじって木を倒す時間帯ですが、これは夕方から翌日の早朝にかけてと言ってよいでしょう。
 なお教科書に掲載しているビーバーの写真は、冒頭の1枚(木をかじっているビーバー)を除き、すべて佐藤英治氏の撮影によります。いずれも、氏が実際に取材・撮影をして執筆された「こんにちは、ビーバー」(月刊「たくさんのふしぎ」通巻182号/福音館書店/2000年5月1日発行)に掲載されているものです。佐藤氏はアラスカに滞在して取材・撮影をされましたが、その著書の中の、ビーバーが木をかじったり、倒した木をくわえて引っ張ったりする様子について書かれている部分には、次のような記述があります。ちなみにこの部分は、「7月のある日。」という書き出しで始まっています。
「そのビーバーたちは、昼は巣の中ですごし、夕方の4時から6時ごろになると外に出て来て朝までいそがしく動きまわります。白夜といって、7月のアラスカは夜も明るいので、私も夜どおし撮影をつづけました。」
 そして教科書27ページ最上段の写真(木をくわえて陸を移動するビーバー)などの写真が、著書には掲載されています。
 このようなこともあり、教科書25ページ以降の写真は明るく写っているように見えるのだと思います。

東京書籍への二回目の質問

山梨の井上秀喜です。
丁寧なご回答ありがとうございました。
私の2点目の質問に対する回答は、了解しました。
次の1点目についてのご回答について、再度確認させてください。
 まず1点目ですが、〔4〕段落の二文目、すなわち「木のねもとには、〜とびちり、〜たおれます。」は、今まさに観察しており、次いで(〔5〕段落で)更に近寄って見てみることになるビーバーがかじっている木が、これからこのような状態になる、ということを言っているものと考えます。文末表現が「〜たおれました。」ではなく「〜たおれます。」となっていることもあり、このように考えれば時間の流れも整合性が取れると編集部では判断いたしましたが、いかがでしょうか。
[4]段落の二文目「木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。」のトキは、これからのことを表現している、とのことですね。

[1点目の質問です。]
では、さらに二文目が表わすトキについて、質問します。二文目は、重文で二つの文に分けることができます。

@木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、
Aみきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。

上のように分けた場合、@のトキは、現在、Aのトキは、未来ととらえるのでしょうか。
それとも、@もAもトキは、未来ととらえるのでしょうか。

私の感覚では、@のトキは現在、Aのトキは未来という感じがします。なぜなら、@はビーバーの様子を見ていればすぐに分かることで、Aはこれから先つまりしばらく時間が経った後に起こることであり、すぐには木は倒れないと感じるからです。

もし、そうだとすれば、二文目は、二つのトキをあわせもつ小学校の低学年には認識するには難しい文ではないかと感じます。つまり、「たちまち」という時間を表わす言葉が@の部分にはあり、Aの部分には「ドノクライ時間が経てば木が倒れそうなのか」を示す時間を表わす言葉がないことによる分かりにくい文だと私は、感じます。もし、はっきりと「木が倒れる」ことが未来であることを「たおれます」という非過去形で表わすならば、例えば次のようなトキを表わす語句が必要ではないでしょうか。
Aみきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、たぶんあと十分もすればドシーンと地ひびきを立ててたおれます。

あるいは、@もAもトキは未来だとすると、正しく事実を表現していないようにも感じます。

文末表現が「〜たおれました。」という過去形を使っていないから、未来のトキを表わしているというご説明は、この文章の書き方においては、説得力に欠けます。なぜなら、ご回答の中にあるとおり「この教材文(特に前半部分)は、今まさに観察しているビーバーについてリアル・タイムで報告しているような書きぶり」であり、ビーバーの現在の動きを[8]段落「引きずっていきます」「およいでいきます」、[9]段落「おしすすめます」「かじをとります」などという非過去形を使って今現在のビーバーの動きを表わしています。となれば、「たおれます」という表現も「木が今倒れています」という今現在を表わしているという読み方も無理のない読み方だと思います。

もし、「たおれます」という非過去形で未来を表現しなくても、次のような表現であれば、小学校低学年でもこれから木がたおれるのだということが簡単に分かるのではないでしょうか。

@木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、
Aみきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立てて今にもたおれそうです。

「今にも」というトキを表わす語句を補充しましたが、なくても「たおれそうです」という文末表現だけでもわかるでしょう。

[2点目の質問です。]
さて、[4]段落の二文目「木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。」のトキが未来であるとして、では、[2][3]段落で、ビーバーが木の幹をかじっていて、その木がたおれたことを記述している文が、この説明文にはでてきません。

ですので、[5]段落の後に、本当は「なんと20分ほどで木がたおれてしまいました」などという記述が必要ではないかと思います。

さらに、この説明文の分かりにくさとして、いきなり、次のように新しく別の木のたおれる記述が出てくる点が挙げられます。

[6]ドシーン、ドシーン。
[7]あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。

[2][3]段落で、ビーバーが木の幹をかじっていることはわかるのだが、どうして「あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。」という事態になるのか、何の説明もなく提示されます。後を読めば、家族そうでで木を倒して川に運ぶ作業をしていることはわかるのですが、不自然です。

この[7]段落の「あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。」という文のトキも、未来でしょうか。「たおされていきます。」という非過去形で表現されていますが、今現在「たおされ」、未来にも継続して「たおされていく」ということを表現していると、私は読み取りました。トキを表わす文末が、非過去形という形では同じでありながら、いろいろなトキを表現している難しさを感じます。

[3点目の質問です]
[13]段落までの、ビーバーがダムを作る行動をリアルタイムに記述してある部分は、実際に筆者が見たことを、時間の順序で、基本的には「非過去形」の文末表現で記述してあることはよくわかるのですが、[14]段落以降の概括的なビーバーの巣作りの記述は、実際に筆者が見たことを、概括的に記述したものなのか、ビーバーの巣作りを一般論として説明したものなのか、あるいは、未来のことなのか、教えていただければと思います。

[14] こうして、つみ上げられた木と石とどろは、一方の川ぎしからはんたいがわの川ぎしまで、少しずつのびていき、やがて川の水をせき止めるりっぱなダムができあがります。
[16] ダムができあがって、水がせき止められると、その内がわにみずうみができます。
[17] ビーバーは、そのみずうみのまん中に、すを作ります。
[18] すは、ダムとおなじように、木と石とどろをつみ上げて作ります。

この部分も、実は、それぞれの文のトキがいつなのかという問題にも関係してきます。「ダムができあがりました」「みずうみができました」「すを作りました」「木と石とどろをつみあげて作りました」という文末であれば、実際に見たことを記述したことになるのですが、実はまだ「ダムはできあがっていない」段階で、トキは未来という可能性もありますし、ビーバーの巣は一般的にこのように作られていくという、「超時」の記述という可能性もあり、よくわかりません。

この説明文は、読み込めば読み込むほど、いろいろな読みの可能性があり、難しい説明文ではないかと個人的には感じます。

東京書籍からの回答 ポイントのみ引用

 まず1点目のご質問、二文目を@Aと分けた場合のトキについてですが、編集部も、先生と同様に、@のトキは現在、Aのトキは未来と考えます。
 次に2点目のご質問、[7]段落のトキについてですが、[6]段落の「ドシーン、ドシーン。」という表現との関係などもあり、「今現在『たおされ』、未来にも継続して『たおされていく』ということを表現している」という先生のお考えに、編集部もそのとおりであると存じます。
 そして3点目のご質問、[14]段落以降の記述についてですが、これは筆者が実際に見たことなどももとにしながら、ビーバーの巣作りについて、一般化して記述したものと考えます。

東京書籍への三回目の質問

山梨の井上秀喜です。
二回にわたり丁寧なご回答ありがとうございました。

お答えいただいたことを、整理すると次のようになります。
第1回回答
〔4〕段落の二文目、すなわち「木のねもとには、〜とびちり、〜たおれます。」は、今まさに観察しており、次いで(〔5〕段落で)更に近寄って見てみることになるビーバーがかじっている木が、これからこのような状態になる、ということを言っているものと考えます。
第二回回答
 まず1点目のご質問、二文目を@Aと分けた場合のトキについてですが、編集部も、先生と同様に、@のトキは現在、Aのトキは未来と考えます。

→[4]段落A文のトキは、前半は現在、後半は未来。
@木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、
Aみきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。

第二回回答
 次に2点目のご質問、[7]段落のトキについてですが、[6]段落の「ドシーン、ドシーン。」という表現との関係などもあり、「今現在『たおされ』、未来にも継続して『たおされていく』ということを表現している」という先生のお考えに、編集部もそのとおりであると存じます。

→[7]段落の「あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。」のトキは、「今現在『たおされ』、未来にも継続して『たおされていく』ということを表現している」
上の回答を前提に、この説明文の目標の一つは、「2 大事な言葉を探しながら,順序に気をつけて説明文を読み,大工事を行うビーバーの様子を読み取る。(5)」であることと関わって、質問いたします。

この説明文の前半について考えてみると、順序に気をつけて読むということは、ビーバーの動きが時間的にどのようにつながっており、ビーバーの動きによって木がどのように変化するのかというつながりをとらえるということと私は考えます。ですので、子どもたちに前半は次のページのように出来事の順序は並んでいると読み取らせることを授業の目標とするということでいいのでしょうか。具体的に質問すると、この説明文の前半の順序は、次のように あ→い→う→え…(あいうえお順)に並んでいると、考えてよろしいのでしょうか。

この説明文の記述で、ビーバーの動きと木が倒れることとの関係から、出来事の順序を入れ替える必要があるのが、[4]段落A文の後半と[5]段落。と考えてよいですか。
また、[5]段落のビーバーの動きとは、別に[6][7]段落の「木の倒される」出来事が起きると考えてよいでしょうか。そして、実は、書かれてはいないが、他のビーバーの家族たちが木をそれぞれあちらでもこちらでも木をかじっている動きがあって、[6][7]段落の「木の倒される」出来事が起きると考えてよいでしょうか。

この説明文の指導書では、上のように、出来事の順序を入れ替える必要があるところ、また、[5]段落とつながりがなく[6][7]段落が続いていること、[6][7]段落の出来事を引き起こす「他の家族のビーバーたちのうごき」が省略されていることを、小学校二年生にどのように教えるのか、指導書には、授業の展開例などが掲載されているのでしょうか。

何度も繰り返すようですが、順序を入れ替えて読まなければならない、しかも「他の家族のビーバーたちのうごき」が省略されていることを気づかす必要があることは、小学校二年生の説明文としては妥当な説明文なのか、疑問を感じます。子どもたちが、自然に出来事の順序を読み取れるように、この説明文は書き直しが必要ではないでしょうか。

次ページの「教材分析図」もご参照ください。
平成22年9月19日  井上秀喜

東京書籍にお送りした「教材分析図」は、ここ。←pdfファイルとしてダウンロードできます

[この記事   2010.09.25記   2010.09.29一部改訂]


東京書籍からの三回目の回答  ポイントのみ引用

 最初の指摘/形式段落4で木がドシーンと倒れる様子が描かれているにもかかわらず、続く形式段落5では「近よってみると」という設定でビーバーがかじっている様子が描かれており、時間の順序としておかしいと感じる/については、「時制」の問題としてではなく、教材に出てくるビーバーが複数である、という視点から回答をしていればよかった。つまり、「ビーバーが、木のみきをかじっています。」と形式段落2で書かれているビーバーを、一匹ではなく複数であるととらえれば、教材の流れとして、以降、特に問題はないと存じますし、最初にいただいた先生のご質問にも添っていたかと存じました。
 北アメリカの大きな森の中の川のほとりで木をかじっているビーバーは、文中のいくつかの表現からも、複数ととらえるのが自然。それは形式段落6に「ドシーン、ドシーン」と複数の木が続けて倒れる様子が描かれていることや、続く形式段落7の「あちらでもこちらでも」「つぎつぎにたおされていきます」という表現からも明らか。形式段落11の「家族のビーバーたちも」や形式段落13の「家族そう出で」といった表現とも関連する。つまり、森の中にはビーバーA、B、C……と複数のビーバーがいて、それぞれが木をかじっており、形式段落4で描かれているのはビーバーAであり、形式段落5の近よってみられたビーバーは、別のビーバーBである……というようにとらえる。

この三回目の回答に対して、再質問をしてみました。その質問をポイントのみ紹介。

確認質問 その1 [2]段落のビーバーは複数なのか、単数なのか。…回答では、複数。
確認質問 その2 [4]段落A文/木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。/の「木のねもと」は、[2]段落の複数のビーバーのかじっている複数の「木のねもと」なのか、[2]段落の複数のビーバーのうちの一匹のビーバーのかじっている一本の「木のねもと」なのか。…回答では、[2]段落の複数のビーバーのうちの一匹のビーバーのかじっている一本の「木のねもと」。
確認質問 その3 [4]段落A文/木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。/と「木が倒れる」原因は、[2]段落のビーバーがかじったからたおれるというつながりでいいのか。…回答では、[2]段落の複数のビーバーの中の一匹のビーバーが木をたおす。
確認質問 その4 [5]段落@文/近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。/の近寄ってみたビーバーは、単数か、複数か。
確認質問 その5 [5]段落@文/近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。/の近寄ってみたビーバーは、[2]段落のビーバーとは違うビーバーということでいいか。
 …回答では、一匹のビーバーで、[2]段落のビーバーとは違うビーバー(つまり、木をまだかじっているビーバー)。

新たな質問 その1  [7]段落/あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。/とあるが、[7]段落で、あちらこちらで木が倒されるのは、[5]段落のビーバーによって起きたことか、それとも、[5]段落のビーバーがかじっているときに、あちらこちらで起きたことか。言いかえると、[7]段落の出来事は、[5]段落のビーバーが起こしたことなのか、それとも周りのビーバーたちが起こしたことなのか。
新たな質問 その2 [8]段落@文/ビーバーは、切りたおした木を、さらにみじかくかみ切り、ずるずると川の方に引きずっていきます。/とあるが、[8]段落のビーバーは、[2]段落のビーバーか、それとも[5]段落のビーバーか、それとも、木を倒した後の特定できないビーバーか、それとも後で出てくる「家族のビーバーたち」か。
新たな質問 その3 [8]段落のビーバーは単数のビーバーか、それとも複数のビーバーか。

新たな質問 その2・その3に関わって
※もし、[2]段落のビーバーなら、[5]段落のビーバーに視点が移動してまた[2]段落のビーバーに視点が戻るのは不自然。もし、[5]段落のビーバーなら、まだ木を倒していないように私には思えるので不自然。[2][5]段落以外のビーバーだとしても不自然。つまり、ビーバーの動きを記録している説明文としては不正確な記述に私には思える。

[この記事   2010.10.12追記]

上の質問の中核は、この「ビーバーの大工事」という説明文は「ビーバー」という言葉で表している内容を厳密に使用していないという問題点があるということなのである。ある特定の一匹のビーバーも「ビーバー」、複数のビーバーも「ビーバー」、別の一匹のビーバーも「ビーバー」という言葉で表しているのである。

 さて、この「ビーバーの大工事」のビーバーの動きを実況中継風に表現していることと関わって、『国語科教育学への道』(大内善一 渓水社)の中の「説明的文章教材指導の問題点と授業構想論―「ビーバーの大工事」を事例として―」に「現在形止め=文末表現の意味と役割」について述べている資料を発見したので、紹介する。この資料によると、ある特定のビーバーを描写した部分〈次の「現在形止め…B「歴史的現在」の用法〉と、ビーバーを一般化したビーバーとして記述している部分〈次の「現在形止め…A時間にかかわりなく、一般的、習慣的、普遍的な事物・事象を叙述する用法〉とがあることになる。

現在形止め=文末表現の意味と役割       P473・474
 一部の例外を除いて、文章中のほとんどの文末が「ほとりです。」「たおれます。」「泳いで いきます。」「できあがります。」といったように、〈現在形止め〉となっている
 「現在形止め」の文末表現は概ね、@現時点における動作や物事の状態を叙述する場合、A時間にかかわりなく、一般的、習慣的、普遍的な事物・事象を叙述する場合、B「歴史的現在」(=過去の出来事などを、現にいま体験しているかのような気持ちで表現する)の場合、などの用法がある。
 この教材文中の現在形止めの文末表現は、右のAとBの用法として意識的に用いられている。例えば、「おし進めます。」「かじを とります。」「かためて いきます。」「水の 中に います。」などは、一般的、習慣的な事象を説明しているのでAに該当している。したがって、この教材のほとんどの場合はAに該当していることになる。説明文教材に多く見られる文末表現である。
 ところが、この教材の始めの部分では、「ビーバーが、木の みきを かじって います。」「大きな 木が、ドシーンと 地ひびきを たてて たおれます。」「ちかよって みますと……下あごの するどい 歯で、ぐいぐいと かじって いるのです。」といった文が出現している。この部分では、いま筆者が現にその場に居合わせて、ビーバーが木をかじって切り倒しているところを見ているような形で叙述されている。つまり、筆者は読み手が現に今ビーバーが木を切り倒している現場に居合わせているかのような気持ちになれるような書き方をしているのである。したがって、この部分だけは、Bの文末表現に該当しているのである。
 授業でこれらの文末表現を取り上げる際に注意しなければならないのは、このAとBの文末表現の違いを授業者が明確に自覚してしておくことである。その上で、Bの文末表現の独自の意味と役割とを「過去形止め」にした場合との比較において理解させていくことである。

 大内善一氏によると、現在形止め文末のうち、初めのほうに出てくるものがB「歴史的現在」(=過去の出来事などを、現にいま体験しているかのような気持ちで表現する)で、それ以外のほとんどの部分はA時間にかかわりなく、一般的、習慣的、普遍的な事物・事象を叙述する場合とのことである。一応大内氏が例文としてあげてある文末に〈大A〉〈大B〉、私が判断できた文末には〈A〉〈B〉をつけて、教材文を以下提示してみる。私は、この教材文の一文ごとのテンポラリティの判断をするときに、現在なのか超時なのかかなり迷ってしまった経緯があり、もし大内氏のいうBとAの区別が正しいとすると、Bはテンポラリティの現在にあたり、Aはテンポラリティの超時にあたることとなる。

[1] ここは、北アメリカ。大きな森の中の川のほとりです。
[2] ビーバーが、木のみきをかじっています。〈大B〉
[3] ガリガリ、ガリガリ。
[4] すごいはやさです。木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。〈大B〉
[5] 近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。〈大B〉するどくておおきいはは、まるで、大工さんのつかうのみのようです。
[6] ドシーン、ドシーン。
[7] あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。〈B〉
[8] ビーバーは、切りたおした木を、さらにみじかくかみ切り、ずるずると川の方に引きずっていきます。〈A〉そして、木をしっかりとくわえたまま、上手におよいでいきます。〈A〉
[9] ビーバーは、ゆびとゆびの間にじょうぶな水かきがある後ろ足で、ぐいぐいと体をおしすすめます。〈大A〉おは、オールのような形をしていて、上手にかじをとります。〈大A〉
[10] ビーバーは、木をくわえたまま、水の中へもぐっていきます。〈A〉そうして、木のとがった方を川のそこにさしこんで、ながれないようにします。〈A〉その上に小えだをつみ上げていき、上から石でおもしをして、どろでしっかりかためていきます。〈大A〉
[11] 家族のビーバーたちも、はこんできた木をつぎつぎにならべ、石とどろでしっかりとかためていきます。〈A〉
[12] 一どもぐったビーバーは、ふつうで五分間、長いときには十五分間も水の中にいます。〈大A〉
[13] ビーバーは、夕方から夜中まで、家族そう出でしごとをつづけます。〈A〉
[14] こうして、つみ上げられた木と石とどろは、一方の川ぎしからはんたいがわの川ぎしまで、少しずつのびていき、やがて川の水をせき止めるりっぱなダムができあがります。〈A〉
[15] 今までに見つかったビーバーのダムの中には、高さ二メートル、長さ四百五十メートルもある大きなものもあったということです。
[16] ダムができあがって、水がせき止められると、その内がわにみずうみができます。〈A〉
[17] ビーバーは、そのみずうみのまん中に、すを作ります。〈A〉
[18] すは、ダムとおなじように、木と石とどろをつみ上げて作ります。〈A〉それは、まるで、水の上にうかんだしまのようです。
[19] すの入り口は、水の中にあり、ビーバーのように、およぎの上手などうぶつでないと、けっしてすの中に入ることはできません。
[20] ビーバーがダムを作るのは、それで川の水をせき止めてずうみを作り、そのみずうみの中に、てきにおそわれないあんぜんなすを作るためなのです。

[この記事   2010.10.16追記]

  大内善一氏によると、実況中継的な書き方をしているのが[7]段落までであり、[8]段落以降は「A時間にかかわりなく、一般的、習慣的、普遍的な事物・事象を叙述」しているととらえていることになる。[8]段落以降の「ビーバー」は、ある日ある時見たビーバー(特定のビーバー)ではなく、ビーバー一般を指しているということのようです。簡単にいうと、[8]段落以降の「ビーバー」は、「ビーバという動物は」と置き換え可能ということになると思われます。
[この補足記事  2011.01.27 追記]


メーリングリストにての情報交換による教材研究

この記録文の時間の順序のおかしいと感じる部分について、自力よみメーリングリストで発言したところ、メンバーの岩田さんから教材研究に役立つコメントをいただきましたので、掲載させていただきます。この記録文の書かれた本当の状況を推測なさった部分もあり、参考になると思います。

岩田さんからのコメント

ちなみにわたしは、東京書籍さんのおっしゃったことよりももっと単純に受け取りました。

[7] あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされ て いきます。
と後半部にあるので、最初ビーバーが木をたおすようすを少し、 離れたところから、観察したのだと感じました。

木を倒すのをみて、どうやって倒したのだろうと疑問に思い、 別のビーバーか、最初のビーバーが2本目をかじり始めたときか わかりませんが、もう少し詳しく観察してみたら、 どうやって、かじっているかがわかったのだろうと思ったのです。
実際には、この文章を書いた人は、上記のようなことを繰り返し観察しており、その内容を小学校低学年の子にわかりやすく書こうとして、教科書文のような順にしたのではないでしょうか。

手元に光村の2年の上がありますが、 「ビーバーの大工事」と同じ指導目標をあつかった教材文は、 「たんぽぽのちえ」でしょうか。 「じゅんじょにきをつけてよもう」がめあてでしょうか。

つまり、学習指導要領 C読むこと の指導事項イ  時間的な順序や事柄の順序、文章表現上の順序にそって、内容の大体を読むことを指導するための教材文ですね。

そして、この文の内容は、ビーバーの巣作りのようすと、それがビーバーの生きる知恵として、うまくはたらいていることを子ども向けに説明したものだと思います。

先生が疑問に思われた順序の違和感は、 なるほど感じられます。
書き手の意図はどうだったのでしょうか。

はやさを実感させたいために最初に、倒れるところまでを、書いた。
そして、読者の「なんでそんなにすぐに倒せるの?」 という暗黙の予想される疑問を受けて、 〔5〕の近よってみますと・・・という文をつなげたということでしょうか。

小2の子ども達の中には、 このような疑問を持つ子もでてきますか?
もしでてくるなら、〔5〕を〔2〕のところに入れかえて、 どちらがわかりやすいと思うかという授業もありえるかなと思います。「批判的な読み」につながる授業にできますよね。
小2をもったことのある方がいらっしゃれば、子ども達の反応が知りたいと思います。

[この記事   2010.09.30記]


この記事を読んでくださった方からのメッセージ

福島の藤原さんから次のようなメールをいただきました。私の疑問点とは、また違った観点からのご指摘ですので、「ビーバーの大工事」の教材研究に生かしていただけると思い、藤原さんに転載のお願いをしたところ、ご快諾をいたただくことができました。藤原さん、ありがとうございます。

 先行実践の指導案や「ビーバーの大工事」に関する研究はないかとネットで検索したところ、井上さんのブログに当たりました。「超ワザ222」は一昨年読んでいたので、「ああ、縦書き解答用紙の井上さんだ!」と驚きました。実は私も、「ビーバーの大工事」は2年生向けなのに何故にこういう書き方をしているのかなぁと思っていました。

 井上さんが書かれた4段落と5段落とのつながりの不自然さには、家族総出で同時並行でやっているという記述か、次々に木を切り倒している記述と解釈していたので、子どもにとっては分かりづらいとは思いましたが、自分自身ではあまり問題にしていませんでした。

 それよりも、2年生の説明文に北アメリカのビーバーを採り上げる感覚が分かりません。1学期の説明文は「たんぽぽ」で、これは日本中に生育しているので子どもたちにも馴染み深いものがあるので妥当だとは思いますが、ビーバーっていうのはどうなのかと思います。

 それに、「50cm以上もある木」、「高さ2m、長さ450mもある大きなもの」など説明文でよく使われる具体的な数値が出てくるものの、肝心なビーバーの大きさが書かれていません。そのため、多くの子どもが、自分たちに身近なハムスターくらいだと思っているようです。本当はネズミ類の中ではカピバラについでの大きさらしく、2年生児童の身長ほどもあります。ビーバーの歯や水かきや尾よりも、体の大きさと思うのですが…。

 おまけに、「高さ2m、長さ450mもある大きなもの」という書き方も違和感があります。大きなものを挙げる前に、普通はどのくらいの規模のものを作るのかが先だと思います。児童に驚きを与えたいというのは分かりますが、一般的な規模を挙げないといかにも片手落ちです。体の大きさもそうですが、「特殊」な例よりも「一般的」な例のほうが、説明文にとって説得力を与えられると思うのですが、この教材文はそうはなっていないようです。

 最後に、「夕方から夜中まで」という記述と昼間のような写真にも疑問がありましたが、井上さんと東京書籍とのやり取りから少々疑問が解けました。解けたと言っても、やはり少々です。「白夜」という説明がいかにもずるいと感じました。2年生は、白夜という言葉も北極圏という言葉も知りません。白夜という現象下であれば、「夕方から夜中まで」という言葉を日本的な感覚で解釈してはいけないことになります。(余談ですが、実際に白夜の季節に「夕方」と言ったら現地の人はどう解釈するのでしょうね。日本的な感覚では昼と夜の境目の段々暗くなる時間帯でしょうが、白夜は1日中、日が沈まないこともあるのですから、春分の日・秋分の日に薄暗くなる時間帯とでも答えるのでしょうか。(^_^;))

 私は、この「ビーバーの大工事」で授業をするのですから、教材文に愛情を持ち、児童にビーバーの生態をかみ砕いて話しながら、説明文の読み取り方(順序性とか接続詞とか)を教えていきたいと思っています。ただ、教師が読んで戸惑う内容は、児童も同じく戸惑うものだと経験的に思っています。大部分の教員は教材文を素直に受け取って、授業を組み立てていることが多く、内容に対する批判的なことをあまり聞きませんが、教材文の分かりにくさに対しては声を上げていったほうがいいかなと思っています。

[この記事   2010.10.12記]

福島の藤原さんの指摘「 それに、「50cm以上もある木」、「高さ2m、長さ450mもある大きなもの」など説明文でよく使われる具体的な数値が出てくるものの、肝心なビーバーの大きさが書かれていません。そのため、多くの子どもが、自分たちに身近なハムスターくらいだと思っているようです。本当はネズミ類の中ではカピバラについでの大きさらしく、2年生児童の身長ほどもあります。ビーバーの歯や水かきや尾よりも、体の大きさと思うのですが…。 おまけに、「高さ2m、長さ450mもある大きなもの」という書き方も違和感があります。大きなものを挙げる前に、普通はどのくらいの規模のものを作るのかが先だと思います。児童に驚きを与えたいというのは分かりますが、一般的な規模を挙げないといかにも片手落ちです。体の大きさもそうですが、「特殊」な例よりも「一般的」な例のほうが、説明文にとって説得力を与えられると思うのですが、この教材文はそうはなっていないようです。」に関わって

藤原さんは「ビーバーの大工事」の数値が出てくる記述に対して、ビーバーの大きさの数値の不足 と ビーバーの作るダムの規模の最大値例ではなく標準値例が不足 という指摘をされています。このことに関わって、『国語科教育学への道』(大内善一 渓水社)の中の「説明的文章教材指導の問題点と授業構想論―「ビーバーの大工事」を事例として―」に、肯定的評価の教材研究の内容が掲載されていました。その部分を以下引用します。

数値の意味と役割       P472・473
・……みきの まわりが 一メートルも ある 大きな 木が
・一度 もぐった ビーバーは、ふつうで 五分間、長い ときには 十五分間も 水の 中に います。
・……ダムの 中には、高さ 二メートル、長さ 四百五十メートルも ある 大きな ものも あったと いうことです。
 「数詞」は名詞の一種であり、ものの数量や順序を表す言葉である。「数詞」がもっともよく使用されるのは、説明的な文章である。
 右の数詞は、基本的には木の幹の大きさやビーバーが水中にいる時間、ダムの規模を「説明」するという機能を有している。そして、これらの数値はいずれも結果的には、ビーバーという動物の不思議な性質とその驚くべき生態に対する書き手の発見的認識とそれらを実証的に記述しようとする書き手の表現態度とを表しているのである。
 こうした書き手の発見的認識や表現態度に目を向けさせることによって読み手学習者の知的感動を揺さぶり、実証的な記述態度を学び取らせることができる。

 大内善一氏は、記述してある数値のみの評価をしている。それに対して、藤原さんは、記述していない数値に着目してこの説明文を評価している。私は、藤原さんの指摘を支持する。大内善一氏の「説明的文章教材指導の問題点と授業構想論―「ビーバーの大工事」を事例として―」の中には、ビーバーの大工事の教材の分析が掲載されているが、教材としての問題点の指摘はほとんどない。私や藤原さんの考える「ビーバーの大工事」という説明文の問題点に気づいて、この説明文を読んでいる方はどのくらいいるのであろうか。

[この記事   2010.10.16追記]


ビーバーの大工事 の 参考図書

小学校説明的文章の学習指導課程をつくる―楽しく、力のつく学習活動の開発 [単行本]  吉川 芳則 (著)
単行本: 183ページ  出版社: 明治図書出版 (2002/02)  
ISBN-10: 4186273030  ISBN-13: 978-4186273038  発売日: 2002/02
目次
1 論理的に考え、表現する力を育てる―形式的、画一的な説明的文章の学習指導過程からの脱却
2 楽しく、力のつく学習活動を見出す―「教材の特性に応じた多様な学習活動を設定するための要素構造図」をもとに
3 楽しく、力のつく学習活動を取り入れた授業の実際(一年「じどう車くらべ」(光村)―文章との距離を縮める活動を位置づけた授業
二年「ビーバーの大工事」(東書)―表現のイメージ性に着目しながら題名の意味を具体的に追求していく授業
三年「くらしと絵文字」(教出)―抽象と具象を結ぶ読みを促す授業
四年「体を守る仕組み」(光村)―述べ方の順序性に着目し、段落相互の関係を読む授業
五年「大陸は動く」(光村)―筆者・読者・文中人物に着目した授業
六年「二十一世紀に生きる君たちへ」(大書)―総合的なものの見方や考え方を育てる授業)
4 説明的文章の学習指導過程の実態はどうなっているか
5 学習指導過程の改善に向けて
国語科教育学への道 [単行本]  大内 善一 (著)
単行本: 608ページ  出版社: 溪水社 (2004/03)   
ISBN-10: 4874408109  ISBN-13: 978-4874408100   発売日: 2004/03
目次
第1部 表現教育史論・表現教育論(昭和戦前期綴り方教育の到達点と課題
田中豊太郎の綴り方教育論における「表現」概念に関する考察
綴り方教育史における文章表現指導論の系譜―菊池知勇の初期綴り方教育論を中心に ほか)
第2部 理解教育論―教材論・教材化論・教材分析論(国語科教育への文体論の受容―国語科教材分析の理論的基礎の構築
山本周五郎「鼓くらべ」教材化研究―文体論的考察を中心に
宮沢賢治童話における「わらい」の意味―クラムボンはなぜ「わらった」のか ほか)
第3部 国語科授業研究論―授業構想論・授業展開論・授業記録論(読みの指導目標設定の手順・方法に関する一考察―「教材の核」の抽出から指導目標へ
説明的文章教材指導の問題点と授業構想論―「ビーバーの大工事」を事例として
文学的文章教材の教材分析から授業の構想へ―「白いぼうし」(あまんきみこ作)を事例として ほか)
小学校国語科 若い先生のための「いい授業」づくり―説明文を楽しく読む [単行本]
よこはま国語の会「若僧の会」 (著), 入内嶋 周一 (監修)
# 単行本: 152ページ  # 出版社: 東洋館出版社 (2009/04)
# ISBN-10: 4491024472  # ISBN-13: 978-4491024479  # 発売日: 2009/04
目次
1年(読む力と書く力を身に付ける、「じどう車ずかん」作り―じどう車くらべ
「どうぶつの赤ちゃんパネル」作りで、比べて読む力を付けよう―どうぶつの赤ちゃん)
2年(「たんぽぽのちえさがし」をしながら楽しく読もう―たんぽぽのちえ
すみれとありの関係は?~問いかけに答える文章を作っちゃおう―すみれとあり
「大工事紙しばい」作りで、文章のまとまりをとらえる力を育てる―ビーバーの大工事)
3年(「脚本作り」で、中心となる語や文をとらえ、文章を正しく読む―ありの行列
情報をキャッチ&リリース―めだか
「イメージマップ」を使った「食べ物百科作り」で取材・構成もばっちり―すがたをかえる大豆)
4年(自分の伝えたいことを相手に分かりやすく発信する―アップとルーズで伝える
視点をもって比べて読み、自分の考えをもつ―くらしの中の和と洋)
5年(カラー・ラベリングを行いながら、筆者の考えに迫る―サクラソウとトラマルハナバチ
プロジェクト「千年の釘にいどむ」―千年の釘にいどむ
おくりものは何?付箋を使った分類・整理ですっきり!―森林のおくりもの)
6年(筆者の主張を確認して、自分の考えを広げよう―ぼくの世界、きみの世界
「紙芝居風ポスターセッション」で、要旨をとらえ考えを明確にする―イースター島にはなぜ森林がないのか
原爆ドーム年表作りで、平和への願いをもって読む―平和のとりでを築く)
クラスすべての子どもたちに「話す・聞く力と読む力」をともに育む国語授業 (夢の国語教室シリーズ) [単行本]
二瓶 弘行 (著), 佐賀県「夢」の国語教室研究会 (著)
# 単行本: 134ページ  # 出版社: 東洋館出版社 (2009/09)
# ISBN-10: 4491024901  # ISBN-13: 978-4491024905  # 発売日: 2009/09
第1章 理論編―「話す・聞く力と読む力」とのかかわり(すべての子どもたちが、自分の読みを話し聞き合う「対話」の実現を
「話す・聞く力と読む力」をともに育む指導)
第2章 実践編―物語・説明文の授業(1年生物語「はるのゆきだるま」
1年生説明文「いろいろなふね」
2年生物語「名前を見てちょうだい」「すてきなぼうし」
2年生説明文「ビーバーの大工事」
3年生物語「サーカスのライオン」
3年生説明文「つな引きのお祭り」
4年生物語「ごんぎつね」
4年生説明文「ヤドカリとイソギンチャク」
5年生物語「注文の多い料理店」
5年生説明文「動物の体」
6年生物語「海のいのち」
6年生説明文「百年前の未来予測」)
クラスすべての子どもに「論理的思考力」を育む説明文の授業 (夢の国語教室シリーズ) [単行本]
二瓶 弘行 (著), 福岡県「夢」の国語教室研究会 (著)
# 単行本: 134ページ  # 出版社: 東洋館出版社 (2008/10)
# ISBN-10: 4491023549  # ISBN-13: 978-4491023540  # 発売日: 2008/10
理論編 「論理的思考力」を育む(なぜ、説明文の授業で「論理的思考力」を育むのか
すべての子どもたちに「論理的思考力」を育む国語授業)
実践編 「論理的思考力」を育む説明文の授業(説明文1年生「とりとなかよし」
説明文1年生「いろいろなふね」
説明文2年生「たんぽぽ」
説明文2年生「ビーバーの大工事」
説明文3年生「つな引きのお祭り」
説明文3年生「もうどう犬の訓練」 ほか)
広島発 読解力を高める学習指導の工夫 (読解力シリーズ) [単行本]
大澤 八千枝 (著), 寺田 知巳 (著), 重谷 美保 (著), 桂 聖 (監修), 白石 範孝
# 単行本: 185ページ  # 出版社: 東洋館出版社 (2008/01)
# ISBN-10: 4491023026  # ISBN-13: 978-4491023021  # 発売日: 2008/01
第1章 理論編 「読解力」のとらえ(「読解力」とそれを支える基礎基本の力
国語の学力を向上させる授業とは―他へ転移できる力としての学力)
第2章 物語教材編(「10の観点読み」で基礎基本の力を
基礎基本の力を表現活動へ発展させた単元学習)
第3章 説明文教材編(手立てを明確にし、基礎基本の力を
01 クイズ作りから読みを深める「ビーバーの大工事」―2年生―
文章を評価しながら読み、自分の考えを書く活動へ発展させた単元学習)
第4章 言語活動アイディア編―だれにでもすぐできて力がつく!(話す・聞く活動
書く活動)
読解力を高める説明的文章の指導 低学年 (国語科授業力向上シリーズ) [単行本]
岸本 修二 (著)
# 単行本: 125ページ  # 出版社: 東洋館出版社 (2006/06)
# ISBN-10: 4491021767  # ISBN-13: 978-4491021768  # 発売日: 2006/06
くらべてよもう―じどう車くらべ(光村・1年上)
ことばのおもしろさをかんがえてよもう―ものの名まえ(光村・1年下)
ちがいをかんがえてよもう―どうぶつの赤ちゃん(光村・1年下)
のりもののことをしらべよう―いろいろなふね(東書・1年下)
みぶりってなんだろう?どんなはたらきをするのだろう?―みぶりでつたえる(教出・1年下)
じゅんじょに気をつけてよもう―たんぽぽのちえ(光村・2年上)
だいじなところに気をつけて読み、海の生きものひみつブックを作ろう―サンゴの海の生きものたち(光村・2年上)
じゅんじょに気をつけて読もう―すみれとあり(教出・2年上)
たしかめながら読もう―一本の木(光村・2年下)
どうぶつのひみつをみんなでさぐろう―ビーバーの大工事(東書・2年下)
すべての子どもたちと「読解力と表現力」をともに育む国語授業 (夢の国語教室シリーズ) [単行本]
高知県「夢」の国語教室研究会 (著), 二瓶 弘行 (編集)
# 単行本: 134ページ  # 出版社: 東洋館出版社 (2008/08)
# ISBN-10: 4491023530  # ISBN-13: 978-4491023533  # 発売日: 2008/08
目次
理論編 「読解力と表現力」とのかかわり(子どもたちの「読解力」向上のために、3つのこと
「読解力を高める表現活動が必要だ!」)
実践編 物語・説明文の授業(1年生物語「サラダでげんき」
1年生説明文「いろいろなふね」
2年生物語「かさこじぞう」
2年生説明文「ビーバーの大工事」
3年生物語「サーカスのライオン」
3年生説明文「自然のかくし絵」
4年生物語「ごんぎつね」
4年生説明文「ヤドカリとイソギンチャク」
5年生物語「注文の多い料理店」
5年生説明文「動物の体」
6年生物語「海のいのち」
6年生説明文「イースター島にははぜ森林がないのか」)
絵図で読み解き、思考力・表現力をつける国語科授業 低学年編 [単行本] 
植松 雅美 (著)
# 単行本: 147ページ   # 出版社: 東洋館出版社 (2009/07)
# ISBN-10: 4491024928  # ISBN-13: 978-4491024929  # 発売日: 2009/07
目次
第1章 基本的な考え方(今求められる学力を鍛える
言語活動を通してつける学力)
第2章 授業の実際(1年・文学的文章
1年・説明的文章
2年・文学的文章
2年・説明的文章)
ビーバーの大工事計画書をつくる活動を通して、時間的な順序や内容の大体を読む力をつける

[この記事   2010.10.18追記]


この記録文を書き直すとしたら、どのような書き直しが必要か。書き換え案[その1]

教材文 書き直した教材文
[1] ここは、北アメリカ。大きな森の中の川のほとりです。
[2] ビーバーが、木のみきをかじっています。


[3] ガリガリ、ガリガリ。
[4] すごいはやさです。木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。
[5] 近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。するどくておおきいはは、まるで、大工さんのつかうのみのようです。

[6] ドシーン、ドシーン。
[7] あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。
[8] ビーバーは、切りたおした木を、さらにみじかくかみ切り、ずるずると川の方に引きずっていきます。そして、木をしっかりとくわえたまま、上手におよいでいきます。
[9] ビーバーは、ゆびとゆびの間にじょうぶな水かきがある後ろ足で、ぐいぐいと体をおしすすめます。おは、オールのような形をしていて、上手にかじをとります。
[10] ビーバーは、木をくわえたまま、水の中へもぐっていきます。そうして、木のとがった方を川のそこにさしこんで、ながれないようにします。その上に小えだをつみ上げていき、上から石でおもしをして、どろでしっかりかためていきます。
[11] 家族のビーバーたちも、はこんできた木をつぎつぎにならべ、石とどろでしっかりとかためていきます。
[12] 一どもぐったビーバーは、ふつうで五分間、長いときには十五分間も水の中にいます。
[13] ビーバーは、夕方から夜中まで、家族そう出でしごとをつづけます。
[14] こうして、つみ上げられた木と石とどろは、一方の川ぎしからはんたいがわの川ぎしまで、少しずつのびていき、やがて川の水をせき止めるりっぱなダムができあがります。

[15] 今までに見つかったビーバーのダムの中には、高さ二メートル、長さ四百五十メートルもある大きなものもあったということです。
[16] ダムができあがって、水がせき止められると、その内がわにみずうみができます。
[17] ビーバーは、そのみずうみのまん中に、すを作ります。
[18] すは、ダムとおなじように、木と石とどろをつみ上げて作ります。それは、まるで、水の上にうかんだしまのようです。

[19] すの入り口は、水の中にあり、ビーバーのように、およぎの上手などうぶつでないと、けっしてすの中に入ることはできません。
[20] ビーバーがダムを作るのは、それで川の水をせき止めてずうみを作り、そのみずうみの中に、てきにおそわれないあんぜんなすを作るためなのです。
[1] ここは、北アメリカ。大きな森の中の川のほとりです。
[2] ビーバーたちが、あちらでもこちらでも一匹ずつ別々の木のみきをかじっています。
☆近くの一匹のビーバーのようすをのぞいてみましょう。
[3] ガリガリ、ガリガリ。
[4] すごいはやさでかじっています。木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれました
[5] ☆まだ木をかじっている別のビーバーに近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっています。するどくておおきいはは、まるで、大工さんのつかうのみのようです。
[6] ドシーン、ドシーン。
[7] あちらでもこちらでも、ビーバーたちがポプラややなぎの木をつぎつぎにたおしていきます
[8] ビーバーたちは、切りたおした木を、さらにみじかくかみ切り、ずるずると川の方に引きずっていきます。そして、木をしっかりとくわえたまま、上手におよいでいきます。
[9] ビーバーたちは、ゆびとゆびの間にじょうぶな水かきがある後ろ足で、ぐいぐいと体をおしすすめます。おは、オールのような形をしていて、上手にかじをとります。
[10] ビーバーたちは、木をくわえたまま、水の中へもぐっていきます。そうして、木のとがった方を川のそこにさしこんで、ながれないようにします。その上に小えだをつみ上げていき、上から石でおもしをして、どろでしっかりかためていきます。
[11] 家族のビーバーたちも、はこんできた木をつぎつぎにならべ、石とどろでしっかりとかためていきます。
[12] 一どもぐったビーバーは、ふつうで五分間、長いときには十五分間も水の中にいます。
[13] ビーバーは、夕方から夜中まで、家族そう出でしごとをつづけます。
[14] こうして、つみ上げられた木と石とどろは、一方の川ぎしからはんたいがわの川ぎしまで、少しずつのびていき、やがて川の水をせき止めるりっぱなダムができあがります。☆川のはば十メートルぐらいのダムを五人家族のビーバーが作るとしたら二ヶ月くらいかかるでしょう。
[15] 今までに見つかったビーバーのダムの中には、高さ二メートル、長さ四百五十メートルもある大きなものもあったということです。
[16] ダムができあがって、水がせき止められると、その内がわにみずうみができます。
[17] ビーバーは、そのみずうみのまん中に、すを作ります。
[18] すは、ダムとおなじように、木と石とどろをつみ上げて作ります。それは、まるで、水の上にうかんだしまのようです。☆五人家族のビーバーのすを作るには、○ヶ月もかかるそうです。
[19] すの入り口は、水の中にあり、ビーバーのように、およぎの上手などうぶつでないと、けっしてすの中に入ることはできません。
[20] ビーバーがダムを作るのは、それで川の水をせき止めてずうみを作り、そのみずうみの中に、てきにおそわれないあんぜんなすを作るためなのです。


書き直しのポイント[理由]

[2] ビーバーたちが、あちらでもこちらでも一匹ずつ別々の木のみきをかじっています。
※複数のビーバーが、複数の場所で、一匹ずつで別々の木のみきをかじっているという設定を明確にしてみました。「[2] ビーバーが、木のみきをかじっています。」という一文で表現している事実は、いくつかの可能性をもつことになってしまっています。例えば、「一匹のビーバーが一本の木のみきをかじっている」という事実の可能性もあれば、「複数のビーバーが、一本の木のみきをいっしょにかじっている」という事実の可能性もあれば、「複数のビーバーがもそれぞれ一本の木のみきをかじっている」という事実の可能性もあるわけです。その選択肢の中の一つに絞って書き直しました。
☆近くの一匹のビーバーのようすをのぞいてみましょう。
※この文は、教材文にはありません。ですが、「複数のビーバー」の中から、「一匹の特定のビーバー」へと視点が絞られないと、[3][4]段落の記述へと移行できないため、挿入しました。
[3] ガリガリ、ガリガリ。
[4] すごいはやさでかじっています。木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれました
※[3][4]は、「一匹の特定のビーバー」に関わる事実ということが、☆の挿入した文で明確になっていますので、主語は省略されていても大丈夫と判断しました。
※教材文では、/[2] ビーバーが、木のみきをかじっています。[3] ガリガリ、ガリガリ。[4] すごいはやさです。木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。/とつながっていますので、[2]段落の「ビーバー」が、[3][4]の記述と関連する書き方になっています。そのままだと、[3][4]の事実が、複数のビーバーそれぞれで起こっているという書きぶりになってしまいます。そうすると、「みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木」をすべてのビーバーが選択してかじっているということになります。そうではなくて、注目した特定の一匹のビーバーのかじっている木が、「みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木」であるという形にしてあるのが、書き直しの文です。
※「たおれました」と過去形をあえて選んだのは、ここで一度ビーバーがかじって木を倒したという事実でしめくくっておきたいためです。「たおれます」と非過去形にして未来のこととして表現すると、[5]の/[5] 近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。するどくておおきいはは、まるで、大工さんのつかうのみのようです。/という部分とはうまくつながるのですが、このビーバーが木をたおしたという記述がそのあと出てこないので、しめくくりがなく説明が流れてしまいます。
[5] ☆まだ木をかじっている別のビーバーに近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっています。するどくておおきいはは、まるで、大工さんのつかうのみのようです。
※教材文のままだと、木をたおしたビーバーと[5]段落のビーバーとが同一のビーバーとなってしまうので、/☆まだ木をかじっている別のビーバーに/と書き加えて、別のビーバーであることを明確にしました。
[6] ドシーン、ドシーン。
[7] あちらでもこちらでも、ビーバーたちがポプラややなぎの木をつぎつぎにたおしていきます
※教材文ですと、自然現象として木がたおれるという感じになってしまいますし、ビーバーたちの存在が不透明になってしまいますので、ビーバーたちの行為として「木をたおしていく」と書き直しました。
[8] ビーバーたちは、切りたおした木を、さらにみじかくかみ切り、ずるずると川の方に引きずっていきます。そして、木をしっかりとくわえたまま、上手におよいでいきます。
[9] ビーバーたちは、ゆびとゆびの間にじょうぶな水かきがある後ろ足で、ぐいぐいと体をおしすすめます。おは、オールのような形をしていて、上手にかじをとります。
[10] ビーバーたちは、木をくわえたまま、水の中へもぐっていきます。そうして、木のとがった方を川のそこにさしこんで、ながれないようにします。その上に小えだをつみ上げていき、上から石でおもしをして、どろでしっかりかためていきます。
※[8][9][10]の「ビーバーたち」としたのは、ここからビーバーという動物の性質としての記述にあえて移行する書き方にしてみました。つまり、ここからビーバーを観察したことを記述しているという書き方から、「ビーバーたち」としてビーバーの習性としての書き方にしてみました。教材文の場合、ここあたりから特定のビーバーの観察記録として記述するのはむずかしいと判断しました。
[11] 家族のビーバーたちも、はこんできた木をつぎつぎにならべ、石とどろでしっかりとかためていきます。
[12] 一どもぐったビーバーは、ふつうで五分間、長いときには十五分間も水の中にいます。
[13] ビーバーは、夕方から夜中まで、家族そう出でしごとをつづけます。
[14] こうして、つみ上げられた木と石とどろは、一方の川ぎしからはんたいがわの川ぎしまで、少しずつのびていき、やがて川の水をせき止めるりっぱなダムができあがります。☆川のはば十メートルぐらいのダムを五人家族のビーバーが作るとしたら○ヶ月くらいかかるそうです。
※/☆川のはば十メートルぐらいのダムを五人家族のビーバーが作るとしたら○ヶ月くらいかかるそうです。/と加えたのは、一つのダムを作り終えるにはどれくらいかかるのか具体的な日数がないと、その大変さが実感できないからです。
[15] 今までに見つかったビーバーのダムの中には、高さ二メートル、長さ四百五十メートルもある大きなものもあったということです。
[16] ダムができあがって、水がせき止められると、その内がわにみずうみができます。
[17] ビーバーは、そのみずうみのまん中に、すを作ります。
[18] すは、ダムとおなじように、木と石とどろをつみ上げて作ります。それは、まるで、水の上にうかんだしまのようです。☆五人家族のビーバーのすを作るには、○ヶ月もかかるそうです。
※/☆五人家族のビーバーのすを作るには、○ヶ月もかかるそうです。/と書き加えたのも、具体的な日数を示して、その大変さを実感できるようにしたかったからです。
[19] すの入り口は、水の中にあり、ビーバーのように、およぎの上手などうぶつでないと、けっしてすの中に入ることはできません。
[20] ビーバーがダムを作るのは、それで川の水をせき止めてずうみを作り、そのみずうみの中に、てきにおそわれないあんぜんなすを作るためなのです。

[この記事 2011.07.26作成]

この記録文を書き直すとしたら、どのような書き直しが必要か。書き換え案[その2]

教材文 書き直した教材文
[1] ここは、北アメリカ。大きな森の中の川のほとりです。
[2] ビーバーが、木のみきをかじっています。


[3] ガリガリ、ガリガリ。
[4] すごいはやさです。木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。
[5] 近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。するどくておおきいはは、まるで、大工さんのつかうのみのようです。


[6] ドシーン、ドシーン。
[7] あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。
[1] ここは、北アメリカ。大きな森の中の川のほとりです。
[2] ビーバーたちが、あちらでもこちらでも一匹ずつ別々の木のみきをかじっています。
☆近くの一匹のビーバーのようすをのぞいてみましょう。
[3] ガリガリ、ガリガリ。
[4] すごいはやさでかじっています。木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、もう少しでたおれそうです
[5] 近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。するどくておおきいはは、まるで、大工さんのつかうのみのようです。
☆ドシーン。
☆ついに、かじっていた木が地ひびきを立ててたおれます。
[6] ドシーン、ドシーン。
[7] あちらでもこちらでも、ビーバーたちによってポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。


書き直しのポイント[理由]
[3][4]段落のビーバーと[5]段落のビーバーが同一のビーバーであるように書きかえてみました。
そうするために、[4]段落の「みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。」という部分を「たおれそうです」と今にもたおれそうであると書き直し、まだたおれていない状態に設定しています。そして、[5]段落で、そのビーバーに近づき、かじっている様子を説明し、☆印の部分を書き加えて「ついにその木が地ひびきを立ててたおれた」と結末をはっきりさせました。[4]段落に、/ドシーンと地ひびきを立てて/とたおれるときの様子を説明している記述がありますが、書き直しの部分ではその部分を削除し、☆印の部分に取り入れてみました。
[7]段落は、「ビーバーたちによって」と行為者を明確に位置づけました。そうすることによって、複数いるビーバーたちがそれぞれ木を倒しているという設定がより明確になると考えました。

教科書会社の方々や先生方へのお願い

 教材文を書き直す・書き加えるというような試みをしてみましたが、この「ビーバーの大工事」という記録文で表現しようとしている事実は、私のとらえた書き直し案でよいのでしょうか。それとも、もう少し違う事実をこの「ビーバーの大工事」という記録文で表現しようとしているのでしょうか。
 私が、この「ビーバーの大工事」という記録文を書き直したいと考えたのは、子供たちがこの教材を読んで、いくつかの読みの可能性が出てきてしまうのではないか、よくわからない部分が出てきてしまうのではないか、という恐れです。説明文を読んで、こうかもしれない、そうかもしれないなどと、書かれている文からいくつかの事実の可能性が出できてしまうことは、説明文としては問題があるのではないかという問題意識から、つたない書き直し案を提示しています。私の書き直し案は、少なくとも、表現しようとしている事実が明確にはなっているとは思うのですが、不自然な部分も含まれていると思っています。よりよい書き直し案にしていければよいと考えています。
 ぜひ、書き直し案の検討をしていただき、ご意見をお寄せください。そして、ご意見をこのページに掲載させていただければ、大変ありがたく存じます。ご意見をお願いします。
[この記事追加  2011.07.27]

この記録文を書き直すとしたら、どのような書き直しが必要か。書き換え案[その3]

教材文 書き直した教材文
[1] ここは、北アメリカ。大きな森の中の川のほとりです。
[2] ビーバーが、木のみきをかじっています。
[3] ガリガリ、ガリガリ。
[4] すごいはやさです。木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。

[5] 近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。するどくておおきいはは、まるで、大工さんのつかうのみのようです。
[6] ドシーン、ドシーン。
[7] あちらでもこちらでも、ポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。
[1] ここは、北アメリカ。大きな森の中の川のほとりです。
[2] 一匹のビーバーが、木のみきをかじっています。
[3] ガリガリ、ガリガリ。
[4] すごいはやさです。木のねもとには、たちまち木のかわや木くずがとびちり、みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。
☆ 木が倒れると、ビーバーはまた倒れた木をかじり始めました。
[5] 近よってみますと、上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。するどくておおきいはは、まるで、大工さんのつかうのみのようです。
[6] ドシーン、ドシーン。
[7] あちらでもこちらでも、他にもいるビーバーたちによってポプラややなぎの木がつぎつぎにたおされていきます。


書き直しのポイント[理由]

一匹のビーバーが、木のみきをかじっているという設定をはっきりさせるために、[2]段落の「ビーバー」を「一匹のビーバー」としました。
[4]段落の/みきのまわりが五十センチメートルいじょうもある木が、ドシーンと地ひびきを立ててたおれます。/という文を、現在のテンポラリティとみなして、木がたおれたという意味合いで読み取らせます。その後の[5]段落の/上あごのはを木のみきに当てて、ささえにし、下あごのするどいはで、ぐいぐいとかじっているのです。/という部分は、木がたおれた後、ビーバーが木を運ぶためにまた木をかじっているという設定ということを明確にするために、☆ 木が倒れると、ビーバーはまた倒れた木をかじり始めました。という文を書き加えました。

書き直し案がいくつも考えられるのは

そもそもこの教材の[2]段落の/[2] ビーバーが、木のみきをかじっています。/の「ビーバー」が、単数なのか複数なのかはっきりしていない点が、問題なのではないでしょうか。なぜ、一匹のビーバーなら「一匹のビーバー」と表現しないのでしょうか。なぜ、複数のビーバーなら「ビーバーたち」と表現しないのでしょうか。
後を読んでいくと、複数のビーバーであることがはっきりするということで、教科書会社の方は、「複数のビーバーである」と説明なさっているのですが、私の感覚では、[2]段落の/[2] ビーバーが、木のみきをかじっています。/の「ビーバー」で表現されているのは、一匹のビーバーとしか読みようがないのです。たぶん、この教材を読んでいる小学二年生に尋ねれば、一匹のビーバーとして読み取ったままなのではないでしょうか。

[この記事追加 2011.07.29]


ビーバーの大工事の私の書き換え案に対するご意見の紹介
ビーバーの大工事の書き換え案1・2・3に対して、渡辺知明氏にご意見をリクエストしたところ、次のような添削案を独自にお寄せくださいました。私の書き換え案は、ビーバーが単数か複数かを明確にするための書き換え案でしたが、渡辺さんの添削案は原文をできるだけいかしたものでした。とても参考になりますので、みなさんにご紹介させていただきます。

ビーバーの大工事という教材についての渡辺さんのご意見の紹介
井上さんのこだわりは、ほとんどビーバーが単数か複数かという点に集中しているようですね。しかし、そもそもこの原文は悪すぎます。文章として全体がよくない。
記録文というものではありません。エッセイに近いものでしょう。全体として正確さに欠けます。視点の問題と説明の順序とが混乱しています。文の順序を入れ替える必要があります。それでも大した文章にはなりません。
わたしが最もやりやすい批評は添削です。試しに手を入れたものを、添付ファイルでお送りいたします。細かいところご覧になると、どこに問題があるかわかるかと思います。いちいち説明するよりもよいでしょう。

渡辺知明さんの添削について

渡辺さんの添削の理由と渡辺さんへの質問について
渡辺さんは一つ一つの添削の理由については、コメントなさっていないのですが、私がたぶん渡辺さんは次のような理由で添削なさったのだろうとまとめてみたものが、以下の通りです。
また、添削について渡辺さんに質問をしてみました。

[4]段落の2文目を[5]段落の後に移動した理由
・[2]段落に登場したビーバーについて、[5]段落でも引き続いて観察しているというつながりが明確になる。
・[4]段落の2文目の時間的なつながりが自然になる。
☆「水にとびこんで」挿入の理由
・川に入る動きを挿入することで、ビーバーの場所の移動を明確にできる。
[11]段落の移動の理由
・家族のビーバーの唐突な登場を回避する。
・[12]段落のつながりの悪さを回避する。
・[11]段落と[13]段落のつながりがよくなる。

質問
[20]段落は、[17]段落の後に移動するのですか。
[19]段落末の手書きの「だから……なのです。」は、[20]段落が入るのですか。

渡辺さんからの回答
[20]は、「目的」を述べる段落で、[17]の説明をするものとしました。すると、[19]のあとに結論が必要になります。それで「だから、……なのです」という結論文を書き手に求めたのです。それがないと、いったいこの文章は何のために書いたのかという、テーマが不明確になります。
「水に飛び込んで」と入れたのは、「引きずっていきます」とあって、「上手に泳いで行きます」とつながるのですが、間の行動が飛んでいるからです。

渡辺知明さんの紹介

渡辺知明=日本コトバの会講師・事務局長、コトバ表現研究所所長、日本朗読検定協会理事。
HP:http://www.ne.jp/asahi/kotoba/tomo/


みなさんからの書き換え案に対するご意見や別の書き換え案をお待ちしています。
渡辺さんから添削案をお寄せいただき、この教材の問題点を別の新しい視点で考えることができました。
ホームページへの転載のご承諾をいただけた渡辺さんに感謝いたします。
ぜひ、みなさんからもご意見などをお寄せください。
[この記事追加  2011.08.18]