「資本主義は高度に発展すると帝国主義になる」か、
「高度に発展すると帝国主義を脱皮していく」か
──北朝鮮のミサイル発射問題に関連して
小川 紀
北朝鮮のミサイル発射問題で、読者のFさんから、ing会員の意見についての疑問、批判のお便りをいただきました。
で、ちょっと考えたことを、走り書きしてみます。
前提が違う
お便りを拝見して思ったのは、そもそも前提で、大きな誤解、食い違いがあるのではないかということです。
Fさんは、僕らingが前提のところで古い左翼と同じ立場に立っていると誤解されているようです。
つまり、僕らingも、古い左翼と同様に「今日の日本やアメリカは帝国主義」「北朝鮮も危険だが、日本やアメリカはもっと危険、もっと侵略的」という前提に立っている、と。
そして、確かにもしこの前提に立つなら、この前提が正しければ、小危険国家がミサイルを発射したからといって、大危険国家の左翼が、大危険国家の危険の告発を抜きに、小危険国家の危険だけを騒ぎたてることは、あまりに一方的、あまりのエゴ、ということになります。
ところがこの前提が違っていたら、どうでしょう。
そしてingは、この前提で、かつての自分たちの立場、現在の古い左翼の立場と根本的に違う見地に立つに至っています。
しかし振り返ってみると、それ以外ではあまり論じられずに来ましたので、もしかしたらFさんは、僕らが依然、昔のままの左翼の常識──「今日の日本やアメリカは帝国主義」「北朝鮮も危険だが、日本やアメリカはもっと危険、もっと侵略的」にとどまっていると思われていたのかもしれません。
しかし、違うのです。
資本主義の発展段階と「帝国主義」
では現在、僕らは日本やアメリカを──というか、発展した資本主義を、あるいは資本主義の発展というものを、あるいは人類の歴史の歩みというものを、どう見ているか。
詳しくは上記「レーニン帝国主義論の再検討」その他をご検討いただくことにして、ここでは結論だけ繰り返させていただきますと、僕らの観察というのは、「資本主義は高度に発展すれば帝国主義になる」のではなく、「発展の初期に帝国主義を通るが、やがてさらに発展すればそれを脱皮していく」「今日の日米等はすでに脱皮している」「つまり日米等の今日の軍事力は基本的に侵略のためのものではなくなっている」「侵略のためのものではなく、基本的に現状維持のためのもの、現状の攪乱に対する牽制のためのものである」というものです。
そしてこれは、それらの国の政権担当者や国民が「戦争の悲惨さを知って、非戦的、厭戦的になった」からそうなったといったことではなく、それらの国々の、およびそれらの国々が中心となって結び合う現代世界の経済が何を要求するようになったかに規定されてそうなった、ということです。
もちろん、「戦争の悲惨さを知って、非戦的、厭戦的になった」ということも事実ですが、それも後者の「経済が何を要求するか」に規定されて支配的な意識、性格、気分として定着していったということです。
ただし以上は、あくまで「基本的に」であり、その時々の政権担当者、および国民の多数がこれから外れた行動をとることは現実にはありうる、ということも僕らは併せて確認しています。だから、それと闘う活動が必要になる、と。
一方、北朝鮮とはどんな社会、どんな国家か。
まだ半分、封建社会の殻をくっつけたような初期資本主義の社会、国家資本主義(の変種)の社会です。
そしてこうした段階の社会、国家には、国内的には独裁、暴力支配が、国外的には帝国主義、排外主義、冒険主義、等が照応します。
「追究」と「当てはめ」
では以上から、今日の北朝鮮のような社会、国家と、アメリカや日本、ヨーロッパ諸国などの社会、国家との関係はどうなるか。
これについては、今回は時間がないので、別の機会に。
ただ、以上から、次のような指摘はできると思います。
すなわち、19世紀、および20世紀初頭の世界では、当時の最も発展した資本主義に「帝国主義」が照応していました。
ところがその後、そして今日では、最も発展した資本主義のほうは「帝国主義」を脱皮し、むしろより後れた資本主義のほうが「帝国主義」(排外主義、冒険主義、等)の段階にあります。
ところが、少し前の僕らも含め、古い左翼は、現在、「帝国主義というのはアメリカや日本、ヨーロッパ諸国のことだ」「アメリカや日本、ヨーロッパ諸国は後進国の侵略を狙っている」「アメリカや日本、ヨーロッパ諸国の軍備はそのためのもの」としているのですが、しかしそれは、「資本主義」というものとどのように結びついて「帝国主義」が生じるか、したがって現代資本主義というのは、内的、必然的に何を要求しているか、また何を桎梏とするようになっているかということを追究した結果得られた結論ではなく、ただ「帝国主義とは資本主義の最高の発展段階である」というかつての思想家の言葉を現代世界に当てはめ、「ところで現在、最高の発展段階にある資本主義といえばアメリカや日本、ヨーロッパ諸国である」「ゆえにアメリカや日本、ヨーロッパ諸国が帝国主義だ」と言っているに過ぎないということです。
これは、科学というより、暗記した経文を繰り返す、宗教のようなものに近いものではないでしょうか。
反省
ただし僕らも反省はあります。
ingの会議や、会員間のいろいろなやり取りにおいては、以上のようなことが日常的に語られていて、僕らの間ではこうした認識がもうだいぶ前から定着しているのですが、改めて振り返ってみると『ing』の紙上ではこのあたりが論じられることはあまりありませんでした。
だからFさん以外にも、多くの読者が、僕らが依然、古い左翼の公式を自明の前提としていると見ておられたかもしれません。
今後はこのあたりも、もっといろいろな角度から、もっと突っ込んで考察、提起していければと思っています。
最後に、Fさんのお便りをきっかけに、北朝鮮について論じる際にこうしたことも注意すべきでは、ともうひとつ考えたことがあります。
それは「北朝鮮」という言い方です。
僕らが批判するのは、もちろん、北朝鮮の人民ではなく、北朝鮮を支配する一握りの独裁者集団です。前者はむしろ後者の被害者ですらあります。
ところが「北朝鮮」という言い方には両者が含まれます。僕らは後者を批判して「北朝鮮」を批判していますが、客観的にはこの語は前者を含んでしまいます。
そして実際、例えば前に小川「普遍と特殊──ニュージーランドで思ったこと」(『ing』98年2月)で触れましたように、僕の職場のある同僚の理解、感覚というのは、「独裁者が悪い」ということではなく、「だから朝鮮人は嫌い」「朝鮮人っていうのは……」といったものです。そしてこういう理解、感覚は、どの程度か分かりませんがまだまだ日本に(特に中高年以上の世代で?)根強いのかもしれません。そういうなかで、僕らが「北朝鮮」という言い方を使うと、この理解、感覚との区別がなくなってしまいます。
ゆえに北朝鮮について論じる際、僕らは極力、「北朝鮮当局は」とか「北朝鮮政府は」とか「北朝鮮の独裁者たちは」とかいう言い方をしたほうがいいのではないか。
そんなことを考えました。
以上、時間がなく、走り書きで申し訳ありません。
Fさん、またお便りいただければ幸いです。
(『ing』98年10月)
