いま、何が起きているか
資本主義は国境も規制も超える
小川 紀
 
 
 
 資本主義の本質は最大限利潤の追求である。ゆえに資本主義は自由を求める。なぜなら最大限利潤のためには資金、人材、原材料等を最も有利な条件で、したがって自由に、入手し販売できなければならないから。ゆえに国家の壁であれ、国内の規制等であれ、この自由を阻むものを資本主義は乗り越え、あるいは溶解させていく。こうして「各国資本主義の算術的総和→文字どおりの世界資本主義」「統制資本主義→自由な資本主義→より自由な資本主義」という過程が進む、いままさにそんな時代をわれわれは生きている、として僕はこの間、日本および世界で進む価格低下の現象も、単に不況で需要が縮んだからといった循環性、一過性のものではなく、上記の歴史的趨勢によるものとして捉える見地を提起してきました。その後また考えたこと、目についたことを追ってみますと──
 
 
 何か根本的な変化が
 
 
 ingの仲間が、ネット上で見つけたとして、東京国際大学というところの助教授、菅幹雄という人の文章を送ってくれました。読むと、この人は「価格低下は日本だけの現象」、つまり「不況が主因」という立場で、1971〜2004年の世界各国の消費者物価上昇率の推移のグラフを掲げています。なるほど、日本だけがゼロ以下になっているのが目立ちます。
 が、すぐに「あれ?」と思いました。上昇率を示す縦軸ですが、71〜90年と91〜2004年の尺度をこの人は変えています。すなわち、前者を後者の3分の1に圧縮しています。そしてそのようにすると、グラフがこの人の主張に合致するように見えるから、これは作為的としか思えません。
 そこで71〜90年の尺度を91〜2004年の尺度と同じにするとグラフはどうなるか。前者の折れ線は3倍も上に来るということです。つまりすべての国で、グラフ左側(71〜90年)には折れ線はずっと上にあったものが、右側(91〜2004年)に行くにしたがって大きく下がっていったことが示されます。
 つまり、日本だけが特殊なわけではなく、すべての国でインフレが鎮静化してきたことが見て取れます。
 こうして僕には、菅氏よりも、例えば前にも引いたアメリカのエコノミストの次のような見方のほうが事実に合致していると思われます。再度紹介しておきますと──
 「ヨーロッパでも、新しく効率のいい技術と、これまでよりも安いグローバル供給網が新たに出現したため、価格に対するデフレ圧力は強まっている」「例えばドイツも、あれほど多くの官僚的法規制によって価格下落が抑えられていなければ、デフレに陥っていたことであろう。ドイツにおける真のインフレ率を知るには、政府の法規制によって統制されていない価格を知る必要がある。統計上のインフレ率は、限りなくゼロに近い(実際、03年4月にはゼロを下回っていた)。そして変動することが自由な価格を見るなら、ドイツはすでにデフレに陥っているといえる」「統計上の数字では02年、アメリカのインフレ率はプラスの1・2%であった。しかし、そのインフレのほとんどは健康保険費の高騰によるものであって、これを計算に入れなかった場合、アメリカ経済のインフレ率は0・3%である。アメリカはデフレに陥っていないが、それに近い状態にある」「90年代に入ると、成長が加速し、失業率はこの30年間で最も低いというのに、インフレ率は低下している。90年代にインフレが沈静化したのは、何か根本的な変化が起きたことを示している」「インフレが鎮静化したのは、技術革新がマイクロエレクトロニクスやコンピューターなどの多くの産業でコストを低下させたからである」「また、規制緩和と民営化がコストを削減し、競争を促し、価格を低下させたからである。輸送費、飛行運賃、そして長距離電話代は規制緩和の後、劇的に下落している」「さらに、グローバルな部品供給網が労働集約的なモノの生産コストを劇的に低下させたためでもある。もし中国が先進国よりある商品を30%、または40%安く生産することができるのなら、それらの商品の価格は下落せざるをえないだろう」云々(レスター・サロー『知識資本主義』、ダイヤモンド社、04年)。
 
 
 インフレターゲット論について
 
 
 前に、推理ドラマでは被害者が死んで得をするは誰かとして犯人探しが進められていくが、それと同じで、ある政策が実行されて得をするのは誰かとして、そうした政策が生み出されてくる客観的、物質的根拠を探っていかねばならない、とし、インフレターゲット政策はどうか、として、それはバブル崩壊で膨大な不良債権を抱えた銀行や一部企業の不良債権を「不良」でなくしたい、つまり再び値上がりさせたいという願望、利益だろう、ということを指摘しました(「クルーグマンについて」、『ing』04年12月号)。
 そのときも、その後もこの論について関心がなく、調べもしないままだったのですが、最近ある単純な事実を知ってあらためて「えっ」と思いました。
 日本でこの政策を採るべきだと主張した人たちは、それがうまく行く根拠としてイギリスやニュージーランド等では成功した、ということを言っていました。
 と言われれば、日本は物価上昇率がマイナスになっている、これをインフレ政策を採ってプラス2〜3%にもって行けというのがインフレターゲット論ですから、イギリスやニュージーランド等も同じようにしたと思うのが当然でしょう。
 ところが、そうではなく、まったく逆で、イギリスやニュージーランド等は物価上昇率が高かった、それを2〜3%に下げた、というのです。
 これでは話はまったく違ってきます。第1に、これでは、「マイナスをプラス2〜3%にもって行く」「それはうまく行く」という論拠にはならんでしょう。第2に、上記の菅氏のグラフが示すようにどの国も同じように下がってきたのですから、政策で下がったのか、他の要因で下がったかは証明できんでしょう。
 
 
 かつての日本の物価の高さ
 
 
 先日、古本屋で東谷暁『エコノミストは信用できるか』(文春新書、03年)という本を見つけ買ってきて読みました。
 日本で価格低下の現象が進んだとき、僕は、「『デフレ』というのが『不況』という意味でなく『価格低下』という意味なら、それ自体悪いことではない」「日本はモノ、サービスの価格が高すぎた」と言いました。
 ところが東谷氏は、かつてのこの日本のモノ、サービスの価格の高さ、いわゆる内外価格差というのは、アメリカの不当な言いがかりで、円高でそう見えただけ、みたいに言っています。
 だが円高、つまりプラザ合意は85年ですが、それ以前、もっと以前の、例えば僕らの若いころ、洋酒や洋モクはべらぼうに高かった。バナナなんかも普段は口にできないぜいたく品でした。日本の関税がべらぼうに高かったからです。あるいは電話料金。友だちと長話をしていると親が「電話代が高くつくから切れ」とうるさかった。規制で保護された独占産業だったからです、などなど。
 東谷氏のような見方では、かつての日本の関税のべらぼうな高さや、さまざまな規制や、古い流通システム、商慣行の非合理性や、等々がまったく視野外に行ってしまいます。
 
 
 ゼネコン落札価格低下
 
 
 日本で進んだ価格低下を「単に不況で需要が縮んだから」とし、かつての日本のモノ、サービスの高さを「そう見えたのは単なる円高のせい」とか言っていたら、かつての日本の関税のべらぼうな高さや、さまざまな規制や、古い流通システム、商慣行の非合理性や、等々がまったく視野外に行ってしまう、と書きましたが、先日の日経1面トップは「ゼネコン落札価格低下」で、まさにこの「古い商慣行」に変化が起きたことを指摘していました。
 「1月の改正独禁法施行後、国交省の発注工事で、ゼネコン大手4社の落札率(予定価格に対する落札価格の割合)が低下している。昨年は平均97%だったが、今年1〜3月は79%に急落した。ゼネコン大手は昨年末、罰則を強化する改正独禁法の施行をにらみ『談合訣別』を申し合わせた。商慣行を見直す過程で価格競争が起きている可能性が高い」。
 
 
 規制の強さの歴史的変化
 
 
 規制の多さ、大きさの変化についても、先日の日経に数字が出ていたので紹介します。
 OECD(経済協力開発機構)が実施した調査で、800強の項目についての規制を6段階で評価して数値化したもので、98年の日本を100として各国を比べるとグラフのとおりです〔ホームページではグラフ略〕。
 つまり、前に僕は資本主義の「アメリカ型」「ヨーロッパ型」「日本型」というのは段階の違いで、「自由な資本主義→より自由な資本主義」の進展の違いだと述べましたが、規制に関して見るかぎり一部修正が必要で、同じヨーロッパでもイギリスはアメリカより進んでおり、ドイツ、フランスは日本より後れているということになります。
 一方、価格問題などにからんで僕は「ヨーロッパは規制が強い」と指摘してきましたが、これは再確認できるでしょう。
 また、関連する別の数字も見つけましたので紹介します。
 「アメリカの国内総生産(GDP)に対する規制産業の割合は77年の17%から、88年には6・6%に低下。日本の規制産業はまだGDPの4割もある」(日経編『新資本主義が来た』、日経新聞社、99年)。
 
 
 アウトソーシング
 
 
 最後にもう1点。
 上記のように僕は「何か根本的な変化が起きている」とするアメリカのエコノミストの指摘を引いたのですが、そのとき実は1点を省略していました。
 「アウトソーシングも価格下落の要因だといえる」(レスター・サロー、同前)。
 省略したのは、引用した「グローバルな部品供給網」と同じだと判断したからです。
 が、海外の安価な労働力の利用という点で同じだとしても、やはり僕はこアウトソーシングというもの独自の、巨大な意義を理解していなかったのだと思います。
 先日来、トーマス・フリードマン『フラット化する世界──経済の大転換と人間の未来』(日経新聞社、06・5)を読みはじめ、そのことを痛感させられました。いくつか紹介しますと──
 例えば、以前から、アメリカのIT企業がコールセンターに、優秀で、英語ができ、賃金がアメリカ人の何分の1というインド人を活用している、つまりアメリカの消費者がIBMやマイクロソフトに電話して相談をする。そのとき実は電話はインドにつながっていて、インド人が応答している、という話は聞いていましたが、『フラット化する世界』によれば、アメリカの病院でCTやMRIを撮る。その画像をインドに送り、インド人医師が診断する、ということが広がっているそうです。へえー、そこまで、です。
 また、僕が誤解していたのは、例えばマイクロソフトならマイクロソフトが人を雇いコールセンターをつくっていると思っていたら、そうではなく、インドのコールセンターの会社があって、そこがマイクロソフトだとか航空会社だとか多種多様な会社の応答業務を請け負っているのだそうです。ともあれ、こうして現在、「世界中からの電話に応答しているインド人」は計24万5000人にのぼるのだそうです。
 あるいは、「ありがたいことに私はジャーナリストだ。私の仕事のアウトソーシングは今後もありえないだろう。そう私はたかをくくっていた」。ところが違ったのだそうです。ロイター通信はジャーナリストの仕事を大きく2つに分けた。1つは、企業等から出される原資料をそのまま(あるいは表やグラフにして)、できるだけ速く世界に発信する。もう1は、それを分析する。そして前者をインド人にやらせることにした。「バンガロールは世界一、通信が発達している地域で、世界の情報を得るのに1秒未満の遅れはあるが、ロンドンやニューヨークにいるのと同じように電子版の原資料を入手して記事にできる」「違いは、バンガロールでは英米の主要都市の5分の1以下の人件費で済むということだ」。こうしてロイターは04年にバンガロールのスタッフを300人に拡大した。最終的には1500人に拡大するといいます。各社がつづくでしょう。
 さらに、上記のように僕が引用を省略したのは井の中のカワズ、つまり日本にいるからで、アメリカほどにはまだこの現実が進んでいないからでしょうが、しかし日本経済にも着実に同じ過程は生じ、進みつつあるのだといいます。
 すなわちフリードマンは中国の大連のことを「中国のバンガロール」と呼んでいます。「アメリカはじめ英語圏諸国にとってのバンガロールと同じように、大連は日本のアウトソーシングの中心になっている」「この地域の住民の3分の1が、高校で日本語を第二外国語に選んでいる。それで日本企業がこぞって行くんだよ」という、さる日本のエコノミストの言葉も引いて。
 ちなみに、付け加えますと、これ自体が興味深いですが、さらに興味深いと思ったのは例の反日感情の問題です。われわれは日本でも、後れた政治家は過去の侵略否定や靖国参拝などしているが、ブルジョアはそんなことないということに目を向けてきました。フリードマンが大連市長にインタビューしています。「戦時中の中国に対する行為を、日本政府はいまだに公式に謝罪していない。その日本のために働くことに悩みはありませんか」。市長の答え、「日本がかつておこなったことを、われわれは決して忘れないでしょうね。しかし経済の分野では、われわれは経済上の問題だけに焦点を絞ります」。小泉の靖国参拝を批判した経済同友会を、小泉は「商売人は黙っとけ」みたいな無礼なこと言ったが、結局は、商売が(経済が)政治を押し切っていくでしょう。
 
 ──さて、われわれがいま生きている時代が世界史を画するような時代であることを、今後もその事実を追っていきたいと思います。
 その際、以前から僕は、「産業の発展のより高い国は、その発展のより低い国に、ただこの国の未来の姿を示しているだけである」(マルクス)という唯物史観の合理性、その視点の重要性を言い、「僕らの課題は明らかだと思う。セピア色に変色した写真(19世紀の思想家の言葉)に固執するのでなく、のみならずそれが変色していないなどと強弁するのでなく、大きく目を見開き、眼前の、資本主義の最先端の現実を直視し、これを活写し解剖することだ」(小川「物語・若きエンゲルス」、『ing』の前身紙、95年)ということを強調してきたのですが、上記のように貫徹できていませんでした。
 反省。
 再度目をこすり、見開きます。
(『ing』06年7月号)