2009年 帆かけサバニ航海

                                                                         −奄美大島・加計呂間島編−

                    

2009年のサバニ旅は奄美へ行く事とした。奄美への航海はこれで3度目となる。 

初めての航海は2隻のサバニで奄美を目指した。

舟に不具合が出て、更には風も強くなるとの予報から、奄美加計呂麻島を目前に徳之島で終わった。

次の年、消化不良を解消すべく再チャレンジして、ついに奄美大島名瀬市までゴールできた。 

                                                                           

今度の奄美大島行きの目的は 「自立」。 

過去2度の航海の帰路は、サバニをフェリーに乗せて帰って来た。

個人的には、この事が何となく引っかかっていた。 全てをサバニで完結できないものか?

昔の海人にならい、サバニで航海するなら難しい航海は承知の上で最後まで完結したい。

そんな思いが強くなった。 

一昨年そして昨年と300Kmを越える航海の中で向かい風の中、島から島への70Kmを超える距離でも、

何とか漕ぎ進み島に辿りつけた。この2シーズンの経験で、向かい風でも決して不可能な距離ではないと思える。  

 

今まで沖縄本島から奄美や鹿児島へサバニで向った人はいるが、向かい風の中を帰って来た話は聞いた事がない。

サバニは向い風でも上れるという事を実践をもって証明したい。 

更に夜の航海もどこかタイミングが合えばチャレンジしてみたいと考えている。 

天候、風向きなど難しい航海となるが、難しいからこそやりがいもあるのだ。

このコースを、安全を確保しながら、どう進めるか? 

 

私達の変わらぬスタイルは伴走船を伴わない航海を旨としている。 

一見 無謀とも思える計画のようだが、この方法が最も安全な航海方法だと思う。

なぜなら伴走船を伴うと、知らず知らずの内にどこかで甘えが生じる。

出ては行けない時についつい予定や感情に流されて無理をしがちになる。

仮に伴走船を伴っていたとしてもサバニが転覆するような時化にあっては、コーストガードの船ならいざ知らず

伴走船での救助はかなりリスクを伴う。単独航海はどんな些細な無理も控えなければならない。失敗は許されない。

舟の装備の段階から自ずと全ての面で、より慎重に成りそれが結果として最も安全ではないか?

だからと言って伴走船を伴った航海を否定するものではない。

航海の目的はそれぞれ違っていいものだし、私達自身サバニ航海と言っていてもアウトリガーを付けているので、

古の海人と比べると何の計器類も持ち合わせなかった時代に比べたら、その難易度は格段に違うはずだ。 

 

私達の旅の目的は人に自慢するほどの大儀名文などない。

ただただ面白い。楽しいからやっているだけの事だ。

                                           

                                              2007年の航海 出港前の奥港

 

≪準備≫

今年のサバニ帆漕レースは6月30日。2日の間を空けて7月1日を航海出発の日とした。

もう少し余裕を持った日程にすればいいのだが、航海に参加するクルーの中にはレースを含めて休みを取っている人もいるから、なるべく無駄な時間を避ける必要から慌しい準備となった。 

例年ならレース用のサバニと航海用のサバニは違うサバニなので、準備もレース仕様と航海仕様で分ける事ができたが、今年のレースは航海用のサバニを含めた2艇のサバニで参加したので航海に必要な細かな準備はこの2日間で準備しなければならない。 

サバニはレース終了後、早くとも次の日に運ばれてくるので、後片付けを含めると実質的には1日しか準備できる時間がない。

そうは言ってもレースの準備は意識するしないに関わらず、そのまま安全な航海に直結する事でもある。 

「早く走る」という事は安全な航海には欠かせない大きな要素の一つなのだから。

  

毎年航海に出ているから準備するものもそれなりに揃ってくるので作業量は年々減ってくるはずなのだが、なかなかそうはならない。 

航海に出る度に追加しなければならない準備が増えてくる。 

旅は知らず知らずに物が増えてくる。という事は、重量も増える。という事になる。

 

この数年の航海で学んだ事は旅の安全は1にも2にも舟を軽くする事だ。

だから、この足し算がなかなか難しい作業となる。勢い、クルーにはなるべく荷物をシンプルにするように口うるさくなってしまう。

いつもは一人での航海準備だったが今年はカメラマンの村山さん(通称ムラッキー)が手伝ってくれた。 

 

レースと違う旅の準備は、

アンカーリングシステム 

斜路に上げられない状況下でも一日波の中に留め置かなければならない場合がある。

丈夫な砂袋や予備アンカー これはシーアンカーも兼ねる。

                   

    

コロシステム 

斜路に上げる場合にただの丸棒が大きな力を発揮する。更に竹の丸棒。

転がらない砂浜でも滑って舟を移動させる事ができる。

              これは丸棒コロ うっかり指を挟んでしまわないよう、端を工夫。紐で引抜きもスムーズだ

 

台車

  
航海が終ったり、避難する場合、時には長い距離を移動しなければならない場合もある。

かといって大きな台車を積み込む訳にはいかない。今回は苦心の末サバニに備わっている材料を有効利用する事にした。 そのため航海用の台車は完璧とまではいかなくとも台車の実質的な総重量は3キロ弱となっている。

台車の機能を優先するなら、このシステムはあまりにも頼りない。

それでもあえて簡素にするのには私なりの「拘り」みたいなものがある。 全ての道具は軽く簡素であるべきだ。

航海には必要のない、たった一度だけ陸を移動させるだけのために重く多くのスペースを延々と持ち運ぶ事は非効率だ。航海の安全に影響しないものであるならば多少の不都合はあろうとも必要最低限に抑える。 

あったら便利!無ければ無いで何とかなる。 そんな時 私は決まって後者を選択する。

                
    小指で持てるほど軽量かつコンパクトな台車を作った。この上に三つのコロを固定して台車の代用とした

 

記録

今回、プロのカメラマンが同乗するという事でカメラを予めセットしておいてリモコンでシャッターを切る新たな装備を追加した。

これはカメラマンの村山さんの発案なのだが例えば向かい風の中ガッツリ漕いでいる姿を撮る為のものだ。

 カメラスタンドをセッティングする

 

と、いろいろな装備を追加し、くたびれているものを取替えながら準備は延々と夜遅くまで続いた。

前書きはこのぐらいにして、そろそろ航海をする事にしよう。

 

 

2009年7月1日  航海初日

                      

                       71日早朝 沖縄本島最北端 奥港 (M

           

                             出航前の奥港  朝日を浴びながら (M

 

沖縄本島北端 奥集落の港から奄美大島を目指して出発する。

北に向いた奥の港は三方を山に囲まれていて夏はいつもここだけ穏やかに静まり返っている。

たまに現れる上空の低い雲の流れによって風の向き 大方の強弱を知る。

梅雨明け間もない沖縄本島は九州地方に延びる前線に吸い寄せられるように南風が元気よく吹いている。 

この風に乗ると思いの外 早く着くかも知れない。 

「早く着く!」と言っても明確にどこに、いつまでに向うという事を決めている訳ではない。

決めたところで、動力の無い風まかせの旅は天候によってどうにでも変更せざるを得ないし、予定どおり行かなくて当たり前なのだ。 

むしろ、その事を楽しむ余裕を持たなければならない。(と いつも自分に言い聞かせている)

 

                    

                             三方を山に囲まれた 奥の港を出発 (M         水平線に与論島が霞んで見える(M

 

左右に延びる堤防のその先に僅かに水平線が見えその先に与論島が霞んで見える。 

全ての準備を終え出発する時は既に午前8時を過ぎていた。鏡のような海面をゆっくりと漕いで港を出る。

忘れ物を届けに来てくれた、たった一人の見送り人を残して、とりあえずの目指す先は水平線の向こうに霞んで見える30Km先の与論島。

防波堤を過ぎると短いインナーリーフから直ぐに数百メートルの水深となる。  

海の色がみるみる濃紺の深い色に変わる。

 

山を回り込んだ南風がやっと入り始め周辺の海がざわめく。

やがて小さく不規則なうねりは次第に大きなうねりへと変わり、いよいよ外洋で出た事を実感する。

 

              目指すは30km先に霞んで見える与論島 (M

 

                                   

           小さく不規則なうねりが次第に大きなうねりへと変わりいよいよ外洋で出た事を実感する (M

 

南風 6メートル 何もかもが申し分ない。 

ゆったりとした大きなうねりに、たまに力なく飛沫がサバニを濡らす。 

睡魔と闘っているものは、いい目覚ましとなり強い日差しにひと時の清涼を与えてくれる。 

たまにアジサシが寄って来て甲高い声でマストの周りを飛んだりする。 

マストの天辺にある木製の飛び魚をまさか餌と勘違いしている訳でもないだろうに。

霞んで見えていた与論島の輪郭がくっきりとした形となって見え始める。

後ろを振り返ると沖縄本島の山の峰峯がはっきりとした線となって現れる。与論島に比べると沖縄本島は大陸のようにでかい。

                       

               南風 6メートル 何もかもが申し分ない  (M

 

大きなカメがのんびり水面に浮かんでいた。

まだ私たちに気付いていないのか、それとも逃げるまでの事はないと思っているのか遊んでいるかのように前足で何回も水面を叩いていた。

誰かが「カメがさよならしている。」と言った。皆で「バイバーイ」と合図をしている時に何とアウトリガーの後方がガタっと外れた。 

さほど大きくはないうねりとはいえ3メートルのアウトリガーを一本の横棒で支えるには負担が大きすぎる。

同時に上下するうねりによって耐え切れずアウトリガーが壊れてしまうのではないか? 

とっさに海に飛び込み外れた横棒とアウトリガーを掴み支えた。 これで上下左右の大きなブレは抑えられ取り敢えず壊れる心配はなくなった。

もう一方の横棒が外れる恐れがあったが運よく元の位置のままだった。 

「帆を降ろして」とアキラに指示を出し、舟のスピードを落としてセッティングし直した。 

 

やれやれ、奥を出てまだ1時間足らずというのに思いがけないアクシデントからのスタートだ。 

まぁー良いように解釈すれば、あのカメに助けられたと言う事が出来るし、波が高くない早い段階で起こって良かった、とも言える。

この後直ぐに沖縄本島の壁が取り払われ風も波も上がってきた。 そうなると今ほどスムーズに対処できていたか怪しい。 

しばらくしてからアキラが

「走っている時に飛び込みアウトリガーを掴み損ねたらシャレにならないよ・・」と言った。  

なるほど! 確かに言われて気付いた。危ない事をした。  

帆を一杯にはらませサバニが波を切ってグングン走っている海面の流れを見ながら、次は気をつけようと静かに安堵していた。 

これが私以外の誰かだったらきっと怒っていたかも知れないなぁー。

                       

                   帆を一杯にはらませ波を切ってぐんぐん走る  

 

与論島の建物がはっきり見え出してくる頃 風は7〜8メートルと更に上がり小さな白波が出始めた。

帆を一段縮帆しても軽く時速10Km以上出ている。

与論島東側に大きく張り出したリーフの先に百合ケ浜キャンプ場がある。

長くどこまでも白く波立つリーフを超えると眩いばかりの穏やかなでっかいイノーが広がり、その先に真っ白なビーチある。

このビーチに何隻か係留しているボートが見えた。 

 

以前やはりサバニで来た時、ここの漁師の殆どが帆かけサバニの景色を知る人たちだった。

懐かしそうに何時までも昔の話をしていた。 

漁師の一人が真顔で「一隻置いて行け!」と言っていた事を思い出した。

きっと入って行ったら、また何処からともなく集まってくるんだろうなー。 

立ち寄りたい衝動に駆られたが今日の風はそれを許してくれなかった。

与論島到着は午後12時前  奥の港を出てまだ4時間も経っていない。 

風は止みそうにもなく、与論島をやり過ごし、このまま沖永良部へと向かう事とした。

リンゴで昼食を補い、島の景色も見られなくなると皆それぞれ思い思いの時間を過ごす。

と言っても、殆どが、ただ、だらしなく寝るだけだが、、

                     

               与論島をやり過ごし、このまま沖永良部へと向かう事とした 

 

沖縄本島をAM8時15分に出発し、与論島到着は百合が浜をゴールにすると約30Kmを4時間弱で到着した事になる。与論島から沖永良部まで直線距離で約40Km 和泊港だと更に10Kmプラス。

風は朝より更にいい具合に吹いているので夕方5時頃には到着するだろう。 たとえ風が落ちて遅れても日暮れ前には到着するだろう。 と予想したが、結果は午後430分に沖永良部島・和泊港に到着した。

約50Kmを4時間30分で帆走したことになる。 

このまま一気に夜を徹して奄美加計呂麻島まで? という誘惑を堪えて、どうしたものか皆の意見を聞いてみた。 

「どうしますか?今日はここで一泊する?」と私 しばらくしてカメラマンのムラッキーが、「そうしますか!」と言った。   しばらく他の意見を待ったが、誰からもこの後の言葉が無かったので、会話の流れでそういう事になるならそれも良し、と自分を納得させて「了解、今日は和泊の港でキャンプしましょう。」 と言った。  

会話が他の話題に移り忘れた頃に、映像&雑用担当のアキラが、「天候はどうなんですか?」と聞いてきた。 

「なんで?」と私 「天候が問題ないのであれば夜の航海を経験しみたいと思って、、」 

「なるほど、天候は問題ないんじゃないかなー」と私 「夜の帆走は経験がないが行けると思う。」と続けた。

話の流れはサバニでの夜走りに向いているので、走りながら一人考えていた事を伝えた。

「徳之島を越えた辺りで風と波は多少上がると予想されるが今のところ危険というほどではないと思う。

思いの外 強い風と波の場合は夜中の到着になるが徳之島で停滞という選択もある。」 

そう説明しながら私自身やはり行きたいのだなーと認識しつつ、改めてこの計画に無理はないか説明しながら自問自答してみた。

 

沖永良部北端の灯台を回り込み和泊港までは後1時間ほどかかる。 

それまでにゆっくり決めればいい、このタイミングで切りだした。 

「では行きましょう。」とムラッキー「行こう!行こう!」と皆 弾んだ声で叫んだ。 

「OK 夜を通して奄美まで行きましょう。」 計画は決まった。

 

この辺はまだ梅雨明けしておらず、天候は刻々と変わり予報も数時間毎に何のプライドもなく突然変更され信用できるのは過ぎ去った過去のデータだけの有様だった。  

常に予定変更を念頭に慎重にそして当初の予定通り奄美へと向かう事とした。

                            予定通り奄美へ向かう事とした 

 

 

改めて奄美加計呂麻島への到着予想時間を出してみると、どうも夜明け前に着いてしまう。

沖永良部島から徳之島まで約50Km。フェリーが発着する亀徳港は更に7〜8Km このままだと約6時間で到着する。時刻にして午後10時30分。ここを横目に加計呂麻島へは距離にしてやはり50Kmを超えるが、帆走時間にして約6時間 時刻にして午前4時30分到着となる。  

加計呂麻島の手前には与路島と請島がある。

その間は潮が早くそれによって不規則な波も立つことから、この辺りは日が昇って明るい時間帯に通過したい。 

そうなると、どこかの島で時間調整をしなければならない。 

本来なら一島でも距離を稼ぎ休息は最も近いところで取るべきなのだが、このまま進むと徳之島への到着時間は午後

10時過ぎとなる。 

夜の港に入るよりは明るいうちに港に入った方が安全だし、体にとっても負担が少ないと判断して沖永良部で時間調整をする事とした。 

 

沖永良部の港に入り、斜路にサバニを上げて港にある水シャワーを浴び、近くの食堂でお腹を満たす。

たっぷり約2時間の休憩をとった。 

たまたま立ち寄った食堂のお姉さんから、おにぎりと冷たい飲み物の差し入れを頂いた。 

ひとときの出会いながら島の暖かさが身に染みる。  

 

強い日差しは和らいだとはいえまだまだ明るい午後6時30分 和泊港出航 

港に自衛隊の艦船が停泊していて、私たちが出向するのを手を振って見送ってくれた。 

沖永良部最北端国頭岬を過ぎた辺りで真っ赤に染まる夕日を見ながら、いよいよ夜の航海に突入する。

 

   

                            午後430分に沖永良部島・和泊港に到着した  (M

 

                             

                     強い日差しは和らいだとはいえまだまだ明るい午後6時30分 和泊港出航 (M

 

                         

                                沖永良部最北端 国頭岬  (M

 

南西の風7メートル 目指すは徳之島 

日が沈むと明かりは月と僅かに見え隠れする徳之島北端喜念崎灯台 島を離れる前に携帯で天気予報を確認する 

どうもすっきりしない天候だ。 奄美近海に前線が通過しそうなのだ。 この前線が何時何処まで下がるのかが気になる。 

これを的確に予報できるのは恐らく神業に等しい。 

いずれにしても徳之島までは大きく影響を受けないだろうから徳之島で携帯の受信ができたらまた違った予報を見る事になるかも知れない。 

高気圧がほんのちょっとだけ頑張ってくれ、と願いながら受信できなくなるまでにらめっこする。

 

     

              真っ赤に染まる夕日を見ながら、いよいよ夜の航海に突入する (M)              

 

まだ寝るには早い時間帯だが、こうして皆起きていると睡魔が襲ってくる時間帯に皆寝てしまってはまずいので皆に「早く寝て!」と指示するのだが、「寝て」と言われて直ぐに寝れるものでもないので結局殆どのクルーが、夜の海をそれぞれに楽しんでいる。 

この辺りは船の往来も多いので船の明かりを見るたびに声を掛け合う。なかなかいい事だ。 

私の台湾沖での事故を皆よく知っている。 そうした事も我が事として危険を意識しているのではないか? 

予め夜の航海の最低限の予備知識は皆に伝えていた。どうあがいたところで大きい船には適わない。 

航海法を遵守して海に投げ出されるより、徹底して早く船を察知して進行方向と逆方向に逃げる。 に徹した。

                     

                南西の風7メートル 目指すは徳之島 (M

 

夜の航海用に帆の天辺にフラッシュライトを取り付けた。 

点滅した時、白の帆は想像以上に明るい。 

 

沖永良部島を出航してから4時間 午後10時過ぎ 徳之島まで、あと残り三分の一という辺りで急に風が落ちた。

沖永良部を出る段階では風が落ちる兆候は無かった。上がる事があっても落ちるとは想像していなかった。

あれほど吹いていた風が短い時間で落ちる、という事はこの風を押しのける逆の力が働いているという事だ。 

しばらくすると向かい風になるかも知れない。しかも強く。

 

前線が気まぐれに沖永良部近辺まで下がる気配なのだろうか?  

とにかく情報を取れない以上、風が弱い内になるべく早く徳之島へ近づく必要がある。

と判断して中には寝ていたクルーを起こして漕ぎで点滅する灯台を目指した。  

やがて情報が取れる段階になるとまるで違った予報に変わっている。 

風は南から西に変わり夜中から強く吹くと予想されていた。 

西なら舟を前に進められる。 

もう直ぐ徳之島の灯台をかわすから、どんなに西が吹いたところで島影で波の影響は受けない。 

 

ちょうどいいタイミングだった。 

船は強い南西の風によってドンドン進んだ。これから西に代わっても、いつでも港に入れるよう、なるべく陸地に近いリーフの際を走る。 

日付は変わり午前0時を過ぎた。この分だと徳之島亀徳港まで後30分ほどで着く。

それまでに奄美大島加計呂麻島まで向かうか、それとも予定を変更してここで停滞か最終決定をしなければならない。 

 

気になるのはこの風より奄美近辺を通過する前線の時間帯だ。 沖永良部近海での予想では早朝6時前後だった。

どの当たりを通過するかにもよるが、この予想だと向かうのは避けた方がいい。

 

クルーには徳之島での停滞の可能性がある事を伝え心の準備をしてもらった。

6時間を過ぎた時点で奄美近海を通る前線通過時間帯が遅れている。 早くとも午前9時を過ぎそうだ。 

奄美加計呂麻島への到着予想時間は、予定通り6時間後の午前6時〜7時前後だとしたら前線をかわせる事になる。

徳之島を越えた辺りで多少は風も波も上がるだろうが大きな問題は無いだろう。 

ただこの前線が今後どういう動きをするかが悩ましいところだ。 

約3時間の余裕は果たして十分と言えるのだろうか? そしてこの事は皆に相談する事ではない。

(相談しないまでも状況説明はするのだが) 

 

行きたい!が優先してはいないか? 状況判断に無理はないか? 

自分に問い直し、徳之島・亀徳港を前に最終判断に悩んだ。 

 

上を見ると月も水平線に沈み満天の星空だった。 

 

 このまま加計呂麻島まで進む事にした。 

予定通りこのまま進む判断をしたのは最悪の状況においても大丈夫だと判断したからだ。 

この判断は正しかったのか間違っていたか実際のところは全てが終わった今も分からない。

                 帆の天辺にフラッシュライトを取り付けた

 

                   船は強い南西の風によってドンドン進んだ  

 

 

無事に、奄美 加計呂麻島西阿室に着いた。

この事実だけで、この判断は結果として正しかった。とは言えない。 

 

亀徳港を横目に奄美加計呂麻島へ向かうと判断した理由として

(1) 

前線に万が一当たったとしてやり過ごす自信がある。前線は長くても3時間ほどで止む。 

その間帆を降ろし必要ならマストを倒しジッと耐える。

そのため今回は予めシーアンカーの装備を追加した。(といっても長いロープに小さいアンカーと丸太の代用だが) 

 

(2) 

前線通過中は帆を降ろし流されてもいいように予め風上に登っておく、一直線に与路島と請島の間を夜明けと共に抜ける。という予定を変更して、風上側の与路島西を大きく廻り込み、途中万が一前線にぶち当たって流されても余裕のコースをとる。

更にこの区間は強い潮による波も発生するため避ける意味もある。

 

(3)

前線通過は最も早くて9時位と予想されるが、普通に見ると10時を過ぎるのではないか? 

奄美大島近辺はまだ梅雨明けしていない。 

安定しない天候はこれからも続くはずだ。徳之島に停滞してこの前線が今後どう影響してくるのか分からない。

次から次と発生する可能性もありうる。 前線通過がこれ以上遅れたら徳之島からの出発も怪しくなる。 

そうなると天候の合間を縫って出発する状況は今より難しくなる。

北に上るという事は、風は上がる事はあっても下がる事はなさそうだ。 

 

 

徳之島亀徳港から、奄美加計呂麻島を目指すと殆ど北に向かう事になる。

風は西よりのため、真横から波を受ける事になる。

与論島沖合でアウトリガーが外れた事もあり、何度もアウトリガーをライトで照らし、ずれていないか確認した。

 

徳之島を越えた辺りで舵取りを交代した。朝まで寝ないつもりだったが加計呂麻島近海で睡魔に襲われては危ない。

それまで体を休めておこうと思った。アキラに言わせると、それでも途中ウトウトしていたようだ。 

今回は一晩の航海だったからまだ体力もあったが、こうした夜の航海はきっちりとローテーションを組んで複数でワッチに当たるべきだ。

殆どのクルーは夜の航海を楽しみにしていたが、それでもやはりガマンできなくてついつい寝てしまう場面があった。

徳之島から離れるにつれ島の壁が取り払われ予想通りうねりと風は徐々に大きくなり何度か波がサバニを洗うようになった。 

全てが見える昼なら何と言う事もない波なのだが星明りだけでは殆ど何も見えない。 

アウトリガーがどれほどのプレッシャーなのか?マストのしなりは許容範囲なのか? 風の方向は安定しているか? 

スポットライトで点検する。帆を2段まで縮帆をしているにも拘らずスピードはますます出る。

このままでは日の出前に与路島近くに到着してしまいそうだ。 

少し風を逃がし、更に風上に上りながらスピードを落とした。波と同時にサバニの上を飛び魚が超えていく。

大きな飛び魚が目の前を通った時はこのまま顔に当たったら痛いではすまない。シャレにならないと思った。 

後で聞いたらその飛び魚がアキラの頭にぶつかったようだ。何匹か飛び越えられずにサバニに入ってバタバタ暴れているやつもいた。

 

やがて左と右に微かに灯台の明かりが確認できるようになった。

右は奄美大島の東 皆津崎の灯台 左は曽津崎の灯台。 微かに見え隠れする曽津崎の灯台を目指して進む。 

曽津崎の右の皆津崎灯台の明かりが加計呂麻島に隠れて見えなくなった。

徳之島の僅かな明かりも遠ざかり、明かりと言えば星とサバニに当たって光る夜光虫だけとなった。

                    

              徳之島を越えた辺りで舵取りを交代した

 

 

7月2日  航海2日目 午前2時   西南西の風  7メートル

 

北に進路を取っていたため真横に見えていた徳之島金見崎灯台が徐々に後ろに下がると人工的な灯りが全て取り払われ、灯りの無いサバニは360度満天の星の中に包まれる。 波をかき分ける度に夜光虫が波間に輝く。

後ろ見ると通ってきた道が光の線となって輝いていた。 

サバニの底に寝転がって星空を見ていたムラッキーが「宇宙を飛んでいるようだねー」と表現した。 

喫水の低いサバニは、目線が水面にあり暗闇の中視界に入る光と言えば星明りと夜光虫だけとなる。

 

大海の中6人を乗せたサバニは、

まさに星の輝く宇宙のただ中を帆を上げて飛んでいるようだった。 

 

この辺りまでくるとフェリーと行きかう事も漁船の明かりもめっきり少なくなった。

暗闇は時には見たくないものまで見せてくれる。

西に雲の塊があり間断なくカミナリの光が見えた。運良く私達と同じ方向(北)に向っていた。

かち合う事はないと思ってもあまり気持ちいいものではない。

睡魔と闘いながら何度かクルーの交代をして見えない水平線の向こうにある加計呂麻島を目指した。

 

午前4時 進行方向水平線の向こうには未だに島は見えないが星の輝きも見えなくなった。 

おそらく島に隠れて見えなくなっている。それが加計呂麻島なのか与路島なのかは分らない。

昼間だったらくっきり見えているはずだ。 

風は更に上がり、これ以上縮帆する事が出来ないので少しスピードを落とす目的で、更に西北西に舵を切り、

登りながら時間を稼ぎ明るくなるのを待った。

この辺りから崩れ波が何度かサバニに入るようになった。

与路島近辺の潮目に入ったようだ。だいぶ西に上っているから比較的影響を受けにくいはずなのに、予想に反して波はやかましかった。 

改めて与路島と請島のコースをとらないでよかったと思う。

昼の航海なら潮目も肉眼で確認でき、ある程度回避も可能なのだが夜は潮目の突入は全く見えない。 

夜の海峡や水道は可能な限り避けた方がいいと思う。

 

午前5時 東の水平線がうっすら明るくなってきた。加計呂麻島の山並みが黒い線となって現れた。

与路島・請島が加計呂麻島の山並みと重なって、位置関係が肉眼ではまだはっきりと確認できない。 

近くには無人島の須子茂離があり大体の位置関係が分らないまま進路を加計呂麻島に切る訳には行かない。 

西にはまだ雨雲は見えない。 

慌てる事はない。GPSで位置確認は可能だが間もなく明るくなり島の位置関係もはっきりしてくるだろう。

やがて山から太陽が顔を出す頃、辺りの島がはっきり見えてきた。

与路島近辺の潮目も無くなり一定方向からリズミカルなうねりに変わった。

まだ肉眼では目指す西阿室は確認出来ないが方向は定まった。 

                                   

                                  午前5時 東の水平線がうっすら明るくなってきた (M)

                            陽が顔を出す頃、辺りの島がはっきり見えてきた

 

 

アキラが携帯電話のグーグルアースで位置を的確に調べていた!

すごい機能だと感心していたら、「森さんの携帯でも出来るよ!」だって。

だが私の携帯電話は与論島沖合でアウトリガーへの飛び込みによって水没してしまい航海初日にして早くも使用不能に陥ってしまった。

                       

                与路島近辺の潮目も無くなり一定方向からリズミカルなうねりに変わった (M)

 

与路島の西を沿うように加計呂麻島に向った。

須子茂離が左に見えた辺りで波も風もスコンと落ちた。

与路島を過ぎると加計呂麻島の山々が目の前にデンと迫ってくる。それでもまだ人工物らしいものが見えない。

目指す西阿室は集落の手前に三角に尖った立神岩と言われる岩が肉眼でも確認できる頃になってやっと低い防波堤の先に集落の屋根が見えた。 

僅かな平地に数十件の家が寄り添うように建っている。  

                       与路島の西を沿うように 加計呂麻島に向った (M)

 

              

        与路島を過ぎると加計呂麻島の山々が目の前にデンと迫ってくる  (M)

 

AM7時 加計呂麻島 西阿室の港に到着 

多少うねりが入っていたのでビーチではなく港の中に入った。 

何人かのんびりとこちらを見ていた人の中に見覚えのある人がいた。伊東さんの従兄弟の光一兄さんだ。

サバニで港に入った事で、もしかしたら知っている人かも知れないと思って見ていたようだ。

3年前に来た時のメンバーは今回私だけだった。光一兄さんから係留場所を頂いた。 

 

            

                      AM7時 加計呂麻島 西阿室の港に到着 (M

              光一兄さんから係留場所を頂いた(M

 

係留が終わった頃に西の空が怪しくなって来た。急いで近くの木々にタープを張り荷物をその中に入れた。と同時にどしゃ降りの雨になった。 

思っていたより早い前線の通過だった。 

敷物を敷いて皆そこでしばしの仮眠をとった。 強い横殴りの風で雨がタープを伝って登っているのが見えた。 

タープの中の雨音は心地いいBGMとなり、どっと睡魔がやってきた。 

浅い眠りの中 音と視界を遮るほどの強い雨の中 万が一を覚悟していたが、あらためて海で会わずに良かった。 と思った。 

 

前線は1時間ほどで通過した。 誰かの話声で目が覚めた。厚い雨雲も嘘のように消え強い日差しが戻っていた。 

私達がタープを張ったところは港に面した道路の脇で集落の人が行きかう場所だった。 

「どこから?」 「どこに泊まるの?」心配してくれる集落の人が気さくに声をかけてくれる。 

西阿室に向ったのはサバニ航海の仲間でもある伊東さんの実家がここ西阿室にあり、あわよくばお世話になりたいという思惑があった。 

訪ねてみると留守だった。 事前に連絡していないので仕方ないと言えば仕方ないのだが、、

                                      

                              タープの中の雨音は心地いいBGMとなり、どっと睡魔がやってきた

 

     集落の人が気さくに声をかけてくれる    (M)

 

今晩はここでキャンプしよう!と決めて準備していたら、自転車で立ち寄った人は 「隣に止めてある車は使っていないから今日はそこに寝たら?」  

犬の散歩をしていた人は「使っていない空き家があるからそこに寝たら?」 ある人は冷たい麦茶を2度に渡って差し入れしてくれた。 

ある人はひと抱えもある美味しい島バナナをドスンと置いていってくれた。 

「公民館は泊まる事が出来るよ。泊りたいんだったらカギを開けるけど、」と声をかけくれる人もいた。   

                                                                                               


光一兄さんは起き出したタイミングを見て隣で炭を起こし、イノシシの焼肉を御馳走してくれた。

私はイノシシの肉を始めて食べたが、これほど美味しいものだとは思わなかった。 

一塊の肉を6人のクルーはあまりの美味しさに何の遠慮もなくあっという間にキレイに平らげた。

                 光一兄さんはイノシシの焼肉を御馳走してくれた  (M)

 

 

島の誰かが伊東さんのお母さんに連絡を取ってくれて、通りがかりの人たちの厄介にならずにすんだ。

西阿室は比較的平地の中にある。伊東家は一段高台にあって周辺を見渡せ海風が抜ける快適なところだ。 

お母さんの手作り料理がテーブルいっぱいに並び、平らげるなんて不可能と思えるほど出てきた。

息子である当の伊東さんは私たちがここに来ている事すら知らないというのに、、

            

                           お世話になった伊東さんのお母さん(幸子さん)と (M

 

 

奄美シーカヤックレースは7月5日に開催される。 

この航海でもし間に合うなら、この一大イベントにサバニで参加できたら面白いだろうなーと思っていた。 

2日朝 加計呂麻島西海岸に着いたからレースまでまだ日があり、西周りか東周りで海峡を渡りたいのだが、やはりどうも天候が安定しない。

ここの海峡は昔から船の難所として多くの船乗りたちを悩ましてきた。前回も西周り曽津崎の灯台で思いがけない波に遭遇した。 

航海は島から遠く離れた外洋よりむしろ島周りの方がはるかに危険だ。 特に岬回りは。

島の子供達と遊びながら天気図とにらめっこする日が1日2日と過ぎた。 

私たちが西亜室に滞在していた3日間 ここの漁師は一度も海に出なかった。

4日までに出発できなければ5日のシーカヤックレース間に合わない。  

風は南南東 最大で13メートルの予報が出ている。海峡を渡る時 この風では無理だ。 

           

                   島の子供達と遊びながら(M)                        天気図とにらめっこする日が1日2日と過ぎた (M)

          

                                                       伊東さん&カヤック仲間と合流 M

 

 

7月4日 朝 

折角ここまでサバニで来ているのだから、カヤックレースに参加したい。

伊東さんがサバニを陸路で運ぶ車の手配をしていた。前日の天気予報から、海での渡りは想定していなかったので朝はゆっくり起きた。 

山の上にある木が揺れていない! 外に出て風が思いのほか上がっていない。天気図の確認をしたら、だいぶ前線が九州地方に寄っていた。

風も10メートル以下に落ちると予報されている。今の風は南4メートル、風はこれから東寄りに向いてくる。 

今出発すれば風を味方に2時間ほどで加計呂麻島西端の実久(サネク)に着く、その後強い向い風に捕まってもどこかに逃げられる。 

湾の中は入り組んだ地形によっていくらでも隠れ場所はある。 最悪、どこから風が吹いても海が大荒れする事はないだろう。

潮の影響を受けない西周りを選択して海岸線を舐めるよう向かえば決して無理な計画ではない。古仁屋に向かう事ができる。

 

この旅は「自立」がテーマとなっている。 

無理は禁物だが可能な限り行けるときには行こう。クルーの中にはまだ寝ている人もいたが急きょ西周りで古仁屋に向かう事とした。 

 

朝食もそこそこに、慌ただしく午前8時30分 西阿室を出発 

南風が緩やかに吹いている。 加計呂麻島南をのんびりと通り過ぎていく途中、須子茂と阿多地という南に向いた小さな集落がある。

西阿室より更に小さな集落、ちょっと立ち寄りたい衝動に駆られたがそんな時間は無さそうだ。

加計呂麻島西を大きく回り込んだ辺りから風は向い風になった。私たちの向う方向が180度反転したことと風が東寄りに向いたためだ。 

もう少し、あと2時間早く出発できていれば南の風で古仁屋まで帆で行けたかも知れない。 

天候は刻一刻と変わる。 昨日、天気図を見て「海を渡れない」と決定しそれ以上後の選択の可能性を絶った事を後悔した。まだまだ修行が足りない。

                  

                   急きょ西周りで古仁屋に向かう事とした(M

                                   加計呂麻島西を大きく回り込んだ辺りから風は向い風になった(M

  

向かい風の中 途中強い風にもあったが何度か切り返し午後1時に古仁屋港に到着。

港にはシーカヤックやアトリガーカヌー等が立体的に積み上げられ大勢の人で賑わっていた。 

斜路からサバニを上げ、一息ついたらあちらこちらに見覚えのある面々 

うーん もしかして海好きが大挙して各地区のイベントを大移動しているのではなかろうか?  

そういう私もそうなのかも知れないが、、

    

                                                       古仁屋港に到着  (M

 

伊東さんの計らいで、特別に私たちもサバニで参加させて頂くことになった。

といってもレースにではなくサバニで観戦という形でだが、大会当日運営委員会のアナウンスが

「わざわざ沖縄本島からサバニでこのレースを盛り上げるために来てくれました。」と紹介してくれた。

ちょっと気恥ずかしいが、ほんのちょっとだけでもこの大会の一員になれた事が嬉しい。

 

この日は古仁屋から移動して奄美大島東岸にあるヤドリ浜でキャンプを張った。

約300艇を超える大会にも関わらずキャンプ場は思いのほかガラガラだった。 

おかげで静かな夜を過ごす事が出来るのだが、更にラッキーだったのは、奄美の唄者がいたことだ。

喜界島出身の永志保さんという地元では知られた存在なのだ。 

草むらに布を敷いただけのステージ 数人が車座になって、三味線とその澄み渡る歌声を奄美の空に高らかに響かせた。 さっきまで鳴いていたアカショウビンでさえいつの間にか押し黙り聞き入っていた。

三味線とその澄み渡る歌声を奄美の空に高らかに響かせた(M

 

 

7月5日 奄美シーカヤックレース大会当日 午前7:00 

参加艇のシーカヤックの邪魔にならないよう早めにサバニを斜路から下した。 

レースの観戦は最初のコーナーで待つことにした。 

伊東さんのグループは本来なら4人一組だが、一人どうしても都合がつかなくなり、やむなく伊東さんが2回漕ぐというので、我々のサバニがその移動に一役かう事になった。 

あれほど吹いていた風が当日になってスコンと落ちた。まるでレースに合わせたかのように、

つまり帆を頼りにしているサバニも同じように漕ぐことでしか前に進まない。  

 

最初の交代が終わったら伊東さんをピックアップして4人目となる交代ポイントまでシーカヤックより早く着いていなければならない。

これほど多くのシーマンが揃った中でサバニが遅すぎて到着を待っていた、なんて噂が流れたら沖縄のサバニのコケンに関わる。

なんて露ほども思わないが少なくとも頑張って漕いできたクルーを待たせる訳にはいかないと思い私なりに多少のプレッシャーがかかる。 

 伊東さんをコーナーで見つけ応援した後、先回りしてポイントに向かいピックアップを計画していたがスタートからあまりのカヤックの多さに見失い適当なところでポイントに向かった。 ビーチに辿り着くには途切れることのないカヤックの合間を縫って反対側に行かなければならない。

カヤックと並行に進み一艇そして一艇と徐々に交わしながらコース変更を行った。 

後続の後一艇を交わすというところで何とその一艇が伊東さんのカヤックだった。

ついでに応援にも熱が入る。伊東さんからは大きなサバニは見えていて、徐々に近づいて来ているのできっと応援に近づいているとばかり思っていたようだ。

ここで打ち明すならば、6人漕ぎのサバニは一人のカヤックのスピードにも敵わない。

ということ(でもほんのちょっとだけだが)あらためてカヌーのスピードには驚かされる。

             

            レースの観戦は最初のコーナーで待つことにした (M

              

                         伊東さんのカヤック  応援にも熱が入る (M

          先回りしてポイントに向かう(M)

 

伊東さんをピックアップした後、入り組んだコースをサバニはほんのちょっとだけ風を拾いながら最短で交代ポイントまで向かった。

ちょっと早めに着きそうなので周囲の景色を楽しみながら必死に漕ぐ人たちを横目にのんびり応援していたらヤドリ浜で一緒にキャンプしている琵琶湖でカヤックガイドを運営する大瀬志朗氏がいた。 

サバニの上はのんきに大声で応援するが、当の本人は少しだけ手を振ってから漕ぎが更に増したようだった。

私たちを見てしまったばかりに疲れた体に更に鞭を打ったようだった。

 

第4ポイント(という名か知らないが)でサバニをビーチに上げて伊東さんのグループが到着するのをのんびりと待った。   ポイントでは地元の元気なおばちゃん達がギンギンに冷えた麦茶やそうめんなどを振る舞っていたが、そのまま通り過ぎる選手や一杯だけ飲んで急いで出る選手と様々だ。 

私たちは選手でもないのに堂々と御馳走になった。地元のおばちゃんがマイクで選手を励ます言葉が面白い。

「ハイ お疲れ様 選手の皆さん今から優勝は無理だからゆっくり休んで行って下さい。」 

私たちには「ハイ 難民船の皆さん お疲れさまです。 疲れたらまた来て下さい。」という具合に。 

     

       ポイントでは地元の元気なおばちゃん達が冷えた麦茶やそうめんなどを振る舞っていた (M)

 

伊東さんがカヤックに乗ったのを確認してゆっくりとゴールに向かった。 

広い加計呂麻の湾内を数百艇のカヤックが大移動しているにも関わらずちょっと離れるとカヤックは全く見えない。 

それほどカケロマの海は広く大海でのカヤックの存在は小さい。

賑やかな表彰式に参加して明日はいよいよ沖縄本島に向けて尺取り虫のように這いつくばりながら向かう。      

 

 

 

7月6日 AM30分  古仁屋出発

多くの人が忙しくカヤックの後片付けをする中、会場となった港からゆっくりと出港。

クルーにはレースが終わり晴れて自由の身になった伊東さんが加わった。 

が、アキラが仕事の都合でカヤックレース当日 沖縄本島へ向けて帰ってしまった。 

 

遅ればせながら、ここでクルーの紹介をしよう。 

 

今日から加わった画家の伊東さん。

毎年サバニ航海には何が何でも参加していたが、今年はカヤックレース参加のために皆勤賞とはならなかった。 

もしサバニレースが終わって沖縄からそのまま航海に参加しても結果的には充分に間に合っていた。

が日程に縛られる航海ほど危険な旅はない。そんな訳で折り返しの参加となった。 

           

帰りの航海に参加できなかった映像&雑用 担当のアキラ 

現在映画監督を目指し修行中 笑顔を絶やさず気持ち良く黙々とこまめに動いてくれるのでずいぶんと助かる。

            

 

カメラマンの村山さん 

サバニ航海は去年に続いて2回目なる。 

海想のサバニキャンプに参加したのがきっかけで、以降サバニに夢中になっている一人だ。

             

 

海想のサバニレースのクルーでもある満名さん 

名護市で島ブタ料理を出す満味のオーナー 

夏のシーズンは入るお客より断るお客様の方が多い と言われるほど人気の店だ。 

            

そして海想のスタッフ トンちゃんとアンちゃん 

座間味のレースでは3位と、誰より当の本人達が驚く結果だったクルーの二人。

               

そして私の6人での航海 

古仁屋から向かう先は約30Km先の与路島 風は昨日から落ちたままだ。 

ゆっくり漕いで進む湾内は湖のように穏やかに漕いだ分だけ水面を裂いて進んでいく。

 

昨日レースで賑やかだった海がひっそりと静まりかえり本来の海に戻っているのだろう。

目を凝らしてやっと見えるぐらいのところどころに小さな集落が点在している。

大自然の中にひっそりと人間生活が見える、そんな印象だ。 

 

赤い岩が特徴的なデリキョンマ崎を超えると大島海峡入口に入る。

芝と実久の集落を過ぎたところに加計呂麻海峡西の外れに無人島の江仁屋離がある。 

何年か前、伊東さんの案内でシーカヤックで訪れた事があった。

ここの素晴らしさを話していたのでアンちゃんとトンちゃんが「行きたいな〜キャンプしたいな〜」と独り言のように、だけど後ろの私までしっかり聞こえるようにつぶやく。

 

明日は向かい風の中50〜60Km先の徳之島へのハードな航海になる。

なるべく距離を稼ぐため徳之島に最も近い与路島まで行きたいと思っていた。

江仁屋離を横目に私も寄ってみたい気になって「明日朝、暗いうちに出るんだったら今日ここで一泊っていうのは?」と提案したら「やったー」 

 

明日は明日の風が吹く 

てな訳で古仁屋からたった3時間の航海で寄り道することになった。 

 

江仁屋離のキャンプサイトからは人工物が全く見えない。

東に向いたビーチは夕暮れとともに月が昇りキャンプサイトからまっすぐに光の道がサバニを照らしていた。

江仁屋離には一日だけのキャンプだったが早く着いたせいで夕食にもたっぷり時間をかけクルーそれぞれが思い思いにゆったりした時間を過ごした。 

シュノーケルや島の散策、私はタープの下でたっぷりと昼寝を楽しんだ。 

    

                 

   江仁屋離に到着      クルーそれぞれが思い思いにゆったりした時間を過ごした

 

 

あくる日 7月7日午前4時 江仁屋離出発 

島を回り込んだところでほとんど満月になった月が西の海に沈むところだった。

夕日はよく見る風景だが、月が沈む光景を私は今まで見たことがあっただろうか? 幻想的な風景だった。

 

南南東4〜5メートル 南へ向かうため約20度の上り角度で進むことになる。かなり際どい角度だ。

ここから与路島西側を通って行くつもりだったが早朝にも関わらず島の間を抜ける風が思いのほか強く、

手前の須子茂離島の間を抜けるルートに変更した。今度は潮に捕まってしまった。

これからますます強くなってくるのか?これがマックスなのか分からず、とにかく力の限り漕いで切り抜けるしか方法はない。

島が小さいだけに流れの距離もそんなに無かったのが幸いした。強い潮の中30分ほどで何とか切り抜けた。 

後は与路島の山で風が遮られるまで西に近づき漕いで角度(上り)を稼ぎ外洋に出た。東に厚い雨雲が見えた。

周辺にポツリポツリと小雨が落ちてきたが強い雨からは何とかかわせそうだ。

 

すぐ横に大きな虹が出た。

くっきりとした半円の虹は海面から始まり、そこをサバニが超えて行く。 

虹は遠くでしか見られないものとばかり思っていたが、こうして間近で見る事ができる事を初めて知った。

 

際どい風を拾いながら徳之島東側に向けて進んだ。与路島を超えたところで潮にぶつかった。

22.5メートルのやかましい波だったので早くやり過ごすために10度程西に下った。 

一番前にいたムラッキーが翻弄される波の中でライフジャケットを着た。

比較的サバニの前は上下の変動が大きく特に不規則な波の場合は振り落とされる心配もある。 

潮目に入る時は前もってクルーに知らせるべきだったが、ついうっかり知らせていなかった。 

潮目は20分ほどで通り過ぎた。ここからは向かい風と同じ方向の単調なうねりがあるだけだ。

 

問題はサバニの横流れと上り角度でどこまで方向を維持できるか? だ。

もし上る事が出来なかったら徳之島西に方向を変えればいい、それまで登れるだけ登る事とした。 

                                  

                             江仁屋離出発                    満月になった月が西の海に沈むところだった

 

                                          すぐ横に大きな虹が出た

 

 

午前4時 江仁屋離を出発してから8時間後の午後12時30分 徳之島・亀徳港沖に着いた。 

殆ど休憩らしい休憩もとらず漕ぎで上り進んだ。 

当初、ここ亀徳港をゴールにしていたが、向かい風にも関わらず予定より早く着いた。

まだ陽も高く、明日の事を思えばなるべく距離を稼ぎたいので更に南の面縄まで足を延ばす事にした。 

亀徳からは面縄までは南南西の位置にあたるため帆だけで進む。 

海面を心地よい海風が通り緊張感の中どの顔もやり遂げた達成感で満ちていた。 

午後4時30分 徳之島南端面縄港到着 航海時間12時間30分の長い一日だった。

 

沖永良部から最も近いところに面縄がある。

面縄(おもなわ)とは沖縄に面している。という事が語源と聞いた。

その昔沖縄の海人はサバニを繰り出し各地を駆け回っていた。

昔から続いた、こうした歴史は今に伝えられているのだろうか? 大海を超えてくる隣人をどの島も温かく迎えてくれる。

 

以前ここに来た時に世話になった方が、今回も沖で見えた帆を見て、

もしかしたらと3年前の私たちではないかと思ってわざわざ車で追いかけて差し入れまでくれた。 

キンキンに冷えたビールとガリガリ君はお腹にそして心にも沁みわたる。 

中には海外からの密入国と間違われて住民の通報で区長が呼び出され駐在所に連絡を入れていた。 

サバニの傍らで大きな声で「大丈夫 大丈夫 ちゃんと日本語をしゃべっているから!」だって。  

お騒がせしてすいません。

            南の面縄まで足を延ばす事にした

                          

             午後4時30分 徳之島南端面縄港到着 航海時間12時間30分の長い一日だった

 

 

7月8日 午前6時50分  徳之島 面縄港出発  南南東の風 4メートル

沖永良部は徳之島からだと20度ほど西側に向かうため昨日よりは風を利用して行けるかも知れないと期待したが、

計ったようにその分 風は南に向いた。 怠けずガッツリ漕げということか?

沖永良部北端 国頭岬にサバニの船首を向けるが潮でどんどん西に流されている。

沖永良部は南北に長く東に向かっても西に向かってもその角度はそう変わらない。

とりあえず東側に向かいどうしても行けそうもなかったら潮も変わり風も落ちる西に向かおう 

徳之島を出て3時間、中間地点で西に流れる潮が落ち着いてきた。風が落ちたところで思い切って20度登って見ることとした。

1時間漕いで、もし上れるようなら東側を目指す。 

どうして東を目指すかと言えば次の与論島のためだ。東側のルートだと与論へは更に15度の上りとなる。

明日もあまりいい風の予報がない以上、なるべく東側の和泊港まで辿り着きたい。

1時間2時間と漕ぎながらもう限界かと何度も方向転換しようか迷ったが、舟は際どくギリギリの線でかわせそうなラインを通る。西に向く潮も弱くなっているようだ。 

 

漕ぎ6時間 午後1時 やっと国頭岬を越える事ができた。

岬を超えると潮もピタリと止まり和泊港まで帆走で快適に進む。

ここでも多少時間的余裕ができたので和泊港を通り過ぎて沖永良部北端の町 知名港まで進む事にした。

和泊港から知名港までは距離にして10Kmほどあるが遅くとも1時間30分もあれば着くだろう。

 

沖永良部の東側はリーフが発達していてサバニが入れる切れ目が全くない。

満潮の時にうっかり入りでもしたら干上がったリーフによって出る事が出来ない。

そのため沖永良部以外では、どの島でも自然のビーチを選んで入って行ったが、ここは全て港に入らざるを得ない。

 

救いはどの港でも私達とサバニを歓迎してくれる。

最近は地元の漁師とのコンタクトを楽しんでいて港に入るのも悪くないと思えるようになってきた。

疲れた体を休めながらサバニは帆走によってゆっくりと西に傾いた太陽に向かって進む 

その方向にリーフに砕ける波が長く白い線となって続いていた。

 

午後4時20分 沖永良部島 知名港 到着 

港の最も奥に舟を上げる斜路があった。

そこにサバニを上げ午後4時を過ぎたとはいえ、まだまだ強い日差しを遮るために早速にタープを張った。

知名港に隣接して公園がありそこでシャワーを浴びた。火照った体に水シャワーはありがたい。

サバニの傍らに西日を避けながら誰からともなく集まりまったりした充実した時が流れていた。 

勝手に斜路を使わせて貰っているにも関わらず住民は漁師をはじめ皆 笑顔で接してくれる。 

 

どの島でも着いてしばらくは多くの人から質問攻めとなる。

「どこから来たの?」「どこまで」「えらいなー」お決まりの問答が続く。

今回は誰が決めた訳ではないが、その一つ一つの質問に丁寧に答える役はムラッキーだ。

他のクルーは傍らでうんうんと頷いていればいい。何より当の本人が楽しんでいるところが更に素晴らしい。 

ムラッキーのお陰でいろいろなところでずいぶん楽をさせてもらっている。 ありがたい存在だ。 

                   

                     7月8日 午前6時50分 徳之島面縄港出発 南南東の風 4メートル

                            

                風は南に向いた。怠けずガッツリ漕げということか?

             漕ぎ6時間 午後1時 やっと国頭岬を越える事ができた

 

            

                                                 和泊港まで帆走で快適に進む

                        午後4時20分 沖永良部島 知名港 到着 


                                                   

                                     知名港に隣接して公園があり そこでシャワーを浴びた

 

                           

                     サバニの傍らに西日を避けながら

                       誰からともなく集まりまったりした充実した時が流れていた

 

 

7月9日 午前6時 沖永良部島 知名漁港出発   南の風  6メートル

昨晩食事したおかみさん夫婦の見送りを受け目指すは与論島。 

昨日から多少波が上がっているようだ。港の出入り口は狭くリーフも近い事から周辺が波をかぶっている。

帆を上げずに漕いで沖に進んでいるため、なかなかスムーズに行かない。

そんな私たちを釣り人は「大丈夫かいな?」という目で心配そうに見ていた。

 

         目指すは与論島

 

昨日まで一緒だった伊東さんと満名さんが仕事の都合で与論島を前にサバニから降りた。

変わって海想スタッフのゆうちゃんが加わりクルーは5人となった。

南の風 6メートル 前線が九州南部まで降りてきてそれに引っ張られるように風も徐々に上がってきた。

昨晩の沖永良部周辺の予報は東南東 予報どおりだと40度の角度がある。

もしかしたら帆で行ける!と期待したが雲の流れは意に反して南だった。 

 

また際どく角度を拾いながらの航海が続く。与論島はここからだと約30Km

今回の島区間の距離で最も短い距離になる。

多少西に流れて向かい風になっても与論島近くで帆を降ろし漕いで向かえば何とかなると踏んでいた。

 

ところが沖永良部の潮を計算に入れていなかった。

沖永良部を出たところから強い潮に捕まりサバニはどんどん西に流されていく、島周りだけかと思ったら10Km程沖に出ても変わらない。

これ以上流されては与論島に近づく事ができない。

沖永良部と与論島の中間地点で帆を降ろし風に向かう事が出来るか反転して試してみたが、

潮と強い風は思うように角度を保ちながら前に進ませてくれない。

 

ちょうど中間地点1時間を漕いだところで与論島行きを諦めた。

このまま進めたとしても、おそらく3時間程で与論島西約15〜20Km地点まで行き、その後は帆を降ろし漕ぎで進む。与論島到着は約4〜5時間かかるだろう。そうなると日が沈むぎりぎりの時間となる。

与論島を10Km程通り過ぎて帆と漕ぎで進む方法をとったとしても時間は同じにかかる。

この風はこのままとは限らない。上がったら状況は更に厳しくなる。

 

朝からクルー全員がガッツリ漕いでいる。疲れもくるだろう。

風が後1メートルだけでも落ちてくれたらと海を恨めしく見るのだがウサギが元気に飛び回っている。

残念だが引き返すしか方法がない。

 

余談だが、それでもこの状況下で渡れる確率はかなり高いと思う。

クルーは漕げるメンバーだし例え夜になっても灯台や町の明かりで進む事はできる。

が、70%の確率で渡れると思っても少しの不安があったら諦めざるをえない。

この旅は冒険の航海ではない。 可能な限り安全を担保して楽しむ事にある。 

あらゆるマイナスの可能性をシュミレーションして少しでもその可能性があるとしたら直ぐに気持ちを切り替え撤退する。 

可能性の模索を断ち切るように「引き返します!」と言った。

                               雲の流れは意に反して南だった

 

今回サバニ旅で初めて引き返すという選択をした。 

航海中、常に「引き返す」を前提に出航しているので今回が初めてだったとは意外だった。 

毎回ギリギリの角度を捉えながら進んで来たとはいえ実際に引き返すサバニの中は何か重たい空気が流れていた。

 

ムラッキーが与論島をやり過ごし伊是名か伊平屋島へ向かうのは? と質問してきた。 

なるほどいい質問だと思った。「引き返す」と判断する前に当然あらゆる選択の中にあった。 

が残念ながら与論島に向かうより更にリスクのある選択だ。 

西に流されながらも精一杯の角度を保ち進むその先に沖縄本島北端 西に伊平屋島がある。

向かうとしたら、このまま方向を維持出来たらという前提がある。 

伊平屋島近辺は潮も早く更に到着は夜中という事になる。港も北側には無い。

向かう先は伊平屋島にではなく港という事になりだいぶ上り角度となる。

 

与論島までで10時間から12時間の漕ぎ 伊平屋島へは更に10時間以上の漕ぎが要求される。

5人のクルーで20時間の漕ぎは今まで経験した事がない。強い風のため私は帆に専念しなければならない。

実質的には4人の漕ぎ という事になる。

 

海図を見せ、現在地を出し、進行角度を確認してもらい納得してもらった。

クルーからの提案はそれがどんな案だろうが「自分で物事を考える」という意味において、それはとても大事なことだ。だからこうした提案には、なるべくちゃんと説明するように心がけている。

クルーからの提案に決まって私は「どうして?」と聞くようにしている。 もしかしたら私が考える以上にいいアイディアかも知れない。

また、どうしてその選択をしないかの説明も同時にできる。

(まぁー大抵は想像の範囲を超える事はなく受け入れがたい提案なのだが、、、)

 

風の方向は更に悪くなってほとんど与論島の方角から吹いていた。

港に入る周辺は波が砕け入口が見えにくくなっていた。一度経験しているから問題ないが初めてだったら緊張していたかも知れない。 

この後、翌日10日もチャレンジしたがやはり強い潮に負けて引き返した。 風は更に上がってきた。

これ以上だと例えいい方向からの風だとしても出航は難しくなってくる。

 

二日風待ちをした後、いつまでものんびり風待ちを決め込む訳にも行かず風が収まるまで一旦引き上げる事とした。 

知り合った地元の人に了解を頂き、しばしサバニをココに留め置き天候が回復したら、直ぐ帰ってきて旅の続きをする。ちょうど停滞している週末に大島郡の体育大会が開かれていて、ここ知名町がサバニレースの会場となっていた。 

サバニつながりで私たちも応援に力が入る。競争となると熱が入るのは老若男女どこも同じで港を中心に街が一つになっていた。

 

沖永良部島へは一週間程で帰って来られると思っていたが、天候が回復せず結局2週間待つ事となった。

九州にかかる前線が次々と発生し大きな水災害をもたらしたのもこの頃だ。早めに一旦撤退の決定は結果として正しかったようだ。

                                                風が収まるまで一旦引き上げる事とした

                            知名町のサバニレース会場

 

 

7月29日 旅の再開 

沖縄本島北部 本部港からフェリーで沖永良部島に向かう。 

クルーは5人 ゆうちゃん、マンナさんと私。実はメンバーはこの3人しか集まらなかった。 

天候の回復を待っていきなり明日出発、帰りは?未定!という日程に予定を立てられる人はそうはいない。 

ゆうちゃんはいとこを口説き落として一人ゲット。マンナさんは前夜知り合ったバックパッカーをゲット。

私はビーチで「素敵な旅をプレゼントします。」と言ってゲットした。取り敢えず役に立つのか怪しいところだが数だけは揃えた。 

まぁーいざとなったら説明するまでも無く状況は嫌が応でも理解できるだろう。 やってくれるに違いない。

 

沖永良部に到着すると前回もお世話になった旬香の女将さんが迎えに来てくれた。 

知名の港と街は何年も滞在したかのように懐かしく思えた。

港に着き早速に明日の出発の準備に取り掛かる。2時間程で全ての準備が整った。  

                                   港に着き早速に明日の出発の準備に取り掛かる

 

今回も旬香の女将さんの家にお世話になった。車と家とを自由に使わせて頂き、まるで我が家のように快適に過ごす事ができた。     

雲はゆっくりと南西に流れている。高気圧が沖縄近海にデンと居座りしばらくは大きな変化はなさそうだ。

サバニに乗るのは生まれて初めてというクルー3人を含めた6人でいよいよ与論島、更にその先の沖縄本島まで駆け上がる。

風が弱いため、もし昼前までに与論島に辿り着けない場合は一日目のキャンプ地は与論島、

午前11時前後なら風を見ながら与論島をやり過ごし、そのまま沖縄本島北端の港 宜名間漁港へとアバウトな計画を立てた。 

 

 

7月30日 午前5時40分 沖永良部島 知名港出航 

港を出たところで新たな旅の始まりを祝うかのように一点の陰りも無い朝日が昇ってきた。風はちょうどその方向から吹いている。 

波もなく潮も殆どない。湖のような海原をサバニは帆を孕み滑るように進んでいく。 快調そのものだ。 

この航海で最も穏やかな海、弱い風にも関わらず与論島到着午前10時前。

このまま与論を通過することにした。

 

与論島のダイビングショップなのだろうか、サバニのそばを大勢の人を乗せたボートが港に向けて通り過ぎていった。

十数年前 私も沖縄本島北部でダイビングインストラクターとして仕事に就いていた。 

お客の喜ぶ顔を見る度に、人に喜んでもらう仕事ほど楽しいものはない。 改めてサバニをもっともっと知らしめる必要を感じる。 

私たちだけが楽しんでいるこうした遊びを沖縄の新たなマリンスポーツとして拡げて行きたい。 

 

この青く澄んだ海に帆かけサバニがゆったり帆走している風景はどんなに素敵だろうか? 

幾重にも折り重なる青のコントラスト 広いリーフを通りながら思った。 

与論島西を素通りして予定通り本島に向けて進む。

沖永良部での停滞がそうさせているのか、与論島で一泊遊んで行こうか?などと思わなくなっている。 

あの2回の引き返しは行ける時には可能な限り前に前にという意識にさせているのかも知れない。

                       7月30日午前5時40分 沖永良部島 知名港出航

 

2度の与論島行きの撤退でいろいろな事をシュミレーションしていた中に、もし行けるとしたら、これしか無かったのではないかと思える選択があった。

それは7月8日 徳之島から沖永良部まで9時間の航海を終えて夕方 沖永良部 知名港に着いた。次の日 予報ではいい風ではない事は分かっていた。

更に漕げる二人が沖永良部で降りる。ならばこのまま与論島に向かう選択があった。 

 

当日の風は与論島までは帆だけで渡れる状況だった。加えて6人の体力も十分に揃っていた。

与論島で2人が降りたとしても沖縄本島は更に近く潮も沖永良部程大きな影響は受けない。

沖縄本島に向かい仮に思ったより西に流れても西側は本島の山に阻まれて波も風も潮も落ち着く、更に西には伊平屋島がある。

 

あの時もし結果的に行くという選択をしないまでも皆に状況説明をして判断を委ねるべきだった。

そんな事を沖永良部での停滞や帰りのフェリーの中でぼんやりと考えていた。

行けたとしたらのシミュレーションなので、実際与論島に向かう判断をしたとは思えないが、 

まぁー後悔しても始まらないし、この辺が私の甘さなのだろう。

 

与論島を超えて本島へ向かうコースは航路を避けて東よりを進んでいるのに沖縄本島から与論島に向かう客船がどんどん近づいてくる。 

まだしばらく余裕があったので東に大きく舵を切った。 

やがて客船もやり過ごし本島北端 辺戸岬に向けて真っ直ぐに進む。 

西に伊是名伊平屋島がはっきりした輪郭で見えた。 ちょっと寄りたい誘惑に駆られたが、東よりの風はその後の本部半島は北北東の位置にあたる。

気まぐれな高気圧がほんのチョットだけ横を向いただけで北にも南にも変わる。ここは無難に本島に向かう事とした。 

 

午後1時 辺戸岬到着 思いのほか早い!  

今年の航海は予備の帆を備えていた。 島ごと状況に応じて帆を変えていた。

今回も弱い風を拾うため今年レースにも使用した大きい帆に変えていたが常に予想を遥かに超える早い到着となった。 

4年の航海で培った物差しが少し狂ってきたような気がする。 

 

春にサバニを徹底的に大改造した。 

削り 磨き 油塗りを繰り返し、たっぷり愛情を注いだ結果 私たちの想像を超えてサバニは全く別物に変身した。 

奄美からの折り返しはこの高いポテンシャルの改造無しでは出来なかっただろう。

変身したサバニだからこそ、この航海が成し遂げられているのだと思う。 

                                          午後1時 辺戸岬到着 思いのほか早い!

          

                           

                                 たっぷり愛情を注ぎ、サバニを徹底的に大改造した

                                                               

午後2時前に今日の最終目的地である宜名真漁港に着いた。               

やはり思いのほか早く着いたので漁港に一泊するよりは自然のビーチでキャンプしよう。 

という事で、このまま漁港をやり過ごしてビーチを探した。 

本島北部はビーチが点在している。 がリーフの切れ目の情報が無いためリーフをかすめながらゆっくりと進む。 

古宇利島が霞んで見え始めた。いっその事このまま古宇利島まで行こうか? 

という案も浮かんだが幾らなんでも進み過ぎて次の日が伊江島だろうが水納島だろうが、ゴールである名護までは近すぎる。

最終日が味気ないものになる。うれしい誤算だ。 

 

結局 辺土名岬を越えたところに奥間ビーチがあり、その横に村営競技場がある。ありがたい事にシャワーもある。

サバニを乗り入れするための充分な水深と手付かずのビーチがある。

帆走距離80Kmを優に超え今年の旅で最も長く、そして全く漕ぐ事無く更に早い時間帯で着いた。 

 

サバニはこれだから止められない。

ある時は13時間殆ど休む事無く漕ぎ続けヘトヘトになって辿り着く時もあればこうして、

ただ寝ているだけでいつの間にか100Kmさえも苦もなく簡単に辿りついてしまう。

  

この後、やんばる(山原)と言われるのどかな西海岸を下り古宇利島を目指した。 

最近古宇利島に橋がかかったため観光客がどっと押し寄せている。 

折角なので大橋の下を越えた。そのまま古宇利島には立ち寄らずに今帰仁のリーフを越え本部半島備瀬埼を越え伊江島に向かった。

ここは船の往来も多いので出来るだけ備瀬崎に近づき視界が広がったところで最短で海峡を渡った。

伊江島の港の横に小さな斜路がありここにサバニを上げた。いつからか伊江島の宿は「土の宿」と決めている。

広い板間の共有スペースが更にベランダと繋がり開放的な空間、広い台所の他に外にも水道設備が備えられている。 

魚を釣り上げてもここで気にしないで捌く事ができる。

伊江島のキャンプ場は東北東に面している。 

南の風が僅かに回ってきても見事に育ったモクマオウによって遮られ蚊にとってはこの上ない環境となる。夏は暑く冬は寒い。

日頃の快適な生活を感謝するにはもってこいのキャンプサイトなのかも知れない。

 

あくる日 

気まぐれな風は東に変わった。前日 伊平屋島に向かわないで良かったと胸をなでおろした。

この風で本部半島を超えるには相当な漕ぎが要求される。 

伊江島から出来るだけ北に上ってから20度の向かい風を拾い本部半島まで比較的楽に渡る事が出来た。

その後 名護まではド向かい風をガッツリ漕いで進んだ。

サバニに始めて乗った3人のクルーにはガッツリ漕ぎを経験して欲しいと思っていたのでいいタイミングだった。

サバニの魅力はクルー皆で力を合わせて精一杯漕いで島に辿り着くところにも大きな魅力がある。 

これを経験するとサバニの魅力からいよいよ離れられなくなるのだ。

 

クルーの一人が当日名護のハーリーレースに参加予定のため名護漁港に午後12時前 ギリギリで間に合った。

名護のハーリー会場は広い漁港内が狭く感じるほどの賑わいだった。 

沖縄はまだまだこうした地域に根差したイベントが残っている。特に名護のハーリーレースは県内でもトップクラスのイベントに育った。 

帆かけサバニも理解者が増えもっともっと広がって欲しいと思う。

                                      

 

今年のサバニ旅は2週間の停滞を含めてちょうど1ヶ月で無事に終了した。 

いつの年もそうなのだが私たちは経験という財産を積み重ねている。

「物差しを作っている」という言い方もできる。 

私たちの前にはシーカヤックやヨットのように積み重ねてきた参考にすべき資料がない。

一歩一歩ハードルを上げ実践の航海を重ね手探りで全てを積み上げていくしか方法がない。

言うまでもなく、何事もなく安全に航海を終える。という事が全てに優先される。 

 

振り返って「あの時は危なかった。」とか「危機を乗り越えた」話は無い方がいい。 

なぜなら多くは危機を事前に予想できなかった。無知と想像力の欠如からくるものだからだ。 

知識や経験、想像力を最大限フル稼働して終わって見れば今年は快適な航海だったなーと振り返る事が出来たら、

それこそが誇れる結果なのではないだろうか。 

恐らくはそうした中にあっても知らず知らずの内に危機は常に潜んでいた筈だ。  

 

経験を積み重ねる事はまだまだ山ほどある。 

今までは、たまたま天候に恵まれ運に恵まれ海の神様の気丈が良かっただけなのだ。と肝に銘じることが肝要だ。  

これからも僅かな経験に驕る事無く謙虚に臆病に慎重に楽しんで行きたいと思う。

 

最後に旅の先々で島の人達に随分とお世話になった。

ただただ「ありがとう。」としか言えない私達でしたが心からのお礼を云いたい。 

人への思いやりはめぐりめぐってやがて自分に帰ってくる。  

見返りを求めない心からの思いやりは自分の人生を豊かにしてくれる。 

 

島々を巡るサバニ旅は、そんな事を静かに教えてくれた。  

 

2009年 サバニ航海 終わり 

森洋治

 

写真提供:(MYoshiaki Murayama      & sabani crew