Classic Movies

(タイトル :日本のスクリーンで)

十四夜の月
(1960)

監督:グル・ダット

グル・ダット、ワヒーダー・ラフマーン
*親友の男三人組の一人がある女性に片思いをする。しかしちょっとした手違いで彼は他の女性と勘違いしてしまい、本来片思いの彼女とお見合い結婚するはずであったのに、友人に譲ってしまう。友人は自分の妻が、彼の片思い相手だと知り苦悩する。

ワヒーダー・ラフマーンの美しさに釘づけ

グル・ダット作品を観たのはこれで3本目。「渇き」「紙の花」そして今回の「十四夜の月」。前者2作品が名作とされているが、一番ヒットしたのはこの作品。歌と踊りがある恋愛を扱った作品ということで、いわゆるインド映画らしかった。

とにかくこの作品で興味深かったのはラクナウという町を舞台にイスラムの生活様式が色濃く描かれていたこと。この物語は女性が男性の前で顔を見せないことによって起きる悲劇なのだが、現代の日本人からすると喜劇とさえ映る。昔の日本でも親が決めた結婚で式の当日に花嫁と花婿が初めて顔を合わせるということもあったようだ。

男性が間違って女性のいる場所に入ると女性達がいっせいに顔を隠したり、女性が‘男性部屋’に入ったことを後悔するシーンがあるが、イランなどの厳格なイスラム諸国ならともかく、インドのイスラム社会もこのように厳格だったのであろうか?

また男の友情が強調して描かれているのだが、「なにもそこまで」というような結びつきの強さである。これは男の友情なのか、時代性なのか、ムスリムの人間関係なのかはわからない。

グル・ダット自身は39歳で自殺した。いずれの作品でも人間の死生観のようなものが描かれており、彼の危うい感性を感じる。

そして私生活でも彼を狂わせたというワヒーダー・ラフマーンの何と美しいことか。意思を持った強く魅惑的な瞳が映画の核の一つともなっている。タイトルの「十四夜の月」とは満月のように美しい彼女のこと。
紙の花
(1959)

監督:グル・ダット

グル・ダット、ワヒーダー・ラフマーン
*映画監督の主人公は雨の日に偶然出会った孤児院育ちの少女に「デーウダース」のヒロイン、パロ役の資質を見出す。少女はスターになる。淡い恋にも似て、お互いの魂が引かれあっていく。しかしその後に訪れる監督の栄華と失墜、人生の愁い、絶望と孤独。

名匠グル・ダットがモノクロの映画で描き出す世界

今回で見たのは2回目だが、正直、こういう高尚な映画はニガテだ。映画通や評論家などにはきっと評判がいいのかもしれないけど、個人的にはもっと大衆的で俗っぽい方が好きだ。

華やかスポットライトを経験した男がひとりの少女に恋をしたことによって仕事が手につかず、ゆえに仕事はうまくいかなくなり酒びたりの日々を送り転落していく・・・なんか典型的すぎるのだ。

主人公がそこまで絶望する理由がいまひとつ理解できなかったし、2時間半でグル・ダットの愁い感がこちらまで伝わってきて計らずも見終わった後に「人生とは・・・」なんて考えてしまいそう。

また主人公の娘役の女優が異常に色気に満ちており、それも違和感を覚えた。ジョニー・ウォーカーはグル・ダット作品のお笑い場面には欠かせない人だが、今回のエピソードは無理やり挿入したような感想を持った。
渇き
(1957)

監督:グル・ダット

グル・ダット,ワヒーダー・ラフマーン
*売れない詩人のヴィジャイは世間にも家族にも見捨てられ失望していた。彼の学生時代の恋人すら愛より富を選んで結婚していた。が、娼婦のグラーブだけは彼の詩を愛していた。そんな時彼が事故死したとの知らせが。グラーブは自費で彼の詩集を出版し、それが大ヒットする。

不朽の名作にいち素人が言ってしまうぞ

インドのみならず世界の名作とうたわれる作品。この上映の後、本来はフランス文学がご専門の野崎歓氏が「グル・ダット讃」として1時間の講演を行った。野崎氏は上映の感動止まずといった感じで講演は始まった。氏は自らインド映画には詳しくないとおっしゃっていたが、インド映画の、そしてグル・ダットのすばらしさに感嘆しているということであった。その素直な感想と鋭い分析で、とても面白く講演を聞くことができた。

あくまでイメージであるが、フランスの文学や映画を好む人がグル・ダットを好きになるというのはなんだかとても納得する。作品全体が詩的であり、人間の内面や本質を力強く描くというところが、両者に共通するような気がする。さらにこの作品ではアップを多用したとされる巧みなカメラワークが、迫力とリアリティーを持ってこちらの気持ちに迫ってくる。インド国内の著名映画人をはじめ、映画に詳しい人などこの作品を絶賛する人は多い。

だからこそ素直に個人的感想を言ってみる。
才能ある芸術家が世間に理解してもらえず苦悩する。金と欲望に支配された世の中を嘆き悲しむ純粋な心を持った主人公。その心を癒してくれるのはやはり世間からさげすまされている娼婦。う〜ん、これって当時は画期的だったのかもしれないけど、今となるとどれも使い古されている手法で新鮮味にかける気がするのだ。

ワヒーダー・ラフマーンは文句なく美しい。3年後の『十四夜の月』になるとその美しさは完成されたものとなるが、この頃はまだ10代で少女の面持ちだ。いくら高貴な娼婦の役とはいえ、娼婦の役にしてはあまりにも子供で純粋すぎる。力強いまなざしは大人の女性顔負けではあるが、もう少し退廃的な方がよかったような気がする。

俗世間にまみれた私の感覚ではグル・ダットの崇高な思想はどうしても自分の実感として共鳴、共感することができない。ゆえに良い作品だとはわかっていても、作品にのめりこむことができないのだ。食うに困る状況で兄弟がみな汗して働いているのに、詩を作っているだけじゃそりゃ兄弟も怒るだろうにねぇ。

この作品を見るのは2回目だが、今回はじっくりと見ることができた。
もっともこうして再び観ようという気になれるのは、やはり名作の証拠なのかもしれないが。 
55年夫妻
(1955)

監督:グル・ダット

グル・ダット,マドゥバーラー
*20歳になって1ヶ月以内に結婚すれば父親の遺産が入ることになったアニターは、叔母の提案で売れない漫画家のプリータムと結婚することになる。プリータムが本当にアニターのことを好きだと知ると、女性の自立運動に携わる叔母は離婚させようとする。最初結婚を嫌がっていたアニターは女性の幸せについて考える。

今でもリメイクできそうな内容かも

はっきり言って私はグル・ダットの容貌が好きではない。大きく甘すぎる瞳と眉間のしわ、チョビヒゲにパーマがどうしても受け入れ難い。しかし、彼の女優のチョイスは抜群だ。ワヒーダー・ラフマーンも女神のように美しかったが、このマドゥバーラーという人もすごく美しい。いたずらっぽい感じがまたワヒーダーとは違う魅力をかもし出している。

この作品、当時にしてみたらかなり垢抜けていたのではないかと思う。
まず、のっけからアニターがウインブルドンを目指すテニスプレーヤーに片思いをする。女性の自立運動家である叔母が論議する「結婚は女性の自立を妨げるのか?」などといった問題は、現代にも通じるものがある。
主人公のプリータムは漫画家だ。2004年にヒットした『Hum Tum』も主人公は漫画家だった。少しだが、漫画を描くシーンなども登場する。現代の他の監督がこの作品を撮るとどうなるか観てみたい気がする。

グル・ダットの作品は重苦しいイメージがあるのだが、この作品は娯楽色強い作品。私は基本的に明るい作品の方が好きなので彼の作品の中ではこれは結構楽しめたが、でもグル・ダットはこうした娯楽作品よりも『渇き』や『紙の花』の方が、彼の本質が開花できている気がする。

この作品は国際交流基金で観た。ここはグル・ダット10作品の上映権利を無期限に所持しているということで、年に1度の東京のアテネフランセでの上映他、各地にも積極的に貸し出しているらしいので、インド巨匠の作品を機会があれば是非観て欲しいと思う。