私の好きなインドネシア へ戻る

インドネシア(ジャワ)の鉄道に乗る


私の好きなインドネシア - インドネシアの鉄道に乗る

インドネシア鉄道史


黎明
19世紀~20世紀初め
発展
20世紀前半
混乱
第二次大戦/独立戦争
復興
1950~80年代
現在
1990年代以降


★ 発展(20世紀前半)

 ジャワの鉄道は徐々に改善された。1899年までにジョグジャカルタ(Yogyakarta)とスラカルタ(Surakarta:ソロ)の間に、旅客列車の運行開始は1905年2月1日まで待たねばならなかったが、標準ゲージの路線が敷設された。1906年5月2日にプリアンガン山地(Priangan:*1)を通る新しい線路が開通すると、ジャカルタとスラバヤを結ぶ旅客列車は、以前に比べ大幅に速くなり、実質2日間の行程ではあるものの、走行時間は23時間となった。

*1「Priangan」:バンドゥン周辺の高地を指している名詞だと思います。プリアンガンというのは、よく耳にする単語なんですが、地図には、記載されていないことが多いようです。(実は、地図上では、Prianganという単語を見たことがない(^_^;)

 1912年12月31日、チルボン(Cirebon)とクローヤ(Kroya)間の鉄道建設を許可する法律が成立した。第一次世界大戦の勃発により、工事の進捗は沈滞気味ではあったが、1917年1月1日に工事は終了し、同区間が開通した。この線路のおかげで、従来のバンドゥン(Bandung)を経由する際の長い急勾配(2.5%)を避けることが可能となり、また、ジャカルタとスラバヤ間の距離も44km短縮された。1918年には、列車の夜間走行禁止も解除された。こういったことにより、ジャカルタからスラバヤまで旅客列車は17時間で走ることが出来るようになった。

 スマラン-チルボン蒸気トラム会社(Samarang-Cheribon Stoomtram Maatschappij)~ジャワ海北岸を伸びるトラム鉄道~は、重要な鉄道であり、27もの製糖工場のために運行していた。それは1914年に運行を開始。その主要路線はより高いレベルへ改善され、さらに高速で重量のある列車を走らせることができるようになった。そして、ジャカルタ(Jakarta)-スマラン(Semarang)間の旅客列車の運行において、SS(国鉄)の重要なパートナーとなったのである。

1925年のSS(国鉄)50周年は、ボゴール(Bogor)とジャカルタ及び近郊を結ぶ電化路線の開通によって記念されることとなった。利用電力は1500ボルト直流だった。

 1929年5月1日、1067 mm幅の線路が、ジョグジャカルタ(Yogyakarta)とスラカルタ(Surakarta:ソロ)の間に完成した。これによってジャカルタとスラバヤ(Surabaya)間の行程は、ずっと速いものになった。それは、最速で13時間半を切っており、その後徐々に短縮され、1939年には11時間27分(*2)を記録した。その列車~Eendaagsche-Expres~は、スラバヤ-ジャカルタ間を平均速度71.7km/hで走っていた。

*2:ジャカルタ-スラバヤ間を11時間半で走り抜ける「Eendaagsche-Expres」というのは凄い。現在、より短いはずの距離~ジャワの北岸~を走って、ジャカルタ-スラバヤを結ぶ最新式特急「Argo Bromo」でも、約9時間かかります。
*3:1930年当時ジャカルタ-スラバヤ間の急行に乗車した日本人の記録(日記)を見る機会がありました。引用し、ご紹介したいと思います。→「わが青春のバタヴィア」から鉄道乗車記


 1936年11月1日、夜行特急が導入された。それは、昼間走行するライバルに比べると速度は遅かったが、乗客が熱帯の太陽熱を避けることができるので、より快適だった。(21:00~05:00にかけて走行。速度は60km/hに制限されていた。)

 1929年、世界恐慌発生。それが原因となって起きた経済不振のため、いくつもの線路延長計画が取止めとなった。例えば、スマトラ南部及び西部のSS(国鉄)路線をDSM(デリ鉄道会社)の路線へと接続する線路、西ボルネオのポンティアナック(Pontianak)とクタパン(Ketapang)を結ぶ路線、南ボルネオの路線、北スラヴェシの路線、といったところである。また、多くの不採算路線が閉鎖された。それは、トゥルンガグン(Tulungagun)-トゥグ(Tugu)間の路線とジャティバラン(Jatibarang)-カランガンペル(Karangampel)間の路線(両方とも1932年に閉鎖)、ワルンドウォ(Warungdowo)-プルウォサリ(Purwosari)間の路線とワルンドウォ(Warungdowo)-ンゲンピット(Ngempit)間の路線(両方とも1933年に閉鎖)、タナメラ(Tanahmerah)-クバニャール(Kebanyar)間の路線(1936年に閉鎖)、パムカサン(Pamekasan)-カリアンゲット(Kalianget)間の路線(1937年に閉鎖)などであった。

 蒸気機関車の更新計画も、同様に世界恐慌の影響を受けた。1931年、SJS(The Samarang-Joana Stoomtram Maatschappij(スマラン-ジョアナ蒸気トラム会社))が、機関車を新たに購入したが、それは、インドネシアの鉄道において第二次世界大戦が終わるまでの期間、最後の発注となったのである。SS(国鉄)は、バスや航空路線との競合に直面していたが、新しい機関車を購入することができず、多くの貨物用機関車を改造した。これにより、更に迅速なスケジュールが可能となった。

 概して1930年代のSS(国鉄)では、旅客列車の速度と頻度が向上した。例えば、ジャカルタ-バンドゥン間の特急列車は、1934年にはたった2本であり、3時間40分もかかっていたが、1934年11月1日に本数が2倍になり、所要時間も2時間45分となった。後には更に2時間30分(*3)にまで短縮された。その列車は、一般にはVlugge Vier(4本の高速[列車])として知られていた。

Vlugge Vier 時刻表 (1934)
Tandjong Priok
Batavia-Weltevreden
Bandoeng
   
06.45
09.36
09.26
10.02
12.50
   
13.32
16.20
   
16.00
18.54
 
Bandoeng
Batavia-Weltevreden
Tandjong Priok
06.00
08.45
09.12
    10.05
12.51
 
  13.35
16.20
 
  16.03
18.54
 

*3:ジャカルタ-バンドゥン間を2時間30分で走るといのは、相当速いです。1999年に乗車した最新式特急列車Argo Gedeも同区間を2時間30分かけて走ってましたから。(もちろん、現在のほうが、本数がはるかに多いので、途中すれ違いのために停車時間が多いのですけど。。。。ジャカルタ-バンドゥン間は、いつ複線化されるのでしょう。)

ジャワ・マドゥーラ・スマトラの鉄道及びトラム会社
社名(オランダ語) 地域 建設期間 営業距離(1939) 備考
Nederlandsch-Indische Spoorweg Mij West Java, Eastern Central and East Java 1867-1924 855 km  
Staatsspoor- en Tramwegen in Nederlandsch Indie Java 1878-1928 2761 km  
West Sumatra 1891-1921 263 km  
South Sumatra 1914-1932 661 km  
Aceh 1876-1917 512 km  
Deli Spoorweg Mij North Sumatra 1886-1937 554 km  
Javasche Spoorweg Mij Tegal-Balapulang, Northwest Central Java 1885-1886 (24 km) To SCS
1895
Bataviasche Ooster Spoorweg Mij Jakarta-Krawang 1887-1898 (63 km) To SS 1898
Samarang-Joana Stoomtram Mij Semarang-Cepu, Northwest Central Java 1882-1923 417 km  
Semarang-Cheribon Stoomtram Mij Semarang-Cirebon, Northern Central Java 1897-1914 373 km  
Oost-Java Stoomtram Mij Surabaya area 1889-1924 36 km  
Serajoedal Stoomtram Mij Maos-Wonosobo, Serayu River Valley 1896-1917 126 km  
Poerwodadi-Goendih Stoomtram Mij Purwodadi-Gundih, Central Java 1894 (17 km) To SJS
1892
Pasoeroean Stoomtram Mij Pasuruan area, East Java 1896-1912 32 km  
Probolinggo Stoomtram Mij Probolinggo area, East Java 1897-1912 41 km  
Kediri Stoomtram Mij Kediri-Jombang, East Java 1897-1900 121 km  
Malang Stoomtram Mij Malang area, East Java 1897-1908 85 km  
Madoera Stoomtram Mij Bangkalan-Kalianget, Madura 1898-1913 213 km  
Modjokerto Stoomtram Mij Mojokerto area, East Java 1898-1907 78 km  
Babat-Djombang Stoomtram Mij Babat-Jombang, East Java 1899-1902 (71 km) To SS
1916
Solosche Tramweg Mij Solo-Boyolali, Central Java 1908-1911 (27 km) To NIS
1914

◆原文
History of Railways in Indonesia外部サイトのページへリンクしています
 このページは著者了解のもと、原文(英文)を和訳したものです。黄色の背景で小さい文字の部分は訳注です。
 また、翻訳作業にあたっては、アット・ニフティ掲示板「バリとインドネシア」参加者のご協力をいただきました。
前のページへインドネシア鉄道史:黎明 インドネシア鉄道史:混乱次のページへ
↑ページ最上部へ
Copyright © 1997-2018 Dien

私の好きなインドネシア