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私の好きなインドネシアインドネシア中学校社会科教科書「独立準備の過程」皇紀2605年の表記 ←2008年09月07日更新

皇紀2605年の表記

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独立宣言西暦表記へ...教科書には...お札も誤植?「05年」の意味

インドネシア共和国独立宣言

独立宣言の日付

1945年8月17日に読み上げられた独立宣言文を下の表内に記載します。左側がインドネシア語原文。右側にその日本語訳を付けておきます。

Proklamasi

Kami bangsa Indonesia dengan ini menjatakan kemerdekaan Indonesia. Hal-hal jang mengenai pemindahan kekoeasaan d.l.l., diselenggarakan dengan tjara seksama dan dalam tempo jang sesingkat-singkatnja.

Djakarta, hari 17 boelan 8 tahoen 05
Atas nama bangsa Indonesia.
Soekarno/Hatta
独立宣言

我らインドネシア人民はここにインドネシアの独立を宣言する。
権力及びその他の委譲に関する事柄は、完全且つ出来るだけ迅速に行われる。

ジャカルタ、05年8月17日
インドネシア人民の名において
スカルノ/ハッタ

当時のインドネシア語の綴りは、現在と若干異なる箇所があります。相違点は次の通り。

さて、独立宣言の日付(年号)が"05"となってます。これは日本の皇紀2605年(=西暦1945年)の下二桁を表記したもの。1942年~1945年の日本軍占領下では皇紀の使用や東京時間(現在のジャカルタ時間より2時間早い)の採用といった政策がとられていました。

独立宣言が行われた8月17日は、日本が無条件降伏した8月15日より後でしたが、皇紀や東京時間の使用は、連合国軍がインドネシアへ上陸する同年8月末まで継続されていたようです。

参考資料:

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西暦表記への変更と記憶の風化

西暦の採用

現在のインドネシアでは暦に西暦を使っています。そして独立宣言当時の歴史を記述する際も、年号は全て西暦に統一されています。ですから、インドネシア共和国の独立宣言日は「1945年8月17日」であると同国の出版物や博物館などの展示で記述されています。原則として皇紀による表記は独立当時のオリジナル資料を除いて見たことはありません。

サンプル:INDONESIA 1996, An Official Handbook. インドネシア情報省刊。独立宣言の日付は「AUGUST 17, 1945」と表記されています。

記憶の風化

2006年の独立記念日(8月17日)に行われた政府主催式典では、オリジナルの独立宣言文が読み上げられたそうです。つまり、独立の年号は「05年」と原稿に記載されている。しかし、この「05年」の意味を理解していない人たちがかなりいたらしい。

Teks Proklamasi Asli & Tahun 05 yang Ditertawakan外部サイトへのリンク (2006年8月17日付けDetik.com外部サイトへのリンクの記事。要旨を紹介します。)

失笑を買ったオリジナルの05年独立宣言文

独立記念日の政府式典で、国会議長が独立宣言を読み上げた際、原稿通りに年号を「05年8月17日」と読み上げたところ、参列者の一部から『原稿の読み間違えだ』とばかりに、笑い声が上がったとあります。そして年長者の一部にも同様の失笑が起きたらしい。官房長官のユスリル・イザ・マヘンドラが「05年」となっている理由を説明する一幕もあったと記事にあります。

どんな人たちが参列しているのか知りませんが、独立宣言当時、インドネシアが日本軍の占領下にあったことを知らない人たちが増えているのではないでしょうか。

Detik Proklamasi外部サイトへのリンク (2006年9月9日付けSuara Merdeka紙外部サイトへのリンクの投書から。あまり長くありませんので全訳を掲載します。)

独立宣言、その時

歴史の原則であり、また重要なことであるから、私は次のことをはっきりさせておきたい。つまり、インドネシア共和国の独立が宣言されたその時は東京時間であり、{現在の}ジャワ時間より2時間早かった。1945年8月30日に連合国軍(先遣隊であり、本隊の到着はこれより後)が上陸するまで東京時間が使われていたのだ。

独立宣言の時間は東京時間の朝10時であり、ジャワ時間では朝8時だった。

同様に独立宣言日も当時まだ昭和2605年*1であり、劣悪な録音の声でブン・カルノ*2が読み上げているような1945年でなかった。これはその後、1955年代になって(ブン・カルノの声はそのままに)1945年とした新しい録音を情報省が製作したのだ。

※注:{ }内は訳者が追加したものです。

在日本(東京)インドネシア大使館での独立記念日式典

在東京 インドネシア大使館で行われた独立記念日の式典に出席された方が、ブログにその様子を紹介する記事を掲載されていました。独立宣言の日付・時刻について興味深い情報であり、一部を引用させていただきます。

2007年8月17日の式典

きのう東京の駐日インドネシア大使公邸で催された第62回独立式典に招かれて出席した。式は早朝8時からの開始。日本の社会常識では考えられない設定だが、インドネシアにとっては、8時にこだわる理由があるのだ。が、日本人出席者のうち何人がそれを理解していただろうか。

本当に "心の友”か 日本とインドネシア(2007/08/18付け)から外部サイトへのリンク

2006年8月17日の式典

式典は国旗掲揚、国歌斉唱に始まり、式典長が独立宣言を読み上げる。"気をつけ、"休め””敬礼”昔の日本の軍隊式の式典である。在京のインドネシア人に混じってインドネシアに従軍、ムルデカ(独立)を共に祝った日本軍関係者も招かれていた。みな80歳を超えている。

独立宣言文には17-8-05という数字がみられる。宣言署名の1945年8月17日のこと、05は日本軍政下使用されていた皇紀2605年の05の略である。

17-8-05 インドネシア独立記念日(2006/08/17付け)から外部サイトへのリンク

在日本インドネシア大使館の式典でも、2006年の独立記念日式典で独立宣言の日付を「17-08-05」(オリジナル宣言文の日付)にして読み上げていたのですね。さらに驚いたことに、時刻まで当時の時刻(東京時間午前8時)に合わせた式典を昨年(2007年)からやっていたとは!

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西暦への回帰

2008年独立記念日の政府式典の様子がようやくYouTubeで見ることができるようになりました。

上のビデオの4分30秒あたりから、MPR議長による独立宣言文の読み上げが収録されています。宣言文最後のほうにある日付は「17 Agustus 1945」と読み上げられていました。なお、「1945」はseribu sembilan ratus empatpluh limaのはずなんですが、上のビデオではseribu seratus empatpluh limaと私には聞こえてしまう。。。

あと、YouTubeにはカタールで行われた2008年独立記念日式典の様子も登録されていました。参考までにこちらも紹介しておきます。

領事館か地元のインドネシア・コミュニティによる式典の模様。6分あたりから独立宣言文の読み上げが収録されています。こちらも日付は「17 Agustus 1945」と読み上げられていました。

2006年の式典で「2605年」を使ったものの、知らない人が多く、失笑まで買ってしまったからでしょうか。式典で使用する元号は西暦に戻してしまったようですね。

教科書にはどう書いてあるのか?

これまで私が目を通したインドネシアの社会科/歴史教科書は次の5点。独立宣言の年号についてどう書いてあるか確認しておきましょう。

上記5点の教科書は、使用時期でいうとスハルト体制から現在までをカバーしているものですが、「05年」の解説については実に心もとない状況と言えましょう。上の記事で、どいうった年代の人々が独立記念式典に出席していたのか分かりませんが、これでは独立記念日を「05年8月17日」などとアナウンスしたら、「読み間違い」ととられてしまうでしょうね。

お札も誤植か?

2000年ころだったと思います。スカルノ-ハッタの肖像画を印刷した10万ルピア札が流通しはじめました。

二人の間には、独立宣言文(二人の署名が入ったもの)が印刷されてます。これは完全にオリジナルのフォトコピーなので、日付が皇紀表現(05年8月17日)となってます。→10万ルピア札:独立宣言部分の拡大イメージ
この年号について「誤植じゃないのか?!」という問い合わせの声がインドネシア国内であったという記事を見たことがあります。(具体的にどの新聞の記事だったか失念。)

インドネシア人にとって「05年」の意味

建国してまだ100年も経っていないインドネシア共和国。国民統合のための象徴として「独立宣言」は神聖なものなのでしょう。そして、それについての記録を出来るだけオリジナルのまま残し伝えたいと考えているのでしょう。現在の独立記念式典で「05年」にこだわって日付を読み上げる行為もそこに行き着くのだと思います。しかし、「05年」にこだわるのなら、もう少し教育(具体的には教科書の記述)に配慮すべきでしょうね。上で紹介したような教科書ばかりでは、未来永劫“謎の年号「05」”のままだと思います。

おまけ:日本にとって「05年」の意味

『インドネシア独立宣言の日付に皇紀が使われている理由は、スカルノ・ハッタをはじめインドネシアの人々が日本によるオランダ植民地支配からの開放とその占領統治に感謝している印だ』という風説を目にすることがあります。はたして真相はどうなのでしょうか?

まず、私はインドネシアのWebや教科書で上記のような説を述べているページを見たことはありません。

どのWebページでも「05年」の説明は『日本占領下だったから皇紀を使用した。だから05年だ』というだけです。

教科書の記述にいたっては、上に書いたとおり「05年」の説明などほとんど全くありません。こういったことから『05年の表記は日本への感謝である』という説は信憑性が低いと判断しています。

ただし、インドネシアの歴史教科書では、日本軍占領による肯定的な効果(独立達成に貢献した軍事訓練等)も記述していますし、そういったことに感謝の意を表すインドネシア人がいるのは確かです。(日本精神について語るインドネシア退役軍人YouTube外部サイトへのリンク) しかし、我々は十分に注意深く謙虚であるべきでしょう。上述の通り、独立記念式典で「05年表記」の宣言文を読むようになったということは、それによって「日本への感謝」を表すということよりも「独立宣言時、他国(日本)の占領下にあったという事実」をアピールしているようにもとれますので。

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