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私の好きなインドネシアインドネシア社会科教科書「第二次世界大戦」 2010年10月3日更新

第2章 第二次世界大戦とそのインドネシアへの影響

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A. ヨーロッパ大陸...B. 太平洋戦争...C. 第二次世界大戦終結...D. 日本の...更新記録

2008年8月17日追加↓

D. 日本のインドネシア占領

1. 日本のインドネシア進攻

確かに貴方たちは、日本が東アジアと東南アジアの諸地域を容易に支配したことをまだ記憶してる。なぜそうなったのか? なぜなら:(1) 日本は1941年12月7日パールハーバーのアメリカ海軍基地を既に粉砕していた;(2) 植民地の母国(イギリス、フランス、オランダ)はヨーロッパの戦争でドイツと対峙していた;(3) アジアの諸民族は日本のスローガン(日本はアジアの指導者、日本はアジアの光、日本はアジアの保護者[*1])を大いに信じた結果[日本への]抵抗を行わなかった。それどころか、日本兵の存在は好意を持って歓迎された。なぜなら、西欧諸国の植民地支配の手かせからアジア民族を解放する'兄'として日本をみなしたからである。

蘭領東インドの最高司令官がカリジャティ[*2]で無条件降伏した1942年3月8日以降、日本は正式にインドネシアを支配した。日本はたいした抵抗を受けることなくインドネシア占領に成功した。それどころか、インドネシア民族は日本軍の到来を好意と歓喜を持って歓迎した。なぜなら、オランダ民族の植民地支配という手かせからインドネシア民族を解放するだろうと思われたからである。

<図2.6:1942年、日本の到来を歓迎する住民たち(ソース:PK. Ojong, 2001)>

ところが実際には、3A運動[[*1]を参照]のスローガンと日本が'兄'と自称することは策略であり、日本軍の到来をインドネシアに受け入れさせるためのものだった。はじめのうちは日本軍の到来をインドネシア民族は暖かく迎えた。しかしながら実際には、他の帝国主義国家と日本はたいして違わなかった。日本はドイツやイタリアと同様に新しい帝国主義国家であった。新参の帝国主義国家として、日本はその工業需要を満たすための原材料やその工業生産品のための市場を必要としていた。それゆえ、植民地地域は日本の産業発展にとって極めて重要であった。もし安価で十分な原材料(原料)と大規模な産業によって造りだされた市場によって保持されないのならば、産業の発展に意味があるだろうか?[*3]

そこで、インドネシアへの日本軍到来の目的は、インドネシア占領のためその支配の確立であったことは明らかである。すなわち、3A運動のスローガン及び'兄'の自称は全くの偽りの標語だったのだ。このことはインドネシアにおいて日本軍占領期間に発生したいくつかの事実から証明することができる。さらに、日本軍の[インドネシア民族に対する]扱いはずっと残酷であり、その結果インドネシア民族は苦しみを経験したのだ。経済諸資源は日本の産業と軍需のため次のような様々な方法を通じて日本軍によって厳格に管理された:

[訳注]

※[ ]内は、訳者が追加。他方、( )内は原文に元からある注。

*1: 日本はアジアの指導者、日本はアジアの光、日本はアジアの保護者。原文「Jepang pemimpin Asia, Jepang cahaya Asia, dan Jepang pelindung Asia」。いわゆる「3A運動」と呼ばれるもの。

*2: カリジャティ。原文「Kalijati, Bandung」。地理的にバンドゥンは特に関係ないので訳から省きました。もしくは当時、バンドゥン県(州?)内にカリジャティがあったのかもしれません。継続調査とします。

*3: もし安価で十分な~~だろうか? この文章は残念ながら意味が上手くつかめません。原文は次の通り。「Apalah arti kemajuan industri apabila tidak didukung dengan bahan mentah (baku) yang cukup dengan harga yang murah dan pasar barang hasil industri yang luas.」←2008年08月19日訳を修正しました。

*4: ロームシャ。原文「romusha」。原文「romusha」。労務者です。romusa、romusyaとも綴られる。既にインドネシア語の単語となってます。労務者については、高等学校3年生向け教科書「日本軍占領時代」の注もご覧ください。

2010年4月10日追加↓

2.日本占領政府の方針

インドネシア占領後、日本は様々な方針を取った。日本軍政府の方針は、様々な方面を含み、次のようなものだった。

[訳注]

※[ ]内は、訳者が追加。他方、( )内は原文に元からある注。

*1:ケンペタイ。原文「Kempetai」。日本占領下の憲兵隊については、別の中学校教科書の訳注も参照ください。

*2:キニーネ。マラリヤ治療薬の原料。

*3:ジャワ奉公会。原文「Jawa Hokokai」。高等学校教科書の記述をご覧ください。

*4:農業組合。原文「Nogyo Kumiai」

*5:第二軍。日本側の正式名称は「第二南遣艦隊」

*6:グンセイブ。原文「Gunseibu」。軍政部のこと。

*7:ミンセイブ。原文「Minseibu」。民生部のこと。

*8:シュウ。原文「Syu」。州のこと。

*9:シュウチョオカン。原文「Syucokan」。州長官と思われる。

*10:。原文「Syi」。市と思われる。

*11:ケン。原文「Ken」。県と思われる。

*12:グン。原文「Gun」。郡と思われる。

*13:ソン。原文「Son」。村と思われる。

*14:。原文「Ku」。区と思われる。

*15:ブンシュウ。原文「Bunsyu」。分州と思われる。

*16:ブンケン。原文「Bunken」。分県と思われる。

*17:チュウオ・サンギ・イン。原文「Chuo Sangi In」。中央参議院です。

*18:兵補。原文「Heiho」

*19:柳川中尉。タンゲランの柳川青年道場を指導。詳細は「インドネシア専科」>「タンゲラン青年道場外部サイトへのリンクをご覧ください。

*20:祖国防衛義勇軍。原文「Pembela Tanah Air」。略して「PETA」。

*21:原田熊吉中将。1888-1947。戦後、戦犯としてシンガポールで処刑された。インドネシアの歴史教科書では「インドネシアをオランダ植民地支配から開放すると表明した」日本軍人として度々紹介されているようです。別教科書「日本軍占領時代」の「練習問題」を参照ください。

*22:Gatot Mangunpraja。Gatot Mangkuprojoとも綴られる。1898-1968。スカルノやハッタと同様、オランダ植民地時代からの独立運動家。

*23:これだと、「PETA設立をインドネシア側が言い出すよう、日本軍側がインドネシア側に要請した」ということになります。さらに調査要です。

*24:治政令。原文「Osamu Seirei」。ジャワを占領統治した第16軍は「治(オサム)」と呼ばれていた。

*25:青年団。原文「Seinendan」。青年団は1943年4月29日に発足した準軍隊的な組織。

*26:それぞれ、原文は「Daidanco」「Cudanco」「Shudanco」「Budanco」「Giyuhei」。

*27:小学校生徒。原文「pelajar sekolah dasar」。直訳すると"小学校生徒"だが、"小学校卒の者"というのが妥当ではないかと思う。

*28:ジョヨボヨの予言。Jayabayaとも綴られる。ジョヨボヨ(Joyoboyo)は12世紀頃クディリ朝の王。その予言で有名。詳細は「インドネシア専科」>「ジョヨボヨ王の予言外部サイトへのリンクをご覧ください。なお、インドネシア歴史・社会科教科書でジョヨボヨ王の予言に言及しているのを読むのはこれが初めてです。

*29:ジャワ防衛義勇軍幹部練成隊。原文「Jawa Boei Giyugun Kanbu Renseitai」。

*30:ジャワ防衛義勇軍幹部教育隊。原文「Jawa Boei Giyugun Kanbu Kyoikutai」。

*31:Supriyadi。反乱鎮圧後、見つからず。生死不明のまま。詳細は「インドネシア専科」>「ブリタルの反乱外部サイトへのリンクをご覧ください。

*32:労務者。原文「romusha」。労務者です。romusa、romusyaとも綴られる。既にインドネシア語の単語となってます。労務者については、高等学校3年生向け教科書「日本軍占領時代」の注もご覧ください。

*33:ジャワ奉公会。原文「Jawa Hokokai」。

*34:隣組。日本占領下「Tonarigumi」として導入された。日本占領終了後もRT(Rukun Tenangga)という名称で残っています。

*35:トナリグミ。原文「Tonarigumi」。

*36:キンローホーシ。原文「Kinrohoishi」。Kinrohoshiの綴り間違いだと思います。勤労奉仕です。

*37:コクミンガッコウ。原文「Gokumin Gakko」。Kokumin Gakkoの綴り間違いだと思います。6年制の小学校です。

*38:ショトウ・チュウガッコウ。原文「Shoto Chu Gakko」。中学校(3年制)に相当。

*39:チュウガッコウ。原文「Chu Gakko」。高等学校(3年制)に相当。

*40:コウギョウ・ガッコウ。原文「Kogyo Gakko」。どんな学校なのか不明。

*41:コウギョウ・センモン・ガッコウ。原文「Kogyo Sermon Gakko」。Kogyo Senmon Gakkoの綴り間違いだと思います。

*42:ショトウ・シハン・ガッコウ。原文「Syoto Sihan Gakko」。初等師範学校だと思います。

*43:グトウ・シハン・ガッコウ。原文「Guto Sihan Gakko」。Gutoが何なんなのか不明。

*44:コウトウ・シハン・ガッコウ。原文「Koto Sihan Gakko」。高等師範学校だと思います。

*45:イカ・ダイ・ガッコウ。原文「Ika Dai Gakko」。医科大校です。

*46:コウギョウ・ダイ・ガッコウ。原文「Kagyo Dai Gakko」。Kogyo Dai Gakkoの綴り間違いだと思います。工業大学です。

*47:ケンコク・ガクイン。原文「Kenkoku Gakuin」。建国学院。

*48:Armin Pane。どういった作家なのか不明。継続調査とします。

*49:Abu Hanifah。どういった作家なのか不明。継続調査とします。

*50:45年世代。原文「Angkatan '45」。インドネシア文学史で世代(時代)によるグループ分けを行う際に使われる用語のようです。インドネシアで最も著名な作家(だと思う)プラムディア・アナタトゥールもこの45年世代とのこと。

※日本占領下のインドネシアでは、「日本語」の「言葉」がそのまま持ち込まれているケース多々あり。

以下、翻訳作業継続中。。。。

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