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(証言) testimony

証について
 証(あかし、testimony)。キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを「証(あかし)をする」と言います。似た表現に、「分かち合う」という言葉がありますが、
これは少人数で深く話し合うような場合に使われます。大勢の人の前で、発表する場合は「分かち合い」ではなく「証」または「立証」というのが一般的。
あるいは「証言」(読み方は「あかし」)と表記する。神様の恵みに感謝することはもとより、神様を誉め讃えます。
プロテスタントにおいてはしばしば礼拝の中で時間を割いて信徒による立証が行われますが、牧師による説教が聖書の解き明かしであるのに対し、
立証は自らの体験に基づいて神の恵みを参列者と共有するものです。また、キリストを信じるに至っていない人に対して証をすることも大切なことだと考えられており、
福音伝道の主要な手段の一つでもあります。信仰に基づいた行動をとることも証と呼ばれます。クリスチャンは天国に迎え入れられることよりはむしろ、
イエス・キリストが説教を通じて伝えたことを地上においてどのように生かしていくかということです。クリスチャンの生涯とはそれ自体が証なのです。

SSK秋の聖会 札幌新生教会に於いて 渡辺 宣子牧師の証し
English page of Rev. Nobuko Watanabe

写真

 ご紹介に与りました札幌教会の渡辺宣子と申します
この大切な聖会の場にてお証をさせて頂けます事を感謝します。
先ず、聖言を拝読します。
「わが霊魂よ主を褒めたたえよ主のよくして下さつた事を何一つ忘れるな(詩篇百三篇三節)
「生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストの素晴らしさが現らわされる事を求める私の切なる願いと望み」(ピリピ一章二十節)
私の人生に主が為して下さつた大きな出来事をいくつかお証致します。
幼少期
 先ず、私の信仰のルーツを辿ると父母の篤い信仰に至るのでそこからお話いたします。
父(佐藤君治)の実家は横浜で商家を営んでおりましたが友人の保証人になり全財産を失い子供達を親類に預け、両親は米国に出稼ぎに行き父が中学の時両親に呼ばれ渡米し、アメリカの小学校から学んで苦学してのちワシントン大学電気工学科を卒業し在米中、友人に誘われクエーカー教徒の集会で明確に救われました。
新渡戸稲造博士もクエーカーでした。十一年間の米国滞在後に帰国し、東京の石川島造船所でエンジニアとして働いておりました。
太平洋戦争が激しくなった頃、父が銀座教会の前を通りました所、玄関の重い鎧戸が閉めてあるのを見ました。
当時は牧師先生ご家族は疎開されて留守でした。こういう戦争時の時こそ教会を訪ねて来る人がいるかもしれないと人々が田舎に疎開するのに教会の許可を得て大八車に家財道具を積んで会杜の
あった月島から銀座教会に引っ越してきたことを覚えております。毎晩、空襲があると私達は防空頭巾を被つて教会の地下室に逃げ、解除になる迄祈り続けさせられました。
父・母・兄・私(五歳)の順で祈り何回もぐるぐると続けられました。周りが焼け野原となり銀座教会にも焼夷弾が落ちましたが私達家族は無事に守られました。
そしてその地下室にいた子供三人は現在牧師・牧師夫人として奉仕させて頂いております。兄はインマヌエル彦根教会牧師佐藤道直、妹は日本キリスト教会釧路教会田中牧師婦人、
そして私はインマヌエル札幌キリスト教会で副牧師をいたしております。正にアモス四章十一節「あなた方は炎の中から取り出された焼えさし」のようでした。
父は、戦後アメリから日本の伝道に来日したポケット聖書連盟の宣教師の通訳となり日本全国にヨハネ伝の分冊を一千万部配布しました。
その後は東京の銀座・新宿などの繁華街で信号待ち伝道をしギネスブックに載るほどのトラクトを信号待ちの人々に配りました。
母は、先日召天された初見先生と同じ水戸ホーリネス教会で救われ、きよめの信仰に立っていました。
そしてきよめのメツセージに飢え渇き、当時牢獄から生還し丸の内に教会を開設した蔦田二雄先生のインマヌエル丸の内教会に出席するようになり
それから、家族はインマヌエル教団に連なるようになりました。戦後三年経って銀座から新宿に引越しました。
救いについて
 私は「救い」が解からず悶々としていましたが、高校二年の時母に伝道集会に誘われました。
「牛に引かれて善光寺参りだな・・」とブツブツ言い参加しました。一人の女子神学生が私に近寄って下さり「神様はあなたを愛して下さいます」
と言われ、続いて私に「イエス様は誰の為に十字架に掛られましたか」と尋ねられたので私はそんなこと前から解かっているとぶっきら棒に「全人類のためです」と答えました。
するとその方は「あなたの為ですよ」とおっしゃいました。その時私の目からうろこの様なものが取れた感じで私の為だということがはっきり解かりました。聖霊様のお働きだったと信じます。
その時の御言葉は「人は律法の行いによって義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められるという事を知つたからこそ、私達もキリスト・イエスを信じたのです。
これは律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められる為です」(ガラテヤ二章十六節)
次に聖潔の経験をお証します。救われた後も尚「神様の御心に適いたい」と思いつつも「自分のしたい事をやりたい」という非常な心の葛藤がありました。自分の心中にある自我に苦しみました。ローマ七章二十五節「私には自分のしている事がわかりません。私は自分がしたいと思う事をしているのではなく、自分が憎む事を行っているからです」ローマ七章二十四節「私は本当に惨めな
人間です。誰がこの死の体から私を救いだしてくれるのでしょうか」
或る聖会で、「もうこの戦いに疲れました。煮ても焼いてもどうでもいいですから御心をなしてください。私を捧げます」とまな板の鯉のようになって祈った時不思議とガラテヤ二章二十節の聖言が心に響いてきました。「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
今、私がこの世に生きているのは私を愛し私の為に御自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」この聖潔の経験がなかったら今クリスチャンとして
信仰にたっているか解かりません。それ程私の人生にとって大切な信仰の転機でした。
島田事件
神学校を卒業して初めて遣わされた所は静岡県島田市の女性の年輩の先生が開拓伝道をしていた教会でした。そこで私は自らの乏しさに泣きよく早朝に大井川の河原に行って祈っていました。
或る朝のことです。祈つていると後ろから「わあ」という声がするので後ろを振り向くと職人風の若い男が私の首に日本手ぬぐいを持って締めようとして襲ってきたのです。
私は「イエス様助けて下さい、イエス様助けて下さい。」と何度も叫びつつ命からがらころがるように逃げ助けられそして現在こうして証しできるのです。
子育てについて

 主人と結婚して青森県十和田市で二六年間伝道奉仕し六人の子供が与えられました。
田舎の小さな貧しい教会でした。子供達もだんだん大きくなって大学進学の話が出る時「大学など夢のまた夢です」と担任の先生に申しました。
こどもたちには小さい時から教会学校で「神さまはお祈りに答えてくださる」と教えているのにいざ大学の話になると家は貧しいから行かせられないと言えませんでした。
丁度その頃「いのちのことば社」からリビングプレイズのシリーズが出ました。その第2巻キングに古山洋右先生の証しがありました。
古山先生がアメリカに留学されていた時、一切の経済的支援がなくなり不安に陥った時、朝、夕「父の神の真実は」の賛美を歌い不思議なようにしてすべての必要が満たされたというものでした。「神は真実な方ですから、あなたがたを耐える事の出来ないような試練に会わせるようなことはなさいません。
むしろ耐えることのできるように試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(第一コリント十章十三節)
なんと秦晴らしい約束ではないでしょうか。主はこの約束通りあなたにもなして下さいますというコメントをされていました。私達も信仰を働かせて子供の大学進学の為にこの賛美を朝夕、
歌い祈り六人とも各短大・大学・大学院・留学と道が開かれて行ったのです。ハレルヤ!その間にも大きな困難がありました。一人の子が高一の夏で高校に行かなくなりました。
色々な悩みはありましたが子供の事で悩む程、苦しい事はありませんでした。中卒では社会にでても就職も出来ないだろうと親としては非常に苦しみ毎晩主人と二人で祈り続けたものです。
その時通読していた第ニコリント一章八節「兄弟達よ。私達がアジアであった苦しみについて是非知っておいて下さい。私達は非常に激しい耐えられない程の圧迫を受け遂に生命さえ危うくなり、本当に自分の心の中で死を覚悟しました。」とありこの子は死んでしまったと同じだと思われました。
しかし続きを読みますと「これは、もはや自分自身を頼まず死者を甦えらせてくださる神により頼む者なる為でした」とありました。
父なる神様はイエス様を死者の中から甦えらせて下さったのだからこの死んだような子供も甦らせてくださる、と信じたのです。
それからその子は大検を受け高校卒の資格を取り東京大学医学部に進む事が許され現在はクリスチャン医師として働かせて頂いております。
また、長女はOMFの宣教師の集会で宣教師の召命を受けフィリピンにある宣教師になるためのAPNTS(アジア・太平洋・ナザレン・セオロジカル・
セミナリー)にて学んでおりましたが一年後チフスになり止む得ず帰国しすっかり体力がなくなり静養していました。
だんだん強めらて北星の英文科の臨時職員講師を経て北大の大学院で学んでおりましたが、将来独身で通すのか又は結婚に導かれるのかと祈り続けておりましたが、
或る時から賛美してみようと祈りがかわりました。(CSで奉仕している事・奏楽をさせて頂いている事・青年会の交わりの中にある事など賛美し感謝しておりました)
「祈りと賛美は事態を変える」と私達の教会に掲げてある通りです。そのようにしておりましたら今から二年前に素晴らしい御心の方が与えられ現在クリスチャンホームを築いております。
札幌教会会堂について
 札幌教会の為長い間皆様にお祈りして頂いておりました事を感謝します。前教会は雨漏りと土台が痛み何とかしなければならない所に来ていました。
隣の土地を買いたいと何年にも渡り交渉してきましたが道が開かれませんでした。しかし、もっと素晴らしい現在の土地へと導いてくださいました。
土地、建物総額六千万円位のものでしたが献堂から七年、今年六月にすべて返済完了することが許されました。ハレルヤ!
北海道聖会について
最後に嵐を静め給う神様についてお証致します。北海道教区の聖会を村上宣道先生を迎えて先月九月二十二・二十三日に持つ予定でしたが、あの台風十五号が日本列島を縦断し飛行機は百便位欠航・各地には何十万人に避難勧告が出て、都心では帰宅困難者も出るという交通麻痺の中で、先生をお迎えできるかと教会員の方々と「祈りのチェーン」「祈りの連絡網」で切に祈りました。
祈りつつ聖会当初、聖歌隊の練習をしていると、玄関に村上先生のお顔か見えて本当にホッとしました。
ガリラヤ湖の嵐を静め給うたイエス様は今も現に生きて働きお祈りに答えて下さる方である事を体験させて頂きました。
一切の栄光は神様にお返し致します。
「父の神の真実は」の賛美を歌います。
♪「父の神の真実は永久まで変わらず いつくしみと 憐れみは 尽きる事はありません。
  素晴らしい主 その真実は朝毎に新しく 深い恵 知らされて 賛美します 主の聖名」(リビングプレイズ 二十三)

2011年10月10日
SSK秋の聖会にて    宣子証し

インマヌエル札幌キリスト教会で副牧師として活躍されている渡辺 宣子牧師先生が、先頃SSK秋の聖会が行われた札幌新生教会に於いて証しをなされました。

英文による証しです

Nobuko Watanabe, an assistant pastor at Immanuel Sapporo Church, gave her
testimony at a SSK Holiness fall meeting recently.

The following is the full text of her testimony.

I, Nobuko Watanabe, appreciate the opportunity to share my testimony in this important meeting. 
I thank God that I am given a life to live and have been saved.

First, I'm going to read the Scripture.

 “Praise the LORD, O my soul, and forget not all his benefits-“ Psalm 103:2

 “I eagerly expect and hope that I will in no way be ashamed, but will have sufficient courage so that now as always Christ will be exalted in my body, whether by life or by death.”                       Philippians 1:20

 I’d like to talk about some significant events God had done in my life.

Childhood 
My faith is attributed to my parents’ fervent faith.  So I’m going to talk about my parents. 
My father, Himeji Satou, was from a merchant family in Yokohama.  His father stood surety for one of his friends and lost all his money. 
His parents left their children including Kimiji in their relatives and went to America for work.  He was called to America when he was a junior high school student.  He started his education in America from elementary school and finished a degree in electric engineering at Washington University.  While he was in America, he was invited to a Quaker meeting from his friend and became a Christian.  Dr. Inazou Nitobe was
also a Quaker. 

 After living in America for eleven years, he went back to Japan and worked as an engineer at Ishikawajima shipyard in Tokyo.  When the Pacific war got intense, he happened to walk in front of Ginza Church and saw the front door closed.   Nobody was in the church because of evacuation.He thought there must have been someone who came to church in this difficult circumstance. 
He got a permit to move his family into the church.  I remembered that we conveyed household belongings with two-wheeled cart from Tsukishima where my father’s workplace was to Ginza, a center of Tokyo in the time people came out the city to the countryside. 
Every night there were air-raids.  We wore air raid hoods and went down in the basement and had prayed until air raid alert was called off. 
In descending order, my father, my mother, my brother and
I prayed around and around.  The area was burned down and air raid was dropped on the church but our family was survived.  Three of us who experienced the horrible experience are a pastor or pastor’s wives now.  My older brother is a pastor at Immanuel Hikone Church.  My sister is a pastor’s wife at Kushiro Church of Nihon Christ church.  I am an assistant pastor at Immanuel Sapporo Church.  We were just ‘like a burning stick snatched from the fire’ in Amos 4:11. 

 My father became an interpreter of the missionaries from Pocket Bible League coming to Japan to preach the gospel after the war.  They distributed 10,000,000 the Book of John.  After that he gave out tracts to those who waited at spotlights in downtown of Tokyo such as Ginza, Shinjuku and so on.  The number of tracts he handed out would be recorded in the Guinness Book of World Records.

  My mother became a Christian at Mito Holiness church.  Rev. Hatsumi who recently went with the Lord came from the same church.  My mother was also sanctified.  She was eager to hear Holiness messages and started to attend Immanuel Marunouchi Church where Rev. Tsuneo Tsutada founded it after coming back from a prison because of his Christian faith during the war.   After that, my family had come to go to the church.  Three years had passed after the war we moved from Ginza to Shinjuku.   

To become a Christian
I did not know well what it was meant to be saved.  When I was in the 11th grade, my mother invited me to a Christian meeting.  I grumbled,
”I got involved in spite of myself” and went to the meeting.  A female seminary student came to me and said, “God loves you”.  She asked me,
“To whom did Jesus die on the cross?” 

“For all mankind.” I replied bluntly as I had already known about it.  She said, ”For you”.  At that time I felt something like scales fell from my eyes and realized that Jesus died for me.  I believe it was a work of the Holy Spirit. 
“A man is not justified by observing the law, but by faith in Jesus Christ.  So we, too, have put our faith in Christ Jesus that we may be justified by faith in Christ and not by observing the law.” Galatians 2:16

 I want to talk about my experience of sanctification.  After being saved, I had a huge conflict in my mind. 
I wanted to serve His purpose while thinking I wanted to do what I want to do.  I struggled with my ego.  Romans 7:15 says,“I do not understand what I do.  For what I want to do I do not do, but what I hate I do.”
Then verse 24 says, ”What a wretched man I am!  Who will rescue me from this body of death?” 
In a meeting I prayed, ”I was tired in this battle. Please deal with me whatever you want me to be.  I‘ve had it.  There is nothing I can do. 
I surrender all.”  At that time Galatians 2:20 came to my mind miraculously. 
It says, ”I have been crucified with Christ and I no longer live, but Christ lives in me.  The life I live in the body,
I live by faith in the Son of God, who loved me and gave himself for me”. 
I doubt that I cannot stand in faith now without this experience. 
It was a significant turning point in my life. 
 

Shimada Incident
After graduated from Seminary, I was appointed to a church in Shimada city, Shizuoka in where a single senior woman had been developing
the church.  I cried for how poor I am and prayed many times at Ooi River early in the morning.  One morning while praying I heard “Wow”. 
As I turned back, a young man like a craftsman attacked me to wrap around my neck with a Japanese towel.  I screamed, “Help Jesus! Help Jesus!”  I made a harrowing escape.  I was survived and I can talk to you like this. 

 Raising Children
I got married and worked at a church in Towada city, Aomori prefecture for twenty six years. We had six children during the time. 
It was a small poor countryside church.  When they were getting old enough to think about going to a college,
I told their teachers it would be a dream to send my children a college.  My children were taught in Sunday school that God answers our prayers.How could I tell them we cannot get you to a college because we are poor?  It happened about this time that Word of Life Company released a series of music called Living Praise.  The second one included a testimony of Rev. Yousuke Furuyama.  His testimony was like this. 

When he studied in America, all his financial support was gone.  He got worried and sang ‘Great is Thy faithfulness’ every night and day.   Miraculously all his needs were met.  “No temptation has seized you except what is common to man.  And God is faithful; he will not let you be tempted beyond what you can bear.  But when you are tempted, he will also provide a way out so that you can stand up under it.” 
I Corinthians 10:13

“What a wonderful promise!  He will do for you just like this promise.” He commented. 
We sang this song day and night by faith for children going further education and prayed in faith. 
Then God had made a way to a college or a university or a graduate school or studying abroad for my children.
  

 While raising my children, there were some huge difficulties.  One of our children stopped to go to high school.  It was the first summer when he entered the school.  I had many things to worry about.  But these were not big deals compared to things about my children.  As a parent,
I worried him much.  I thought only a junior high graduate couldn’t get a job in our society.  My husband and I prayed about him every night. 
It was the time I read over II Corinthians 1:8.

“We do not want you to be uninformed, brothers, about the hardships we suffered in the province of Asia.  We were under great pressure,
far beyond our ability to endure, so that we despaired even of life.  Indeed, in our hearts we felt the sentence of death.” 

I identified the son was almost dead.   However, it went, “But this happened that we might not rely on ourselves but on God,
who raises the dead.”

I believed that our heavenly father who made Jesus rise again in the dead also made my deadly son rise again. 
Then the son took a high school equivalent test and got a high school diploma and went to a medical school in Tokyo University.
He worked as a Christian medical doctor now. 

 My oldest daughter was called to be a missionary at OMF missionary meeting. 
She studied at APNTS (Asia Pacific Nazarene Theological Seminary) to be trained to be a missionary. 
She got sick and had to come home for she lost physical energy.  

Recuperating at home, she was getting better and worked as a part-time English instructor at Hokusei Gakuen University,
then studied at a graduate school of Hokkaido University.  She had prayed whether being a single or getting married. One time,
her prayer turned to praise. 
She praised at Sunday school, worship service while playing the piano and youth fellowship. 
‘Praise and prayer can change circumstances,’ as it was written in a flame hanging on our church wall.

Praising and praying, she met a wonderful godly man and married.  Now she is creating a Christian home. 

 Sapporo church building
We are thankful for your prayer on Sapporo church building in a long time. 
The previous building’s roof was leaking and the foundation went bad.  Also we wanted to buy an adjacent land and had negotiated to get it over years.  But we couldn’t.   God led us to more wonderful place where we have our church now.
The amount of money cost of land and building was 60,000,000 yen and the final payment for the loan was last June. 
It took seven years to refund since the church was built.
  

Hokkaido Holiness Meeting
Finally, I wanted talk about God who calmed the storm. 
We planned to hold the meeting of Hokkaido district inviting Rev. Nobumichi Murakami on September 22 and 23.  Last typhoon Roke traveled through the Japanese archipelago.  About 100 flights were canceled, many parts of the country issued an evacuation advisory,
and many commuters were unable to get home due to traffic paralysis.  In that situation we wondered if Rev. Murakami could come. 
Our church members and we prayed fervently through ‘Prayer chains’ and ‘Prayer network’.  A choir was practicing before the meeting and Rev. Murakami came at the church front door. We were relieved.  We experienced Jesus who calmed the Sea of Galilee does live now and answers our prayer. 
I gave all the glory to God.

I will sing ‘Great is Thy faithfulness’.

Great is Thy faithfulness, God my Father,
Thou hast been thou forever wilt be.
Thy mercy and love, they fail not.
Great is Thy faithfulness!
Morning by morning new mercies I see;
I praise Thy holy name.

October 10, 2011
SSK Holiness Fall Meeting
Testimony: Nobuko Watanabe



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