井上嘉明詩集 『宙吊り』


 
著者プロフィール
 鳥取市在住。
 
既刊詩集
 『星座の逃走』(1963年 私家版)
 『疾走の森』(1970年 私家版)
 『半透明な島』(1976年 私家版)
 『汽水域』(1982年 私家版)
 『漏刻』(1987年 花神社)
 『おりかえしの狩猟』(1993年 花神社)
 『後方の椅子』(1997年 土曜美術社出版販売)
 『井上嘉明詩集(日本現代詩文庫)』(2000年 土曜美術社出版販売)
 
『地軸にむかって』(2004年 砂子屋書房)(中四国詩人賞)
 『封じ込めの水』(2009年 砂子屋書房)
評論集
 『鳥取の詩人たち その他』(2012年 トップ印刷)

所属

 「日本未来派」、「菱」同人。文芸同人誌「流氷群」編集同人
 日本現代詩人会、日本詩人クラブ、中四国詩人会

発行日 2015年9月5日
発行所 詩誌「菱」の会
定 価  1500円

宙吊り   井上嘉明




垂れさがった蜘蛛の糸に
枯葉が一枚
宙吊りになっている
糸に付着した露の小粒に
朝のひかりがあたる
ゆれうごくものに
停止した時間が宿るのだ


囚われの葉は
風もないのに
仕掛け時計の人形のように
くるくると 右に左に
小さく回わり続ける
やがて 糸の水分が蒸発すると
もとの一本のしなやかな意志に戻る


上澄みの空気を
ひとり占めにし
鳥たちを
わがふところに遊ばせていた木々
蜘蛛は無実の葉を
絞首刑にしているつもり
なのかも知れない








すべての鶏たちは
尻に ぽっかりと穴をあけられている
東南アジアの市場
女たちの仕事は
毛羽をむしりとられた鶏の尻に
穴をうがつことから始まるのだった


尻穴に手をつっこみ
未成熟な卵のつらなりを
手品のように
ぞろぞろと取り出す
完成した白い殻が 血の塊の中に
一つ二つ ひかっているものもある
産み出される日が近い
金柑の実のような こがね色
ぶどうのように つぶらなもの
小豆の粒ほどの卵まで
つながっている


女たちは
同じ卵をもつものを
いとおしむような
同性ゆえのかなしみが
入り交じった表情を
しているように見える


人間のメスは
一生分の卵を準備して
生まれてくるというが
鶏は短か過ぎる生を予知して
当面 一、二年ほどの卵しか
用意していないのだろうか
それとも 産み出しきれないほどの
何十年分の卵を抱えたまま
死ぬのだろうか



河のほとりで




ある砂漠の国の
河のほとりで
男に聞いた
この河は どこへ流れているのですか
流れる
という意味が通じない
この河は どこへ行くのですか
と聞き返して やっと通じた
――どこへ行きもしない
もう少しのところで
砂に吸い込まれるだけだ


勾配がなくても
水は動くのだった
ここでは 風はよどみ
水には影がない
飛び込んでくる鳥も
石もない


河は海へ注ぐとばかり思っていたが
砂漠にもぐり込み
何万年前の水と溶け合うのだ
この国の地図の河は
ひからびた みみずのように
あるいは 鮒釣りの針のように
茶褐色の平面に
ぴくりと細く曲っている


別れぎわに
また 男に尋ねた
これから どこへ行くのですか
――どこへ行きもしない
河の水が 急に消えるところまで歩き
多分 明後日になるが
そこで眠る と



鉛筆




あの頃の鉛筆の芯には
ときに 小砂のかすが混ざっており
紙をひっかいたものだ
質の悪い紙が破れるほど――
芯はよく折れ
削るはなから
ぼろぼろと折れるものもあった
接着が粗末で
半分に割れた木の胴体に
すでに折れた芯が
敗残兵のように
横たわっていたりした


たたかいが終って
支援物資の中に鉛筆があった
二本ずつもらった
みんなは競うように削った
よい香りがした
やわらかい 上質な木の真ん中を
艶のある芯が貫いていた
これで敗けたのだな
と 少年は思った


多くの者が死んだが
秋の初め頃から
生き残りの元兵士が戻ってきだした
たいていの顔と汚れた服に
ひっかき傷があった
無口だった


鉛筆がちびるのを惜しみながら
けんめいに字を書いた
手品のように よく滑ったが
いつも 自分の内側を
ひっかいているような
気がしていた