結局のところ、あの賭けの発端は、健一がすかした奴だったってことだ。
 案外、見抜いている奴は少ないが、健一ってのはなかなかソツがない、あー、優等生っていっていいと思う。この優等生ってのがクセもので、センコーや周囲に可愛がられる優等生ってヤツではない。……いや、それも、あるか。それもあるが、ありゃ交友関係っつーか人の中の優等生ってやつだ。いい子ぶってるわけじゃなく、悪さも適度にあわせる。いい加減さも見せる。酒もタバコも付き合いで抵抗なくするし、非常に微妙な力加減で逆らいもする。そこに俺はそういうのを見る。
 最初は甘い奴だと思ったが、節々にひゅっとよぎるそういう奴の影を理解したとき、
 気分悪ぃ
 と珍しく思った。まあ別にそりゃどうでもいいことだったから、健一のことで自分を煩わす気も衝突する気もなかったんだが、それが、ま、残ってた、ってことだろ。
 その日、寮の高橋の部屋にあつまって、なにをするでもなく飲んでた。夜が更けるにつれて、人数が減ってきたんで、高橋がトランプ持ち出してきて、大貧民か、やってたと思う。
「お前、つまんねえよ」
 何回目かの大富豪になった後、カードを床に投げて言った俺の言葉に、健一はひょいとちょっと背伸びするような感じで向いてきた。
「勝っても負けてもどーでもいいみてえな顔してさ」
「そうかな」
 健一も同じようにカードを放って、あぐらをかいた膝を自分の方に寄せた。
「まあ、盛り上がりにはかけるわな」  
 なんか賭けるかぁ? との高橋の言はたいした提案でもなかったが、それ以上に退屈がすぎた。
「金も酒も飽きたな。なんか、絶っ対やなことにしようぜ」
「裸踊りとか?」
「本人もやだろうが、見るこっちもいやだな。――女がらみにしようぜ」
 女ぁ? と高橋がいい、健一もわずかに目を動かせた。男しかいねえこの部屋に、その言葉は虚しく舞う。
「んだな、負けた奴は最初に会った奴に告るっての、どうだ?」
 健一は一瞬何か言いかけたが、それより前に結構酒がはいってた高橋が笑い、その声にかきけされる。
「おい、ベタだな」
「だから、いいだろ」
「告くって、どうすんだよ」
「そんだけだろ。後はお好み」
「どんな女でも?」
「まあ、ガキや年増はややこしいから、大学の誰かにすっか?」
「それさ、無理ない?」
 あくまでも何気なく健一が言った。
「だから必死になんだろ」
「トラブル起きそうなのは、いやだな」
「あんまりあれなら、情状酌量アリってのでどうだ?」
 タバコの箱から一本抜いて、俺は高橋と健一に言った。
「それとも今、女いんのか?」
「いないけどさ」
「やろうぜ」  
 俺と健一の会話を聞いていないのか、高橋がばらまったカードをかきあつめ始める。健一は強く出なかった。  
 それで、俺がタバコを二本吸わないうちに、健一は負けた。  
 それでも冗談ですまそうと思ってたんだろうし、軽くかわすこともできたろーと思う。そういうのが優等生の、面目躍如ってやつだろう。次の日、講義もねえのに離れた大学にわざわざ行って、健一の所属してる鈴木ゼミの研究室でだべってた。ここのゼミ教授はぺらぺらの紙のよーな定年間際の爺さんで、のったりしたしゃべり方がねみいけど、まあ講義はそんなにぼけちゃいないし、単位もとりやすいし、えらぶったとこもねえけど卑屈な感じもしねえし、爺にしちゃいいと思う。
「んじゃ、この部屋出て最初に会った女な」
「かんべんしろよ」
「お前は観念しろよ」  
 ちょっと弱そうなポーズをとって笑った健一に高橋が肩を組んでよりかかる。俺はその光景を見ながら、夏樹の奴は、今は実家だな、とちょっとだけ確認した。  
 あそこん家は母親いねえ男所帯だから、たまに夏樹が帰ってやんねえと、すんげえことになるらしい。あいつの二番目の兄貴、優也とは腐れ縁の仲だが、こいつがまあ、自分はいっさい掃除しねえくせに綺麗ずきというどうしようもねえ性分で、夏樹が出てから家の中がすぐごみ溜めになるとこぼされたときは、確かにすさんだ感じの家の中、お前自分の部屋くらい自分でなんとかしろよと思った。
 夏樹があの家でいばってんのもある意味で当然だ。絶対禁煙法を作って俺にも蛍族やらせようとしたときは、さすがに横暴だと思ったがよ。
「――すばる」  
 冬に生まれた俺に、顔もしらねえ婆ちゃんがつけた名だ。呼ばれて俺はふとトリップしてたことに気づいてそっちを見た。高橋が変なジェスチャーでドアをさしてた。
「二コマの鐘鳴ったぜ」
「おー。じゃあ、いくか。玉砕にさ」
「おい、本気か?」  
 健一が参ったように笑って、けど一瞬、全然笑ったような感じもなく俺を見た。咎めるみてえに。それを俺は見ないふりをした。そういうところが、すかしてんだよ。いやなら我を通して雰囲気破ってでも言やいい。いじめが流行る、お年頃でもねえし。
「告るとき、胸に「罰ゲームです」って貼る紙用意してやんよ」
「あー。もう降――」  
 さん、と言いかけた健一の片腕を俺がつかむ。高橋は明るい顔をして、さあさあとソファから追い立てる。
「新たな出会いの場に行け」
「たんまたんま、ちょっと――」  
 俺がドアを開け、高橋がどんっと背中を押した瞬間、ばしっとそのタイミングがあってしまい、思ったよりずっと勢いよくつんのめって健一は廊下に飛び出し、今、この部屋に入ってこようとしたらしい相手にぶつかりそうになって、必死に立て直した。
「ご、ごめんな――」  
 そこで健一は背後から見ている俺たちにもはっきりとわかるほど固まった。俺は奴の肩ごしにひょいとのぞいた。白い――女が、立っている。
 女が白いのは、白衣を着ていたからだ。白衣からのぞく、胸元のシャツも白かった。肌もまあ、白かった。おまけに片腕いっぱいに抱えた丸めた模造紙も白い。
 二十一世紀が始まって、一度も動いたことがないような、平静そのものの眼がこっちを眺めていた。片目をすがめているので、ちょっとは驚いているようだが、ぴんと伸びた背がすこぶる威勢を放っている。
 やがて女は健一を見た後、俺たちをちらっと見た。背は高い。さほど視線をさげんでもすぐぶつかる。
「とりこみ中だったか」
 失礼、と張りのある声で言うなりきびすを返し、白い残像がゆれた。ヒールも履いていないのに、カッカッとどことなく最近流行りの戦争映画の中の兵隊を思わせる規則正しい足音と共に、女は周りからはまったく普通な感じはしないが、本人はいたって普通そうに去っていった。
 固まっていた健一が、その姿が消えると、ぎしぎしとぎこちない動きでゆっくりとドアを閉めた。二コマの後で、さわがしい廊下が遮断されてしん、と静けさがきた。
「たんま!」
 突然、健一が叫んだ。真っ赤になって振り向いた顔に、俺はおや、と思った。
「たんまなーし」
「パス!」
「パスなし」
「あの人、学生じゃないだろっ!!」
「院生だろ。立派な学生じゃん」
 こりゃ面白いことになるかな、と俺は思った。流しゃいい場面だし、いくらでも流せたのに、自分から沼に足をつっこんでる。
「マジ勘弁しろよ! 俺あの人苦手なんだよ!」
「え? 知り合いかよ?」
 一人知らない高橋がぼけっと間の抜けた顔を広げた。俺はソファに座ってタバコを箱から一本抜き出す。
「たしか――北沢って、名前だよな。ホトケの秘蔵っ子。ここのゼミの院生だろ。講義で一度同じグループになったことあるけど、一部じゃ有名だぜ。なにがあってもうごかねえ、って鉄仮面」
 すると健一がどさっと乱暴に向かいに腰掛けて前髪をかきあげて
「俺、年上のああいうタイプは生理的にうけつけないんだよ」
「知ってるよ。お前、年下の可愛い系だもんな、タイプ。グラビアでも、素人っぽいのばっかり。マニアックさがたりねえよな」
「お前も二人の姉に囲まれて育てばわかるさ」
 かきあげた先からぎろっと健一がにらんできて、その目つきに俺は面白くなった。
「いいじゃねえかよ。ブスじゃねえし」
 その言葉に健一はちょっと意外そうな顔をして一瞬考えたような素振りを見せたが、すぐ首をふった。
「冗談が――いや、せめて話が通じる相手にしろよ。あの人な、うちのゼミでも変人で恐れられてんだぞ。んな相手とどうしろってんだよ。……事務のおばちゃんにでも告った方が数倍マシだよ」
 ひでーと高橋がけらけら笑う。うつむきながら健一はなおもこぼす。
「しかも告ったってあれだろ。どうなろうが俺があの人好きだったってことになんだろ。うわ耐えられね」
 周りの女どもはたいていだまされるが、健一ってのはこういう奴だ。誰にでもいい顔してつきあうから、あれだが。ほころびがでないあたりが、優等生様の所以だろうが――
「後でゲームだったって周りにも言やいいだろ」
 その言葉に健一は目の奥でわずかにひるんだようだ。一瞬、また鋭い目つきが通りすぎて、ちょっと力を抜いた風に肩をすくめてみせる。
「そんなことができるかよ。最低男って呼ばれて、今後誰に告っても持ち出されるだろ」  
 言いながら健一はそんな季節でもないのに、片手で顔を仰ぐ。実際、汗をかいている。混乱してんな。どうしようもねえくらい。
 初めてみた剥がれそうな仮面が面白くて、つついているうちに、まあなんか混乱きわまって――そういう流れになった。
 次の日から、健一は常になくぼんやりするようになった。呆気にとられたというか、気を抜かれたというか、ともかくぼんやりと。
 なんとか聞き出したことにゃあ、うまく――いっちまったらしい。うまく、といっていいのかわからんが。その後も傍目からはつきあってるように見えなかったが。
 特に相手は、今まで通り隣ゼミでよく見かけたが、健一と会っても知り合い程度のリアクションしかとろうとしない。傍目が慇懃だから、逆に嫌われてるようにすら見える。健一は気をつかってせっせとつくすし、細々としたことにも誘うが、あまり応じた様子はない。特に、人前では絶対に。
 そういう相手と交流をつづけていると、初めは一挙一動にびくついて胸を押さえて、なにかしらないけど怖い、緊張する、やっぱり苦手だ、とこぼしていた健一も、まあしばらくしてなんでも慣れがくんのか、すかしたところも戻ってきて、俺もそのころにはいろいろ忙しくなってきてほとんどそのことを忘れてた。
 高橋も、ちょうど中間試験が始まって、普段暇な俺たちもそれにはかからねえとならなくなってた。そういう流れで健一がおかしくなってきたのは、二、三ヶ月ぐらいあとのことだ。
 健一の変化は、なんというか、あからさまだった。夏樹が、健一先輩ちょっとぼうっとしていないか、と言い出すくらい。役に立たない兄貴たちのせいで、夏樹はそういうのに聡いところがあるが、しかし健一はさらにそれを上回り、優等生ぶりにはころっと夏樹もだまされているので、悟られるとは、珍しい。
 んでちょっと気にかけて見ていると、今度は健一は青くなっていった。何気なく目をやるとおいおいと声をかけたくなるほど、思いつめた目つきをするようになって、小奇麗にしてる身辺もそれにあわせてだんだんすさんできた。
 ある日、俺がコンビニいって酒かった帰りに、健一がふらっと自分の部屋に戻っていくのを見て、後を追ってドアを叩いて勝手に入ると、なぜか健一はベッドの上に数枚の千円札と五千円札と小銭をばらまいて見下ろしているとこだった。
「なにしてんの?」
 勝手にあけたことも怒らずに、健一はぼんやりと俺を見て、ため息をつき
「金、たりない」
 と言った。
「なんの?」
 たずねると健一ははーっとため息を吐き出して小さく呟いた。「プレゼント。佳代さんへの」
 かよさんかよさんかよさん、と三秒くらい考えて俺は唐突に佳代さん=北沢=白い=メガネ=白衣と結びつきさすがにちょっとびびって健一を見た。
「お前……まだきってなかったのかよ」
「ほっとけ」
 健一がそっぽを向いた。俺は記憶からなんとか月日をひっぱりだして計算する。
「もう二ヶ月くらいだろ」
 一ヶ月くらい前にたしか、同じゼミの女にそのことを小噺感じでばらしたなそういや、と思い出しながら言うと、健一はしばらく腕を組んでおそらく全財産を見下ろした後
「昴、バイト情報誌とか持ってる?」
「あるけど」
「かして。部屋、とりにいく」
 おいおい。……青い顔を見て、俺は考える。見た目に似合わず、あの女、浪費家なんだろうか。……違うな、多分。
 俺はのろのろと金をかきあつめる健一を見る。ともかくやばい感じの顔色。つちけいろ、というやつだろーか。
 そんな顔色をする健一にあるのは、罪悪感――ってやつかな、多分。こいつ、変なとこで気が強くて変なとこで気が弱いから、年上の女嫌がってたのも、女にたいしてああなのも、結局そういうとこで強くでれねえってとこがあったのかもしれねえ。すかしてたと思ってたし、やな野郎だと考えてたが――結局それはそういう弱さのあれだったのか。
 となると、俺までバツが悪くなってきた。すかしてたところはあれだったが、別にこうなるとは思ってなかったし。健一のことになると、夏樹もなんかうるせえしな。
 久しぶりに他人のことでちょっと考えて、仕方ねえから責任とって始末つけるかと思って、次に廊下であったとき「佳代さん」をつかまえて、まあネタばらししたんだが。
 フレンドリーな対応しろとはいわないが、あいかわらずの鉄仮面で俺の話聞いてんだか聞いてねえのかわかんねえんで、まあとりあえず俺は言ったからいいだろと思って。
 健一は相変わらずやばいくらいのバイトしててほとんど顔もあわせなかったけど、まあ、うちのゼミの後輩で健一に惚れてるっぽい子がいて、それが健一の好みのタイプだったし、健一の青い顔はさすがにちょっと気になったが、結局なんかなるだろ、と思ってた。
 思ってたとおり俺の知らんところで、いろいろと話は進行して、風の噂で無事別れたらしいと聞き、おーよかったな、と聞いてそれだけを俺は思ってころっと忘れた。
 それからしばらくして、バイト三昧ですれ違って久しぶりに見た健一は、ホラー映画に出てきそうな顔になってた。



 あー。惚れてたのか。
 健一の顔を見てようやく俺はそれがわかった。やっぱり健一って奴は、「いい奴」にはなりようがないらしい。
 単に惚れちまったから、やばいと思っただけで、んでも誠実にはなれないから白状して謝るとかもできなくて、でもなんとか続けて行かせられないかって悪あがきして、まあ高いプレゼントでもしてそれを打ち消そうとして、やさしいとかよわいとかそういうんではなく、姑息かつ利己的なだけだった。
 結局、殻を破れないし、誠実にもなれない。あいつは変われない。
 俺は肩を落とすほどは健一のことでは感じなかったが、かすかな失望はやっぱりあった。それを散らすように、タバコを取り出して肺に毒の霧をめぐらす。ふっと吐き出した煙はゆらゆら漂って。
 そんなもんかよ、結局、と知らずに心が毒づいていた。  



 大安。吉日。へえへえめでてえ。健一はあれからなんか俺を目の敵にしてる。まあでもすかしたところが少なくなっただけ、前よりマシだろうと俺は思う。
 廊下のソファーで待たされた手持ち無沙汰に、つらつら思い出してた俺は、タバコを取り出そうとポケットを探ったところで、バタンとドアが開き、夏樹が出てきたので顔をあげた。
 その後ろには例の「北沢先輩」が静かにでもすっと歩み出てくる。俺はしばらくポケットに手をいれたまま、眺めていた。……なるほど。健一はやはり気に入らねえとこがある。
 俺がちょっと嘆息して、ごそっと中断してたポケットにつっこんだ手を動かしたのを、夏樹はめざとく見つけ
「お前、タバコ吸うなよ。煙うつるから」
 と口うるさく言ってきた。それで「北沢先輩」に向けて夏樹は振り向いて「ちょっと待っててくださいね」と言ってパタパタと廊下の奥にかけていく。俺はそれを見送ってから、中途半端だったので、やっぱり半分ほどつぶれたタバコの箱をとりだした。それから一瞬その廊下で二人になって間が空いた。一瞬、妙な間があいて、俺は例の「北沢先輩」を見た。その姿に今まで思い起こしてきた諸々の健一がよぎって、ふっと思った。
「知ってか。健一ってけっこう、ずるいとこあんだぜ」
 すると俺が予想していたどの態度とも違って、「北沢先輩」は、なんにもいわずでも動揺もしないで、ただ強く笑って見せた。
 健一は卑怯な奴だし、姑息な奴だし、本性しればなんでこんな奴に、と誰だって思うよーな奴なのに。
 あれ、と思って苦笑した。俺は別に健一についたつもりはなかったのに。
 愉快になったような負けたような気分になったので、俺はタバコの箱に指をかけて、一本とりだして軽くくわえて、逆のポケットからライターを取り出す。
 ――だけど「北沢先輩」はまだ同じ笑みを浮かべていたんで。
 空手でポケットから手を抜いて、くわえたタバコに、火はつけなかった。




              <賭けの顛末>完