登城口の地図
紀伊長島城
別名 岡山城、城腰城
所在地 紀北町紀伊長島区長島
遺構等 曲輪、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 至徳元年(元中元、1384)
築城者 加藤甚左衛門
歴代城主 加藤
形式 山城(比140m)
登城口から主郭まで約18分
最終訪城日 2007/1/20
【道案内】


【感想・メモ】
きいながしまじょう
【歴史】
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国道42号「長島」信号を南東へ入ります。500m程海岸沿いに進んで左折し、100m程北上すると、1本中の通りに突き当たります。この通り沿いの突き当たった付近に「長島神社」があり、この神社から登ります。車は海岸沿いの通りに駐車できます。
長島神社から登ります。山の中腹に愛宕山大権現が祀ってあるため、そこまではコンクリートの道になっています。道の途中にお城の案内は全くありませんが、途中、階段があったら、階段を上がるように行けば7〜8分で愛宕山大権現に着きます。そこから先は、社の背後の道を行きますが、遊歩道が整備されていて、大権現から10分も登れば山頂で主郭となります。主郭には説明板と城址碑があり、西側の一段高いところに携帯の通信施設などがあります。この高さが変わる付近に竪堀が落ちています。そこから西へ行くと、堀切があり、藪だらけの削平を越えた西側には空掘がありました。
この地は紀北地方に勢力を張った北畠の臣加藤氏が築いた山城の設けられていたところである。最初にここに城を築いたのは、初代加藤甚左衛門で至徳元年(1384)のことであったという。織田信長の三男で伊勢国司北畠氏の養子となった信雄に、天正4年(1576)加藤五代甚五郎が熊野征伐を命じられた。甚五郎は、兵を進め一度は三木城(現尾鷲市三木浦)まで進出したが、新宮の堀内氏を中心とする熊野侍の反撃にあい敗れ、長島城に退き追撃してきた熊野勢を迎え討ったが利あらず、また、赤羽谷の奥村氏の内通などもあり、ついに落城、甚五郎は54歳を最後として自刃をとげたといわれている。(現地説明板より)
城跡の地図