城跡の地図
都城城
別名 鶴丸城
所在地 都城市都島町
遺構等 模擬天守、堀、土塁、碑、説明板
現状 都城歴史資料館、城山公園
築城年 永和元(天授元、1375)
築城者 北郷讃岐守義久
歴代城主 北郷
形式 山城(比20m)
最終訪城日 2006/11/20
【道案内】


【感想・メモ】
みやこのじょうじょう
【歴史】
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宮崎自動車道「都城インター」を下り、国道10号で宮崎市街方面へ南下した場合、都城市役所が左手にある「姫城」信号を右折します。500m程西進して県道31号に入り、JRのガードをくぐり、大淀川を「竹ノ下橋」で渡ってすぐの信号「都島町」を左折し、すぐを右折、100m程行って左折し、そのまま300m程南下すると正面に「城山公園」があります。ここが城跡で、公園の無料駐車場やトイレが完備されています。
公園内には模擬天守のような形の歴史資料館がありました。資料館側は綺麗に整備されているものの、道の反対側にある神社はさびれた感じ。ちなみに、神社と資料館の間の道路は堀切です。資料館へ上がっていく階段下の右手に説明板があります。
永和元年(天授元、1375)、北郷讃岐守義久が築城した。北郷氏は島津宗家4代・忠宗の6男・資忠が北郷姓を称し、義久が2代目である。文禄4年(1595)、北郷氏は薩摩祁答院3万7千石に移封となり、伊集院忠棟が豊臣秀吉の命で大隅鹿屋から都城城に入った。慶長4年(1599)、島津宗家の継承問題から、伊集院忠棟は当主島津忠恒に討たれた。そこで、忠棟の子・忠真は庄内の乱を起こしたが、忠真は殺され、北郷忠能が4万千3百石を領して都城城主となった。元和元年(1615)、一国一城令により廃城となり、北郷氏は館を築いて都城を領し、明治を迎えた。 
縄張図(現地説明板より)