
| 知覧城 |
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| 別名 | |
| 所在地 | 知覧町永里城内 |
| 遺構等 | 曲輪、空堀、碑、説明板 |
| 現状 | 山林 |
| 築城年 | |
| 築城者 | 知覧氏 |
| 歴代城主 | 知覧、佐多 |
| 形式 | 丘城 |
| 最終訪城日 | 2003/8/10 |
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| ちらんじょう |
| 指宿スカイライン「知覧インター」で下り、県道23号で知覧町中心部へ向かった場合、8km程行った「知覧町役場」が右手にある「知覧役場前」信号を左折して、県道232号に入り南下します。1.2km程南下すると、右手に知覧城の石碑があるので、ここを右折します。少し西進すると、左手に無料駐車場とお城の標柱があります。更に奥へ進むと、右手にも知覧城の標柱がありますが、城跡はこの通りの左手(南)の山となります。 |
| 一応、縄張図が載っている説明板を見て、現在地を確認したのですが、周囲は全て山々で藪だらけ。どこからどう城跡に入るのか良く分からなかったので、諦めてそのまま帰っちゃいました。立派な石碑もあるはずなのになぁ。 |
| 建久年間(1190頃)、伊作平次郎良道が3男忠永に頴娃・揖宿・知覧・給黎・薩摩郡を与えた。忠永は頴娃氏祖となり、その子四郎忠信が知覧氏祖となった。しかし、南北朝期にこれらの平氏は没落し、文和2年(1353)、島津忠宗の3男・佐多忠光(佐多氏祖)が足利尊氏から恩賞として知覧領を与えられた。以後、佐多氏の居城となるが、天正19年(1591)11代久慶の時、豊臣秀吉の怒りを買い、久慶は川辺宮村に領土を移された。その後、城は火災で消失し、廃城となった。 |