6日目 聖ラザロ教会見学後マルタ島へ移動、タルシーン神殿、聖ヨハネ大聖堂、アッパー・バラッカ・ガーデン観光

 7時15分からホテルのレストランでブッフェ式の朝食をとった。


肉料理と卵(拡大)

 8時30分に出発、30分ほど高速道路を走るとスタヴロヴーニ山が見えてきた。頂上に328年コンスタンティヌス帝の母親ヘレナが建立したスタヴロヴーニ修道院があり現在15人の修道士が在籍している。この修道院にはキリストを処刑した十字架のかけらが保存されている。

 
高速道路(拡大)         スタヴロヴーニ山(拡大)

 さらに20分走ると塩湖があった。対岸には白鳥やカモメが泳いでいた。

 
塩湖(拡大)          水鳥(拡大)

 9時40分ラルナカの聖ラザロ教会に到着した。イエスの友人ラザロが30歳の時に1度死んだがイエスがラザロの墓の前で出てきなさいと言うと白い布にまかれたままのラザロが墓から出てきたという。その後ユダヤ人の迫害を逃れてイスラエルからキプロスに渡り布教中のパウロとバルバナに出会いラルナカで初代主教として30年以上過し再び死を迎えたという言い伝えがある。

 
聖ラザロ教会(拡大)           鐘楼(拡大)

 初めに地下室に行くと聖ラザロの石棺があった。側面にギリシャ語で友人の文字が刻まれている。友人とはイエスの友人という意味である。

  
聖ラザロの石棺(拡大)          友人の字(拡大)

 礼拝堂の天井にドームの跡が3つあった。オスマン帝国の総督がドーム屋根を見てモスクと思って礼拝したら後で教会とわかり怒ってドームを壊したという話が残っている。

 
礼拝堂(拡大)          ドームの跡(拡大)

 立派なイコノスタシスがあったが王門は閉められていて中の至聖所は見られなかった。

 
イコノスタシス(拡大)          王門(拡大)

 聖ラザロの頭蓋骨を入れた銀製の聖遺物箱があった。イコノスタシスの前には聖母子や聖ラザロらしき肖像画があった。

   
聖遺物箱(拡大)         聖母子(拡大)     聖ラザロ(拡大)   キリストと聖ラザロ(拡大)

 外に出ると新郎新婦が記念写真を撮っていた。


新郎新婦(拡大)

 近くにボヒニアの木がありたくさんの花を咲かせていた。

 
ボヒニアの木(拡大)          ボヒニアの花(拡大)

 10時20分に出発、10分ほどでラルナカ国際空港に到着した。EK107便にチェックインし出国審査と保安検査を受けて搭乗待合室に行き旅行記作りをしながら搭乗を待つ。


ラルナカ国際空港

 12時15分にEK107便に搭乗、12時50分に離陸した。離陸するとすぐ機内食が運ばれた。食後は旅行記作りで過ごした。


機内食(拡大)

 時計を1時間遅らせ13時55分EK107便はマルタ共和国のルア空港(マルタ国際空港)に着陸した。


ルア空港(拡大)

 マルタ共和国は面積316平方km、人口420,000人の小さな島国であるが世界最古の巨石神殿ほか、3つの世界遺産がある。


マルタ共和国(拡大)

 マルタ在住歴15年という日本人ガイドのヨシコさんに迎えられ大型バスに乗って14時50分に出発した。

 
大型バス          高速道路

 10分ほど走るとタルシーン神殿に到着した。タルシーン神殿は紀元前3000年〜2500年に造られた巨石神殿でエジプトの神殿より古い。


タルシーン神殿入口

 ここには3つの神殿が並んでいた。最初にに一番新しい第3神殿の前に出ると豊穣の女神の像があった。地上に出ていた上半身は失われていたが非常に肥っていた。そばに祭壇があり石に渦巻きが彫られていた。.渦巻きは時間と永遠の象徴だったと考えられている。

 
豊穣の女神下半身(拡大)      祭壇(拡大)

 先に進むとまた祭壇があり隣に男根を象った柱が置かれた祭壇もあった。

 
祭壇(拡大)          男根の祭壇(拡大)

 その先に第2神殿があり入口近くに石を削って作った直径1.1mの鍋が置いてあった。その先には階段があった。聖職者が第2神殿の祭壇に登るためのものと考えられている。

  
第2神殿(拡大)             石鍋(拡大)           祭壇に登る階段(拡大) 

 その先に第1神殿があったがシンプルな構造だった。裏側に小さな穴が開いていたが巫女が通った穴と考えられている。穴の周りの石には動物が彫られていた。

  
      第1神殿(拡大)           巫女が通った穴(拡大)

 第1神殿の先に古い神殿の跡があり地面に穴が掘られていた。草むらに紫色のポピーが咲いていた。

 
古い神殿跡拡大)       紫色のポピー(拡大)

 裏側の高い位置から神殿を眺めた。


神殿群(拡大)

 BS朝日が取材に来ていて速水もこみちが遺跡を紹介していた。


速水もこみちと取材班(拡大)

 15時35分に出発、15分ほどでヴァレッタに到着した。ヴァレッタはマルタ共和国の首都で街全体が世界遺産になっている。バスが旧市街に入れないので聖プリウス教会の脇で下車しトリトンの泉の脇を通って旧市街に向かう。

 
聖プリウス教会(拡大)        トリトンの泉(拡大)

 旧市街の入口に巨大な空堀があった。ヴァレッタは1565年の50,000人のオスマン軍によるグレートシージ(大包囲)の経験から難攻不落の都市となるよう設計され、グレートシージ以前から存在した聖エルモ要塞を加え街全体が要塞となっている。

 
空堀(拡大)          空堀(拡大)

 メインストリートのリパブリック通りを歩いていくと古い建物が目についた。聖ヨハネ騎士団の武器庫だったという。聖ヨハネ騎士団はテンプル騎士団、ドイツ騎士団とともに中世ヨーロッパの3大騎士団の1つで聖地巡礼に訪れたキリスト教徒の医療活動や保護を任務としていたが徐々に軍事的要素を強め聖地防衛の主力として活躍した。本拠地を移すにしたがってロードス騎士団、マルタ騎士団と呼ばれるようになった。

 
リパブリック通り(拡大)      聖ヨハネ騎士団武器庫(拡大)

 さらに5分ほど歩くと聖ヨハネ准司教座聖堂に到着した。聖ヨハネ准司教座聖堂は聖ヨハネ騎士団の守護聖人であるキリストの授洗者聖ヨハネを称えるため1577年に建てた聖堂である。

 
聖ヨハネ准司教座聖堂(拡大)        時計台(拡大)

 外観は地味だが内部は極めて豪華だった。

 
身廊(拡大)            内陣(拡大) 

 中央祭壇にはマッツオリ作のキリストを洗礼する聖ヨハネの大理石像が置かれていた。

 
中央祭壇(拡大)        キリストを洗礼する聖ヨハネ(拡大)

 天井や後陣には騎士の一員であったマッテア・プレーティによって聖ヨハネの生涯や騎士団長、マルタ十字架、甲冑などが描かれていたがフレスコ画ではなく油絵である。

  
内陣天井(拡大)          身廊天井(拡大)          後陣の壁画(拡大)

 側廊には騎士団を構成する8つの言語グループの礼拝堂が並んでいた。

  
イタリア騎士団礼拝堂(拡大)       ドイツ騎士団礼拝堂(拡大)      ポルトガル・カスティーリャ騎士団礼拝堂拡大)
  
騎士団礼拝堂(拡大)          騎士団礼拝堂(拡大)

 礼拝堂内には聖ヨハネ騎士団の象徴マルタ十字がたくさん見られた。また内装が騎士団長コットナー兄弟の私財で行われたためコットナー家の棉の紋章があちこちで見られた。

 
マルタ十字        コットナー家紋章

 礼拝堂の床一面に画で飾られた騎士の墓が並んでいた。全部で400もあるという。

 
騎士の墓(拡大)

 准司教座聖堂の付属美術館にはいTリアの画家カラヴァッジョの「聖ヨハネの斬首」と聖書をラテン語に翻訳した聖ヒエロニムスの肖像が展示されていた。カラヴァッジォは乱暴な気質で殺人を犯し、マルタ騎士団の友人を頼ってマルタに逃げてきた。「聖ヨハネの斬首」はカラヴァッジォがサインを残した唯一の画である。この画を仕上げたことでカラヴァッジォは騎士になったが、彼の出目をいやしむ同僚騎士と争い、地下牢に幽閉されてしまった。後に脱出しローマを目指すが旅の途中で病死した。残念ながら美術館内部の写真は撮れなかった。

 16時30分に出発、マーチャント通りを通ってアッパー・バラッカ・ガーデンに向かって歩いていくとナポレオンが滞在した家があり壁に標識が嵌め込まれていた。今は外務省として使われている。

 
ナポレオンが滞在した家(拡大)         標識(拡大)

 さらに進むとイタリア騎士の教会だった聖カタリーナ教会やポルトガル・カスティリアの騎士の宿舎だった首相官邸があった。

 
聖カタリーナ教会(拡大)        首相官邸(拡大)

 グレートシージの際の騎士団長ジャン・パリゾ・ド・ヴァレットの肖像があった。ヴァレットはグレートシージでオスマン軍に勝利した後も町の発展を図った。ヴァレッタという町の名は騎士団長の名から来ている。


ジャン・パリゾ・ド・ヴァレット像(拡大)

 10分ほど歩くとアッパー・バラッカ・ガーデンに到着した。高いところに1661年に建設された柱廊があった。建設時には屋根があったが今は失われている。


柱廊(拡大)

 アッパー・バラッカ・ガーデンからの眺めは素晴らしかった。グランドハーバーやスリー・シティーズ、聖アンジェロ砦、ロウアー・バラッカ・ガーデンなどを眺めることができた。聖アンジェロ砦はグレートシージのさい聖ヨハネ騎士団の司令部が置かれ、歴代の聖ヨハネ騎士団長を埋葬した教会がある。


アッパー・バラッカ・ガーデンからの眺め(拡大)
 
聖アンジェロ砦とスリーシティーズ(拡大)         ロウアー・バラッカ・ガーデン(拡大)

 アッパー・バラッカ・ガーデンのトイレが閉まっていたのでバスに戻る途中で5星のホテル・フェニシアでトイレを借りた

 
ホテル・フェニシア          ロビー(拡大)

 通りにセイヨウハナズオウの花が咲いていた。セイヨウハナズオウはヨーロッパの各地で見られるがユダの木とも呼ばれ花言葉は裏切りである。

 
セイヨウハナズオウの木(拡大)    セイヨウハナズオウの花(拡大)

 17時20分に出発、40分かかってセント・ジュリアンの5星ホテル、ル・メリディアンに到着した。人口41万人のマルタに39万台もの車があるので夕方は渋滞してしまうのだ。

 
ル・メリディアン           客室

 19時からホテルのレストランでブッフェ式の夕食をとった。若かった頃の習慣が続いていていつも肉類を食べ過ぎてしまうので今日は野菜を主にしておいた。


料理棚
  
スープ(拡大)          温野菜とパスタ(拡大)          各種料理(拡大)

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